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2006年9月30日 (土)

映画「不都合な真実」を見て

 地球温暖化を放置すれば、人類は近い将来、危機に瀕する。世界中が温暖化対策に取り組まねばならない。だが、温室効果ガスの最大排出国である米国は京都議定書から離脱するなど、地球温暖化の危機を依然、直視しない。

 映画「不都合な真実」は、米国のクリントン政権下の副大統領だったアル・ゴアが2000年の大統領選でブッシュ現大統領に僅差で敗れたあと、温暖化問題を国内外に訴えるスライド講演のため1000回以上にわたって行脚してきた活動の記録である。彼は、巨大ハリケーンなどの異常気象、氷河の後退、北極圏の氷溶解などの映像を見せ、それらが人間の活動に基づく気温の上昇によるものであることをデータに基づいて説明。この人類の危機を打開することは可能であり、そのためには、温暖化対策に取り組もうという政治的意思が必要だという。そして、最大の温室効果ガス排出国である米国の政策転換を求める。

 温暖化の因果関係が科学的に証明されているか、環境対策は経済に悪い影響を与えるのではないか、もう手遅れではないか、という3つの疑問にこう答える。米国のすべての学術論文が因果関係を認めている、日本車の燃費効率が米国車よりはるかに良い例などを挙げて環境と経済とは両立する、いま実行できる対策を積み重ねるだけで1970年ごろの排出量にまで下がる、と。

 歴史に「もし‥‥だったら」はないが、ゴア氏が大統領だったら、いまの世界はかなり違っていただろう。イラクについてはなんとも言えないが、地球環境問題については、米国は京都議定書を批准し、世界をリードしていたのではないか。

 地球温暖化は人類の持続可能性(サステナビリティー)に関わる大きな問題であり、工業国を中心に世界が取り組んでこそ打開の道が開ける。日本の財政危機も、中央政府・地方自治体が巨額の借金を減らすため、懸命に努力し続けてこそ、打開の道が開ける。もう、手遅れだとあきらめてはならない。

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2006年9月27日 (水)

子供の医療費助成のツケはどこに?

 医療保険の自己負担率が3割(乳幼児2割)になって、病気などの治療費が結構、家計の負担になっている。そのため、近年、財政的に割合、余裕のある市区町村では子供の医療費の自己負担をゼロにするなどの助成制度を導入したり、助成する対象を拡大したりするようになっている。9月26日付けの日本経済新聞は「市区町村の医療費助成」という見出しを付けて、最近の動向を紹介している。

 子供を抱えている家庭にとっては助かる。少子化対策という観点からも、こうした医療費の助成は歓迎されることだろう。助成のない自治体から、助成のある自治体に住居を移す家庭も出てくる。かつてスウェーデンの自治体を視察したとき、自治体ごとに住民サービスや税金が異なり、住民が有利な自治体に引っ越すという話を聞いた。地方自治がもっと進めば、スウェーデンのようになっていく、その先駆け的な事例として医療費助成をとらえることもできよう。

 しかし、視点を変えると、いいことづくめのように礼賛するわけにはいかない。タダにすると、大した症状でもないのに、すぐ医者にかかるようになりがちだ。医者は”お客”が増えるから、歓迎だろうが、マクロ経済的にみると、医療保険の利用者が増えるのだから、国民医療費の増大に拍車をかける。財政危機を考えると、社会保障費の増大、そのうちの医療費増大をどうやって抑えるか、は現在の日本が抱える深刻な課題である。市区町村の医療費助成は、この問題をより悪化させるほうに作用する。

 医療保険は組合管掌健康保険、共済組合、政府管掌健康保険、国民健康保険などから成る。組合健保では会社と従業員が保険料を半分ずつ負担する。共済組合は国、地方、いずれの共済も、職員が保険料を半分負担するものの、残りは国、自治体政府が負担する、つまり税金で賄う。政管健保、国民健保、老人保健制度にも、巨額の税金が投入されている。そうした医療費国庫負担は実に約8兆円にのぼる。

 そのツケは当然、納税者に回ってくる。しかし、おかしなことに、組合健保に属するサラリーマンは、自らの保険には事務費程度しか税金の投入はないのに、他の医療保険に投入される税金を納税者として負担させられていると考えることもできる。従業員の多い企業のサラリーマンは見返りがないのに、他の医療保険加入者に”寄付”をさせられているという解釈も可能だ。

 そうした医療保険制度の仕組みを前提にすると、市区町村の医療費助成(これも税金で負担)は、医療保険の財政を悪化させるだけではない。税金投入という支援を受けていない組合健保の加入者に対し、他の医療保険の加入者に比べて、より多くのツケを回すことになる。医療保険制度のゆがみがそこに表れていると言えよう。

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2006年9月26日 (火)

安倍内閣の船出と財政改革

 安倍晋三内閣が発足したきょう9月26日、朝の新聞には、国債、借入金など国の”借金”残高がことし6月末現在で827兆7948億円になったという記事が出ていた。約400兆円だった1998年6月末から、わずか8年で2倍以上になっている。

