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2008年4月30日 (水)

ジコチューになりすぎていないか

 元外務省欧亜局長の東郷和彦氏の話を4月28日に聞いた。ロシアとの間で北方4島の返還交渉を行なった当事者なので、とても勉強になった。同氏は外務省をやめてから数年、オランダなど外国に住んでいた。だから、日本を外から見ていて、よくわかったのは、「ロシアの国力が強くなった」こと、その半面で、「日本はいろいろな面で力が落ちている」ことだという。そして「日本人同士が国内での議論にエネルギーを注いでいて、国外で起きていることをわかろうとしていない」と痛感したそうだ。

 東郷氏が指摘したように、いまの日本は内向きになっていて、世界がどう動いているかにはあまり関心を持たなくなっている。

 政治の焦点の1つはガソリン税の暫定税率の期限切れと、その復活をめぐる動向である。道路特定財源としての暫定税率を10年間延長する法律を成立させるというのと、09年度に一般財源化するというのとでは、明らかに整合しないのに、自民・公明の与党はみなし否決と再可決とやらで、10年間延長を4月30日に立法化するという。予め政府・与党が決めた通りに予算関連の法案が通らないときは、たとえ理屈が通らなくても国会で通す、それを地方公共団体がカネ欲しさに強く要請するというとんでもないことが起きているのである。

 借金だらけの財政、少子高齢化による歳出ニーズの変化、地球温暖化対策の緊急性などを考えれば、道路をどんどんつくるためのひも付き課税を続けるという発想は出てこないはず。ものごとを広い視野でとらえるのではなく、自分たちの都合、利益だけで判断するというジコチューがまかり通っているとしか言いようがない。おとなしい国民はガソリンの値段が安いSSにクルマを連ねて、束の間の値下げの利益を享受しようというだけで、怒りが爆発することもない。

 後期高齢者医療制度がもう1つの焦点となっている。「後期」という用語に対する反発や怒り、年金からの天引きなどに対する不満などが取り上げられている。2年前にできた制度について、野党がいまごろ欠点?をあげつらうのもどうかと思うが、この問題も、本質を抜きにして騒いでいる。

 問題の本質は、高齢者医療がベラボーにカネがかかること、そして、その費用を誰が負担するか、ということである。現役の世代も、前期高齢者も、医療保険は自己負担が原則3割である。後期高齢者は1割にすぎない。しかも長期療養とか、終末医療には大変な医療費をつかう。後期高齢者の医療費の9割は税金と組合健保などからの拠出金(実態は無理矢理、出させる)で補うのだから、9割のカネの大半を出す現役世代に対して、高齢者は本来、感謝こそすれ、文句を言う筋合いはない。

 高齢者がはばをきかし、若者をはじめとする現役たちがしんどい思いをする社会は繁栄しない。高齢者は、戦後の日本をここまで持ってきたという自負はいいとして、だからオレたちをおんぶにだっこで面倒みろと要求するのは行き過ぎている。自分たちの家族を考えればすぐわかるように、次世代の人々を立て、年寄りは一歩も二歩も下がって感謝するという謙虚さが社会においても必要である。

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2008年4月26日 (土)

関満博氏の言う「地方の人々は実に豊かに生活している」に同感

 全国各地および中国各地の地域産業に詳しい関満博一橋大学教授が3月に出版した『地域産業の「現場」を行く  誇りと希望と勇気の30話  第1集 地域の片隅から』。同書の「はじめに」で、以下に紹介する文章を目にした。私が日頃感じていることを裏付けてくれる内容である。

 関氏が研究室に来ている外国からの留学生を地方都市での夏合宿に引率すると、留学生は「日本の地方は、どこもこんなに美しいのですか。食事は美味いし、道路は完璧だし、その他のインフラもすごいですね」と感心するという。そうした話のあとで、関氏はこう書いている。

 「実際、私自身、地方に身を置くことが多いが、数字で語られるような格差を感じることはあまりない。食事は美味いし、生活の基本インフラは充実し、人びとは実に豊かに生活しているように見える。東京に住む私自身の方がはるかに貧困であることを痛感させられることが少なくない」。

 そして、次のように述べる。「地方に問題があるとすれば、それは「若者」の仕事の場が少なく、人口減少、高齢化が進んでいることに関連するのではないかと思う。当然、見かけ上の所得は少なくなり、購買力も低下していく。商店街は疲弊し、シャッター街になり、若者の姿は見えず、活力の低下が実感されていくのであろう」と。

 そこから、関氏の独壇場になる。「だが、その懐に入っていくと、実に興味深い取り組みが重ねられていることに気づく」。それは「地域おこしの「第三の道」というべきものであり、地域を深く「愛している人びと」による新たな試みと言えそうである」。別の言い方をすれば、「「地域の資源」と自分たちの「暮らし」を深くみつめ直し、新たな「仕事」を起こし、そして新たな「価値」を生み出そうとしているように見える」。30話はそれを具体例で紹介している。

 関氏は本文の中で、「次の時代を担う意欲的な若者が登場してこない限り、その地域の「将来」はないのである」と言い切っている。そして、自ら、私塾を設けて人材育成に貢献している。

 いまも折りにふれ、大都市圏と地方との格差が言い立てられる。だが、既得権益を擁護しようというそうした後ろ向きの姿勢とは異なり、誇りと希望と勇気をもとに新たな社会を切り拓いていくことが地方の課題だろう。その意味で、関氏の指摘はとても大事だと思う。

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2008年4月25日 (金)

世界の風力発電設備は1億KWに

 2007年末現在の世界の風力発電設備容量は9368万KWに達する。07年の1年間に1929万KWも増えたという。増加率は実に26%である。これは、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「海外レポート」1021号(4月23日)に紹介されている。ことし中に1億KWを突破するのは確実だ。

