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2006年12月31日 (日)

財政再建に向けて一歩前進した年

 日本経済はことしも着実に回復の道を歩んだ。財政再建についても一歩前進した。不満もあるが‥‥。小泉政権の評価はさまざまだが、経済財政諮問会議をフルに活用した小泉政治が財政改革の流れをつくったことは確かだ。

 小泉首相のあとを継いだ安倍首相は、成長政策に力点を置きながら、財政再建を進めようという考えのようだ。しかし、道路特定財源の一般財源化に激しく抵抗され、見かけだけの改革にとどまったように、確固たる信念のもとに与党を引っ張るほどの力量はなさそうにみられている。

 これまでは、安倍首相が口にしたことが与党の反対でつぶれたということで、安倍首相の支持率が落ちただけでなく、与党の支持率も下がった。だが、こうしたことが繰り返されると、与党も評判が落ちる。安倍首相をクビにしない限り、与党自体が危なくなるのである。逆張り的な発想だが、安倍首相が自分の考えを言う姿勢を続ければ、小泉首相のときと同じように、与党もついていかざるをえないということもありうるのではないか。

 まだ、安倍内閣が誕生して日は浅い。税収増に助けられたという財政再建策にとどまることなく、願わくは、安倍チームを活性化して、国の将来に明るい希望が持てるような政策を提示し、実現されんことを。

 テレビ報道で、夕張市の財政破綻について、住民の一人が「私たちは何もしていないのに、どうしてこんな目にあうのか」と不満を言っていた。国の財政は夕張市以上にひどい状態だが、もし、いま国の財政が破綻したら、やはり国民の中から、「私たちは何もしていないのに、どうしてこんな目にあうのか」と同様な不満が出るのではないか。

  しかし、夕張市の市民は選挙で市長や市議会議員を選んだことで、自らの政治的意思を表明していたのである。私たちも、国政選挙で、自らの意思を表明する。その際、白紙委任するというのではなく、立候補者、政党がどんな政策を実行したいのかを具体的に列記したマニフェストをもとに判断したい。マニフェストを出さない党や立候補者には、有権者がそれぞれの立場からのマニフェストを突きつけて是か非かをはっきり表明してもらうよう迫る必要があるだろう。

 財政改革をどのように進めるべきかーー政府、政党、そして私たちにとって、とてつもなく大きいこの課題への取り組みを07年もウォッチしていきたい。

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2006年12月30日 (土)

私の履歴書「渡邊恒雄」の読み方

 日本経済新聞の12月1日から31日まで連載の「私の履歴書」は、読売新聞グループ本社の代表取締役会長・主筆の渡邊恒雄氏が書いている。「私の履歴書」は主として企業経営者、文化人、政治家などの功なり名とげた人が登場するが、日経新聞と同業の他紙のトップに書かせるのは異例である。

 早く父親を亡くしたあと、ひたすら一流校めざし勉強したこと、開成中学や東京高校で軍国主義に反発したこと、東京大学に入って学生運動にのめりこんだこと、そして読売に入社してまもなく、潜入ルポを書くため奥多摩に行き、危うく殺されるところだったこと等々、連載の半ば過ぎまでは、毎朝、続きが読みたいと思うほど面白かった。大野伴睦の番記者になってからの話も興味深かった。

 しかし、石川達三著『金環食』に出てくる渡邊氏とおぼしき人物は、新聞記者というよりは政治家の代貸しのようだった記憶がある。「私の履歴書」は綺麗事に終始しているのではないかと疑問を感じた。そこで、たまたま図書館で目にした魚住昭著『渡邊恒雄 メディアと権力』(2000年6月、講談社)を読んでみた。

 すぐれたジャーナリストの魚住によると、渡邊氏はジャーナリストでありながら、与党政治家に食い込んで自ら政治を動かそうとしてきた。他方、読売の社内では、激しい権力抗争を勝ち抜くため、その時々の最高経営責任者に食い込んだ。政治家との密接な関係を社業にも生かすことで、紆余曲折を経ながら社内での地歩を築いていった。そのすさまじい権勢欲とあふれんばかりのエネルギーには驚嘆する。

