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2006年10月30日 (月)

下村理論の理解の仕方

 10月30日の日本経済新聞は一面を大きくつぶして「成長を考える」の新企画をスタートした。これからの日本経済は香西泰氏の言う「少しでも高い成長を目指す以外に選択肢はない」というスタンスで続けられるシリーズのようだ。

 その記事に「安定か成長か。実は半世紀前にもこんな論争があった。」として、所得倍増論の源流となった下村治氏の主張を「技術革新などで潜在力を引き出せば飛躍的経済成長が可能」と紹介している。

 しかし、日経の記事には取り上げていないが、下村氏は石油ショックのあと、世界的な石油供給の制約により、日本は1~2%の経済成長にとどまるという「ゼロ成長論」を唱えた。いま、その下村氏の「ゼロ成長論」を、堀内行蔵法政大学人間環境学部教授は「持続可能な発展論」と結び付けて、「21世紀の定常状態の経済」を含意するようになったと評価している(10月20日の「ゼロエミッションシンポジウム2006」の講演)。ゼロ成長論は下村氏の死後に出てきた地球環境問題によって、その意義が高まったということだろう。

 堀内教授によれば、石油ショック以降の日本経済は集中豪雨的な輸出や公共事業の拡大など、持続不可能な要因で成長してきた。だが、下村氏は均衡のとれた経済が望ましいとして、イノベーション、均衡と節度の3つをキーワードとして重視した。同教授は「節度は、ゼロ成長が安定し均衡するための条件(全体のために自分を抑制すること)」として、具体的には、労組は賃上げ要求を抑制すべき、企業はイノベーションを省エネ・環境保全に注力すべきで、省力化・能力拡大は抑制すべき、政府は財政節度を維持すべき、銀行は金融節度を保持すべき、と例示している。

 下村氏がゼロ成長論を唱えても無視された理由の1つは、企業経営者がまともにそれを受け止めなかったからだという。しかし、同教授は、環境経営の進展、CSR、ステークホルダー論などにみられるように、企業は「持続可能な発展」を目的とする理念重視の経営に変わるととらえている。

 環境問題等を踏まえると、私も定常状態の経済に移行することが望ましいと思う。だが、どうやって実現するか。その具体策をめぐる議論は学界でも全くない。それに、日本の財政赤字の累積が、定常状態の経済を実現する際に大きな障害となるように思える。さりとて、地球温暖化対策への取り組みが不十分なまま、経済成長にもっぱら焦点を当てるのもよろしくない。

 メディアにとって「主張」は大事だが、できるだけ読者・市民の多様な意見を汲み上げ、公正に議論して方向を見出す場の提供にも心掛けてほしいものである。

 

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2006年10月28日 (土)

「地方は損している」か

 地方には、都市に比べて損しているとか割りをくっているといった被害者意識を持つ人が少なくない。現実は、お互いに依存し合うギブ・アンド・テイクの関係だと思うが、結構、地方のリーダーには、地方が一方的に損していると思い込んでいる人がいる。

 10月27日の朝日新聞朝刊の「私の視点」というコラムに泉田裕彦新潟県知事が「新型交付税 生み育てた所に配分を」と投稿している。

 いまの地方交付税は、総務省の官僚がつくった複雑な算定方式で配分されている。その一部を、面積と人口を基準に配分する新型交付税に切り替えることが検討されている。それに対して、泉田知事は「新潟県で生み育て、教育をして、優秀な人材として育った後に、都会に供出している」のだから、「彼らが都会で払っている雇用保険料といったものは、ある程度、教育という観点も含めて、生み育てた所に配分するという考え方があってもいいのではないかと思う。」と書いている。〔文脈からすると、同知事は大都市圏のことを「都会」とか「都市」という言葉で表現している。以下もその表現を踏襲した。〕

 泉田知事によれば、都会では子供を生み育てるのは難しい。広い住宅で、コミュニティーもあり、祖父母もいる地方こそが子育てにふさわしい。それなのに、人口が増える都会にますます多くの税金が配分されるのは問題があるという。

