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2007年6月29日 (金)

長時間労働をなくすことに真剣であれ

 日本経済団体連合会の「企業行動憲章」(最新版は04年5月18日決定)および「企業行動憲章」実行の手引き(最新の第5版は07年4月17日決定)を関心のあるところだけ読んだ。なかでも関心を持って読んだのは長時間労働について、どのようにとらえて、どう改めようとしているか、だった。

 憲章の10項目のうちの第4には「従業員の多様性、人格、個性を尊重するとともに、安全で働きやすい環境を確保し、ゆとりと豊かさを実現する」とある。

 そして、手引きには、その「背景」として(1)人間尊重の経営の堅持、(2)グローバル化の進展、(3)人口減少社会への対応とワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の推進、(4)持続的発展と競争力強化のための人材育成強化、を挙げている。

 そして、次に①「ワーク・ライフ・バランスを推進するとともに、多様な人材の就労を可能とする人事・処遇制度を構築する」、②「雇用および処遇における差別を行わず、機会の均等を図る」、③「労働災害を防止し、従業員の健康づくりを支援する」、④「従業員の個性を尊重し、従業員のキャリア形成や能力開発を支援する」、⑤「従業員と直接あるいは従業員の代表と誠実に対話、協議する」というように分けて、それぞれ「基本的心構え・姿勢」および「具体的アクション・プランの例」をかなり細かく記している。

 しかし、どこにも長時間労働とか残業といった言葉が見当たらないし、当然、それをなくすとか、減らすとかいう問題意識もうかがえない。「具体的アクション・プランの例」のなかに、「36協定の締結」、「労使による労働時間などの設定改善委員会‥‥を設置する」という言葉はあるが、長時間労働が、本人の健康や家庭生活に悪影響を及ぼし、少子化、子供の非行などを招いたり、男女差別を存続させる要因となったりしているという問題意識が全くない。驚くばかりだ。

 2月14日のブログ「時間外労働と賃金割増率を云々する前に考えるべきこと」で、労働基準法には1日8時間労働、1週間に40時間労働という基準がある(第32条)ことを書いた。労使が協定すれば残業や休日労働させることができる(第36条)が、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすものでなければならない」(第1条)ことが大前提である。

 「企業行動憲章」を読むと、「ステークホルダーとの対話を重ねつつ社会的責任を果たす」、「法令遵守が社会的責任の基本である」、「企業と社会の発展が密接に関係している」、「国の内外を問わず、人権を尊重し、関係法令、国際ルールおよびその精神を遵守するとともに、社会的良識をもって、持続可能な社会の創造に向けて自主的に行動する」などと美辞麗句を並べている。

 しかし、現実の長時間労働、休日出勤の多さをみると、「憲章」はまさに「百の説法、屁一つ」である。

 それよりも、日本経団連は、残業などをやめて、1日8時間、週40時間の労働時間の中でフルに仕事をし、成果を挙げるように、会員企業に呼びかけたらどうか。企業は生産性が上がり、社員など働く者は家庭生活をエンジョイできる。そして結婚する人が増え、子供がもっと生まれるだろう。それに子供が健全に育つ。一挙にそこまでいかなくとも、一歩踏み出すことが大事だと思う。

 現実の企業は国際競争があるし、そう、きれいごとだけではいかないという事情もあるだろう。知識集約型の産業・企業においては、在宅労働もありうるし、8時間労働という発想が合わない面も出てきている。ホワイトカラー・イグゼンプションの導入を求める理由もわかる。でも、物事を考える基本として、1日8時間、1週40時間を忘れてはいけない。

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2007年6月25日 (月)

地方のバス路線確保は大事なこと

 愛知県のある中小都市を訪れたら、駅からのバス路線が廃止されていた。この市では路線バスは皆無。よそから来た人はタクシーを利用するしかない。もっとも、近年は、市長の発案で、住民のため、昼間の時間帯だけ、タクシーを雇ってコミュニティ・カーとし、特定のコースを30分ごとに走るようにしているという。

 利用者が多くてタクシー1台で乗り切れないときは、応援のタクシーが来るようになっている。利用料金は区間によって違うが、100円、200円などとなっている。昼間だけとはいえ、マイカーがない住民にはありがたい存在である。

 土地の人に聞くと、どこの家もクルマを2台、3台と持っている。どこに行くにも、マイカーを使う。家族が通勤や通学で電車を利用するときは駅へ送り迎えしているという。マイカーが増える→バス利用者が減る→バス会社の経営が悪化し運行本数を減らす→バスが不便になりマイカー依存が増える→バス会社が撤退、というお定まりのてんまつだ。

