2018年2月11日 (日)

国債などの政府の債務は1085兆円

 9日に財務省が発表した「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」(昨年12月末現在)は1085兆7537億円だった。1年前より14兆円多い。政府が発行した普通国債などの内国債だけで前年比21兆円増の956兆円に達する。

 政府は毎年、税収などを上回る歳出を当然のごとく行なっているから、国債等のいわゆる借金がどんどん膨れ上がってきている。経済学者の多くは、こうした財政状況を危機ととらえ、財政再建を政府の最重要課題の一つととらえるが、逆に危機とみなさず、必要な政策だという学者・エコノミストの見解もある。

 そして、問題は、国政において、政府・与党が財政拡張を問題視していないうえに、野党も財政再建を重要な政策課題ととらえることなく、いまの野党共闘の主要なテーマに取り上げていないことである。

 財政健全化について、井堀利宏政策研究大学院特別教授が8日の日本経済新聞「経済教室」で「非常時対応の正常化急げ」、「将来世代への先送り限界」という見出しの記事を書いている。土居丈朗慶応大学教授は「月刊 経団連」1月号で「基礎的財政収支黒字化の早期達成を」という見解を述べている。その中で「早期のPB黒字化は歳出改革とセットで」とも言っている。

 これら財政学の大家の見解に対し、松林洋一神戸大学教授の9日付け日経「経済教室」は、「現時点では国内では政府部門の資金不足を、民間部門の資金余剰で埋め合わせることが可能となっている」が、中長期的には2つの点が要注意という。

 団塊世代の高齢化が進む20年代半ば以降、家計部門の貯蓄取り崩しが本格化する。また、企業部門の資金余剰が続くか定かでない。財政が海外からの資本流入に依存するなら、長期金利へ影響が出るかもしれないという。

 こうした専門的な議論を十分に消化する能力はないが、日銀の異常なほどの超低金利政策と抱き合わせの国債多発財政がいつまでも持続可能とは思われない。カネをばらまけば、国内景気を底上げできるが、こうした将来に禍根を残す安倍政権の政策は早期に是正されるべきだろう。

 

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2018年1月30日 (火)

放漫財政をチェックする政治勢力が無い

 水谷豊が主演のテレビドラマ「相棒」をよく見る。警察組織は上下関係で官僚制度の最たるものだが、このドラマでは、その官僚制度の弊害がときおり具体的な事件の捜査に顔を出す。

 政府・与党の要人が関わる事件やスキャンダルなどで、官房長官がもみ消しを指示したりする。警察内部でも上層部の指示で、事件をにぎりつぶしたりする。警察庁と警視庁との上下関係で事件が警察庁の意向に沿って処せられたりもする。もちろん、警視庁が警察庁の無理難題に対し、筋を通そうとしたりすることもある。

 このドラマ「相棒」が長く続いている理由の一つは、この官僚制度の歪みを突いているからだろう。現在の日本では、法の制定から法の運用、適用まで、何が正しいのか、官僚が民主政治の基本に立って公務に励むのが正道だが、現実には、出世するか、左遷されるか、上司などによる人事評価などが影響する。結果として、上司の指示に従ったり、意向に沿った行動をとることが多いと思われる。

 経済政策にしても、官僚の人事評価に政治家が関与するようになり、政権のトップの意向を汲まないと、昇進の道が断たれるという状況ができてきているようだ。財政健全化への取り組みも、消費税増税を繰り返し先延ばしする安倍首相の放漫財政のため、与党、省庁などは予算分捕りのほうに夢中になっている。

 金融の異次元緩和で国債の大量購入に踏み切った日本銀行も、安倍政治に唯々諾々と従って、膨大な国債を抱えたまま、金融正常化に手を着けようともしない。官僚の一人ひとりが、「もの言えば唇寒し」と憂国の思いを内に抱えたままである。

 安倍政権が長ければ、それだけ、官僚たちの国を思う心が薄れていく。野党があまりにも無力な政治情勢を憂う。

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2018年1月13日 (土)

