2019年5月15日 (水)

野党はこぞって財政再建に正面から取り組んで

 最近は新聞などで、国の財政赤字が大きくなっても財政破綻は来たさないというMMT(現代貨幣理論)が、消費税引き上げとからんで、あたかも流行語のように取り上げられている。

 近づく参議院議員選挙をにらんだ国内政治のゆくえという観点からも、当分、メディアをにぎわすことになりそうだ。ここで、気になるのは、野党勢力が消費税引き上げ反対という方に傾斜し、財政再建の問題を棚上げするようにみえることだ。

 日本の国家財政は年々、国債発行による借金増大に依存している。3月末現在で、内国債、借入金、政府短期証券の合計で、1103兆円余の債務を抱えている。景気がいい時も悪い時も、”借金”は増える一方できた。消費税引き上げは、こうした借金増大に歯止めをかけるはずのものだった。それも与野党合意にもとづくものだった。

 しかし、安倍政権は、国民に消費税アップを受け入れてもらう厳しい道を避け、財政膨張を続けてきた。それに野党も同調してきた。これでは、財政再建は遠のく一方だ。国民に増税という苦痛を受け入れてもらうための説得や苦労を野党も避けているとしか思えない。

 政治に関する世論調査では、野党を支持する割合は低い。群小の野党では、国民のほうも、期待のしようがないように思える。我が国をめぐる内外の政治経済情勢は容易ならざるものがある。南米、アフリカ、中東などを思い浮かべてほしい。我が国の野党の指導者は、細かい議会対応もさることながら、大局に立って行動することが望まれる。

 

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2019年4月16日 (火)

映画「山懐に抱かれて」を製作したテレビ岩手に敬服

 今月下旬に公開される映画「山懐に抱かれて」の試写会に出た。三陸地方に旅行したことがある人なら、岩手県下閉伊郡田野畑村を知っているだろう。私も30年ほど前に、三陸海岸を訪れたときに、農業と漁業の村である田野畑村で一泊した。しかし、この映画を見るまで、山を切り拓き、乳牛を放牧する牧場があることを知らなかった。

 「一年を通して山に牛を完全放牧し、大地に生えるシバと自前で栽培する牧草だけを餌に牛を育てる”山地(やまち)酪農”」(パンフレットより)。この理想の酪農をめざしてこの地に住みついた吉塚公雄・登志子夫妻。彼らは生まれてくる子供たちやその家族と共に一日の休みもなく理想の酪農めざしていそしんできた。そこには、喜びもあれば悲しみもある。そして悩み、苦しみがある。特に、公雄氏は理想の牛乳生産と牧場の拡大をめざすが、経営難に頭を悩ます。民放のテレビ岩手は、そうした酪農一家の歩みを映像として記録してきた。この映画は、その酪農大家族の24年間の映像記録を編集して映画にしたものである。

 映像は、自然の美しさと同時に冬の気象の厳しさを目の当たりにしてみせる。また、家族の夕食時、テーブルを囲み、家族一人ひとりの名前を皆で唱え、感謝する。成長した子供たちが結婚したり、仕事のありかたをめぐって父親と意見が対立したりもする。家を出て、よその地で暮らす者も出てくる。小学校にも上がらない幼児が干し草づくりなどを遊びのつもりか、手伝う。

 家族の数十年という年月を追うテレビ・映画の「北の国から」は名作だが、フィクションである。これに対し、「山懐に抱かれて」は、テレビ岩手が長年、ドキュメンタリーとして製作・放映してきたものを映画として編集した”すぐれもの”である。観客は、感動するとともに、いろいろ考えさせられるに違いない。

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2019年4月12日 (金)

財政赤字を気にせず財政の規模を拡大できる?

 2019年度の国家予算が成立してからのことのようだが、経済情報で、財政赤字を気にせず景気刺激策をとっていいんだ、という見解をよく見かける。米国の学者などが唱えているという。独自の通貨を持つ国の場合、供給不足でインフレが起きるのでなければ、経済成長と雇用が増加しているかぎり、政府債務残高がどんなに増えても、問題はないという説のようである。

 日本の国内でも、日本の財政赤字を国債発行で穴埋めする拡張財政に何ら問題はないとの説を唱える学者がいる一方、このままでは、いずれ財政破綻に追い込まれると指摘する学者・エコノミストがいる。前者は、安倍政権の経済財政政策をバックアップしている。しかし、財政赤字がさらに大きくなれば、経常赤字の拡大、さらにはドルの信認低下へと、金融市場を揺るがす可能性が高まるのではないか。

