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2008年3月31日 (月)

福田さん、大丈夫か?

 ガソリン税の暫定税率がきょう(3月31日)で期限が切れ、あすからはガソリンにかかる税が本則、つまり、もともと基本となる法律(揮発油税法)で定めた通りに戻る。税率を暫定的にほぼ2倍にするというのを、何十年間という長いあいだ“暫定”とこじつけ解釈して増税してきたことに終止符が打たれる。

 政府・与党は、民主党が反対しても、結局はいままで通り、暫定税率も、道路建設も続くと多寡をくくっていた。この道路特定財源―道路特別会計にはいろいろな利害関係者が関わっていて、やめるとか、見直すとかと言っても、必ず強力な反対者が出てくるからだ。その昔、当事者が意図的にそういうふうに仕組んだわけではなさそうだが、廃止や見直しがきわめてしにくいため、よほどの政治力がないと動かないことは確かであった。

 したがって、民主党がガソリン税の暫定税率を期限切れにして、延長を許さなかったのは画期的なことである。とにかく聖域にメスが入ったことを高く評価したい。

 このブログでは、道路特定財源を廃止して、暫定税率を含めて一般財源化するよう主張してきた。即ち、ガソリン税の本税だけでなく、暫定税率分についても、環境税などの名目でとり、ガソリンが値下がりしないほうが環境対策や社会保障財源などの捻出、それに財政健全化に寄与するという考えである。その意味では、民主党の主張とは異なるが、道路特定財源―道路特別会計の仕組みを壊すやりかたとして、ガソリン税の暫定税率期限切れは歓迎してよい。

 福田首相は昨年10月1日の所信表明演説で、衆参ねじれを踏まえて「野党の皆様と、重要な政策課題について、誠意をもって話し合いながら、国政を進めてまいりたい」と述べている。だが、その中には、道路建設や特定財源などについて触れたところはない。これまで通り、国土交通省が進める道路建設計画とそれに充てる道路特定財源を継続するのが当たり前だと思っていたのだろう。つい最近まで、首相はそうした考えであることを表明していた。

 したがって、民主党がいくら叫ぼうと、首相は全く聞く耳を持たなかった。「重要な政策課題」ではないとたかをくくっていたのだとしか思えない。やっと、数日前から、にわかに09年度から一般財源化するなどの見解を打ち出して、民主党に対話と妥協を迫っているような状態だ。年金積立金を流用していた厚生労働省・社会保険庁、道路特定財源を流用していた国土交通省など、彼ら官僚の公金濫費があばかれるにつれて、さすがの福田首相も道路利権の問題点に気付いたのだろう。

 ねじれ国会は厳然とした事実である。これを前提に、いかに国政をよりよいものにしていくか。それには、まず与党が意識改革する必要がある。与野党がとことん議論し、かつ譲り合うことが基本であり、議会で成立する法律の数が減ることは構わない。

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2008年3月26日 (水)

100年後の財政破綻確率は62%とか

 日本政府の財政健全化努力は足りない。日本経済新聞の3月26日付け「経済教室」は、財政維持可能性を試算した櫻川昌哉慶応大学教授らの研究結果を載せている。

 それによると、07年1月に政府が発表した見通しのうち、望ましい成長・歳出削減ケースをもとに試算すると、平均経済成長率が11年度の目標である2.5%を100年間保てば、財政は維持可能であるという。しかし、不況が続いて、2.5%を下回り、「公的債務残高が増えて財政が破綻する可能性(確率)は、我々の試算では44%ある」としている。

 今年1月発表の見通しをもとに試算すると、公的債務残高は現状の1.12倍に増え、「62%の確率で財政は破綻する」という。それでも、これらの試算は経済見通しのシナリオの中で最も楽観的なケースを前提にしたものである。

 この試算結果をどう受け止めるべきか。日本経済が100年までの間にどうなるかは全く予測がつかない。その意味では、もっと近い将来を対象に、破綻リスクを試算して、その結果を公表してもらうと、国民は実感をもって受け止めるのではないかと思う。

 この記事では、国債利回りが低位安定していることについて、「市場は財政危機を楽観的に見てきた、(中略)債券相場はバブルということになる」、「日銀は買いオペを通じ、大量発行による値崩れを防ぐ「大口の買い手」として行動してきた側面が強い」、「いざとなったら、日銀が引き受けるので国債は安全だという認識を投資家は明らかに共有している」などと指摘している。

 「財政再建努力を怠ると、何かのきっかけで海外のファンドが売りを仕掛けてくるかもしれない」、「日銀は国債買いオペで支えるだろうが、機動的に対応できるか疑問」とも書いている。