 太陽光発電などとともに、再生可能エネルギーの有力な供給源とされているのが風力発電である。同レポートによると、07年末現在、風力発電設備の容量は、EU5634万KW、米国1682万KW、インド800万KW、中国600万KWなどで、EUの中では、ドイツ2225万KWとスペイン1515万KWが突出して多い。EUの風力発電設備による発電量はいまや3%を占めるまでになっている。また、世界の風力発電により、約1億2200万tのCO2排出が防止できるという。

 風力発電は、太陽光発電やバイオエネルギーといった再生可能エネルギーに比べれば発電コストが安いが、ドイツやスペインなどで設置が急増したのは、発電の買い取り価格を高くしたりする優遇措置を講じてきたからである。

 しかし、風力発電は風の吹き方で発電量が大きく変動する。電力会社は、もともと電力需要の変動に対応する必要があるが、新たに風力発電の供給の変動にも対応する態勢をとらなければならない。こうした変動を調整するためには、予備的な発電設備が要る。ないしは、他の電力会社から電気を買わねばならない。ということで、同レポートでは、風力発電を増やすと、火力発電設備も必要になるから、CO2の排出削減には必ずしもつながらない、という指摘があることも紹介している。

 それに関連して、EUなどでは、景観を壊し、観光事業に脅威である、騒音公害があり、住民の健康に悪い影響がある、野鳥がぶつかる、系統連係に問題がある、その割に発電量は少ない、省エネに力を入れるほうが効果が高い、などといった風力発電への批判があるという。EUの風力発電ブームに水をかけることになるか注目したい。

 ところで、日本では06年に149万KWの風力発電設備があった。日本政府は2010年に300万KWにまで増やすという目標を設けている。しかし、それでも、ドイツなどに比べると、非常に少ない。国内には、もっと風力発電への投資に助成をすべきだとか、電力会社の引き取りの拡大や買い取り価格の引き上げをすべきだという声も一部に出ているが、国民の関心事にはなっていない。

 私見を述べれば、最近の石油価格高騰は相対的に風力発電の競争力を高めている。脱化石燃料は地球温暖化対策の面でも資源の有限性からも望ましい。そして、技術進歩により、いずれ大容量蓄電池などで風力発電の発電量変動という弱点を補うことができるだろう。とにかく風力発電は将来の重要なエネルギー供給源である。発電装置産業育成の観点も踏まえて、政府は風力発電に従来よりも積極的に取り組んでいいのではないかと思う。電力会社に対しても、同様である。長期的な視点を持ってほしい。 

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2008年4月23日 (水)

インサイダー取引と性善説と

 証券取引所などで取り引きされている株式を内部情報に基づいて売買するインサイダー取り引き。東京地検が野村證券の中国人社員ら3名を、その疑いで逮捕した。企業売買など投資銀行業務を行なう企業情報部に所属しているときに、インサイダー取り引きをやってもうけていたというのだから、野村證券の評判は地に落ちた。同社のダメージはものすごく大きい。

 同社では社内規定により、企業情報部に所属している間は株式売買を禁止している。また、法令順守などの誓約書を書かせているという。しかし、会社に大きな打撃を与えかねないインサイダー取り引きなどの不正行為を防ぐ態勢づくりに甘さがあったということだ。

 会社人間とか、会社第一主義とかが批判された時代には、愛社心とか、同期生といった仲間意識が強かった。上司が仕事のあと、飲みにつれていくこともよくあった。だから、お互いに、公私を知っていて、あいつはどんな奴だと大体わかっていた。だから、変なことをするとすぐばれるというチェック機能がかなり働いていた。1990年代の半ばごろまではそうだった。

 しかし、その後、状況は大きく変わった。いまは、パソコンを相手に仕事をすることが多い。飲みにいくことも少ない。それに皆、忙しすぎる。プライバシーに立ち入らないという傾向もある。それらの結果、同僚にせよ、部下、後輩にせよ、多面的な接触が乏しい。同じ職場にいても、どんな人間かをろくに知らないようなことも珍しくない。野村證券にいた中国人社員も同様だったろう。彼の場合、日本人社員以上に付き合いなどが少なかったのではないかと想像する。

 したがって、野村證券は、情報が命のビジネスだから、人間は悪いことをするという性悪説に立って、インサイダー取り引きなどの防止のため、非常に厳しいチェックシステムをつくるべきだった。それだけでは防ぎ切れないから、職場の仲間意識を涵養し、相互チェック機能を高めることも必要である。

 一方、メディアは、茨城県の国民健康保険団体連合会で会計課の主任だった男が、全部で約10億円使い込んだという事件を報じている。カネを扱う人が1人か実質1人の組織で、こうした使い込みが時々明らかになる。これも、人を信用して任せ切りにするから起きる。カネを扱う仕事は基本的に性悪説に立って、人事異動をなるべくひんぱんに行なう、1年に1度は普段のとき、無理矢理1週間以上、休暇をとらせ、ほかの人に代行させる、などを慣例とすべきだ。

 かつて、ある大企業では、親会社から派遣された経理部長がカネの責任者となり、取締役になっても、そして常務になっても、それを続けようとした。さすがに社長が「もう下の者に任せなさい」と命じたら、彼は行方不明になった。秘書が「ひょっとしたら」と調べたら、銀行に預けてあるはずの約20億円の債券がなかった。競馬などに使ってしまったのである。性善説に立って、万が一のリスクに備えないという組織は危うい。

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2008年4月22日 (火)

もう電車に冷房とは!