 しかし、いみじくも同知事が言っているように、都会では自然に恵まれた地方に比べると住宅・生活環境は相当に劣る。私の実体験からすると、東京都内には、人間らしい生活を送れるように、優先的に税金を投入して住民の生活や居住条件を改善すべきだと感ずる地域がある。そうした地域では義務教育も容易ならぬ状況にある。大都市圏も、やはり大きな問題を抱えているのである。

 また、教育には国からのカネが多く注ぎ込まれているが、そのもととなる税金は主に大都市圏の住民や企業が納めた税金である。「新潟県で教育して」というが、その費用はかなり大都市圏に依存していると考えられる。地方は損している、大都市圏の犠牲になっている、という発想は極端な思い込みではないか。

 国は国債という名の巨額の借金を抱えている。経済成長重視の経済政策をとっても、借金の増加を抑え、さらに減らすのは至難の技である。それなのに、総務省を含め、中央官庁は権益保持のため、いまだに、ばらまき的な交付金、補助金を出したり、税金の無駄遣いをしている。地方自治体にしても、多くは国への依存という甘えが続いている。

 財政をめぐるこうした厳しい情勢のもと、地方と大都市圏が交付金の配分をめぐって争うのは、総務省の思うつぼだ。地方の味方をするフリをして地方自治体を牛耳り、それゆえに総務省(旧自治省)出身者が県知事など首長に当選しやすい環境をつくってきた(一種の天下り)老獪な総務省の官僚たちにしてみれば、「自分たちの出番だ」ということになる。

 中央集権から地方分権への移行を着実に進めるためには、都道府県や市町村が住民ともども一致団結して総務省など霞が関と対決していかねばならない。地方と大都市圏との間のカネの配分をめぐる争いは、一致団結を崩し、結果として、中央集権の維持につながる。地方がいつまでも被害者的な発想にとどまるようでは、真の地方分権社会は実現できない。 

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2006年10月25日 (水)

道路特定財源めぐる争い

 道路特定財源の一般財源化をめぐる争いが熱気を帯びてきた。道路特定財源については、このブログの8月31日「各省庁の07年度予算要求」ですでに触れたように、現状維持にはさまざまな問題がある。

 国の内外の情勢が何十年も同じであるはずがない。道路をひたすらつくる必要性があった時代がとっくに終わったことは誰の目にも明らかだ。したがって、ほとんど国会の審議の対象にならず、国土交通省が税収を好きに使える道路整備のための特別会計はそのまま存続すべきではない。まして、暫定税率はやめるべきである。特定財源の存続に熱心な“道路族”議員は、国政全体を考える立場を逸脱しているとしか思えない。

 産業界にもおかしな主張が目立つ。自動車業界はまだまだ道路整備が足りないと言う。しかし、わが田に水を引くとはこのことである。足りないのは道路整備だけだろうか。先進的な環境対策車を開発・販売している自動車業界の経営者なら、クルマがどんどん走り、ガソリンなどをどんどん消費することにつながる道路づくりに疑問を抱いて当然ではないだろうか。

 道路以外に使うなら、その分は減税すべきだと自動車、石油業界は主張している。道路整備に充てる税金に関する法律を廃止するなら、減税になる。自動車、石油業界はそれなら納得するという。しかし、他方で、これまで通りの徴税額にして、一般財源に入れるか、環境保全などの特定財源にするか、という意見の対立もある。

 減税でガソリンなどを値下げしたら、ユーザーは喜ぶが、ガソリンなど燃料の消費量は間違いなく増える。石油業界は販売増加でうれしいだろうが、地球温暖化に拍車をかけるだけだ。果たして、いま、ここで、特別にクルマの所有者や石油業界に恩恵を与える必要性があるだろうか。

 燃費効率が高い日本車がつくられた背景には、ガソリンなどの税金負担が重いという事情があった。日本の自動車産業の競争力を高めた歴史的経緯を考えると、ここで、そうした条件を改める格別の事情があるとは思えない。

