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2006年8月31日 (木)

各省庁の07年度予算要求

 例年のことながら、暑いさなかに、国の各省庁は来年度予算要求をつくって財務省に提出しなければならない。担当者の皆さん、ご苦労なことです。

 官僚は法律をつくること、予算をとること、天下りポストをつくること等で内部評価される。予算については、財政悪化、財政再建の中でも、自分の役所の予算を前年度に比べて減らさないようにするのに懸命。一方で、安倍官房長官がのたまう「再チャレンジ」などという言葉にひっかけて新たな予算要求を出すなど、すきあらば予算を増やそうとする。

 現在の予算作成は、基本的には、各省の各課から出てくる要求を省としてまとめて財務省に提出する。財務省は前年度予算をもとに、新規の要求を重点的に査定する。だから、一旦、予算が付くと、翌年度以降も継続して予算が付きやすい。政策効果をきちんと比較考量するわけではないから、時代に合わなくなった事業にもカネがつくという傾向がある。

 霞が関の官僚の某氏は「個人的には、こんなことに国がカネを出す必要はないと思うものがある。しかし、いままで付いてきた予算なので、自分のほうから要らないとは絶対に言わない。」と言っていた。官僚に予算要求の中身を任せると、そうなる。官僚の大多数は国全体の立場でものごとを判断するのではなく、自らの省庁、自らの局・課、自らの利益で動いているのである。

 国土交通省の予算要求はその典型。7月7日に政府が決めた「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」、いわゆる「骨太の方針」には、「道路特定財源について、行政改革推進法に基づき、一般財源化を図ることを前提に、早急に検討を進め、納税者の理解を得つつ、年内に具体案を取りまとめる。」と書かれている。いまのところ、一般財源化の内容について政治的な決定がなされてはいない。だが、小泉首相が一般財源化を明言し、それを受けて経済財政諮問会議などで議論をしたりしたうえでの「骨太の方針」である。そうした経緯を国土交通省が全く無視して、従来通りの予算要求をしたというのは、戦前の軍部のやりかたを連想させる。

 道路特定財源は06年度予算で5兆7750億円。ガソリン税(2兆9573億円)、軽油引取税(1兆620億円)、自動車重量税(5712億円)、自動車取得税(4742億円)、自動車重量譲与税(3707億円)、地方道路譲与税(3110億円)などから成る。しかも、法律で定めた税率の2倍(ガソリンの場合)とか、暫定的に多く課税した措置のはずが、何十年も続いている。一度握ったら、絶対に離さない。政府によるサギ的行為である。

 もっとも、国民は慣れてしまい、課税の重さそれ自体には怒ってはいないみたいだ。また、土木建設、鉄鋼、セメントなどの業界は、道路工事の仕事を減らしたくないから、暫定税率を本則の税率に引き下げるなんてとんでもないと思っている。道路ができれば、クルマがもっと売れるとソロバン勘定をする自動車業界もしかり。

 特定財源を握る国土交通省は、そうした業界の支持もあり、道路特定財源をいままで通りに道路建設に充てるのが当たり前という発想である。だが、経済社会の状況が様変わりしているのに、税収の使途が同じでいいのか。財政事情から考えても明らかにおかしい。これだけ国の財政が悪化しているのに、特別会計は所管する官庁が税収を好きに使える。言うなれば、「母屋(一般会計)で雑炊を食べているのに、離れ(特別会計)ではすき焼きを食べている」(塩川正十郎元財務大臣)のである。

 国土交通省の道路局で、技官としてずっと道路づくりの仕事に専念してきた人たちには、日本が滅びようとも、道路をつくり続けることのほうが大事なのだろう。しかし、国全体を考えることが使命のはずの事務官の幹部たちは、部分最適の発想に凝り固まる道路屋を説得すべきである。それすらせず、首相の交代で、道路特定財源を守れるのではないかと期待しているような予算要求の出し方は許せない。

 必要な道路はつくらなければならない。例えば、渋滞による経済的損失などを考えると、東京の環状道路の整備は欠かせない。しかし、ろくにクルマが走らないへんぴな地域に高速道路をつくるのは財政支出の必要度合からみて優先度は低い。いま、日本の社会が抱えている課題を解決するために、まず、道路特別会計を廃止し、税収を一般財源に充てるべきだ。そして、一般財源が増えた中で、どんな予算を編成するか(国債減額に充てることも含めて)を国民の目にみえる形で議論し、詰めていくことが求められる。国会の先生がたにそれを徹底的にやってもらいたいのだが‥‥。 

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2006年8月30日 (水)

「希望の国」めざす新経団連会長

 就任して間もない日本経団連会長、御手洗冨士夫氏(キヤノン会長)が28日、日本記者クラブで講演した。題して『「希望の国」を目指して』だ。「希望の国」とは、すべての人に挑戦の機会が与えられ、可能性に富んだ社会のことだそうだ。チャンスの多い国にしようというわけだ。

 「希望の国」と聞くと、村上龍の小説『希望の国のエクソダス』(2000年7月刊)を思い出す。バブルの崩壊後、経済が低迷し続けた頃、学校教育に疑問を抱く中学生の大量不登校が起き、その不登校中学生たちが脱出して北海道に希望の国をつくるというお話だ。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」とネットワーク、ASUNAROの代表、ポンちゃんが衆議院予算委員会でネットを通じて発言する。また、「今の政治家の生き方を真似ろ、今の政治家のように生きればいいんだと、なぜぼくらに向かって大きな声で言えないんですか」ともいう。

 もっとも、小説の終わりのところで、ポンちゃんたちがつくりあげた理想の社会について、主人公のフリーの取材記者に「この快適で人工的な町に希望はあるのだろうか、と考えた」と言わせている。著者は文庫版のあとがき(02年3月)で、「現在の日本社会の危機感と適応力のなさを示したかっただけ」と書いている。金融不安が高まり、展望のないまま、ただ漂流していた当時の日本の経済社会を巧みに描写した作品である。