 けさ、ラッシュアワーが過ぎた時間に電車に乗ったら、もう冷房が入っている。東京駅に着くまでの20分ほど、ちょっぴり寒くて身体が硬くなった。見回したら、わりと薄着で、寒そうにしている女性がいた。

 JR東日本は、ごみ問題に早くから取り組むなど、環境問題には意識が高い会社だと思ったこともあるが、電車の冷房については、合格点をあげるわけにはいかない。乗客が一杯のときと、空いているときとでは、同じように冷房したら、車内の温度が相当違う。それに、天井からビューと冷たい風が吹いてくるから、空いているときの体感温度は相当下がる。そうしたイロハもわからないまま、冷やせばサービスだと思い込んでいるようだ。

 例年、真夏になると、半袖姿のお客が乗ってくるが、冷房に震えんばかりの女性をよく見かける。電車の中の寒さに備えて、ショールなどをかける女性も多い。私は、ジャケットを防寒用にいつも持ち歩く。何年か前まで、都心から郊外の終点まで約50分、電車に乗って帰っていたが、夏は、終点に近づくにつれて乗客が少なくなり、電車の中がますます冷えて、毎日、しんどかった。途中、冷房を弱くするとか、止めるとか、してほしいとクレームを申し入れたこともあったが、ダメだった。

 柔軟性を欠いた冷房は顧客満足(カストマー・サティスファクション)の点で落第であるだけではない。クールビズだとかで冷房温度を高めに設定するよう政府が掛け声をかけているのを無視している。さらに言えば、ムダに電気を使い、コストを増やしているし、温室効果ガスを出して温暖化防止にそむいている。そうしたイロハをきちんと従業員は理解しているのだろうかと疑問に思ってしまう。

 また、天気のよい昼間、駅のホームは自然光だけで十分明るいのに、ホームの両側、端から端まで蛍光灯がついていたりする。不要な灯りを消すことすら駅員に徹底できないのかと言いたくなる。

 民営化で、JR東日本の経営は官僚的な国鉄時代とは打って変わった。好業績はそうした経営改革のおかげだと思うが、末端まで意識改革が徹底しているかといえば、疑わしい。 

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2008年4月21日 (月)

「上げ潮派」高橋洋一氏の見解

 昨日のグログで高橋洋一著『さらば財務省!~官僚すべてを敵にした男の告白』を取り上げた。日本の財政を危機と見るか、どうすべきか、といった点について、同氏はいわゆる「上げ潮派」に属する。「財政タカ派」とは真っ向から対立する考え方である。

 そもそも、財政危機に対する認識が両派は全く違う。高橋氏によれば、政府の抱えるグロスの「粗債務」は大きいが、金融資産を差し引くと、「純債務」は約300兆円まで減る。だから、同書は、「実は、日本が財政危機ではないことは、財務省自身がよく知っている」と書いている。その例示として、財務省の国内向けと海外向けのアナウンスはまるで違うという。2002年、アメリカの格付け会社が日本国債の格付けを引き下げたとき、財務省は純債務でみれば財政危機などではないと主張したのだという。もっとも、高橋氏は、そのすぐあとで、「私は、財務省のいう財政危機は大げさだと思うが、さりとて安心していいとも思えない」と述べている。

 「上げ潮派」は、財政再建には、まずデフレ脱却をめざす。次に政府資産の圧縮を、そして3番目が歳出削減、4番目が制度改革、そして最後に増税という順番を唱える。そして、高橋氏によれば、日本がデフレ基調から脱却できないのは、日銀がハイパワードマネーの供給をしぼっているからだという。「ハイパワードマネーを増やすには日銀が国債を購入しなくてはならない」が、それは戦前の軍備拡張路線を支えた国債引き受けという屈辱の歴史を踏まえると、「日銀にとっては大蔵省(財務省)への屈服、敗北を意味する」。それは日銀エリートの矜持が許さないという。

 だが、「もし、日銀が適切な金融政策をとって2%程度の緩やかなインフレになり、デフレ脱却をしていれば、現在の実質成長率2%に加えて、上げ潮派が目標とした名目成長率が達成されていた」と述べている。そうなれば、財政健全化しやすいというわけである。

 高橋氏はまた、「経済成長こそが、財政再建への近道であるという事実は疑いようもない」として、目先の財政収支の均衡しか頭にない財務省の「財政原理主義」を批判する。とともに、「財政タカ派にとって財政再建は二の次、彼らはどうあっても増税が必要だという結論を導き、消費税率をアップしたいのだ」と批判している。

 そのほか、日本政府は公務員などの人員は先進国では少ないものの、政府資産の規模で見れば大きな政府であると指摘する。「少ない官僚が大きな金融資産を抱えているということは、官僚1人あたりの権限が他の先進国より何倍も大きいのだといえるかもしれない」とおもしろい解釈をしている。

 上げ潮派の代表的な人物、中川秀直自民党元幹事長が提起した霞が関埋蔵金論争にも陰で関わっていたようだが、高橋氏が財政改革を進めるための方策を次々と提起した功績は大きい。「財政タカ派」に対する氏の解釈は極端すぎるし、日銀への解釈も同様だと思うが、財政健全化をめぐって経済論争だけでなく政治的論争が起きるのはいいことだ。 

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2008年4月20日 (日)

『さらば財務省!』は推奨に値する

 小泉改革を推進した竹中平蔵氏を支えたブレーン。その中に財務省出身の高橋洋一氏がいるということで、名前だけは知っていたが、氏が書いた『さらば財務省!』(2008年3月刊)を読んで、彼がどんな人かがかなりわかった。「官僚すべてを敵にした男の告白」という副題が決して誇張ではない内容である。

 読めば、この本がいかに霞が関の本質と実態をさめた目でみているか、官僚支配がこの国を危うくしているか、がよくわかる。それに、構造改革をめぐる官僚たちや政治家の行動を具体的に描写しているので、読み物としても引き付けられる。

