2009年12月20日 (日)

コペンハーゲン合意をテークノートするという結論

 10年ぐらい前の、環境に関する政府の審議会でのやりとりを思い出した。座長が「議論していただく時間がもうないので、報告案の取りまとめに入りたい」旨、言い出した。それに対し、ある委員が「地球温暖化のような人類にとって大きな問題について、時間がないから議論を打ち切るというのは何事か」と異議を唱えた。

 コペンハーゲンで開催されていたCOP15は、主要国の首脳が滞在予定を延ばして、何らかの合意を得ようと努力し、主要国の間で「コペンハーゲン・アコード(合意)」をまとめあげた。だが、それを受けた総会では、いくつかの途上国がアコードの受け入れに強硬に反対したため、単にアコードにテークノート(留意する)という結論に終わった。オバマ米大統領はアコードの最終決定に至る以前に帰国の途についたという。鳩山首相もアコードがまとまってすぐに会場を離れた。

 コペンハーゲンで温室効果ガスの排出削減について具体的な数値や期限を含む国際的な取り決めに達することは難しいと予想されていた。したがって、主要国の首脳が、中身が乏しいとはいえ、アコードをまとめたのは一歩前進と評価すべきなのだろうが、オバマ大統領などは総会にも残ってアコードが採択されるように努力してほしかった。地球温暖化は人類の衰亡につながりかねない重要な問題だからだ。

 超大国の1つである米国には、世界を引っ張る意欲がうかがえなかった。米国の凋落を痛感した。まして、もう1つの超大国である中国は自国の利益のことしか頭にないようだった。温暖化が進めば、水位の上昇で中国の沿海部のみならずかなり内陸までもが水面下に沈む。中国は温暖化の影響をこうむりやすい国土なのに、目先の経済発展と物質的な豊かさ追求に重きを置き過ぎている。

 超大国のリーダーシップが弱いのと逆比例するかのように、途上国などの発言力が増している。そのこと自体は結構なことである。しかし、中国から軍事的、経済的な援助を受けている国が多く、それらの国は中国のシンパになっているようだ。そうしたところからも、中国の発言力は強まっている。こうした国際的な状況のもとで、2度以内の気温上昇にとどめるという目標で世界の国々が実効性のある協定を1、2年内に結べるのだろうか。きわめて疑わしい。

 思い切った温暖化抑制対策の義務化はむしろビジネスチャンスだ、というとらえかたが先進国の一部にある。そうした発想をもっと国際的に訴えていく必要があるだろう。日本はそうした視点で諸国を説得するようにしたらどうか。すぐカネを出すという日本外交の悪習はほどほどにして。

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2009年12月14日 (月)

温暖化対策をめぐる意見の大きな開き

 コペンハーゲンにおけるCOP15は、京都議定書の延長という、会議前には予想されてもいなかった方向に行きそうだと報道されている。日本は90年比25%減という、条件付きの削減を無条件でのまされかねないともいう。ここでもまた日本政府のイニシアティブは感じられない。環境大臣らが行ったとはいえ、陣頭に立って交渉をリードするという積極外交ではなかった。まだ各国首脳が顔をそろえる前だが、日本すでに敗れたり、の感が深い。

 13日に東京・飯田橋で開催されたKOSMOSフォーラム「21世紀の新しい環境観」で、野家啓一東北大学大学院教授は「温暖化対策のCOP15のように、人類が共同して何をすべきかを議論するとき、国民国家間の利害が妨げになる。国民国家はそうした問題にとって障害となっている」という趣旨の発言をした。まさに、今回のCOPはそれに当てはまる。

 コペンハーゲン会議で浮き彫りになったのは、米、中という超大国が地球温暖化の進行をなんとでも食い止めなければならないという意識および合意達成への責任を感じていないことである。中国は自らの急速な経済発展を妨げない範囲でできることだけを言い、米国も、資源エネルギーをふんだんに使うライフスタイルを持続するのを前提に可能なことを言っているだけである。両国が世界中の温室効果ガス排出量のおよそ半分を占めているにもかかわらず、自国の温室効果ガス排出を大幅に減らさねばという危機意識を抱いていないのである。

 もしも世界政府が存在するなら、科学者たちの予測にしたがって、総論として、これだけ減らそうという方針は容易に出るだろう。各論の段階で手間取るにせよ、総量がオーバーすれば、温暖化の被害はもろに出てくることが予測されるから、世界政府はきちんとした対策を実行するに違いない。