 いまの政府・与党はこうした危機感を持っているとは思えない。持っているのは、ごく一部の政治家、一部の官庁だけである。

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2008年3月23日 (日)

石弘光前政府税調会長の本から

 日本は中福祉低負担などといわれる。社会保障などに対する国民の要求は「もっと、もっと」だが、税や社会保険料の負担増は国民の抵抗が強くなかなか進まない。そのギャップが国債発行残高の拡大など国の借金増につながっている大きな理由だとみられている。

 前政府税制調査会会長だった石弘光放送大学長が1月に出版した『税制改革の渦中にあって』を読んだ。同氏は「むすびに代えて」で、同書で最も強調したかったことを3点挙げている。

 「第一に、税制は社会的インフラだという事実である」。税制における公平・中立・簡素の原則が重要だという。特定の政策目標で優遇税制を実施するのは既得権益化をもたらし、税制への国民の信頼を失うと指摘する。読者は道路特定財源を思い浮かべよう。

 「第二は、減税・低税負担方式からの訣別である」。「戦後一貫して、税制改革は増税が企てられても必ず減税とセットになり、ネット減税かあるいは悪くても税収中立の枠で進められてきた」と指摘して、本格的な財政再建にはネット増税の税制改革を「試みるしかない」という。

 「第三に強調したいことは、これから国民皆で「広く」、「公平に」税負担をすべきだという点である」。もうけている企業や高所得層への増税や行政のムダな歳出のカットだけでは財政再建は不可能であることを本文で説明している。

 少子高齢化社会に不可欠な費用の負担は「国民皆でつまりオールジャパンで支えるべきである。とするとすべての国民に「広く」、「公平に」負担してもらう消費税に、今後の税制改革はより多く依存するのが当然の帰結と言えよう」。政治公約には増税反対など「とかく安易な国民に迎合する甘口のメニューが登場する」が、「国民は目前の甘い選択肢に惑わされずに、将来真に必要なものを見抜く眼力が求められる」。そう述べる石氏は「子供の頃からしっかりした租税教育を受ける必要がある」という文で締めくくる。

 本書で「第3章 国民の理解とマスコミ報道――どう改善しうるか――」でマスコミのあり方を問題にしているのは、広く、公平に税負担する税制改革を実現するには、「マスコミが事柄の本質を客観的に正確に報道してくれること」がきわめて大事だと著者が考えているからだろう。

 政府税調の発表文書が意図に反して報道された苦い経験から、著者は「報道の責任とは何か」と言って、「客観的に内容を紹介し、必要ならば解説で批判をすればよい」、そして「目先の現象のみではなく、もっと中長期的な視点から、日本のあるべき姿に関し建設的な国民的議論を深めるような報道が不可欠」と書いている。メディアの報道姿勢で正すべき点の1つである。

 財政再建の目標について、石氏は「公債残高の対GDP比率を2010年代後半から年2%引き下げることを目標にすべきである。具体的には、基礎的収支で年約10兆円の黒字が必要となろう」と記している。「プライマリーバランスは財政再建として、余りに甘すぎる目標といえる」という。

 政府税調会長の立場を離れたので、同氏は自らの意見をはっきりと述べている。ほかにも参考になる内容が多々ある。

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2008年3月20日 (木)

地方自治体の自立を妨げる者は誰か

 月刊雑誌『世界』の4月号に、前鳥取県知事の片山善博慶応大学教授が「自治体の自立を妨げる地方財政システムを除け」と題して書いている。どこの過疎地域に行っても、道路が立派に整備されている。過疎自治体に対して、国が財政の手厚い優遇措置を講じてきたからだという。その一方で、最近、路線バスが廃止や縮小されており、高齢者は困っているという。

 その原因は何か。国が返済の8割を面倒みてくれるというので、どんどん過疎債を発行して道路を整備してきたが、自前で返済する2割の分の債務が膨れ上がって、自治体の財政がきつくなったせいだという。「本来、自治体とは、住民のために、住民が必要とする行政サービスを、できるだけ低コストで、かつ、できるだけ良質に提供する使命を帯びているはず」だが、国が差し出す「有利な制度」を追い求め、肝心の「住民のニーズにまともに向き合ってこなかった」からであるとしている。