 普通、こんなにおもしろい本なら、あちこち、新聞等の書評で取り上げるはずだが、さっぱりお目にかからない。下司の勘ぐりかもしれないが、これだけ官僚たちをこてんぱんにやっつけた本を書評でほめたら、書評した当の学者やジャーナリストたちは、以後、霞が関でまともに応対してもらえなくなると懸念したからではないか。あるいは、市場メカニズムを重視するということで竹中氏はマスコミに相当に叩かれたが、竹中氏を支えたブレーンが書いたものなど読むに値しないということだろうか。

 安倍首相は、事務次官会議が通さなかった公務員制度改革案を閣議に諮るという画期的な決断をした。それは「歴史的な快挙」だったが、「翌日の新聞は事の経緯を一切報道しなかった」。なぜ取り上げなかったのかについて、高橋氏はきびしくマスコミを批判している。新聞等はそれに立腹して書評に取り上げないのかもしれない。

 本書の著者の考え方は、「社会主義的な思想に染まっている官僚にとって資本主義は悪である」、「統制経済で市場を管理し、変動を起こさせないのが自分たちの役割で、それが最良と信じている官僚」、「しかし、好むと好まざるとにかかわらず、多くの世界は市場メカニズムで動いている。これを否定したら、経済が破綻するだけだ」、「市場経済をベースにして、官の価値基準、行動原理の一部に民間の考えを入れるとどうなるか。小さな政府になり、制度も全部変わる」というものである。そうした考えに立って、高橋氏は官僚社会の内側から、官僚支配構造の打破に腐心した。

 高橋氏はもともと東大理学部数学科の卒業で、東大法学部出身者が幅をきかす大蔵省では異色の存在だった。数式モデルやコンピュータに強いから、日本の財政投融資や郵便貯金などが抱えるリスクに気が付き、その対策を考え出す。と同時に、日本の官僚制度の欠陥にも気が付き、公務員制度改革などを主唱する。霞が関のムラ社会とは一線を画し、日本を改革しようと必死になって働いた高橋氏には頭が下がる。

 「第七章 消えた年金の真実」で、日本人は政府を「むやみやたらに信じたがる。私はこれが日本国の最大の欠陥だとさえ思っている」、「私からすれば、役所ほど信用してはならないものはない」と断言している。そして「役所への過信は、国民、行政組織双方にとってためにならない。自分の身は自分で守る。その基本が根付いていなかったことも、年金問題をこれほど深刻にした原因なのだ」と述べている。

 ねじれ国会は日本の政治を根本から問い直すよい機会である。国民一人ひとりがこれからの日本のありかたをどう考えたらいいのか、について、たくさんの示唆を与える本書を皆にぜひ読んでもらいたい。 

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2008年4月19日 (土)

映画「靖国」雑感

 いま話題の映画「靖国」を観た。いくつかの映画館が上映予定から下りたあと、別の映画館が上映に踏み切ると伝えられた。また、国会議員を対象とする試写会があったり、右翼系活動家にも観てもらったりするたびにメディアが取り上げて報道している。これだけ巧まずして“前宣伝”が行なわれた以上、一般封切になったら、観客が多いことだろう。

 8月15日は別として、普段の靖国神社は静かで訪れる人も少ない。千鳥が淵の桜を見るためにやってくる人たちの一部がついでに寄るときに結構にぎわうぐらいだ。だから、映画で見る靖国神社の8月15日には驚いた。全く異質の世界が展開しているからだ。

 第二次世界大戦に敗北した1945年から半世紀以上過ぎたにもかかわらず、あの戦争において戦った人々、銃後で苦しい目にあった人々、犠牲になった人々、そして、それらの人々の子孫の中には、あの戦争の後始末というか総括に対して納得していない人が少なからずいる。それが8月15日の靖国神社に現れている。そのことが映画でよくわかった。

 しばらく前に、映画「明日への遺言」を見た。第二次大戦中、米国による東京大空襲に比べれば、規模は小さいが、名古屋への大空襲もあった。そうした空からの無差別爆撃は国際法に違反するのではないか。そうした疑問がこの映画の背景にある。

 日本はアジア諸国を支配下に置こうとして侵攻し、結局敗れた。その事実を歴史のどういう文脈に置くかによって、解釈は大きく分かれる。外交的な立場からみた日本政府の公式的な見解ははっきりしているが、それに国民が皆、納得しているわけではない。それが折りにふれ噴き出す。そして、アジアの国の反発を招くこともある。しかし、それは日本が言論の自由、表現の自由を保障するデモクラシーの国家である証明でもある。

 映画「靖国」については、8月15日の靖国神社にだけカメラを向けていたら、もっと我々日本人に深く考えさせることになるのではないかという感想を抱いた。靖国神社のご神体が「日本刀」であり、刀匠が「靖国刀」をつくる工程を映すことや、戦時中に捕虜などを刀で斬殺しようとする写真を何枚も映すことで、かえってストーリーがありきたりのものに単純化されてしまったと思えるからだ。

 戦争・軍隊に関わる映画と言えば、先日、韓国映画「光州5・18」を見た。1980年5月の“光州事件”を正面から取り上げたものである。日本の自動車生産や粗鋼生産などが世界一になった年に、隣国の韓国では、非常戒厳令が敷かれ、軍隊が、民主化を要求する学生・市民らと衝突し、武力制圧した。たった28年前のことである。いまのチベットを想起するような事態だが、当時の韓国には、いまの中国がそうであるように、言論の自由、報道の自由がなかった。だから、韓国国内に、光州の出来事がきちんと伝わらなかった。

