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2007年3月30日 (金)

姿消す二千円札

 財務省が3月29日に07年度の「日本銀行券製造計画」と「貨幣製造計画」を発表した。“製造計画”という言葉には違和感があるが、これは独立行政法人国立印刷局(紙幣を印刷)と独立行政法人造幣局(貨幣を製造)に、お札と硬貨をどれだけつくるか発注した量のことである。

 お札の日本銀行券というと、日銀が発行量を決めるように思われるが、そうではない。財務省が決める。外国為替市場の市場介入も、日銀が自らの判断で売り、買いしているように思われるが、そうではなく、財務省の判断でやっている。財務省の権限はかくも大きいのである。

 「日本銀行券製造計画」によると、07年度は、一万円札12億5千万枚、五千円札2億3千万枚、千円札18億2千万枚である。計33億枚。金額に換算すると15兆4千7百億円となる。気付いた人もいるだろうが、二千円札の製造計画はない。そういえば、二千円札ってあったなあ、というくらいに、近年、二千円札にはお目にかからない。

 二千円札はミレニアム(千年紀)および九州・沖縄サミット開催にちなんで2000年7月19日に初めて発行された。券売機、両替機などの整備が徐々に進んだ結果、2002年7月17日には流通枚数が3億枚を突破した(18日発表)。統計によると、2004年8月末には5億1310万枚までいった。

 ところが、その後はほぼ一本調子で減ってきた。鳴り物入りで導入した当時、政府は、外国ではあたまに2の数字のつく紙幣がよく使われると言っていたが、結果は違った。07年2月末現在では流通枚数は1億5855万枚しかない。ほかのお札の流通枚数は一万円札が約69億枚、五千円札が約5億枚、千円札が約35億枚である。千円札に比べると、ほとんど使われていないことが明白だ。

 二千円札の導入は財務省の思惑と全く異なり、ほぼ完全に失敗した。この失敗を知らぬ存ぜぬで押し通そうとしているのか、財務省も日銀も、二千円札についてはここ何年か黙ったままだ。今後はもう印刷・発行しないと決定するわけでもない。あいまいにしておこうというのだろう。こういうのを、お役所仕事と呼ぶ。

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2007年3月24日 (土)

増え続ける国の借金

 財務省が24日に発表した06年12月末現在の「国債+借入金+政府保証債務」によると、国債(内国債)+借入金+政府短期証券の合計は832兆2631億円である。いわゆる国の借金というのがこれ。ほかに、政府保証債務が50兆6416億円ある。

 国の借金は06年9月末に比べ4兆3465億円増えていて、過去最大とのこと。景気が回復したにもかかわらず、国家財政はまだ悪化しているのである。この借金、国民1人あたりにすると、約651万円。働いている人たちの1人あたりで計算したら、2倍程度の金額になる。とんでもない、深刻な事態のはずですが、新聞等、メディアの扱いはなぜか小さい。

 国に比べれば恵まれている地方自治体にしても、財政は厳しい。夕張市は極端かもしれないけれど、破綻のおそれのある市町村は少なくない。普通会計の借入金残高は07年度地方財政計画によれば、約199兆円ある。積立金を差し引いたりした「将来にわたる実質的な財政負担」ということでは138兆9882億円(05年度末)になる。だが、都道府県や市町村の多くは財政危機に直面している。裕福とみられている東京都にしても、借金残高はばかにならない(2月2日のブログ「東京都の07年度予算案」参照)。

 国と地方自治体の一般会計の借金残高を合計するだけで1千兆円ぐらいになる。それを後の世代に持ち越さないようにする責務がいまの世代にある。では、どうやって減らすかとまじめに考えたら、アタマがおかしくなりそう。

 各地で知事選が始まった。しかし、借金大国であるのに、財政改革をマニフェストの主要な柱に掲げている候補者が果たして幾人いるのか。福祉の充実や格差の是正等を唱える候補者はたくさんいるが、その財源はどこにどれだけあるのか、具体的に納得できる説明をしてほしいものだ。

