« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月30日 (月)

むのたけじ 90歳の反省

 むのたけじ(武野武治)、といっても、若い世代の人たちは知らないだろう。第二次世界大戦で日本が降伏したとき、朝日新聞の報道第二部(社会部)にいた彼は、戦争の真実を報道しなかった新聞の責任を強く感じて直ちに辞職した。こうして読者に対するけじめをつけたむのは秋田県横手市で週刊紙「たいまつ」を発行した。単行本「たいまつ」は私たちが生きていくうえで糧となるすばらしい言葉に満ちていた。

 いまも健在のむのたけじが4月29日付け朝日新聞朝刊に、やはり戦時中、朝日の報道第二部にいた岸田葉子氏とともにインタビューに応じている。その中でむのは戦争責任の受け止め方として「会社を辞めると言う自分の身の処し方は最悪だった、と今では思う」と語っている。

 琉球新報が04~05年に「沖縄戦新聞」と題する企画記事を連載した。この連載はむのによると、「「もしあの戦争中に新聞が新聞の魂を持っていたら、こういう新聞を作ったはずだ」という思いをもとに、現在の情報と視点で沖縄戦の実相を書いた」。それと同じことを敗戦直後から実行することが、当時、むのらの読者に対する責任だったと彼は反省している。書くことで償うべきだったと90歳になって知らされた、むのはそう言う。

 朝日新聞もそうだが、日本の新聞は、戦争に対する自分たちの責任を徹底的に追及することなく戦後に移行した。そうした状況追随主義は今日にいたるも変わっていない。敗戦は新聞が戦争責任を自覚して、読者に真実を伝える民主的な新聞に変わる大きなチャンスだったが、新聞人は唯一とも言うべきそのチャンスを生かさなかった。

 むのの悔恨は、おそらく、そのチャンスを生かし、朝日に残って新聞を変革させることに自らをかけるべきだったというのだろう。しかし、むのが残っていたとしても、どれだけ朝日新聞が変わったか。大きな企業組織ーー大新聞もそうだがーーが経営を優先し、公正、正義にそむくことは少なからずある。私は、むのが孤立無援ながら、「たいまつ」をかかげたことのほうが日本の社会に大きな意義があったと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年4月28日 (土)

山崎正和氏の教育改革論

 文部科学省の中央教育審議会会長に就任した山崎正和氏が26日に会見した。とても興味深い話が多かった。

 「審議会などは政策を決定する組織ではない。政策は政治家がつくるもの」、「中教審会長としての所懐はない」、「審議会に私の教育観、意見を持ち込むのは避けようと思っている」と語る一方、「個人としての教育についての考え方」をくわしく述べた。その中のいくつかのポイントを紹介するとーー。(誤解しているところがあったらお許しを)

 先進国の教育は2つの面からとらえねばならない。国家の統治行為の1つであることと、サービスとしての側面とである。前者についていえば、国家は最低限度の知識を共有して成り立つものだから、いわゆる読み書きソロバン+遵法精神を身に付けることを国民に求める権利がある。国民はその義務を負う。読み書きソロバンなどは他人のため、社会のために必要なことであり、個人には無知である権利はない。だから、国家は義務教育を課すことができる。

 後者は、個人の自己実現を助けるためである。そこでは、民間の活動も許容できる。この面では国家の役割は縮減したほうがよい。サービスのための教育を国家が行なうのは、一つには福祉のため、いま一つは、立派な才能が育てば、その成果は国民のものになるからである。

 小渕内閣のとき、山崎氏は国家百年の計として、学校での教育は週3日制にすることを提案した。精選した内容を徹底して教える。理解するまで卒業させない。残る4日はクーポンを生徒に与え、生徒が学びたいところに行って学べばよい。料理屋に教わりに行くとか。勉強好きな生徒はいきなり大学に行ってもいい。

 人を指導する仕事ーー教師だけでなく、医者、弁護士、裁判官、警察官も似ているーーはある権威を必要とする。権威がなければ、誰も従わない。それは人に尊敬されるところから生まれる。そのためには、新聞は教師をほめてほしい。99%がよい教師でも、記事にはならないが。それで、教師に自己犠牲を必要とする意識を植え付けようではないか。

 いまの道徳教育は要らない。教科で教えるものではなく、大人が身をもって教えるもの。歴史教育もやめるべきだ。第二次世界大戦につながるそれ以前の出来事は政治の問題。それを教えるのはやめる。歴史への関心なら、面白い対立した内容の本を読ませる。新撰組をめぐる2冊、ルネサンス論の2冊とか。そうしたら、生徒は自分で勉強を始めるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月27日 (金)

“地域間の税源格差”論議が強まる

 25日の経済財政諮問会議は歳出・歳入一体改革や税制改革その他がテーマだった。その中で国と地方の税源配分のみならず、地域間の税源格差(税源偏在)是正が提起された。地方から見たいわゆる“東京問題”である。

 民間議員4人の出したペーパー「税制改革の基本哲学について」は、「実現すべき6つの柱」として挙げた中の「5.真の地方分権を実現する」で、国と地方の税収比を5:5とすることを視野に入れて補助金・税源配分・交付税・地方債の一体的な改革に取り組むことと、国と地方の税目・税源配分について地方交付税財源を含めて大胆に見直し、地域間の税源偏在を是正すること、とを挙げている。

 菅総務相と尾身財務相が出した「地域間の財政力差の縮小について」と題するペーパーでは、「近年、地方法人二税の税収が急速に回復していること等を背景に、地域間の税収の差が拡がり、財政力の差が拡大する傾向。この問題については、早急に対応すべき課題。」と明記している。総務、財務省は実務者会合で論点を詰め、対策を検討することにしている。