 現在でも、国の一般会計(年度)の収入の4割強が新たな”借金”に依存している。日銀の金融政策によって依然、超低金利だが、抑えられている金利が景気回復に伴ってまともな水準に向かって上がり始めると利払いが増える。その結果、国の”借金”はさらに増大することになりかねない。谷垣前財務相は26日、「財政改革は焦眉の急。そう時間がない」と語ったが、財政危機が深刻の度を深めているのは確かだ。

 25日の財務省発表資料によれば、827兆円のほかに政府保証債務が52兆4275億円ある。それ以外にも、国民の負担につながる”隠れ借金”的なものがあるし、地方自治体の借金もある。1000兆円をゆうに超す借金を国・地方で抱えているのである。「そもそもこんなに巨額に達した国債や年金債務は返せないことを認識する必要がある。いかなる幻想も捨てなければならない。」(金子勝著『戦後の終わり』、06年8月刊)との見方があって当然だが、悲惨な事態に国民が追いやられる財政破綻の道だけはなんとか避けたいと思う。

 尾身財務相、太田経済財政担当相、柳沢厚生労働相ら財政関連の新閣僚は就任直後のお披露目記者会見で財政改革に重点を置く発言をした。太田担当相は経済財政諮問会議で歳出削減の工程表を作成するほか、役所の縦割りを越えて成長政策を追求する意向を表明した。消費税を含む税制改革については、07年の参議院選挙があるので、そのあとに具体化する方針を尾身財務相が表明した。

 「文芸春秋」10月号の『「希望格差」から「希望平等社会」へ』で山田昌弘氏が指摘したように、小泉政権は「努力しなくても報われる人」の排除を進めてきた。しかし、「努力しても報われない人」に救いの手を差し伸べる必要がある。それは安倍政権に与えられた宿題だと思う。そうした各方面での改革と財政改革とを整合的に推進することこそが新政権に欠かせない点だ。

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2006年9月24日 (日)

財政改革への小泉首相の貢献

 小泉政権が終わる。同政権についてさまざま面からの評価が行われているが、ここでは、財政改革の問題に限って評価する。

 7月29日のブログ『「タイタニック号」の不安』に書いたように、2004年末の頃には、日本は財政破綻への道をひたすら歩んでいるとしか思えなかった。財政破綻をテーマとする書物はすでに1990年代からちょくちょく出版されていたし、この04年12月にも『「国家破産」以後の世界』(藤井厳喜著)が発売になり、さらに05年2月には『2008年 IMF占領』(森木亮著)が出た。いずれも、日本の財政破綻を既定の事実としてポスト破綻について書いていた。

 05年春、個人的に、財政改革について幾人かの識者に意見を聞いたことがある。メディア関係のある人は「財務省、経済産業省の人に内々に集まってもらって財政再建が可能か、検討してもらったが、破綻は必至という結論だった」と語った。そして、私に「財政破綻を回避するための運動をするというのはむだなこと。他のことをしなさい」と忠告してくれた。当時、政府の経済財政諮問会議で歳出歳入一体改革などを検討していたが、主要新聞は財政再建問題にはほとんど関心を示さなかった。

 その頃と現在とでは、世の中の雰囲気はかなり違う。おそらく最大の理由は、05年秋の小泉内閣改造で、経済財政諮問会議の担当大臣が竹中氏から与謝野氏に代わったことだろう。竹中氏が小泉首相の片腕として構造改革に取り組んでいたときの経済財政諮問会議は自民党とぎくしゃくしていた。霞が関の官僚とも。それに対し、政調会長だった与謝野氏は諮問会議の担当大臣になり、財政再建に与党の自民党を巻き込んだし、財務省や経済産業省などのエリートを活用した。(諮問会議を基本政策決定の場とし、独自のスタッフを擁して改革を推進した竹中氏の功績は実に大きい。あとを継いだ与謝野氏は竹中方式を修正した。その分、旧来の政策決定方式に逆戻りした面があるが、与党、官僚を含む”全員参加”型にしたことで、財政改革をとにかく軌道に乗せたことは評価していい。)

 ことしの7月に政府が決めた「骨太の方針」には、これまでの財政健全化努力を継続し、2011年度には「国・地方の基礎的財政収支を確実に黒字化する」、「財政状況の厳しい国の基礎的財政収支についても、できる限り均衡を回復させることを目指し、国・地方間のバランスを確保しつつ、財政再建を進める」と明記した。自民党もきちんとコミットしたものだから、財政改革を進めるうえで大きな前進だ。

 ただ、2011年度までの改革プランは識者の指摘通り、問題がある。11年度に基礎的財政収支を黒字にするには、16.5兆円を歳出削減と増税で賄う必要があるとし、うち11.4兆円~14.3兆円を歳出削減でまかなうという。しかし、削減の比較のもとは現在予想される11年度の歳出であり、06年度の歳出(予想)ではない。また、人件費は06年度の30.1兆円から11年度35.0兆円へと増えることになっている。さらに、5年間の名目GDPの年成長率を3%と高めに設定している。改革プランはぎりぎりと歳出を削る一方ではないから、自民党も賛成したと言えなくもない。

 したがって、今後5年間、もう安心だと楽観せず、毎年毎年、経済情勢の変化を踏まえて財政改革プランを厳しく見直していかねばならない。それはそれとして、財政再建が大きな政治課題であることを小泉内閣のもとで政府・与党が認識し、とにかく一歩踏み出した意義は大きい。