 正力松太郎を支え、正力亡きあと、権勢を振るった務台光雄は、90歳を過ぎても取締役名誉会長として会社の全権を握っていた。同書を読むと、文化大革命を起こして後継者を次々に追い落とした毛沢東を連想するが、渡邊氏はいまやその務台と同じ道を歩んでいるように思える。務台は紙面に口を挟まなかったが、渡邊氏は主筆として、記事の内容、視点が彼の考えに合わなければ、書き直させるし、反発する者には容赦しない。人事に反映させる。だから、社内に言論の自由はないという。

 魚住は、「ジャーナリズム本来の役割は、国家権力の暴走をチェックし、庶民の自由と権利を守ることである」という。だが、「かつて誰よりも自由を愛した哲学青年」であった渡邊氏はいまでは「国家の論理をふりかざして記者たちの言論の自由を脅かす巨大な権力者に変身し」、「「国家と対峙する新聞」から「国家と一体化する新聞」へとジャーナリズムの理念そのものまで変えようとしている。」(377p)という。

 同書のあとがきはこう書いている。「このままいけば、戦後の憲法が掲げた自由・平等・絶対平和の理念はやがて跡形もなく消えてしまうにちがいない。そうした風潮をつくりだすうえで渡邊氏が果たした役割は限りなく大きい。私は氏の取材を通じて戦後民主主義が崩壊してゆくさまを目の当たりにしたような気がする。」と。

 同書を読み終えて浮かぶ疑問は、「日本経済新聞はなぜ渡邊氏に「私の履歴書」を書かせたのか」である。市場経済と民主主義を基盤とする日経の伝統を裏切ることになりかねないのに‥。 

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2006年12月26日 (火)

新「会社法」への疑問

 会社法を大学で講義している教授からいただいたクリスマス・カードに「新会社法はいかがなものか、教えながら疑問が生じます」と記してある。

 ことし5月に施行された会社法。商法から独立した法律となっただけでなく、機関設計、資金調達、組織再編などで内容が大きく変わった。政省令にゆだねた部分が多く、全体を把握し、理解することは専門家でも難しいといわれる。

 この新しい会社法で、私が一番、疑問を感じるのは、最低資本金制度を廃止し、設立時の資本金はゼロ円でもよいことにした点だ。法改正は起業しやすくするためだというが、資本金の持つ債権者保護の観点を不要としていいのか。

 この問題をどう考えるかについて、奥村宏著『株式会社に社会的責任はあるか』(2006年6月刊、岩波書店)はとても参考になる。

 近代的な株式会社制度が確立する法律が制定される過程での「(ジョン・スチュワート)ミルの主張は、資本金が実際に払い込まれ、その後もそれが維持されていること、そしてこのことが誰の目にも見えるような状態にしておくこと、この二つを条件として全社員有限責任の株式会社を認めてもよいのではないかというものである。」(42~43p)、「いずれにせよ、資本は充実しており、資本額を超えた債務をもつべきではないというのが株式会社を認める前提であった。」(43p)

 「株式会社が全株主有限責任であるためには資本金が担保になるということであり、従って資本金を上回る借入金をするということはそもそも株式会社の原理に反することである。」(174p)

 かつて法務省で会社法の立法作業にたずさわった稲葉威雄氏が著した『会社法の基本を問う』(2006年9月刊、中央経済社)は、新「会社法」を「極めて欠陥が多い立法」だとして問題点をえぐっている。その中で、「相当の資本の提供なしで(その場合には、会社の資金は債権者からの信用供与に依存せざるをえない)、株主有限責任の会社による創業を認めるのは、債権者との利益衡量でいえば、掛金なしでの賭博を認めるようなものともいえる。」(93p)

 そして、「会社はだれのものか、という議論からすれば、株主が自己の財産をほとんど拠出していない株式会社で、その支配権を大威張りで主張できるかどうかは、きわめて疑問である。」(94p)と述べている。