 でも、世界に冠たる高齢化の進行、石油の値上がり・資源枯渇、二酸化炭素の排出による地球温暖化、等々を考えると、地方の極端なクルマ依存は持続可能ではない。地方に行けば、高齢者の比率が高い。彼らは家族のマイカー運転に頼らなければ、遠出は無理。買い物に行くことさえ容易ではない。石油が値上がりしたため、マイカー依存の暮らしは生活を圧迫している。それに、温室効果ガスの排出を大幅に削減するには、ハイブリッドカーもいいけど、クルマをできるだけ使わない社会システムに転換することが求められている。

 そのための大きな一歩として、地方都市にバスなど公共交通機関がひんぱんに走り、マイカーがうんと減るように社会システムを変えていく必要がある。それを実現するには、まずは自動車・石油にかけている税金(道路特定財源など)を地方公共交通機関の補助に充てるのがいい。地方交付税交付金の算定基準に入れるのがいいのかもしれない。それによって、安くて便利な路線バス、しかも環境にもやさしいといわれるようにしたいものである。

 私たちの社会や暮らしは20世紀の豊かさモデルにどっぷり浸かっている。でも、たくさんの資源・エネルギーを使うから、このモデルは間もなく破綻するだろう。過去の延長線上で何とかなるさ、と楽観したいけど、破綻リスクはあまりに大きい。したがって、いまの経済社会システムをご破算にしてゼロから新しいシステムをつくりあげるという発想で、21世紀の日本を変革していくことが今日の課題である。政府も政治家も、地方の首長も、危機に直面する21世紀の日本と世界のありかたを真剣に考えてほしい。

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2007年6月23日 (土)

新興企業の落とし穴

 日本電信電話公社が民営化してNTTになりたてのころ、同社のある支社で売り上げが急激に増えて社内で評判になったことがある。それは、ある番号に電話をかけると、受け手の女性とエッチな会話ができる、ということで、全国から電話が殺到したからである。その支社の社員たちは、公社と違い、民間の株式会社はとにかく、もうけること第一だと思ったのである。

 最近の企業スキャンダルを見ていると、急成長した企業およびその経営者の中には、利益をあげるためには、少々、ルール違反をしてもかまわないという風土や意識があることに気付く。介護事業のコムスンと、その親会社で、人材派遣業のグッドウイル、加工食品の加ト吉、中古本のブックオフ、英会話学校のNOVA‥‥、これらは、利益をあげるためには、顧客を食い物にしたり、業績をよくみせるために決算を粉飾したり、あるいは、創業者の経営トップが会社のカネを自分のポケットに入れたりしている。これらの会社に比べれば知名度はないが、食肉加工卸のミートホープも、コストを安くするため、牛肉コロッケなどに豚肉などを用いていたから同類である。

 社会から信用を得て、会社を永続させるには、上は社長から下は平の社員まで、誠実に顧客本位のビジネスに徹しなければならない。これは、言うはやすく行なうは難しで、経営が厳しい状況に追い込まれると、ついつい手抜きや不正などをしてしまうことがある。この悪魔のささやきに抗するには、よほどしっかりした社風、家訓、伝統などが会社の隅々まで浸透していることが必要だ。

 現代は株式・資本市場の経済や社会に対する影響力が強いため、人々は会社の売り上げや利益、そして成長に注目する。メディアの提供情報を通じて、人々は上記のような新興企業についても、主に株式・資本市場のモノサシでみている。それらの会社で仕事をしている人たちが日常、どのような働き方をしているのか、仕事に生き甲斐を感じているのか、彼らのワークライフバランスはどうか、などは数字の陰に隠れてみえないし、あまり関心も持たれない。

 しかし、CSR(企業の社会的責任)というフィルターをかけると、それらの企業が違ってみえるはずだ。株式・資本市場も、新興企業のみならず、公開企業すべてに対して、会計情報とともに、CSRに関する情報も公開させるように義務付けたらどうか。

 いま、多くの会社がCSRレポートを出しているが、その内容は残念ながら、真に人間の尊厳や社会の永続(サステナビリティ)を踏まえたビジネスをしているかを検証するものではない。

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2007年6月20日 (水)

”骨太の方針”2007が閣議決定

 政府は6月19日の臨時閣議で『経済財政改革の基本方針2007~「美しい国」へのシナリオ』を決定した。経済財政諮問会議がまとめた内容をそのまま閣議決定したものだ。

 安倍内閣は小泉内閣のあとを継いで構造改革を推進すると言ってきたし、小泉前首相同様、経済財政諮問会議を、内閣主導の政治運営を行なうための仕掛けとして用いてきた。しかし、安倍首相のもとでの経済財政諮問会議は、小泉ー竹中ラインとはかなり実態が異なっているように見受けられる。そして、それが今回の基本方針が総花的でパンチ力が乏しい理由のように思える。