 いまは景気回復で税収も伸びているが、ずっと続くわけではない。ものすごい借金を抱える国に依存する意識を捨て、持続可能な地方財政を確立する必要があるのに、おいしい公約を掲げるような候補者には眉につばして。

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2007年3月23日 (金)

9千億ドルを超えた外貨準備高

 2月末の外貨準備高は9050億ドルに達した。3月23日の朝日新聞朝刊コラム「経済気象台」は「国としても外為会計の保有資産の運用効率を上げることは重要な課題」と指摘している。

 約10年前の1996年末は2178億ドルだった。それが1999年以降、増え始めた。1999年末2881億ドル、2000年末3616億ドル、2001年末4020億ドル、2002年末4697億ドル、2003年末6735億ドル、2004年末8445億ドルと、うなぎのぼりに増加した。2004年1~3月に14兆8300億円にのぼる米ドル買い・円売りを行ったあと、為替介入はずっとゼロ。したがって、その後の利息収入などで9000億ドル台に乗ったというわけだ。

 データがすぐ入手できる1991年以降の外国為替介入実績をみると、円売りがほとんど。それももっぱら米ドル買い・円売りで、まれにユーロ買い・円売りがある程度。逆の米ドル売り・円買いは1991年5月~1992年8月と1997年12月、1998年4月および6月だけ。珍しいのは、1991年8月の米ドル売り・独マルク買いと1997年11月の米ドル売り・インドネシアルピア買いである。

 こうした米ドル買い一辺倒の為替介入と結果としてのドル資産増大は、日本が輸出立国であり、不況脱出には円安が望ましいと判断したこと、円の国際化が全く進んでいないこと、米国との経済関係を重視していることなどの要因があると思われる。しかし、それにしても、米ドル偏重は明らかにおかしい。

 過去、ドルの減価で日本政府は保有外貨資産の大幅な目減り(損失)をこおむった。今後も米ドルの価値は長期的にみて下落していくことは必至である。それゆえ、リスク回避のため、分散投資をすべきだろう。金(ゴールド)保有を増やすのは無理だとしても、ユーロなど他の国際通貨の保有割合を高める必要がある。

 問題は、なぜ米ドル一辺倒(それも米国国債が多いといわれる)の資産構成にしているのか、について、国民にきちんと説明していないことである。また、いまの超低金利と円安は企業サイドを優先する発想だが、消費サイドを重視する経済政策と比べて、より国民の利益になっているのか、の十分な説明もない。マクロ経済政策について、国民の理解可能な論争を期待したい。

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2007年3月19日 (月)

“天下り”規制など公務員制度改革のゆくえ

 “天下り”のひどい事例を取り上げたことがある(06年12月16日、07年1月24日)。中央官庁の天下りは、各省庁の官房秘書課が早期退職者のための天下り先を探し、受け入れ先と条件を交渉する。条件の1つは給与で、役所にいたときより多いこと。次に、個室を持ち、秘書がいること。そしてクルマがつくこと、交際費があること。

 最近はそれほど露骨ではないが、かつては、これら4つの条件を厳しく要求した。それに泣いた企業などが実に多かった。もちろん、建設会社などのように、公共工事の官製談合などで十分、もとをとった企業もあっただろう。

 天下ったあと、企業などで猛烈に交際費をつかって、ひんしゅくをかった人も少なくない。また、天下りを受け入れないと○○の許可を与えない、と明確に言明していた官庁もあった。実態は、無理矢理、天下り受け入れを強要したのにもかかわらず、受け入れ先から役所宛てに人材の「割愛願い」文書を出させている。押し付けではない、民間からお願いをされたから、役所OBを民間に出すのだ、という陰湿きわまりない言い訳づくりである。

 天下りに対する世間の目がきびしくなったあと、財務省(旧大蔵省)と経済産業省(旧通商産業省)とが天下り先を交換する(退職してすぐは本格的な天下りができないので、その間、銀行、保険会社に経産省のOBが天下りし、事業会社に財務省のOBが天下りする、といった例がある)など、何が何でも天下り先確保に奔走している。その背景にあるのは国の予算であり、権限である。