 こうした有限責任の株式会社の基本に関わる資本(金)のありかたについての議論が、法改正の作業の過程でどれだけ行われたのか。改めて知りたいところだ。

 ところで、『株式会社に社会的責任はあるか』は社会的責任の観点で多くの示唆を与えてくれた。

 個人なら、違法行為で刑罰をくらうし、刑務所に入ることがある。しかし、日本では「法人である会社には刑事上の責任はないということになっている。」(96p)。法人はどんなに悪いことをしても、法人そのものが刑務所に服役することはないのである。また、自分のカネをもとに行う個人事業は慎重に考慮して行うが、法人の株式会社では経営者は自分個人のカネを使うわけではないから会社のカネの使い方について慎重な顧慮が欠ける。

 したがって、「法人、とりわけ営利法人としての株式会社は利益追求のための組織だから、罰金刑と利益額とを比較計算して行動するのが合理的である。」(115p)

 しかし、経営者は善管注意義務と忠実義務に違反しない限り、法人の違法行為に対する責任を問われない。「日本は取締役や監査役が訴訟を起されるケースが少なく、またその刑罰も非常に軽い。まさに日本は「経営者天国」である。」(142p)。

 とはいえ、「会社が何かを決定するという場合は、会社の代表者である自然人=個人が決定している。」、「したがって会社が犯した犯罪についても経営者が責任をとるべきではないか。」(122p)という。

 最近の企業の不祥事を私たちがどう考えるか、に対して本書はとても参考になる。

 

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2006年12月23日 (土)

“豪華な官舎”で考えたこと

 大阪大学の本間正明教授が「東京・渋谷の一等地に立つ豪華な官舎に、家族ではない女性と暮らしていた疑惑が世論の厳しい批判を招いた」(朝日新聞12月22日付け)として政府税制調査会会長を辞任した。週刊誌の写真付き報道が火をつけ、辞任したあとも、任命者の責任を問う声がある。

 こうしたスキャンダルがメディアは大好きだ。叩かれる本人が抗弁しないと思われるだけに、メディアは安心して批判しているようにみえなくもない。取り上げる内容、切り口は似たりよったり。そして、「人の噂も‥‥」ではないが、じきに潮が引くように一斉にほかの話題等に移っていく。

 しかし、この本間氏に関する報道から、私が感じたり、考えたりしたことをいくつか挙げるとーー

1.「豪華な官舎」とあるが、どういう点が豪華なのか。96㎡というと、広いほうだが、それだけで豪華と言えるのか。あるいは駅から近いことを指すのか。周辺の賃貸物件なら月々の家賃が50万円ぐらいするということで豪華なのか。日本は「住」生活が貧困であり、その充実が大きな課題(政府はさっぱり力を入れないが‥)だとされているが、朝日新聞の社説がこの程度の集合住宅を「豪華」と評するようでは、庶民の住生活の向上はとても望めない。それとも、官舎は狭くていいなどという先入観から「豪華な官舎」と表現したのだろうか。

2.本間氏の借りていた官舎の家賃は7万7千円だそうだ。周辺の市価に比べて極端に低い。どうして、そんなに安いのかを知りたい。おそらく原価主義で計算したものだろうが。そうした国有財産を売れば、財政赤字も減るはずだから、売却したほうがいい(本間氏はそういう意見だった)。さもなければ、住人である官僚に、市価に近い家賃で貸すのが筋だろう。あるいは、市価と家賃の差額(フリンジベネフィット)を収入に上乗せして所得課税するのもいいかもしれない。

 仕事の都合上、どうしても職場(霞が関?)に近いところに住まなければならない公務員もいる。そういう人に対して、上記のような重い負担を課すのは適切ではない。では東京・渋谷の一等地にある官舎(約170戸あるそうだ)に住む国家公務員は、皆が皆、職場に近いところにどうしても住まなければならない理由がある人ばかりなのか。そこを知りたい。メディアよ、本間氏辞任で一件落着にしないでほしい。

3.遠方の大学から東京にしょっちゅう出張する教員はホテルを利用する(大学がホテルを確保する例もある)、実家に泊まる、マンションを借りるなどで苦労が多い。そうした実態をメディアは調査し、報道してほしい。首都の東京にあまりにも権力が集中していることによる弊害が浮き彫りになってくるかもしれない。

