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2006年10月15日 (日)

メンバーチェンジした経済財政諮問会議

 総理大臣の諮問機関である経済財政諮問会議が、安倍内閣発足に伴って、新しいメンバーに入れ替わった。太田弘子経済財政担当相は10月13日の初会合後の記者会見で「成長なくして財政再建なしということが確認された」、「成長戦略をテコにして国内の構造改革をしていく」旨を述べていた。

 振り返ると、2001年1月6日に初会合を開いた諮問会議は01年に35回、02年に42回、03年に30回、04年に35回、05年31回、そして今年は13日の会合が22回目である。回数だけでも驚異的だ。01年1月6日の初の会議は森喜朗首相、福田康夫官房長官、額賀福志郎経済財政担当相、片山虎之助総務相、宮沢喜一財務相、平沼赳夫経済産業相、速水優日銀総裁、それに民間有識者の牛尾治朗、奥田碩、本間正明、吉川洋の各氏だった。1月28日の第2回会合で、牛尾氏は「当面の重要課題」、奥田氏は「今後の審議テーマについて」というペーパーを提出した。民間議員が議論を引っ張っていくスタイルはこのときからである。

 額賀経済財政担当相は01年の初会合と第2回に出たあと、麻生太郎氏がポストを引き継いで2月2日の第3回から4月18日の第7回までを担当した。そのあと小泉純一郎内閣の成立に伴う閣僚交代があり、5月18日の第8回から小泉首相が議長を務め、担当大臣に就任した竹中平蔵氏が進行役になった。しかし、竹中大臣はその日の会議の前半で「ブレーンストーミング的な思い切った自由討議」を行ったように、単なる進行役に終わらなかった。

 小泉首相は初めて議長を務めたその日、「最重要課題は経済の建て直し」「構造改革なくして日本の再生と発展はない」「その意味で諮問会議の役割は重要」と述べた。以後、小泉首相は諮問会議の出席を最優先にしてきた。小泉内閣のもとでの諮問会議の開催は187回にのぼる。

 05年11月19日の同年第24回の会議から与謝野馨氏が経済財政担当相になり、竹中氏は総務大臣になった。竹中氏は民間議員とそれまではほぼ一体で会議をリードしていたが、総務相になってからは財政再建に大きく関わる名目成長率と長期金利の将来見通しをめぐって諮問会議で民間議員と激しく意見対立するなど、諮問会議で孤立するようになった。とはいえ、民間議員を別にして、小泉氏が議長を務めたときから、ずっと一緒に会議に出ていた議員は竹中氏ただ一人であった。それだけ小泉首相の信頼が厚かったのである。

 安倍新内閣は経済政策では小泉改革路線を継ぐとみられるが、従来より経済成長にやや傾斜しているようにみえる。太田担当相も新しい民間有識者議員4人も同様だ。竹中総務相は成長重視だったから、国会議員もやめても、竹中氏の影響力が残っているのかもしれない。

 去る10月13日の太田担当相の会見から察するに、太田氏はもっぱら諮問会議の進行係に終始していたようだ。スタートしたばかりの太田氏に酷な注文かもしれないが、役人的にならず、自らの政策構想を明確にして、会議をリードするぐらいになってほしい。小泉氏には郵政改革といった大きな改革への執念みたいなものがあったが、安倍首相には、経済改革についてそうしたものがない。それだけに、既得権益を巧みに残そうとする勢力にしてやられる危険が少なくない。国会議員でないハンディを抱える太田氏の力量が試されている。

 

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