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2007年7月31日 (火)

「格差」論が見逃している視点

 参議院選挙で民主党が躍進した結果、メディアをみると、大都市圏と地方との格差問題が一段とクローズアップされたように思える。では、大都市圏と地方との格差が拡大したというのは、具体的にはどういうことかというと、はっきりしない。地方が以前より悪くなったのか、それとも、以前よりよくなっているけれど、大都市圏に比べれば、よくなる度合いが小さいということか。

 また、それは何について言っているのか。地方自治体の税収額のことか、地方交付税を足した一般財源のことか。交付税が減っていることへの不満は聞くが、要するに、格差問題の中心が自治体財政の話なら、さほど難しい問題ではない。国も、地方自治体も借金だらけだが、ゼロ・ベースで真剣に見直せば、まだまだ無駄な歳出を減らせる。その努力は苦痛を伴うので、公務員の皆さんがやりたがらないだけだ。ここでは、地方交付税交付金などに依存する体質を一掃する自立の姿勢がまず地方自治体に求められるのである。

 知人が東北地方のある県庁所在地でタクシーに乗ったら、運転手に「東京の皆さんにせいぜい頑張ってもらって、それで私たちを支えてほしい」と言われたという。庶民の一人である運転手がそんなことを言うとは、自治体の職員だけでなく住民まで骨の髄まで国依存、中央依存体質なのかと思いたくもなる。

 格差問題は自治体財政の話ではなく、地域経済や生活の格差という話だとすると、輸出産業の本社や工場などがある地域と、そうでない地域とでは、経済成長の波及効果が違うのは間違いない。それでも、波及効果が少ない地域でも、ゆるやかながら経済は上向いている。雇用について言えば、地方も以前よりは求人倍率などが上がっている。

 医療やお産については、確かに深刻な地域が増えた。また、長野県下で聞いた話では、跡継ぎがいなくて、りんごづくりをやめたり、林業をやめたりする家がちょこちょこある。少子高齢化で、高齢者の比率が高い農村地域は活気が乏しいということもある。

 地域経済や生活の格差については、絶対に改めなければいけない点もある一方、比較感で不満を言っている点もある。

 しかし、高度成長の昭和40年代、“くたばれGNP”というキャンペーン報道が行なわれたことを思い出す。ものやカネで豊かさを量るという考え方をやめて、質で豊かさを量るようにしようというものだった。いま、言われている格差の中身は、カネで量る発想が大半のように思える。“くたばれGNP”と言った新聞がいま格差格差と言っているものの多くが、カネでの比較である。

 となりの芝生は青くみえる。私は大都市圏の東京に住んでいるが、地方を訪れると、「なんと地方は豊かなことか」と感じる。空気はきれいで、緑が多い。住民の家は概してゆったりとした敷地に立っていて、大きい。騒音も少ない。野菜や魚など主要な食材は地域によって違うが、概して新鮮で、かつ安い。人々の仕事のテンポも、おおむねゆったりしている。生活の基本である衣食住で比べると、地方のほうがはるかによい。

 一方、医者、病院は少ない。鉄道の駅は少ない。田舎ではバスのような公共交通機関がわずか。ファストフード店など飲食店、コンビニ、各種ゲームセンター、映画館等々、サービス業が少ない。少ないもののうち、なにがなんでも必要なものはそうは多くない。

 大都市圏では住宅事情が悪い。クルマ社会なので、自転車が歩道を走り、歩行者は危なくてしょうがない。さまざまな危険、誘惑があり、子どもを健全に育てるのは大変だ。そうした問題点が一杯ある。したがって、そう簡単に大都市圏が地方に比べて得をしているという断定をすべきではない。政治の争点だけに慎重に、客観的に検討していくべきだろう。 

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2007年7月30日 (月)

参院選における自民党の歴史的大敗

 29日の選挙で、民主党が圧勝し、自民党は与党の公明党と合わせても、参院の少数派になった。衆議院と参議院とで与野党の勢力図が逆になったから、今後の政治はやたら対立し、にっちもさっちもいかないのではなかろうか。

 自民党の大敗は、年金問題、政治資金問題、大臣の自殺、格差問題、コムスンの不正、閣僚の不用意発言、首相のリーダーシップへの不信、地方の医者不足、地震による原発への不安等々、次から次へと、多くの国民が不安や不信を抱く出来事がメディアで大きく報じられたことが原因だろう。そして、民主党が政権交代のチャンスはいましかない、と訴えた作戦は、その主張自体、いま一つ根拠がはっきりしないものだったが、有権者の心をうまくとらえたのではないか。