 この日、出席した香西政府税制調査会長がメモで示した「主要論点をめぐる考え方の整理」の中にも、「地方分権の推進」が挙げられ、「地方税のあり方については、国・地方の財政状況を踏まえ、国と地方の役割分担の明確化、地方税の偏在化の税制の方向に沿った検討が必要」と言っている。

 法人事業税、法人住民税の地方法人二税は、企業の本社のある東京都などにたくさん納められる。だから、地方の公共団体では、その課税方式を変えて、地方に税収を多く配分してほしい、と主張している。地方税をやめて国税にして、交付金のような形にしたらいいとか、全国の地方公共団体のプール財源にして、地方公共団体が独自に別の配分ルールを設けて分けよう、など、さまざまな見解がある。

 これらは、要するに、東京一人勝ち、「一将なって万骨枯る」のは改めなければならない、という問題意識である。これに対し、石原東京都知事は猛反発している。人減らしなど、歳出削減を行なった結果、財政状態がよくなったにすぎない、というわけだ。目下のところ、東京都は孤立無援に近い。

 ところで、この地方法人二税に関する論議で欠けている重要な点が総務省や財務省の研究会が26日に発表した報告書に書かれている。それは、東京都など大都市部では今後、急激に高齢者人口の割合が高まることである。総務省の「市町村の合併に関する研究会」の報告「大都市部における市町村合併の推進について」によると、大都市部(首都圏+愛知県、大阪府。特別区を除く)の高齢者人口の伸びは2000年→2015年に1.78倍になり、その他の地域の1.38倍を大きく上回る見込み。その間の老人福祉費の伸びは大都市部が72.3%増、その他地域が35.6%増である。さらに、今後、公共施設の更新時期を一斉に迎えるため、「財政負担等の急増への対応が必要」と指摘している。

 財務省の「財政投融資に関する基本問題検討会」で藻谷浩介委員(日本政策投資銀行)が行なった報告「日本の人口成熟問題の本質と地域間格差の実相」によれば、少なくとも今後半世紀、日本全体で、20~59歳人口が減少し続ける。いま東京の人口は増えているが、働く人の割合は下がる。そして20年後の首都圏の人口ピラミッドは今の島根県と同様になるという。

 同報告によると、東京都市圏(人口約3千万人)の小売商業の動向は、売り場面積が増えているが、売り上げは減る一方だし、雇用も減っている。1996年をピークに定年退職者>新卒就職者となったため、消費者の所得が落ち始めたという。小売業界は売り場の過剰がひどくなる一方だから、過当競争で値崩れが起きている。こうした状況を踏まえれば、税収面での東京都の一人勝ちなどというのはごく一時的な現象かもしれないし、一面的な見方かもしれない。今の地方法人二税の税収だけを比べるのではなく、今後の経済社会の構造変化をも踏まえる必要がありそうだ。

 それにしても、地方の県、市などには地域の水準をはるかに越えた高給与の是正など、まずやるべき行財政改革をやらないところが多過ぎる。“東京問題”を云々する前に、国からもらう交付金、補助金にもっぱら依存する体質を改めることが先ではないか。自治体を甘やかす総務省にも問題があるが‥。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

イラク戦争と米メディア

 米国の著名なジャーナリスト、デイビッド・ハルバースタム氏が23日に亡くなった。ニューヨーク・タイムズの記者としてベトナム戦争の報道に従事し、戦争の実態が米国政府の発表と全く異なって泥沼化していることを国民に伝え、米国のベトナム撤退への道を開いた。これで同氏は1964年にピューリツァー賞を受けたが、ハルバースタム氏のみならず、当時の米国の新聞、テレビなどのメディアが同様な報道を行なった功績も評価しなければならない。

 ひるがえって、イラク戦争について、今日の米国のメディアはブッシュ政権の発表とは大きく違う実態を適確に国民に伝えているだろうか。米国の民主主義を支える役割を担うメディアは健在だろうか。

 米国の弁護士で、現在、大宮法科大学院大学の教授であるローレンス・レペタ氏によれば、米ジャーナリズムはベトナム戦争当時と比べ、大きく違っているという。その理由としてオーナーシップの変化を挙げる。いまや、米国のメディアは株式を上場しているビッグビジネスの傘下にあったりして、経営者は利益をあげることを優先する。したがって、カネがかかる調査報道をさせないという。キャスターにしても、実力のあるジャーナリストを起用するよりも、セレブを起用するなどの傾向があるとのこと。

 もっとも、あまり批判ばかりするのもよくないというレペタ氏は、米国内でイラク戦争に対する批判が強まっていることと、米国議会で民主党が強い立場に立ったことを挙げ、今後は、メディアも情報をとりやすくなるし、報道の内容もよくなるだろうと指摘した。

 ところで、日本のメディアはどうか。新聞は株式非公開が圧倒的に多いから、米国ほど露骨な利益志向はなさそう。だが、新聞の斜陽化で、手間もカネもかかる調査報道に力を入れることができる新聞社はごくごく限られる。それに中立公正の立場や客観報道主義をとり、厳しい政府批判は概して避ける。また、テレビはNHKを別にして、大手は上場しているし、報道番組にはわずかな経営資源しか投入していない。

 米国のメディアのいい意味での役割はチェック&バランスだろう。しかし、日本のメディアには、そうした役割を担うという使命感がいささか乏しいような気がする。ジャーナリストの皆さんの奮起を望む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月22日 (日)