4.世間には、好きな人ができて離婚するケースがざらにある。別居しても離婚を受け入れられないまま、別の人と一緒に暮らすケースもある。また、不倫という言葉が週刊誌などに氾濫しているし、少年少女のセックス体験者は多いという。そういう世情を前提におくと、本間氏の行為はそう突飛なものではないように思える。にもかかわらず、本間氏は集中砲火を浴びた。それは単に「不徳のいたすところ」なのか、それとも、もっと複雑な要因がからんでいるのか、知りたいところだ。

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2006年12月20日 (水)

気候変動に関するスターン報告

 英国政府の依頼でニコラス・スターン博士らがことし10月にまとめた「STERN REVIEW:The Economics of Climate Change」は、世界が、人類が、確固たる地球温暖化対策に早期に取り組む必要があることを求めた。

 このまま二酸化炭素など温室効果ガスの排出を続けたら、2035年には大気圏内の温室効果ガスの濃度は産業革命以前の2倍となり、世界の平均気温は2度以上上がると予想される。長期的には、5度以上上がる可能性が50%強に達する。スターン報告はそう言っているが、気温が5度以上も上がったら、人類は破滅に近い状態に陥るだろう。

 報告によると、温室効果ガスの濃度は二酸化炭素換算で現在430ppm。毎年2ppm強増えている。これを450~550ppmにとどめるなら、気候変動による最悪の影響はかなり減らせるという。そのためには、現在の排出量を少なくとも25%、おそらくはそれ以上減らす必要があるとしている。

 いますぐにそうした強力な排出削減策を講じれば、そのコストは世界の毎年のGDPの1%程度ですむ。さもなければ、気候変動によるリスクとコストの総額は現在および将来の世界GDPの少なくとも5%にあたる。より広範囲のリスクや影響を含めれば、GDPの20%もしくはそれ以上の損失をこうむる可能性があるという。〔「20%以上」というのが最大何%なのか。2つの大戦および20世紀前半の世界恐慌に匹敵するとしか、言及していない〕

 これから10~20年間の排出削減への取り組みいかんが今世紀および来世紀の気候を大きく左右する。ひとたび深刻な気候変動が始まったら、それをとめることは非常に困難もしくは不可能である。

 したがって、報告が指摘するように、国際社会は、長期目標に向けての共通のビジョンと、今後10年間の対応策を促すための枠組みとに対する合意を形成しなければならない。

 現在の世界は経済の発展、豊かな生活、大量の資源エネルギー消費を当然視している。しかし、地球温暖化による気候変動の影響はあちこちに現れてきている。そうした中で、スターン報告を素直に読めば、資源エネルギーを大量に消費する国々(先進国や経済発展のめざましい途上国)は経済や暮らしのありようを大きく転換しなければいけない。

 日本でも、もっとスターン報告を真剣に受け止める必要があるが、どうしたことか、その気配がない。依然、京都議定書の6%削減義務を達成することにしか目が行っていない。

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2006年12月16日 (土)

「天下り」のひどさに唖然

 “天の声”という言葉を聞いたり読んだりするたびに不愉快になる。それと似ているのが“天下り”なる言葉だ。官尊民卑を露骨に示している表現で、過去何十年もの間に、多くの不快な事例を見聞きしてきた。以下の例は最近、知った。

 理事長はじめ幹部に霞が関のある省から天下りがきている某公益法人。活動が鈍くなったからか、数年前から、会員が減り、役所からの特命的な委託事業も少なくなった。超低金利状態が長いので、基金の利息も雀の涙だ。このままでは赤字が膨らむばかりで、何の展望もない状態である。

 ところが、何ヵ所かの天下り先を経ていまの天下りポストに就いた理事長は70歳代で、気力も仕事をやる気もない。まして、この公益法人の経営を建て直すなんてことは頭の片隅にもなさそうだ。

 しばらく前の理事長のとき、収入が減る一方で財政が火の車となったので、正規の職員を半分に減らした。それも、収入の多いほうからやめるよう理事長が求めたのである。やめずに残った職員は年収が2割カットされた。その結果、職場は正規の職員よりも、契約職員、派遣職員、会員会社からの出向者が圧倒的に多い。職場のモラールは落ちているという。