 御手洗日本経団連会長の講演の題は、村上龍のこの作品のタイトルを意識しているのだろう。希望の国をつくるという観点から、①経済の活力を高める、②人々の活力を引き出す、③内外から信頼される公正な経済社会をつくる、の3つについてくわしく語った。グローバル化と少子化・高齢化に対応して、チャンスの多い国、つまり希望の国をつくるには、何よりも持続的な経済成長がなくてはならない。そのためにはさまざまなイノベーションに取り組まねばならない、というのが一番言いたいところだったようだ。

 だが、長い講演は経団連事務局が原稿を用意したのだろう、広く目配りされた内容ではあるが、あまり聞く人々に感銘を与えるものではなかった。御手洗氏の指摘を待つまでもなく、規制改革などで経済成長を促すなど日本がやるべきことは沢山ある。教育のあり方についても、必要な人材を育成できていないとし、家庭や学校で倫理感ある人の育成をすべきだなど、とも指摘している。

 確かに、経済成長は七難隠す。国内の諸課題を解決するうえで楽だ。しかし、日本は世界の国々と同様に環境・資源エネルギーの問題を抱え、しかも少子高齢化に直面している。それに、豊かな社会に育った若い世代が本当に日本経済の強さを今後も維持するだけの力があるのか、正直なところ不安だ。たまたま、今は景気がいいから日本社会に楽観的な雰囲気がただよっているが、新聞の社会面を読んでいると、日本の未来に明るい展望を抱く気分にはとてもなれない。

 御手洗氏は米国に長く駐在していたが、キヤノンの社長になっても、米国流の経営を全く取り入れなかった。米国社会と日本社会とを比べて、日本型経営のほうがすぐれていると考えたからだろう。その御手洗氏が日本の社会に起きている変化をも適確に把握・分析し、この国の経済社会の将来を考察したなら、もっと聴衆に感銘を与える内容の話になったのではないか。

 

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2006年8月27日 (日)

原油高騰が示す環境税案の欠陥

 地球温暖化対策の一つとして、かねて環境税を導入すべきだといわれてきた。環境省が05年10月に発表した「環境税の具体案」は、炭素トンあたり2400円の環境税を導入すれば、年間4300万トン程度の二酸化炭素削減効果があるとした。日本は京都議定書で基準年の1990年に比べ、2008~2012年の年間の温室効果ガス発生量を6%減らすことを約束したが、この環境税の案を実施すれば、基準年比3.5%程度の削減効果があるとした。

 この場合、家計は月に180円(年間約2100円)の負担になるという。中身をみると、エネルギー消費に課税するので、ガソリンだと1リットルあたり1.52円、軽油同1.72円など、電気は1キロワット時0.25円の環境税額が上乗せされる。

 しかし、ここ1、2年は別として、それ以前は、普段から、ガソリンの小売価格はスタンドごとに違うし、しょっちゅう1リットルあたり1円や2円ぐらいは上がったり下がったりしてきた。クルマの効用を考えると、環境税の導入でガソリンが1リットルにつき1.52円上がったからといって、消費者が節約することは考えられない。環境省案では価格効果は期待できないと言ってよい。

 これについて、環境省は、以前は「アナウンスメント効果」(環境税を導入したと国民に知らせると、国民はそれじゃエネルギーを節約しなければと思うようになるから、エネルギー消費が減る)が大きいと説明していた。しかし、最近は、環境税の税収(現在の案だと約3700億円)を省エネ、新エネなどの温暖化対策に充てるので、その対策による効果が大きいという説明に変わった。価格効果はないことを環境省は十分承知しているのである。税収を環境省が自由に使える財源として確保したいという気持のほうが強いのかもしれない。

 いずれにせよ、環境省は、産業界などが強く反対している環境税をとにかく実現したい。そのために、経済界の抵抗ができるだけ少ない低い税額を提案したと解釈するのが当たっていよう。ひとたび導入してしまえば、官僚の思うがまま。あとは税率を徐々に引き上げればよい、ということだろう。

 8月27日の朝日新聞のコラム「竹内敬二のどうする」は、6月のガソリン消費量が前年比2.9%減ったことを紹介している。6月の平均ガソリン価格は1リットル136円、04年度の月平均価格は同107~120円、05年度は122~131円。これぐらい値上がりすると、「価格が上がれば消費は減る」。つまり価格効果が現れるのである。

 環境税導入反対派が唱える「ガソリンは少々上がっても消費は減らない」という見解は正しい。現在の消費減少(CO2の発生減少につながる)は、原油高騰でガソリンが大きく値上がりしたからである。それは、環境税がなくても起きたのであり、ガソリンで1リットルにつき1.52円という環境省案が価格効果という観点からはいかにピンボケであるかがよくわかる。

 コラムは、石油ほど値上がりしていない石炭にエネルギー需要がシフトすることを心配して「環境税をまじめに考えるときではないだろうか」と書いている。もしも、環境省案(石炭1キログラムにつき1.58円の環境税)の導入を念頭に置いて書いているのなら、ガソリン同様、疑問に思う。石炭の場合、企業が主なユーザーであり、ガソリンとは若干、事情が異なるが、それでも、少々の値上がりで価格効果がはっきり出ることは期待できない。環境税を環境対策の切り札と思うなら、1ケタ上ぐらいの課税額(ガソリンなら1リットルにつき15.2円といったレベル)を提起すべきではないか。

 竹内氏のこのコラムをいつも愛読している。しかし、今回のコラムは環境税に対する固定観念にしばられすぎているように感じる。

 

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2006年8月26日 (土)

果てしない医療費増加

 国民医療費が増え続けている。厚生労働省が25日に発表した04年度の国民医療費は32.1兆円と過去最高だった。国民1人あたり25.15万円である。高齢者(65歳以上)だと1人あたり65.96万円で、高齢者の医療費総額は国民医療費総額の51.1%を占めた。