 いま、安倍首相が方針を打ち出し、渡辺行革担当大臣が推進しようとしている公務員制度改革は、最も改革が遅れている官僚制にメスを入れようというものだ。いまどき、年功序列を墨守しているのは官僚社会ぐらいなものである。

 年功序列を維持し続けようとすれば、早くから退職させられる同期の者の再就職先を保障してやらねばならない。つまり発注や補助金などと法的な権限とをバックに、天下りを維持しなければならないことになる。となると、天下り先に特命発注するとか、天下り先確保のねらいもあって独立行政法人や公益法人などを認め、補助金などを出すというようなことも起こる。

 したがって、年功序列をやめ、能力・業績に基づく人事制度に改める、早期退職をさせないで定年まで雇用する、各省による天下りあっせんをやめて、省庁全体で新・人材バンクを創設する、各省の幹部ポストの一部を各省横断ないし官民公募で採用する、といった公務員制度改革の提案はもっともである。

 渡辺行革担当大臣は「安倍首相は、小泉内閣時代にやろうとしてできなかった公務員制度改革を実現しようとしている。私は総理から与えられたミッション(使命)を着々と実施しようとしているだけ」と述べている。現実には、官僚は言うまでもなく、官僚OBの閣僚などにも公務員制度改革反対者がいて、安倍首相が断固たる姿勢で臨まない限り、改革の実現は容易ではない。

 ここで、安倍首相が腰砕けになったら、内閣の支持率低下にさらに拍車をかけよう。だが、ここで、“守旧派”とたたかう姿勢をみせれば、安倍内閣の支持率は反転して上昇するだろう。渡辺大臣のキャラクターは公務員制度改革にはぴったりのような気がする。彼にとって飛躍のチャンスだが、それを生かせるか、も見所である。 

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2007年3月17日 (土)

ビジネスマンの勉強会が40周年

 1966年10月に、東京駅周辺に勤める若いビジネスマンたちが始めた勉強会(略称、DOKON)。今週、40周年を記念する会合を開いた。創立時の発起人、創立まもないころからのメンバーや、途中から加わったメンバーと、さまざまな仲間が集まった。

 1963年大卒の人たちが中心でスタートしたが、友人を連れてくるうちに、出身大学、勤め先、年次が多様な勉強会になっていった。「その結びつきは、経済的なものでなく、相互啓発を狙いとした精神的なものである。その上、会の内部においてお互いに自由である如く、外部からの援助を一度も受けたことがないゆえに、会の外部に対しても自由がある。ーこのような会が他にあることを、その当時も今も私は知らない」と創立発起人の一人が2005年に発行した会報に書いている。

 創立してから6年余は、外部のゲスト(政治家、外交官、財界人、企業トップなど)から話を聞いたり仲間のレクチャーを聞いたりした。外部のゲスト(例えば土光敏夫東芝社長)はメンバーが個人的なつながりで引っ張ってきた。若いビジネスマンの勉強会に出てくるのをOKしたゲストにも敬服する。

 メンバーが会社などで平社員から上になっていくうちに皆忙しくなり、1970年代の半ばごろから1980年代の後半ごろまでは休眠状態になったが、その後、活動を再開した。メンバーの顔ぶれも創立まもないころとかなり変わった。

 さすがに、ここ2、3年は、仕事からリタイアする人が相次いでいるので、会としての活動はほぼ停止している。これからも、たまに懇親的な会合を持つかもしれないが、今週の会合が事実上の“卒業式”ではなかろうか。

 前述の発起人は「DOKONを通じて、広く世の中のことを学んだ。それがなかったら、今日の自分はありえない」と語ったことがある。今日、就職するにせよ、仕事をするにせよ、やたらと専門性が強調される。資格をとると就職しやすいなどという。しかし、専門バカになりがちという弊害もある。DOKONのような自由な勉強会組織は、現代の若者にも有用だと思う。 

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2007年3月16日 (金)

財政再建の王道?

