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2008年7月31日 (木)

政策論争に一石を投じる『「歳出の無駄」の研究』(井堀利宏著)

 いま政治の1つの焦点は、「ムダ・ゼロ」とか政策の棚卸による歳出の見直しである。国民に負担を強いる消費税などの増税をせずに、財政健全化と新たな重要政策課題への対応とを両立させるためである。しかし、歳出の無駄をなくすだけで増税をしないですむのだろうか。財政危機から脱却できるのだろうか。

 民主党は歳出の見直しで農家戸別所得保障などの財源を確保できるとの主張だし、自民党も、増税派がいることはいるが、次の衆議院総選挙を控えて、まずは無駄の排除を優先すべきだという主張が支配的になっている。こうした政治の最もホットなテーマについて、財政学者が歳出の中身ごとに具体的に金額を示しつつ、歳出の無駄だけでは財政健全化は無理だと言う結論に達している。

 さわりを紹介すると、日本の政府全体(地方自治体や独立行政法人など政府関連の公共部門を含む)で、「絶対的な無駄」が年間4兆~6兆円程度(民主党の言う13兆円程度よりはるかに少ない)、「相対的な無駄」が10兆~15兆円程度、「結果としての(過剰な)無駄」が1兆~3兆円程度あるという。「相対的な無駄」というのは、便益の大きさがコスト(歳出)より小さいものを指す。「相対的な無駄」の内訳は、公共事業3兆~5兆円程度、社会保障8兆~10兆円程度だろうという。

 「これらをすべて削減するのは困難であるが、できるだけ削減するように努力すべきだろう。」。しかし、「こうした無駄の削減だけで増税なしに財政危機が解消するほど、日本の財政赤字状況は甘くない。無駄を完全になくすのが最優先という非現実的な主張にこだわると、財政再建が不確実になり、市場での信頼も損なわれる。財政再建のためには、歳出削減と増税の両方の選択肢を活用するしかない。」

 今後10年程度で財政再建を果たすとした場合、目標とすべきプライマリーバランスの黒字幅がGDP比ほぼ3%から4%程度とすると、社会保障費を中心に歳出は対GDP比3~4%伸びるから、GDP比で7~9%ポイントほどの財政赤字削減が必要となる。歳出規模は上記の削減努力によってGDP比で3~5%程度削減できるとして、差し引き、必要な増税は、GDP比4%ポイント(年20兆円余)が1つのメドになるだろうという。改めて財政赤字の数値の大きさと問題の深刻さに思い至る。

 無駄をなくすにはどうしたらいいか。「わが国で歳出に無駄が多い原因は選挙制度の欠陥にある。」したがって、著者が第1に挙げているのが議員定数の公平さの実現である。「特に、有権者の選好を性格に反映すべき衆議院では、定数が完全に是正された小選挙区制度を早急に確率すべきである。」

 そして、年齢別の小選挙区をつくったらどうかと提案する。20歳代と30歳代の有権者を母集団とする「青年区」、40歳代と50歳代を「中年区」、60歳代以上を「老年区」と、3つの年齢別選挙区を導入することによって、青年世代の選好を政治の場に反映できるようにしようというわけだ。興味深い提案である。紹介し切れないが、本書には、こうした啓発される内容がいくつも盛り込まれている。(もっとも、網羅性を重んじたせいか、細かすぎる記述もみられるのはどうかと思った。)

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2008年7月30日 (水)

内閣改造にどんな意味があるの?

 福田首相が近く内閣改造に踏み切るという。でも、何のためにやるのか、と思う人は多いような気がする。

 改造をやれば、小幅の入れ替えだと、なぜ、あの人は残ったのかとか、新たに閣僚に選ばれた人について、なぜ、あの人が‥‥という疑念が自民党内に広がるだろう。党内の結束は弱まる。逆に、首相以外はそっくり入れ替えともなると、ほとんどの大臣がイロハから勉強せざるをえないから、当分の間、内閣の指導力が弱くなる。瀬戸際の自民党にとってプラスかどうか。