 国民医療費というのは、診療費、調剤費、入院時食事療養費、訪問看護療養費、健保等で支給される移送費を合計したもの。妊娠・分娩、健康診断や差額ベッド、歯科差額分などは含んでいない。介護保険費用も含まない。それでも、国民医療費の国民所得比は8.89%にまで上がった。高齢者が増えているのだから、国民医療費が増えるのは当然という見方もできよう。

 だが、国民医療費を増えるがままにまかせる(ということは厚生労働省によると、年間1兆円ずつ増加する)ということは、医療保険制度においては、料率引き上げか、患者の自己負担の割合をさらに引き上げるか、あるいは国が税金を投入するか、のいずれかが必要になる。どれをとっても、国民の負担が重くなることを意味する。したがって、政府は06年度から医療費の伸びをゆるやかにする改革を打ち出している。

 しかし、少子化や財政危機を踏まえると、国民医療費総額の絶対額を減らすことをめざすべきだ。減らすなんて、そんなことは非現実的だという批判を受けることを承知で問題を提起したい。企業経営では、こうした、一見、極端なやりかたが、経営革新を生み出すことがままある。「減らす」ということになると、いまやっていることをゼロ・ベースで見直すことが必要になるのである。

 国民はいまの医療にムダが一杯あるのを知っている。のまないで捨てる薬が多い、医師はろくに患者を診ないで検査ばかりする、ほかの病院に行くと、また同じ検査をする、開業医の多くが高収入で優雅な生活をしている、保険薬局が増えて患者の薬代が高くつき、その割りに医薬分業の意義が定かでない等々。レセプトのオンライン化が原則すべての医療機関に行き渡るのは2011年度と、随分のろい。不正請求を摘発し、標準的な医療費を算出して過大な請求を認めないようにするためにも、レセプトのオンライン化を急ぐべきだ。審議会などのメンバーにそうした国民の声を代弁する人を入れる必要がある。

 医療や年金などについては、厚生族といわれる族議員がいて、厚生労働省と組んでいる。04年3月まで日本医師会会長だった坪井栄孝氏は日本医師会の会員の多くは「報酬が上がればよい」だけだったと回顧している(8月25日付け日本経済新聞夕刊)。開業医の利益中心に運営される医師会は、”医は算術”で動いている。そうした仕組みにメスを入れれば、医療の質の向上と医療費の削減とは両立するのではないか。

 

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2006年8月25日 (金)

貸金業の上限金利引き下げ問題

 出資法の上限金利は29.2%、利息制限法の上限金利は15-20%。2つの法の違いをなくして低いほうに一本化すべきだという意見が強い。これを受けて、金融庁は有識者懇談会で検討してきた。どうやら、基本は出資法の上限金利を利息制限法の上限金利まで引き下げるが、限定した形で金利の上乗せを認めることで決着しそうな様子だ。

 出資法の上限金利を利息制限法の水準まで下げると、いままで利息制限法を超えた金利で借りていた人たちが借りられなくなり、ヤミ金融に頼るようになるという指摘もある。このため、多重債務を抱えていない人に対する小口の融資に限って上限金利の上乗せを認めようということらしい。

 消費者金融(サラ金)の利用者は、信用情報機関の登録人数が約2千2百万人というように、非常に多い。クレジット(キャッシング)も同様。繁華街や駅周辺ではサラ金の看板・広告がいやというほど目に入る。テレビ・コマーシャルも盛んだ。暴利をむさぼるヤミ金融も急増している。それもこれも、おいしい商売だからだ。

 大手サラ金の資金調達コストは年利2%前後といわれる。それと比較して、いかにサラ金から借りる人たちの支払う金利の高いことか。これは、貸し手の利益率が大きいこともあるが、借りても返済できない人が多いので回収にコストがかかること、それでも、貸し倒れになる割合が高いこと、が背景にある。

 多重債務者は少なくとも150万人から200万人はいるだろうといわれる。いい加減な生活態度から多重債務者になり、自己破産に逃げ込むという人もいるが、大半は非正規雇用で、生活にあえぐ人たちだとされる。カネがないから高利のカネを借り、そのために高い金利をつけての返済に追い込まれ、またサラ金に走るという悪循環。苛酷な取り立てから逃れようと家出や自殺する悲惨な実態がそこにある。

 それを是正するために、上限金利を利息制限法にまで下げようとしているわけだ。しかし、それは評価するとして、それだけでサラ金地獄は解消しない。まず第一に、議論の焦点である上限金利を、いわゆる個人向け市中金利(どれをものさしにするかは大いに議論があるだろう)を基準に、その2倍とか1.5倍というような上限に抑えるべきではないか。歴史的な超低金利の時代から正常な金利の時代に戻ることを考えると、15ー20%という固定の上限はよくない。また、サラ金の大手は3社以上から借りている人には貸さないようにしているというが、そうした制限を業界の自主ルールとするか、法定するのが望ましい。

 普通の金融機関は個人から低い金利で預金を集めるだけ集めるが、個人への貸付金利はベラボーに高い。銀行や地域金融機関は個人向け融資をさぼってきたから、ノウハウも乏しい。そこがサラ金の付け目だった。だが、金融機関は許認可業務であり、信用秩序維持のために公的資金を使ってまで国から面倒を見てもらう。それだけ社会的責任が重い。銀行はじめ金融機関は住宅ローンには熱心だが、それ以外に個人向け融資で、いまよりもっと低い金利で貸せるよう経営努力をすべきだろう。

 地方自治体は住民向け融資には全く無関心だった。しかし、これだけサラ金などの被害が生じているのに、何も手を打たないのはどうかしている。窮地に陥った住民が立ち直ることができれば、「税金を納めるようになるし、社会保険料を納めることができるようになる。地方自治体がそのことに気付いた」(宇都宮健児弁護士)という。そうした自治体の活動が全国的にどんどん広がるのを期待する。

 まだ、ほかにもやるべきことがある。金融庁の有識者懇談会で上限金利の引き下げを議論するだけでなく、他の省庁や地方自治体などが集まる有識者会合で、総合的なサラ金対策をまとめあげてもらいたいものだ。

 それにしても、映画「夜逃げ屋本舗」の第一作を見てから何年経ったのだろうか。対応ののろさにあきれる。

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2006年8月23日 (水)