 戦後政治の大きな流れを踏まえれば、自民党がずっと政権の座にあることは、民主国家としては異常な現象であった。したがって、国民を不安や不信に追いやった政権党が選挙で敗れるのは憲政の常道である。次の衆議院選挙で国民がどのような判断を下すかが注目される。

 小泉政権のもとで、自民党は官僚制度に乗っかった利権政党という古い体質の賞味期限が切れたと判断し、それからの脱皮を始めたと見ることができる。それによってグローバルな経済競争に日本が生き残ろうとしたわけである。しかし、そうした転換には、過去、ずっと自民党の支持基盤だった官僚、地方、農業、中小企業など、既得権益を失う層の抵抗や反発を伴う。そうした抵抗や反発に加え、まだまだ強く残っている古くからの自民党の病弊が相次いで表面化したことが今回の選挙結果に現れたのだろう。

 しかし、今回の選挙では、財政危機からどうやって国・地方の財政を再建するかという最大の課題は棚上げされたままだった。税財源の話をしないで、あれをやります、これをやりますと、カネを出すことばかり言う政治は、財政破綻を招き、国民の生活を根底から破壊する。国民の不安や不信が強いことは確かだが、国民をおいしい話ばかりで釣るという選挙公約には腹が立った。

 小泉政権以降の自民党は、財政赤字の積み増しによって維持してきた既得権益をこれ以上認めれば、財政破綻するしかないことを承知している。しかし、政権の座にある自民党でさえ、参院選で消費税などの負担増については国民に問うことができなかった。消費税引き上げをしないという民主党が勝利した結果、財政赤字が一層増大する政策が採られるようなことがあれば、この国の将来は暗い。

 「ならぬことはならぬものです」ーー会津若松の鶴ヶ城(若松城)に登ったら、会津の人々の独自の文化として、この言葉が紹介されていた。会津若松駅の広場にも、この言葉が大きく掲げられている。今回の選挙で与野党が肝心要めの財政再建問題を争点からはずしたのは、まさに、してはいけないことだった。それは将来の日本に禍根を残すと思う。

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2007年7月25日 (水)

地方制度調査会が始まった

 政府の第29次地方制度調査会が7月3日に第1回の会合を開いた。安倍総理大臣の諮問の内容は「市町村合併を含め、基礎自治体の在り方、監査機能の充実・強化等の最近の社会経済情勢の変化に対応した地方行財政制度の在り方について、地方自治の一層の推進を図る観点から調査審議を求めます」というもの。

 その席上、安倍首相は以下のように言った。「私は、我が国の戦後の基本的な枠組みを大胆に見直すことが必要であり、国と地方の関係も新しい時代に対応できるよう変えていかなければならないと考えております。
 地方の活力なくして国の活力はありません。やる気のある地方がさまざまな行政分野で自由に独自の施策を展開し、魅力ある地域づくりに積極的に取り組めるようにしていくことが極めて重要であります。このため、私の内閣の最重要課題として、地方分権改革を推進しております。
 国が地方のやるべきことを考え押し付けるというようなことは、もはややめるべきであると考えております。4月には、今までの国と地方の関係を大胆に見直すため、昨年成立した地方分権改革推進法に基づき、地方分権改革推進委員会を設置いたしました。新分権一括法案の3年以内の国会提出に向け、熱心に御議論をいただいているところでございます。
 この地方制度調査会においては、真の地方分権に対応できる地方自治体を確立し、中核的な基礎自治体が地域づくりの主役となれるよう体制を整えるため、市町村合併を含めた基礎自治体の在り方、監査機能の充実・強化等を始めとする地方行財政制度の在り方について十分な御審議をいただき、具体的な改革の成果につなげていただきたいと考えております。このような取組みを着実に行うことによって、将来の道州制も視野に入ってくると、このように考えているわけであります」。

 首相のスタッフである官僚が書いたものを読み上げただけかもしれないが、改革の問題意識には賛成する。「戦後の基本的な枠組みを大胆に見直す」大きな柱になるのが地方分権、ないし地方政府の確立である。

 ところで、最近の全国知事会の活動は革新派知事が活躍した時代と比べ、沈滞気味にみえる。“ふるさと納税”1つとっても、知事会の内部は割れている。過疎地域を抱える地方の知事の中には、国への財政依存体質を克服する自立に必死になるのではなく、ただただカネ欲しさで“ふるさと納税”実現に目の色を変えている人がいる。最近、話題の格差問題はそれをもっともなように感じさせる。