07年度地方財政運営についての知事宛て文書

 総務省の事務次官が20日付けで、各都道府県知事に出した「平成19年度地方財政の運営について」と題する48ページの文書(通知)を読んだ。すでに決定している07年度の地方財政計画および地方債計画などに基づいて、各地方公共団体に対し、どのような財政運営をすべきか、詳細に指示したものである。

 読んでびっくりしたことを以下に書く。

 1つは、財政運営では当たり前の基本原則をあちこちで述べていること。例えば、「税収入の確保、受益者負担の適正化等財源の確保に努める一方、各種施策の優先順位についても厳しい選択を行い、限られた財源の重点的配分と経費支出の効率化に徹すること」、「経済の動向に即応した機動的、弾力的な運営にも配意し、節度ある財政運営を行うよう通知します」とある。

 別の例だと、「自らの財政状況を分析し、事務事業の見直し、歳出全般の効率化と財源配分の重点化を図り、計画的かつ具体的な財政構造の改善を図ること」、「義務的経費の動向に十分に配意して、中長期的視点に立った計画的な財政運営を行い、財政の弾力性の確保に努めること」とある。どれも当たり前すぎる話だが、これは、それすら実行していない地方公共団体が多々あるからか。それとも、総務省は繰り返し建前を言っているだけで、本気で言っているわけではないと、地方公共団体が多寡をくくっているのを踏まえてか。

 この文書を読んでいると、上意下達、ないし国が地方公共団体に教えさとす、という印象を抱く。また、それと関係があるが、地方公共団体がいかにいい加減なことをしているか、を痛感する。それが上記のように、当たり前のことを繰り返す背景かもしれない。

 行政改革の推進等に関する部分では、「給与関係」の項目で、「ア.給与構造見直しと給与の適正化等」、「ロ.技能労務職員等の給与」、「ハ.退職手当」、「ニ.特別職の報酬等」、「オ.人事評価システム」と細かく分けて、民間に比べて高すぎる地方公務員の給与や手当などを是正するよう求めている。まだ、そんなことを言っているのか、と声を荒げたくもなるが、総務省は本気で是正を求めているわけではないと思えば、納得できる。総務省が本気なら、地方交付税交付金を減らすなどのペナルティを科すはずである。同省が交付金をはじく際の基準財政需要額を算定するとき、高すぎる地方公務員の給与等を減額の対象にしていない。

 もう一つ、びっくりしたのは、「次の事項に留意の上、それぞれの地域の特色をいかしつつ、地域の自立や活性化につながる基盤整備、生活関連社会資本の整備、災害等に強い安心安全なまちづくり、総合的な地域福祉施策の充実等に努められたい」と述べ、「次の事項」を4ページ強にわたって羅列していること。その内容は要するに、地域の独自プロジェクトに対する国の助成措置がこんなにあるというものである。

 各省がいろいろな名目でつくったこの沢山の補助金の制度を一つひとつ理解するのさえ大変だ。申請するとなるとまた事務作業が大変だ。これでは、地方公共団体の職員はこれまで同様、交付金と補助金で国の思うがままに操られるのではないか。地方分権どころではない。

 総務省は、中央官庁の一員であると同時に、地方公共団体の利益を代弁するという二重性格を持つ。しかし、「平成19年度地方財政の運営について」の文書を通して見えてくるのは、総務省は「個性と活力ある地域社会の振興」などと格好いいことを言っているけれど、地方公共団体に対する同省の権限やカネを手放すことになるような改革は全く考えていないということだ。まして同省の影響力を著しく減らすことになる地方自治については本気で推進する気はないということである。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

金融・資本市場WGの意欲的な第一次報告

 経済財政諮問会議のグローバル化改革専門調査会金融・資本市場ワーキング・グループが、20日、第一次報告書「真に競争力のある金融・資本市場の確立に向けて」を発表した。

 国際金融センターはロンドン市場に代表される英国と、ニューヨーク市場に代表される米国の二つが圧倒的に強い。バブルの最中まではこの二者に対抗していた東京市場に代表される日本はその後、金融分野で見る影もないほど落ちぶれた。しかし、日本は、急成長を続けるアジアの一角にあって、1500兆円の家計金融資産を持ち、製造業は依然、強い競争力を持つなど、有力な国際金融センターになりうる要素を備えている。

 もし、ロンドン、ニューヨークに匹敵する金融市場を日本に築くことができれば、金融ビジネスが発展し、高い報酬を得る雇用が多数生み出されたり、国民の金融資産の運用成果を高めたりすることが期待できよう。

 こうした問題意識のもとにまとめられた報告書を読むと、東京市場をフリー、フェア、グローバルおよび自由と規律のある市場にしようと提案している。即ち、上村達男座長(早稲田大学法学学術院長)がかねて唱えている公開会社法の制定や証券取引等監視委員会を米国のSEC(証券取引委員会)のように独立性を高め、準司法的機能を持たせるべきだ、といった改革が盛り込まれているほか、証券取引所の持ち株会社化を踏まえて、商品取引所をその傘下に入れるとか、銀行業務と証券業務の兼業を禁止している銀証分離の業規制を見直すなどといった大胆な内容が盛られている。

 日本の官庁は自分のテリトリー(領分)を守るという発想でこり固まっている。もちろん、それは権限を守ろうとすることであり、天下り先を保持し続けるということでもある。だから、例えば、経済産業省と農林水産省は商品先物の分野(工業品の先物取引は経済産業省が、農産品の先物取引は農林水産省が所管)を、金融の分野(金融庁が所管)と一緒に法規制するのを拒む。 そうした時代に合わない規制が企業家精神の発揮を妨げてきた。だから、東京市場を世界の三大金融センターの一つに育てるには、この報告書に書いてあるぐらいの改革は必要だろう。だから、その趣旨にはおおむね賛成だ。