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2006年9月20日 (水)

神野直彦氏の危機感

 9月19日(火)の日本経済新聞に、去る8月30日開催された「公会計改革会議2006」の特集が掲載された。神野直彦氏の基調講演は、親による子殺し、子による親殺しなど異常な事件が相次ぎ、崩壊しつつある地域社会への深刻な危機感をひしひしと感じさせるものだった。

 神野氏によれば、これまで女性の無償労働が地域社会を支えてきた。しかし、重工業中心からサービス業中心の社会に移り、女性も労働力化している。従来、女性が無償労働で担ってきた育児、養老サービスなどを地方自治体などが担わないと、コミュニティーは崩壊する、という。

 地方自治体の経営には、「ミクロの経営」と「マクロの経営」がある。従来の自治体経営をミクロの経営とすると、地域社会をまとめ、住民の生活を保障することがマクロの経営だという。地方自治体は財政難から公共サービスを減らしているが、これからは、コミュニティーや家族がやっていたことを地方自治体が積極的に肩代わりすべきだという。

 「自治体の役割増大に合わせて分権を進めるためには、基幹税の一つである消費税の配分を大きく変える抜本的な税制改革が出発点になるだろう。」(日本経済新聞19日付け)と神野氏は語っている。

 全国知事会など地方6団体が9月15日に「地方分権改革推進法(仮称)」の早期制定を求める文書を政府に提出した。国と地方の役割分担に基づく事務事業・権限の移譲、国による関与・義務付けの廃止・縮小、税財源の移譲と国庫補助負担金の原則廃止などが不可欠だと要求している。

 具体的な詰めでは、意見の違いがあるだろうが、住民の生活を保障し、地域が活性化するためには、早急に権限、財源を地方に移し、地方分権を推進する必要がある。神野氏の発言ではないけれど、新聞を読んでいると、日本の社会が根底から崩れつつあるような不気味さを感じることがある。したがって、生活重視を実現するための地方分権について安倍次期内閣に優先的に取り組んでもらいたいのだが、総裁選を勝ち抜いた安倍氏の発言は”あっちむいてホイ”だ。 

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2006年9月17日 (日)

本当に予算審議しているの?

 最近、財務省が発表した「平成16年度 国の財務書類」の「ポイント」を読んだ。民間企業の財務データを読むのと似た感覚で読めるというから、私たち国民も目を通してみよう。

 国の財政は一般会計と特別会計とから成る。私たちになじみのある一般会計の財務書類は、各省が所管する一般会計の金額を合計したものである。平成19年度予算の概算要求が82兆円余というのがこれにあたる。発生主義で計算された一般会計の平成16年度の「業務費用」は77.5兆円だった。内訳は、特別会計への繰り入れが32.0兆円、補助金等が25.6兆円、利払費7.4兆円、人件費5.1兆円、減価償却3.8兆円、事務費3.0兆円、その他0.7兆円である。

 特別会計への繰り入れは国会の審議の余地がないといわれるように、自動的に決まってしまう。補助金等は新規の政策に伴うものは審議されて当然だが、継続のものは、金額の変動はあるものの、ほとんどフリーパス。そして、利払費以下の費用はまず、いじる余地がない。となると、国会の予算審議は何をしているのだろうか、と疑問を抱く。衆議院予算委員会は、全閣僚が出席し、予算以外の問題の審議に長時間を費やすが、その理由がわかったような気がする。「骨太の方針」による大枠のしばりはあるものの、最も大事な一般会計の予算に関して、国会議員は各省の官僚が提出し、財務省の官僚が査定した予算案の中身を鵜呑みするだけのようだ。 

 一般になじみの薄い特別会計も、各省が所管する。社会保障関係の厚生保険特別会計はじめ、食糧管理特別会計、道路整備特別会計など多数ある。ところが、特別会計は別途、法律で定められたもので、カネの入りも出も、ややこしい仕組みになっている。まず、審議の対象にされない。手をつけようとする政治家もまれだ。

 「国の財務書類」は、各省庁ごとに所管しているこれら一般会計と特別会計とを単純に合計した国全体のフローとストックを開示している。それによると、平成16年度の「業務費用」は123.3兆円。内訳は、年金・政管健保等46.3兆円、補助金等31.2兆円、地方交付税交付金等19.3兆円、利払費9.7兆円、人件費5.7兆円、減価償却費4.4兆円、事務費4.3兆円、その他2.5兆円である。

 その財源は102.3兆円で、不足額は21.1兆円に及ぶ。102.3兆円の内訳は、租税等が48.1兆円、社会保険料40.6兆円、その他(運用益等)13.6兆円だ。

 さらに、連結財務書類も作成・開示されている。連結財務書類は、一般会計と特別会計だけを合算した財務書類に加え、独立行政法人の財務諸表、特殊法人の行政コスト連結財務書類、および認可法人の行政コスト計算書類をも対象にして作成された。これによると、平成16年度の「業務費用」は146.3兆円、GDPの約3割に達する。