 現実には、世界政府は望みえない。とすれば、国際世論を盛り上げて、超大国に対し、自制や責任と、とりまとめるリーダーシップとを強く求めていくしかない。科学者たちの予測によれば、ここ数年で大きな方向転換をしないと、将来の人類は温暖化による甚大な被害、災害に苦しむのである。

 13日のフォーラムで、ノンフィクション作家の中野不二男氏は温暖化で海面の水位が数メートル高くなっていた事例として三内丸山の貝塚を紹介した。三内丸山はいま、海から30㌔メートルも離れているが、温暖化していた5千年前は遺跡のすぐ近くまで海岸線がきていた(縄文海進)ことを画像で示した。人工衛星ALOS(陸域観測技術衛星)の画像を地図や標高のデータなどと組み合わせて作成したものという。こうした「みえる化」をどんどん行なって、地球温暖化のもたらす影響を世界の民衆に知ってもらう努力を日本政府は率先して実行したらいい。

 フォーラムでは温暖化対策として、「物を浪費しなくて、自然にやさしくて、楽しく暮らすこと」(住明正東京大学教授)といった意見もあった。私は日本人だから、それには共感する。しかし、世界の人々の考え方や暮らしからはかけ離れた発想だと思う。こうした日本的な考え方と物質的、金銭的な豊かさを限りなく追求する欧米や中国の発想との間にはあまりにも大きな開きがある。その違いをどう埋められるのか、悩ましい問題だ。

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2009年12月11日 (金)

不気味な小沢民主党幹事長の行動

 民主党の小沢一郎幹事長は党所属の政治家、議員に対し、選挙区で辻立ちせよと求める。そして、自らも、あちこちを回って応援演説などをする。だが、国民全体に向かって自らの所信を表明することはまずない。新聞などマスメディアからは、彼が日本の将来をどう考え、どのような政治をしようとしているかが国民には伝わってこない。したがって、彼の行動や断片的な発言から推し量るしかない。

 10日、小沢幹事長は民主党の国会議員140名余を含む約600人を率いて北京を訪れ、中国共産党の胡錦濤主席と会った。前代未聞の訪中団である。胡主席が突っ立っているところに、団員一人ひとりが歩み寄って握手する。その繰り返しは、あたかも中国の皇帝のところに伺候する属国の支配者たちのようにみえる、そう評した知人もいる。

 小沢氏は胡主席との会談の中で、来年の参議院選挙について「兵を募り、鍛え、勝利をめざしている」と述べるとともに、自らを「野戦軍の最高司令官」だと称し、「解放戦(参院選)が終わるまではそれに徹したい」(11日付け朝日新聞朝刊)と語ったという。相手に合わせての発言だろうが、憲法第9条を持つ日本の政治に大きな責任を持つ者としてはふさわしくない表現である。

 団員の政治家は小沢チルドレンを含め、小沢派とも言うべき政治家がほとんどのようだ。政府と党は別だとして鳩山政権とは一線を画したつもりかもしれないが、党内党のような公然とした分派活動にもみえる。いずれ民主党が割れるとすれば、小沢派とそれ以外ということになるのではないか。

 小沢幹事長は北京からソウルに回り、韓国の大統領に会う。しかし、約600人を連れていきはしない。なぜ、最も近い隣国の韓国には大訪問団を引率していかないのか。そして、鳩山首相率いる政権が沖縄の基地移転問題であいまいな姿勢のため米国との関係をおかしくしている一方で、小沢幹事長が党外交で中国との関係を強めている。それらの一連の動きが日本の将来にどう響くのか。大いに気になるところだ。

 小沢氏の意向で、民主党政権は陳情の受け付けを党に一元化した。行政官庁や大臣など政務三役への陳情は認めない。したがって、政府への陳情は小沢幹事長がすべて取りまとめ、政府に申し入れるということになる。問題は、党から政府への要望については、事業仕分けのように国民の目にさらされることがない点だ。日本テレビで村尾信尚ニュースキャスターがそれを指摘し、同様な仕分けを求めていたが、賛成だ。

 音楽指揮者の小沢征爾さんが直接、小沢幹事長に予算の確保を陳情していたが、党から政府への要望という形で、こうした著名人の陳情や、選挙応援などを約束する各種団体・組織の要望には予算をつけるというのでは、自民党政権のときと何ら変わらない。党は政策には口をはさまないと小沢幹事長は言っていたが、果たして、どうか。

