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2008年1月30日 (水)

本質はそっちのけの与野党対立

 「つなぎ法案」をめぐる与野党対立は、1月30日、衆参両院議長のあっせんで一旦、冷静さを取り戻した。しかし、問題の本質に迫り、国民に納得されるような結論をめざしてほしいものだ。 

 与党は暫定税率をさらに10年間延ばして道路特別会計―道路特定財源の仕組みを維持しようとしている。これに対し、民主党はガソリンにかかる暫定税率をやめさせて値下げを実現しようとする方針をとり、真っ向から対決する形となった。しかし、どっちもおかしい。

 本質的な問題は、税収を特定目的にだけ充てるという特別会計を廃止して一般会計に統合すること、そして、歳出全体の中で社会保障その他の必要度に応じて支出内容を決めるようにすることである。これに反して、道路特別会計―道路特定財源の仕組みは税収をほぼすべて道路建設に優先的に振り向けるというものだから、そのまま存続してはならない。与党の法案はこの仕組みをさらに10年続けようとしているのだから賛成できない。

 いまの仕組みだと、すべて廃止するとした場合、道路建設のための特定財源である揮発油税などの税もやめなければならないことになる。しかし、財政危機のもとにある日本で、税収が大幅に減るのは問題がある。それに地球温暖化対策上、エネルギーへの課税を上げることはあっても下げるという政策選択はありえない。したがって、環境税などの名目で課税を続けるのが望ましい。民主党のガソリン引き下げという政策はおおかたの理解を得られない。

 税収はできるだけ急速に増大する社会保障関連などの支出に充てるのがいい。社会保障は具体的には身近な自治体が担うのだから、税収を地方自治体が自由に使える財源に振り向けるべきである。道路にしか使えないのと、自由に使えるのとでは、後者がいいに決まっている。そして、地方自治体は行政需要に応じて使える財源が増えることで真の地域自治に近づくことができる。

 たまたま30日に話を聞いたモルガン・スタンレー・日本証券のロバート・アラン・フェルドマン経済研究主席は「(揮発油などへの)課税は残すべきだが、(道路建設に充てるという)特定財源は毒だ。国を悪くするからやめるべきだ。民主党は福祉に充てる(特定財源)というが、これも毒だ。特定財源は腐敗(のもと)。それをメディアが言わないのはおかしい」と言っていた。正論である。

 現実には、道路特別会計―道路特定財源を擁護したり、地方分権に逆行する動きが目に付く。全国知事会などは、道路建設はまだまだ必要だと言っている(地元の圧力で言わされている面もあるようだ)。そして、つなぎ法案を支持した。また、地方の味方のふりをする総務省は、自治体が減収補填債を発行しやすくなる法改正を進めている。税収が予算で見積もった額を大きく下回ったら、穴埋めのために補填債を発行していいことにする。地方に財政自立を求めるのではなく、甘やかし、その結果、自治体が困ったときは国が面倒みますよという総務省の自治体支配術だ。

 これではフェルドマン氏に「米欧の投資家からみて、日本は存在しない、つまり不在。文化財です」と言われても反論しにくい。 

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中国映画「胡同の理髪師」を味わう

 北京にある古くからの狭い路地と密集した住宅は胡同(フートン)と呼ばれる。そこに住む93歳の床屋(理髪師)のチンさんの日々を描いた映画「胡同の理髪師」を観た。

 一人暮らしで毎日、規則正しい生活をするチンさんは、古いゼンマイ時計で朝6時に起き、夜9時に寝る。高齢となったいま、午前中はおんぼろの三輪自転車に乗って、古くからのなじみの客の住まいを巡回し、理髪する。午後は近所の人とマージャンを楽しんだりする。時おり、息子が訪ねてきて、息子の家族の様子をチンさんに話す。そうした人情味あふれた胡同での日常を淡々と描いているのだが、その中に、急速に移り行く時代の変化が写し出されている。

 その変化の1つが、オリンピック開催で拍車がかかる、市街地の近代化、高層化に伴う胡同の消滅である。映画では、チンさんの住む胡同がいずれ取り壊されるとわかる。何百年と庶民が暮らしてきた胡同が消えていくことに対して、映画は静かに哀惜の念を表している。

 日本のバブル時代のように、地上げ屋らしき人物が胡同取り壊しに取り掛かっており、胡同の家を手放す人には多額の補償金が支払われるらしい。チンさんのなじみ客の息子は高層の豪華マンションに住んでいて、父親に入る補償金をねらっている。そうしたカネに対する欲望が人の心を変えてしまうさまを示している。