 安倍首相は小泉前首相同様、経済財政諮問会議に出席しているが、小泉前首相と違って、会議の議論の方向をびしっと指示することはなかった。用意した紙を読むことはあっても、それ以上のリーダーシップはなかった。

 大田経済財政担当大臣は一生懸命に会議の準備、運営などを行なってきた。しかし、竹中平蔵氏が経済財政担当相だったときのように、与党や官僚の反対を承知のうえで改革の方向を明確に打ち出すようなことはない。竹中氏は内閣府の官僚とは別に独自のブレーンを抱え、小泉氏のバックアップをもとに改革に邁進したが、大田氏は官僚と対決するような独自の主張がないし、自民党の要求にも耳を傾けているようにみえる。それに、諮問会議では単なる進行役にすぎないみたいだ。

 このように、安倍首相も、大田経済財政担当相も、一応まじめに諮問会議を運営しているものの、改革への気迫があまり感じられなかったといわざるをえない。政(自民党)ー官の戦後体制がまたぞろ復活し始めているのは、そのせいだろう。

 行財政改革について、基本方針2007の文言は、基本方針2006を踏襲しており、まずは2011年度の基礎的財政収支の黒字化など「歳出・歳入一体改革のプログラムを確実に実行する必要がある」などと述べている。しかし、総論はよくても、各論となると、政ー官が財政支出を膨らませようとするから、財政改革の流れが頓挫するおそれもある。安倍首相はその時々の政治状況で無原則な妥協をするから、安心できない。

 政治のリーダーは原則をきちんとしないと国を滅ぼす。参院選挙での自民党不利で、安倍さんがあせって次から次へとおかしな政策を打ち出すようなことになったら、大変だ。基本方針2007が棚上げにならないよう国民の監視が必要である。

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2007年6月18日 (月)

97歳の現役取締役、留任へ

 住友不動産の安藤太郎さん(97歳)が6月末の株主総会で、これまでの代表取締役相談役のポストから、代表権をとった取締役相談役になるという。同社は、東京証券取引所一部上場会社である。その株主たちが安藤さんをさらに今後2年間、取締役にするというのなら、外部の者がああこう言っても仕方がないかもしれない。それでも、なお、それはひどいと言いたい。

 安藤さんは住友銀行の役員時代、同社の東京駐在が長く、政治担当だった。彼に何度か会ったが、それは1960年代から1970年代のこと。住銀の副頭取や住友不動産の社長の時代である。その頃、彼が「昔、旧制高校の入学試験に落ちたことがあり、浪人時代、憂鬱で、毎朝起きるのがつらかった。その当時のことをいまだに夢に見る」などと言っていたことを覚えている。銀行の副頭取時代、飛ぶ鳥を落とす勢いだったあんたろう(愛称)さんにも、そんな一面があるのかと親しみを感じたりしたこともある。でも、もう、そんなことはあんたろうさんも忘れているだろう。

 コーポレート・ガバナンスなどと難しい用語を使わずとも、会社は誰のものか、考えれば、会社の経営を預かる取締役や執行役員は知力、気力、体力、良識などを備えているのが前提となる。グローバルな経済社会の変化に対応できる経営者は高齢ではつとまらない。安藤さんの取締役留任を提案した現経営陣は、猫の首に鈴を付けられないだけのことかもしれないが、いまどき、まだ、そんな会社が上場していることが信じられない。

 安藤さんは極端に目立つひどい例だが、80歳前後の経営者が現役社長だったりする例もある。業績がよければ構わないという見方もあろうが、高齢の経営トップと、ナンバー2以下との年齢差が開き過ぎているのは、独裁的経営を招きやすい。結果的に企業経営がおかしくなることは過去に枚挙のいとまがないほどだ。

 社外取締役がいても、彼らが80歳前後という一流企業が結構、目に付く。しかし、過去に経営者として立派な業績を挙げた人だって、高齢になり、しかも自分の勝手知ったる分野ではない会社の社外取締役になって、本当に、社外取締役としての責任を果たせるのだろうか。また、そういう人はいくつもの会社に顔を連ねていることが多い。超有名な世界一のメーカーの元社長も、82歳であちこちの取締役をしている。あんたろうさんほどではないが、彼らも自分にブレーキがない点で同類である。 

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2007年6月16日 (土)

「これ以上やさしく書けない」個人向け国債の話

 「これ以上やさしく書けない」などといわれると、物書きにとっては気になる。というわけで、たまたま財務省に行ったとき、同省が発行するパンフレット「これ以上やさしく書けない個人向け国債の話」をもらってきて読んだ。A4版で12ページ。確かに、ていねいに、わかりやすい説明をしている。