 環境保全のための特定財源をという発想は、財布を握って勝手に使う官庁が国土交通省から環境省や農林水産省などに代わるだけ。やはり歪んだ資源配分をし、浪費につながるに違いない。他方、一般財源に入れるというと、どこかに消えてしまうイメージがあるかもしれないが、国税で約3兆5千億円、地方税で約2兆2千億円、合わせて約5兆7千億円というのは、消費税で2%余に相当するほどの巨額だ。道路整備にもある程度のカネは必要だが、税収の大半を国債発行抑制に振り向ければ、財政再建に一歩を踏み出せる。これを“国債抑制特定財源”とでも名付けたらいいのか。そうした発想がいま求められる。

 

 

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2006年10月21日 (土)

薄れる温暖化への関心

 先週の10月17日、日本国内の2005年度の温室効果ガス排出量(速報値)が発表された。京都議定書において基準年とされる1990年より8.1%多かった。2008~2012年にマイナス6%の達成を義務付けられているが、いまの趨勢だと、森林吸収源対策や京都メカニズムを活用しても、約束の6%減を達成することはできないだろう。

 しかし、新聞はさほどこの問題を大きく取り上げてはいない。1997年に京都で気候変動枠組条約締約国が議定書について合意した。そのときの日本国内の盛り上がりを思い起こすとき、隔世の感を禁じえない。産業界は温室効果ガス排出削減の努力がうかがえる。だが、オフィスなどの業務部門や家庭部門の排出量は基準年を4割前後オーバーしている。「もったいない」なんてどこ吹く風のライフスタイルが続いているわけだ。

 京都議定書は、例え米国やオーストラリアが参加していたとしても温暖化を食い止めることになるほどの排出量削減を求めてはいなかった。それなのに、西欧でも国別の排出量削減ないし抑制の約束を守れそうにない国が多そうだという。また、京都議定書で約束をした国々よりも、米国、中国などアウトサイダーの国のほうがはるかに排出量が多いし、しかもどんどん増えている。そうだとすれば、京都議定書は温暖化抑制にほとんど効かない。新聞の報道がそっけないのはそのせいかもしれない。

 しかし、温暖化で地上の平均気温が18世紀半ばごろに比べて摂氏1.5度上がると、多くの生物種が絶滅の危機に追い込まれるという。その時期は2016年との見解もある。それだと、熱が地表にたまっていくことを考えると、2006年、つまり今年中に手を打たないと、間に合わないという。現実的には1.5度の上昇に抑えるのは不可能である。

 そこで、EUは大気中の二酸化炭素の濃度を産業革命以前の2倍の550ppmにとどめ、それによって気温の上昇を2度に抑えるということで、温室効果ガスの毎年の排出量を地球レベルで2050年までに1990年比半減すべきだとの方針を打ち出している。摂氏2度上がると、気候変動が激しくなり、人類も海面水位の上昇、水危機、食糧危機などに直面し、多くの人が死んだり悲惨な状態に陥ると予測されている。しかし、EUのめざすこの対策でも、いまの世界が受け入れるか、きわめて疑問だ。

 このように、現在の科学者の知見によれば、地球人類は、果たして持続可能かの岐路にさしかかっている。それなのに、日本においても、温暖化問題が政治のリーダーの主要な関心事にも入っていないとは‥‥。突発的な気候変動が起こる可能性もあるとして危機感を募らせる山本良一東京大学生産技術研究所教授は、10月20日、国連大学ゼロエミッションフォーラムで講演。日本では環境コミュニケーションが未発達なため、国民が温暖化問題についてきちんとした情報を知らされていないとして、国民が容易にアクセスできる情報プラットフォームづくりを訴えていると語った。

 国民の多数が温暖化問題を正しく認識するようになるのはとても大事なことだ。だが、政治が温暖化問題を無視するのを放置していたら一大事だ。いまの安倍政権にも、与党にも、そして野党にも、地球温暖化問題に真剣に取り組む政治家がいない。それだけに、メディアには同問題を絶えず取り上げて国民および政治家を啓発していく責務があるはずだが‥‥。