 世界経済および日本経済の行方は、政治情勢の悪化を背景に、予断を許さない。日本の財政膨張が今後、どうなっていくのか、慎重に見守る必要がありそうだ。

 

 

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2019年3月18日 (月)

喉元過ぎれば熱さ忘れる

 ”3.11”から満8年の追悼行事が行われたのは1週間前まで。以後、被災地の復興をめぐる報道も限られてきている。ところで、ことしの”3.11”報道を振り返ってみて、福島原発事故をめぐる報道は少なかったように思う。

 そうした思いを強くしたのは、”3.11”当時、菅直人総理大臣の補佐官だった寺田学
衆議院議員の最近のブログを読んだからである。それは、同氏が2016年に書いた「5年前の記憶のすべて」と題する文の要約である。その一部を紹介すると、
「”最悪のシナリオ”と呼ばれたシミュレーションがあった。(菅)総理から近藤原子力委員会委員長に作成を依頼したもの」、「福島原発の全てがメルトダウンし、人間が近づけない状態となり、その放射能汚染が他の原発の地域までに及び、連鎖的に事故が起こる等々、全てが最悪の方向に進んだ場合の、最大の被害の想定。まさしく最悪のシナリオ。」
「記憶に残っているのは『避難が必要となる地域』。福島原発から半径250kmは避難が必要とするシミュレーションだった。避難するということは、戻ることを想定していない。移住を必要とする地域と言っていい。」
「東京も避難地域だった。横浜まで含まれていた。”首都移転”が必要になる、と真っ先に思った。そして誰も口には出さなかったが、皇居が避難地域に含まれる事の重大さに打ちのめされていた。」
「それ以外にも、東日本に住む方全員の移動。西日本の土地は高騰し、食料も不足、失業者大量発生etc。考えるのもおぞましい状況があった。」
 ブログの末尾:「あれから4年。大きな震災、事故の割に、あまり変わらぬ日本に不安を感じます。」
 原発の新たな事故が起きないとは言い切れない。起きたとき、日本の国民が蒙る被災が日本沈没をもたらしかねない。そうした危機に対し、いまの国民は常日頃から備えているだろうか。総理大臣を筆頭に、政治家は平成ボケしていないだろうか。

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2019年3月11日 (月)

”孤独死”は被災地だけの現象ではない

 東日本大震災の日から8年が経った。3月11日のテレビ番組は、東北の被災地がどこまで復興したのか、被災者の家や暮らしは元のように戻ったのか、などを中心に現状と課題とを整理していた。

 私自身は8年前、東京の自宅(共同住宅)にいて、激しい揺れに直面した。そしてすぐテレビをつけ、すさまじい勢いで陸地に迫る津波、また、陸地に上がって畑地をのみこんでいく津波などの映像を見ていた。この世の地獄かと思えるほど恐ろしい光景を、こわいもの見たさに見ていた。何時間も。
 8年経った今、きのう、きょうのこうした映像、そして、疎開や復興の歩みなど、さまざまな情報を通じて特に感じたことを2つあげたい。
 1つは、8年の歳月が過ぎ去ったことである。小学校卒業直前の少年少女が大人の仲間入りするまでになっている。多感な年頃の彼らは、進学や就職で東京など大都会に行く者が少なくないが、心のどこかで郷里の復興を願いつつ生きているように思われる。また、彼らは、時には、被災の語り部になるのではないか。そして、かつて東北の被災に同情した全国の大都会の人たちは、日々の出来事に追われ、東日本大震災をほとんど忘れ去るのではなかろうか。
 もう1つは、”孤独死”なる用語の使い方への疑問だ。大震災で家や家族を失った被災者が災害公営住宅に1人で住むようになった結果、誰も知らないうちに死んでいた、というのを”孤独死”といわれる。
 コンクリートで仕切られた中高層の公営住宅に入居すると、ご近所付き合いが減ったり、なくなったりする。その結果、孤独死が多いというわけだ。だが、都会の中高層マンション(共同住宅)では、それが当たり前。隣は何をする人ぞ、である。プライバシー尊重がそれに拍車をかけている。高齢化と少子化もだ。孤独死は被災地固有の問題ではなく、日本の社会の抱える深刻な問題だと思う。

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2019年2月 9日 (土)

財政破綻問題に正面から取り組む経済同友会

 2月8日に財務省が発表した昨年末の国債・借入金・政府保証債務合計は1101兆円だった。言ってみれば日本国政府が借りているお金、つまり借金がそれほど多くあるということである。うち、普通国債だけで867兆円に達する。

