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2006年12月30日 (土)

私の履歴書「渡邊恒雄」の読み方

 日本経済新聞の12月1日から31日まで連載の「私の履歴書」は、読売新聞グループ本社の代表取締役会長・主筆の渡邊恒雄氏が書いている。「私の履歴書」は主として企業経営者、文化人、政治家などの功なり名とげた人が登場するが、日経新聞と同業の他紙のトップに書かせるのは異例である。

 早く父親を亡くしたあと、ひたすら一流校めざし勉強したこと、開成中学や東京高校で軍国主義に反発したこと、東京大学に入って学生運動にのめりこんだこと、そして読売に入社してまもなく、潜入ルポを書くため奥多摩に行き、危うく殺されるところだったこと等々、連載の半ば過ぎまでは、毎朝、続きが読みたいと思うほど面白かった。大野伴睦の番記者になってからの話も興味深かった。

 しかし、石川達三著『金環食』に出てくる渡邊氏とおぼしき人物は、新聞記者というよりは政治家の代貸しのようだった記憶がある。「私の履歴書」は綺麗事に終始しているのではないかと疑問を感じた。そこで、たまたま図書館で目にした魚住昭著『渡邊恒雄 メディアと権力』(2000年6月、講談社)を読んでみた。

 すぐれたジャーナリストの魚住によると、渡邊氏はジャーナリストでありながら、与党政治家に食い込んで自ら政治を動かそうとしてきた。他方、読売の社内では、激しい権力抗争を勝ち抜くため、その時々の最高経営責任者に食い込んだ。政治家との密接な関係を社業にも生かすことで、紆余曲折を経ながら社内での地歩を築いていった。そのすさまじい権勢欲とあふれんばかりのエネルギーには驚嘆する。

 正力松太郎を支え、正力亡きあと、権勢を振るった務台光雄は、90歳を過ぎても取締役名誉会長として会社の全権を握っていた。同書を読むと、文化大革命を起こして後継者を次々に追い落とした毛沢東を連想するが、渡邊氏はいまやその務台と同じ道を歩んでいるように思える。務台は紙面に口を挟まなかったが、渡邊氏は主筆として、記事の内容、視点が彼の考えに合わなければ、書き直させるし、反発する者には容赦しない。人事に反映させる。だから、社内に言論の自由はないという。

 魚住は、「ジャーナリズム本来の役割は、国家権力の暴走をチェックし、庶民の自由と権利を守ることである」という。だが、「かつて誰よりも自由を愛した哲学青年」であった渡邊氏はいまでは「国家の論理をふりかざして記者たちの言論の自由を脅かす巨大な権力者に変身し」、「「国家と対峙する新聞」から「国家と一体化する新聞」へとジャーナリズムの理念そのものまで変えようとしている。」(377p)という。

 同書のあとがきはこう書いている。「このままいけば、戦後の憲法が掲げた自由・平等・絶対平和の理念はやがて跡形もなく消えてしまうにちがいない。そうした風潮をつくりだすうえで渡邊氏が果たした役割は限りなく大きい。私は氏の取材を通じて戦後民主主義が崩壊してゆくさまを目の当たりにしたような気がする。」と。

 同書を読み終えて浮かぶ疑問は、「日本経済新聞はなぜ渡邊氏に「私の履歴書」を書かせたのか」である。市場経済と民主主義を基盤とする日経の伝統を裏切ることになりかねないのに‥。 

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