 前任のその理事長はやめるとき、5千万円余の退職金をもらっていった。職員を解雇や給与カットしても、自分は年収も、退職金も全くカットしなかったようだ。

 そして、いまの理事長も、年収が約2千万円。朝、出勤してきて、夕方帰るまで、ほとんど仕事らしい仕事もしない毎日だ。人数も少なくなった正規職員は将来への不安から落ち着かない。どこかいい転職先があれば移っていくだろう。

 ところで、なんとも不可解なのは、古巣の某省が世話してくれる限り、天下りのおいしいポストに平然と座っていられる彼らの神経だ。収入は仕事に見合うものだという常識が欠けている。また、世話をする役所の現役の人たちも、百年一日のごとく、天下りポストを確保し、埋めることに専念しているようにみえる。

 実力があれば、単純な天下りとは受け取られない。現役の霞が関の皆さん、一律に七十歳代の半ばまでOBに高所得の就職先を世話するのはいい加減にやめよう。 

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2006年12月15日 (金)

エコプロダクツ展を見る

 東京ビッグサイトで開催中のエコプロダクツ展を初日に見に行った。毎年、見ているが、ことしは出展者がさらに増えている。初日の印象では、入場者も少し多い。学校の生徒たちも来ていたが、サラリーマン風の男性が圧倒的多数。

 会社・業界団体以外の出展者がかなりの数にのぼる。政府、独立行政法人など政府系機関、地方自治体、NGO、大学などだ。NGOは年々増えている。エコプロダクツという言葉の通り、環境に配慮した生産物を製造・販売している組織の出展だけでなく、環境保全に関わる何らかの活動をしている組織の出展が多くなっている。

 会社の展示は、総花的に環境に関わる製品、技術や活動をずらっと見せるタイプが減っている。また、人々の目を引いたり、遊びを取り入れたりするパフォーマンスが一部を除いて少ない。トヨタ自動車の展示が象徴しているように、小間も小さく、展示物も限られた特定のものだけ、という会社が目に付いた。

 環境に関わるビジネス、システム、技術などで目新しいものは過去1年、少なかった。それだけ、環境保全活動が地についたものになったのかもしれないが、展示も目を引くものが少なく、ちょっと物足りない思いがした。

 会場では、アンケート(といっても、展示内容に関するクイズ付き)に答えたら、ちょっとしたプレゼントをくれるという会社などが多い。このため、見て回る先々でアンケートに答えるよう求められる。けっこう、それを断るのがわずらわしい。

 会社について言えることだが、全体に、平板、カネをかけないような展示になっている。工夫もあまりみられない。その分、お祭り的な要素が乏しいので、生徒たちや一般市民には以前よりはつまらなくなっているのではないか。

 毎年、行っていると、かつては常連だった会社が出展していないのに気が付く。経営が悪化して、出展の費用に見合う効果があるか、社内で問われた結果だろうか。一方で、小さな小間で、目に付くようなものもなく、誰も立ち寄らないところが沢山ある。何のため、出展したのか疑いたくもなる。

 多くの展示小間には説明にあたる社員などがいる。訪れる人に積極的に話しかける説明員もいるけれだ、大抵は手持ち無沙汰である。そこで、彼らに展示内容や、会社の活動などについて質問すると、親切に答えてくれる。いくつもの小間でそんなふうに話をしていると、興味深い事実などをいろいろ聞くことができ、とても勉強になった。

 例えば、霞が関で建設中の政府の高層ビルの屋上に、4つの翼が横にクルクル回るタイプの中型風力発電機を5基設置するという。それも時速90kmの風に耐えられるようにチタン製の翼だとのこと。

 16日(土)まで開催されているので、エコプロダクツ展を見に行ける方は是非、どうぞ。

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2006年12月13日 (水)

“夜回り先生”が語る子供の苦しみ

 “夜回り先生”水谷修氏の講演を聞いた。新聞記者の夜回りは昔からある。だが、夜、眠らない少年少女たちが夜の世界や、非行、薬物などで不幸になっていく、あるいはリストカットなどで苦しんでいるのに対して、救いの手を差し伸べてきた水谷氏の“夜回り”話は聞く者の心を揺さぶる。私なりに聞いた話のポイントをまとめると、以下の通りである。