 しかも、いまになっても、過疎自治体の首長の多くは自助努力を怠り、国からの援助を受け続ける過疎団体でいたいと考えている節があると指摘している。

 では、国のほうはどうか。税源の乏しい自治体に財源を補填する地方交付税交付金制度のあり方について、片山氏は透明性が低いという。総額は総務省と財務省の密室における協議で決まる。それに、各自治体への配分はルールがあいまいで、総務省官僚の裁量で決まる。それは特別交付税の場合、顕著である。「特別交付税の算定額の各自治体への内示は、いまだに国会議員を通じて行われている」そうだ。これでは都道府県市町村が中央官庁に陳情し、ご機嫌伺いせざるをえない状況は変わらない。

 自らが自治省(いまの総務省)出身の片山氏は「ひたすら権限にしがみつく(国の)役人と、力不足の国会議員が自治体の真の自立を妨げている」と言い切っている。

 ところで、福島県矢祭町といえば、市町村合併はせず、独自の町運営で知られる。最近は町議会議員の日当制を導入したことで有名だ。その前町長、根本良一氏が朝日新聞の3月18日付け朝刊の「私の視点」で道路特定財源と道路建設について投稿している。その中で注目したのは、次のくだりだ。

 「特定財源を地方自治体の一般財源にして、自治体の裁量で道路や学校をつくるとなると、うまくいかないだろう。残念ながら各自治体にそこまでの能力がないからだ。首長によっては偏った使い方をしてしまうだろう。自治体間の格差が広がることにもなる」。「透明性の高い補助金制度を確立すべきだ」。

 片山氏が書いているような、まともに住民のニーズに向き合う自治体行政が望ましいのだが、現実は、地方自治とか地域主権というものからほど遠いということなのだろう。最近、道州制に関する取り組みがいろいろなされているが、それも、地域の住民が地方自治、地域主権を確立することが先だろう。 

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2008年3月19日 (水)

次の日銀総裁をめぐる論議に一言

 きょう19日で福井日銀総裁の任期が切れる。後任の選任をめぐって政府・与党と民主党など野党とが対立し、本日中に総裁が決まることは難しいようだ。この問題についてメディアやその周辺などが唱えている見解に私が違和感を抱いた点を以下に書く。

 世界の金融情勢は緊迫している。それゆえ、日銀総裁がなかなか決まらないとか、空席になるということはまずい、という主張がある。一般論としてはその通りだ。しかし、その主張は政府・与党の提案を野党が受け入れよと言っているのに等しい。政府・与党はいまだに参院では野党が過半数を占めるという現実がわかっていない政治運営をしている。そのことこそが責められるべきではないか。

 たすきがけ人事で、財務省事務次官経験者である武藤日銀副総裁を次の総裁にというのは、自民党が官僚政治の上に乗っかってきた過去の延長線にある発想である。会社で、社長と副社長とでは、責任の重さも何も全く違う。それに副社長が社長になるということはいまや例外に等しい。にもかかわらず、副総裁をやってきたから総裁適任者などというのは非常識もはなはだしい。

 民主党がなぜ武藤氏を拒否したかを考えれば、代わりに、同じく元財務省事務次官だった田波国際協力銀行総裁を提示したというのは、まずありえない選択である。いかに福田首相らが財務省を大事に思っているかを示すと同時に、財務省が天下り先として日銀総裁ポストを何が何でも確保したいと思っていることを示しているのではないか。

 田波氏について、主計局長を経験していない事務次官であり、本命がたまたま抜けたため事務次官になったという点で武藤氏とは違うという解説を付けた新聞もある。これには驚いた。記事を読んだ田波氏も不愉快きわまりなかっただろう。この記事を書いた記者には、主計局長ー事務次官という財務省での限られた経歴が日銀総裁という全く別の職務にも最適だという思い込みがあるのではないか。日本の官僚制度にはさまざまな問題があることはつとに指摘されているのに、新聞記者が役所の狭い常識にとらわれているのはお粗末すぎる。

 一部では、日銀OBで副総裁だった人の名前も取り沙汰されているが、「日銀は財務省に弱い。むしろ、財務省OBのほうが毅然と日銀の立場を主張する。森永元日銀総裁は大蔵省事務次官経験者だったが、大蔵省が何を言ってきてもはねつけた」と言う意見もある。確かに、国家運営の組織・権限をみれば、財務省の権限のほうが広範かつ強いが、機能が異なる財務省と日銀とを比較すること自体おかしい。

 むしろ、財務省が日銀を格下に見る発想の背景には、東大卒でも財務省に入れなかった人が日銀に入ったというような数十年前の就職試験の成績に関する優劣意識が見え隠れする。メディアがそうした学歴主義的なものの見方に加担しているのである。