元旦の新聞一面トップで社主が”平和憲法捨てるな”と主張

 日本記者クラブは例年、いまごろ、東京・日比谷のプレスセンタービル一階ロビーで、元旦付けの全国紙、地方紙などをまとめて展示する。ことしの展示を13日(土)に見た。眼を引いたのを一つだけ紹介すると、日本海新聞と大阪日日新聞が一面トップに、社主の吉岡利固氏の主張「平和憲法を捨ててはならぬ」を掲載したことである。

 一般紙は、社説、論説、主張などという欄を設けているが、それを執筆するのは論説委員などであり、経営の最高責任者ではない。また、社説などが一面に載っていた時代はとっくの昔に終わり、二面以降に掲載されるのが普通だ。編集も分業・専門化の時代である。それだけに、元旦だけとはいえ、社主の名前で主張を前面に押し出す日本海新聞と大阪日日新聞はユニークだ。

 吉岡社主の主張の一つは、二度と戦争をしてはならないという日本人の平和に対する思いは世界に浸透していて、日本だけは軍備を持たなくてもやむをえないと世界は納得してくれている、日本は戦争放棄を明記する憲法を持つ唯一の国であり、わざわざ普通の国になる必要はないということである。

 また、我が国の繁栄は、米国が日本に平和憲法を作り与え、軍備を持たせず、代わりに日米安保条約で日本を守ってきたおかげである、安倍政権の憲法改定は、平和憲法の持つ特権を自ら捨て去る行為だという。

 また、吉岡社主は、安倍政権の言う働き方改革は、実際は、休みが増える分、収入は減るという内容だ、おカネがないのに遊べと言う矛盾した政策だと主張する。そして、政府と官僚が推進する小手先だけのダメ政策に気付かぬほど国民は思考停止に陥っていると言う。

 そして、国民がいっそう考える努力を失い、軍備を持つことを容認する世論が半数を超えたら、日本の将来危機が本格的に到来すると指摘する。

 以上、吉岡社主の訴えを紹介した。日本の一般紙で、吉岡社主の抱くこうした鮮烈な危機意識を読者に訴える新聞がほかに見当たらないのをどう考えたらいいだろうか。

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2018年1月11日 (木)

大鹿靖明『東芝の悲劇』はすごい本だ

 粉飾決算などで明らかになった東芝の危機的な経営状況はいまも続いている。なぜ、こうした事態に至ったかを追及した大鹿靖明著『東芝の悲劇』を読み終えた。

 「東芝は、経済環境の激変や技術革新の深化の速度に対応できず、競争から落後したわけではなかった」。「その凋落と崩壊は、ただただ、歴代トップに人材を得なかっただけであった」。プロローグで著者はそう言い切っている。

 本文を読むと、よくここまで掘り下げて取材・執筆したことに驚く。とともに、著者に敬意を表する。大鹿氏の著作ではかつて、『ヒルズ黙示録』を読み、強烈な問題意識や取材力に感心したが、今回は、それ以上に、緻密な取材のうえに積み上げたストーリーに圧倒される思いだった。

 『東芝の悲劇』のエピローグを読むと、”悲劇”の構図が整理して述べられている。

 「東芝で起きたことは、まさに人災だった。教訓として言えることは、傍流からの抜擢人事は、こと日本の大企業においては成功しないということである。なぜならば、傍流からの抜擢人事は、多くの場合、実力者自身の院政とセットになることが多いからである」。

 「東芝の悲劇は同時に、この国の専門家たち(プロフェッショナル)の偽善性や欺瞞ぶりもさらけだした」。会計士、弁護士、検察庁、公正取引委員会や、所管官庁の経済産業省は、本来、求められる社会正義の実現や真実の追究をおろそかにして、財界の名門、東芝の面倒をみてきた。「かくして独立不羈の精神が社内に育まれることはなかった。温和で従順な社員は自立の気概に欠けていた。それも東芝の悲劇だった」。

 傍流からの抜擢云々という著者の割り切り方などに異論もあるだろう。それを踏まえても、”東芝の悲劇”の進行を詳細に取材し、執筆した著者の力量はすごい。”悲劇”はまだ終わってはいない。続編を期待する。