 チンさんの息子は年金暮らしで身体の具合も悪い。しかも息子の息子、つまり孫は失業していて、嫁さんが子供を産むというように、生活苦にあえいでいる。そんな息子にチンさんは自分の貯えからおカネを出してやる。社会主義国家が変質し、社会保障も細々としている中国がそこに浮き彫りにされている。 

 チックタックと音がする振り子の柱時計、手動バリカン、三輪自転車、金魚鉢等々、ゆっくりと時間が流れる時代を象徴するようなものがチンさんを取り巻く。それらはチンさんにとって大事であるだけでなく、映画を観る私たち、あわただしい日々に追われている者にとってもほっと心なごませるものである。

 個人的には、たまには中国の支配体制を撃つような映画を観たいものだという気持ちだが、それはないものねだり。それはさておき、テレビの中国語講座にも出演した主演のチン・クイさんは「もう仕事はやめたい。でも、お客さんがいるから止められない。お客さんは動けないけれど、私は動けるから行く」と語っていた。すごい、究極のサービス精神だ。

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2008年1月27日 (日)

国民所得が11年前の水準に回復へ

 最近、財務省が国民負担率(対国民所得比)の推移データを発表した。1970年度から2008年度までの毎年度の数値を眺めていると、日本経済の変化が読み取れる。

 国民負担率(租税負担率と社会保障負担率の合計)は2007年度実績見込みで40.0%と初めて40%台に乗る。08年度は40.1%の見通しだ。1970年度は24.3%だった。30%台に乗ったのが1979年、35%を超えたのが1986年。以後20年余、30%台後半で上がったり下がったりし、2004年度以降はゆっくりとだが上がり続けている。

 内訳を見ると、租税負担率は07、08年度とも25.1%と十数年ぶりの高さだが、バブル景気だった1991年までの数年間よりは低い。他方、保険料負担を示す社会保障負担率は07、08年度とも15.0%と過去最高だが、こちらは1970年度の5.4%からあと一貫して上昇してきた。途中、1982年度に10%台に乗った。

 実際には、負担を将来世代にツケ回しする財政赤字がある。その年度のツケ回し額、つまり財政赤字を国民所得で割った比率は、第一次石油ショック後の5年間、8%台だったし、バブル後遺症の1998、1999年度や2002、2003年度には2ケタだった。

 財政赤字を加えた潜在的国民負担率では、07年度、08年度とも43.5%。過去のピークである1999年度の48.9%から見れば、改善してきているが、その間にも累積債務が積み上がっていることを見落とすわけにはいかない。

 ところで、国民所得自体は、07年度377.3兆円、08年度384.4兆円となっている。02年度355.8兆円を底に景気回復してきたことがわかる。しかし、08年度見通しが達成されれば、1997年度の382.0兆円をようやく追い越し、過去最高となる。バブルの最後の1991年度が371.1兆円だから、十数年かけて、やっと元の水準を少し上回るところに到達するということだ。富の配分に血眼になるのもいいが、富を増やすことのほうが日本経済の主要な課題だといわれる理由がよくわかる。

 ちなみに、2005年の主要国の国民負担率は米34.5%(潜在的負担率39.6%)、ドイツ51.7%(同56.0%)、スウェーデン70.7%(同70.7%)だそうだ。スウェーデンは租税負担率が51.5%と重い。ドイツは社会保障負担率が23.7%と大きい。時に、マクロ的な視点で日本経済を見るのは大事ではないか。

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2008年1月26日 (土)

日本がアジアの金融センターになるのは至難

 「金融・資本市場改革の方向性」に関するシンポジウム(1月26日)を聞いた。池尾和人慶応大学教授、松尾直彦東京大学教授(前金融庁金融商品取引法令準備室長)、斉藤惇東京証券取引所グループ代表執行役社長らが講演とシンポジウム(司会、上村達男早稲田大学教授)に登場、日本の金融サービス産業が強くなるために乗り越えるべき問題点を指摘した。

 日本経済が発展するには、製造業以外に、「国内で雇用と税収を生む産業を拡大させなければならない」(池尾氏)。その有力候補が金融サービス産業だという。そのための基盤づくりが金融商品取引法の成立、新しい会社法の制定などである。しかし、ロンドン、ニューヨークに追い付くどころか、アジアの金融センターとしての地位を確保することさえも危うい。そうした実態が各論者から次々と明らかにされた。