 齋藤誠著『成長信仰の桎梏 消費重視のマクロ経済学』を読んだ。マクロ経済学に疎い私には難解。でも、マクロ経済学ってなかなかおもしろいと思ったのも事実である。

 同書で財政再建に関する記述がある。「財政問題は、いくら深刻であったとしても、名目金利が名目GDPを十分に上回る水準を前提に基礎的収支の改善で解決しなければならないのである」(139p)というところだ。

 2005年の政府の経済財政諮問会議で、「中・長期の経済ビジョンにおいて高めのインフレ率、高めの経済成長率、低めの名目金利といった組み合わせが真剣に議論された」(137p)。〔私が調べたところでは、05年12月26日の諮問会議で、「財政再建をやるときに、名目成長率が長期金利を上回る、あるいは長期金利の方が名目成長率より低いという楽観でやるのか、その逆に悲観的にやるのか、ということについて」対立した意見があったことを与謝野経済財政担当大臣が会議後の記者会見で紹介している。大臣は「長期金利が名目成長率を大きく下回るということについては、個人的に疑問に思っている」とも言っている。ちなみに与謝野氏は昨年、病に倒れたままだ。〕

 著者の齋藤氏は、そうした組み合わせがうまくはいかないことを説明したうえで、「国債残高比率の大幅な低下をもたらす低めの実質金利は、低生産性の投資プロジェクトでも資金調達を可能にし、実質金利の低さを資産価格上昇で補う資産価格バブルを生じさせかねない」(139p)と警告している。

 難解で、私自身、よくわからないところがあるというか、わからないところだらけだが、この記述はここに書きとめておきたいと思った。 

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2007年3月11日 (日)

「scholar(ヒマな人)」の効用

 語源をたどれば、「scholar」って、ヒマな人のことだそうです。3月10日、佐藤仁東京大学大学院新領域創成科学研究科助教授があるシンポジウムでそう語っていました。(帰宅して、英和辞書でscholarの訳語をみたら、まず「学者」という言葉が出てきました。特に人文科学の分野の学者を指すそうです)。

 佐藤先生の言いたいのは、細分化されている学問を横串でつなぐ総合的な学問を生み出すには、ヒマな人をつくるべきだ、ということです。アイデアが異なるヒマな人同士が出会い、対話することが学問の総合化を促すというわけです。

 ヒマの効用は、一つは視野拡張の余裕が持てる、いま一つは、時勢に流されない人になれる、ことだと先生は言います。後者に関連して、人文・社会科学はすぐには役に立たないこと、現状に対して常にラディカルなスタンスを持つことを挙げていました。

 小説「モモ」に出てくるように、いま、人々は忙しい、忙しいと、時間に追いかけられています。かつて、大学の先生といえば、ヒマというか、自分のペースでやっていましたね。ある経済学の先生は、寝坊なので、大学を卒業して会社に勤めても、連日、遅刻し、わずか3ヵ月で退職、大学に戻ったそうです。長い間、大学は教員が自分の時間を好きにできる“最後の楽園”でした。

 でも、いまの大学の先生は、私も経験したけれど、とても忙しい。モモに叱られても当然です。そうした現実を踏まえつつ、学際的・学融合的に学者・研究者が協働する「課題設定型プロジェクト研究」が独立行政法人 日本学術振興会で進められてきました。その内容を公開するシンンポジウム「未来を拓く人文・社会科学」の二日目「社会の制度設計と合意形成」第1部「自然資源のガバナンス」で、佐藤先生が「資源を見る眼」と題して短い時間、話をしました。そのときに、ヒマな人の話が出ました。

 シンポジウムは発表者の持ち時間が限られ、オーバーすると、チンと警告が発せられます。だから、時間に追われて、十分に説明ができないままに終わるケースがほとんどです。興味深いテーマばかりでしたが、駆け足の説明では、聴衆も十分には理解できません。それだけに、佐藤先生の話はとても印象的でした。

 盛りだくさんに詰め込むのではなく、テーマを限定し、ゆっくり、じっくり深掘りするシンポジウムをやってほしいものです。聴衆にはヒマな人がたくさんいるのですから。

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2007年3月 9日 (金)

福岡県福智町(旧赤池町などが合併)の財政危機への取り組み

 夕張市の財政破綻を契機に、旧赤池町の財政再建が何かと取り上げられる。3月9日の朝日新聞は、その旧赤池町が旧金田町、旧方城町と06年3月に合併してできた福智町のいまを紹介している。「訪ねてみると、なんと再び、財政危機が話題になっていました」と書いている。