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2018年1月 5日 (金)

佐川国税庁長官の記者会見はいまだにしていないんだっけ

 日本税理士会連合会(略して日税連)の会報「税理士界」の1月15日号を読んだ。新春対談「納税義務の適正な実現に向けて  佐川国税庁長官と語る」と題して3ページにわたって、神津信一日税連会長と佐川宣寿国税庁長官の対談が掲載されている。

 佐川長官といえば、昨年7月5日に就任するまでは財務省理財局長だった。学校法人森友学園に国有地を売却する際に、地中に埋まったごみの撤去費用を過大に見積もり、払い下げる土地代を低くした疑いがあるとして、国会で、関係書類の提出を求められたりした。しかし、「書類は破棄された」などと答弁し、証拠隠滅の罪で告発された。

 そんないきさつもあって、佐川長官の就任記者会見は行われず。その後、佐川氏が記者会見をしたという報道は記憶にない。

 しかし、佐川氏は「税理士界」の対談で、「我々の組織では職員に対し風通しの良い職場であるようにということをよく申し上げています。風通しが良いというのは、お互いにきちんと議論し合うということで、会議では、必ず各人の意見を述べてもらうようにしています……この組織で何をしたいのか、この組織をどうしたいのかということを議論してもらうことが重要だと思います」と言う。

 そして「些細な問題でも対応を誤れば、組織の信頼を失ってしまいます。それを防ぐためにも、リスク管理として、必ず上司に報告するよう徹底させています。」と付け加える。

 租税教育の充実に向けた取り組みについても、「次代を担う児童・生徒が、国の基本となる租税の意義や役割を正しく理解し、社会の構成員として、社会のあり方を主体的に考えることは、納税に対する納得感の醸成と民主国家の維持・発展にとって大変重要なことである」と述べている。

 以上、対談で佐川長官の述べたことは至極もっともである。普通に記者会見を行ない、メディアを有効に活用すれば、国民の税に対する認識や理解が深まりやすい。結果として、長官の目指す目標を実現しやすいのではないか。

 それを佐川氏は十二分にわかっているが、真相を闇に葬るという選択をせざるをえなかったのだろう。そうだとすると、長官の仕事を全うする人物として不適格のように思える。

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2017年12月23日 (土)

新聞各紙の社説は政府の来年度予算案を厳しく批判

 安倍内閣は22日、来年度一般会計予算案および今年度の補正予算案を決定した。主だった新聞はどう見ているか、23日の朝刊の社説を読むと、いずれも厳しい目で見ている。

 「政府予算案 目に余る政権の無責任」という見出しの東京新聞社説は、「先進国で最悪の財政状況という現実から目をそらし、小手先の帳尻合わせに終始した」、「歳出抑制の意思は感じられない」、「問題なのは、税制改正も予算編成も官邸主導で進められ、ほとんど異論も聞かれないことである」などと指摘している。

 毎日新聞も、「借金まみれの危機的な財政を一段と深刻にしかねない内容だ」、「健全化目標という歯止めを欠いたまま歳出をずるずる膨張させた」と断定した。そして「社会保障費が急増する「2025年問題」は目前に迫る。巨額の借金を抱えたまま歳出がどんどん膨らめば、財政は持続できなくなる」と批判した。

 産経新聞は、「消費税の使途変更などを機に、財政規律が緩んだ印象が濃い」とし、「腰を据えた歳出入改革を打ち出してもらいたい」と注文している。

 また、読売新聞も、「当初予算を重視してみせても、補正予算でタガが外れれば元も子もない」、「当初予算の編成時から補正予算を前提とする財政運営は再検討すべきではないか」と言う。

 朝日新聞は来年度予算を防衛費と財政規律の二つの点から論じ、二本の社説を載せた。防衛費のほうは「どこまで膨らむのか」という見出しで、「限りある予算のなかで防衛費が膨張すれば、それだけ財政全体が圧迫される」とし、米国製の最新兵器を次々に購入することが適切なのか、いろいろ問題点があることを明らかにしている。