 夜、家に帰らず朝まで街で起きている子供たちを救おうと、彼らに声をかけ、悩みの相談相手になり、トラブルの解決を手助けしてきた。その過程で、薬物の問題については、ライフワークと思って取り組んだ。薬物だけは、やるとやめられなくなる(依存症)し、脳や神経系をやられるからだ。15年間取り組んだので、薬物には日本一くわしくなった。薬物の流入をとめるのは難しい。国民は薬物にもっと危機感を持ってほしい。

 6年前、リストカットの女子高生から相談を受け、これについても勉強し、取り組んだ。リストカットはさまざまな自傷行為の一つだが、リストカットをやっている10代、20代の若者たちは、同世代の7%ぐらいいるだろう。その原因は、彼らの自己肯定観が低いことがある。言い換えれば、自分はだめな人間だと思い込んでいるのだ。

 その背景には、社会がものすごく攻撃的になっていることがある。バブル崩壊後、イライラが大人にたまっている。父親は職場でストレスがたまる。それがもとで妻にあたる(ドメスティック・バイオレンスになることもある)。母親は子供にあたる。また、子供は学校で叱られる。中高校生の7割は学校でほめられるよりも叱られるほうが多いと答える。子供たちの人権が一番侵害されているのは家庭と学校だ。

 いま、子供たちが苦しむ姿は4つのタイプに分けられる。第一は、夜の世界に入る。ただし、このタイプは減っている。暴走族はほとんどなくなった。第二は、いじめ。これは増えている。いじめる側の子供たちにとって、いじめはたまっているものを吐き出すガス抜きになっている。第三は、不登校。やさしい性格の子供は逃げて学校に行かなくなる。さらには、引きこもる。第四は、まじめで登校はしているものの、夜、眠れない。そこでメールなどで見えない相手に救いを求める。それでだまされたりする。

 皆さん、近所の学校に行って、生徒の顔をみて握手してご覧なさい。皆さんの目を見て握手できる子供は少ない。それに、彼らは手の力がなくなっていて、手が丸くなっている。ペットボトルを片手でつかめず、両手で抱えて飲む。

 政府は家庭を軸に再生しようとしているが、家庭がひどければ、子供を救えない。街全体で救うようにしたい。そこで、子供たちが集まれるところをつくってもらおうと青年会議所やお寺、教会にお願いしている。2年で1800ヵ所用意できるのではないか。

 子供たちは大人による犠牲者だ。私は子供たちを叱ったことはない。私はほめる。試験でいかに満点をとらせるかに懸命になる。ほめられたことがない子供がほめられたとき、どんなに喜ぶことか。学校の先生には、とにかくいいところを見てほめてあげて、と言っている。

 教師の7~8割は土日もなく、夜8時や9時まで働いている。いまの問題は教員にゆとりがないことだ。教員にゆとりをもたせよ、それさえやれば、日本の教育には何の問題もない。

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2006年12月 8日 (金)

「道路」となると道理が引っ込む

 「道路特定財源の問題については、国民のためになるという視点からの改革が重要である。高齢化が進んでいく中で、限られた財源を有効に使っていくことが重要であり、将来への負担について常に考えなければならない。道路特定財源は決して聖域ではない」、「基本的には一般財源化を進めていく、その中では、揮発油税を含めて道路特定財源を見直しの対象にしなければいけない。我々はまさに国民の視点に立ってこの改革を進めていかなければならない」。安倍首相は11月30日の経済財政諮問会議の席上、そう語った。この発言で、けっこう期待したのだが‥‥。

 現実には、自民党内の道路族などが猛反発。その結果は、暫定税率を維持する一方、形式上、一般財源化(?)し、税収は道路整備の中期計画や高速道路料金の引き下げなどに優先して予算をつけ、もしも残ったら一般財源として使うというものになったようだ。事実上、特定財源を継続する形になる。常識的にみて、中期計画はあちこちの要望をどんどん受け入れて大きく膨らんだものになるだろう。今後、財政状況が悪化しようとも、道路整備予算だけは聖域であり続けることとなる。とんでもないことだ。