 その内訳は、年金・政管健保46.4兆円、補助金等26.7兆円、地方交付税交付金等19.3兆円、保険金等支払金14.0兆円、人件費10.9兆円、事務費9.4兆円、減価償却費6.9兆円、利払費6.4兆円、その他6.3兆円である。

 大きな政府、小さな政府の議論があるが、日本の政府はカネの出て行く先をみると、社会保障、補助金、地方交付税交付金の御三家、および人件費・事務費だということがよくわかる。財政改革のターゲットもそれらである。

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2006年9月15日 (金)

”夕張市”問題のその後

 6月に「財政再建団体」の指定要請を表明した北海道の夕張市。地方自治体の”破綻”はさまざまの問題を投げかけた。3ヵ月たったいま、気になることがいくつかある。

 夕張市のホームページを見てみるとー。「あれっ」と思う。財政破綻について何も触れていないに等しい。大抵の市はホームページで予算などカネに関する情報を公開しているが、夕張市はそういう基本的な情報さえも載せていない。住民から、そういう情報を提供すべきだという声もなかったのかもしれないが‥‥。ホームページからも、市役所それ自体の活気のなさが感じ取れる。

 総務省が「新しい地方財政再生制度研究会」を始め、9月12日に第2回の会合が開かれた。参考資料の中に「一時借入金と不適正な財務処理との関係について」と題する1枚の説明がある。特別会計の赤字を埋めるため、一般会計が金融機関から一時、借り入れて特別会計に貸す。特別会計が翌年度の5月までに一般会計に返済できれば、金融機関に返済して一件落着となるはず。しかし、特別会計が赤字続きで返済できないと、一般会計はさらに金融機関から借りて特別会計に貸す。それが続くと、一般会計の金融機関からの借入金は膨らみ続ける。そうしたメカニズムがよくわかる。(サラ金の多重債務者と似ている。金利の高さが違うだけだ。)

 しかし、きのうきょうに急に借金が膨らんだわけではない。それなのに、どうして、ここまで続いたのか。議会、監査委員、住民の誰もチェックしなかったのか。知っていて黙していたのか。金融機関は際限なく貸し続けるつもりだったのか。また、北海道庁の役人は本当に知らなかったのか。知っていたとしたら、なぜ放置していたのか。総務省の担当者も知らなかったのか。知っていても放置していたのか。本当に知らなかったとしたら、なぜ気付かなかったのか。そんな疑問が次々にわく。

 早期是正や再建のスキームづくりは大事だが、同時に、夕張市が借金を重ね、実質破綻した責任を関係者(ステークホルダー)にきちんと問うことが絶対に必要だ。それなしに、負債をあいまいに国などが肩代わりするような再建策には賛成できない。国は税金で運営されている(つまり、私たちにツケが回ってくる)ことを片時も忘れてもらっては困る。

 いま、全国のあちこちに、破綻に近い状態の自治体がある。だが、まだ、国がなんとかしてくれるはずだという国依存意識というか、「ケ・セラ・セラ」(なるようになるさ。あすのことなどわからない)意識というか、無責任な甘えの状態から脱していないようだ。企業ならつぶれてもかまわないが、自治体はつぶすわけにいかないという理屈が当の自治体や、総務省にあるためである。したがって、企業の再建のような激しいリストラが実行されるケースはまれだ。だが、岐阜県の裏金問題など、自治体が住民の”敵”であるような事実が公けになるにつれて、地方自治体への風当たりが強まり、自治体を監視する民間の活動が活発化していこう。そうした各地の民間組織がネットワークを形成し、情報を交換するようになれば、チェック機能が強化されるのではないか。

 一方で、地方自治を本物にするための制度的、財政的な裏付けを確立しなければならない。即ち、地方自治体に自主財源と権限とをもっと譲っていかなければならない。その点に関して、いまの自民党総裁選候補者の3人にはあまりきちんとした認識がなさそうだ。今後の政治課題である。

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2006年9月13日 (水)

自民党総裁選候補の財政観

 小泉首相の後を誰が継ぐか。自由民主党の総裁選に出馬した3人の候補者は財政危機をどうとらえているのか。3人の候補者がつくったパンフレットから、該当する個所を見てみた。

 安倍晋三候補=「具体的政策」の②「自由と規律でオープンな経済社会」の(5)「成長なくして財政再建なし」で、 ○将来の世代にツケを先送りせず、財政を確実に健全化 ○歳出・歳入一体改革の具体化においては、経済成長を前提に、歳出改革に優先取り組み ○消費税負担のあり方、直接税のあるべき所得再分配効果など、中長期的視点から総合的な税制改革の推進

 谷垣禎一候補=解決のために行動したい3点の1つとして「第3に、未来社会に向けて子や孫へツケの先送りを許さず、財政の立て直しに逃げずにぶつかります。」という。  「国の借金である債務残高の国内総生産に対する比率を安定的に引き下げていくために、2011年を目途として今後5年間、具体的な歳出削減策を実行し、血のにじむような努力を続けていかなければなりません。それに加えて、歳出削減だけでは基礎的財政収支の黒字化ですら難しい状況」、「増税の話をする前に、できる限りの努力をすることは当然です。」、しかし、「社会保障関係費が国、地方ともますます増えていく現実を見据え」、「消費税を社会保障のための財源と位置づけ、2010年代半ばまでのできるだけ早い時期に、少なくとも10%の税率にする必要がある」、「同時に、消費税だけでなく、所得税や相続税なども含め、税体系全体の見直しを行う必要がある」。