 ことし1月、長寿世界一となった皆川ヨ子さん(114歳)。その皆川さんが住む福岡県福智町は、旧金田町が1981年から7年間、旧方城町が1982年から10年間、旧赤池町が1991年から10年間、それぞれ財政再建団体だった。

 「広報ふくち」の06年12月号は「財政再建」特集で、05年度決算(旧3町合計)では、財政力指数0.25、経常収支比率101.5、人口1人あたりの地方債現在高90.20万円などのデータを示している。また、自主財源は36%だが、うち13%は貯金の取り崩しなどであり、町税などの収入はわずか9.6%にすぎないと書いている。

 さらに、「財政通信簿」と題するページの「通信欄」には、赤い文字で以下の4項目を挙げている。即ち、①「財政力が弱く、支出が減っていないため全くゆとりがありません。大胆なスリム化でコストを削減しましょう」、②「借金があまりにも多すぎます。早急に減らしましょう。(中略)少ないお金で大きな成果を上げられるよう、町の未来を想定して使いましょう」、③「みんなが知恵を出し合い、収入が増える有効な手だてを考えましょう」、④「このままでは本当に危険です。過去の経験を思い出して、努力してください」と。

 どうしてまたも財政危機に直面しているのか。それについては説明はいま一つだが、「財政再建のリバウンドとも言うべき、再建明け後の行政需要に対する整備で、旧町の借金は増えました」、「「2度目の再建はないだろう」、「合併したから大丈夫」と、だれもが思っています。その感覚が危機感を失わせています」と述べているように、再建後、またも放漫財政が復活したからだと思われる。

 「広報ふくち」は、「たしかに、一定期間の交付税措置や合併特例債の発行など有利な面もあります。しかし、財政状況の悪い町同士が合併しても、努力なしに好転は望めません」、「「最小の経費で最大の効果を目指す計画行政」が今後の福智町における最大の課題です」と書いている。

 同町の行財政改革推進委員会は行財政改革大綱の中間答申を06年11月にまとめた。この本答申を受けて、同町は5年間の集中改革プランを07年度から実施するようだが、その内容に注目したい。そして、浦田弘二町長が言うように「どれだけ住民の理解と参加を得ることができるか」が成否のカギをにぎるだろう。

 それはそれとして、福智町が何ページにもわたって、詳細に、かつ、わかりやすく財政危機の実態と対策について説明したことを高く評価したい。財政再建の第一歩は、実態を住民にわかりやすく知らせるという情報公開だから。 

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2007年3月 5日 (月)

地方選挙の新潮流

① 東京都知事選挙に、宮城県知事だった浅野史郎慶応大学教授が立候補することがほぼ確実だ。地方自治の新しい道を切り拓いた浅野氏は05年10月に3期12年ですっぱりと引退した。その実績を買われて、今回、石原慎太郎現知事の続投ねらいに待ったをかけるわけだ。

 戦後、知事を選挙で決めるようになったが、どこかの都道府県で知事を務めた人が、また別の都道府県の知事に立候補するというのは珍しい。当選したら、もちろん初めてのことになる。彼をかつぎだした人たちは、浅野氏の知事としての実績・行政手腕、および知名度を買った(その裏には、石原知事に対する強い批判や怒りがあることは言うまでもない)。つまり、浅野氏を、知事という職業のプロフェッショナルとみなしたということだ。

 浅野氏は東京都の住民ではない。大学生や厚生省の役人の時代に東京に住んでいたことがあるとはいえ、いままで仙台に自宅があり、そこを拠点に活動してきている。だから、東京都の問題を肌で感じてはいない。立候補すれば、言ってみれば、落下傘候補である。それでも、『疾走12年 アサノ知事の改革白書』を読むと、浅野氏には知事業のプロフェッショナルといえるだけの能力がある。石原対浅野の選挙戦は、東京都民に都政の問題点を浮き彫りにしてくれるのではないか。