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2008年4月18日 (金)

経団連の国家予算制度改革提言

 日本経団連が4月15日に提言「財政健全化に向けた予算制度改革」を発表した。財政健全化は待ったなしの課題だが、それを達成するためには、立法府および行政府における予算制度にまで踏み込んで改革をする必要があるという問題意識に基づく。

 提言では、「当面の措置」として、立法府に「財政健全化に係る中期的コミットメントの形成」を求めている。5年間程度の財政構造改革目標を設定し、「歳出歳入改革法」制定などで一定のコミットメントを行なうことを求めている。その内容には、一般会計ベースの基礎的財政収支(PB)黒字化に加え、国債残高対GDP比の安定的低下も盛り込む。さらに、財政再建と経済成長を車の両輪ととらえ、経済成長の維持、国際競争力の強化に必要な施策を盛り込むとしている。

 中長期的観点から、衆議院および参議院の事務局、特に予算議決の優越的権限を付与されている衆議院の事務局の情報収集・分析機能拡充が必要だとしている。財務省や内閣府に判断の前提となる情報を全面的に依存している状態は望ましくないからだ。

 また「将来的課題」として、一般会計のPB黒字化を達成したあとは、財政構造改革の目標を「債務の利払費までをカバーする財政収支の改善に向けた赤字縮減とすることが考えられる」としている。

 衆議院事務局の企画・調査能力を強化し、「必要に応じて外部の研究機関なども活用して、行政府の想定するマクロ経済や財政収支見通しについて多角的観点から検証を行なう」ようにし、国会のコミットメントと政府の施策との整合性を確保するという。参議院事務局については、決算審査をより実効性のあるものにするためのサポート体制を強化すべきだと述べている。

 行政府に対しても、当面、政策評価制度を充実すること、それと予算との連携を強化することと、将来的課題としては、「予算編成担当部局への政策評価担当部局の統合も検討すること」を求めている。

 「はじめに」で、「政治情勢などにかかわらず、長期的な観点から財政規律の回復に向けて着実に取り組むための仕組みが必要であり、そのためには、立法府および行政府における予算制度のあり方にまで踏み込んだ改革が求められよう」と、問題意識を書いている。現下の“ねじれ国会”を思えば、経済界がこうした提言をした理由が納得できる。

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2008年4月15日 (火)

野口悠紀雄『戦後日本経済史』から

 野口悠紀雄著『戦後日本経済史』(2008年1月刊)はあれこれエピソードが盛り込まれていて、興味深い。田中角栄をめぐる話は、現在の政治テーマである道路特定財源にも触れている。

 大蔵大臣になって「大蔵省を掌握した政治家はきわめて少ない。田中の前に池田勇人、後に竹下登がいるだけと言ってよい。ただし、竹下は、大蔵省の望む政策(とりわけ消費税の導入)を実現するために、自民党に対する防波堤となった。つまり、彼は大蔵官僚のために働いたわけだ。それに対して田中は、大蔵省の方針に反して自らの意思を通した。このような大蔵大臣は空前であり、(財務大臣を含めても)絶後であろう」と書いている。情けない話だが、その通り、“官主政従”だと私も思う。

 1953年に議員立法で揮発油税収を道路財源にした田中は1963年に、45歳で大蔵大臣になった。1971年、自民党幹事長のときに道路財源として自動車重量税を創設した。大蔵省は特定財源を嫌うが、にもかかわらず、実現したのは、「大蔵省を意のままに動かせたからだ」という。特定財源措置は「自民党道路族にとって重要な権力基盤となった。そして、この利権構造は、小泉構造改革によっても少しも揺らがず、現在まで続いている」。

 1973年10月、田中首相は参議院選挙を控えて給与所得控除を1974年度に大幅に拡充する方針を打ち出し、オイルショックが起きたにもかかわらず、実施した。また、1973年に公的年金の給付額の大幅引き上げ・物価スライド制導入、老人医療の無料化を行い、「福祉元年」と呼ばれた。同書ではこれらを「開闢以来」のバラマキと評価し、「その後の財政構造に大きな後遺症を残した。現在に至るまで、財政問題の基本は、この2つで規定されている。「財政再建」と言われるが、この2つが残る限り不可能なことだ」と断定している。

 同書でもう1つ注目したのは、金融危機に関する記述。金融機関の貸出先が破綻しなければ、税務当局は損金処理、つまり無税償却を認めないのだが、バブルの後始末のため、破綻していなくても無税償却を認める例外措置をとった。それは「銀行に対する補助金とみなすことができる」。それらによる納税者の負担は約49兆円。「これだけの額を、銀行の放漫融資の尻拭いのために納税者が負担させられたのである。しかも、それは、きわめて分かりにくい形で生じている。だから、多くの人は、負担を課されたこと自体を認識していない」。

 「そして、得をした人がいる。銀行から融資を受けて返済しなかった企業だ。しかし、それが誰なのかは、分からない。これほど不合理なことがまかり通る国は、世界広しといえども、日本だけだろう」という。

 著者がこだわるのは、「われわれは、バブルの教訓を汲み取っておらず、日本の金融機関の基本的な体質は変わっていないからだ」。バブルはいずれ再発するが、このままだと、国民はまた負担を押し付けられるだろうという指摘に私は100%賛同する。

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「必要な道路」とは?