 麻生太郎候補=「2.基本政策」の中の「1.経済政策」で、「国と地方を合わせた日本の借金は膨大な額に上り、先進諸国にも例のないものとなっています。早急に、財政再建への道筋をつけなければなりません。しかし、私は財政再建原理主義はとりません。財政は、それ自体が目的ではありません。財政は、政策実現のための手段です。今の日本に必要なのは、持続的かつ安定した経済成長です。」、「政策減税を最大限活用し、活力ある日本を実現します。」、「政策減税で社会の活力が上がり、行政経費が削減されたり、税収が増えれば、トータルでプラスです。」 「まずは徹底的な歳出削減を優先し、その後に、必要な増税を国民の皆さんにお願いします。」

 パンフレットは、安倍氏が「美しい国、日本。」を掲げ、「いま、新たな国づくりのとき。」という副題を付けている。谷垣氏は「絆 KIZUNA」を掲げ、「『活力と信頼の国家』を創る~『絆』の社会を目指して~」という副題を付けている。麻生氏は「日本の底力」を掲げ、「活力と安心への挑戦」を副題としている。パンフレットはA4で、安倍氏4ページ、谷垣氏24ページ、麻生氏28ページ(いずれも表紙込み)。谷垣、麻生両氏はすべて語り言葉で、安倍氏は語り言葉は1ページのみ。

 いまも深刻化し続ける財政危機から遠ざかるのは容易なことではない。経済成長率と長期金利のゆくえ、歳出削減の度合い、増税策などが重要なカギを握っているが、一方で、景気回復が持続しそうなうえ、格差問題などが強調されるようになったことから、参院選挙を意識して構造改革の手を休め、歳出抑制をゆるめる危険性がある。肝心なのは、総理大臣をはじめとする政治指導者が財政再建の道筋をきちんと描き、それを着実に実行することだ。3候補者は骨太の方針を決めた小泉内閣の閣僚だから、いずれも財政再建を口にしている。だが、内容が大雑把すぎる。                                               

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2006年9月10日 (日)

環境問題における思い込み

 環境問題はとても重要な問題だし、私たち人間は科学・技術によって、環境問題をかなり解明したと思っている。

 だが、『子どもたちに語る これからの地球』(日高敏隆+総合地球環境学研究所編)は、「現状では、われわれは実は何もわかっていないということを認識することがまず必要ではないでしょうか。科学ですべてのことがわかる、すべてのことが解決できると傲慢になってはいけないと思います。環境に何かの働きかけをするときでも、すべてがわかっているわけではないという謙虚な態度が不可欠でしょう。」(228ページ)と述べている。

 なるほどそうだ。同書を読んで、「えーっ」と驚かされる個所がいくつかあった。

 私は京都が好きで、たびたび訪れるが、同書によると、現在、緑が一杯の東山一帯が江戸時代には、ほとんど樹木がなかったという。明治20年代になって、産業化に伴い燃料が不足するようになったため、東山に松など火力の強い雑木を植えた。しかし、のちに、石油などが中心になり、燃料用に伐り出すことがなくなった結果、緑の色濃い景観になったというわけだ。(175~176ページ)。

 水本邦彦著『草山の語る近世』に書かれている内容だとして、「江戸時代の日本列島のかなりな山々は、しばしば草山か芝山で、樹木でびっしりおおわれているというのは、むしろおもに近現代の風景だというのです。」と紹介している。そして、「日本の山々が樹木におおわれているのは当たり前だといったような「思い込み」は禁物ということになります。」と言っている。(176~177ページ)

 環境保全と結び付けて考えられている里山についても、「里山とは自然の恵みを人が収奪するシステムと言い換えることもできるのです。」という。(224ページ)

 昔から、農家は近くの山から落ち葉を拾い集めて農地の肥料に利用してきた。その結果、照葉樹などは落ち葉という栄養をとられて衰退し、代わって栄養がなくても育つアカマツなどが中心の林になった。それでマツタケがとれるようになった。「マツタケは、人が自然を収奪してきた歴史の象徴といえるかもしれません。」、「そのマツタケが取れなくなったのは、簡単にいえば、人工肥料の導入などにより、人が農地の肥料として落ち葉などを利用しなくなったからです。」それで照葉樹林が戻ってきたという。(同上)

 暖房などの燃料に使うため、芝刈りをしていた時代の里山というのは、「簡単にいえば禿山だったのではないでしょうか。そう考えると、里山を守ることは、必ずしもよいこととは限らないように思えてきます。」(同上)

 私は専門家ではないので、上記の内容が100%正しいかどうかはわからない。ただ、環境問題を考えるうえで、私たちはもっと謙虚になって、複雑で多様な関係の全体をつかまえるよう努力する必要があることだけは間違いない。

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2006年9月 7日 (木)