 一方、財政規律に関する社説は「危機感がなさすぎる」という見出し。景気拡大を前提とする税収増と超低金利政策によって「景気が安定し税収が伸びている時こそ、歳出を見直す好機なのに、緊急時に膨らんだまま抑制できていない」と問題点を挙げた。そして、補正予算という抜け穴にも言及した。「財政再建の歩みが、安倍政権が描いていた道筋から大きく外れている」ことも批判している。

 日本経済新聞は、「財政規律の緩みが心配な来年度予算」という見出し。「税収増加や国債金利の低下を背景に、財政規律がさらに緩むことが心配だ」と述べている。記事では、23日朝刊一面の見出しが「膨らむ歳出 かすむ改革」とある。三面の見出しも「100兆円 成長つながらず」、「1強政治 描けぬ未来図」。五面では「社会保障 懸案素通り」などと全体的に厳しい目で見ている。

 以上、新聞各紙の社説も一般解説記事も、安倍内閣の予算案に対し、概して厳しい目を向けている。年が明けてからの国会の論戦が、こうした問題点にどこまで迫っていくか、注視したい。

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2017年12月 8日 (金)

中国政府の情報監視、日本企業にも

 半世紀ほど前、日本の中国向け鋼材輸出は、日本の業界が一体となって訪中団を送り、北京で中国政府(五金鉱産公司だったか?)と商談を進めていた。日本側は中国側と何日にもわたって交渉するが、日本側の下打ち合わせをするとき、宿泊しているホテルでは、ラジオの音量を上げたり、水を流したりして、盗聴されないようにした。また、散歩しながら打ち合わせした。

 こんな昔のことを思い出したのは、いまの中国政府が中国と海外を結ぶVPN(仮想私設網)を遮断するようになった(12月8日付け日本経済新聞朝刊)からである。この通信トラブルにまいった日本企業は、国際専用線に切り替えたりしているが、専用線といえども、中国の通信会社が介在しているため、通信傍受や情報の抜き取りが可能だという。

 この記事の末尾には、「打ち合わせ場所で落ち合ったら一カ所にとどまらず、歩きながら会話する。今はこれが一番安全だ」と書かれている。半世紀前に大手鉄鋼メーカーの輸出担当役員が語った苦労話と符節が一致する。

 「中国ネット遮断 日本企業にも」、「VPN規制 業務に支障」、「専用線に誘導迫る監視」という見出しは、日本の企業の対中ビジネスに関して、撤退するか、中国政府の情報監視を甘受するか、という厳しい選択を迫られている実態を明らかにした。容易ならざる事態である。企業は無論のこと、日本政府も、この事態を深刻に受け止める必要がある。

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2017年12月 4日 (月)

メディアの原点を思い起こさせる本『新聞記者』(望月衣塑子著)

 首相官邸における菅官房長官の定例記者会見で、納得できる回答を得るため質問を繰り返したということで、一躍有名になった東京新聞の望月衣塑子記者(社会部)。同氏の書いた角川新書の『新聞記者』を読んだ。

 官房長官会見というと、テレビなどで見るように、官邸に詰める報道各社の政治部ないし政治担当の記者が行儀よく手を挙げて質問し、官房長官が答弁集を見ながら答える。型通りの行事のようにみえる。それを丁々発止のやりとりへ変える先駆けが望月記者である。

 「新聞記者の仕事とは、ジグソーパズルを作るときのように、一つずつ真実を認めさせて、さらに裏を取っていくこと――そう教わってきた。事件取材で、最初から真実を聞けることなど、まずない。ぶつけた質問が否定されることを前提に、何度も何度も疑問を投げかける。」

 そう言い切り、それを実践してきた同氏の実績は、本書を読んでもらえばわかるが、それはそれは、まぶしいくらいである。私も、かつて新聞記者として仕事をしてきたから、同氏のスタンスと実績にはとても感動した。そして、自らの原点を保っていく姿勢に畏敬の念を覚える。