 しかし、一般財源に地方交付税交付金を加えたものが各都道府県が自由に使える財源であり、各都道府県のそれを住民1人あたりで計算したものが、都道府県間格差を把握する重要なものさしである。それで計算すると、島根県や鳥取県などが多い。最も少ないのが神奈川県だという。

 このように、地方税収だけを取り出して比較し、格差を云々するのは、フェアではない。東京都が1円も受け取っていない地方交付税交付金は、受け取っている都道府県にとっては、まさしく“ふるさと納税”を大規模に行なっているのと同じである。

 地方制度調査会の審議では、国と地方の財政再建問題、都道府県・市町村の間の財政格差問題、社会保障制度の見直し等々、総合的な視点を踏まえて、きちんとした方向を打ち出してほしい。それは、政権がどの政党によって担われようとも大事な課題だ。

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2007年7月22日 (日)

『生きる意味』を読んで多くを学んだが‥‥

 知人が読むというのに刺激されて、上田紀行著『生きる意味』(05年1月刊)を読んだ。大学の入試問題に最も引用されたというだけあって、現代社会に生きる私たちが直面している「生きる意味の不況」を突き止め、そこから脱出する道を説得的に論じている。

 私たちの社会では、人々は他者の目にしたがって生きている、数値化と効率化を判断の基準にしている、グローバリズムがそれに拍車をかけている等々。それが、本来、かけがえのない存在であるはずの私たちを苦悩に追いやっているのである。言われてみればその通りだ。

 そこで、著者は、個々人の「内的成長」によって、「生きる意味」を創る社会を提唱する。それは「押し付けられた「生きる意味」ではなく、自分自身の人生を取り戻すこと、それで抑圧された自分自身から<我がまま>に生きることへの転換である。」という。それによって、かけがえのない私たち一人ひとりが皆、尊重し、尊重される「あったかい社会」になると説いている。ここでいう<我がまま>は、自分勝手で他人のひんしゅくを買う<ワガママ>とは違う。「自尊感情、自己信頼があるかどうかが大きな分かれ目になる。」という。

 著者は「釣りばか日誌」の主人公、ハマちゃんの生きかたが望ましいと書いている。私もそうでありたいとは思うが、すべての人がハマちゃん的に生きるとしたら、会社は存立しえないし、高度な技術、巨大組織などに支えられる現代社会は根底から崩れるのではなかろうか。

 また、著者は会社を短期的な利益しか追求しないと切り捨てている。そして福祉などで官がもっと大きな役割を担うべきだと述べている。しかし、これはいかにも薄っぺらな会社観である。朝日新聞の7月18日付け朝刊の社説は、インターネットとともに市場経済のありかたは大きく変わり、市場経済の民主化が起きている、と述べ、官僚などに丸投げせず、オープンな市場の知恵をもっと信頼するよう主張している。

 家庭、村、会社といったコミュニティないし擬似的なそれがほぼ解体したいま、そしてグローバル化にじかに対峙しなければならないいま、一人ひとりが「世界の中心」として活き活きと生きることが可能な社会を築くのは、きわめて重たいテーマであることを痛感した。 

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2007年7月21日 (土)

「安全、安心」が時代のキーワードとは

 ものづくり安全が次代を「つくる」--明治大学の向殿政男理工学部長が20日のシンポジウム「変わる時代、変わらないものづくり」でそう語った。日本の製造業が21世紀に望まれる品質は安全性、信頼性、保全性だという。

 「安全を価値として認めて、安全であることを高く評価するという意識を持った個人と企業、それを支援する社会制度が存在する文化」と言い、個人は「安全は価値であるという認識と行動、安全に対して金を支払い、金を要求するのは常識」、企業のほうは「安全にすると儲かる(最低基準を守る下向きの安全競争から、より高い安全を実現することを誇りとする上向きの安全競争へ)」というのが今後の日本が生きる道と指摘した。

 いま選挙の争点になっている年金も、あるいは医療、介護も、そして新潟県中越沖地震も、有害物質を含む中国の食品も、安全、安心に関わる問題である。有機栽培の野菜など安全、安心なものは値段が高い。それだけ安全、安心にはコストがかかる。向殿理工学部長も、安全に対して金を支払うのは常識だと言っている。