 印象に残った点を紹介すると、まず、池尾氏は講演で、シンガポールなどが国家的優先課題として金融・資本市場の強化に取り組んでいると紹介したうえで、日本は金融でも食っていくのだという金融立国の覚悟を持たないでいいのか、と迫った。金融サービス産業の意義を理解せず、マネーゲームで食うなんてという考えがいまだにあるように、金融立国のコンセンサスはまだ日本にはないからだ。

 松尾氏は金融商品取引法制の基本的視点として利用者の視点、市場の視点、国際化の視点の3つを挙げ、国際化の視点に対して、日本の金融機関が冷ややかだと述べた。また、「品位ある(インテグリティ)ビジネスをするため、外資系企業は金融庁によく相談に来るが、日本の金融機関は来ない。この点でも日本の金融機関は負けている。いまの日本の金融機関は20年間、体質が変わらない。官僚制そのものだ」と厳しい見方を示した。

 斉藤氏は「日本は個人が異様にリスクをとる社会、プロがリスクをとらない社会だ」と述べた。日本に対する外国からの投資は機関投資家によるものだが、日本では、外国への投資を個人がいきなり行う。こんな国はないという。日本について「こんなにカネのある国はない。預貯金をリスクマネーに転換するだけで金融サービス産業は爆発的に大きくなる」と語った。

 さらに、斉藤氏は「外国の金融関係者は日本は予見性がないので信用できないと言っている。同じことが検査によって良かったり、悪かったりと異なって判断されるからだ。また、海外投資家が日本株への運用を行うとき、運用の意思決定拠点が日本とみなされると日本でも課税されるというようなことでは、運用会社は日本からシンガポールなどに拠点を移す」と。「日本政府は軍事技術の流出防止のために外国為替管理法を改正し、10%以上の株式取得規制を導入したが、いくつもの年金などを抱えているフィデリティなどはすぐ引っかかる。そこで、事前申請で詳しく報告するから、見掛け上10%を超える取得であっても認めてほしいと言ったがノーだったという。硬直的だ」とも述べた。

 これに関連して、松尾氏は「官僚が国内の視点だけでやるからそうなる」と語った。同氏によれば、「金融庁内でも、強いのは国内派だ。英語が最大の問題」だそうだ。斉藤氏は、英語ができる人材が日本に少ないことから、日本の教育制度に疑問を投げかけると同時に、日本の金融人材が乏しい理由の1つとして、日本の金融機関のキャリアパスに問題があることも指摘した。

 このシンポジウムを聞いて、日本の金融サービス業が強くなって、日本の経済発展に貢献するようになるには、思っていた以上に、いろいろ厄介な障壁があるなあと痛感した次第だ。

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2008年1月24日 (木)

サブプライムなどについての野口悠紀雄氏の見方

 24日に東京都内で開かれたセミナーで、野口悠紀雄早稲田大学大学院教授が現在の経済問題のいくつかについて見解を述べた。それを要約するとーー

 ・〔サブプライムローン問題と株価下落について〕日本の金融機関はほとんど持っていないのに、株価は米国よりも大きく下げている。これは日本の産業構造と深い関係がある。日本の景気回復は輸出の伸びによるもので、これは円安によってだった。昨年夏には歴史的な円安になった。いまは急激に円高になってきて、収益の悪化が予想される。サブプライムローン問題で欧米金融機関の行動が変わったから円高になった。

 サブプライムローン問題は金融工学のせいか。そうではない。証券化によってリスクが分散されたことは進歩だ。リスクをコントロールすることは我々の暮らしを豊かにする。ただ、プライシングがかなりいい加減だったと思われる。例え話をすれば、飛行機の操縦が下手で墜落したからといって、飛行機それ自体を否定すべきではない、それと同じだ。

 ・〔格差問題について〕個人間格差と地域間格差の2つがある。個人間格差は日本では比較的なかったが、最近は賃金と資本所得(配当、役員報酬とか)の間の格差という新しい問題が出てきた。地域間の格差を日本では税を使って是正しようとしているが、これは不健全なやり方だ。そのやり方は、助けるだけで本質的な解決にならない。地方の経済的活力を引き上げることをやるべきだ。

 ・〔再生紙の古紙パルプ配合率偽装について〕この問題はマーケットのシグナルを無視してはいけないという重要な示唆を与えている。中国が日本の古紙を買うから古紙が値上がりし、日本の製紙会社の古紙使用コストが上がった。しかし、グリーン購入法の規定は古紙100%とか硬直的だから企業は古紙配合率を下げることができない。一方で、古紙使用が多いほど環境コストが高くなることがある。中国など新興国の経済発展による需要増が世界の資源や環境に大きな問題となる時代になった。

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2008年1月20日 (日)