 民主党中心の連立政権は、子ども手当など公約の実現に熱心だが、未曾有の財政危機には目もくれない。財務大臣を除くと、カネがなければ国債を増発すればいい、という閣僚ばかりのように思える。それはまた、参院選挙で勝つことしか頭にない小沢幹事長の意向に誰も逆らえないせいもある。

 民主党政権はどうやら「党高政低」が特徴のようだ。そこで連想するのは、中国、ベトナムなど社会主義を標榜する国が典型的な党高政低の一党独裁国家であることだ。小沢氏が何を考えているのか知るよしもないが、来年の参院選挙で勝ち、社民党などとの連立が不要になれば、民主主義国家の日本を実質的に改変し、一党独裁的な政治体制を確立しようとするのではないかとすら危惧する。考え過ぎだよと言われるかもしれないが、小沢氏の行動には不気味さを感じざるをえないのである。 

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2009年12月 8日 (火)

COP15で日本は攻めの姿勢か守りの姿勢か

 地球温暖化にブレーキをかけるための気候変動枠組条約締約国会議(COP15)がコペンハーゲンで始まった。温室効果ガスの発生量と吸収量の差が大気中に蓄積されると、地球表面が温まって気候の変化が激しくなり、猛烈な風雨、洪水、熱波、干ばつなどが襲うといわれる。それに伴って、多くの動植物が絶滅するという。このため、人類の生存の基盤がゆらぎつつある。

 世界の科学者を総動員したIPCC(政府間パネル)は、温暖化によって何が起きるか、自然や経済社会などが受ける被害の増加を抑えるには大気中の温室効果ガス濃度上昇をどの程度にとどめるべきか、などを研究し、公表してきている。だから、世界各国の指導者たちは、程度の差こそあれ、温暖化を放置すべきではないことを理解している。問題は各論だ。どこの国が基準年に対し、いつまでにどれだけ減らすかである。ないしは増加率をどれだけ低めに抑えるかである。

 半年ぐらい前までは、鉄鋼、セメントなど、二酸化炭素の排出量の多い産業が、セクター別アプローチを唱え、政府の一部もそれを支持していた。鉄鋼なら鉄鋼で、世界の製鉄所のトン当たり排出量を比較して、排出量の多い工場の排出量削減を優先するという考え方である。しかし、コペンハーゲンでは国対国の交渉ごとなので、話題にもならない。

 したがって、中期目標として、どこの国がどれだけ削減ないし伸びの抑制を図るかという国際交渉となる。まだ、ほとんどの国は二酸化炭素の発生量と経済発展とがニヤリー・イコールなので、先進国を除いて、どこも自分たちが出す温室効果ガスの量の増加を抑えたくない。ことに、経済発展のレベルが低い国は完全にそうだ。

 日本の政府に対して望むことは2つある。1つは、日本は1990年比で2020年の排出量をマイナス25%にするという鳩山首相の発言は国際的にも高い評価を受けた。日本がマイナス15%程度と言っていたら、コペンハーゲン会議は全く展望が開けなかっただろう。その意味で、日本は今回の会議で二大排出国の米中を含む世界的な温室効果ガス削減中期目標をつくりあげるためのイニシアティブをとりうる立場だし、とってほしい。言いっぱなしでなく。

 温暖化交渉も外交である。各国とも、自国に有利な結論に持っていくため、外交手腕を振るう。要するに、外交が下手だと、不利な条約などを結ぶように追い込まれる。京都議定書は見方にもよるが、日本が最も割りを食った。今回も、受け身で交渉していると、その二の舞になるおそれがある。EU、米国、中国はまさに日本がえじきになりかねない交渉相手だ。

 2つ目は、鳩山政権はマイナス25%を実現するために日本がどうするか、具体的な方策を早急に詰めてほしい。そして、企業や市民に積極的に実行してもらうよう働きかけるべきだ。それと並行して、地球環境問題の重要性をさまざまな場を通じて国民に理解してもらうことがなにより大事だと思う。デンマークは風力発電や自転車へのシフトなど、明確な方向転換を行なった。日本だって、その気になれば、相当のことはやれる。

 高速道路の無料化などは、温暖化問題の重要性に照らせば撤回するのが当然だ。にもかかわらず、いまだにマニフェストに書いてあるからといって、財政難にもかかわらず撤回しない。

