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2008年4月15日 (火)

野口悠紀雄『戦後日本経済史』から

 野口悠紀雄著『戦後日本経済史』(2008年1月刊)はあれこれエピソードが盛り込まれていて、興味深い。田中角栄をめぐる話は、現在の政治テーマである道路特定財源にも触れている。

 大蔵大臣になって「大蔵省を掌握した政治家はきわめて少ない。田中の前に池田勇人、後に竹下登がいるだけと言ってよい。ただし、竹下は、大蔵省の望む政策(とりわけ消費税の導入)を実現するために、自民党に対する防波堤となった。つまり、彼は大蔵官僚のために働いたわけだ。それに対して田中は、大蔵省の方針に反して自らの意思を通した。このような大蔵大臣は空前であり、(財務大臣を含めても)絶後であろう」と書いている。情けない話だが、その通り、“官主政従”だと私も思う。

 1953年に議員立法で揮発油税収を道路財源にした田中は1963年に、45歳で大蔵大臣になった。1971年、自民党幹事長のときに道路財源として自動車重量税を創設した。大蔵省は特定財源を嫌うが、にもかかわらず、実現したのは、「大蔵省を意のままに動かせたからだ」という。特定財源措置は「自民党道路族にとって重要な権力基盤となった。そして、この利権構造は、小泉構造改革によっても少しも揺らがず、現在まで続いている」。

 1973年10月、田中首相は参議院選挙を控えて給与所得控除を1974年度に大幅に拡充する方針を打ち出し、オイルショックが起きたにもかかわらず、実施した。また、1973年に公的年金の給付額の大幅引き上げ・物価スライド制導入、老人医療の無料化を行い、「福祉元年」と呼ばれた。同書ではこれらを「開闢以来」のバラマキと評価し、「その後の財政構造に大きな後遺症を残した。現在に至るまで、財政問題の基本は、この2つで規定されている。「財政再建」と言われるが、この2つが残る限り不可能なことだ」と断定している。

 同書でもう1つ注目したのは、金融危機に関する記述。金融機関の貸出先が破綻しなければ、税務当局は損金処理、つまり無税償却を認めないのだが、バブルの後始末のため、破綻していなくても無税償却を認める例外措置をとった。それは「銀行に対する補助金とみなすことができる」。それらによる納税者の負担は約49兆円。「これだけの額を、銀行の放漫融資の尻拭いのために納税者が負担させられたのである。しかも、それは、きわめて分かりにくい形で生じている。だから、多くの人は、負担を課されたこと自体を認識していない」。

 「そして、得をした人がいる。銀行から融資を受けて返済しなかった企業だ。しかし、それが誰なのかは、分からない。これほど不合理なことがまかり通る国は、世界広しといえども、日本だけだろう」という。

 著者がこだわるのは、「われわれは、バブルの教訓を汲み取っておらず、日本の金融機関の基本的な体質は変わっていないからだ」。バブルはいずれ再発するが、このままだと、国民はまた負担を押し付けられるだろうという指摘に私は100%賛同する。

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コメント

田中氏は官僚の手法に染まっていなかったからこそ、当時、新手の方法で自分の筋書きを実現したと同時にシステムを熟知していなかったからこそ負の遺産も残したのではないだろうか。純粋に感じることである。勝負がすぐに判明する武道や球技でも、それらの人が勝負に勝つことは良くあることだ。でも、あくまでビギナーズ・ラックに過ぎないので、やがて衰退して行くのだが、経済的政治的な事実には面白いこともあるものだと改めて記事を読んで感じたのであった。

投稿: たろう | 2008年4月17日 (木) 10時13分

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