祝詞化?する「日本経済の進路と戦略」

 1人当たりのGDP(ドル表示)で、1993年にOECD諸国中第2位(世界では第2位)だった日本は2006年に第18位(世界では第20位)に下がった。このデータを見て驚くのは、絶対額が3万5008ドルから3万4252ドルに下がっているのは日本だけだということだ。

 1993年に日本より1割ほど多かった世界第1位のルクセンブルグは2006年に8万9840ドルと日本の2.5倍余にまで成長した。製造業のウエートが大きいドイツは伸びが低いが、それでも、この間に4割強増え、3万5368ドルと日本を抜いた。1993年に2万5374ドルで第6位だった米国は、2006年に4万3801ドルとなり第7位だった。

 ドル換算でだが、日本経済は13年間にひとり縮んだ。それが異常なことは世界経済の中で見れば一目瞭然である。これでは、最近の株式市場の大幅下落が外国人投資家に見放されたせいだとする説を否定しがたい。

 1月17日の経済財政諮問会議で決まり、18日の閣議で承認された「日本経済の進路と戦略ーー開かれた国、全員参加の成長、環境との共生ーー」は、こうした日本経済の低迷から抜け出すための成長力強化を打ち出すとともに、地方の自立・再生や歳出・歳入一体改革、社会保障制度の改革などの政策課題を取り上げている。

 しかし、政策課題を書き連ねてはいるものの、それらを何が何でも実現するぞ、という気迫が感じられない。それどころか、祝詞を読んでいるような気持ちにさえなってくる。連立政権が実際にやっていることと、ここに書いてあることとが遊離しているからだ。

 「財政については、将来に負担を先送りしない構造を実現していかなければならない。また、それに向けた取組を着実に進めていくとともに、長期的な財政健全化の道筋を明確にしていくことで、将来の負担増に対する国民の不安感を取り除くことも重要である。それは、グローバルな金融市場で全世界がつながっている今日において、海外からの信頼を確保することにもつながる。」

 おっしゃる通りである。また、「2011年度(平成23年度)には、国・地方の基礎的財政収支の黒字化を確実に達成する。」とも言う。だが、そのための具体策には触れていない。一方で、内閣府が参考試算として提示した経済見通しによれば、楽観的なケースでも、2011年度の基礎的収支は7千億円程度の赤字、対GDP比0.1%の赤字になる。これでは、上記の引用文にある「長期的な財政健全化の道筋を明確にしていくこと」にはなっていないし、いたずらに国民を不安に陥れるだけではなかろうか。

 いまの日本はどっちを向いても不安、不満があふれている。しかし、それは冒頭の1人当たりGDPの数字が示すように、配分すべき果実が減っているのに、皆が高成長時代の意識のまま、利益をもっとよこせと主張しているからだ。負担そっちのけで。

 医療問題1つとっても、日本医師会はじめ関係諸団体は医療費の引き上げを求める一方で、患者の医療費負担増には反対している。しかし、そこには、誰がどういう形でその費用増を負担するのかが欠けている。彼らは日本全体としての整合的な処方箋を書くのではなく、自分たちの利益を主張しているだけである。

 この「日本経済の進路と戦略」は、日本が直面しているそうしたさまざまな問題に対して整合的で、かつ明確な指針を示していない。小泉内閣の竹中経済財政担当大臣が作成していたときと比べ、心に訴えてくるものが乏しいように思う。

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2008年1月18日 (金)

リサイクルの象徴である再生紙の古紙パルプ配合率偽装

 日本製紙など主要製紙会社がグリーン購入の対象になっている再生紙の古紙パルプ配合率を実際より高くみせかけていたという。品質を維持するために、バージンパルプ(原木からつくったパルプ)の割合を多くしていたわけで、品質上は何ら問題はない。古紙パルプ配合の割合を増やすと、品質保持が難しいという事実を公けにせず、環境にやさしい商品を使おうという消費者・顧客の心理につけこんだ商法が許せない。

 似たような製品をつくっている企業の間では価格競争になりがちだし、他社に弱みをみせたら負けということで、不都合なことは隠すきらいがある。今回の古紙パルプ配合率偽装も、そうした日本企業にままみられる傾向の表れである。

 ところで、木は再生可能な資源・エネルギーである。伐ったあとにきちんと植林すれば、長い目で見て大きな資源・環境問題にはならない。現実には、資源国からの木材チップの安定輸入に不安がないわけではないし、国内のごみ処理の面から紙ごみの再資源化が求められていたから、古紙の再生利用は大規模になっている。

