証券取引所に場立ちがいた頃
いまの東京証券取引所は売買取引などがコンピュータ化され、かつて立会場に何百人もの場立ち(会員証券会社の社員で、売買注文をつなぐ)がいて売買していた人間くさい雰囲気は全くない。一日の立ち会いが終わり、閑散とした立会場の床に注文伝票などの紙ごみがたくさん捨てられているのを見ると、いつも、つわものどもが夢のあとといった気持になった時代はもう遠い過去のことである。
最近、たまたま、元の実栄証券で働いていた人の話を聞いた。立会場にたくさんの場立ちがいた時代、実栄証券は才取会員といって、立会場の中にある馬蹄形の机の内側にいて、株式などの売りと買いの注文を付け合わせて、同じ値段の売りと買いの注文があれば株数が同じなら契約成立させる仕事をしていた。
おおよそ業種ごとにポスト(売買注文を受け付け、売買を成立させる場)があり、それぞれを担当する実栄証券会社があった。全部で12あった。それが1984年に四社に集約され、さらに1991年にさらに一社に統合された。東京証券取引所のコンピュータ化の進展に応じて、人手を介する売買取引が要らなくなったからである。このため、豊富な留保資金をもとに有利な退職条件を提示して社員の大半を整理した。残った人たちがブライト証券(実栄の100%子会社)にいる。
立会場の時代には、どこの証券会社がどんな売りや買いの注文を出しているかは、銘柄ごとに、売り・買いの値段、数量を書いた才取会員の板を見れば、全部わかった。だから、証券会社の場立ちや、実栄証券の社員、さらには、馬蹄形のポストの内側にいて、実栄証券の仕事をチェックする東証の職員も、ベテランになれば、株式相場の動きが読めるようになる。バイカイを振る(ある値段でまとまった株数の売りと買いの注文を成立したことにする)ため、買い上がっているな、とか‥‥。そうした相場の動向が読めるようになると、立会場の中にいながら、自分の思惑で証券会社の名義で買ってすぐ売り、サヤ(値差)をかせいで自分の懐に入れる者も現れる。
というわけで、場立ちが自分の思惑で、短時間の間に「買い→売り」や「売り→買い」の注文を出してもうけることがままあった。実栄にいた人によれば、中小証券会社には、給与は低く、社員に対して「立会場は宝の山だ。そこで自分の腕でかせげ」と言っていたところがあった、という。実際、場立ちの中には、そうやってたくさんの収入を得て、「毎日、吉原から通っている者がいた」という。
実栄証券の社員も、証券取引所の職員も、立会場で、個人的な売買を行うことは禁じられていた。しかし、実栄証券の社員の中には、証券会社の場立ちと結託して、個人の思惑に基づく注文を出す者がいたという。約束に反して、もうけを場立ちに全部もっていかれた者もいたが、もともと不正行為なので、それを表沙汰にはできなかったとのこと。
また、実栄証券の社員の不正行為を見て見ぬふりをする東証の職員の中には、オレも乗っかるぞ、と不正の注文に加わる者もいたという。
かつて東証内の兜クラブに記者として詰め、立会場の中をしょっちゅう回ったから、当時、場立ちが手張りするのは知っていた。注文を人間の手で処理する時代には、場立ちによる不公正な売買はやりやすかったと思う。だが、実栄証券や東証の者が不正に手を染めていたとは、今回、初めて知った。
ニューヨーク証券取引所はかつての東証のように立会場に場立ちなどがたくさんいる。自己売買専門の業者もいる。不正防止の観点からは多分、コンピュータ化されたいまの東証のほうがすぐれているのではないか。そうした不公正取引ないし不正取引の防止という面で、世界各地の取引所がどうなのか知りたくなった。特に、中国の証券取引所について関心がある。
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