 

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2006年10月15日 (日)

東京都内の“子供過疎地域”

 15日(日)の昼過ぎ、東京都世田谷区のはずれにある東北沢駅で降り、昼食をとろうと商店街を歩いたが、開いている店は見当たらず。仕方なく、北沢小学校の近くの和菓子屋で団子を買って空腹をしのいだ。住宅地にある商店街だから、休日には営業するほうがお客が入るのではないかと思ったが、商店街の人たちはどう思っているのだろうか。

 この和菓子屋の年配の女性と話をしていたら、「このあたりは住宅地だが、東京の過疎地だ」という。その意味をたずねたら、「このあたりはほとんど子供がいない」からだとのこと。大きな学校なのに、北沢小学校は1年から6年まですべて1学級しかなく、1年のクラスは30人に満たないそうである。

 データにあたってみると、確かに同小学校は1年から6年まで各1クラスしかない。全校の児童数はたったの174人だ。驚いたことに、世田谷区には同様な公立小学校がほかに2つある。世田谷小学校(児童数152人)と花見堂小学校(同129人)だ。最も児童数が少ない花見堂小は1年が14人、2年が19人しかいない。

 また、これらほど少なくはないが、希望丘小は1~5年は各1クラス、6年だけが2クラスで、全体の児童数は192人。九品仏小も1~5年は各1クラス、6年だけが2クラスで、全体の児童数は207人だ。

 一方、大所帯の小学校は、とデータをみると、松丘が最大で、26クラス、917人。次いで25クラスあるのが山野(893人)、明正(891人)、用賀(863人)の3校。24クラスの桜丘(864人)が続く。

 区の人口データによると、北沢地域の5歳から9歳までのそれぞれの年齢の子供の数は801人から840人の間である。10歳から14歳までのそれぞれの年齢の子供の数だと819人から889人までの間だ。そして0歳から4歳までだと、それぞれの年齢の子供は748人から774人までの間である。北沢地域に関していえば、今後、小学校に上がる子供がいまの小学校児童よりさらに減る可能性が大きいと予想できる。

 ところで、世田谷区の公立小学校児童数は各学年とも5千人前後だが、6年生を除いて、下級生ほど多い。要するにわずかずつだが、年々、区の公立小学校の児童数は増加傾向にある。また、東京都の公立小学校の児童総数は2000年度(52万7122人)を底に増え続け、05年度には54万8944人になった。クラス数も増加している。ただ、小学校数そのものは減っているが。

 このように限られたデータだけから断定的なものの言い方をするわけにはいかないが、私鉄が走り、交通の便に恵まれている東北沢の住宅地を、その地域の住人が「東京の過疎地」と表現するのも当たっている面がある。巨大都市、東京を拡大鏡でじっくり見ると、過密と過疎が同居するなど一色ではないことを示す一例だろう。

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メンバーチェンジした経済財政諮問会議

 総理大臣の諮問機関である経済財政諮問会議が、安倍内閣発足に伴って、新しいメンバーに入れ替わった。太田弘子経済財政担当相は10月13日の初会合後の記者会見で「成長なくして財政再建なしということが確認された」、「成長戦略をテコにして国内の構造改革をしていく」旨を述べていた。

 振り返ると、2001年1月6日に初会合を開いた諮問会議は01年に35回、02年に42回、03年に30回、04年に35回、05年31回、そして今年は13日の会合が22回目である。回数だけでも驚異的だ。01年1月6日の初の会議は森喜朗首相、福田康夫官房長官、額賀福志郎経済財政担当相、片山虎之助総務相、宮沢喜一財務相、平沼赳夫経済産業相、速水優日銀総裁、それに民間有識者の牛尾治朗、奥田碩、本間正明、吉川洋の各氏だった。1月28日の第2回会合で、牛尾氏は「当面の重要課題」、奥田氏は「今後の審議テーマについて」というペーパーを提出した。民間議員が議論を引っ張っていくスタイルはこのときからである。