 しかし、8日や11日のブログの内容の繰り返しになるが、いまの参議院選挙の公約のように政治の話となると、社会保障などの安全、安心はコストがただみたいな議論がまかり通っている。巨額の財政赤字が存在しないかのように、あれもやります、これもやりますと言い、そのための財源についてはほとんど触れない。触れたとしても、その根拠は薄弱だ。選挙民を馬鹿にしているとしか思えない。もっとも、選挙民の中には、自らの負担なしに国が打ち出の小槌を持っているかのように要求ばかりする人もいることは確かだ。

 話は変わるが、このシンポジウムで、現代のものづくりには、いかにソフトウエアの役割が大きいかを教えられた。私たちの目にみえるのはハードウエアだけだが、ハードを動かし、制御しているのはソフトである。そのソフトのミスがないように第三者検証をしている会社、ベリサーブの浅井清孝社長によると、最新の携帯端末に組み込まれているソフトは1200万ステップに達するという。このソフトを仮に400字詰め原稿用紙に書いて積み上げたとしたら、何と60メートルの高さになるそうだ。

 携帯端末のみならず、エレクトロニクス製品や自動車、機械などはソフトのかたまりである。それらが正しく機能するには、ソフトのチェックが必要だが、ステップ数のあまりの多さを知ると、完璧にミスをなくすことは至難の技だと思ってしまう。安全、安心には大変にコストがかかっているのである。

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2007年7月19日 (木)

柏崎刈羽原発全面停止の教訓

 新潟県中越沖地震で停電していた柏崎市などに電気がついたという報道。東京電力柏崎刈羽原子力発電所は停止したままなのに、どこから電気が?と疑問を抱いた人もいよう。実は、柏崎市、上越市、刈羽村、長岡市、新潟市などは東北電力の供給地域なのである。

 首都圏に電力を供給する東京電力は自らの供給地域内に原発をつくりたくても、受け入れてくれる地域がない。それで、東北電力の管内に立地せざるをえなかった。そうした立地難ゆえに、ひとたび立地できたとなると、そこにまとめて何基もの原発をつくる。柏崎刈羽原発には7基(総発電容量821.2万KW)もつくった。だから、ひとたび大地震などによる被害が例え部分的なものであったとしても、安全確認のためには発電所全体をとめざるをえないことがありうる。技術的に安全をとことん追究してきたとしても、潜在的に供給不安定というリスクを抱えているのである。

 原発は大量に冷却水を使用するから、日本ではすべて海に面したところに立地している。しかも、プレートの潜り込みがあるため、海辺は地震で大きな被害を受けやすい。大きな断層があれば、無論、危険だ。数十年のうちに起きると予測されている東海地震などの場合、中部電力浜岡原発に大きな被害が出るおそれがあるといわれる。また、外国が海のほうから原発を攻撃・破壊でもしたら、放射性物質で汚染され、広大な面積がいっさい人の住めないところになるかもしれない。

 東京電力の発電電力量は06年度に原発とLNG・LPG火力とがそれぞれ38%を占めた。電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%とやや構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。LNG、石炭、石油といった化石燃料はほぼ100%輸入に依存している。しかも化石燃料は地球温暖化に直結している。それだけに、原発依存度を下げるか上げるか、日本は重要な選択を迫られている。

 私たちの経済社会は沢山のエネルギーを消費している。しかし、化石燃料の自給はゼロに近く、原発は放射性物質汚染のリスクがある。エネルギー供給の基盤はとてももろいと言わざるをえない。したがって、いまのところ微々たる再生可能エネルギーの利用を急速に増やす努力を国を挙げて行なう一方で、エネルギー消費をどんどん減らしていくことが大きな課題である。

 いつでもいくらでも電気が使える利便性にどっぷり浸かっている私たちのライフスタイルを改めるのに一番効果的なのは、おそらく、電気の供給が不足し、停電を何度も体験することだろう。個人的には、第二次大戦後に経験したことだが‥‥。あるいは、国を挙げて省エネ・環境教育の社会運動を展開するか、電気代が眼の玉が飛び出るほど高くなるように高額のエネルギー税を課すか。何もしないではすまされない時期は近いような気がする。 

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2007年7月18日 (水)

鹿児島県知事のマニフェスト自己検証

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事が就任してから3年たったので、当初に掲げたマニフェストがどこまで達成されているかの検証報告を17日、公表した。マニフェストは99事項、112項目にわたり、「直ちにやるもの」、「1年以内にやるもの」、「4年間にやるもの」のいずれかに分けられており、それら一つひとつについて「これまでの進捗・取組状況」を結構、細かく記している。