 道路特定財源のガソリン税に上乗せされていた暫定税率が期限切れとなった。それを機に、政府・与党は道路特定財源の一般財源化に取り組む姿勢をみせている。しかし、「一般財源化後も必要な道路はきちっと造らねばならない」(伊吹文明自由民主党幹事長)という条件が付いている。伊吹氏も「必ず要る」という意味で「必要な道路」と言っているようだ。

 しかし、「必要」だから必ず予算を付けなければならないとしたら、政府の歳出は際限なく膨れ上がるだろう。官僚社会では沢山の予算を獲得することが有能な証拠とされるので、屁理屈を付けてでも、官僚たちは予算要求をするからだ。国民のほうからも、国に対してあれをしてほしい、これをしてほしいという要求が際限なく出るから、それを背景に、官僚たちは歳出増を実現すべく知恵(悪知恵?)をしぼる。

 では、その予算(カネ)は誰が出すのか。どこからひねり出すのか。「そんなことは考えなくてもいい、歳出すると決めれば、カネはあとからついてくる」というのでは、いずれ国家財政は破綻する。すでに、そうしたツケが積もり積もって、およそ800兆円もの借金になっているのである。借金返済を含めて歳出予算全体を税収の範囲にとどめること。それを国家予算編成の出発点にするよう政府・与党にも、国民にも求めたい。「良薬は口に苦し」――歳出を増やすには、それに見合った増税を行うこと、この基本を忘れないでほしい。

 ところで、道路特定財源を一般財源化することに国民の支持が多いのは、①全国の道路整備がかなり進んだ、②にもかかわらず、特定財源を維持し、それ使い切るため、必要性の薄い道路まで造ったり、税収を道路以外に流用しているのはおかしい、③国全体としては、少子高齢化などを背景とする社会保障政策の整備などが喫緊の課題となっている、④世界でも突出した財政危機にあり、特別会計の放漫財政を容認すべきではない、といった理由からだと思う。

 そうした国民、納税者の意向を念頭に、一般財源化および適切な使途決定をするのが政治家の役目である。好意的に見れば、福田首相は、限られた税収の中で、最適な解を出そうという方向に転換し始めたようだし、それを支持する自民党議員が少なからずいる。だが、まだ道路族の強い自民党が党の方針として道路建設に執着すればするほど、国民の利益に反する。ここはどっちになるか、政界再編にもつながる大きな注目点ではないか。

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2008年4月12日 (土)

温暖化対策の茅恒等式

 地球温暖化対策における技術の役割は? 山口光恒東大先端科学技術研究センター特任教授が3月に行なった講演の要旨が4月11日の日本経済新聞朝刊(広告欄)に載っている。その中で紹介しているのが茅陽一地球環境産業技術研究機構副理事長が唱えた「茅恒等式」の簡易版である。

 CO2排出量=CO2排出量/GDP×GDP  これを微分すると、

 CO2排出量変化率=技術進歩率+GDP成長率  となる。つまり、CO2排出量を減らすには、技術進歩か、経済成長率を減らすか、それら以外に方法がない、という。

 1990年を基準にして、2050年までにCO2排出量を半減するには、GDP成長率をゼロとした場合、年率3.856%の技術進歩がなければならない。これまでの数十年の実績は1.227%(燃料転換を含む)だから、その3倍強のテンポの技術進歩が必要とされる。

 しかし、実績程度の技術進歩率しか今後も実現しないとすると、「GDPを成り行きから8割も減らさなければなら」ないが、それは現実的には難しいという。山口氏は「結局、技術の革新や普及なしにCO2の大幅削減はできない」と述べている。

 山口氏の話に基づけば、BRICsなどの経済発展を許容しながら温室効果ガスの排出総量を減らすには、CO2大幅削減につながる大きな技術進歩を達成するしかない。だが、大きな技術進歩が無理だとすると、世界の経済成長率を相当に抑える必要がある。そうしたシナリオが達成できなければ、温暖化が進行し、人類は破局に向かうということになる。

 サブプライムローンに端を発した、世界経済と国際金融市場が直面している現在の危機。G7の会議(7ヵ国財務相・中央銀行総裁会議)がワシントンで開かれ、金融システム不安と米国を中心とする世界経済の低迷に対して、協調行動をとることになった。だが、安定した経済成長をめざすなら、地球温暖化対策としては、それだけ技術革新のテンポを上げねばならない。そんなことも併せて考えねばならない時代である。                   

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2008年4月10日 (木)

兜町には街としての活気がない

 半世紀近く前、記者として駆け出しの頃、東京証券取引所の中の兜クラブにいた。広い立会場に入ると、証券会社の場立ちなどがたくさんいて、当初、その雰囲気に圧倒された。電話で本社と場立ちの間をつなぐ係りの者は、手の動かし方で何の銘柄か、そして売りか買いかを場立ちとやりとりしていた。

 その当時、東証の中に銀行の支店などとともに売店があった。その中で眼鏡や貴金属類などを扱っていたが、その店が10年前に東証を追い出され、いまは「トウショウ売店」の名で日本橋兜町に小さな店を構えていたことをいまごろになって知った。しかし、今月25日に閉店するという。東証内に店を出してから55年になるそうだ。

 閉店するのは、街が閑散としていて、人のにぎわいが戻る可能性がないからだという。そう言われて、はたと気付いた。東証の機械化(コンピュータ化)で、場立ちをはじめとして証券界で働く人の数がうんと減ってしまった。その結果、兜町、茅場町は人気(ひとけ)がなくなった。かつては昼時に、若い男たちが立会場からあふれんばかりに出てきて活気に満ちあふれていたのに。

 立会場の無人化によってコストが下がる、取り引きの公正化が図れるなど、機械化はいいことづくめのように言われた。立会場はさまざまな情報が集約されるところで、場立ちがいる頃は、中に流れるうわさなどが相場を動かすことなどもあった。それだけ人間くさいところがあり、それが嫌いではなかったが、私も、どちらかといえば、機械化に賛同していたほうだ。