 額賀経済財政担当相は01年の初会合と第2回に出たあと、麻生太郎氏がポストを引き継いで2月2日の第3回から4月18日の第7回までを担当した。そのあと小泉純一郎内閣の成立に伴う閣僚交代があり、5月18日の第8回から小泉首相が議長を務め、担当大臣に就任した竹中平蔵氏が進行役になった。しかし、竹中大臣はその日の会議の前半で「ブレーンストーミング的な思い切った自由討議」を行ったように、単なる進行役に終わらなかった。

 小泉首相は初めて議長を務めたその日、「最重要課題は経済の建て直し」「構造改革なくして日本の再生と発展はない」「その意味で諮問会議の役割は重要」と述べた。以後、小泉首相は諮問会議の出席を最優先にしてきた。小泉内閣のもとでの諮問会議の開催は187回にのぼる。

 05年11月19日の同年第24回の会議から与謝野馨氏が経済財政担当相になり、竹中氏は総務大臣になった。竹中氏は民間議員とそれまではほぼ一体で会議をリードしていたが、総務相になってからは財政再建に大きく関わる名目成長率と長期金利の将来見通しをめぐって諮問会議で民間議員と激しく意見対立するなど、諮問会議で孤立するようになった。とはいえ、民間議員を別にして、小泉氏が議長を務めたときから、ずっと一緒に会議に出ていた議員は竹中氏ただ一人であった。それだけ小泉首相の信頼が厚かったのである。

 安倍新内閣は経済政策では小泉改革路線を継ぐとみられるが、従来より経済成長にやや傾斜しているようにみえる。太田担当相も新しい民間有識者議員4人も同様だ。竹中総務相は成長重視だったから、国会議員もやめても、竹中氏の影響力が残っているのかもしれない。

 去る10月13日の太田担当相の会見から察するに、太田氏はもっぱら諮問会議の進行係に終始していたようだ。スタートしたばかりの太田氏に酷な注文かもしれないが、役人的にならず、自らの政策構想を明確にして、会議をリードするぐらいになってほしい。小泉氏には郵政改革といった大きな改革への執念みたいなものがあったが、安倍首相には、経済改革についてそうしたものがない。それだけに、既得権益を巧みに残そうとする勢力にしてやられる危険が少なくない。国会議員でないハンディを抱える太田氏の力量が試されている。

 

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2006年10月12日 (木)

つきも実力?安倍総理大臣

 9月26日に発足した安倍内閣。小泉政権の流れを受け継ぐ安倍総理大臣は野党から靖国参拝についてあいまいな姿勢を批判されたが、アジア重視で中国と韓国を訪問し、首脳会談を実現した。中国との間では「戦略的互恵関係」を構築することで合意した。

 中韓訪問の最中に北朝鮮が核実験を行なった。これにより、日中韓三国の関係は北東アジアの平和と安定をめざす協調態勢へと大きく転換する。

 安倍政権に代わってまだ2週間程度だが、中韓訪問や北朝鮮の核実験といったビッグニュースは、安倍政権のすべりだしを順調なものとした。安倍総理大臣に焦点をしぼって言えば、”ついている”の一言に尽きる。

 ただ、核ミサイル保有国たらんと血眼になっている北朝鮮に対して、日本がどのような安全保障対策をとるか。それが日本国内の緊急の政治課題になってくる可能性が大きいから、安倍総理大臣が打ち出す政策に要注目だ。その安全保障政策が日本の将来を大きく左右するだろうから。

 国会の審議でも、安倍氏が総理大臣になる以前の発言をもとに、野党がいろいろ質問した。11日に日本記者クラブで行われた自民党の中川秀直幹事長会見でも、「どうして発言内容が変わったのか」という質問があった。中川氏は「安倍さんと個人的に話していると、(発言内容が)変わったような気がしない」と語った。また、「安倍さんは、政治は結果がすべてだと考えている」といい、現在の総理の発言は「本心だと思う」と語った。