 マイナス25%をぶちあげただけで、国民をそこに結集して実をあげようとする努力が少ないのは驚くべきことである。政治は将来の国のかたちを国民に語ることで、国民を引っ張っていくことができる。しかし、説得力のあるものでなければ、国民はついていかない。

 政権の担い手が自民党から民主党に代わったことで、積年の弊が除去された面が少なくない。国民の多くはそれを評価しているように思われる。しかし、3か月、半年と経つにつれ、国民の民主党を見る目は冷静になっていく。

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2009年12月 5日 (土)

診療報酬引き上げは安易な発想だ

 全国知事会が医師不足に悩む地域の医療再生のため診療報酬引き上げを求めている。知事会のみならず、診療報酬引き上げをという声があちこちであがっている。しかし、診療報酬の約半分が人件費であるにせよ、1%とか2%とかの引き上げで医師不足が解消するだろうか。

 行政刷新会議のWGは、①病院に比べて高い開業医の診療報酬を引き下げて病院の診療報酬引き上げに充てる、②診療報酬が高い眼科、皮膚科などについて引き下げを行ない、小児科、産科などの診療報酬引き上げに回す、という方向を打ち出している。既得権益を奪われるところの抵抗は強いだろうが、最低限、これらをやりぬくことが政府の役割だろう。国の財政が最悪だから、八方まるくおさまる解決策はとりようがないことをわきまえねばならない。

 開業医はきちんと休日をとり、夜間診療をしないところが多い。一方、病院には患者がのべつまくなしに訪れる。それなのに、診療報酬は、診療所のほうが病院よりも高い。医師個人の収入も、病院の勤務医よりも開業医のほうが多い。労働条件で比較すると、開業医が病院の勤務医よりもはるかに有利である。これが医師不足の背景にある問題点である。

 かつてのように、国の財政が豊かで、保険料引き上げを国民が問題なく受け入れることができる時代なら、病院の診療報酬を診療所のレベルまで引き上げることが可能だが、未曾有の財政危機のもとではそれは考えられない。

 また、診療科目によって診療報酬の単価が異なる。医療過誤リスクなどを考慮しても、開きすぎている。このため、低い診療科の医師をめざす学生が減っているといわれる。したがって、高過ぎる科目の単価を引き下げて、低すぎる診療科の単価引き上げに充てることは妥当だ。

 来年の春闘にあたって、連合は賃上げ要求をしない方針を決めた。デフレで民間労働者はボーナスの削減は当たり前。年収が軒並み前年比マイナスになっている。そうした時期に医師不足対策ということで、もともと高収入を得てうらやましがられている医師がさらに年収アップするという話は、いかにも国民の多くの気持ちを逆なでする。診療報酬単価が据え置かれても、デフレのいま、実質は1~2%のアップに相当する。それらを考慮すれば、開業医から勤務医へ、高い診療科から低い診療科へ、というやりくりこそが合理的な解決だと思う。

 地域医療問題を解決するには、忙がし過ぎる病院の医師の業務を減らすために、看護婦に一部、医療行為を任せる、病院と診療所が連携して医療にあたる、など、さまざまな対策をとる必要がある。診療報酬を上げればことは解決するような幻想は許されない。 

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2009年12月 4日 (金)

おかしなことばかり

 最近の報道でどうもおかしいと思う出来事がいくつもある。

●日本政策金融公庫の中間決算について。最近、日本経済新聞の「私の履歴書」に、帝人の社長だった現日本政策金融公庫のトップが登場した。人事の主流からはずれていながら、与えられた仕事の中で能力を発揮し、ついに帝人の社長にまでなったサクセス・ストーリーは、読ませるものがあった。その人物がトップの座にある日本政策金融公庫の中間決算が発表になった。経常収益3689億円に対し、経常損失がなんと5763億円にも達した。

 同公庫は国際協力銀行、中小企業金融公庫など政府系金融機関が統合してできたもの。運営は元の各機関が実質的に独立して経営しており、赤字の元凶は中小企業事業の部門である。そこの部門収支は経常収益767億円に対し、5267億円の損失を計上した。信用保証協会の代位弁済が高水準で推移したからだという。保険金支払いは4294億円だった。そして、政府の出資金1兆1059億円で自己資本の穴埋めをしたとのことだ。