 福田内閣は基本的に安倍内閣の閣僚人事を引き継いでいるので、福田首相は自前の内閣をつくりたいのかもしれない。しかし、政治で何をしたいというのがまずあって、それにふさわしい人を担当の大臣にするというのならわかるが、福田首相からは、日本をどういう国にしたいか、世界をどう変えていくべきか、といったビジョンは出ていない。5つの安心とか、消費者庁の設置のように、部分的には福田カラーがみられるものの、それだけでは国民を引っ張っていくことは無理だろう。

 内閣改造に関する報道が盛り上がらない理由は、以上のように、なるほどと思う必然性がうかがえないところにある。そもそも、福田首相の人気がさっぱり上がらないのも、福田内閣の人気が同様に上がらないのも、国民を引っ張っていく力が乏しいからである。政策においても、国民への語りかけにおいても、国民のハートに響くものがほとんどない。というか、自民党には、自らの政治理念や、それを裏打ちする政策体系を持ち、国民を説得するだけの力を持つ有力な政治家が皆無に等しい。

 内閣改造で誰それにぜひ大臣になってもらいたいというような話題がきわめて少ないのはそうした人材の欠如によるのではなかろうか。それこそ政権与党の末期的症状かもしれない。

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2008年7月28日 (月)

諮問会議の「平成21年度予算の全体像」

 7月28日の経済財政諮問会議は「平成21年度予算の全体像」をまとめた。予算編成に当たっての基本的方針であると同時に、国民に対する説明責任を果たすものという。成長力の強化と財政健全化を両立させるとか、財政健全化と重要課題への対応を両立させるといったうたい文句が書いてある。そして、ムダ・ゼロおよび政策の徹底した棚卸で捻出した財源(約3千億円)を重点化ワク(総理特別ワク)として重要課題実現の政策経費に充てるという。

 また、「5.税体系の抜本的改革に向けて」ということで、「経済財政諮問会議、税制調査会等を中心に、税制改革の議論を進め、消費税を含む税体系の抜本的な改革の早期実現を図る」としている。そして「その際、以下の課題を踏まえ検討する」ということで、5つ挙げている。すなわち、「成長力の強化」、「世代間・世代内の公平の確保」、「社会保障を支える安定的な財源の確保」、「低炭素化促進の観点からの税制全般の見直し」、「納税者番号の導入に向けて検討」である。これらの論点を踏まえた税制改革の早期実現は望ましい。

 ただし、よくみると、「早期実現を図る」と書いてあるが、いつまでにという期限を切っていない。どうも逃げがある。論点として、「世代間・世代内の公平の確保」を明示したことは適切である。政治家は、もっと国民に対して、そうした視点での取り組みが必要であることを訴えるべきだろう。それと、「納税者番号の導入に向けて検討」という論点を掲げたのも一応評価したい。「導入を検討」という書き方になっていないところからすると、腰が引けているようだが‥‥。

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2008年7月27日 (日)

「財政改革ウォッチャー」の2周年

 2006年7月27日、「よき未来への思いを共有したい」と題するブログを書いた。その一部を抜き出してみる。

 「1、2年前から、日本の財政危機とか、財政再建と言われるものにも強い関心を持つようになった。国も地方も財政の大赤字が続き、借金は膨らむ一方だ。このままでは、いずれ財政破綻する。小泉首相は経済財政諮問会議を利用して、まずは2011年度に基礎的財政収支の黒字化を達成しようとの「骨太の方針」を7月にまとめた。だが、財政のサステナビリティを実現するのは容易ではない」。

 地球温暖化などの環境問題や、国と地方の財政赤字問題を、「国民の多くは多少なりとも知っていると思う。ただ、きょう、あすの問題ではないように思っているのではないか。しかし、危機が表面化してからでは遅い。いまから、国民一人ひとりが問題の解決をめざして何らかの行動を起こすときだ。そんな思いをできるだけ多くの人と共有したい」。

 このときと2年後のいまとでは、事態は悪化している。危機は深まっている。

 ブログ「財政改革ウォッチャー」をちょうど2年前に書き始めた。このときの初心を忘れず、将来世代により良い社会を残すように、これからも、微力とはいえ努力したい。

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『資本主義 2.0 宗教と経済が融合する時代』

 『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』の著者、水野和夫氏と、創価学会などにくわしい宗教学者、島田裕巳氏の対談を本にした『資本主義 2.0』(講談社、2008年5月)を読んだ。異分野の、しかもユニークな両氏の対談だから、おもしろそうと思ったから。