 伊藤知事は「就任後3年間で、全て推進することができている状況にあり、私としてはマニフェストは全体として概ね順調に進めることができているのではないかと考えています」と自ら合格点をつけている。

 ざっと検証報告に目を通したところでは、いろいろ書かれてはいるものの、具体的な説明があまりなされていないので、評価していいのかどうかがわからない。例えば、○○について体制整備、などと書いてあっても、その中身の説明がないからだ。また、数値目標が明記されている事項もあるが、そうではない事項のほうが圧倒的に多いから、評価しにくい。

 「4年間にやるもの」に分類されている事項の1つ、「財政改革に取り組む」を読むと、「事業実施の状況」の記述をどう理解したらいいのかさっぱりわからない。例えば、当初予算として人件費の圧縮(平成19年度▲69億円)、普通建設事業費等の圧縮(同▲41億円)、一般政策経費の圧縮(同▲15億円)の3つの金額が掲げてあるが、その数字は前年度当初予算比なのか。あるいは前年度実績比なのか。後者ならすごいが、前者なら、意味のない数字である。この記述では評価のしようがない。また、その右側に掲げてある収支改善の数字(同12億円)は何の数字なのか、また、3つの数字とはどういう関係にあるのか。要するに、全然、理解できないのである。

 これは一例にすぎないが、マニフェストの検証は読む者が理解でき、納得できるものでなければならない。

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2007年7月13日 (金)

年金でたらめ、メディアにも責任がある

 社会保険庁の年金業務がでたらめだったため、国民の不安と不信が極度に強くなっている。そして、それが参議院選挙の争点になっている。野党は、自民党を攻撃する格好の材料にしているし、批判を浴びた自民党は、きちんとした対応をするので安心してほしいと懸命に訴えている。

 新聞、テレビなどのメディアがどこも年金問題を大きく取り上げ、社会保険庁、厚生労働省、自民党、与党の責任を激しく追及したことが、広く問題を国民に知らせる効果があった。まさに、メディアの威力である。

 しかし、この年金問題は何十年も前からの過ちが累積したものであり、その時々に過ちをただしていたら、これほど深刻な問題にならずにすんだはずだ。そうしたお目付け的な報道もメディアの重要な機能であるが、年金問題に関する限り、メディアは全く無能だったといわざるをえない。年金問題の責任を云々するときには、メディアの責任も問われてしかるべきだ。

 どうしてメディアは無能だったのか。想像するに、いくつかの原因がある。①新聞・テレビ記者などは厚生労働省(旧厚生省)本省(社会保険庁も一緒)の記者クラブにいて、もっぱらキャリア官僚から取材しており、社会保険庁の実務的な仕事をしている非キャリア官僚からはほとんど取材しない、②記者たちは複雑な年金保険などの細目を勉強していないので、取材先の言う通り報道する傾向がある、③県庁を取材する記者たちも、年金保険に関する知識が足りない、④第二次大戦後も、メディアにおいては官に対する信頼が強く、役所のレクチャーをそっくり反映した報道が多い、⑤メディアは役所取材に基づく報道中心で、年金保険も加入者(国民)の視点に立った報道よりも、保険料納付率引き上げ、資金運用など保険者(政府)の視点に立った報道が多い、⑥厚生省が天下りを条件に保険制度の設立を認めるといった不正があまりにも当たり前に行なわれていたので、不正に不感症になって、問題視しないーーなどである。

 厚生省の記者クラブは新聞社の場合でいうと、社会部からと、経済部ないし政治部とから記者が詰めている。社会部は衛生、医療事故など事件を追う。経済部ないし政治部は社会保障、人口、中国残留孤児などの問題を主に取材する。制度の新設、改正などは何年に一度のことなので、長年、同じ問題をフォローする記者でないと、よくわからない。しかし、長くフォローしている編集委員、論説委員なども、官僚とべったりになりやすい。自らもキャリア官僚のインナーサークルに入ることもある。

 かつて厚生省の審議会のあとの記者会見で、同省幹部が記者の質問に答えようとしたら、記者としてその場にいた、審議会メンバーでもあるNHKの解説委員が「私から答えさせてもらいます」としゃべりだしたことがある。これなどは、自分が記者であることを忘れている典型だ。この解説委員は現在、民主党の議員である。

 メディアにたずさわる人たちの基本は、役所の利益よりも国民の利益を優先する、官僚よりも広い視野で多角的に問題をとらえる、中立、公正(フェア)を重んずることである。メディアおよびそこにいる人たちは今回の年金問題で、政府などを叩くだけでなく、自らの反省も忘れないでほしい。

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2007年7月11日 (水)

民主党のマニフェスト

 参議院選挙を目前にして、やっと民主党のマニフェストが発表になった。後出しジャンケンではないが、政策に必要な財源を示すなど、マニフェストらしい体裁をそれなりに整えている。現在の与党のマニフェストよりも、有権者を説得する材料が豊富である。問題は財政危機をどこまで真剣に考えているかである。

 民主党のマニフェストは、ムダを省くことで15.3兆円の財源を生み出し、それを主要な政策に回すという。しかし、財源捻出およびその使途の両方とも説得的でない。そして、財政再建については「巨額の債務を安定的に管理し、着実に削減していくため、債務管理庁を設置します。このような改革を通じて、2011年度には国・地方の基礎的財政収支を黒字化し、その後、債務残高GDP比は着実に引き下げます」と書いてある。いまの与党の政策目標と同じだ。

 ムダを省くという政策の中身は「補助金の一括交付化等によるムダの排除」6.4兆円、「特殊法人・独立行政法人・特別会計等の原則廃止」3.8兆円など、が列挙されている。ムダの排除という抽象的な文言には誰もが賛成だが、問題は何をどうやっていつまでに具体的に実現していくかの各論がポイントである。だが、それらについては記述がない。

 それに、小規模ならいざ知らず、中学卒まで月額2.6万円支給する「子ども手当創設」4.8兆円というのは、財源がありあまるほどの時代なら理解できるが、いまも毎年、巨額の国債が上積みになっているときにそんなに大きな規模で実施する政策だろうか。こういう政策はひとたび始めたら、簡単にはやめられない。

 高速道路の無料化にも違和感がある。環境対策を前提にすると、クルマがどんどん走るようにする政策は時代に逆行している。

 これから年金、医療、介護など高齢化に伴う財政支出の増額が政治の大きなテーマとなるだろう。一方で、いつ財政破綻が起きても不思議ではないほど、財政事情は悪化している。それなのに、与党と対決する民主党がこの財政改革を正面切ってこの参院選挙で掲げないのはおかしい。自民党などと同じバラマキ政策では有権者は選択の余地がない。国民をばらまきというエサで釣るほうが勝つというのか。

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2007年7月 8日 (日)

介護従事者の低賃金問題

 コムスンの介護報酬不正請求問題をきっかけに、高齢者の介護に従事する人たちの賃金が低く、そのために介護従事者が足りないことが指摘されるようになった。そして、法律で定めている介護報酬額が低すぎるから、上げるべきだという声が出てきている。

 8日付けの朝日新聞朝刊は、介護報酬を人件費とそれ以外に分けて、人件費を削れなくするか、一定の給与水準を保証する仕組みを求め、「不足分は税金で補ってもいい。所得の低い人に配慮しつつ、保険料や利用料を引き上げる必要があるかもしれない」と社説で述べている。

 賃金などの労働条件が悪ければ、働く人が集まらないのは当然のこと。最近のように、パートなど非正規社員の賃金が上がって、人手の確保が難しくなっている以上、介護事業者が事業を続けたければ、労働条件を改善するのが先だろう。それをしないで、事業者に支払う介護報酬を上げてやれというのは、話が飛躍している。

 コムスンの訪問介護事業を譲り受けたい事業者が多数いる。彼らはいまの介護報酬で職員を確保し経営していけると見込んでいるからだ。もちろん、人手の確保もできると思っているだろう。したがって、介護報酬額の引き上げを云々すべきではない。

 もちろん、いまの介護報酬だと、施設介護と比べ、訪問介護のほうが事業として成り立ちにくいという事情があるなら、公平性の観点での介護報酬の増減見直しはあっておかしくない。

 いまの介護制度には、需要過多の面があるように思われる。経済学では、安すぎれば、超過需要が発生するというのは当たり前だ。被介護者は費用の1割を払えばいい、つまり9割安の値段で介護サービスが買えるのだから、安易に利用することも当然ありうる。1割負担以外の9割は、毎月の介護保険料(保険加入者すべてが支払う)と政府の負担、つまり税金である。介護保険の利用者の激増、保険金支払いの激増の背景には、こうした負担と受益の極端なアンバランスが存在している。