 いま、日本は政治、経済、社会のあらゆる面で厳しい局面に立たされている。報道という点をとっても、さまざまな問題に直面している。望月記者の活動は、事件記者的なものから、国の政治・社会などの問題へと広がっていく可能性がある。そうなるのを期待したい。

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2017年11月30日 (木)

政府も企業も自由闊達さが失われているのでは

 国会の審議は、野党の”攻め”が迫力を欠いている。野党の質問は森友・加計問題にかなりの比重がかかっているが、安倍首相や霞が関の官僚はのらりくらりと言い抜けし、野党から、それ以上の追及はない。世論調査では、もり・かけ問題にたいする安倍政権の言い逃れに対して国民の批判が強い。その点を野党が生かして、鋭く切り込むことができないのはなぜか、そのことを野党各党は反省する必要がある。

 これに関連して、霞が関の官僚たちが”もの言えば唇寒し”の状態になっているという指摘を聞く。中央官庁の上級官僚や、総理大臣秘書官など、霞が関の中枢にある人たちが、閣僚などトップの身を護るため、本当は陳情を受けたりしたのに、「会っていない」とか「記憶にない」などと言う、あるいは、記録しておかねばならないのに公文書として残しておかない、などということが起きている。自分自身の保身や出世のため、ウソをつく、あるいは、公正さを欠くようなことをする、そんな今の霞が関の実態を憂うるOBたちもいる。

 神戸製鋼所、日産自動車、三菱マテリアル、東レなどが品質、性能などで問題があると思わせるビジネス慣行をとっていたことが明らかになった。日本のものづくりの質的な高さに疑問を抱かせる話である。こんなことがどうして?と思うが、どうも、会社組織が硬直的で、下から上に自由闊達にものが言えない経営だからではないかと想像する。

 もともと、日本の企業経営は、下が上をかつぐ神輿型だったが、21世紀になってからは、国際競争が激しくなり、経営トップが引っ張る形になってきた。その結果、会社組織の中で、上が下に命令する一方的な経営が当たり前になり、下が上に物申すことが難しくなってきているのではないか。

 霞が関では、下の者が上に自由闊達に提案、批判などがしにくくなっているようだ。まして、安倍首相や菅官房長官に対しては、そうだといわれる。企業社会で起きている問題が行政においても同時並行的に生じている。日本では、組織内で自由にものが言えないという硬直的なひずみが広がって、闊達さが失われていきつつあるのだろう。

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2017年11月19日 (日)

籠池夫妻はいつまで拘置されるのか

 18日、米国の核戦略等を担当するジョン・ハイテン司令官が、トランプ大統領から核攻撃を命令された場合、それが違法なら、従わず、反論すると語ったという。全体主義国家なら、上からの命令に対し、躊躇することなく核戦争の火ぶたを切るのではなかろうか。民主主義の法治国家であるのとないのとでは大きな差違がある。 

 19日のBS-TBS「週刊報道LIFE」は、森友学園の詐欺容疑事件で逮捕された籠池夫妻が長期に拘留されている問題を取り上げ、「人質司法」のおそれがあると指摘した。

 籠池夫妻が大阪地検特捜部に逮捕されたのは7月31日。そして8月21日に詐欺罪で起訴され、9月11日に追起訴された。だが、その後も拘置所にとどめおかれ、釈放されないままだという。そして、家族との接見も許されないという。証拠隠滅のおそれがあるとか、国外に逃亡するおそれがあるという状況でもないのに、起訴後も留置を続けるのは人権の侵害にあたるのではなかろうか。

 沖縄における基地反対運動のリーダー、山城博治氏は昨年10月から5カ月も拘束されたという。そして4カ月半は家族との面会も許されなかった。そんな例などがいくつもあるという。

 その背景には、警察、検察、裁判官のいずれもが取調室での自白を決め手と考えているからだという指摘がされた。しかし、昼間は取り調べ室に、取り調べのない時間は2畳ばかりの狭い部屋に閉じ込められるというのでは拷問に近い。欧米はそうではないという。籠池夫妻の口を封じるかのごときは、全体主義国家に似ている。

 

 

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