② 市町村の議会に焦点を当てた改革運動が自然発生的に各地で行われている。それらの活動がこの春の統一地方選挙をめざして活発化している。その全国ネットワークとして自治体議会改革フォーラムが07年2月に発足した。注目すべき動きだ。

 従来、地方自治を進める活動は、改革を唱えて当選した首長の手で行われてきた。知事や市町村長は必ずしもその住民でなくてもなれるから、外から候補者を連れてくることもしばしばあった。そうした首長・行政側の進める改革が脚光を浴びていた。

 しかし、二元代表制のもう一方である議会・議員は、とみると、ほとんどの市町村で機能していない。いま、政務調査費の問題で議員たちが槍玉に上がっているが、議会の議員は高い報酬やフリンジベネフィットを享受し、議会においては首長・行政と対等にわたりあうどころか、実質的に従属している。存在感が薄いのである。それを改めるには、議会を抜本的に変革する必要がある。

 そこで、自治体議会改革フォーラムは、ことしの統一地方選挙に向けて、「自由な討議のできる議会へ」、「市民が参加できる議会へ」、「透明性のある議会へ」変えなきゃ、変わらなきゃ、と3つの改革の柱を掲げている。そして、「改革目標10の提案」をしている。即ち、「議員同士が責任を持って自由に討議する議会」、「行政となれ合わない議会」、「市民と政策をつくる議会」、「行政から独立した事務局を持つ議会」、「実効性あるチェック機能をもつ議会」、「自ら運営できる議会」等である。現在の議会・議員がしていないことが何か、が一目瞭然だ。

 議員は、その土地の住民でないと立候補できないように、その地域の事情に詳しい。だが、地元のしがらみや利権などとの関わりが強かったりして、地元の住民からも、「議員なんて、皆そんなものだ」と思われてきた。しかし、地方の政治を変えるには、議会・議員を選ぶ住民の意識が変わることが大事だ。フォーラムの提案(人によっては一部に疑問を感じるかもしれない)内容の意義は、候補者を選別する際の判断基準を示してくれたことにある。

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2007年3月 4日 (日)

報道内容に「そうかな?」

 今をときめくテレビ界の寵児、みのもんたが3月3日(土)夜、TBS系の番組で、国会議員20名をスタジオに集めて激しく責めるのを見た。議員宿舎や議員会館の“超豪華”な建て替えに巨額の国費を使う。その半面で、社会保障関係の保険料引き上げなどで、国民の負担は毎年、増える一方である。そこで、国会議員に対し、ぜいたくな新しい議員宿舎や議員会館に入るか否か(YESか、NOか)をその場で意思表示させる、など、国会議員をいたぶるようなので、見ていておもしろかった。

 でも、あとで少し考えてみると、疑問がわいてきた。この宿舎などの建て替えの案が浮上し、決まったのは、日本がデフレから抜け出せず、このため、国の役割は極端に言えば「穴を掘って、また埋めるだけでもいい」というケインズ経済学にもとづいて、需要を創り出すことが強く求められていた時期ではないか。21世紀に入ったばかりの当時、もし、政府が財政赤字が大きく膨らむのをおそれて、景気を下支えするための公共事業等に消極的だったら、その時点で、みのもんたは何と言っただろうか。

 日本は戦争すべきではなかった。誰だってそう思う。それと同じように、歴史を振り返って、いまの時点のものさしで過去を断罪するのはいたって簡単である。政治家をこけにする番組は痛快ではあるが、国民の政治離れにつながりかねない。財政改革をまじめに考えるうえで、この番組がプラスに作用したか、疑問である。

 番組でみせていたように、社会保障関係などでの国民の負担増繰り返しは確かに問題である。しかし、少子高齢化で毎年のように医療費などが増大しているとき、景気の低迷で税収が少ないままだとすれば、増税や保険料引き上げをするか、政府の借金を増やすしかない。あるいは、政府の何かの支出を削らねばならない。政府の借金は世界でもずば抜けて多く、財政破綻すら起きかねない状態だから、基本的には、政府の支出はもっと減らしていかねばならない。が、それも、デフレ下では難しい。このように、単純に、物事を決めるのはまずい。全体をみた議論が必要だと思う。