 企業が国家を超える、国家の存在を抜きにして経済が動く。資本主義の大前提である「国と資本の一体化」がグローバル化で崩れた。1995年以降のこの経済の新しいバージョンはまだ名前がないので、水野氏は「資本主義 2.0」と呼ぶ。そして、それ以前の資本主義(「資本主義 1.0」)と比べた変容をさまざまな面から指摘する。宗教との関わりもその重要な論点である。

 「資本主義 2.0」では資本を持つ者が常に有利であり、資本を持たない者、労働を提供するだけの人々は、努力しても生活水準が下がっていく。それは世界のどこでも起きてくるという。「私たちは、おそらく五百年に一度訪れる、大きな変革を前にしている」のだとして、人々のための経済に変えていくための解を出さねばならないと水野氏はあとがきで述べている。

 島田氏の話も含めてだが、論点があちこちに広がる分、教わることが多いが、終章「これからの五百年をリードする日本」の内容はいささか希望的観測に過ぎるのではないかと思えた。

 本書で、水野氏が財政について触れているところを紹介するとーー

 「巨額の財政赤字を減らせないというのは、現在の歳入・歳出構造が「資本主義 2.0」に対応していないからです。対応できていないゆえに財政が赤字なのであって、景気拡大で税収を増やして財政を均衡させようとする対応は、いまだに「資本主義 1.0」が続いているという考えの上に立ったものでしかないのです。                            だから、これまでにやったことがないような方法で早期に財政を均衡化して、教育やエネルギー開発に投資せねばなりません。経済が安定しているときは、財政が赤字でも時間が経てば取り返せますが、経済構造がドラスティックに変わるときには、国が借金を抱えていては、国として積極的に「資本主義 2.0」にかかわっていけないのです」(233-234p)

 日本は「高度成長の記憶がまだ根強く生きています。経済が発展しさえすれば豊かになれるのだという意識から脱却できない。時代は大きく変わり、事態が根本的に変化したのだということを認識しようとしていないように見えます」(236p) 

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2008年7月26日 (土)

2011年度の基礎的財政収支悪化の見通し

 財政健全化をめざす第一歩として、政府は2011年度に国・地方の基礎的財政収支(PB)を黒字にしようとの旗を掲げてきた。しかし、内閣府は22日の経済財政諮問会議で、「進路と戦略」の参考試算を改定し、GDP比マイナス0.7%程度、金額にして3.9兆円程度の赤字になりそうとの試算結果を示した。

 ことし1月の試算では、0.1%程度、金額で7千億円程度の赤字だった。こうした数字は経済運営がうまくいった場合の「成長シナリオ」に基づくもの。しかし、生産性があまり上がらないなどの「リスクシナリオ」だと、今回発表の試算では、PBはGDP比マイナス1.1%程度(1月試算より0.5ポイント程度拡大)にも達する。

 赤字が拡大したのは、1つには税収減によるという。2007年度一般会計決算で国の税収が補正後見込みより1.5兆円程度少なかった。地方の税収も計画ベースを0.8兆円程度下回った。それで、08年度の国・地方税収を2.3兆円程度下げた。いま1つは、2011年度にかけての名目経済成長率を下方改定したためという。諮問会議で、伊藤隆敏民間議員は、見通し改定は①外的ショックによる成長率の低下、②日本が自らつまづいた、すなわち「例の建築基準の改定の影響が非常に大きかった」と指摘している。

 諮問会議の議長として、福田首相は「成長力の強化と財政健全化の両立は容易なことではないが、日本はこの道を追求していくしかない。狭い道だけれども、この狭い道を追求していくしかない」と述べた。もっとも、諮問会議に同席していた町村官房長官は、もっと国民に明るい展望を示す必要があるという意味の発言をしていた。財政健全化の旗を下ろしかねない与党の雰囲気を感じさせる発言である。

 ちなみに、民間議員のペーパーによれば、07年度のPBはGDP比マイナス1.1%程度。国・地方の利払いを含む財政収支はGDP比マイナス2.7%程度。GDPに対する政府債務残高の割合は07年度末で142%程度である。これほど財政危機が深刻だから、新たな財政需要に対しては、諮問会議で民間議員がペイ・アズ・ユー・ゴー(既存の予算を削り、新たな歳出に充てる)や消費税引き上げを求めるのは当然である。