 政府系金融機関にせよ、こんな大きな損失が出るというのは、信用保証協会が金融機関の中小企業向け融資に対して、まともに審査をしていないからではないか。また、公庫はそれを黙認し、景気対策だからといって、倒産そして貸し倒れになるような企業への融資について代位返済を保証したとしか思われない。こういう形で国民の税負担が増えるのは納得できない。きっちり説明すべきである。

●民間出版社が発行する『外交フォーラム』や『Japan Echo』を外務省が大量に買い上げて議員、有識者、メディアに配布しているのを、先の行政刷新会議が事業仕分けで廃止するとの判定をくだした。これについて、北岡伸一東大教授ら国際政治学者が緊急声明を出し、買い入れ継続を求めた。商業ベースで日本の外交政策の情報を発信し続けることは極めて難しいとの理由からだ。

 仕分けでは政策効果が薄いと判定されたが、私は特定の民間出版社に政府が肩入れするのはおかしいという原則論をとる。どこの分野でも学者、研究者は執筆した論文などを記載してくれる専門雑誌、総合雑誌や単行本の発行が減って困っている。過去には思想、信条に照らして絶対に執筆しなかった雑誌などに、いまは平気で原稿を書いている学者も少なくない。このように、現在、出版社の多くが経営難に直面し、どの分野の学者、研究者も発表機会が減ってしんどい。そうした中で、自分の関わる分野だけは特別のように思うのは視野狭窄もいいところではないか。

 求められるのは、このICT時代に、どうやって日本の学者や研究者らが発信したら、内外の関係者や専門家などに効果的に伝わるかを真剣に考え、工夫すること、それに、内外の人々を説得できる内容であるのか、切磋琢磨してレベルを上げること。そうした努力が必要ではないか。配っても読まれていないというようなことはなかったか。スパコンもスポーツ界もだが、税で支えてもらっているという謙虚さがほしい。

●神戸市の外郭団体への補助金をめぐる住民訴訟について、大阪高裁は市長への賠償請求を放棄するとの市議会議決を無効とする判決をくだした。もっともな内容だ。首長には提案権、議会には決定権という現在の二元代表制には問題があるといわれるが、首長と議会・議員(および職員・労働組合)とがなれあって、住民の利益に反する行動をとる自治体が少なくない。地方分権とか地域主権とか言葉は美しいが、住民に最も近い市区町村が住民の利益を優先するようにならないと、本物の地域主権は実現しないと思う。

 派遣先の仕事が市の業務に密接に関わってはいない、つまり天下りのような職員派遣にもかかわらず、市が補助金を出して市に損害を与えた。ということで、一審は神戸市に対し、市長らに損害賠償請求するよう命じた。これに対し、神戸市は控訴し、職員派遣に関する条例改正案を提出。その中に賠償請求権の放棄も入れた。そして、市議会はそれを可決した。この一連の動きは住民訴訟の意義を真っ向から否定したとんでもない行動である。主要な政令指定都市の1つである神戸市にして、このていたらくだ。

 同じ政令指定都市でも、名古屋市は就任して間もない河村市長が地域主権の実現を目指していろいろ試みている。こうした住民主体の地方政治を実現する努力が積もり積もることが国政レベルでの地方分権論議を促すだろう。

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2009年11月29日 (日)

「事業仕分け」の前に「自民党無駄遣い撲滅PT」があったのだが

 鳩山政権の事業仕分けが27日に終了した。仕分け作業を公開にし、ネットでもリアルタイムに知ることができるようにしたこと、そして、予算を要求する官庁側と、問題点を指摘する仕分け人とのやりとりを通じて、ずさんな予算要求の一端が明らかにされたことは高く評価できる。

 実は自公連立政権下の自民党が同様の作業を昨年6月から約半年かけて実施していたということはほとんど忘れ去られている。「無駄遣い撲滅プロジェクト」(座長、園田自民党政調会長代理)である。今回と同様、NPOの「構想日本」の助力を得て、若手官僚8人および各界の人たちを集めて実施した。しかし、それが自民党の政策にはならなかった。

 もし、自民党が無駄遣い撲滅プロジェクトチームの報告書を受けて前向きに実現に取り組んでいたら、あれほどの惨憺たる選挙結果には至らなかっただろう。それが自民党の運命の分かれ道だったのかもしれない。

 プロジェクトチームを率いた河野太郎衆議院議員は自らのホームページで「河野チームが去年からやった事業仕分けは、自民党の中では反乱軍のように扱われた」、「国立マンガ喫茶や酒類総研のように我々が廃止を打ち出したものに平気で予算がつけられた」と振り返っている。

