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2007年10月 5日 (金)

郵政民営化あれこれ

 東京・大手町にある「ていぱーく(逓信総合博物館)」では日本郵政グループの発足記念展として、いま「第一部 郵便錦絵展 明治のあたらしい風」を開催している。これが入ってみると、なかなか面白かった。

 郵便は1871年3月1日に創業。収集、配達などにあたる外務員の服装は、まもなく韮山笠の帽子と黒地の洋服になった。袖口に赤の郵便マーク、ズボンの外側縫い目にも赤の縦線が入るという格好よさで、まだ和服ばかりの街を駆ける姿が錦絵に描かれている。

 1876年に描かれた「東京諸官省名所集」(三代広重)には郵政省の始まりである「駅逓寮(本材木町)」が取り上げられている。その前年、貯金と為替を扱うようになったのを踏まえての紹介だろうが、「貯えた金を御預り下さって利足(利息のこと)を付けて還してくださる所なり」(読解しがたいところは勝手に解釈)といった趣旨の文言がある。

 同館は通信に関する展示がたくさんある。その中に、「東京横浜電話加入者人名表」(模造)がある。1890年12月16日に日本で電話が始まった。東京では、いまの日本工業倶楽部があるところ(当時は麹町区永楽町2丁目1番地)に最初の電話交換局がつくられた。その電話創業時の加入者(東京155名、横浜60名)名簿を見ると、いろいろなことを考えて、興味深い。ちなみに、スタート時には東京300名を受け入れることが可能だったが、半分程度にとどまったのは、電話線で病気が運ばれてきてうつるのではないか、などといった懸念を抱く人たちが多かったせいらしい。今昔の感がある。

 東京の電話番号順に加入者を挙げると、①東京府庁、②逓信省電務局、③司法省、④大蔵省総務局、⑤文部省、⑥帝国博物館、⑦日報社、⑧大同新聞社、⑨朝野新聞社、⑩改進新聞社。二十番代には、東京電燈会社、米商会所、東京海上保険会社、三井物産会社、日本銀行などがある。個人の加入者もかなりいて、渋沢栄一、大倉喜八郎、古河市兵衛、益田孝など、なじみのある人名がある。もちろん、前島密も。

 郵政民営化をしなければ、郵便事業が行き詰まることを関係者は知っていた。巨大な国営金融機関である郵貯は大量の国債を抱え、金融市場の大きなリスクとなっていた、郵政ファミリーが自らの特権、利権を私していた、等々。こういう形での郵政改革しかなかったとは思わないが、国民負担などを考えると、いままで通りという選択肢はなかった。

 郵政事業の歴史を振り返るだけで、近現代の日本人はものすごい変化を生きてきたことを実感する。おそらく、これからは、内外の諸問題で、もっと大きな変化に直面するのだろうと予感する。

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