「みんなで明るく挨拶をしよう会」

 「みんなで明るく挨拶をしよう会」の第9回総会が最近開かれた。それって、何?と思うだろう。

 「おはようございます」、「こんにちは」、「今晩は」と、ご近所などでみんなが挨拶をするようになれば、お互い、自然に親しみを感じるようになる。挨拶を通じてコミュニティを活性化することができようし、泥棒よけにもなる。子供が地域の人たちに見守られ、健やかに育つためにも、挨拶は大事だ。

 「挨拶をしよう会」ができたのは10年近く前。学校教育を批判する経済人に対し、当時の文部大臣が「批判ばかりするのではなく、あなたがたも子供のために何かしてくださいよ」と言ったことが契機になって始まった。「たかが挨拶、されど挨拶」である。ろくにコミュニケーションができない若者を念頭に、会員は自分からどんどん挨拶の声をかける運動を始めた。

 野球評論家の豊田泰光さんも会員の一人。何年か前の会で、こんな話をした。「早朝の散歩でいつも出会う人に、にこやかに、大きな声でおはようございますと声をかけ続けた。むずかしい顔をしたその人は、最初は黙ったままだったが、毎日、毎日、おはようございますと挨拶するうちに、徐々に変わり、笑顔で挨拶を返すようになった」と。迫力ある豊田さんから挨拶されたら、返さないわけにいかないーーこれは冗談だが、確かに挨拶はコミュニケーションの第一歩である。

 当初、設立に関わった人から参加を呼びかけられ、私も会員になっている。会合に出席してから、気付いたのは、会社でも、スーと現れ、スーと消える人が結構いるということだった。大人になっても、まともに挨拶できない人が少なくない。「挨拶をしよう会」は大人にも挨拶の意義を知ってもらうという役割を担っている。

 これとは別だが、東京都が「心の東京革命」を推進している。「あいさつ・声かけで子供を守ろう」を重点目標にしているという。そして「大人が変われば子供も変わる‥」として7つの「心の東京ルール」を提案している。その1つが「毎日きちんとあいさつさせよう」だ。ほかのルールは、「他人の子供でも叱ろう」、「子供に手伝いをさせよう」、「ねだる子供にがまんをさせよう」、「子供にその日のことを話させよう」などである。

 世界で一番、挨拶が上手なのはアイルランド人だと、ミズノの水野正人会長が語っていた。形式的な挨拶ではない、心からの挨拶がおくれるようになりたいものだ。

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2006年9月 5日 (火)

福島県発注工事の談合摘発

 「石川や浜の真砂は尽きるとも世に”談合”の種は尽きまじ」か。東京地検特捜部は、福島県が発注した広域下水道工事で2004年に競売入札妨害(談合)を行なった容疑で地元企業の社長らを逮捕した。

 これまで、公共工事の発注・受注に関わる人たちの間では、どちらかといえば、談合は必要悪だというとらえかたが多かった。「公共工事に応札するたびに、どの企業も細かい見積もりをしていたら、やたら費用がかかって大変だ」、「地元の企業が受注すれば、地元の業者がうるおい、地域経済をうるおす。放っておいたら、全国的に活動している大企業に工事が皆行ってしまう」。他に有力な産業がない地域だと、公共工事が地元経済の中核をになっているので、地元の土建業界の発言力が強い。だから、県や市町村も数の多い地元土建業者に配慮するのを当然と思ってきた。”官製談合”も、そうした土壌ではごく当たり前のこととされていた。江戸時代でも談合が行なわれていたそうで、談合を正当化する意見は依然、根強く残っている。

 これに対し、談合は、「地元の中小土建会社が受注しやすいように工事を細切れにして発注するので、コスト高になる」、「全国的に活動する大企業は受注した地元業者の”上請け”になったり、地元業者と共同受注し、工事を実質的にリードする不自然な仕事の仕方になっている」、「工事能力がなくても受注する地元業者まで現れ、”丸投げ”でピンハネする」などの問題があるといわれる。

 談合は麻薬みたいなものだ。一旦、ヤクを始めたら、ヤク依存から抜けられない。しかも、松井彰彦東大教授によると、談合による「社会的費用は直接計算できるものだけでも2兆ー5兆円、消費税率にして1-2%にも相当するのである。談合の社会的費用は間接的なものまで含めるとさらに膨らむ。」(8月24日付け日本経済新聞「経済教室」)という。公共事業の談合は市場経済を歪め、私たちの税金を盗みとっているのである。

 ことし1月に施行された改正独占禁止法は、談合を是とする人たちにはかなり強烈なパンチだろう。従来、課徴金は、製造業等の大企業の場合、当該売り上げの6%だった。それが10%に引き上げられた。10年以内にほかにも違反行為があれば、15%の課徴金を課せられる。その一方で、談合のメンバーが公正取引委員会の立ち入り検査前に談合の事実を公取委に届ければ、最初に届けた者は課徴金を免除されるし、2番目に届けた者は半分になり、3番目は30%減になる。誰かがタレこむのではないか、という疑心暗鬼を招く仕組みで、談合をしにくくしたことは間違いあるまい。

 では、談合は根絶されるかというと、必ずしもそうはならない可能性が大きい。摘発された工事については、課徴金額が利益額を上回るだろう。しかも指名停止期間中の受注が期待できない。企業の経営にとっては相当の打撃だ。