 ただ、一つだけ疑問がある。銀証分離の見直しを進めることが望ましいという指摘についてだ。銀行業務と証券業務との間にファイアウオール(隔壁)を置くのは効率性だけで言えば、ないほうがいいが、他方、顧客の利益を守る観点からはどうなのか。報告書からは、その点を十分に吟味したとは読み取れない。

 日本の大手銀行は、個人の預金者などに対するサービス意識に乏しい。だから、証券業務を兼業できるとなったら、顧客の財産を守る、増やすことよりも株式、投資信託などを売りつけて手数料をかせぐ対象としか考えないのではないか。

 日本の銀行はバブル崩壊後の経営悪化で海外業務を大幅に縮小し、いまでは、図体がでかいローカルな企業にすぎない。しかも、最先端の金融商品の開発力も弱く、業務内容は間接金融の預金・貸付中心で、旧大蔵省の護送船団行政のころとあまり違わない。そうした危機的な実態であることを当の銀行が認識していないのである。

 だから、銀証分離の見直しをすれば、資本規模の大きい銀行が証券会社を傘下に入れるという結果を招くだけだ。リスク・リターンを商売にする証券業務を、銀行の人間が管理することになると、証券業務が伸びないだろう。結果的に、日本の証券会社が消えていくことになるだけだ。

 ともあれ、安倍首相がこの第一次報告書をどこまで骨太の方針に取り込むか注目しよう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月20日 (金)

人気の職種に異変?

 公認会計士の世界では、金融など高収入が得られるビジネス分野へ転職する会計士が増えているようだ。粉飾などを見逃した会計士が処罰されたり、監査にあたった監査法人が業務停止処分を受けたりしたうえ、みすず監査法人が解体(2月22日のブログで取り上げた)に追い込まれた。それに加えて、企業の外部監査の強化などで、会計士の社会的責任が大きくなった。だが、そうした負担強化のわりに、監査法人で働く会計士の収入が増えないせいらしい。

 2、3年前までは、会計士の業務分野が拡大するのに伴って、会計士協会の幹部は会計士の社会的地位が上がると喜んでいた。しかし、いまや、上場会社などの会計監査などに必要な会計士が確保できるか心配される事態になっている。

 こうした動きは、仕事の中身やリスクと、それに見合った報酬という観点でとらえることができる。即ち、監査法人に所属する会計士の報酬は社会の平均に比べ相当高いけれども、企業の不正経理を防ぐ役割を従来よりはるかに厳しく求められるようになり、会計士の業務負担とリスクは高まっている。いままでいい加減に仕事してきたわけではないが、リスクなどが大きくなったという目でみると、リスクなどに比べて報酬がもっと高い仕事がよそにある。というわけで、会計士の“脱”会計監査が始まったのである。

 地方における医師不足、特に産科、小児科の医師不足が深刻。これらも、過酷な労働条件や、医療過誤ですぐ訴えられるリスクが高くなっているせいだ。地方病院の勤務医の収入はかなり高いが、それよりも、開業医になるほうが労働条件は楽だし、収入も概して高い。仕事の中身やリスクと、報酬との関係が勤務医と開業医とで違い過ぎるのである。ちなみに、国家試験で資格を得る医師については、義務教育の教師と同様、インセンティブを与えるなり、義務付けるなりして、僻地などに赴任させる仕組みの導入も考えられる。

 小中学校の教員の卵を育成する各地の教育大学、学芸大学などの入学志願者が減っている。以前から、景気がいいと教員志望が減るという傾向があったが、原因はどうもそれだけではなさそうだ。政府は教育改革を推進しようとしているが、そのねらいの一つは、できる教師とできない教師とを給与などではっきり差をつけるという能力・成果主義の導入である。しかも、学校間での競争をさせるといったこともあり、親の学校や教師を見る目は一段と厳しくなるだろう。従来以上に教える以外の仕事が増えるし、神経を使うことになりそう。それなのに、一般公務員よりちょっぴり高い、いまの給与を引き下げるという話もある。

 すでに、教師の夏休みなどは相当、仕事でつぶれている。もっぱら生徒を相手にしていればよかった良き時代の教師像は全く過去の話になっている。このままでは基礎教育を担う教師の質が低下していくことは避けられないだろう。

 上級公務員も東大などの成績優秀な人材が弁護士や外資系金融機関などに行くため、志願者の質が落ちているという。政治家をあやつって国家を経営していた時代は終わりつつある。上級公務員は相変わらず長時間労働の滅私奉公だが、天下国家を動かすという仕事の魅力が薄れたうえに、社会は高級官僚に対して天下りを許さない雰囲気になっている。公務員一般の給与水準は高いが、上級公務員の給与は外資系金融・証券などに比べればかなり少ない。

 このように、上級公務員は仕事の質や労働条件などがよくないうえに、報酬も民間の上のレベルに比べると劣る。国を運営するためには優秀な公務員をそれなりの員数、必要とするから、彼らの給与などを適正な水準にまで上げるのはいいが、他方で、その他の公務員の給与などは下げるべきだろう。

 以上の職種はいずれも国家試験をパスするなり、資格をとって初めて就職(開業)できるものである。逆にいえば、一旦、就職してしまえば、ハッピーな人生が約束されていた。これら人もうらやむような職種がいま揺らいでいるのである。そうした変動を引き起こしているのは、グローバルな自由競争、民営化、規制の廃止・縮小などの流れと、仕事やリスクに見合うリターンをという発想ではないか。仕事が楽で、リスクもないのに高収入というのは許されなくなるということだ。

