« “地域間の税源格差”論議が強まる | トップページ | むのたけじ 90歳の反省 »

2007年4月28日 (土)

山崎正和氏の教育改革論

 文部科学省の中央教育審議会会長に就任した山崎正和氏が26日に会見した。とても興味深い話が多かった。

 「審議会などは政策を決定する組織ではない。政策は政治家がつくるもの」、「中教審会長としての所懐はない」、「審議会に私の教育観、意見を持ち込むのは避けようと思っている」と語る一方、「個人としての教育についての考え方」をくわしく述べた。その中のいくつかのポイントを紹介するとーー。(誤解しているところがあったらお許しを)

 先進国の教育は2つの面からとらえねばならない。国家の統治行為の1つであることと、サービスとしての側面とである。前者についていえば、国家は最低限度の知識を共有して成り立つものだから、いわゆる読み書きソロバン+遵法精神を身に付けることを国民に求める権利がある。国民はその義務を負う。読み書きソロバンなどは他人のため、社会のために必要なことであり、個人には無知である権利はない。だから、国家は義務教育を課すことができる。

 後者は、個人の自己実現を助けるためである。そこでは、民間の活動も許容できる。この面では国家の役割は縮減したほうがよい。サービスのための教育を国家が行なうのは、一つには福祉のため、いま一つは、立派な才能が育てば、その成果は国民のものになるからである。

 小渕内閣のとき、山崎氏は国家百年の計として、学校での教育は週3日制にすることを提案した。精選した内容を徹底して教える。理解するまで卒業させない。残る4日はクーポンを生徒に与え、生徒が学びたいところに行って学べばよい。料理屋に教わりに行くとか。勉強好きな生徒はいきなり大学に行ってもいい。

 人を指導する仕事ーー教師だけでなく、医者、弁護士、裁判官、警察官も似ているーーはある権威を必要とする。権威がなければ、誰も従わない。それは人に尊敬されるところから生まれる。そのためには、新聞は教師をほめてほしい。99%がよい教師でも、記事にはならないが。それで、教師に自己犠牲を必要とする意識を植え付けようではないか。

 いまの道徳教育は要らない。教科で教えるものではなく、大人が身をもって教えるもの。歴史教育もやめるべきだ。第二次世界大戦につながるそれ以前の出来事は政治の問題。それを教えるのはやめる。歴史への関心なら、面白い対立した内容の本を読ませる。新撰組をめぐる2冊、ルネサンス論の2冊とか。そうしたら、生徒は自分で勉強を始めるだろう。

|

« “地域間の税源格差”論議が強まる | トップページ | むのたけじ 90歳の反省 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/184848/14876780

この記事へのトラックバック一覧です: 山崎正和氏の教育改革論:

« “地域間の税源格差”論議が強まる | トップページ | むのたけじ 90歳の反省 »