 ただ、個人向け国債の特徴として、「(安全+手軽)×選べる(2タイプから)=個人向け国債」と強調しているのには疑問を抱いた。元利払いや、ペーパーレスで偽造、盗難などの心配がないのは間違いない。しかし、もしもインフレが進めば、元本の価値が目減りするから、安全・安心というわけにはいかないはず。その点に全く触れていないのはどうかなと思う。

 換金可能になったとき、10年変動金利国債だと直前2回分、5年固定金利国債だと4回分の利子(税引前)相当額を差し引くとある。利子から税金を引いた分しか投資家は受け取っていないのに、税込みの金額を差し引くのはおかしい。そう思って財務省のホームページを見ていたら、6月12日に「個人向け国債の中途換金調整額の計算方法の変更について」をアップしていた。

 それによると、利子(税引前)相当額×0.8に変更する、適用は平成20年4月買い取り分からという。税金の二重取りを誰かに指摘されて訂正したものだろう。あらたむるにはばかることなかれだが、どうして変更(実際は訂正だ)したかの理由を何も書いていない。明らかに、「これ以上やさしく書けない」という看板に偽りありだ。

 霞が関の官僚たちの”辞書”には、間違っていました、という言葉がない。厚生労働省・社会保険庁の年金問題があれほどひどいのも、政府(の職員)の犯したミス(誤り)を認めず、あたかも神であるかのごとく無謬性の建前を貫こうとしてきたところに原因がある。官僚の皆さん、国民に対し、もっと謙虚たれと言いたい。

 このパンフレットや財務省のホームページから学んだ1つは、個人向け国債の2種類のうち、10年変動金利国債の売れ行きが、5年固定金利国債よりかなり下がってきていることだ。ことし4月発行分では、変動3479億円、固定8326億円である。こうした傾向は、固定金利国債の金利が、変動金利国債の当初適用金利よりかなり高いからということと、変動金利の意味が理解できる投資家層はリスク性の高い株式、投資信託、外貨預金のほうに移っていったこと、の反映ではないか。

 いま1つは、国債の保有者のうち、家計はわずか4.8%(06年末、日銀調べ)にすぎないことである。海外も5.8%にすぎない。これに対し、一般政府4.5%、日銀11.2%、郵便貯金19.9%、簡易保険8.8%、公的年金9.6%などと国ないしそれに準ずる機関が半分余りを保有。それ以外は銀行等20.7%、生損保等8.8%、年金基金3.8%である。もしも、長期金利がいまの異常な超低金利を脱して、数年のうちに5%程度に正常化していったら、固定金利の国債を大量に抱えるこれらの主体は軒並み巨額の損失を出しかねない。それは、また、めぐりめぐって国民の負担になる。

 国債金利が上がれば、利払い増で財政負担が増す。そうならないようにと、政府は日銀の金利正常化、つまり利上げを抑えている。日銀もそれをよしとしている。しかし、超低金利を維持していることがデフレからの脱却を妨げているという見方も根強くある。それに、超低金利によって、支払金利を少なくし、財政危機を表面化させないでいることが、政治家や官僚を無責任にしている。

 政府は2007年度の新規財源債として25兆4320億円を予定している。国債残高がさらに今年度にそれだけ上乗せになるのである。25兆円というカネは、国民1人あたり20万円ぐらいの税金を追加的に徴税するに等しい、それほどの大きな借金増なのである。地方自治体にも、同様な借金増がある。参院選挙があるからといって、増税・国民負担増の話を避けて、国民においしい話をしていられるような状態ではない。 

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2007年6月12日 (火)

自民党「155の重点政策」

 参議院選挙を控えて、自民党が「155の重点政策」を発表した。いわば選挙に向けての公約である。ホームページのPDFだと24ページにわたる。例によって”美しい”という形容詞がついている。

 「Ⅰ.美しい国の礎を築く(1~32) Ⅱ.美しい社会と暮らしのために(33~129) Ⅲ.美しい郷土(ふるさと)をつくる(130~145) Ⅳ.美しい国・日本の指針を世界に示す(146~155)」の4つの柱から成るが、その題から、それぞれの中身を想像するのはきわめて難しい。一般に、こういう文書は見出し、キャッチフレーズによって何を訴えたいかがわかるようにするのが常識だが、この「155の重点政策」は、全部に目を通さないと、わからない。読み終わっても、鮮明な印象を受けるところがなかった。立体感をもって迫ってくるものがないのである。

 政策が155項目羅列してあるが、イの一番に挙げているのは、「1.新憲法制定の推進」である。Ⅰでは以下、教育再生、安全保障、行財政改革、公務員制度改革、政治・当・国会改革を挙げている。