 しかし、ニューヨーク証券取引所はいまも立会場は人が一杯いる。それでも、世界的な取引所間競争で負けてはいない。機械化する、しないが取引所の競争力を決定するわけではないことは明らかである。日本では、東証の機械化によってたくさんの雇用を失い、かつ、街のにぎわいをもなくしたのである。その結果、上質の商品を売り、顧客へのアフタサービスを大事にすることをモットーとしていたトウショウ売店も消えていく。

 大型安売り専門店やネット取り引きなどが広がり、商取引において、人と人とのふれあいをどんどん排除する流れにある。かつ、グローバルな競争の中で、価格だけが売り手と買い手の関心事になってきている。しかし、それが結果的に雇用を減らし、人間関係を干からびたものにしていくのだとすれば、私たちはちょっと立ち止まって考えてみる必要がある。それでいいのか、と。 

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2008年4月 8日 (火)

OECDから見た日本経済の問題点

 4月7日、OECDが2008年版の対日経済審査報告書を発表した。アンヘル・グリア事務総長は「日本が改善をしなければ、日本経済は世界でのランクがどんどん下がる。困窮を招く。この報告書で、我々は、世界ではこうやっていると言うだけ。それが最良の慣行ですよと」と語った。

 日本経済がとるべき施策として指摘されていることは4つ。①デフレの完全な終息、②財政健全化の進展、③包括的な税制改革の実施、④サービス部門の生産性向上、である。

 財政改革については、公的債務残高が増加し続けており、「長期金利が上昇した場合の日本経済の脆弱性が強まっているため、財政再建の推進は緊急の課題」と指摘。「政府支出のさらなる削減を優先的に行うべきである」という。社会保障費の抑制は不可欠とし、そのために、年金受給資格年齢の引き上げ、年金資産の運用利回り向上や、医療の質向上と効率性引き上げのために民間部門の関与の度合いを高めることが重要だという。

 基礎的財政収支を黒字にするにはGDP比6%に相当する歳入増が必要であり、政府債務比率を引き下げるにはそれ以上の歳入の増加が求められる。それには包括的な税制改革を実施すべきだとする。

 日本の法人税率は世界で最も高い。しかし、法人税を納付している企業は3分の1にすぎない。租税特別措置が多いなどのせいである。個人所得税も給与所得控除が大きいなどのせいで、課税最低限が高すぎる。したがって、課税ベースを拡大すべきだという。そして増税が経済成長に及ぼす悪影響を最低限に抑えるため、間接税である消費税をOECD諸国中、最も低い5%からもっと高くすべきだと勧めている。一方で、現在40%の法人税率をOECD平均の29%近い水準まで下げれば、経済成長を後押しするという。

 長期的経済成長にとって重要な労働生産性の改善についても詳しく述べている。ひどく劣っているサービス部門の生産性を引き上げるには、規制改革、競争政策、門戸開放によって競争を促進するよう求めている。とともに、非正規労働者の増大で二極化している労働市場を改善すべきだと述べている。

 報告書の内容は、日本政府がやろうとしてきた路線におおむね沿った内容である。外野席から日本政府をサポートしているような気がしないでもない。もっとも、事務総長は「日本政府から要請されたということでは全然ない。私どもが最良と思ったことを書いた。事務局の草案を委員会で30の加盟国と議論して決めている」と述べている。

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2008年4月 6日 (日)

映画「クライマーズ・ハイ」を見て

 1985年8月12日、羽田発大阪行きのJAL123便、ボーイング747SR機が群馬県の御巣鷹山(標高1639㍍)に墜落し、生存者4人を除いて520人が亡くなった。横山秀夫著「クライマーズ・ハイ」は、地元紙の記者としてこの世界最大の航空機事故を取材した体験をもとに書かれた作品だそうだが、この原作を読まずに、映画「クライマーズ・ハイ」を試写会で見た。

 事故発生のその日、私は新聞社にいて、夕刻、そろそろ帰ろうかと思ったときに、「日航機が行方不明」という第一報が入った。そのうち、長野県に墜落したという情報が入った。乗客の中に歌手の坂本九さんも入っているという。そして翌日、群馬県・御巣鷹山の現場からの報道が始まった。会社に出ると、一週間ほど前にやってきて話をした大阪本社の仲間が犠牲になったことがわかった。そうした記憶があるので、格別の思いで映画を鑑賞した。

 映画は、前橋市に本社を置くローカル紙が、地元で起きた未曾有の航空機事故について、どういう取材態勢をとり、どんな記事を執筆し、どういう紙面をつくったかを、事故報道の総責任者、および編集記者たちを中心に映像化している。映画はよくできていて145分飽かせなかったが、個人的に感じたのは、映画の中での、新聞づくりにたずさわる人たちの熱気である。活気を超えて、まさしく熱気である。

 いまの全国紙も、地方紙も、おそらく失っているのは、この熱気である。新聞という仕事を生かすも殺すも、そこで働く記者やそのほかの人々のやる気である。自由闊達な職場からしか、いい新聞は生まれない。いい情報を提供するというのとは違う。

 現在の新聞社は、購読者の減少、広告の減少などで、経営環境が厳しくなる一方である。IT化やグローバル化など、内外の情勢変化もあって、経営の論理、組織の論理が編集局の上から下までをもおおっている。昔は、変わり者、一匹狼のような個性的な人材がいたが、そうしたのりしろを許容しなくなっている。

 この映画でも経営や組織の論理がときどき顔を出すが、ひたすら、いい紙面をつくろうという熱気がほとばしる。私も第一線の記者だったころから、そうした気持ちを持っていたつもりである。それだけに、この映画に現れた熱気に感激した。

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2008年4月 3日 (木)