 ここからは今回の事業仕分けに対する私の感想だが、第1に、「総額が少ない。見ていて甘い」と河野氏も指摘するように、もっと切るべきだった。民主党の有力者が予算をそのまま認めるようにと圧力をかけたり、作業を仕切る民主党議員がカットしないほうへと結論をまとめたりとかしたこともある。民主党主体の連立政権のもとでの与党族議員の誕生である。

 第2に、俎上にのぼった予算項目および問題点の指摘は財務省主導だったことである。自民党政権のもとでは言えなかった問題点を財務官僚がここぞとばかり出したのだろうが、結果として、それとは異なる視点からの意見が出にくかった。

 第3に、以前のシーリングがなくなり、各省庁とも要求したいだけ予算要求する格好になった。その結果、事業仕分けの対象にならない要求項目については、仕分けがないので、財務省の査定はあるにしても、無駄遣いが見逃される可能性が強い。民主党は政治主導とばかり言っていないで、官僚の意識改革を図り、省庁あげて無駄遣いをしないようにもっていく必要がある。

 第4に、今回の仕分けの結果を鳩山政権がどれだけ生かすかだ。仕分けの結果がどうであろうと、政治主導で決まると言い切る民主党議員もいる。事業仕分けの結果には疑問を抱く国民も多いようだが、さりとて、仕分けの結果が次々に無視されるなら、国民の民主党支持は揺らごう。

 第5に、民主党は事業仕分けで点数を上げた。しかし、民主党の経済政策(マクロ、ミクロ)は何か、日本をどういう国にしていこうと考えているのかがさっぱり見えない。その大きな枠組みがはっきりしない中での事業仕分けというのは、判断の物差しがぼやけているのだから、どうしても恣意的になりがちである。

 いずれにせよ、事業仕分けは神の声ではないから、民主党の今後の取り扱いが注目される。自らの偽装献金問題で首相の座が危うくなっている鳩山首相がどう判断するかも要注目だ。

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2009年11月26日 (木)

富士通副会長の講演から教わったこと

 11月25日に東京で開催された富士通環境経営トップセミナーを聞いた。伊東千秋副会長の講演「持続可能な社会の実現に向けたICTの貢献」には期待していなかったが、中身はよかった。

 伊東氏によると、ことしのダボス会議では、世界金融危機のあとはどうなるのか、という講演が多かったが、あるNPOの代表は「21世紀は意思の時代」と述べて大変な拍手だったという。つまり、どうなるのかを予想して、それに対処しようという発想ではなく、どういう社会にすべきか、という問題の立て方をしようというものだ。

 米国のゴア元副大統領が、いまは経済危機、温暖化の危機、エネルギー安全保障の危機という三位一体の危機に直面していると言った。伊東氏は、国内に石炭のない韓国は、CO2を出せば出すほど貿易収支の赤字が増えるから、持続的発展のため脱エネルギー・石油というグリーン・グロウスをひたすら目指す。インドは1人あたりCO2排出量の少なさで世界一を目指すという。そして日本はエネルギー自給率が4%しかないので、エネルギー安全保障を口にしないと語った。

 一方、鳩山首相は90年比25%減とともに、途上国への資金援助を提案したが、その際、測定可能、報告可能、検証可能な形でのルールづくりを求めた。これはカーボンが通貨になることを意味すると伊東氏は言う。カーボンが通貨になるとすれば、産業構造は全く変わると指摘した。それを踏まえ、富士通として、もっと農業に関わっていくとし、ICTを用いて農業者の暗黙知を形式知にするといった取り組みをすることを表明した。

 また、産油国なのに風力発電に力を入れ、その供給が17%を占めるデンマークでは秒単位で需給がバランスできる火力発電の仕組みができているとし、需要に応じた動的料金で電力消費をできるだけ削減するスマートメーターがあると紹介した。例えば、冷蔵庫に付けると、料金の安い時だけを選んで冷やすという。これは日本の家電メーカーの製品とは違っているから、日本メーカーは新たな対応が求められることを意味しよう。

 同じセミナーで、ダイキン工業の藤本悟CSR・地球環境センター室長が「環境なくして発展なし」という題で講演。動作が時代の潮流に乗るという「ウエーブライダー」から、潮流を作りだす「ウエーブメーカー」に変わったと述べていた。これも、これからの日本および世界を考えるうえで大事な視点だと思った。