 Ⅱでは、安心・安全、社会保障、子育て支援、再チャレンジ、地域活性化、地域コミュニティの振興、伝統文化の継承、イノベーション推進、成長力の強化、エネルギーなどの確保などを取り上げている。だが、数値目標が必要なものでも数値はほとんどない。達成期限も書かれていない。まして、政策の実現に要する財源をどうするかなんか書いていないに等しい。これでは約束を実現したか否かの評価ができない。したがって、マニフェストとは言えない。

 「17.歳出・歳入一体の財政構造改革」はこれまで骨太の方針などでいわれてきたことを中心に書いていて、その中に目標、期限を書いているから、マニフェスト的である。そうした項目は若干である。

 「155の重点政策」を別な目でみると、「この国は、よくまあ、こんなに沢山の問題を抱えているものだ」という印象を抱く。戦後の保守政治は、自民党の単独支配、近年の自民党・公明党連立政権の結果、経済発展を遂げたものの、いまや、社会の根幹が随所で崩れ始めているような感じである。それを修復する取り組みが必要だが、その作業を”美しい国”という言葉で包括するのは違和感がある。 

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三菱東京UFJ銀行に業務改善命令

 日本の大手銀行は「証券業務を兼業できるとなったら、顧客の財産を守る、増やすことよりも株式、投資信託などを売りつけて手数料をかせぐ対象としか考えないのではないか」と4月21日のブログに書いた。それを如実に示す事例が早速、現れた。

 金融庁は11日、三菱UFJフィナンシャルグループ傘下の三菱東京UFJ銀行の投資信託窓口販売で不適切な処理が過去3年間で約100件見つかったとして業務改善命令を発動した。銀行のミスなどによる損失を顧客に補償しないなど、投資家保護に問題があったからという。

 同行は2006年1月に東京三菱銀行とUFJ銀行が合併したとき、顧客保護のルールが甘かった東京三菱の内部管理体制を引き継いだといわれる。さらに淵源をたどれば、1996年4月に三菱銀行と東京銀行が合併してできた東京三菱銀行は、企業取引中心で、個人顧客を軽視する三菱銀行のカルチャーを保持し続けた。

 古い話だが、バブルの頃、財産相続にからめた変額保険の販売で生命保険会社と銀行とが一体になって個人顧客を勧誘して回ったことがある。旧三菱銀行も個人に大きな金額を融資し、それで変額保険に加入させるという一体営業(当時は違法的な行為だった)に熱心だった。その後、顧客は株価暴落で破産などに追い込まれたりした。当然、生保と銀行の行き過ぎが問題になった。訴訟も起きた。

 しかし、当時、三菱銀行の経営トップは「行内の担当者に聞くと、ひどいことはしていないと言っている。だから、世間の話は真実ではない」と語った。上司に聞かれたら、下の者は自分を正当化するに決まっている。そんなことさえ当時の経営トップはわかっていなかった。世の中の声に耳を傾けず、三菱銀行がやっていることは絶対に正しい、という傲慢な自信、それが現在の三菱UFJフィナンシャルグループにも引き継がれていると見ざるをえない。

 東京三菱銀行になったあと、旧東京銀行系の人がたくさん辞めていった。「組織の三菱」というと、なんとなく格好いいが、有能な人材が組織の枷(かせ)に耐えられず辞めていった。旧UFJ銀行系(元は三和銀行、東海銀行)も、”本流”の三菱出身者に比べ冷遇されるため、有能な人材が流出している。邦銀の中で最も官僚的な銀行である三菱UFJフィナンシャルグループは、企業風土を変えない限り、今後も似た問題を引き起こす可能性が大きいと思う。

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2007年6月10日 (日)

年金相談で社保庁職員は時間外手当をもらうの?

 年金の記録がデタラメで、国民は不安と怒りで一杯。社会保険庁の年金相談窓口には確認のためにたくさんの加入者が殺到している。与党である自民党も、あまりのひどさに驚き、かつ怒っている。参議院選挙が近いため、どうやって国民の怒りを静めるかで困り果てているのではないか。

 サミットで点数を稼ぎ、意気揚々と帰国したかった安倍首相に対するメディアの視線はひややか。安倍首相はあわてふためいて拙速な対応をするのではなく、十分、問題点を把握して、本質的な解決策をパッケージとして打ち出すのがいい。