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2008年7月25日 (金)

「非正規労働通信」の怒り

 派遣ユニオンの関根秀一郎書記長が送ってくる「非正規労働通信」は、労働者を人間としてまともに扱わない企業の実態を次々に暴露するとともに、それらの企業や、放置してきた行政に対する闘いを組織し、参加を呼びかけている。

 その101号(7月25日)で、関根氏は「労働組合は何をしていたのでしょうか?」と問い掛けている。グッドウイルの労働組合や、最近、問題になったヤマダ電機を例に挙げ、それらの会社の社員で構成する労働組合は、会社が利益のため不正に走るのを食い止める重要な役割があるのに、違法派遣など不当な行為を黙認していたのは何ごとかというわけだ。働く仲間としての連帯意識がない労組のありかたに根本的な疑問を投げかけている同氏の言は重い。

 99号(7月23日)では、数年前に関根氏が見つけた、ある会社の就業規則を紹介している。すなわち、治外法権を意味する条文で、「会社およびこの規則は労働基準法その他の法令に拘束されない」という記述があったという。企業といっても沢山あるから、そういうとんでもない就業規則を持っていたところがないとはいえない。

 問題は、日本では企業内組合が基本だということ、言いかえれば、会社の浮沈が組合員の雇用や給与に直結しているということだ。社会保険庁の労働組合と異なり、労組員である前に会社員として必死に働き、会社が発展することが必要なのである。しかし、グローバル化で、競争が激化し、企業の優劣がよけいに際立ってくるから、「明日はわが身」を覚悟して、産業別など、労働者の横の連帯を強めることがおそらく一番大事だと思う。さもないと、優良会社の社員・労組員といえども、労働強化のために心身の健全性を確保できるかおぼつかないだろう。

 派遣ユニオンの闘いは意義深いが、大きな企業の労組が脱企業内組合へと意識を変えることこそが時代の要請ではないか。 

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2008年7月22日 (火)

社会保障の給付と負担のありかたへの選好

 22日発表の経済財政白書には、中長期の社会保障の選択肢について行なったアンケート調査の結果が載っている。(A)給付維持・負担上昇と(B)給付削減・負担維持のどちらを支持するか、の質問に対し、全体としては(A)よりも(B)への支持のほうが多いという。

 回答全体のうち、(A)は4.7%、どちらかといえば(A)が19.3%なのに対し、(B)は14.7%、どちらかといえば(B)が33.6%である。(A)と(B)の中間という回答は27.6%だという。(A)派(4.7%+19.3%)と(B)派(14.7%+33.6%)の割合をみると、ほぼ1対2になっている。

 (B)というのは、1人当たり負担を維持する場合で、①給付を3割程度削減することが必要である、②潜在的国民負担率は45~46%程度に抑えられる、③さらに、合計で年間にして8~24兆円程度の増税が必要となる、というケース。一方の(A)は、1人当たり給付を維持する場合で、①国民の負担は年に11~12兆円程度増加する、②潜在的国民負担率は49~51%程度にまで高まる、③さらに、合計で年間にして14~29兆円程度の増税が必要となるケースである。

 社会保障の将来について、国民が給付の維持のために負担増を受け入れるのか、それとも、負担増を嫌い、給付の削減を受け入れるのか、そのどちらなのかをアンケートは尋ねたわけである。といっても、(B)のように負担維持のケースであっても、財政悪化を止めるための増税は避けられない。日本の財政危機は深刻だから、社会保障を考えるときにも、全体の財政状況を常に踏まえなければならないのだ。

 このアンケート結果を年齢ごとにみると、年齢が上がるほど、(A)派の割合が増え、(B)派の割合が減っている。まあ、常識的な結果と言える。ただ、おもしろいことに、(A)派は55~59歳が一番多く、なぜか60~64歳、65~69歳と段々下がっている。(B)派は55~59歳が最も低いパーセンテージだ。ついでにいうと、(B)派が一番、比率が高い年齢層は25~29歳、(A)派が最も低いのは30~34歳である。

 このように、年齢別にみた選好度合の違いが顕著だと、今後の社会保障制度のありかたに関して老対青という世代間の対立を招きやすいのではないか。衆院選挙が近づくにつれ、老人に一段と配慮する政策をという傾向がみられるが、それは世代間の対立をあおることになりかねない。