自民党総裁選の政権公約

 小泉首相の後任を選ぶ自民党総裁選挙は9月8日に公示、9月20日に投票が行なわれる。立候補を表明している5人が22日(日)、横浜市で開催された自民党南関東・北関東ブロック合同大会に勢ぞろいした。自民党の党員による党内選挙なので、党員でない私には、投票権はないし、口を挟む資格もない。でも、自民党総裁=日本国の総理大臣なので、国民の一人として論評したい。

 小泉首相もそうだが、これら立候補者5人の全員がいわゆる2世・3世議員というのはちょっとひどい。たまたま、そうなったにしてもだ。親が築き、保持してきた地盤、看板、カバンを引き継げば、若くても当選しやすい。無論、選挙マシンの人たちも安心して推せるし、マシンで活動する人たちの既得権益も安泰だろう。しかし、それは自民党の古い体質を如実に示しているだけのこと。5人の顔ぶれを見て、自民党員は恥ずかしくないのだろうか。

 政治家は国の将来に対する構想力で勝負すべきだと思う。党内選挙ではあるが、誰が党の総裁=首相になるのかは、来年以降の参院、衆院の選挙にも響く。単に、安倍晋三氏が事前の票読みで圧倒的有利だから、というだけで、党内有力者の多くが尻込みし、立候補しないのは、有力者といえども、党内の勢力争いしか考えていない証拠だ。

 小泉首相は、官僚と組んで既得権益を擁護する「族議員」の力を殺ぐことに努めた。また、郵政民営化にからんで衆議院を解散し、世襲でない議員を大量に生み出した。いずれも小泉首相の功績だ。それだから、志のある議員が集まって、推薦者数の制約を突破して候補者を立ててもらいたい。当選回数などに関係なく、親の七光りに頼らない議員が、すぐれた政権構想を掲げて、「よし、オレが」と、名乗りをあげるなら、自民党を活性化するに違いない。

 候補者のうち、早くからメディアが取り上げてきた候補者3人の政策を見ると、物足りない。いま、最も重要な課題は、環境・生態系保全だろう。人類の生存基盤が危うくなっている。京都議定書の約束を守れるか否かも大事だが、2050年、2100年を見据えて、世界は、日本は、何をしなければならないか、それを安倍氏も、麻生氏も、谷垣氏も語らない。ただし、鳩山氏だけはこの問題をきちんととらえている。

 安全保障体制を日米同盟強化でいくのか、貧しい人と富める人との格差をどうとらえ、どういう是正策をとるかなどの重要な論点についても、安倍氏の憲法改正以外、皆ちょっと言及するだけだ。アジア諸国との共存・発展をどう構想するかもほとんど触れていない。また、さまざまな事件が示すように、日本の社会が殺伐とした人間関係になっているが、そうした荒廃状態をどう改めるかの主張もない。それに、社会保障制度のありかたにせよ、減税・増税にせよ、財政破綻の一歩手前にあるという認識はうかがえない。財政再建については、谷垣氏が消費税を社会保障の財源にすると主張しているぐらい。諸悪の根底にある官僚支配をどう崩すかに関する言及もない。

 残念ながら、有力候補者3氏からは、ポスト小泉の政治について明るい展望が見えてこない。野党に頑張ってもらうことでしか、日本の明日は切り拓けないのかもしれない。民主党はじめ野党各党が与党の足を引っ張る程度から、政権を長期に担えるだけの質的な充実を図ることを切に願う。

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2006年8月21日 (月)

拉致と日本外交

 小泉首相が電撃的に北朝鮮を訪れ、拉致被害者の一部の帰国が実現するあたりまで、日本の外務省も、与・野党の政治家も、拉致被害者を帰すよう、まともに北朝鮮と交渉したことはなかったようだ。

 重村智計著『外交敗北―日朝首脳会談と日米同盟の真実』(06年6月刊)を読むと、日本の政治家も官僚も、国民の生命や安全といった基本的人権を守るよりも、自分たちの利権、権益を優先し、北朝鮮および朝鮮総連にすりより、あるいは振り回されてきたことが具体的に示されている。

 日本では長年、与党と野党の間で、国民の目にふれない形で、現金や利権がやりとりされる「国会対策」が行なわれてきた。その延長線上で、国会対策しか知らない政治家によって北朝鮮外交なるものが繰り広げられてきたという。

 その結果、国民の財産がいい加減な形で北朝鮮に提供された。同書によると、「百万トンを超えるコメ支援は取られっぱなしである。このコメは、総額二千億円を超える国民の財産である。国内では、朝鮮総連系の信用組合「朝銀」に一兆円を超える公的資金を出しながら、真の責任者を逮捕しなかった。」

 日本の政治家や官僚は、税金の使い方について、国民に対する説明責任を果たしていない。でたらめな税金の使い方をした場合には、刑罰を受けるといった形で責任をとることがない。予算を立てるときだけ国会審議に時間をかけるが、どう使ったか、その効果はどうだったか、あとでまともに検証することをしない。それが政治家や官僚を堕落させているのである。

 たまたま同書を読んでいる頃に、映画「Dear Pyongyang(ディア・ピョンヤン)」を見た。いわゆる在日で、朝鮮総連の幹部だった父親を中心に家族の情景を、娘であるヤン・ヨンヒ監督が10年間にわたって撮り続けたドキュメンタリーだ。南朝鮮出身でありながら、息子3人を北朝鮮に送った父親は引退後も金日成と金正日に忠誠を誓い続ける。ピョンヤンを訪れ、兄達に会ったりした娘は、ずっと日本で育ったため、父親の考え方に違和感を抱いている。しかし、家族のつながりはあたたかい。

 ベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞するなど、世界各地で受賞している作品である。頑固な父親のキャラクターは観客を笑わせる。上映の前に、ヤン・ヨンヒ監督は「笑ってください」と挨拶していたが、楽しく、またホロリともする作品である。