 しかし、使用済みの紙ごみを回収し、再生紙にするのと、紙ごみを燃やして、その熱を発電などに使うのとは、環境への負荷はさほど違わない。無理して古紙パルプ配合率を上げようとすると、かえって薬品の多用などで環境負荷が大きくなってしまうことにもなりかねない。

 その意味で、再生可能な資源・エネルギーである木―紙を、あたかも再生不可能な資源・エネルギーであるかのように思って、無理なことまでして古紙パルプ配合率を上げなければならない理由はない。

 1990年代の初め、再生紙を使った名刺が流行り出した。環境にやさしいというPRだった。その頃から再生紙を使うことが環境にやさしい企業、役所であることを示すというようになっていった。いわば、環境問題への取り組み姿勢を示す象徴的存在になった。再生紙は当初、バージンパルプ100%の紙よりもコストが高かった。そこで、高くても買わなければ普及しないということで、グリーン購入などの仕掛けが生まれた。

 そうした経緯を踏まえると、グリーン購入を推進してきた人々を裏切ったことになる。製紙会社は、古紙配合率を上げることによるプラスとマイナスとについて普段から正確な情報開示をすべきだった。

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2008年1月16日 (水)

引き込まれた「ゴルフ道」小説

 ゴルフをやめてから20年近くたつ。個人では、当時もいまもずっと会員権を持っているが、プレーをやめた理由の一つは、接待ゴルフのお誘いを断るのに、「ゴルフはやりませんので」と言うのが一番、あたりさわりがなかったからだ。休日、家族との時間を大事にしたいとか、テニスなら短い時間で十分運動できるとか、ほかにもゴルフをこの際、やめようと思った事情はある。

 接待とは無縁になったいまは、機会があれば、またゴルフを再開するのもよきかな、という心境だ。もっとも、ゼロから道具などをそろえなければならないなどと思うと、つい、おっくうになることも確かだし、第一、いまさら誘ってくれる仲間もいないだろう。

 そんな私に、友人が著書『遥かなるオーガスターー若き獅子たちの旅立ちーー』という小説を送ってくれた。ゴルフにあまり縁がない私は当初、読むことに気乗りがしなかったが、読み始めたら、先がどうなるかと気になり、500ページ近いのに短時間に読み終えた。

 ゴルフを縦糸に、家族や友人、師などの人間関係を横糸にして、読む者を飽きさせないストーリーの展開には感心した。作者のゴルフ観、人間観の深さには驚くばかりである。ゴルフ愛好家が読んだら、ゴルフに対する見方が多少なりとも変わるのではないか。友人の作品だから、私の感想は身びいきではないかと思われるかもしれない。だが、正真正銘びっくりした。

 彼の本業は弁護士で、趣味のゴルフはハンディの最高が1だった。囲碁のほうは日本棋院6段である。しかも若い人の育成にも熱心というように、八面六臂の活躍をしている。そして今度は、68歳で「ゴルフ道」小説を世に問うたわけで、その多才ぶりには“参りました”である。

 少子高齢化とか、高齢社会という言葉はとかく暗いイメージを伴いがちだ。しかし、長寿化で、元気な老人が増えた結果、長い人生経験に裏付けられて、広く、深いものの考えかたができるような社会になれるかもしれない。「ゴルフ道」小説を読み、そんなことも思ったりした。

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2008年1月14日 (月)

農業の従事者をどうやって確保するのか

 全農(全国農業協同組合連合会)が14日付けの全国紙に載せた1ページまるまるの広告は「今のままでは、近い将来、安心して食べられる国産畜産物が手に入らない時代がやってきます」とある。粗忽者の私は「畜産物」を「農産物」と読み間違えてしまった。なぜなら、以下のようなことが頭にあったからである。

 日本の農家の高齢化は急速に進んでいる。14日付けの日本経済新聞によると、農業就業者(販売農家のみ)は312万人。そのうち、70歳以上が141万人と半分近い。65歳以上でみると185万人、60歳以上とすると215万人になる。多くの企業は定年が60歳だが、日本農業はこうした定年退職者以上の年齢の年寄りが3分の2強を占めているのである。

 若いほうは、40歳未満が全部で28万人しかいない。40歳以上50歳未満にしても、21万人にとどまる。こうした現状をもとに10年先を予想すると、農業の担い手の数が激減することは明らかだ。すでに、農業の跡継ぎがいないということで耕作をやめたり、離農する農家が相次いでいる。担い手、つまり供給の面から、日本農業の崩壊は始まっていると言っても過言ではない。

