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2006年12月26日 (火)

新「会社法」への疑問

 会社法を大学で講義している教授からいただいたクリスマス・カードに「新会社法はいかがなものか、教えながら疑問が生じます」と記してある。

 ことし5月に施行された会社法。商法から独立した法律となっただけでなく、機関設計、資金調達、組織再編などで内容が大きく変わった。政省令にゆだねた部分が多く、全体を把握し、理解することは専門家でも難しいといわれる。

 この新しい会社法で、私が一番、疑問を感じるのは、最低資本金制度を廃止し、設立時の資本金はゼロ円でもよいことにした点だ。法改正は起業しやすくするためだというが、資本金の持つ債権者保護の観点を不要としていいのか。

 この問題をどう考えるかについて、奥村宏著『株式会社に社会的責任はあるか』(2006年6月刊、岩波書店)はとても参考になる。

 近代的な株式会社制度が確立する法律が制定される過程での「(ジョン・スチュワート)ミルの主張は、資本金が実際に払い込まれ、その後もそれが維持されていること、そしてこのことが誰の目にも見えるような状態にしておくこと、この二つを条件として全社員有限責任の株式会社を認めてもよいのではないかというものである。」(42~43p)、「いずれにせよ、資本は充実しており、資本額を超えた債務をもつべきではないというのが株式会社を認める前提であった。」(43p)

 「株式会社が全株主有限責任であるためには資本金が担保になるということであり、従って資本金を上回る借入金をするということはそもそも株式会社の原理に反することである。」(174p)

 かつて法務省で会社法の立法作業にたずさわった稲葉威雄氏が著した『会社法の基本を問う』(2006年9月刊、中央経済社)は、新「会社法」を「極めて欠陥が多い立法」だとして問題点をえぐっている。その中で、「相当の資本の提供なしで(その場合には、会社の資金は債権者からの信用供与に依存せざるをえない)、株主有限責任の会社による創業を認めるのは、債権者との利益衡量でいえば、掛金なしでの賭博を認めるようなものともいえる。」(93p)

 そして、「会社はだれのものか、という議論からすれば、株主が自己の財産をほとんど拠出していない株式会社で、その支配権を大威張りで主張できるかどうかは、きわめて疑問である。」(94p)と述べている。

 こうした有限責任の株式会社の基本に関わる資本(金)のありかたについての議論が、法改正の作業の過程でどれだけ行われたのか。改めて知りたいところだ。

 ところで、『株式会社に社会的責任はあるか』は社会的責任の観点で多くの示唆を与えてくれた。

 個人なら、違法行為で刑罰をくらうし、刑務所に入ることがある。しかし、日本では「法人である会社には刑事上の責任はないということになっている。」(96p)。法人はどんなに悪いことをしても、法人そのものが刑務所に服役することはないのである。また、自分のカネをもとに行う個人事業は慎重に考慮して行うが、法人の株式会社では経営者は自分個人のカネを使うわけではないから会社のカネの使い方について慎重な顧慮が欠ける。

 したがって、「法人、とりわけ営利法人としての株式会社は利益追求のための組織だから、罰金刑と利益額とを比較計算して行動するのが合理的である。」(115p)

 しかし、経営者は善管注意義務と忠実義務に違反しない限り、法人の違法行為に対する責任を問われない。「日本は取締役や監査役が訴訟を起されるケースが少なく、またその刑罰も非常に軽い。まさに日本は「経営者天国」である。」(142p)。

 とはいえ、「会社が何かを決定するという場合は、会社の代表者である自然人=個人が決定している。」、「したがって会社が犯した犯罪についても経営者が責任をとるべきではないか。」(122p)という。

 最近の企業の不祥事を私たちがどう考えるか、に対して本書はとても参考になる。

 

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