 ところで、韓国のソウル市が仕事をしないでさぼったりしている職員を退職させるため、その候補となる職員を指名し、半年間、「現場是正推進団」に置いて草むしりやごみ拾いをさせるという(「Youngee Ahn の韓国レポート」第206回「無能な公務員は今清掃中」JMM423F)。釜山市なども追随するとのこと。これも、ろくに仕事しなくても、いい給与をもらい、終身雇用というのは許されなくなるという例である。日本にも、そうした動きが起きるのが望ましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月18日 (水)

証券取引所に場立ちがいた頃

 いまの東京証券取引所は売買取引などがコンピュータ化され、かつて立会場に何百人もの場立ち(会員証券会社の社員で、売買注文をつなぐ)がいて売買していた人間くさい雰囲気は全くない。一日の立ち会いが終わり、閑散とした立会場の床に注文伝票などの紙ごみがたくさん捨てられているのを見ると、いつも、つわものどもが夢のあとといった気持になった時代はもう遠い過去のことである。

 最近、たまたま、元の実栄証券で働いていた人の話を聞いた。立会場にたくさんの場立ちがいた時代、実栄証券は才取会員といって、立会場の中にある馬蹄形の机の内側にいて、株式などの売りと買いの注文を付け合わせて、同じ値段の売りと買いの注文があれば株数が同じなら契約成立させる仕事をしていた。

 おおよそ業種ごとにポスト(売買注文を受け付け、売買を成立させる場)があり、それぞれを担当する実栄証券会社があった。全部で12あった。それが1984年に四社に集約され、さらに1991年にさらに一社に統合された。東京証券取引所のコンピュータ化の進展に応じて、人手を介する売買取引が要らなくなったからである。このため、豊富な留保資金をもとに有利な退職条件を提示して社員の大半を整理した。残った人たちがブライト証券(実栄の100%子会社)にいる。

 立会場の時代には、どこの証券会社がどんな売りや買いの注文を出しているかは、銘柄ごとに、売り・買いの値段、数量を書いた才取会員の板を見れば、全部わかった。だから、証券会社の場立ちや、実栄証券の社員、さらには、馬蹄形のポストの内側にいて、実栄証券の仕事をチェックする東証の職員も、ベテランになれば、株式相場の動きが読めるようになる。バイカイを振る(ある値段でまとまった株数の売りと買いの注文を成立したことにする)ため、買い上がっているな、とか‥‥。そうした相場の動向が読めるようになると、立会場の中にいながら、自分の思惑で証券会社の名義で買ってすぐ売り、サヤ(値差)をかせいで自分の懐に入れる者も現れる。

 というわけで、場立ちが自分の思惑で、短時間の間に「買い→売り」や「売り→買い」の注文を出してもうけることがままあった。実栄にいた人によれば、中小証券会社には、給与は低く、社員に対して「立会場は宝の山だ。そこで自分の腕でかせげ」と言っていたところがあった、という。実際、場立ちの中には、そうやってたくさんの収入を得て、「毎日、吉原から通っている者がいた」という。

 実栄証券の社員も、証券取引所の職員も、立会場で、個人的な売買を行うことは禁じられていた。しかし、実栄証券の社員の中には、証券会社の場立ちと結託して、個人の思惑に基づく注文を出す者がいたという。約束に反して、もうけを場立ちに全部もっていかれた者もいたが、もともと不正行為なので、それを表沙汰にはできなかったとのこと。

 また、実栄証券の社員の不正行為を見て見ぬふりをする東証の職員の中には、オレも乗っかるぞ、と不正の注文に加わる者もいたという。

 かつて東証内の兜クラブに記者として詰め、立会場の中をしょっちゅう回ったから、当時、場立ちが手張りするのは知っていた。注文を人間の手で処理する時代には、場立ちによる不公正な売買はやりやすかったと思う。だが、実栄証券や東証の者が不正に手を染めていたとは、今回、初めて知った。

 ニューヨーク証券取引所はかつての東証のように立会場に場立ちなどがたくさんいる。自己売買専門の業者もいる。不正防止の観点からは多分、コンピュータ化されたいまの東証のほうがすぐれているのではないか。そうした不公正取引ないし不正取引の防止という面で、世界各地の取引所がどうなのか知りたくなった。特に、中国の証券取引所について関心がある。 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月16日 (月)

統一地方選で財政改革が論点になるところも

 統一地方選の後半戦が始まった。一般市の市長・市議と東京特別区の区長・区議を選ぶ選挙である。新聞を読む限りでのことだが、財政状態がひどい市で財政改革を訴える候補者が出てきたことを大いに歓迎したい。

 まだまだ、財源に触れないで、福祉等の改善や景気振興策の実施を唱える候補者が多数らしい。だが、一部にせよ、おいしいことを言うだけでは住民の支持を得られないと考える候補者がいることは一歩前進だ。もし、彼らが当選して、市の財政再建に奮闘するなら、結構なことである。

 財政改革をまともに市民に訴える候補者がいる背景には、夕張市の財政破綻がある。全国には、夕張市のように財政状態がひどい市も少なくない。数字だけなら、もっとひどい市もある。だから、そうした地域では、口にこそ出さないが、候補者にも、市民にも、夕張市のような財政破綻には追い込まれたくないという気持ちがあるようだ。

 もちろん、キャッシュフローさえ続けば、破綻することはない、夕張市のような粉飾さえなければ、という見方もあるが、それも程度問題ではないか。財政悪化がより一層深刻になれば、破綻第二号もありうる。