 一方、消費者のほうは、安全、安心を重視して国産農産物を購入しようとする人が増えている。石油などの値上がりで輸入農産物の輸送費が上がり、しかも実質為替レートで円安が進んだので、国産と輸入農産物との価格差が縮む傾向にある。需要面で、日本農業にフォローの風が吹いている。

 したがって、農業協同組合の活動は日本農業を持続可能なものとするために、いまこそ農業の担い手をいかに増やすかについて、国民的な広い視野に立ち、真剣に取り組む必要があるのではないか。

 農業は若い労働力の投入を待っている。都市部では安定した仕事に就けなくて困っている若い労働力が余っている。そうしたマクロ的にいびつな状態を改めることができれば、都市部と地方の格差などというものも変わるだろう。そのためには、農業に関わる既得権益に手をつけることも必要になる。

 JAグループは各地の農協―県単位の組織―全国組織の3重構造である。かつ、全国組織は全農(経済事業)、共済連(共済事業)、農林中金(信用事業)、全中(指導事業)と分業し、それぞれの傘下に県単位の組織が別々にある。その結果、それぞれの狭い分野での利益極大化を追求するきらいがある。換言すれば、国民の利益を踏まえた日本農業はどうあるべきかのビジョンがあるのかないのか、JAグループから国民に何ら伝わってこない。

 全農にしても、「生産者と消費者を安心で結ぶ架け橋になります」というスローガンを掲げているが、肝心の生産者が将来にわたって存在するのかについて、消費者を安心させる情報を全く提供していない。これでは、消費者は心配にならざるをえない。 

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2008年1月11日 (金)

地方自治体の歳出削減は甘い、総務省も甘い

 前岩手県知事で、いま総務大臣の増田寛也氏が11日、日本記者クラブでの会見で、地方自治体の歳出削減が甘いこと、そして、総務省のほうにも、地方自治体の努力不足にもかかわらず地方交付税交付金の増額などで面倒を見る甘さがあることを認めた。

 増田総務相は地方自治体の歳出削減、人員削減が甘いことに関連して、「職員の賃金が高すぎる自治体は引き下げるべきだし、その実態を公開すべきだ。そして、住民の批判を受けるようにすべきだ」と述べた。「自治体は歳出カットというと、まず学校の図書費を削る。文句を言われないところからカットを始め、最後に職員の賃金をカットする」と批判し、そうした自治体のやりかたをチェックすべき立場にある議会がその役目を果たしていないことを指摘した。

 現実には、地方議会のほとんどは県や市町村の行政をチェックするどころか、議会での質問まで役人につくってもらっているようなていたらくで、とても行政をチェックする能力はない。それを念頭に置いてか、同総務相は「議会の活動を監視するNPOが主として都市部にできてきた。こうしたNPOが増えてくるといい」とNPOの活躍に期待する考えを表明した。

 同総務相は、総務省が自治体を甘えさせるべきではないとの認識を示したが、それ以上の言及はなかった。言いたくなかったのか、あるいは単に時間切れだったのか。

 会見で、同総務相は地方自治体および総務省に甘えの構造を認めた。しかし、それに加えて、地域住民の中央依存という半ば構造化した甘えもあることを忘れてはなるまい。「財政再建を早くなしとげねば、早晩この国は行き詰まる」という問題意識を持つ同総務相に、ぜひともメスを入れてもらいたい。

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2008年1月10日 (木)

変化を恐れないで

 石油の値上がりがおさまらない。石炭、鉄鉱石、金などの天然資源も高い。とうもろこし、小麦などの農産物も高い。中国など新興経済国の発展、世界的なマネー投機、異常気象、温暖化対策など、世界経済の転換を意味するさまざまな要因がもたらした現象だ。需要と供給の関係が需要>供給の状態が続いている。逆に、株式市場は世界的に値下がりし、不安定な動きを示している。

 1月9日の日本経済新聞の商品欄「変調レアメタル㊤」を読むと、希少金属(レアメタル)の騰勢が一服してきたという。リサイクル技術の進展や資源節約の広がりで需給が緩んだためと指摘している。ハードディスク材料などに使うルテニウムは、生産工程で出てくるスクラップを回収して再生するという。液晶パネルの電極材として使うインジウムも、リサイクルによる再生品が増えて、ピーク時の半値近くまで下がっている。

 このように、自由な市場経済においては、高くなりすぎれば、供給が増えて値段が下がるといった調整作用が働くことが多い。そうなるためには大抵は時間がかかる。それでも、市場原理に基づく自由経済のほうが、統制経済よりはましだというのがこれまでの教訓だろう。もちろん、全くの野放しがいいなどという人はいない。