 ところで、この年金問題に関連して感じたり、考えたりしたことを以下に。

・ 全国の社会保険事務所で、土日曜や夜間も年金相談に応じているけれど、政府は時間外労働賃金を払うのではないでしょうね。職員は民間よりも高い給与をもらい、しかも、いい加減な仕事のやりかただったのだから、時間外手当を返上するぐらいは当たり前でしょうが。まじめにきちんと仕事していたら、国民を不安に陥れることもなかったし、時間外手当だとかも必要なかったはず。でたらめな仕事をしたほうがあとでやりなおすために収入が増えるというのは、とんでもないことだ。それどころか、過去の給与の何割かを返上してもらいたい。最低限、管理職だった人たちにはそれを要求したい。言われなくても自主的に返上する人が出てくれば、まだ救いがある組織と言える。

・ いま、年金加入者は不安と怒りで一杯だと書いたが、それは、もっぱら国民年金と厚生年金の加入者の話らしい。公務員の共済年金や私学共済は関係なさそうだ。厚生年金と共済年金の完全統合に反対したり、天下りを制限する法案などに強く反対したり、政府の役人は、自分の利害に関わることだと必死になる。年金でも、役人は共済年金という別制度で、積立金も別に運用している。記録も全部残っているという。だから、自分たち役人の年金とは関係ないサラリーマンや自営業者など民間人の年金制度の運営では、完璧を期すという心構えが乏しかったのではないか。民間人の年金保険料の積立金を厚生労働省(旧厚生省)や社保庁がさまざまな形で流用することに何の疑念も持たなかったのも、社会保険制度を彼らの天下りを受け入れるか否かで認可したりしなかったりしたのも、同様。官尊民卑の発想が底流にあることは間違いない。

・ 過去に、これほど行政がデタラメだったことを天下にさらけだしたのは例がない。日本では、国民の政府に対する信頼がきわめて厚い。政府が何とかしてくれると信じ込んでいる人が多数だ。かくいう私も、政府を改革する必要があると主張しながらも、まだ政府をある程度、信頼している。そうした国民の政府に対する見方や意識がこれでかなり変わると思う。政府に乗っかった与党の政治運営も変わらなければ、国民に見放されるだろう。小泉前首相が言っていた抵抗勢力の核心は官僚であり、それと結び付いた政治家たちである。

・ 年金、介護、医療という社会保障の柱はすべて現在、大きな問題点をさらけだしているが、それらは皆、厚生労働省(旧厚生省)・社会保険庁の所管である。そこにも、何か問題を引き起こす構造的な欠陥があると言わざるをえない。その分析は専門家に待つしかないが、私の体験からすると、マーケット(市場)的な発想がないことが最大の問題点である。彼らは、すべて政府が決め、国民はそれに従うのが一番いいという発想にこりかたまっているのである。戦前の内務省的なカルチャーを最も受け継いでいるのだ。 

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2007年6月 9日 (土)

役所は住民の立場に立たない

 東京都区内のマンションに住んでいる。夕暮れ時、南面のベランダを見たら、強烈なライトが目に当たって、目を開けていられなかった。1週間ほど前のことである。原因は百数十メートル先の雑居ビルの屋上に付けられたテニスコートの照明用ライトである。野球場などで使う白光色のライトが4つ、こっちを向いている。室内で横向きに座っていても、目尻に強い光を感じる。

 外を見るたびに強烈に目をやられる。これじゃたまったものではない。早速、そのビルに行ってクレームを申し立てようとしたが、見当付けて行ったビル内のスポーツジムに聞いてもわからない。やっとビルの裏側にある管理人室にたどりついた。そんなこんなで、ビル管理サービス会社→ビル保有会社→テナントであるスポーツジムの会社→テニスコート経営会社へとクレームが伝わって、初めて解決の一歩を踏み出す可能性が出てくるとわかってきた。

 そこで、区役所(広聴課)にも、光公害で困っているから、規制なり行政指導なりをしてほしい、とメールで要望した。先日、環境保全課から回答のメールが来た。「法律や条令による規制はありません。このため、光害に関する苦情は、規制や指導は難しいです。」「相手方に対して、被害の状況をお伝えいただいて、防止対策をとっていただく以外に解決は難しいと思います。」という内容だった。要は、自分で解決しろ、ということである。

 これには驚いた。住民が光公害でひどい目にあっているとき、なんとか、助けてあげたいと思うのが行政ではないか。法令などで禁止したりしていないのなら、せめて住民の味方をして、加害者を説得するぐらいのことはしていい。それが、住民からの税金で、生活環境を守る仕事をしている役人の基本的なスタンスであるべきだと思う。北川正恭元三重県知事が言うディマンド・サイド(需要者側=住民)である。