 それにしても、「人柱(ひとばしら)」が立たないと、改革に取り組もうとしない日本社会の悪い癖を、いい加減になくしたいものだ。役所は中央政府も、都道府県も、市町村も、こぞって前例主義、横並び主義、無責任主義から全然、脱していない。小泉前首相の言う“抵抗勢力”そのものである。今度の統一地方選が、そうした日本の改革を半歩なりとも進めてくれないと、21世紀の日本はますます暗い見通ししかもてない。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日 (土)

医師不足への日本医師会の取り組み

 地方の病院における医師不足、なかんずく産科、小児科の医師不足が深刻な問題となっている。新しい臨床研修制度の導入や、医療過誤訴訟による医師への行き過ぎた責任追及などが直接のきっかけだろうが、大都市では多すぎるぐらい医師がいるのに、特定地域や特定の科における医師不足を放置していたら、住民はひどい目にあう。放置しておけば、都市と地方の格差とか、少子高齢化とか、といった問題に拍車をかける。

 どうしたらよいのか。日本医師会の地域医療対策委員会(委員長は愛媛県医師会長)が3月にまとめた中間報告書「医師確保に関する喫緊の対応」はこの問題を考えるうえで参考になる。ちなみに、委員会のメンバーのほとんどが各地の医師会の役員。そうでないのは国立保健医療科学院院長、読売新聞記者の2人だけ。

 過去の政府の対策を振り返り、今後とるべき対策を短期的、長期的の両面からまとめている。そして、「おわりに」のところで、報告書の「処方箋」は「即効的効果のある特効薬とはなりえない」「対策が机上における計画通りに動くことは稀である」とも正直に書いている。そうだろうと思う。ただ、長年の財政的見地からの医療費圧縮がそもそもの原因であり、医師や国民は厚生労働省の政策の積み重ねの結果を見ているに過ぎないという指摘は、医師会というか、医師自身の責任を回避しているのではないか。

 かねて指摘されている通り、日本の医療制度は国民皆保険制度であることを誇ってもいい。しかし、医療制度の各論に入ると、日本医師会が大きな政治的圧力を行使してきたことによる歪みが大きい。その一つは、もっぱら開業医の利益になるようにしてきたことだ。いま起きている現象の原因は多様だが、開業医本位の医療制度がもたらした弊害でもある。

 小松秀樹著『医療崩壊』(06年5月、朝日新聞社)は「立ち去り型サボタージュ」とは何か、という副題が付いている警醒の書である。メディアの報道のありかた、警察介入の問題等々を鋭く追及しているが、「安全とコスト」と題する章で「現在、勤務医は過酷な労働と安心・安全願望の攻撃を受けて、病院診療に絶望している。絶望した勤務医の逃げ場が、中小病院であり、最終的には個人開業である。」と指摘。同時に、「少なくとも、私の知人の勤務医の多くは、日本医師会は開業医の利益代表として政治活動していると考えている。」、「社会からアンフェアだとみなされかねない状況を、あえて放置している団体であると思っている。」とも言い切っている。

 日本医師会の報告書を読む限り、いまの深刻な状況を打破するという当事者の責任や自覚が薄いように思える。誰でもが医療行為をやれるわけではない。医師の国家資格を保有している人しか、医師のいない地域や病院に行って医療にあたることはできない。だから、医師がまず具体的な行動を起こすのが当たり前ではないか。

 「国境なき医師団」とか、医療を受けられない途上国の人々を救うボランティアがあるように、日本の中でも、医師会が音頭をとって医療真空地帯に医師をボランティアとして派遣するぐらいの活動を起こしてほしいものだ。そこまでやれば、政治が目覚め、本気に対策を立てる。厚生労働省は、政治にきわめて弱いし、政治は医師会に弱い、という構造を踏まえると、まず、医師会が自らの社会的責務を自覚することが第一だ。そうなれば、自分たちの利益しか眼中に無い圧力団体という日本医師会へのイメージが変わるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月10日 (火)

日本は温暖化対策に関心が乏しすぎる

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、世界の科学者が集まって地球温暖化の科学的な解明、温暖化の影響、対応策などを取りまとめる機関。ことしの2月2日に第一作業グループの第4次報告が発表になり、4月6日には、第二作業グループの第4次報告がまとまった。第三作業グループの第4次報告は5月にまとまる予定だ。全体をとりまとめた報告書の発表は11月になる。

 発表になった報告書によれば、温暖化は人為的な影響によるとほぼ断定している。このままだと、人類の多くは21世紀のうちに生存の危機に直面しそうだ。いま生まれた赤ちゃんの大半が生きているうちに、深刻な各種のリスクに見舞われるということである。

 しかし、日本では温暖化への危機感や問題意識が希薄だ。いまだに、先進国全体で1990年に比べ温室効果ガスを5%減らすという京都議定書(2008~2012年の温室効果ガス削減を義務付け)の約束を達成することが政府や企業の大きな関心事である。日本経団連も、自主的取り組みによって産業界の削減目標を達成できると誇らしげである。だが、京都議定書に基づく削減を達成できたとしても、温暖化の勢いをとめることにはならない。

 温暖化の悪影響をできるだけ抑えるには、世界全体として温室効果ガスの年間排出量を21世紀の半ばごろまでに現在の半分以下に削減する必要がある。それを世界各国が合意して実行するのは至難の技だが、人類の運命はその成否にかかっている。