 だが、この巨額の借金を誰が背負うのか、ほとんどの国民は考えたこともないだろう。新聞報道も、厚生労働省などの統計不正に集中している。国民は借りたカネは返さねばならなくなると知ったら、真剣にその方策を考えるようになるだろう。
 経済同友会の最新の月報「経済同友12・1号」は、同会がこの問題に真っ向から取り組んでディスカッションをした様子を紹介している。その中で、一番強い印象を受けたのは、小林慶一郎氏(慶応義塾大学教授)が「財政危機の深刻さと大きさが国民に共有されないことが財政健全化についての議論の大きな障害になっている」と言っていることだ。
 いまでも、GDPに対する国・地方の債務残高の比は非常に大きい。この比を安定させるには、GDPの14%にあたる予算のカットないしは増税が必要という。いまの国家予算は約100兆円だが、その7割にあたる70兆円をカットしなければならない、同氏はそう言う。
 一方、池尾和人氏(立正大学教授)は、国内の貯蓄で財政赤字をカバーしているマクロ経済状況では、財政破綻の問題は顕在化しないのではないか、と指摘。「余裕がある間に、危機に備えるべきなのですが、なかなか危機感が醸成されません」と指摘している。
 もっとも、須田美矢子氏(キヤノングローバル戦略研究所特別顧問)は、「日本の対外純資産残高から純直接投資と外貨準備を除いた純資産は40兆円」、「短期の対外純債務が190億円」だと指摘。「世界最大の債権国だから財政破綻にはならないという議論は楽観し過ぎ」と戒める。
 財政破綻はまず高率のインフレに始まる。行政サービスが大きな打撃を蒙り、社会保障などが抑えられ、社会の混乱がひどくなる。したがって、財政健全化は非常に大事だと土居丈朗氏(慶応大学教授)は強調している。
 みんなわかっているのに、誰も手をつけない。そうみえる。政治の危機の底は深い。

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2019年2月 8日 (金)

小説『魂の刻(とき)』からの連想

 もと新聞記者だった砂原和雄氏の新著『魂の刻(とき)』を読んだ。たまたま、10年前、氏が書いた『炎の森へ』を読んだとき、このブログで取り上げた。日本長期信用銀行破綻の3年ほど前に、陶芸家をめざして同行をやめた人が主人公のストーリーである。会社をやめたあとの高齢者の生き方を示唆していた。私の周囲にも、長銀の破綻で人生が大きく変わった人がいて、その一人は、劇団の経営責任者として今も活躍している。

 そして、10年前を振り返って驚くのは、この10年間に、転職についての会社員の意識が相当に変わったことである。エレクトロニクスなどの先端分野では、世界中の企業との生存競争が激しくなって、大企業であろうと、会社がつぶれることがないとは言えなくなったという認識である。会社第一主義から、自分の力量次第や生き甲斐重視へという変化である。労働時間規制などの改革も、そうしたトレンドに拍車をかけるだろう。
 『魂の刻(とき)』は著者が若い頃、一時住んでいた横浜を舞台にしている。横浜は関東各地のシルク(生糸・絹)の輸出拠点だったこともあり、横浜港に係留している氷川丸も、かつてシルクを欧米に運んでいた。私も半世紀前、横浜に住んでいたことがあり、公社住宅の一階は確かスカーフを織っていたと記憶する。街を歩けば、シルクセンター・シルク博物館があり、横浜はシルクとの関わりを今も残している。
 小説は、そうした歴史と地理を背景に、為替ディーラーの仕事をやめて親族からシルクの仕事を引き継ぐかどうか迷う主人公が、能面を制作する面打ち師の女性に面打ちを教わり、面打ちの魅力にとりつかれる。そして、妖艶な若い女を表す能面づくりに夢中になるが、地震で壊れてしまい、それを境に二人の関係も終わりをとげる。能の知識のない私の紹介では味も素っ気もないだろうが、能の世界の深さを感じさせる。
 それに、著者がやはり十年の歳月を経て、おだやかな恋愛小説を書いたところにしっとりとした滋味を感じたところである。
 10年前に書いたこのブログでは、「高齢者が健康で、意欲的な生活をおくるには、さまざまな条件をクリアせねばならない」と書いた。「その一つは、定年のない仕事に就いている人は別として、(中略)一生続く趣味、楽しみを若い頃から持つことだ。」と書いた。砂原氏はこの道をしっかり歩んできた。しかし、私自身はというと、そうだったとは言えない。