 しかし、ピョンヤンにいる息子の子供(つまり孫)の一人(八歳の男の子)が家でピアノを弾いているのにはとっても驚いた。また、息子たちの家族に対し、実にいろいろの援助物資を送っている。それ以外の人達にも援助をしているという。そのおカネは一体どこから出てくるのだろうかという野暮な疑問も生じてきたが、これは『外交敗北』を読んでいたせいだろう。

  

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茨城県桜川市の住民投票結果

 きのう(8月20日)行なわれた住民投票で、桜川市議会の解散が決まった。同市は岩瀬町、真壁町、大和村が昨年(05年)10月1日に合併して発足したばかり。旧3町村の議員計45人が、合併後も2年間在任できるという合併特例法に基づいて、そのまま新市議会の議員になっていた。

 これに対し、ことし6月末、市民から「人口規模や財政力に見合った議員定数にすべきだ」との解散請求が出されたため、住民投票を行なった。開票結果は、解散に賛成が1万8280票、反対が1055票と、住民の意向は圧倒的に解散を求めるものだった。これで、市議会議員選挙が行なわれることになり、定数26人が選ばれる。

 議員45人のままだと、26人に比べ、合併後の2年間で議員報酬が約1億8千万円多くかかるし、合併の趣旨である行財政の効率化に逆行する、というのが解散要求の理由だった(すでに合併後1年近く経った)。これに対し、市議会は解散に反対する「弁明書」を7月18日に発表した。趣旨は①3町村議員の任期はまちまちで、合併後2年間の在任が合併特例法で認められており、解散は議員の身分を不安定にする、②解散は議会運営の円滑さを欠くことになり、大きな政治空白を招く、③解散は新市の飛躍発展に多大な影響をもたらすーーというものだった。

 選挙の結果は、市議会議員の主張を住民のほとんどが否定したということだ。そもそも財政力が弱くて合併したのだから、年間100億円ちょっとの予算規模に過ぎない桜川市に45人もの市議会議員は多すぎる、という判断を下したのは、まともな感覚だ。

 自治体によって多少、事情は異なるだろうが、市町村議会議員の報酬は”食っていける”だけの金額になっているらしい。桜川市の場合も、19人で年間約9千万円というから、議員1人あたりの報酬は年に500万円弱と推定できる。

 千葉県のある村は市町村合併に応じなかったが、最大の理由は、合併すると村会議員を”失職”するおそれがあるから、というものだった。桜川市の市議会議員の「弁明書」にも、”失職”したくないという議員さんたちの気持がうかがえる。

 もちろん、議員の地位を守りたい理由には、ほかに、自分の本業(土建会社経営など)に自治体から仕事の注文がいくようにするといったたぐいのことがあるのは事実である。いずれにしても、住民が自らの住む地域の役所や議会のやっていることにもっと関心を寄せないと、自治体は住民第一の考え方にはならない。

 

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2006年8月20日 (日)

財政改革推進国民会議(仮称)を

 昨年、経済同友会の会報「経済同友」8月号を読んでいて、「これだ!」とヒザを叩いた。『「イノベーション立国・日本」をめざして』と題する特集のうちの「論点③ 財政・税制改革」の部分である。問題提起者の井口武雄氏(副代表幹事/財政・税制改革委員長)は、財政再建を果たすためには、政治面で、「第1段階として、志ある政治家・経済界・学者などで国民会議(仮称)を設置し、国民的運動を盛り上げていくことが必要であろう。」と述べている。

 今日、必要なのは、政治が財政破綻を回避し、財政を健全化するための取り組みをたゆみなく続けているかを国民が常に監視していくことである。政治家に対して、マニフェストに財政再建の目標と具体的なステップ(行程表)を書き込むよう要求し、その公約に違反したら、是正を求める運動を起こす。そういう民の活動がないと、政治家や官僚は既得権益を擁護するため、安易に歳出を膨らます、ないしは増税しようとする。そこで、民の活動拠点として国民会議のようなものをつくるべきだと私は考えるようになった。だから、「経済同友」の井口氏の問題提起には諸手をあげて賛成した。

 しかし、これまでのところ、財政改革に関して国民会議をつくろうという動きはまったくみられない。経済同友会しかり。21世紀臨調も、真っ向から財政改革に取り組む意向はない。

 経済学者は個人の活動としては財政の危機を説く人が少なくないが、あくまでも専門家としての立場にとどまる。しかし、財政は国の経済社会活動全体に関わるから、狭い分野の専門家が集まってコラボレーション(協働)してこそ、適切な改革の道筋が描けるのではないか。学者にはそうした活動を行なう社会的責任があるように思う。

 霞が関(官庁およびその研究所)は巨大なシンクタンクといわれる。残念ながら、既得権益を守ろうとする政治家・官僚のために使われてきたきらいがある。それに対抗して、民の知恵、人材を結集していかないと、ろくに歳出削減せず、大幅な増税をする形での財政再建や、超インフレで経済社会を破滅的な混乱に陥れることになりかねない。

 財政再建のやりかたをめぐって議論を始めれば、おそらく果てしがないだろう。国民連合は国・地方の抱える巨額の債務をいつまでに、どのレベルまで減らすべきか、税および社会保険料の負担をどのレベルに抑えるか、などの大枠を方向付けする一方、財政に関わる政策の個々について、政官の既得権死守を打破するよう声をあげることが主な役割だろう。国益・公益よりも私益を優先しがちな政治家や官僚たちに「待った」をかける民の拠点を早急につくりたいものである。賛成の人は、この指とまれ!    