 民主国家では、政治家は言葉がいのちの仕事だと思う。だが、この国では、選挙で掲げた公約を、当選後にほごにする政治家ばかりだった。だから、マニフェストを求める運動が始まった。安倍総理には「結果よければすべてよし」だけでなく、言葉を”しっかりと”大事にしてほしい。

 「歴史が安倍総理をつくったし、安倍総理が歴史をつくっていく」(中川幹事長)のだそうだ。その気概で、安倍総理大臣が「美しい国、日本」に掲げた「新たな国づくりのための政策」を着実に実行していくことを強く望む。

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2006年10月 8日 (日)

ソニーとホンダ

 ソニーとホンダ(本田技研工業)とは戦後生まれの代表的な企業である。歴史を振り返ると、どちらも似たところがある。ソニーは井深大、盛田昭夫の名コンビ、ホンダは本田宗一郎、藤沢武夫の名コンビで、いずれもベンチャー企業としてスタートし、大手メーカーと異なる独自の道を歩んで成長してきた。業界の中で、米国にいち早く生産拠点を設けたのもソニーであり、ホンダであり、両社とも世界に根を張るグローバルな企業になった。

 しかし、近年、ソニーの技術力が落ちたことを示す出来事が起きている。経営も不振続きだ。他方、ホンダはトヨタの蔭に隠れているため、さほど目立たないが、売り上げ、利益とも着実に伸びている。ソニーとホンダとは明らかに差がついた。ソニーはどうしておかしくなったのか。

 最大の理由は、出井伸之社長そしてCEO時代に脱ものづくりを目指したことではないか。中国などの追い上げで、電気製品のメーカーではもうからないと見た出井社長は、ソフト化をめざし、メーカー意識にどっぷりつかっていた技術屋の意識を変えることに力を注いだ。また、いくつかの工場を別会社に分離して生産受託会社に切り替えた。藤本隆宏東大教授のいう組み合わせ型か擦り合わせ型かの分け方でいえば、ソニーは組み合わせ型に属する生産形態だから、出井氏の経営方針は一概に間違いだったとは言えない。ちなみに、ホンダのつくる自動車は擦り合わせ型の製品である。

 しかし、ソニーは根っからのものづくり企業であり、出井氏の脱メーカー的な発想は多くの社員になかなか受け入れられなかった。また、ゲーム機などが売れたが、それがエレクトロニクス製品にとってかわり、ソニーの屋台骨を支えるところまではいかなかった。出井社長・CEO時代、技術屋はすっかりやる気を失った。液晶テレビが急速に普及し出した頃、ソニーはフラット型テレビに集中していて、液晶テレビへの移行が立ち遅れたが、それも、新しいものを開発するのに夢中になるはずの技術屋が元気をなくしていたからにほかならない。

 そして、出井会長兼CEOが後任に外国人のストリンガー氏を指名したのも、ソニー全体にとって大きな誤りだった。経営はそれ自体が専門的なスキルであり、どこの企業に行っても通用するといわれる。しかし、日本の会社であり、日本に開発および生産の拠点があるのに、トップは日本語ができず、日本の社員と全くコミュニケーションができない。それでうまく経営ができるはずがないのではないか。

 ソニーは日本の会社である。しかし、いまのソニーは会長・CEOが外国人で、重要な意思決定はストリンガー氏と彼の側近の米国人幹部によって行われている。日本の事情やエレクトロニクス部門に疎い彼らが会社全体の意思決定をしているのである。中鉢社長・COOは実体はエレクトロニクス部門の総責任者にすぎない。これでは、技術開発・生産を担うソニーの技術屋に元気がないのも当然だ。