 財金分離などを理由に武藤氏や田波氏をしりぞけた民主党に対し、では誰がいるのか、という問いが発せられる。メディアも同様な問いかけをしている。だが、日銀「総裁」に求められるものは何か、を問うのが先である。必要な条件を明示し、100点満点の人はいなくても、広く天下に人材を求めれば、適材が相対的に浮かび上がってこよう。そうした作業をしない政府・与党に現在の混迷の責任がある。

 

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2008年3月16日 (日)

「環境生産性」の国別比較

 GDP100万ドル当たりのCO2排出量で世界の国々の「環境生産性」を比較すると、どの位の開きがあるか。佐貫利雄帝京大学名誉教授が算出したデータを見せてもらった。〔「環境生産性に関する一考察――世界27ヵ国の環境生産性ランキング」(『帝京経済学研究』第41巻第1号 別冊、08年3月31日に掲載)〕

 それによると、CO2排出量が多い5ヵ国、ヨーロッパ主要4ヵ国、アジア9ヵ国・地域、その他9ヵ国(中東を1ヵ国とみなす)を対象に、GDP100万ドル当たりのCO2排出量(2004年)で見た環境生産性を比べると、最も環境生産性が高いのは日本(71t)で、2位が原子力発電に傾斜しているフランス(77t)だった。3位は英国(100t)、4位イタリア(111t)、5位ドイツ(118t)。

 CO2排出量の多い国の環境生産性は、米国149t、中国764t、ロシア1321t、インド527t。中国の生産性は日本の11分の1、ロシアは日本の19分の1という低さである。米国にしても日本の2分の1にすぎない。

 そのほか、主な国の環境生産性は、韓国209t、インドネシア489t、カナダ187t、メキシコ179t、ブラジル134t、オーストラリア218tなどとなっている。

 佐貫氏はCO2排出量の上位5ヵ国(日本を含む)が環境生産性を日本の水準まで向上させたら、CO2排出量がどの位減るか試算している。それによると、5ヵ国合計でCO2排出量が40億54百万tから13億5百万tにまで下がるという。実に67.8%の減少だ。日本を除く上位4ヵ国が日本並みに環境生産性を上げることができたら、世界全体のCO2排出量72億35百万tが4割減の44億86百万tにまで低下するということになる。

 地球温暖化対策では、大量に排出する国が環境生産性を高めるのが非常に効果的であることがこの論文・試算から読み取れる。

 論文ではCO2を対象にしたが、温室効果ガスはCO2だけではない。また、途上国は温室効果ガス削減よりも、先進国並みに豊かになるのを優先しようとする。千葉県で行われていたG20(地球温暖化に関する主要20ヵ国閣僚級会合)で日本政府は産業別・分野別に削減可能量を積み上げるセクトラル・アプローチを主張したが、先進国間でのポスト2012の主導権争いは続く。

 そうした地球温暖化対策をめぐる国際交渉において、こうしたマクロ的な視点はきちんと押さえておく必要がある。さもないと、外交下手の日本は欧米にしてやられ、環境生産性が高いのに、低い国並みの温室効果ガス削減を迫られかねない。それでは、負担のあまりの重さに国民が泣きをみることになる。 

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2008年3月13日 (木)

市場は大荒れだが‥‥、トヨタは‥‥

 13日の欧州為替市場で一時1ドル99円77銭と12年半ぶりに100円を切る円高になった。また、13日の東京株式市場は日経平均の終値が1万2433円と2年7カ月ぶりの安値になった。12日のニューヨーク原油先物市場は4月渡しが1バーレル110.20ドルまで上がった。また、13日のニューヨーク金先物相場は4月物が一時、1トロイオンス1000ドルをつけた。市場が激しく動いているのを強く感じる。内外の経済の先行きがどうなるか、予測しがたい状況にある。

 そんな中、トヨタ自動車の渡辺捷昭社長の会見が13日、東京・千代田区の日本記者クラブで行われた。世界一の自動車メーカーであるトヨタはものづくり企業として長期的、かつ確固たる経営理念、経営戦略に基づいて経営を実践していることがよくわかった。

 渡辺社長がクラブのサイン帳に「愚直、地道、徹底」と書いたように、同社はものづくりの真髄を徹底的に追求している。しかし、この「愚直、地道、徹底」は、いまの世相には失われてしまっている日本社会のかつての良さ(長所)を指摘されたような思いだ。

 同社長の話は多岐にわたったが、その中で興味深かった部分をいくつか取り上げる。「再生循環型社会」ということで、「環境、エネルギー、安全のテーマは積極的に対応しないと、我々の生きる道は無い」、「クルマのワクワク、ドキドキといった楽しさ、感動をマキシマイズ(最大化)する」、「企業を持続的に成長させることも必要である」という。