 IPCCの第4次報告は、「ポスト京都」をどうするかを決めるための基礎的な情報である。EUが2020年に20%削減という目標を決めたように、日本もポスト京都について思い切った削減策をまとめて世界に提示すべきだが、政府にも産業界にも、そうした動きがまるで感じられない。IPCCに関わっていて、日本は60~80%を超える排出削減を求められるという西岡秀三氏(国立環境研究所理事)は「工業化以前から2度上昇あたりを危険レベルとすると、もう残り時間は少ない。あと20年ぐらいしかない」と語っているのに。

 日本では与野党とも政治家は目先の選挙のことばかり考えている。地球温暖化対策を声高に訴える有力政治家は皆無だ。政府にしても、環境省はまるで存在感がない。企業の中には、先を見て厳しい環境保全対策に取り組んでいるところもあるが、その数はわずかである。

 メディアは、国民に環境マインドを持ってもらうのに最も貢献しうる存在なのに、新聞、雑誌、テレビは温暖化問題をほとんど扱わない。IPCC第二作業グループの第4次報告発表は、新聞でいえば一面トップで扱うべき問題なのに、そうではない新聞ばかりだった。一過性の問題ではないのだから、キャンペーン的に繰り返し取り上げるのを使命とするメディアが1つぐらいはあっていい。いずれにせよ、いまのメディアの体たらくでは、資源やエネルギーを大量に消費するライフスタイルを変えようという国民は少ないだろう。

 日本は環境対策で進んでいると自負してきたが、温室効果ガスを半分に減らすような対策は持ち合わせていない。だが、科学的なアプローチによる知見から目指すべき削減目標をまず立てること、そして、それに基づいていまからどのような対策を実行していくかを決めることが重要だ。目標を達成するには、政治家も、役人も、企業も、個人も、経済や生活のありかたを根底から変えることを求められる。それほど大きな転換点にあるのだ。メディアは自らの社会的使命を自覚してほしい。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 7日 (土)

夕張市の道からの低利借金と金融機関への返済

 3月6日に総務省から財政再建計画に対する同意を得た夕張市。今月2日に、北海道庁から353億円の支援融資を受けると同時に、三菱UFJ信託銀行、みずほ銀行や地元の金融機関に合計352億円返済した。(朝日新聞4月6日付け朝刊)。

 道庁の融資条件は期間18年、年利0.5%で、この支援融資で、夕張市の金利負担は従来より1ポイント程度下がるという。金額では年間3億円余に相当するだろう。その分は直接的には北海道の住民が負担することになるが、それは、北海道庁が見過ごしていた責任をとったという意味なのか。

 9月15日付けのブログ「“夕張市”問題のその後」で、「夕張市が借金を重ね、実質破綻した責任を関係者(ステークホルダー)にきちんと問うことが絶対に必要だ」と指摘した。その中で、議会、監査委員、住民や、金融機関、北海道庁、総務省といった関係者を挙げた。

 今回の財政再建計画により、当事者である夕張市の職員や議会は当然のこと、住民も応分の責任をとることになった。高橋知事の言葉からは、道による低利融資は「責任」という表現は全くないが、受け取り方によっては責任をとったということかもしれない。

 しかし、金融機関に一括返済したことで、金融機関を免責にしたのはおかしい。不正を知って融資していた金融機関には“貸し手責任”がある。破綻した夕張市が再建しようというときに、ある程度の債権カット(免除)に応じるべきだろう。後藤市長はなぜ、債権カットを要請しなかったのか。また、道庁はまず、夕張市に融資する金融機関に対し、債権カットや金利引き下げを交渉するよう指導し、応援すべきだった。

 もしも、夕張市や道庁がそうした交渉を始めたという情報を公開したら、金融機関側は担保を確保していたとしても、それなりのカットに応じる回答をせざるをえなかった可能性は十分あった。道庁による支援融資は「責任」という視点からみると問題がある。

 ちなみに、自治体が借金のカットを求めるのは例がないわけではない。東京都は06年10月31日に、臨海副都心にある第三セクターの東京都テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発の3社の民事再生計画案を提出したと発表、負債総額3549億円のうち、2076億円について金融機関などに債権放棄を要請した。

 まもなく市長選が行われる。選ばれる市長は、借金を返済してしまったあとからとはいえ、金融機関の不当性を唱えたらいい。住民や地域のNPOも、同様な取り組みをしてみたらどうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 5日 (木)

「多摩市議会議員の通信簿」

 東京都の「多摩市議会ウオッチングの会」が4月22日の市議会議員選挙に向けて、26人の議員に関する03年6月~06年12月議会の活動状況を通信簿にまとめた。再選をめざす現職議員にとって、親(有権者)に見せたい内容か、見せたくない内容か、とても気になるところだろう。

 通信簿を読んでの第一の感想は、それに要したインプット、即ち、「ウオッチングの会」メンバーの労苦、エネルギーのすごさである。市議会を欠かさず傍聴し、各議員の選挙公約と、それが一般質問などでどの程度、取り上げられたか、や、出欠、野次や居眠りなどをチェックする。それらの一つひとつの情報を集約し、会員が皆集まって評価する。リタイアした人たちが多いようだが、これだけ情熱を傾けて集中できるパワーにはただただ敬服するばかりだ。

 通信簿づくりに参加した会員12人がうしろの方でそれぞれの「思い」を書いているが、その一人は「現役市議は、通信簿でも見たとおりその3分の2は、市民のために役立っているとは思えない」と書き、別の一人は「行政にイエスマンの議員は、まっぴらごめんです」と言っている。また、「思い」の一部は多摩市の議会だけでなく、行政に対する批判もしている。