 地方自治体は条例を制定することができる。だから、住民が困る光公害を規制する条例が現在ないのなら、いますぐには間に合わないが、これからつくることを検討するぐらいのことは言って当然ではなかろうか。そうだ、区長は就任直後のあいさつで「安心、安全、安らぎのまちをつくります」と言っていたから、光公害防止条例をつくってくださいという手紙を送ろう。そう考えた。

 そこで、区のホームページを隅々までみたが、区長への手紙を受け入れるようにはなっていない。この春の選挙で都議会議員から区長に就任したのだが、どうやら区民との直接のコミュニケーションを重視してはいない区長のようだ。職員のうえに乗っかって区長の仕事をするという古いタイプの首長である。議会にしてもおよそ存在意義を感じさせない、盲腸みたいな存在である。議員の紹介がないと、請願とみなさず陳情として扱うなどといまだに差別している。

 きょう届いた特別区民税・東京都民税の納入通知書は年間でウン十万円も納めるようにと言う。しかし、区役所の姿勢を考えると、NHKや年金保険料ではないが、払うのがいやになる。

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2007年6月 5日 (火)

カナダ政府の歳出削減基準

 1990年代初めまで財政赤字拡大と高失業率に苦しんだカナダは、1993年末に成立した自由党のクレティエン政権が財政健全化に本腰を入れた結果、1997年以降、財政収支が黒字に転じた。

 『「健全な市場社会」への戦略』(八代尚宏著、東洋経済新報社、2007年1月刊)によれば、複数年度予算に転換し、主要閣僚で構成する財政再建委員会で、「政策分野ごとの予算の上限を定めた一括型・機動的な優先順位の決定を基本とした」。

 予算を決めるにあたって、6つの基準をもとにレビューする。「①公共の利益にかなっているか、②政府がみずから行なわなければならないか、③国でなく地方で行えないか、④政府が責任を持ちつつ、民間に委ねて協働できないか、⑤きびしい財政状況にもかかわらず実施しなければならないか、⑥効率性を高める余地はないか」である。

 このプログラムレビューを官僚が自主的にやらない場合には、内閣・閣僚に強制されるし、それに従わなければ解雇もありうるという。

 日本では、政治家が官僚の手のひらの上で踊っている面がまだ強い。いわゆる官僚支配政治である。これを、選挙で国民によって選ばれた政治家が内閣を構成し、官僚を使ってマニフェスト(公約)を実行するーーそういう民主主義政治に変えていくようにしたい。

 6つの基準は、国と地方の関係にも該当する点があるし、都道府県や市町村のような地方政府にも、財政運営のものさしとして使うべき点が多い。地方政府にも是非とも採り入れてもらいたいと思う。

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2007年6月 3日 (日)

“ふるさと納税”論議は広い視野で

 最近、やたら新聞に取り上げられている“ふるさと納税”については、昨年10月28日とことし4月27日にこのブログで取り上げ、問題点を指摘した。本日(6月3日)付けの日本経済新聞が解説記事「視点」で紙面を大きく割いている。

 菅総務大臣がふるさと納税制度の導入を提案した狙いの一つは、自治体間の税収格差を縮めることである。確かに、都市圏の自治体の住民一人当たりの地方税収は企業の少ない地域に比べ大きい。東京都と愛知県を除けば、その差は2倍弱ある。突出している東京都で3倍である。

  しかし、だからといって、「一人当たり税収が違うと自治体の行政サービスにも差が出ます」と書いているのは誤解を招く。自治体の行政サービスが税収だけをもとに行なわれているのなら、納得できるが、都道府県の財政収入に占める地方税収の割合は相当に低い。それを補う地方交付税交付金(東京都はゼロ)や補助金などで歳出の相当をまかなっている。東京都から地方税収を一部召し上げてふるさと納税制度を創設しても、この依存構造は基本的には変わらないのである。

 いちはやく、ふるさと納税を提案したのは泉田新潟県知事であるが、新潟県の平成19年度予算をみると、一般会計1兆1768億円のうち、県税つまり地方税収は3015億円、すなわち歳入の25.6%にすぎない。地方交付税交付金がそれにほぼ匹敵する23.5%を占める。国庫支出金つまり国からの補助金は13.5%もある。地方税収が少ないことは確かだが、道府県の行政サービスが全国どこでも同程度に受けられるよう国は巨額の財政支援をし続けているのである。

 平成16年度決算の集計データ(総務省)によると、歳入総額に占める地方税収の割合は平均で都道府県33.3%、市町村34.0%にすぎない。47都道府県のうち、地方税収の割合が10~20%未満のところが16もある。20~30%未満のところは18ある。30~40%未満が7つである。最も高いところは60~70%未満で1つ。

 ちなみに市町村は、0~10%未満が501あり、10~20%未満が733もある。20~30%未満は504で、40~50%未満が258。それ以上は169しかない。地方交付税交付金や補助金に歳入の大半を依存している自治体が圧倒的多数なのである。