 だが、いまの日本人はせっかちになっているのか、格差、貧困、過当競争などの問題から一直線に競争否定や、企業批判、あるいはグローバリゼーション批判に行き、公的規制の導入・強化とか、国による保護を求める傾向が強くなっているように見受けられる。天然資源は乏しく、農業の自給率も低い日本が内向きになって鎖国状態になるのは、貧すれば貪するだけ。日本国全体が落ちぶれていくだけなのに。

 世界の大勢を踏まえつつ、自国の繁栄を維持し、発展させるには、既得権にしがみつく現状維持や保身ではなく、果敢に挑戦し、かつ共存共栄をはかっていくしかない。その覚悟がこの国の政治家に、官僚に、そして国民にも欲しい。

 年初、懇親パーティなどで人と会っているうちにそう感じた。 

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2008年1月 8日 (火)

ナポリのごみの山はどうなる

 イタリア南部の世界遺産の街、ナポリ。家庭などから出るごみの回収が行われず、通りや学校などに山のように積まれているという。そこで、7日のロイター通信によれば、イタリア陸軍がごみの山を除去し始めた。

 イタリアは地域によっては家庭ごみを焼却せず、処分場に捨てるらしい。したがって、処分場が一杯になれば、別の処分場に捨てることになる。しかし、ナポリでは処分場の確保が難しくなったので、2007年末までに大規模な焼却施設を完成させることにしていたが、それが延びている。そこで、1996年に閉めた処分場を再開しようとしたりしたが、環境悪化をおそれる地域住民が反対して道路を封鎖したりしているという。

 同国の場合、マフィアが廃棄物の輸送や処理に深く関わっているため、不適正処理が行われ、住民の健康に悪影響を及ぼしているようだ。焼却施設の建設が遅れているのもマフィアのせいらしい。し尿や廃棄物は毎日、発生するから、一時的な対応策では解決にならない。イタリアの民主政治の真価が問われる。

 西欧では、中世に城壁の外に廃棄物を捨てればよしとしていた経緯から、焼却炉の導入が日本よりもはるかに遅れた。ナポリのあるカンパニア州はいまだに捨てるだけが基本というわけだ。

 日本では、疫病を防ぐという公衆衛生の観点から、生ごみは焼却を原則としてきた。1990年代に、焼却するのは資源の浪費だし、環境を汚染するとして、西欧のように燃やさないで埋めるだけにすべきだという“環境保護運動”が一部にあったが、さすがに近年はそういう主張を聞くことはない。

 また、リサイクルの推進や「もったいない」に立脚した3R(Reduce、Reuse、Recycle)活動で、廃棄物の発生量も、中間処理量、最終処分量も年々減っている。家庭などからの一般廃棄物も、産業廃棄物も、同じ傾向だ。それに伴い、中間処理施設、最終処分場の新規需要は少なくなったし、暴力団などが介在する不法投棄などは減っているようだ。

 しかし、資源価格高騰もあって、家電リサイクルでは消費者から処理料金などを受け取っていながら、正規のリサイクル業者に渡さず、横流しする犯罪が横行している。日本も威張れたものではない。 

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2008年1月 5日 (土)

1日にしてはずれた「年間株式相場見通し」

 正月明けの4日、日本の株式市場はいきなり大幅に値下がりした。日経平均は616円安、率にして4%安の1万4691円となり、昨年の最安値(1万4837円)を下回った。

 日本経済新聞が1月3日付けに掲載している、経営者21人に聞いた今年の国内株価見通しによれば、日経平均の安値を1万5千円と予想した人は7人、1万5300円という人は1人。これら8人の予想は1日にしてはずれたことになる。ちなみに、14500円と予想した経営者は10人、残りは14000円の3人。来週、もう200円下がれば、予想を14500円とした10人もはずれることになるが、どうなるか。

 何十年も前から正月3日付けの日経に載る経営者の株価見通しは、当たるも八卦、当たらぬも八卦とはいえ、経営者の景気や株価に対する見方を反映している。ことしは「春先安、年末高シナリオが大勢」という記事の小見出しが示すように、安値をつける時期は1月~3月が多い。そして、判断理由にサブプライム問題を挙げている経営者が多い。他方、企業の業績は新興国の需要に支えられ、好調が続くという見方が多い。今年後半に高値を予想しているのは、サブプライム問題の悪影響が今年後半には薄れるという見方なのだろう。