 通信簿は「一般質問実施状況及び本会議欠席状況」、「一般質問での質問時間と行政の答弁時間」、「議案、陳情等の審議結果(各議員の賛否態度)」、「議員活動総括評価表」を掲げ、議員一人ひとりがどうだったかを示している。「議員活動総括評価表」が言うなればひとめでわかる成績表だ。一人ひとりについて、党・会派、議員歴とともに、政策提言力、行政チェック能力、議会態度の3項目に分けて秀(花丸)、優(◎)、良(○)、不満(△)をつけている。

 また、「各議員の公約、一般質問、情報公開度、寸評」というページもある。これを読めば、それぞれの議員がどんな評価を受けたかの根拠がわかるようになっている。

 ウオッチングの会の努力には頭が下がるが、あえて注文をするとーー。

 「政策提言力」、「行政チェック能力」、「議会態度」のものさし(定義)が欲しい。財政改革について公約をしている議員は一人いるかいないかだが、カネを使う公約はその財源をどう確保するかと表裏一体のはず。そうした重要だと思われる公約を挙げていない議員はその分、評価を下げる必要があるのではないか。

 「議員活動総括評価表」は議員活動を狭義にとらえて評価しているように思える。「情報公開度」は総括評価表に加えてもいいのでは。3つとは別というなら、その横に、二重線で分けて載せてもいいと思う。

 不祥事を起こさないまでも、ろくに住民のために働かない首長や議員を選んだのも住民である。そうした首長や議員たちを“追放”するのには、住民の目覚めが重要である。ウオッチングの会のような“目覚まし”が各地に広がってほしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 1日 (日)

浅野氏と石原氏の話を聞いての所感

 東京都知事選挙で競っている浅野史郎氏と石原慎太郎氏のそれぞれの会見を聞いた。耳に残った部分や印象などを記す。

 浅野氏は何をいつまでにやる、その財源はどうする、と選挙民に「約束」するマニフェスト型。選挙民に対し、投票してくださいと「お願い」する選挙ではないという。また、「選挙運動で遊説し、握手する。そのとき、選挙民から不満を言ってもらう。このように情報のシャワーを浴びることによってオリンピックは中止するという公約に変えた。また、選挙運動を通じて、精神的、体力的に耐えられるか、を試される。宮城県では3回選挙をしたが、遊説を通じて知事になっていくのです」と語る。

 「いろんな人がもう石原知事は勘弁してほしいと言う。だが、そうは言っても、また石原さんになっちゃうんだろうな、と皆言う。しかし、そうしたあきらめが定着したら、それが日本の政治全体に定着してしまう。日本の政治はどうなっちゃうんだろうかという疑問が私の心に火をつけた。日本の政治をまず東京から変えていこう」。

 地方自治体の中で東京都が財政的に豊かであり、東京都から他の自治体に税収などを回すべきだという東京富裕論について、「カネの問題で東京都とその他(道府県等)とが対決しているような見方はよくない。自治体の仲間意識がくずれてしまうから」と語る。その一方で、質問に答えて、財政状況を比べたら、東京都と宮城県とは「兄たりがたく弟たりがたし、目くそ鼻くそのたぐい」と、さして違わないとの認識を示した。

 防災、福祉、教育、オリンピック中止、新銀行東京の整理、徹底した情報公開。それに開発よりも秩序ある発展、スローライフ、本物の豊かさを、等々が浅野氏のアピール。

 東京都は国内の都道府県の一番の兄貴分であると同時に、ときには中央政府と真っ向から渡り合うことが必要だし、世界でも一目も二目も置かれる立場でもある。それにふさわしい見識、ビジョンおよび力量が知事に求められる。そうだとすれば、浅野氏の話およびマニフェストからすると、そこが物足りない。

 次に、石原氏は都知事として、ディーゼル車排ガス規制のイニシアチブをとったり、不足する保育所を都独自の認証保育所設置で補うとか、都ならではの政策を実行してきた。都の会計制度を企業のように複式簿記・発生主義に切り替えて、財政状態をより適確に把握できるようにした。そうした実績を訴えている。また、オリンピックを招致した場合の都の持ち出しは約450億円にすぎず、経済効果は2兆8千億円にのぼると語った。先の東京大マラソンは「大成功。東京都以外の参加者からたくさんの感謝の手紙が届いた。10億円の経費がかかったが、都の負担は4億円だけで、180億円の経済効果があった」と言う。

 「都の情報公開でコピーを求める人の55%は他県の人で、営利目的がほとんど。都民の税金を使って他県の人に1枚10円でコピーを提供するようなことはしない。1枚20円のまま据え置く」という。

 石原氏は「10年先の設計図」を選挙民に訴えている。いままでやってきたことの延長だそうだが、期限も財源も示していないから、マニフェストとは言えない代物である。

 石原氏はいまも作家活動を続けているし、国会議員や閣僚の経験もある。米国に対してノーと言える日本、という主張を著書にしたこともある。それだけに、これまで都知事として、国政に対しても、海外に対しても存在感があった。都知事に必要なカリスマ性も備えている。

 しかし、独自の政策が裏目に出ることがあるし、日の丸、君が代問題などでの強制に対する教育現場での反発もある。石原氏は「いままで傲慢だったことはない。説明不足だったことは確かだ」と言うが、それを真に受ける者は少ないだろう。

 それよりも何よりも、会見で感じたことは、石原氏の老いである。話が回りくどくて、何を言いたいのかがわかりにくいことが少なくなかった。親切に説明しようとしていたのかもしれないが、簡潔に要点を語ることは政治家として欠かせないはずだ。

 ダイエーの創業者の中内さんは歳をとるにつれ息子に会社を継がせることに執着するようになった。石原氏が息子を都の仕事に起用するなどというのが、中内さん同様、老いのなせるわざでなければいいが‥。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »