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2007年7月31日 (火)

「格差」論が見逃している視点

 参議院選挙で民主党が躍進した結果、メディアをみると、大都市圏と地方との格差問題が一段とクローズアップされたように思える。では、大都市圏と地方との格差が拡大したというのは、具体的にはどういうことかというと、はっきりしない。地方が以前より悪くなったのか、それとも、以前よりよくなっているけれど、大都市圏に比べれば、よくなる度合いが小さいということか。

 また、それは何について言っているのか。地方自治体の税収額のことか、地方交付税を足した一般財源のことか。交付税が減っていることへの不満は聞くが、要するに、格差問題の中心が自治体財政の話なら、さほど難しい問題ではない。国も、地方自治体も借金だらけだが、ゼロ・ベースで真剣に見直せば、まだまだ無駄な歳出を減らせる。その努力は苦痛を伴うので、公務員の皆さんがやりたがらないだけだ。ここでは、地方交付税交付金などに依存する体質を一掃する自立の姿勢がまず地方自治体に求められるのである。

 知人が東北地方のある県庁所在地でタクシーに乗ったら、運転手に「東京の皆さんにせいぜい頑張ってもらって、それで私たちを支えてほしい」と言われたという。庶民の一人である運転手がそんなことを言うとは、自治体の職員だけでなく住民まで骨の髄まで国依存、中央依存体質なのかと思いたくもなる。

 格差問題は自治体財政の話ではなく、地域経済や生活の格差という話だとすると、輸出産業の本社や工場などがある地域と、そうでない地域とでは、経済成長の波及効果が違うのは間違いない。それでも、波及効果が少ない地域でも、ゆるやかながら経済は上向いている。雇用について言えば、地方も以前よりは求人倍率などが上がっている。

 医療やお産については、確かに深刻な地域が増えた。また、長野県下で聞いた話では、跡継ぎがいなくて、りんごづくりをやめたり、林業をやめたりする家がちょこちょこある。少子高齢化で、高齢者の比率が高い農村地域は活気が乏しいということもある。

 地域経済や生活の格差については、絶対に改めなければいけない点もある一方、比較感で不満を言っている点もある。

 しかし、高度成長の昭和40年代、“くたばれGNP”というキャンペーン報道が行なわれたことを思い出す。ものやカネで豊かさを量るという考え方をやめて、質で豊かさを量るようにしようというものだった。いま、言われている格差の中身は、カネで量る発想が大半のように思える。“くたばれGNP”と言った新聞がいま格差格差と言っているものの多くが、カネでの比較である。

 となりの芝生は青くみえる。私は大都市圏の東京に住んでいるが、地方を訪れると、「なんと地方は豊かなことか」と感じる。空気はきれいで、緑が多い。住民の家は概してゆったりとした敷地に立っていて、大きい。騒音も少ない。野菜や魚など主要な食材は地域によって違うが、概して新鮮で、かつ安い。人々の仕事のテンポも、おおむねゆったりしている。生活の基本である衣食住で比べると、地方のほうがはるかによい。

 一方、医者、病院は少ない。鉄道の駅は少ない。田舎ではバスのような公共交通機関がわずか。ファストフード店など飲食店、コンビニ、各種ゲームセンター、映画館等々、サービス業が少ない。少ないもののうち、なにがなんでも必要なものはそうは多くない。

 大都市圏では住宅事情が悪い。クルマ社会なので、自転車が歩道を走り、歩行者は危なくてしょうがない。さまざまな危険、誘惑があり、子どもを健全に育てるのは大変だ。そうした問題点が一杯ある。したがって、そう簡単に大都市圏が地方に比べて得をしているという断定をすべきではない。政治の争点だけに慎重に、客観的に検討していくべきだろう。 

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