 しかし、実際に、談合件数のうち、何%が摘発されるか。その割合が低ければ、談合はなくならないだろう。しかし、公取委や検察がどんどん摘発すれば、経営への打撃が大きくなり、自ずと談合は減る。どんどん摘発することが無理なら、課徴金の率をさらに2倍、3倍と上げていき、経営がゆらぐようにする一罰百戒が必要である。そこまでしないと、談合はなくならない。

 ただ、一方で、情勢変化もある。即ち、談合した企業というだけで企業のブランドイメージはひどく悪くなるし、経営者や社員も精神的に傷つく。しかも、最近は、大企業はコンプライアンス(遵法)とかコーポレート・ガバナンス(企業統治)については外部から厳しい目で見られている。また、CSR(企業の社会的責任)という点でも、株主、従業員、顧客・消費者、取引先などから、企業経営のありかたを問われるようになってきている。

 そんなこんなで、談合を巡る情勢は確実に転換しつつある。談合をやめると言明する大企業もごく一部だが、出始めた。これは画期的な出来事だ。そうした動きを加速するように、世論が談合を糾弾し続けることが大事である。

 

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2006年9月 3日 (日)

岐阜県の裏金づくりの実態

 第三者(弁護士)から成る「プール資金問題検討委員会」の報告書が9月1日に公表された。58ページにおよぶ報告文書はよく調べ上げた内容だ。

 これによると、遅くとも、昭和40年代初め頃には、すでに不正な経理による資金づくりが行なわれていたことが窺われるという。①正規の予算に計上できないが、業務上、必要な費用(官官接待、土産代、予算が付かない備品等の購入など)を捻出するにはやむをえない、②単年度主義の予算なので、年度内に使い切らないと、次年度に削られる可能性が高いし、担当者の予算見積もりの甘さが指摘される、などの事情が背景にあるという。役所の中にいると、必要悪としか思わなかったのだろう。

 そういう事情だとすれば、岐阜県だけの話ではなさそうだし、もっと前から行なわれていたのではないか。戦前、小学校の教師だった人が話してくれたところによると、「実際には一度も出張したことがなかったが、校長からはたまに”○○さん、出張してください”といわれ、ハンコを渡したことがある。学校の備品を買うためにどこでもそうしていた」とのこと。岐阜県県庁の場合も、ひょっとしたら、戦前から連綿と続く慣習だった可能性もありそうだ。

 梶原前知事(1999年就任)は不正経理資金が存在する可能性を認識しつつも、過去の実態を解明するのではなく、これに蓋をした上で、規制強化により将来的に不正経理をなくす方針をとった。それが不正資金を隠すための県職員組合への資金集約につながった、とし、重大な責任があると指摘された。

 森元副知事(自治省から出向)、奥村元知事公室長、高橋元総務部長らの幹部や、職員組合の中央執行委員長、書記次長も「責任重大」と指摘された。処分についての意見では、「重い処分が相当」だとされる者として、現職にある元知事公室次長、組合役員、個人で費消した者が挙げられた。

 市民が公金を私したら、金額の多寡にかかわらず、厳しく処罰される。この件も、庶民感情からすれば、詐欺や虚偽公文書作成罪・同行使罪にあたる行為だったのだから、深く関わった役人は皆、刑事罰に処せられて当たり前だ。しかし、報告書は、組織ぐるみの行為なので、組織の責任の範ちゅうにあるものは、資金を返還するという形で責任を問えば十分、という。組織の責任とはいえないものについても、資金を返せば、刑事責任まで問う必要はない、という。個人的に費消してしまったものも、少額だったり、悪質性が認められない場合には内部処分等で足りるとしている。

 刑事責任が問われるべき場合でも、公訴の時効や立証可能性の問題があるとし、現時点で委員会が刑事告発すべきだと考えたのは数名だという。報告書を読んだ限りでは、公訴時効などの理由で、前知事、元副知事、元出納長、元知事公室長、元総務部長など幹部は刑事責任を追及されないようだ。

 1992年度から2003年度までの12年間につくられた裏金は、委員会の推計によると16億9722万円。利息を足すと約19億1775万円。すでに返還された金額を引くと、約14億4520万円になる。これを現役の管理職やOBの幹部、管理職に負担してもらおうとしている。それで数名の刑事告発があるにせよ、一件落着という話だ。梶原前知事をはじめとして、幹部OBが県関連の公職に就いているのには、それは「退いていただくことを期待する」と遠慮がちに述べている。

 日本では官僚支配国家なので、「官僚は悪いことをしない」という発想がいまだに強い。国民から、悪いことをしていると批判されても、なかなか認めない。だから、犯罪的な行為をしても、軽い処罰にとどまる傾向がある。今回の報告書は調査分析はすぐれているが、処罰の話になると、控え目だ。現在の知事という利害関係者が委員会の委嘱者だからだろうか。

 報告書は再発防止のため、情報開示などの対策を挙げている。それはよいとして、県の職員には、どれだけ罪の意識があるのか。彼らはどういう反省をしているのか。そこいらが気になる。県職員は県民のサーバント(奉仕者)であるはずなのに、従来、県民を見下し、自分たちだけうまい汁を吸ってきた。そこにメスを入れないと、住民主体の真の地方自治は実現しない。職員の意識改革が古田現知事に課せられた責務である。

