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2006年9月10日 (日)

環境問題における思い込み

 環境問題はとても重要な問題だし、私たち人間は科学・技術によって、環境問題をかなり解明したと思っている。

 だが、『子どもたちに語る これからの地球』(日高敏隆+総合地球環境学研究所編)は、「現状では、われわれは実は何もわかっていないということを認識することがまず必要ではないでしょうか。科学ですべてのことがわかる、すべてのことが解決できると傲慢になってはいけないと思います。環境に何かの働きかけをするときでも、すべてがわかっているわけではないという謙虚な態度が不可欠でしょう。」(228ページ)と述べている。

 なるほどそうだ。同書を読んで、「えーっ」と驚かされる個所がいくつかあった。

 私は京都が好きで、たびたび訪れるが、同書によると、現在、緑が一杯の東山一帯が江戸時代には、ほとんど樹木がなかったという。明治20年代になって、産業化に伴い燃料が不足するようになったため、東山に松など火力の強い雑木を植えた。しかし、のちに、石油などが中心になり、燃料用に伐り出すことがなくなった結果、緑の色濃い景観になったというわけだ。(175~176ページ)。

 水本邦彦著『草山の語る近世』に書かれている内容だとして、「江戸時代の日本列島のかなりな山々は、しばしば草山か芝山で、樹木でびっしりおおわれているというのは、むしろおもに近現代の風景だというのです。」と紹介している。そして、「日本の山々が樹木におおわれているのは当たり前だといったような「思い込み」は禁物ということになります。」と言っている。(176~177ページ)

 環境保全と結び付けて考えられている里山についても、「里山とは自然の恵みを人が収奪するシステムと言い換えることもできるのです。」という。(224ページ)

 昔から、農家は近くの山から落ち葉を拾い集めて農地の肥料に利用してきた。その結果、照葉樹などは落ち葉という栄養をとられて衰退し、代わって栄養がなくても育つアカマツなどが中心の林になった。それでマツタケがとれるようになった。「マツタケは、人が自然を収奪してきた歴史の象徴といえるかもしれません。」、「そのマツタケが取れなくなったのは、簡単にいえば、人工肥料の導入などにより、人が農地の肥料として落ち葉などを利用しなくなったからです。」それで照葉樹林が戻ってきたという。(同上)

 暖房などの燃料に使うため、芝刈りをしていた時代の里山というのは、「簡単にいえば禿山だったのではないでしょうか。そう考えると、里山を守ることは、必ずしもよいこととは限らないように思えてきます。」(同上)

 私は専門家ではないので、上記の内容が100%正しいかどうかはわからない。ただ、環境問題を考えるうえで、私たちはもっと謙虚になって、複雑で多様な関係の全体をつかまえるよう努力する必要があることだけは間違いない。

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