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2006年8月19日 (土)

加藤寛さんの「経済教室」

 小泉内閣の終焉を前に、小泉構造改革の評価がメディアで行われている。その中で、加藤寛千葉商科大学学長が日本経済新聞朝刊8月17日付け「経済教室」欄に書いた記事「小泉改革 背後に『公共選択』」は、小泉改革と、その基盤となった橋本行革の意義を適確に述べている。ぜひ一読を。

 選挙で国民の代表を選ぶ民主主義国家では、歳出の抑制が効きにくいから、どうしても財政赤字が膨らみやすい。日本では、政治家が既得権益を守ろうとする勢力の意向を受けて、実質的に政策決定の権限を持つ官僚と結び付いて、歳出がルーズになり、財政赤字が拡大した。こうした既得権擁護に走る政策決定の過程を是正し、政府の活動領域・租税制度が市民の意思を反映するものになる立憲的改革を行なう必要がある。小泉改革はその方向に沿ったものであり、そうした改革が可能だったのは先頃亡くなった橋本龍太郎首相時代の行政改革だった。ポスト小泉も、いまの改革の方向を強化すべきである。(加藤氏の論文を私流に要約)

 この「経済教室」には、公共選択論の立場から、どうやって赤字依存体質を脱却するか、が明示されている。紹介されてえいるJ・ブキャナンの見解を含めて賛成だ。

 ところで、加藤氏といえば、雑誌「Voice」の05年10月号「サラリーマン増税は必要ない」で、700兆円の国債について「発行された国債が何に使われているかというと、道路建設や護岸整備など、すべて国民の資産づくりである。国債が資産に変わっているだけの話で、一般にいう赤字とは違う」とか、「本来700兆円の国債は、赤字と見なす必要はない。雪山に例えるなら”根雪”のようなもので、止めなければならないのは、その上に降る”新雪”だ。」と書いていたことを思い出す。

 加藤氏は同誌で、よく聞かれる「歳出カットしても、財政赤字は埋められない」という主張は財務省の宣伝と考えるべきだ、と言い、増税よりもまず歳出カットをせよと述べている。それは正しい。しかし、700兆円から増えなければいい、という意見には疑問を抱く。経済財政諮問会議が「骨太の方針」を論議する過程で、長期金利と名目成長率とどちらが高いかをめぐって激論が交わされた。そして、長期金利のほうが名目成長率より高いとの見解が大勢を占めた。すなわち、700兆円もの国債を抱える異常な国家財政では、金利負担が増大して、財政破綻が起きる可能性があるのだ。

 政治家や官僚の抵抗で、2011年度にプライマリー・バランス(基礎的財政収支)の均衡を達成することさえ容易なことではない。それなのに、加藤氏が「いまある赤字は大した額ではない。」と言い切るのは、公共選択学者としておかしくはないかと思う。

 第一、加藤氏のように長い間、政府税制調査会会長を務めてきた要人が「いまある赤字は大した額ではない」と国民に言ったら、国民は財政危機をまじめに受け止めないだろう。結果として、政治家や官僚はいままでの既得権益擁護の政策決定を継続しやすくなる。そこを加藤氏は見落としているのではないか。

 

 

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2006年8月15日 (火)

8月15日

 第二次大戦の記憶は一人ひとり違う。私は幼児だったが、断片的にいくつか覚えている。名古屋市内に住んでいたとき、隣のマーケットの屋根が、落ちてきた焼夷弾(不発)で穴が開いたのを見た。また、近所に落ちた米軍の飛行機の残骸とともに兵士の死体(一人)があるのを見た。名古屋市内は危険なので、母と子供4人で市外の今川というところに疎開した。そのときのことだが、米軍機が上空を飛んできて、こわくて必死になって物蔭をめざして走った。機銃掃射のことまでは記憶にないが、おそらく親に注意されていたのだろう。

 疎開先の家はもともと農家のわら小屋だったのか、とても狭かった。せいぜい3畳ぐらいの広さしかなかった。母は持ってきた着物をコメなど食べ物に交換していた。戦争が終わってから、しばらくして、馬が荷台を引くのに乗って、名古屋まで1日かけて帰った。

 翌年の4月、小学校に入った。といっても、校舎は戦争で焼かれ、なかった。校舎が再建されるまでは、学区内の寺のお堂などを借りての授業だった。教科書の一部は墨で塗って消してあった。小学校入学前の身体検査では、米軍が持ち込んだDDTを身体中に振りまかれた。その頃の私たちは皆、薄汚かったのだろう。DDTの匂いはいまも思い出すことができる。

 子供の頃の貧しさは相当なものだった。しかし、周りを見ても、それほど豊かな奴もいなかった。だから、そんなものだと思っていた。いま、そんな回想ができるなんて、幸せだ。

 中国を初めて訪れたのは1990年の夏。中国東北部を旅行、帰りに北京に寄った。その旅で、大連から北に行けば行くほど、人々の生活水準が低くなっていくのがわかった。そして、自分が経てきた暮らしを、フィルムを逆回しして見ているようにさえ感じた。

 いま、年々、中国の人々の暮らしがよくなっていくのはうれしいことだ。ただ、沿海都市部などが先進国並みに豊かになっているのに、内陸部の農民が、私の戦後まもない頃とあまり変わらない生活水準だとすると、その格差のあまりの大きさに唖然とする。中国政府がやるべきことは沢山ある。が、日本も、お手伝いすべきことがまだまだある。

 

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2006年8月13日 (日)

チャレンジする人、しない人

 NHKテレビの「経済羅針盤」で、インターネット検索サービスなどを展開する企業、はてなを取り上げていた。大企業では、官僚機構のように整然とした組織運営がいまも当たり前だが、それに比べると、学生の部活のような、自由な雰囲気で仕事をしている同社の様子はとても新鮮だ。

 部活と違って、企業は収益を確保しなければ存続できない。しかし、インターネットが持つ新たなコミュニケーションの可能性を追求する近藤淳也社長の発想はとても柔軟だ。自分たちの知識、知恵は大したものではないと自覚し、すぐれた外の人たちの知識、知恵をどんどん活用していこうという同社長の考えこそが、はてなの成長の理由だろう。万国に通用するこうしたビジネスのやりかたにならう企業が続出してほしい。

 目を転じると、全く違う世界がある。日本の官僚機構とそこに所属する人たちだ。既存の制度を絶対視し、小泉首相らが求めた規制撤廃などの改革に激しく抵抗している。いまだに、官僚の多くは、自分たちが一番アタマがいいと思い込んでいるようで、国民に対しては「黙ってオレたちについてくればよい」とさえ考えているらしい。しかし、いまの官僚たちに日本の未来を賭けることはできない。賭けるなら、間違いなく近藤社長たちのほうである。