 経営者による株価見通しは概して楽観的である。経営者の性格からしてそうだ。それに、景気循環のどの局面にあろうとも、予想時点の株価に比べ、極端に安くなるという予想をするというのは職業柄しにくい。逆に、高値はかなり上値を予想しても、批判を受けるおそれはない。強気は、「景気は気から」などといわれるように、むしろ喜ばれる。それと、経営者の多くは、自社の株価が低いと感じているから、それが市場全体の相場見通しにも影響していると思う。

 ということで、高値の予想は大体、予想時点の株価からはかなり高い数値になる。それが経営者による株価見通しなのである。高値の予想は証券会社のトップの1人が言う2万1千円はさておき、19500円が1人、19000円が6人、18500円が6人。低めだと16500円が1人、17000円が1人である。安値予想よりもばらつきが大きい。

 1年前の紙面を引っ張り出して、あの人の見通しは当たった、はずれたと評価するような人はよほど酔狂な人である。さはさりながら、1日ではずれるというのはいささかお粗末だ。(注:アンケートをとった時点の株価水準がもっと高かったという事情があったかもしれないが、考慮せず。)

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2008年1月 2日 (水)

これから世界、日本はどうなる、どうする?

 例年、元日に一般紙をすべて買ってくる。世界と日本はこれからどうなるのか、について新聞がどのような視点や切り口でどこまで掘り下げて書いているのか、読むためである。

 かつては特ダネ競争が激しく、元旦の朝刊にアッと言わせるニュースを載せるため、どこの新聞社も必死だった。その名残りはあるが、近年は企画・読み物に重点が移ったようにみえる。その中で、ことし、各社に共通している主要なテーマは地球温暖化である。

 1月1日、京都議定書の約束期間に入ったし、昨年12月、バリで開催された気候変動枠組み条約締約国会議で、ポスト2012(ポスト京都)のロードマップができた。温暖化はいまも進んでおり、社会や自然への悪影響も増している。温暖化をどの程度までにとどめられるかによって、悪影響の度合いも違う。いまの予測の最悪ケースでは、100年後に人類はほとんど生存できない。早く手を打たねばならない。そうした危機を国民に伝え、それを受けて国民一人ひとりが行動を始めるのに、新聞などメディアは大きな役割を果たし得る。ことし、新聞などメディアには、広く、深く、多様なアプローチでこの問題を取り上げることを期待する。

 日本の危機をさまざまな面で取り上げる企画・読み物や特集もそれなりに読みごたえがあった。アジアの変貌、日本経済の地位低下、社会保障問題などに関するものだ。ITなど科学技術については少ないという印象だった。ただ、日本が内向きになり、世界の中で急速に影響力を失っていることについて、日本経済新聞しか大きく取り上げていないのは奇異に感じた。環境問題もそうだが、今後の世界をどう舵取りしていくかを、世界第二位の経済規模の国、日本も構想し、時にはリードしていく必要があるのではないか。

 元旦の新聞で欠落していると思ったのは、国内外のすぐれた思想家なりに登場してもらい、今日の世界や日本を鳥瞰し、未来を展望してもらうといった読み物である。いま、専門家といわれる人々の話は、群盲象をなでるのたぐいがほとんどであり、ドラッカーのように複雑、多様な内外の出来事を透徹した観察力や分析力でとらえるには程遠い。あるいは3日付け朝刊にそうした読み物が登場するのかもしれないが、メディアにたずさわる人たちに、いまのジャーナリストに求められる役割は何かを突き詰めてもらいたい気がする。

 財政改革に限って付言すれば、産経新聞の社会保障特集に載った4人の談話は刺激的だった。井堀利宏氏は「高齢者の政治的な発言力が強すぎる。今後、数が増えれば、社会保障のために、消費税を際限なく上げろとなりかねない。給付減は必要だ」と言い切る。城繁幸氏は「現役世代の負担をいかに和らげるかと言う視点で議論が進められるべきだ」、「給付については、医療・介護だけでなく、高齢者向け全体で3割削減という大ナタを振るうべきだ」、「“高齢強者”には大いに自己負担を増やしてもらいたい」と述べる。

 樋口美雄氏も「若者にこれ以上の負担を求めるのはむり」、「財政の比重を子供を持ちたい人が持てる政策に傾けるべきだ」と言う。また、樋口恵子氏は「日本は他の先進国に比べ、社会保障負担は高くない」、「財源は企業負担をもっと求めるべきだろう」、「企業はパートタイマーらを厚生年金に入れたがらないが、未来に向けて貧困という負の遺産を積み立てるようなもの」と指摘する。

 新聞には、このように、さまざまな見解を紹介し、社会保障制度をどう変えていくかについて、社会の合意、すなわち着地点を形成していく場を提供することを望みたい。

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