額賀財務相の発言はおかしい

 4月1日に財務省で行われた額賀財務大臣の記者会見録を読んだ。会見録の公開(4月2日)にあたって、これはエイプリル・フールだったから真に受けては困るという注書きが付いているのかなと思ったが無かった。本当に、こんなことを言っているのなら、頭がおかしいのではないかとすら思う。

 会見において、記者はガソリン税などの暫定税率が期限切れになった件で、「(福田総理大臣や額賀財務大臣が)今の状態では歳入に穴が開いてしまって、将来世代に負担をツケ回すことにもなりかねないということを訴えている」のに、国民にあまり理解されていないようにみえるがどうかと、大臣の所見をたずねている。

 これに対し、額賀大臣は暫定税率維持など政府の改正法案の提出理由について、「一つに、必要な道路を整備していくことが地域の活性化や将来の日本国土全体のバランスのとれた発展基盤を作っていくことになる」、もう一つは、欧米諸国では環境問題に対処するためガソリン税を上げていく手法を採るという共通の認識があり、日本も同じ意識を持つことが大事である、と答えている。そして、「我々の時代のツケ、借金は我々の時代に解消していくこと」が将来世代のために必要だと述べている。

 しかし、この大臣の認識はおかしい。暫定税率の延長、つまり歳入が決まってもいないのに、予め勝手に決まったことにして組んだ歳出予算を無理矢理、実施しようとすれば、穴があくのは当たり前である。

 田中角栄さん(といっても、いまの若い人たちは知らないだろう)がつくった道路特定財源―道路特別会計や、暫定税率はとっくに役目を終えている。社会保障制度の整備や財政健全化などが重要な課題となっている今日、道路優先の歳出構造は改める必要があるのは言うまでもない。いまだに土建国家の発想を持っているとはあきれる。

 西欧では環境対策としてガソリンなどに相当な税をかけているが、税収を道路整備のための財源に特定しているような国はない。環境対策だけに充てるというような目的税でもない。一般財源にするか、社会保障関係の費用に充てている。日本では、道路をつくることが先にあって、そのために、特定財源としてガソリン税などをかけるという発想である。だが、西欧ではガソリンなどの消費を抑制するために税金をかけることが先で、税収を何に使うかは後の話である。順序が逆である。

 今回、ガソリン税などの暫定税率がなくなり、ガソリンなどの消費を抑制するというのとは逆になった。その点は、道路特定財源を一般財源化するという改革のパッケージの中で、ガソリン税などの関係諸税を基本的には環境税に改めればいい。無論、これは消費抑制による温室効果ガス排出抑制のためであって、税収は当然、一般財源にすべきである。

 そうなれば、大臣が言う「我々の時代のツケ、借金」を減らすことにも充てることが可能になる。道路だけに税収を振り向けるこれまでの道路特別財源をさらに継続したら、それこそ、道路あって国民生活なし、のようなとんでもない国になってしまう。もっと緊急性、重要性の高い歳出をまかなうために国債を増発することになり、もっと財政悪化が進む。

 福田総理が一般財源化などを言い出しているのに、まだ額賀大臣が時代感覚を欠いた発言をしているとはあきれはてる。まして財務大臣なのに。 

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2008年4月 2日 (水)

値下げと値上げのニュースから

 4月1日のニュースのトップはガソリンの値下げである。次いで庶民にとって身近なニュースは食品関係での値上げである。暫定税率論議はさておき、ガソリンの値下げで消費者は喜んでいる。値上げに対しても、消費者は「収入が増えないのに」と言いつつも、至って穏やかである。最近の日本人は、犯罪を起こすような者は別として、滅多なことでは怒らなくなったなあと思う。豊かでゆとりのある社会だからだろう。

 値上げというと、1973年のオイルショックを思い出す。“狂乱物価”という言葉に示されるように、消費者物価が1974年に2割以上も上がって、生活が苦しかったことを覚えている。本当に、翌年春の賃上げが待ち遠しかった。原油価格の上昇で、日本から産油国へ所得が移転し、日本の高度成長は終わった。海外の資源に多く依存している日本にとって、工業原材料や穀物などの輸入品の値上がりはズシーッとこたえる。

 現在の世界的な物価の上昇も当然、日本を直撃している。日本から資源生産国への所得移転が大規模に行われているのである。原油の大幅な値上がりだけでなく、石炭など他のエネルギーの価格上昇もあるし、鉄鉱石をはじめとする鉱物資源の高騰、小麦、とうもろこし、大豆などの穀物の大幅な値上がりもある。

 それらを原燃材料とする工業製品、農産品、輸送サービスなどのコストは上がる一方だから、日本国内の企業はコストアップで経営は苦しい。円高はそうしたコストアップをある程度軽減してくれる。サービス経済化しているとはいえ、やはり、こうしたコストアップを国内の製品サービス価格に多かれ少なかれ転嫁していかざるをえないだろう。

 だが、そうしたコスト上昇分を販売価格に転嫁できなければ、企業は存続できなくなる。大企業は中小企業にしわよせがしやすいから生き延びやすいが、価格転嫁が難しい中小企業の中には経営革新に成功しない限り、事業から撤退をよぎなくされるところが増えると思う。

 個人も、資源国への大幅な所得移転の影響を受け、いままでのような物質的豊かさを続けることは難しくなる。したがって、資源生産性を高める、即ち、より少ない資源で満足度を維持するようなライフスタイルに転換せざるをえない。3R(Reduce Reuse Recycle)や省エネを求められる。

 メディアは、いまだに円高を輸出企業の観点だけでマイナスに評価する。また、物価が上昇しないと、デフレから脱却したことにならないというエライ先生のお言葉をしばしば引用するくせに、4月からの相次ぐ値上げで生活が大変だと報じる。どうなっているのかと思う。 

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