 クルマは排ガスによる大気汚染、地球温暖化や、有限な化石燃料の消費、交通事故などのマイナスを伴う。生産などでも電力などを使う。そうしたマイナスをとことん小さくするために、ハイブリッド方式の全車種への採用、プラグ・イン・ハイブリッド方式の開発・実用化など革新的なクルマや低コストの生産方法の開発・実用化に取り組んでいると述べた。また、工場における電力の太陽光発電への転換、工場の生産ラインのコンパクト・スリム・シンプル化による省エネなどにも取り組んでいることを明らかにした。

 「バッド・ニューズ・ファースト」で、問題が起きたらすぐ関係者に知らせ、皆で解決をめざすとか、「むだ、むら、むり」の除去などを実践するなど、ものづくりの王道を歩み、「活力、品格がミックスした企業集団であり続けたい」と語った。

 グローバル化しても、トヨタは「基礎的、中核的な研究開発は日本で行う。日本でのものづくりは維持する。日本での生産量はいまの水準を維持したい。少子高齢化でもきちんと生産ができるような生産技術を開発している。高岡工場がその第一弾だ」という。

 トヨタにはカンバン方式一つとっても、ひとりよがりのところがあるなど、疑問を感じることが少なくない。とはいえ、最近の日本の政治、行政のていたらくを見るにつけ、トヨタの存在は混迷する日本にとって救いのような気もしてきた。

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2008年3月11日 (火)

津島自民党税調会長が“思考停止”を批判

 3月10日、日本記者クラブに招かれた津島雄二自民党税調会長の講演は、1929年恐慌の教訓を引用して、現在の国会やメディアの議論に対して抱く危機感を強調した。

 津島氏の話を要約すると、1928年、大統領選に勝った直後のフーバーは「政府は無駄と腐敗を増やすような仕事をする」として民間活力第一主義を言明した。しかし、1933年3月、全米の銀行が取り引き停止した翌日に大統領に就任したルーズベルトは、市場のrulerたちが無能だったから、国民に不安が広がった、とし、「この国はいま行動を求めている。まず人々に仕事を与えねばならない」と演説した。この2つの考え方にはそれぞれの理由、合理性があるが、その一方の考え方だけで、いまの日本経済を運営していけるなんてことはありえないと指摘する。

 そして、氏は「国会やメディアの議論を見ていると、ムダがキーワードになっている。まれなケースを示して、まずムダを排してから財政の議論をしようという。そこで思考停止している。それに、まず市場が大事だという。しかし、市場に任せておくとうまくいくというのとは逆の現象が起きている。ある種の公的な関与が必要だ。これが歴史の教訓である」という趣旨のことを述べた。

 「いまの政治状況では、政府は何もできないから、高齢者は不安だ。しかし、我々、政治家はその不安を除かねばならない。いまこそ、税財政の機能を取り戻すことが必要である。2011年にプライマリー・バランスを達成するということだけではこの国は回復できない」とし、社会保障の持続性保障や地域格差の是正などのために歳入改革は避けて通れないと語った。

 確かに、津島氏にも一理ある。いまの国会やメディアをみていると、国民にとってもっともっと本質的な、大事な問題を忘れているように思えるからだ。とはいえ、自民党があまりにも長く政権与党の座にいたために問題が次々に噴出しているという反省が津島氏には欠けているように思えるが‥‥。

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2008年3月 9日 (日)

「学びと仕事」についての議論から

 日本学術振興会の人文・社会科学振興プロジェクト研究事業シンポジウムという長ったらしいシンポを聞きに行った。「人生を楽しくデザインしよう! 個人が拓く社会のかたち」というタイトルに惹かれてだ。その第2セッション「学びと仕事」では興味深い発言があった。発言者は司会者を含めて6人とも大学の先生である。

 このセッションでは、日本経済が長期にわたって不振にあえいだため、経済界が成果主義を掲げ、大学教育に対して、問題解決型で、即戦力となる人材や、独創性、創造性のある人材を育成するよう求めたこと、その結果、どうだったのか、などについて話された。内容をきちんと聞き取れたか、自信がないが、その中から、いくつかを――

 ・グローバル化に対応して新しい人材を、というのが教育改革の前提だったが、企業が本当に困っていたのか疑問だ。問題解決能力というのは、体験させれば身に付くのか、それとも知識などを重視し、その転用で身に付くのか。失われた10年、日本は前者でやってきたが、あせって間違った対応をしたのではないか。