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2019年2月 2日 (土)

東京国立博物館の「顔真卿~王羲之を超えた名筆」を見た

 書道では、王羲之や顔真卿というと、神様みたいな存在だ。その顔真卿を中心に、王羲之、欧陽詢ら、中国の(世界の)名だたる筆者(書家)の作品を展示している東京国立博物館に行ってきた。

 文字(漢字)は事物や意思の表現・伝達の手段として発達してきた。文字の書き方には隷書、草書、行書、楷書などがあるが、それら全体を通して、顔真卿などの書家がどのように優れた書を書いたのか、素人の目で見て回った。
 展示の売り物は顔真卿の「祭てつ(女編に至)文稿」だが、混む日は行列で30分以上かかるからか、きょうは夕方、列がほぼ解消したにもかかわらず、係員が「立ち止まらないで」を繰り返し言っていた。これまでも、作品をじっと見る時間を与えず、「早く……」と追い立てられたことは何度かある。じっくり見ることができる工夫を求めたい。別の美術館だが、ムンクの絵の展覧会で作品の「叫び」を見たときは、列から離れてじっくり見ることができた。偶然だったのかもしれないが、そんなサービス精神が欲しい。
 ところで、この展示では当たり前かもしれないが、中国語の会話をする若い外国人がかなりいた。漢字自体、中国にルーツがあるから、当然かもしれないが。何事につけ、中国語やそのほかの外国語を話す人たちが日本の国内に増えていることを実感する。
 

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2019年1月25日 (金)

毛里和子氏の新著の「はじめに――中国外交九つの瑕疵」に学ぶ

 現代中国論などの研究者である毛里和子早稲田大学名誉教授が昨年12月に出版した『現代中国外交』(岩波書店)。たまたま手にとって序文を読んだだけだが、それだけで、とても教わるところが多かった。こんな経験は初めてだ。

 「はじめに」の中で、毛里氏は、2017年夏、中国人の研究者である鄧いつ(律の右部分)文がSNSに投稿したつぶやき(毛里氏によれば、「中国外交の瑕疵9項」)を紹介している。
 米国に対する対抗的思考や態度を改めるべし、日本、韓国とは友好政策をとるべし、北朝鮮には制裁を強めるべし、台湾に一つの中国原則を押し付けることなく国際空間を与えるべし、平和主義者、ダライ・ラマのいるうちにチベット問題の過激化を避けるべし、南シナ海を独り占めする考えを改めるべし、……。現代中国の現実と改めるべき問題点が列挙されているように思われる。
 毛里氏は、これら瑕疵9項を本書の通奏低音とでも言えようかと述べている。
 私は、「はじめに」を読んで、鄧氏がこのような見解を対外的に表明できるぐらいの自由が、まだ中国には存在しているのか、という感想を抱いた。

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2019年1月13日 (日)

日本のゾンビ化への警告

 「BLOGOS」(10日)に載った澤上篤人氏の主張「ゾンビ経済、ゾンビ社会」は、平成の30年間を「日本全体のゾンビ化」の時代だったと振り返っている。同氏は「自助自立の精神を捨て、他力本願と問題先延ばしでズルズルと悪い方向へ流れてしまうこと」をゾンビ化と表現している。

 そして、日本全体のゾンビ化は、「誰も抜本的な解決策を打ち出さないし、国民に訴えつつ行動に移す勇気も見識もない」ところに原因がある、と断言する。仰せの通りだと思う。
 政治における与党のおごり、野党の四分五裂、もっぱら賃上げ闘争中心の労働運動、行政組織の弛緩、企業活動における手抜き等々、原因として思い当たることばかりだ。
 そうしたゾンビ化にもかかわらず、何とか、格好がついているのは、赤字国債などの大量発行である。そして、反省もなく、いまも続いている。そして、いまや、国債発行残高の半分近くは日本銀行が保有している。その異常さを日本国民はほとんど感じていない。
 澤上氏は、我が国が「無為無責任のゾンビ化に身を任せ、総貧困化の道をひた走っているのだ」と指摘。「事実上の財政ファイナンスを続けているのだ。その先では、財政破たんと悪性インフレが大きな口を開いて待っている。そこまで行ってしまうのだろうか。日本全体のゾンビ化は」というところで、筆を止めている。
 2019年は、戦争勃発に至るおそれのある国家間対立や、先進諸国の国内政治の対立抗争、グローバル企業の活動への制約など、多面的に問題が噴出しそうな気配がうかがえる。澤上氏の主張は、貴重な警告である。

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