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2009年11月22日 (日)

日銀に国債購入を求める声

 産経新聞の22日付け「日曜経済講座」で、田村秀男編集委員が、国の財政が大変なので、デフレ脱出には日銀の役割がとてつもなく大きいと書いている。

 それによると、脱デフレには財政と金融の一体化しかないが、政府が国債を従来通りの引き受けをあてにして発行すると、市場は消化しきれず、金利の上昇を招く。それが家計やビジネスの負担増につながり、デフレを昂進してしまう。

 したがって、デフレ脱出には日銀が国債を購入するのが望ましいという。ところが、日銀には、国債保有残高の上限を日銀券発行残高以内とするという「内規」がある。そこで、田村氏は日銀に対し、国債の購入が駄目というのなら、せめて国債と同様の政府短期証券(FB)を市中から買い上げ、資金を供給せよと主張している。

 FBは大半がドル買い介入の際に発行したもので、発行残高は6月末現在で119兆円にのぼる。日銀がこのFB100兆円分を市中から買い上げて資金を市中に供給すると、政府は建設国債を余裕で追加発行できるというわけだ。

 事業仕分けなんぞ、やったって知れている、こっちのほうが本筋だというのが田村氏の主張である。

 財政危機の状況は深まる一方で、デフレによる経済萎縮が進む。これを打開し、経済を安定的な成長軌道に乗せるにはどうすべきか。民主党政権はまだそのシナリオを描けていないので、余計、国内景気は不安定になっている。国債マーケットの神経質な価格変動は、それを反映している。田村編集委員の提案には疑問もあるが、いまこそ経済対策をめぐって百家争鳴が必要だと思う。

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2009年11月19日 (木)

もの皆、値下がりしている

 東京株式市場はきょう(19日)も結構値下がりした。明るい材料がまるでみられないとあっては、当たり前だろう。値下がりは一般の商品・サービスでも目につく。ものが安くなると、家計は助かるが、大半のビジネスを窮地に追い込む。そして雇用などへの波及を通じて、日本経済と国民生活にさまざまな悪影響を及ぼす可能性が大きい。

 街を歩いたり、買い物をしたりすると、本当に、商品・サービスの値段が下がっていることを実感する。きょう、昼の12時過ぎに東京・神田の裏通りを歩いていたら、弁当屋で50円引きサービスがあり、サラリーマン風の男たちが十人ぐらい並んで買っていた。もともと300円台の値段の弁当である。最近は持ち帰りの弁当の値段で300円台というのが多くなった。そうした目で駅周辺を見たら、あちこちで庶民向けの食堂、レストランがランチの値段を何十円か下げたという幟(のぼり)が立っている。

 食品スーパーで日常の食材を買っているが、最近は野菜にせよ、果物にせよ、たびたび、驚くほどの低価格で売っている。大根1本が100円もしなかったりする。生産者の労力だとか、流通費用などを思うと、気の毒になるし、こんな価格で持続可能な農業なんてありえないだろうと考えてしまう。

 マクロ経済統計では日本経済が回復の方向にあるという。しかし、エコポイントなどで下駄をはいている状態で、企業は新卒採用を極度にしぼっているように、冬ごもりに近い。雇用を抱え、操業度を維持するために、安売りでも何でもせざるをえない企業もあると思われる。

 中小企業の債務返済を猶予させるための中小企業金融円滑化法案を強行採決によってでも可決しようという民主党の政策もプラス・マイナス両面があり、明るい材料にはならない。財政危機を背に、日本経済をどうやって成長路線に乗せるかという問題意識がどうも民主党政権にはなさそうだ。子ども手当のような、限られたパイの配分にばかり夢中になっていて、ある種の視野狭窄症にかかっている。

 世界経済危機でG20とか、国際会議がひんぱんに開かれ、主要国のトップや閣僚が今後の世界戦略を議論している。主要国は自国に有利な仕組みづくりに懸命だ。それなのに、政務三役を採り入れた民主党政権は国会開会中であろうと、どうしてこれらの会議に大臣が出かけないのか。そのくせ、やたら対外援助の大盤振る舞いだけはする。これでは、自民党政権のときと変わらない。

 消費者物価指数の下落など、デフレの様相を示す指標が出ている。このため、菅副総理が補正予算編成を打ち出した。それは当然なすべきことだが、財政健全化の重い課題を踏まえ、中長期的な成長政策を明確に提示するものであってほしい。

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