 個人として考えても、狭い旧秩序の世界で生きざるをえない官僚になるよりも、自由にコミュニケートし、コラボレートできるネットの世界でチャレンジする人生のほうが、よっぽど面白い。だが、現実には、この日本では、クビにならない、給与が高い、安定している、といった理由でできれば官僚になりたい若人が依然多いという。ろくに仕事をしない人たちをクビにもせず、民間より高い給与・年金を払い続ける、という仕組みをひっくり返せば、近藤社長のようなチャレンジャーが増えるだろう。

 チャレンジはリスクが高いが、大きなリターンが期待できる(ハイリスク・ハイリターン)。リスクが小さいと、リターンは小さい(ローリスク・ローリターン)。それが常識だが、日本の官僚はローリスク・ハイリターン、つまり労せずしてもうかる。これでは社会が活気を失う。そこを変えていきたい。

 

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2006年8月11日 (金)

財政破綻とは

 国債などで国が借金を重ねていくと、いつかはおかしくなるのではないか。普通の人なら、誰だって、そう思うはず。いわゆる財政破綻とは、そうした事態を指す。土居丈朗慶応義塾大学助教授によれば「いわゆる借金棒引きのことです」(『中央公論』8月号)。国は借金を返さず、借金それ自体がなかったことにするわけだ。権力だからできることである。

 ほかにもやりかたがある。土居先生によれば、100%の国債保有税をかけるとか、インフレにすること、即ち、国債が紙くず同然になるまで、物価を上げることなどだ。日本では、第二次大戦直後、日銀券の大増発で猛烈なインフレが進み、国は借金を踏み倒したという前科がある。激しいインフレは経済をマヒさせ、経済社会を破壊する。そこから立ち直るのは容易ではない。国民は多大の犠牲を払わされる。そういえば、私の義父は、「戦時中に、子供の教育のためにと貯蓄していたおカネが、戦後のインフレでほとんど無価値になった」と嘆いていたことがある。

 小泉内閣は「この調子で借金が増えていけば破綻まっしぐらという状況をぶっ壊したんです。(笑)」(同上)。これは小泉首相の大きな功績である。しかし、小泉内閣はまもなく終わる。とりあえずは破綻を回避するための道筋(プライマリー・バランスの回復をめざす道筋)は示したものの、それが実現されるかというと危うい。

 ろくに改革もしないのに、与党政治家や中央政府の官僚、地方自治体の首長などから”改革疲れ”などという言葉が出てきた。ポスト小泉で、財政改革に緩みが生じる危険が感じられる。来年の参院選挙を口実に、公共事業を増やせという与党有力者の発言は、再び財政破綻路線に戻ろうとしていて、危険そのものだ。

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2006年8月 9日 (水)

たかがハンカチ、されどハンカチ

 東京・日比谷にあるビルのトイレに行った。手を洗ったあと、濡れた手を乾かすための乾燥機があり、トイレを利用した人が「ガー」と大きな音を立てて両手を乾かしていた。別の大きなオフィスビルを通り抜けた際も、トイレから、やはり「ガー」という音が聞こえた。

 ほかでもよくあることだ。昨年、ある大手商社のオフィスに行ったときも、ガーという音がうるさかったことを思い出す。環境問題で同社が資金を提供しているテーマについての報告会に参加したときだ。

 温風で濡れた手を乾かすには、結構、エネルギーを消費する。その結果、地球温暖化に”貢献”する。濡れた手を自分のハンケチで拭けばすむのに、わざわざ温風で乾燥させるための装置を使用するのは資源エネルギーの浪費そのもののように思える(ついでに言えば、手拭きのための紙が置いてあると、大抵の人が使用しているのも同様)。

 一流企業等は環境報告書(最近はCSR報告書など名称はいろいろ)を毎年出して、環境保全対策にどんなに一生懸命取り組んでいるかを、社会に向けて発信している。しかし、「頭隠して尻隠さず」、オフィスのトイレで見かける手乾燥機は、そこで働く人たちが環境問題をまだ建前でしかとらえていないことを示しているように思える。

 生活の場であろうと、職場であろうと、「もったいない」という感覚があれば、おそらく即座に気付くであろうことが、豊かな社会に育った人たちには理屈で説明しないと伝わらないのだろう。また、浪費と気付いた人もいたろうに、そのことをオフィスの関係部署に指摘して、乾燥機を撤去させるところまで徹底する人はなかなかいないということだろう。

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2006年8月 8日 (火)

無党派・民間出身の知事の条件

 長野県知事選で田中康夫現知事が敗北した。7日(月)の新聞は田中氏敗北の原因をいろいろ指摘している。しかし、敗れたとはいえ、53万票を獲得している(勝った村井仁氏は61万票)。それだけの人が田中氏に投票したのだから、なぜ投票したか、をくわしく取材して報じてほしかった。

 田中氏はその個性的なキャラクターで県政に新風を吹き込もうとした。しかし、彼の活動はそれまでの知事のやりかたとは全く異なっていたし、知事の枠にはまらない行動もあって、彼の信念や公約の実現は県議会をはじめ、いたるところで抵抗に会った。知事一人がどんなに力んでも、県会議員、県職員などを説得したり、味方につけたりしない限りは、いたずらに混乱を招くだけだった。それが敗北の原因だろう。

 県政を動かすのは、絶対に一人ではできない。田中氏が人を動かすマネジメントの感覚を備えていたら、長野県は最もユニーク、かつ住みよいところになっていたかもしれない。

 「もったいない」を訴え、7月の滋賀県知事選で初当選した嘉田由紀子知事も、県議会は前知事支持の議員が多数を占めていて、田中氏のケースと似た状況にある。そして、選挙のマニフェストに掲げていた県職員の削減などの数値目標を早くも修正した(日本経済新聞)という。

