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2007年12月24日 (月)

メディアの役割をめぐる日中の対話

 「日中の相互理解とメディアの役割」と題して、主として日本と中国のメディアの当事者が討議した記録を読んだ。ことし8月下旬に北京で開催された「第3回 北京ー東京フォーラム」の報告書(言論NPO発行)に載っているものだ。

 日中の相互理解を深めるにはメディアはどうあるべきか、という視点で議論が行われているが、中国側の基本的な考え方は「中国の政府とメディアは、非常にうまく一般世論をリードしてきており、首脳が中日関係の重要性を認識し、そのコンセンサスのもとに報道を行っている」というあるパネリストの意見に示されている。

 また、別の中国側パネリストは「メディアの報道を公正に保つために政府の誘導、自己制約、あるいはジャーナリストの職業モラルの3つが十分に組み合わされれば中日関係は良くなるのではないか」と言っている。

 そして、日本のメディアに対して「過度の商業化などにより、日本の一部のメディアは敏感な問題について騒ぎ立てる傾向にある」とか、「過熱報道に関しては、資本主義的な新聞の価値観に問題があるように思う」という見解も他の中国側パネリストから出ている。

 そうした日本のメディアに対する批判に対して、日本側のパネリストからは「メディアは単なる権力者の代弁であってはならず、国民の知る権利に答え、国益よりも公益を重視することにこそ存在意義がある」、「中国のメディアも、中国政府に対して批判の報道を行ってほしいと思う」という意見が出た。

 全体を読むと、双方のパネリストたちには、議論を通じて、お互いの違いがわかり、メディア間の交流を進めようという機運が盛り上がったようだ。

 読んでいて、中国側パネリストの発言にうなずいたところがある。メディアは「社会的責任を常に自覚しなければならない」という点だ。私は、日中間の問題としてでなく、日本のメディア、ことに民間テレビ放送が抱える構造的な問題にあてはまる批判のように思った。

 先日、ある民間テレビ局のOBに聞いたところでは、キー局の番組担当者は、自分たちで制作するのではなく、もっぱら下請け的な制作会社が出してくるものに依存しているという。オフィスに座っていて、いくつか下請け制作会社から出てくる提案の中から選んでいるだけということだ。高給を食んでいるうちに、志を失ったのだろうか。

 どこの民放も、国民総白痴化をめざしているのではないか、という気さえする。ついでに言えば、そういう番組のスポンサーになっている企業なども、社会的責任を忘れている。日本の教育の質が低下していると嘆く経済人が多いが、自分たちにも大きな責任があることに、気付いていない。

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