 したがって、一人当たり税収格差を縮めるのと同じことを国は地方交付税交付金などを使ってずっとやってきたのであり、一人当たり地方税収の格差があろうとなかろうと、行政サービスには差が出ない仕組みになっている。(また、そうしたさじ加減をすることで、総務省(旧自治省)は天下り的に知事をたくさん出してきた。)

 だから、一人当たり地方税収の格差縮小だけにしぼって議論するのは、事実上、東京都を標的にする他の道府県と東京都との対立に行きかねない。地方交付税交付金を国からもらわないため、国の言うことをあまり聞かない東京都を抑えつける絶好の機会と総務省は内心思っているだろう。三位一体改革のあと、勢いがとまった全国知事会などの地方分権活動にもマイナスに作用するかもしれない。

 この問題を考えるとき、見落としてはいけない点は、地方自治体の財政状態がひどいといっても、国の財政状態のほうがもっと悪いということである。国はいまも借金を重ねていて、いつ財政破綻してもおかしくない。都道府県も市町村も、まだまだ国依存体質を払拭していない。徹底的な歳出削減をすべきである。

 余談だが、私は東京都区内に住んでいる。昨年、たまたまネットで調べていたら、インフルエンザ予防注射の費用が、東北の過疎地域といわれる某村の予防注射費よりも高いことに気付いた。こんな事例はいろいろあるだろう。したがって、東京都23区の多く(全部ではない)で、小学校の生徒の医療費を無料にするようになったという事例を根拠に、「一人当たり税収格差が違うと自治体の行政サービスにも差が出ます」という単純な議論をすべきでない。

 もう1つ付け加えると、英国やドイツでは、大都市のような過密地域は道路、住宅、環境、治安などの問題があるし、人件費も高いから、経費がよけいにかかる、というのが常識らしい。言うなれば、一人当たりの歳入、歳出が地方より多くて当然ということである。我が国で、一人当たり地方税収だけを取り出して、即、格差是正の必要性に結び付けるのは強引すぎるのではないか。

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2007年6月 1日 (金)

現役のジャーナリストへ一言

 新聞、放送などの記者会見をみていると、質問があまり活発でないように思える。日本記者クラブのようにOBのフリージャーナリストがたくさん出席する記者会見では、現役の記者の質問はきわめて少ない。

 時間があっても、質問の手が上がらないから、聞きたいことがないのか、というと、さにあらず。会見者である政治家などが会場から出ると、たくさんの現役記者が取り囲み、質問している。このように、公式の会見ではあまり質問しないで、非公式のぶらさがり会見ではいろいろ質問しているのである。

 政治家などにとって、公式の会見で発言したことは、重みがある。言うなれば、記者と取材対象との真剣勝負である。政治家などが会見でおかしなことを言ったら、言い逃れできない。だから、記者会見で、いやがる点をぎりぎり攻めたり、あいまいな点をきびしく突っ込んで本音を引き出すのは、国民の知る権利に直結し、メディアの存在意義を高める。

 一方、非公式のぶらさがり会見は、気軽に何についても質問できるし、相手もあまり構えることなく話す。だから、しゃべってはまずいことをうっかり洩らしたりすることもある。それはそれで、取材の意義がある。しかし、公式会見を軽視するのは間違っている。

 この傾向は割合、近年、目立つようになったが、その原因は何か。公式の記者会見はどこのメディアの記者も出席している。だから、特ダネにもならないし、特オチにもならないとか、質問して、こちらの手の内(どんな情報を握っているか、取材のねらいは何かなど)を他社に知られるのは損だというような、メディアの間の競争意識が強く作用しているような気がする。

 話が飛ぶようだが、先日、科学史の研究者である村上陽一郎(国際基督教大学教授)氏の話を聞いた。その中で、興味深かったのは、トーマス・ハクスレーが1940年代に言ったという話の一部である。pianistとかbotanist(植物学者)とかというように後ろに「ist」が付くのは、狭い領域の専門家を指す。一方、musicianなどのように「ian」が付く言葉は広い領域の専門家を指すのだという。ところが、scientistという言葉はscient(知識)という広い領域を意味する言葉のあとに、狭い領域の専門家を示す「ist」を付けたものだから、ハクスレーは「何ときたならしい言葉か」と言ったというのである。

 では、journalistは、この伝でいくと、狭い領域の専門家にあたるわけかーー村上氏の話を聞きながらそう思ったのだが、新聞、放送などの現役ジャーナリストには、journalのあとに「ian」の付くような仕事の仕方をめざしてもらいたいものである。

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