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2007年4月30日 (月)

むのたけじ 90歳の反省

 むのたけじ(武野武治)、といっても、若い世代の人たちは知らないだろう。第二次世界大戦で日本が降伏したとき、朝日新聞の報道第二部(社会部)にいた彼は、戦争の真実を報道しなかった新聞の責任を強く感じて直ちに辞職した。こうして読者に対するけじめをつけたむのは秋田県横手市で週刊紙「たいまつ」を発行した。単行本「たいまつ」は私たちが生きていくうえで糧となるすばらしい言葉に満ちていた。

 いまも健在のむのたけじが4月29日付け朝日新聞朝刊に、やはり戦時中、朝日の報道第二部にいた岸田葉子氏とともにインタビューに応じている。その中でむのは戦争責任の受け止め方として「会社を辞めると言う自分の身の処し方は最悪だった、と今では思う」と語っている。

 琉球新報が04~05年に「沖縄戦新聞」と題する企画記事を連載した。この連載はむのによると、「「もしあの戦争中に新聞が新聞の魂を持っていたら、こういう新聞を作ったはずだ」という思いをもとに、現在の情報と視点で沖縄戦の実相を書いた」。それと同じことを敗戦直後から実行することが、当時、むのらの読者に対する責任だったと彼は反省している。書くことで償うべきだったと90歳になって知らされた、むのはそう言う。

 朝日新聞もそうだが、日本の新聞は、戦争に対する自分たちの責任を徹底的に追及することなく戦後に移行した。そうした状況追随主義は今日にいたるも変わっていない。敗戦は新聞が戦争責任を自覚して、読者に真実を伝える民主的な新聞に変わる大きなチャンスだったが、新聞人は唯一とも言うべきそのチャンスを生かさなかった。

 むのの悔恨は、おそらく、そのチャンスを生かし、朝日に残って新聞を変革させることに自らをかけるべきだったというのだろう。しかし、むのが残っていたとしても、どれだけ朝日新聞が変わったか。大きな企業組織ーー大新聞もそうだがーーが経営を優先し、公正、正義にそむくことは少なからずある。私は、むのが孤立無援ながら、「たいまつ」をかかげたことのほうが日本の社会に大きな意義があったと思う。

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コメント

戦前に聖戦完遂を呼号し、戦後に平和絶対と唱える人に何を聞くべきなのか、僕にはさっぱり分からない。戦前に戦争反対と言ったのなら全く話は別だ。しかし、戦後に「平和絶対」と言って喝采は浴びても、とがめる人は誰もいないからだ。
この人の「反省」とは只の自己陶酔ではないか、あるいは舞台裏で我々を嘲笑っているのではないか、と深刻に疑わざるをえない。

投稿: 666 | 2015年1月30日 (金) 12時58分

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