 ・企業人は高等教育について何も考えなかった。長期不況で企業は教育・研修コストを削減し、暗黙知を持つ人材を削減した。学卒採用にあたって、かつては大学で何も教えなくてもいい、と言っていたのが、突然、即、使える人が欲しいと言い出した。しかし、日本の企業の人は問題解決能力はあるが、問題発見ができない。

 ・日本の企業人は99%経験だけで仕事をしている。卒業する学生に対しては、つまらない社会人になるな、本を読んで学習するようにと話している。

 ・企業は即戦力になる人材が欲しいと言う。しかし、企業は新卒採用活動を早めているので、学生は説明会などに出るのに忙しくて3年の後期から講義に出てこられない。企業は言うこととやることとが矛盾している。

 ・就職活動で、女子学生は真っ黒な服を着ている。男子学生も9割がスーツを着用している。皆と同じでないとという意識からだろう。遊びも集まってするけれど、皆、勝手なことをしている。

 ・成果主義というのは、失敗を許さない。だから、一回の失敗で落ち込む。それではいけない。失敗者にやさしい、選択肢のある社会にすべきである。法科大学院では、5年間に3回司法試験を受けられるが、院生に頑張れと言うだけ。試験に失敗した人をどう生かすかが重要だ。いまのままだと、アングラの世界が彼らを待ち受けているから、そちらに行ってしまうことになりかねない。

 ・シリコンバレーを見なさい、失敗を許容しているではないか、と言いつつも、日本の企業が成果主義で失敗を許さないというのはどういうことか。

 ・いまは大学受験にせよ、就職試験にせよ、受ける回数が増えているが、落ちる率も高くなっている。だから失敗の数が多過ぎて、その経験をすぐ忘れてしまい、失敗の意義を引き出せない。すぐ投げてしまう。失敗の経験を熟成させることが必要なのに。

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2008年3月 7日 (金)

データが示す地方自治体の財政状況

 総務省が平成20年版「地方財政の状況」、いわゆる地方財政白書を3月4日に発表した。06年度(平成18年度)の全地方自治体の決算を集計したものだが、同省が発表した概要版の主見出しは「厳しい財政状況の中、大幅な歳出削減(7年連続の減少)」である。

 社会保障関係の歳出が増えているのに、職員給1.9%減、投資的経費6.5%減などの「大幅な削減」努力で、普通会計の歳出総額が89兆2106億円と前年度を1.6%下回った。一方、歳入総額は91兆5283億円で1.5%減だった。地方税、地方譲与税などが大きく伸び、結果として、地方交付税、国庫支出金などがかなり減った。税収に地方交付税などを加えた一般財源が歳入総額に占める割合は景気の回復で62.3%となり、前年度より3.0ポイント上昇した。税収増のおかげで、地方債発行による歳入(9兆6223億円)は、歳入総額の10.5%となり、前年度比0.7ポイント下がった。

 普通会計が負担すべき借入金残高(年度末、推計)は、200兆1561億円で、前年度に比べ1兆2606億円減った。内訳は、地方債残高139兆0593億円、交付税特別会計借入金残高(地方負担分)33兆6173億円、企業債現在高(普通会計負担分)27兆4795億円である。

 歳出総額は過去10年、徐々に減ってきた。それだけに都道府県、市町村とも歳出のカットに苦労してきたわけだが、一番減ったのは性質別構成比でみると普通建設事業費である。1996年度に30.2%を占めていたのが02年度には22.0%に、そして06年度は16.0%である。そのかわり、ほかの経費の構成比は増加か横ばいである。人件費も構成比は02年度27.8%から06年度28.2%へと微増だ。財政危機にもかかわらず、地方自治体の歳出カットの取り組みは不十分だ。放漫財政のツケを残した公務員にはそれなりに責任をとってもらいたいのに、自治体は公務員の退職金カットもしたがらない。

 地方自立政策研究所(穂坂邦夫理事長)が昨年11月末に発表した試算によれば、地方自治体の行政経費のうち、節減可能な額は14兆0953億円にのぼるという(昨年12月18日のブログ「地方自立政策研の検証結果」参照)。自治体がろくに努力してもいないのに、総務省が冒頭の見出しのように「大幅な歳出削減」なんて甘っちょろい評価をしているようでは困る。