 無党派知事でも中央官庁出身者は議会対策など手慣れている。民間出身で知事になる人たちは、信念、理念だけでなく、組織や人を説得し、動かす能力を身に付けていてほしい。それは、改革のウエーブを巻き起こしていく基礎的条件だろう。

 

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2006年8月 5日 (土)

いい加減な仕事ぶりが目に付く

 皇居三の丸尚蔵館(東京・大手町)で開催中の「若冲」動植綵絵を見に行ってきた。現在、東京国立博物館(東京・上野)で展示されているプライス・コレクション「若冲と江戸絵画展」を先頃、見たあと、伊藤若冲の傑作とされる動植綵絵(30幅)をも見たくなったからだ。といっても、5期に分けて展示しているので、今回は群鶏図、池辺群虫図など6幅だけの公開だった。いずれもすばらしい。

 鑑賞したあと、東京駅前の大きなビルの中の和食レストランに入り、さばの干物を焼いたランチを食べた。外食の際、しばしば経験することだが、魚は焼き過ぎて、身が硬くなっていた。真っ黒に焼け焦げている部分もあった。30年近く前に始めた駅前食堂が発祥だそうだが、お客の身になってサービスするという原点を見失っているのではないか。

 いま、働く人の中に、頭を使わず、型通りにしか仕事しない人が増えている。自分の仕事は、誰のため、何のために行なうのか、どんな責任を負っているのか、などを自ら考えるということをしない。だから、チェック・確認もしない。例えば、名前の転記ミスがそうだ。私の場合、銀行の通帳、病院のカルテ、大学の身分証等々で、名前を誤記された。難しい字じゃないのに。これら社会のゆるみ、たるみは豊かな日本の深刻な病だ。

 埼玉県ふじみ野市の市営プールで小学2年女子が死亡した事件。これも、市、管理会社、下請けがそろいもそろって責任を自覚せず、いい加減な仕事ぶりだったからだ。

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2006年8月 3日 (木)

『ヒルズ黙示録』を読んで

 「検証・ライブドア」の副題が付いた『ヒルズ黙示録』(大鹿靖明著)を読んだ。ホリエモンこと堀江貴文氏が率いるライブドアが国中をわかせた近鉄バファローズ買収構想を打ち出したのは2004年。そして、ニッポン放送買収に乗り出し、フジテレビを巻き込んで日本中の話題をさらったのは昨年(2005年)のことである。ホリエモンが衆議院選挙に立候補したのも昨年の夏だ。そして、ことし1月、堀江氏や宮内亮治氏ら同社の中心人物は検察に逮捕された。

 阪神電鉄株の大量取得(2005年)で、これまた日本中の関心を集めた村上ファンド(M&Aコンサルティング)の村上世彰氏も、ニッポン放送の株式を大量に取得していたし、ライブドアと微妙に関わっていた。そして、ことし6月にインサイダー取引の疑いで逮捕された。一方、楽天の三木谷浩史社長はTBS株式を買収し、インターネットと放送の融合をめざしたが、頓挫している。

 六本木ヒルズに拠点を置くこれらの若い事業家の生態を活写する本書は、日本の経済社会が大きく転換しつつあることを読者に実感させる。しかし、堀江氏や村上氏の逮捕が随分前のように感じるほど、メディアは絶えず別の話題に移る。その結果、堀江氏らの事件の意味を多角的に分析して、きちんと教訓を得るということが足りない。著者は別のところで、「メディア全体が”みのもんた化”している」と批判していたが、その通りだと思う。

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2006年8月 2日 (水)

「格差」を異なる視点から見る

 最近、また格差論議がさかんになっている。所得格差、世代間格差、世代内格差、地域格差など、いろいろ言われる。それが小泉改革の”罪”との意見も少なくない。

 そうした格差の生じた原因に関連して、2つの点を指摘したい。第1に、公務員の給与等が民間平均をはるかに上回るという官民格差の存在である。バブル崩壊後の10年以上にわたる経済低迷で、民間企業の人件費削減はすさまじかった。人減らしと給与等のカットが行なわれ、社員の労働密度は猛烈に高まった。

 他方、国と地方の公務員および政府系諸機関等に働く合計約900万人はクビの心配もないうえ、賃金は高い水準を維持してきた。総務省の労働力調査によれば、全国の正規職員・従業員は全国で3340万人だが、その3割近くが公務員およびその関連だ。この「官」の高止まりが格差拡大を引き起こしている点の分析がなぜか無い。

 第2に、世代間格差や世代内格差は、企業が総人件費を削減して生き残るため、労使が社員のクビ切りや賃金切り下げを最小限にとどめ、新規採用を極端に抑えたためだ。しかし、団塊の世代が引退すると、企業の総人件費が相当下がる。1人の退職者の給与で若者を2ないし3人、社員として雇える勘定だ。だから、これからは若者を正社員で雇ってもおつりがくる。日本型企業の競争力の根源を考えると、正社員を増やす方向に行くのではないか。一番、厄介で深刻なのは地域格差の問題だろう。

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2006年8月 1日 (火)

映画「日本沈没」を見て

 小松左京さんの小説『日本沈没』の映画を見た。特撮の技術がすぐれているので、始まって早々から画面に引き込まれた。

 人によって感想は異なるだろうが、私は改めて自然のすごさを強く感じた。そして、小説『震災列島』(石黒耀著、04年)を読んだとき、身体が震えるほど興奮したことを思い出した。

 火山国、日本は過去、ずっと自然の脅威にさらされてきた。人の寿命よりはるかに長いサイクルでしか巨大地震や大噴火が襲ってこないが、間違いなく 「災害は忘れたころにやってくる」。日本沈没に至らずとも、東海地震や富士山大噴火などが起きたら、日本の社会は致命的な打撃を被るだろう。

 いまなお、東京都や周辺の神奈川県などでは高層ビルの建築ブームが続いている。だが、密集し、立体化した都市がすさまじい自然のゆらぎに耐え得るものか、人間の知恵はそこまで到達したのか、考え出すと不安になる。

 

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