 したがって、医療保険の自己負担が3割(70歳以上は別)であると同様、介護保険の利用料も3割の自己負担にするのがいい。そうすれば、安いからと安易に利用する介護の需要が減り、介護労働従事者の数もいまより少なくてすむ。そうなれば、保険の支出も減る。介護報酬が低すぎて事業者が少ないという場合には、介護報酬を上げるという政策選択も容易になる。

 政府が介護保険を創設したのは、社会的入院などで医療保険の財政規模がどんどん膨らんだため、医療保険の破綻を避けるという財政的発想からだった。だから、介護保険制度の設計はずさんで、介護保険料や利用者数なども過小に予測した。スタート時点から厚生労働省は大きな過ちをおかしていたのである。「フリーランチはない」。ただでメシが食えるのに等しい介護保険の1割負担は早く引き上げるべきだと思う。

 参議院議員選挙が近づき、どこの政党も負担の話はしないで受益、つまりもっと国民にサービスしますという話ばかりする。何百兆円もの借金を抱えている日本国の財政実態を踏まえたら、責任ある政党なら絶対に言えないセリフである。無駄な歳出をなくすとともに、いまも膨らむ政府債務を減らすための増税は絶対に必要である。おいしい話で国民を釣るなんて、許せない。

 高福祉国家、スウェーデンは付加価値税の標準税率が25%である。日本も消費税率を25%に上げれば、毎年40兆円程度の税収が上乗せになるから、政府も財政再建に充てるとともに、福祉にたくさんのカネを投じることができる。しかるに、各政党が負担増なしに受益増が可能であるかのごとき嘘を選挙公約で堂々と言うなんて、国民は馬鹿扱いされている。選挙結果によっては、本当に国民は馬鹿だということが示されるかもしれない。情けないことに。

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2007年7月 7日 (土)

06年度の国・地方の税収

 国と地方の06年度税収額(速報値)が相次いで発表になった。国は一般会計分の税収が49兆691億円で05年度の49兆654億円に比べ微増。地方は道府県税・市町村税合わせて35兆7988億円で、05年度の34兆1947億円より4.7%多かった。国と地方の税収を足して増加率を計算すると1.9%増になる。

 国の税収は地方への所得税譲与分(06年度3兆94億円、05年度1兆1159億円)を加えると52兆785億円になり、05年度の50兆1813億円を3.8%上回る。こっちの数値で国と地方の税収の伸びを計算してみると、4.1%増である。

 税収増の主役は法人。国税では法人税が06年度14兆9179億円で前年度に比べて12.4%も増えた。地方税では、法人二税が8兆7125億円で同14.6%増えた。これに対し、国の所得税は地方への譲与分を加えても、2.2%増の17兆635億円にとどまり、地方の個人住民税も9.9%増の8兆9415億円と、いずれも1ケタの伸びにとどまった。

 一方、消費税は国の税収が10兆4633億円、地方消費税が2兆6289億円。前年度比は国が1.1%減、地方が3.0%増だった。

 国、地方に共通しているのは、法人からの税収が大きいこと。法人景気に相当依存していたことが読み取れる。

 それはそれとして、これだけの税増収は言うなればピークないしそれに近い状態。このベストの状況を、国や地方自治体は果たして十分、財政の借金減らしに活用しただろうか。

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2007年7月 4日 (水)

内向きな日本国民

 久間章生防衛相が辞任した。米国が広島、長崎に原爆を落としたことが、当時の内外情勢のもとでは「しょうがない」ことだったと講演で話した点を被爆地の人々などからきびしく非難されたからである。

 核廃絶を願う人々の思いを逆なでする発言であったことは確かである。しかし、米国政府は原爆投下が正しかったといまも言っている。しかも核兵器を世界で最も多く保有している国である。だから、被爆者やその家族などは、久間発言を槍玉にあげるだけでなく、それ以上に米国を糾弾する行動を起こしてほしい。

 広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と書かれている。かつて、この碑文の主語は誰か、そして「繰返しませぬ」ではなく「繰返させませぬ」ではないか、などといった碑文論争が起こった。そして、主語は世界人類を指すという理解で一応おさまったという。

 しかし、世界人類が一つにまとまっていないことは明らかである。北朝鮮が核爆弾と運搬手段の長距離ミサイルとを保有しようとしているのをみても、それは確かだ。新たな核保有国が次々に現れる世界情勢のもとで、核兵器を保有しない日本が世界人類の名のもとに「繰返しませぬ」と言っていたって、核保有国はなかなか耳を傾けない。