 国会の大きな問題点は、世界の大勢を踏まえ、日本をどういう国家にしていきたいかを全く議論せず、揚げ足とり的な議論ばかりになっていることではないか。その意味では、議員宿舎のてっぺんにスポーツジムを置いて、与野党の議員が運動しながら、非公式なコミュニケーションができるなら、議場外で、国の将来を本音で自由に議論する場ができるのでは、と想像をたくましくする。そうなら、スポーツジムだけでなく、一杯のむところも必要かな‥‥。てなことになるなら、豪華な建て替えに国家予算を投入する意義があるかもしれない。

 ところで、格差問題は国会だけでなく、酒の場でも格好の話題だ。以下、飲み屋談義。

 最低賃金の引き上げがよくないと思う人はいまい。中小企業団体は経営への悪影響を懸念して、最小限の引き上げにとどめるよう求めている。また、非正規雇用を正規化すべきだという空気が強まっている。実際に大量に正社員化した企業がいくつもある。企業はもうかっているのだから、利潤を賃金引き上げに回すべきだ、そうすれば消費も増える、というマクロ経済からの指摘もある。

 一方、世界的には、法人税率を引き下げるという流れが存在する。日本は遅れているが、法人税率引き下げ以外に、さまざまな便宜を供与して、有力な大企業を誘致する競争が世界的に進んでいるのである。現に、最近、日本のある半導体メーカーは日本での立地ではなく、台湾に工場を建設することを決めた。

 つまり、いまや、企業は、日本に拠点を置くよりも、よその国・地域のほうが総合的に判断して有利なら、そっちに行ってしまう。グローバル化を前提とするなら、日本国内の論理だけで企業に強引なことを押し付けると、企業は日本から出ていってしまう、つまり雇用・仕事がなくなるおそれがある。格差の是正を求めるのは正しいが、是正の内容いかんでは、企業は脱・日本になりかねない。そういう意見も出る。

 さらに、企業が企業買収を含め、日本に直接投資する魅力は何か、その要素の1つである人材育成・教育のありかたはどうあるべきか、に議論が発展することもある。

 また、格差論議はグローバル化に原因があるとして、米国が主導するグローバル化を阻止しなければならない、と主張する人もいる。日本は安全保障も経済も米国の言うがままになっている、これではいけない、ともいう。グローバル化は定義にもよるが、日本人にとってプラスもマイナスもある。グローバル化を全面的にストップしたら、貿易で生きてきた私たち日本人は鎖国状態に戻らねばならない。それは悲惨な事態である。

 グローバル化の欠陥を改める観点から、短期マネーの移動を抑制するため、トービン税を課すべきだという意見を唱えるNPOもある。いや、それは実現が難しいという意見も‥‥。

 飲み屋談義は果てしない。だが、国会議員には、こうした談義に含まれている本質的な問題を徹底的に議論して、国民の未来を明るいものにしてもらいたいのである。 

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2007年3月 1日 (木)

ガソリン販売が大幅に減った

 1月の国内ガソリン販売量は昨年1月より7.4%も少なかった。資源エネルギー庁が2月28日に発表した石油統計速報による。「ガソリン税が引き上げられた1974年4月に8.8%減となって以来、単月では約33年ぶりの下落率になる」(日本経済新聞3月1日付け朝刊)という。

 主にディーゼル車が使う軽油は6.9%減、B・C重油は21.0%減などで、燃料油合計でも4.2%減である。

 LNGは1年前より33.4%も増えているなど、エネルギー源のシフトなどもある。しかし、日経も書いているように、ガソリン需要は昨年度以降、減少傾向にあり、その原因は、燃費のよいクルマの比率上昇や、ガソリン価格高騰などに対応した節約意識の浸透だと思われる。

 これは、値段が上がれば消費が減る、という当たり前のことが起きたことを示す。昨年8月27日のブログ「原油高騰が示す環境税案の欠陥」でも触れたことだが、ガソリンで1リットルあたり1.52円の環境税を導入すべきだという環境省の提案がいかに馬鹿げたものか、改めて実感する。経済はダイナミックに動く。

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