 ところで、7日付け日本経済新聞朝刊に住民1人当たりの一般財源の47都道府県、782市データ(06年度決算)が一部紹介されている。それによると、都道府県では少ない順に、神奈川県が16.4万円で47位、埼玉県が17.2万円で46位、千葉県が17.4万円で45位。多い順だと、1位が東京都の47.4万円、2位島根県の44.2万円(1人当たり税収9.3万円)、3位鳥取県の41.5万円(同9.4万円)である。地方の県は1人当たり税収は少ないけれど、交付税を手厚く配分されるので、都市部よりもはるかに1人当たり一般財源が多いのである。

 同様な傾向が782市についてもみられる。1人当たり一般財源が多いのは、1位夕張で136.9万円(1人当たり税収は7.4万円)、2位歌志内で72.4万円(同5.0万円)、3位三笠63.4万円(同8.7万円)で、地方の小都市が上位にある。下位は大都市周辺の人口密度の高いベッドタウンが多いという。

 住民が分散して住むため、地方は行政コストがかかるというが、国が地方を過度に保護してきた実態がデータに示されている。そうした甘えが地方の自治体行政を肥大させてきたし、地方の県や市町村のほとんどはまだその甘えから脱していない。「格差」論は彼らにとって都合のいい言い訳になっている面があることは否定できない。甘やかしてきた総務省(旧自治省)はグルである。

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2008年3月 6日 (木)

学術会議が脱タバコ社会のため増税などを要望

 日本学術会議が3月4日、要望「脱タバコ社会の実現に向けて」をまとめた。7つの提言が盛られており、「タバコ税を大幅に引き上げて税収を確保したまま、タバコ消費量の減少をはかる」、「喫煙率削減の数値目標を設定する」、「タバコ自販機の設置を禁止しタバコ箱の警告文を簡潔かつ目立つようにする」などを政府や業界に求めている。

 タバコが健康によくないことははっきりしている。中西準子ほか編の『演習 環境リスクを計算する』によると、日本の化学物質リスクランキングで、リスクの大きさ(損失余命)をみると、喫煙が断トツで一番だ。受動喫煙がそれに次ぐ。

 要望書によれば、日本では毎年11万人以上が喫煙が原因で死亡している。それらの医療費や、捨てられた吸い殻の清掃などの経済的損失はある試算だと約7.3兆円だし、別の試算では約4.9兆円に達する。タバコ税の税収は年間約2.3兆円(うち半分が地方タバコ税)だから、医療保険などに入っている国民全体が何兆円もの損失をかぶっていることになる。

 03年にタバコ規制に関する世界保健機関枠組み条約が採択され、日本は04年に批准した。この条約にはタバコ価格・税の引き上げがうたわれている。しかし、日本は06年にタバコ1本につき約1円の値上げをしたにすぎない。また、タバコの箱に「大きく、明瞭で、読みやすい健康警告」をするよう求められているのに、そうはなっていない。広告規制は業界の自主基準にゆだねられているままだ。また、日本はタバコ自販機の設置台数が56万台にも達し、世界で突出している。

 タバコ事業そのものが、もともと、大蔵省(現財務省)の下にあった日本専売公社が独占していたもので、同省は喫煙者が減って、税収に響くようなことには消極的だった。専売公社が日本たばこ産業(JT)になっても、同省のそうしたスタンスは変わらない。天下り先であるJTへの配慮がないとは言えまい。驚いたことに、いまだに、たばこ事業法は、たばこ産業の健全な発展とか、財政収入の安定的確保などをうたっていて、国民の健康を優先するものには全くなっていないのである。

 しかし、タバコ1箱にかかる税は約189円と欧米の半分ないし5分の1ぐらいと異常に低い。国民の健康を考えて、少なくとも税を3~5年かけて2倍ぐらいまで引き上げるべきではないか。もちろん、それによって、タバコ消費量が下がるにせよ、税収それ自体の落ち込みは、あるとしても甘受すべきだろう。医療保険などの負担軽減を考慮すれば、問題にならない。政治は学術会議の要望をまともに受け止めよ、と言いたい。

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2008年3月 5日 (水)

外国の機関投資家が見た日本のコーポレート・ガバナンス

 最近の日本の株式市場不振は、売買で大きなウエートを占める外国の投資家が日本市場に魅力がないと判断しているからだといわれる。構造改革に逆行するような政府・与党の行動や、外国からの投資に閉鎖的な動きが響いているようだが、3月5日、東京で、日本のコーポレート・ガバナンスを外国人機関投資家はどう見ているのかに関するOECDのフォーラムが開催された。

 ハーミーズ・ペンションズ・マネジメント社のシニア・アドバイザー、マイケル・コナーズ氏は、バランスシートがやたら膨らんだり、意味のない事業の多角化をしたりしてROEを減らす日本の企業経営を改める必要があるとし、経営者が長期的な株主価値の最大化に努めるように、会社とは関係のない人物を社外取締役として入れるべきだと述べた。