 だから、広島や長崎の被爆者等が米国政府を相手どって損害賠償を求める裁判を米国で起こすぐらいのことをしたらいいのではないか。東京大空襲のように、一般市民を無差別爆撃するという行為に対しても、やはり損害賠償請求訴訟を起こしたらいい。旧ソ連が日ソ中立条約を破って1945年8月9日、旧満州の日本領に侵略してきたうえ、多くの日本人をシベリアなどに抑留して強制労働に就かせたことなどに対しても、当該国で損害賠償請求の裁判を起こすことがあっていい。

 そういう残虐、非道な行為を許さず、しつこく糾弾し、損害賠償を求めるという人が1人もいないのは不思議といえば不思議だ。その代わり、加害者でもない日本人や日本政府の発言や行動に対しては激しく批判し、デモをする。

 従軍慰安婦問題で、中国や韓国の被害者とされる人々が日本に来て、日本人の支援を受けながら、損害賠償を求める裁判を起こしている。それと同じように、被爆者なども自立した個人として、日本国を相手にせず、直接、米国政府などを訴えたらいい。

 政府なんて当てにならないことは、年金問題での社会保険庁のやってきたことをみてよくわかったはずだ。最近、やたら政府にあれこれやってもらいたいという風潮が強くなっているが、そろそろ、私たち市民は自立の精神をしっかりと確立すべきではないか。

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2007年7月 2日 (月)

医療問題の原因は根深い

 「崩壊する地域医療~命をどう守るか」(東京市政調査会主催の公開講座)を聞きにいった。最近は、医療問題といえば、地方で医師不足が深刻化していることと、産科、小児科、放射線科など特定の診療科の医師がとみに減ってきていることとが主なもの。その対策などをめぐっていろいろ話が聞けた。その中で印象に残った内容を以下に記す。

 電子カルテをいつでもどこでも見ることができる仕組みづくりをしている「どこカル.ネット事業」の統括責任者、北岡有喜氏(国立病院機構京都医療センター医療情報部長)が基調講演を行なった。最近は、ネットなどで病気と治療方法についてくわしい情報を持つ患者やその家族が増えてきた。医者のほうも、患者のデジタルデータをデータウエアハウスに集め、患者の求める医療をテーラーメードで提供するように変わっていかなければならない。EBM(根拠に基づく医療)を行なうようになれば、個々の医療のコストが明らかになるので、診療報酬の適正化につながるという。

 長岡市長の森民夫氏は、市町村の行政があまり関わってこなかった分野として警察、教育とともに医療を挙げた。いまは大した病状でもないのに、やたら大病院に行くし、救急患者が増えている。そこで、市が1千万円出して子供急患センターをつくった。そこで、本当に大病院での治療が必要か振り分けるのだという。これに関連して、子供の身体の具合が悪くなったとき、どうしたらいいか、について母親教育が必要だと語った。

 以前、長岡市では救急救命士の制度をつくろうとし、厚生労働省に要望した。同省は「医師が救急車に乗ればよい」と言って拒否。「もし、失敗したら責任をどうとるのか」とも言ったらしい。森市長は医師の権益を擁護する厚労省および医師会を批判し、保健士等に医師の業務の周辺部分を任せたらいいと述べた。

 岩手県花巻市から来た佐藤かづ代氏(お産と地域医療を考える会)は花巻市が東京都23区の総面積に匹敵する広さがあり、そこでの医師不足で、市民が診療を受けに通うのがいかに大変かを強調。活動を始めた3年半前は産科医不足を問題にしていたが、その後、助産師の利用を中心にお産を考えるようになったという。

 新藤宗幸千葉大学教授(司会)によると、千葉大の中で最もコミュニケーション・リテラシーを欠いているのは医学部の学生だという。

 患者とのコミュニケーションがろくろくできない医者なんてマンガみたいだが、偏差値が高い大学受験者は医学部に行くのをよしとする風潮はいまの医療問題の原因の1つだ。自治医大、防衛医大の卒業生にしても、地方公共団体や国の望む進路をきらって自分の行きたい病院などに行く者が増えているという。

 新藤教授が「使命感のある医師をどうやって育てられるか」と問題を提起したように、医療の崩壊を避けるには、制度上の問題だけでなく、担い手の選別、育成から見直しが必要のようだ。

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