 振り返れば、後任の社長に出井氏を選んだ大賀典雄氏は、もともとは別の人を後継者にし、自らは会長になろうとした。大賀氏が、会長だった盛田氏に名誉会長に就任してほしいと申し出たのに対し、盛田氏は自らが経団連会長になるつもりだったので、ソニーの会長にとどまると言い、大賀氏に副会長になるようにと言った。しかし、それに不満だった大賀氏は社長交代をやめて留任した。そして後任社長に予定していた副社長を系列会社の社長に出した。そして間もなく盛田氏が病に倒れた。それから何年かして、大賀氏が後任に選んだのが出井氏だった。社内では「成功体験のない人」として社長就任に反対する経営幹部がいたことも事実である。

 こうして振り返ると、盛田氏が会長を続けようとし、鼻っ柱の強い大賀氏がそれに反発したという経緯が、その後のソニーの運命を大きく左右したということもできる。

 ソニーとホンダとで大きく違う点の一つは、ソニーが経営のアメリカナイズを追求したことである。ソニーは米国の経営組織、会計、資金調達などで米国を真似してきた。したがって、その延長線でいえば、経営トップの座に外国人が座るのもおかしくない。ソニーを日本の企業だと受け止める私たちの認識のほうがおかしいのかもしれない。しかし、いまの経営からは、ホンダのような活力、創造性を感じないのは確かだ。

 ホンダもかつて一時、経営が不振に陥ったことがある。しかし、ソニーと違って超ワンマンを許さない社風だから、経営者の交代などで危機を突破した。新しいものに挑戦する企業風土をいまなお大切にしている。案外、そのあたりがソニーとホンダの差違の根源か。

 

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2006年10月 4日 (水)

映画「めぐみーー引き裂かれた家族の30年ーー」を見て

 横田めぐみさんは13歳のときの1977年11月15日に北朝鮮の工作員に拉致された。当時は姿を消した理由もわからなかったが、のちに北朝鮮に拉致された疑いが強いことがわかった。両親および弟たちはめぐみさんが生きていることを信じ、取り戻そうと今日まで懸命にたたかってきた。その30年近い歳月を描いたアメリカ映画「めぐみーー引き裂かれた家族の30年ーー」(原題は「Abduction The Megumi Yokota Story」)を見た。

 かくも親の子供に対する愛は深いものかと感動した。最近は、若い親による幼児虐待・死亡事件が多いが、この映画で、愛の偉大さを若い世代に感じ取ってもらいたい。

 横田夫妻が北朝鮮による拉致ではないか、と思い始めたきっかけは、知人が持ってきてくれた1980年1月7日の産経新聞の一面トップ記事を読んだことである。記事は、日本海側でアベック失踪事件が頻発しているが、それは外国諜報機関の関与の疑いがある、という内容で、北朝鮮による犯行であることを示唆していた。当時、日本の新聞は北朝鮮に不利な記事を掲載すると、朝鮮総連などから、猛烈な抗議や圧力を受けることがあったりするので、そうした報道には及び腰のきらいがあった。そうした中で、産経新聞が拉致疑惑を報じた勇気に敬服する。もしも、この報道がなかったとしたら、今日まで拉致なるものは存在していないままだったかもしれない。そして、横田夫妻もとうにあきらめていたのではなかろうか。

 横田夫妻はじめ多くの拉致被害者の家族は、政府および与野党に、拉致された家族を救出してほしいと長年、訴えてきた。しかし、外務省はほとんど門前払いを続けてきた。北朝鮮と親密な社会党なども、北朝鮮がそんなことをするはずがないとけんもほろろ。自民党の北朝鮮友好議員も同様に被害者家族を相手にしなかった。

 だから、2000年頃までの被害者家族の活動は孤立無援の状態に近かった。映画を見ても、それがわかる。街頭で署名やカンパを求めても、ほとんど無視されていた。その頃の横田早紀江さんの顔つきは実にきびしいものがある。悲愴というほか形容しようがないほどだ。