 鳴り物入りで始まった道路公団などの改革が、ほとんど道路建設の抑制には役立たないもので終わったのと同様の結末である。安倍首相の指導力のなさを見抜いて、もともとの体質である自民党の利権政治が復活してきたと言えよう。

 本来、政治家が基本として踏まえるべきは、国・地方とも巨額の債務を抱えており、かつ毎年度、大規模な借金をして予算を組んでいるということだ。だから、歳出をもっともっと切り詰めなければならない。道路特定財源を一般財源化しようというのも、そこから発しているのだ。カネを使うことを考えるより、まず借金を返す努力をすべきではないかと言いたい。

 「ワーキングプア」など、貧困層があえいでいるとき、そこに国が対策とそれに必要な予算とを特定財源の一般財源化から優先投入するというのなら、それなりに納得できる。ところが、よりによって道路建設に巨額の税収を優先的に配分するというのだから、唖然とする。自民党の政治家は人間の心を持たない者ばかりなのか。道路整備は不十分だから、特定財源を残せと知事たちも言っていたから、彼らも同様だ。

 トヨタ自動車の会長(経団連副会長)も一般財源化に反対していた。「はなれでスキヤキを食っている」といわれる特定財源の問題点を知らないわけがない。財政の危機的な状況もわかっているはずだ。それに、地球温暖化問題を考えれば、自動車がどんどん走れるように道路をつくることが環境問題を悪化させるだけだということも常識として理解しているはずだ。とすれば、トヨタの経営者は国がおかしくなろうとも、自動車をもっと売りたいということしか考えていないのかと思う。いまや世界のトヨタの経営トップが、天下国家の立場をわきまえない単なる商売人だとは思いたくないけれども‥。

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2006年12月 3日 (日)

旭山動物園長はすごい人だ

 日本でいま最も人気のある動物園といえば、旭川市の旭山動物園だ。

 このほど「人間と動物との新しい触れ合い方を多彩に創出し、廃園の危機から十年あまりで「入園者数日本一」まで育て、新たな動物園のスタイルを創設すると共に、地方活性化の新しい可能性を提示した。」として菊池寛賞を受賞した。

 また、「生き生きとした動物本来の生態をありのままに見せる「行動展示」という手法を考案し‥‥」などとして、日経BPから小菅正夫園長が「日本イノベーター大賞」を受賞した。これらの受賞のため上京した小菅園長の会見を聞いた。

 「人間は人間以外の動物を馬鹿にしている。幼稚園児でも、ゴリラを見ると、「ゴンタのバカヤロー」という。ゴリラは悲しそうな顔をする。このように、人間は野生動物を尊敬していないが、彼らはすごい能力を持っている。そのすごさを知れば、人間は(絶滅のおそれのある野生生物を)残そうと努力するだろう。私たちは、人々に知ってもらうことで種の保存に貢献できればいいと思っている。」

 「従来、動物園では世話をする人が動物のうしろにいるから、動物は餌をくれたりする世話係のほうを見ている。つまりお客さんに背を向けていた。そこで、お客さんと動物の間に世話係がいるようにした。」

 「すべての動物が命を持っている。その「命を伝える動物園」をテーゼにやってきた。命を伝えるといっても、それは命の触れ合いからしか認識できない。そこで、こども牧場をつくり、抱いたり、触れ合ったりするようにした。」

 「動物は目的のない行動はしない。食べ物を求めるか、生殖のため異性を求めるか以外は寝ている。猛獣は生き物をとって食べるが、それは動物園ではタブーだ。そこで、ライオンやひょうなどが目の前で寝ているのを見てもらえるようにした。」

 「一つの命に、一つの環境(飼育場)を用意しなければいけない。虎とライオンとでは、まるで違う環境に置いてやらねばならない。旭山動物園では、命と、命を育む環境を皆さんに伝えたい。」

 「あざらしは地表ではおどおどしているが、水中では全く違う。また、彼らはものすごく好奇心が強い。だから、旭山では、あざらしが人間を見に行く。最近は人が多いのに飽きたらしく、そっけない。」