 ガバナンスは、株主の代表として経営陣を監督することだが、コナーズ氏は「日本ではオーディオメーカーの経営者がゴルフ場を始めても監査役は反対できない」とし、監査役には影響力も権力もないと指摘した。「日本の経営者は社外取締役にふさわしい人がいないというが、それは社外取締役を理解できない表れ」と語った。

 こうした見解に対し、会場から「日本の企業は社外の人を入れたくないのだ」と賛成の意見が出る一方、反論も出された。会場からのこの反論は、06年に施行された会社法および07年に全面施行された金融商品取引法によって監査役の権限が大幅に強化されたりしたので、ガバナンスの点で社外取締役と劣らないという意見。

 これに対し、コナーズ氏は企業が経営戦略を議論するときに、社外取締役のほうが深く入り込めるなどと述べた。

 聞いての感想:社外取締役を選ぶ際、CEOなどが自ら選ぶとなると、自分たちに都合のいい人を選びかねない。したがって、英国には社外取締役を斡旋する第三者機関があるという。そういったところまできちんとしないと、経営者に対する監督機能は果たせない。日本の監査役制度の改善は進んだが、まだ足りないように思われる。

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2008年3月 2日 (日)

ペットボトルをめぐる2つの話

 環境問題を議論するシンポジウムであろうと、ペットボトル水が講師のテーブルに載っている。いまでは、ペットボトルは水だけでなくお茶などほかの飲料にも使われ、軽い、蓋がしやすい、などで最も便利な容器になっている。しかし、1990年代の半ばごろまでは、ペットボトルは散乱ごみになりやすく、かつ資源の無駄づかいになるとされ、一般廃棄物を処理する自治体もごみ処理量を増やす要因にもなるとして使用制限を求めたりしていた。

 しかし、容器包装リサイクル法ができて、ペットボトルに対する批判は薄れていった。10年もたつと、そうした批判があったことすら忘れ去られつつあるが、今度、環境省はペットボトルの再使用(Reuse)を促進することとし、そのための条件整備を検討する研究会を立ち上げるという。繰り返し使うには、強度を上げること、内面に有害な化学物質が付着していないこと、臭いがついていないこと、表面が傷ついたりしても消費者が受け入れてくれることなどの条件が必要である。ドイツでは再使用されているなど、外国には再使用の実例があるが、日本の消費者はちょっとした傷や汚れがあるだけで買わないから、どういう結論になるか。

 空びんを回収して洗い、また使うというのなら、ペットボトルよりもガラスびんのほうが衛生面や表面の傷つきにくさなどですぐれている。ガラスびんは重いというハンデがあるが、石油などエネルギーコスト上昇を計算に入れたライフサイクル・アセスメントで、きちんとガラスびんとの比較もしてほしい。

 日本では、ペットボトルは水、お茶、コーラなどの飲料水の容器としてどんどん使われているが、米国などでは、ペットボトル入りの飲用水をやめて水道水を飲もうという動きが主要な都市のいくつかで部分的だが始まっている。水道水と味はさして変わらないのに、そして、ペットボトル水の4分の1以上は水道水を使っているのに、1000倍ものカネを払ってペットボトル入りの水を買うというのは納得できない人々が増えてきたからだ。それに、ペットボトルは散乱ごみの一因となっている。

 しかも、ペットボトルを製造するための石油の消費量は国全体では膨大な量にのぼるし、ペットボトルに入れる自然水を汲み上げ、びん詰めし、輸送するなどに要するエネルギー消費量も大きい。

 そこで、自治体のおいしい水道水を飲むほうが経済的だし、資源・エネルギーの無駄をなくすことになるし、環境保全にも寄与することから、主に自治体がペットボトル水をやめて水道水を飲もうという運動を自治体の内部で始めている。また、民間でもそういう動きが少し出てきている。こうした動向は米アース・ポリシー(レスター・ブラウン所長)のジャネット・ラーセン氏の報告に詳しい(Enviro-News2月25日参照)が、日本の政府や自治体も右ならえしてほしいものだ。

 前橋市など日本の自治体でも水道水をおいしくし、かつペットボトルに詰めて販売したりしている。環境省も、ペットボトルの再使用も悪くはないが、地球温暖化対策を考えたら、ペットボトル水を水道水にというキャンペーンを行なうほうがいま重要な政策ではないだろうか。それは、便利さ、快適性を優先してきたライフスタイルを見直すこととも関わっている。

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