 

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2006年9月 2日 (土)

前国税庁長官の著書を読んで

 7月に刊行された『税財政の本道』を読んだ。前国税庁長官・現商工中金理事長、大武健一郎氏の著書だ。財政危機の実態を数字で示されると、わかっていたつもりでも、改めて財政改革がいかに重要かを痛切に感じる。以下、同書から読み取ったポイントを紹介する。

 平成18年度予算では新規国債を30兆円に抑えたと言われている。しかし、借換債108兆円、財政融資特会債27兆円、計165兆円もの国債発行だ。

 一般会計予算は79兆7000億円。うち国債費が18兆8000億円、地方交付税交付金等が14兆5000億円だから、いわゆる政策経費といわれる一般歳出は46兆4000億円しかない。しかし、政策経費のうち20兆6000億円が社会保障関係費だから、それを除くと、25兆~26兆円しか残らない。

 政策経費46兆4000億円を税収45兆9000億円でなんとかまかなうという状態なので、義務的な国債費や地方交付税交付金は、すべて借金でまかなわれ、いまも借金が増大し続けている。

 社会保障給付費は、一般会計以外の特別会計の分も合わせると、04年度ベースで86兆円と一般会計予算を上回る。「社会保障給付費のほうはほとんど国会で中身の議論なく支出されている」。しかも、この社会保障給付費は、2010年度に105兆円、2025年度には152兆円と見込まれている。

 国債は1991年度末の170兆1000億円から2004年度末の642兆5000億円へと急増した。誰が引き受けたのか。政府自体の引き受けが69兆1000億円から269兆7000億円にまで膨らんだ。その大半が実は郵便貯金である。郵便貯金は92年度末7兆2000億円だった国債保有が109兆7000億円に膨らんだ。また、簡易生命保険が1兆1000億円から55兆1000億円へと買い増した。さらに日本銀行は、保有残高が9兆3000億円から92兆1000億円になった。市中金融機関も64兆1000億円から204兆1000億円へと、約140兆円も国債を引き受けた。

 「個人と企業のお金が郵便貯金、簡易保険、そして市中金融機関を介して国債に回ったということ」だが、「国債にお金を回すというのは明らかに後ろ向きのところにお金を回すこと」だという。本来、国民が預けたお金が生産性の高い民間企業に回り、民間の設備投資が盛んになり、それが日本経済を発展させる。しかし、それがそうでなくなったから、「日本経済そのものが発展しなくなったのもうなずけないわけではありません。そこで、郵政改革の最大の狙いは、そうした郵便貯金の運用をもっと効率的なところへ回そうということだった」という。

 1997年度から2004年度までの国の中期的税収減の要因分析をみると、この間に税収が8兆3000億円減少した。「税制改正による減税分が7兆6000億円、経済要因等による減収が7000億円」。ひんぱんに財政出動が行なわれたのに、むしろ自然減収が発生した。「経済運営によっては自然減収になる時代に突入した」。したがって、「これからは国家戦略を立てて国家の活力を引き出す努力なしには経済活性化は難しく、自然増収どころか自然減収の可能性すらある」と述べている。

 「これからの時代は、右肩上がりの時代に始まった「当たり前」でないことを見直し、当たり前に戻る、すなわち自分のことは自分でやることが必要です。それに戻らない限り、この超高齢化社会は税金ばかりが増えて経済が押しつぶされる、そんな国になりかねない」と危機感を訴える。今までの歳出を見直すと同時に、「これからの社会は国や自治体に頼るのではなく地域や仲間で、元気なうちはみんなで助け合うということがもう一度求められる」と付け加える。

 これからは、「家族の絆」や「地域の絆」を大切にするという当たり前の暮らしに戻り、おのおのが今の行政サービスを見直して、自分たちでやれるものは自分たちでやり、国や地方自治体には手を引いてもらう、つまり、行政改革をする時代に入ったという。

  日本経済を活性化させる中で増税も図る、そして増収を目指す。そのためには、「日本の企業、特に日本の得意とする分野の企業の競争力を強化する税制が必要」という。

 大武氏は、このほかにもさまざまな主張を展開している。増税するとき、なぜ消費税が望ましいか、については、3つの理由を挙げた。①人は資産と所得を勘案して消費活動をするから、消費に着目して税負担を求めるのはいまの日本に適している、②貯蓄減少社会になっているので、消費に課税して消費を抑制し、貯蓄を増やす必要がある、③働く人の所得にかかる税・社会保険料ばかりに頼るわけにはいかないから、保険料引き上げが予定されている以上、税で負担を求めるとすれば消費に対してだ。そして、消費税を上げるとき、食料品に軽減税率を入れるよりも消費税額控除を導入するほうがいい、あるいは低所得者向けの社会保障施策を充実する、としている。

 「国のかたちを見すえて」という副題をつけた本書は、「日本の国家としての役割と国家戦略をしっかりと構築し、その一環として税財政のあり方を議論し、財政再建も図っていく」というのが本道だという。当然のことながら、財務省的な視点が強い(例えば、もっぱら一般会計だけを論じ、特別会計などにはほとんど触れない)が、大武氏独自の発想もあり、参考になった。

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