 「おおかみを新たに展示したい。北海道では1900年に絶滅した。酪農に役立たないとして人間が30年で絶滅させたからだ。しかし、おおかみは気持ちがこまやかで、家族愛、家族意識が強い。そうした本当の姿を知らせたい。いま、おおかみというと、悪いイメージばかりだが、それは西欧のイメージだ。日本ではもともと、いいイメージだった。稲作の日本では、おおかみが草食動物を食べてくれたからだ。」

 安田喜憲著『日本よ、森の環境国家たれ』によれば、「縄文時代以来の森の神々の中でもっとも強い神がオオカミだった。」、「日本のオオカミは、アンデス文明のジャガーと同じで、森の王であった。森の生態系の頂点に立ち、生態システムを維持してきた。」、しかし、「森を破壊する「家畜の文明」をもつ人々によって、オオカミは神の座から引きずり下ろされ、家畜を食い殺すもっとも憎むべき対象にされ、絶滅へと追い込まれていったのである。」

 小菅園長はそうした生態系と人間との関わりを根底に置いて、旭山動物園のありようを追求しているのである。二つの賞が表彰理由に挙げていない高次元の視点で運営されているのはすごいことである。

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2006年12月 2日 (土)

政府税調答申をどう読むか

 本間正明大阪大学教授が会長に就任した政府税制調査会が12月1日、2007年度税制改正答申を安倍首相に提出した。メディアの多くは「企業優遇 鮮明に」とか「企業減税策ずらり」といった見出しをつけたりして、企業と国民とを対立した形でとらえている。

 所得減税の恩恵を受けていた人たちは減税の廃止で増税になる。貧富の格差の問題もj議論の争点になっている。そこに、企業の税負担を軽くすべきだという答申が出たから、メディアが叩くのは当たり前かもしれない。

 しかし、巨額の債務を抱える政府・自治体の財政再建の観点からは、答申はちょっと違ってみえる。国の一般会計だけでも500兆円を超す国債を抱え、いまなお大量の国債発行で歳入を確保している異常事態をどうやって改善するか。この長期にわたる改革を進めるうえで、いかに税収を増やすかがきわめて重要である。そのためには、内需主導型経済への転換も必要だが、経済成長の主要な推進力である企業が諸外国に負けないだけの競争力を保持してくれることは欠かせない。雇用の確保、個人の所得税納付なども、強い企業あってのことだ。

 グローバリゼーションが進んだ今日、企業は事業活動でより有利な国や地域に投資する。日本企業であろうとなかろうと、それは同じだ。いまの日本は制約が多いから、外国企業の対日直接投資はきわめて少ない。日本企業が日本より有利な国や地域に海外進出するのをとめることはできない。したがって、できるだけ多くの企業に日本で事業を展開してもらうには、いまの過剰な規制を撤廃・緩和し、企業税制なども他の先進国並みにする必要がある。企業は直接、間接に税収を生む“金の卵”だから。

 日本経済は、少子化で労働人口は減る見通しだし、社会保障費が増大する。その中で国・地方自治体の債務を減らすには、歳出削減、増税、税収増の3つを実施しなければならない。だが、歳出削減は歳出の合理化、効率化といえども国民各層から猛烈に抵抗がある。増税はそれ以上に大変かもしれない。消費税増税への理解は進みつつあるが、大幅増税を掲げて選挙に臨むのは与党といえども容易ではない。となると、税収増に期待するところ大だが、それには企業にもうけてもらわないといけない。それなりの環境整備が必要だ。メディアが示唆する「企業は悪」という日本特有の思い込みはなくしたい。

 ところで、税制とは直接、関係はないが、企業は非正規労働者への賃金などの待遇を改善すべきだ。社員も多くが長時間労働などで疲弊している。グローバルな競争になんとか生き残ることが経営者の至上命題になっているからとはいえ、人間を人間らしく処遇しないような企業は存在価値がない。最近、派遣社員を正社員に採用するとか、改善の動きが出てきたが、自分の頭で企業の社会的責任をきちんと考える経営者がもっと現れよ、と願う。経営者たちも忙しすぎる。儀礼的なことにお互い時間を使いすぎているのをまず改めたらいいのでは。

 

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