 小泉首相(当時)の北朝鮮訪問まで、日本の主要新聞はこの問題をまともに取り上げることはほとんどなかった。政府やメディアの内部では、以前から拉致問題に対して「たかが十人か二十人のことだ。日本が朝鮮を支配していた時代に殺したり、日本に無理矢理連れてきたりした人数に比べたら、ものの数ではない。拉致問題が解決しない限り、国交正常化しない、というのはおかしい。」という声があった。「いま人権というが、植民地支配下の朝鮮人の人権無視のほうがよっぽどひどかった」とも言っていた。表立っては誰も口にしなかったが、政府やメディアが拉致問題に真っ向から取り組まないできた背景にそうした発想があったことは指摘しておく必要がある。

 この映画が日本人の手によってつくられたのではなく、米国人によってつくられたということは何かを暗示しているようにも思える。拉致問題を機に、私たち日本人の、人権に対する考えかたが民主主義国家といわれる欧米と同様の普遍的なものか、皆でよく考えていかなければならない。

 

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2006年10月 3日 (火)

国会や官庁街に”借金時計”設置を

 失業率は十数パーセント、経済成長はゼロに近い、毎年の財政赤字のGDPに対する比率は3%を何年も超えている、etc.ーーひどい経済状態が続いているドイツ。熊谷徹著『ドイツ病に学べ』(2006年8月刊)は、短い労働時間、高すぎる給料、強い労働組合、手厚い社会保障制度などと、それと裏腹になっている税金と労働コストの高さとが、ドイツ産業の国際競争力を低下させたと指摘している。

 日本ほど国・地方の借金残高は多くはないが、ドイツは経済成長できない慢性病にかかっているため、財政赤字が累積している。同書によると、2004年末で、連邦政府と州政府の公共債務は1兆4150億ユーロ(約210兆円)に達している。このままだと、国民1人あたりの公共債務が20年後には6.2倍の8万9600ユーロ(1345万円)に達するという悲観的な予測もあるそうだ。

 こうした公共債務の額を表す電光掲示板が「全ドイツ納税者連盟」ベルリン事務所の正面にある。その数字はものすごいスピードで増えているという。

 ところで、日本にも似たものがある。東京タワーの4階の「感どうする経済館」にある「日本経済の足音時計」だ。内閣府が昨年設けたもので、ここに表示されているのは日本のGDPの数字と日本(政府)の借金残高である。借金残高は700兆円台で、ドイツよりずっと大きい。本当は、地方自治体が抱える借金などを足すと1000兆円台に乗るはずだが、過小に表示する粉飾?を施しているのだ。(ネットには政府とは関係がない「リアルタイム財政赤字カウンタ」などがある。)

 ドイツでは納税者が財政赤字の増大に危機感を覚えて電光掲示板を設置し、街を通る人々に”大変だ”と訴えている。納税者が政府を監視し、税金を適正に使い、増税をしないようにと要求するのは至極当然だ。ところが、日本では、政府が東京タワーに来た国民に財政危機を訴えている。巨額の財政赤字を招いた張本人である政府が自分の責任を棚に上げて、納税者に”大変だ”と訴えているのである。

 これはどこか変だ。日本では、肝心の納税者である国民は、財政危機に対して何のアクション(行動)も起こしていない。政府が、ドイツのように納税者が立ち上がるのを期待しているとは考えられない。おそらくは、お上(政府)に税金をとられるとしか思わない日本人の特質を踏まえて、近い将来、増税もやむなしと思わせるほうに誘導する高等戦術を展開しているのだろう。

 安倍内閣の所信表明演説を受けて、国会では、消費税をめぐる質疑が盛んだ。しかし、財政再建にどう取り組むか具体的な構想、手順を与野党が示し合う建設的な論議はさっぱりみられない。もっと真剣に財政改革に取り組んでもらうために、衆議院および参議院の玄関前に「足音時計」つまり”借金時計”を設置することを提案する。縦割り行政を改めず、予算を沢山欲しがる霞が関の官庁街にも設置するよう内閣府に要求したい。本来は、財政改革推進国民連合のような民間組織があれば、そこが”借金時計”を設置して回るのがいいのだが‥。

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