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2008年7月21日 (月)

地方財政の危機を訴えた全国知事会

 先週末に終わった全国知事会は、真の地方自治確立に向けた地方分権改革をめざし、「地方への税源移譲を含む税財政構造の改革や、二重行政を解消するための組織改革」を政治主導で推進するよう福田総理大臣に要望した。

 知事会の「地方財政の展望と地方消費税特別委員会」の中間取りまとめによると、地方財政は今後とも深刻な財源不足状態が続く。内閣府の成長シナリオに基づく試算をもとに全国地方自治体の財政を推計した場合、義務的経費や社会保障関係費の増加で、財源不足額は2008年度6.7兆円、09年度7.2兆円、10年度7.5兆円、11年度7.8兆円と膨らむ。これに伴って、財源不足を補填する基金残高は08年度4.1兆円、09年度1.8兆円、10年度0.3兆円と減り、11年度には枯渇する。都道府県・市町村とも11年度には財政破綻するという。

 このため、知事会は地方税財源の充実強化を図ることが必要不可欠としている。まずは国と地方の税源配分を5:5にすべきだと主張。税源の偏在性が少なく、税収の安定性を備えた地方税体系構築のため、地方消費税の充実等、端的に言えば、地方消費税率の引き上げを求めている。また、三位一体改革で削減された地方交付税の総額を復元・増額するよう要求している。地方交付税を「地方共有税」に変更し、国の一般会計を通さず地方共有税特別会計に直接繰り入れるという提案もしている。

 そして、地方自治体は「懸命に行財政改革に取り組み、国を上回るペースで歳出削減努力を行なってきた」のに、国は地方支分部局(出先機関)の廃止・縮小などを進めていないとして、遅れている国自身の行財政改革を断行すべきだと主張した。

 こうした地方分権をより進めるための提案には賛成するものが少なくない。地方消費税引き上げの要求をはっきりとうたったのは、国民に対する問題提起として評価したい。ただし、知事会の要望は地方自治体に都合がいいことばかり書いているという面もある。道路予算については、知事会内部に意見対立もあり、「充実」とか「重点的に配分」という表現しかなく、「削減」という言葉がない。

 また、知事会は歳出削減努力を誇っているが、いまだに、地方自治体では年度末に道路工事などで予算を無理矢理、消化している(片山慶応大学教授)。それに、国が繰り返し求めているが、民間の給与水準を大幅に上回る職員の給与引き下げがなかなか進まない。それらに示されるように、地方自治体の行財政改革は生ぬるい。そのツケが地方交付税交付金などで、国の財政に回っているという面があることは否定できない。

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2008年7月19日 (土)

旧長銀の元頭取ら無罪に

 旧日本長期信用銀行の粉飾決算事件で虚偽記載などの罪に問われていた大野木克信元頭取らは18日の最高裁判決で無罪となった。事件となった1998年3月期決算は10年前のことだが、いまでは、変色した写真を見るように、ずっと昔のような感じがする。これも過去10年間の日本の激動のせいだろう。

 北海道拓殖銀行、山一證券や長銀などが破綻する数年前、大蔵省のある金融関係の幹部が「個人的な体験だが、昭和恐慌のとき、親父が預金していた田舎の銀行がつぶれた。破綻によって地元企業がたくさん倒産し、地域経済は低迷した。破綻処理を終わって、預けたおカネが戻ってくるまでにも何年もかかった。そうした現実を見ているから、絶対に銀行をつぶしてはいけない」と言っていた。

 金融恐慌の入口まで行った1997、8年頃の直前まで、大蔵省は、銀行をつぶしてはいけない、同業他社による救済合併で解決するのが一番と思っていたのではないか。同省は「オレの力で何とでもできる」と思っていたのだろうから、破綻を前提とした処理システムを真剣に準備してはいなかったと思う。銀行の決算にしたって、大蔵省が定めた銀行業の決算様式にしたがって決算を行なうよう銀行に命じていて、たとえ監査法人が銀行の作成した決算書類に疑問を呈しても、銀行も大蔵省も聞く耳を持たなかった。

 銀行には、大蔵省の言うことを聞いていれば、経営は安泰だ、いざという時には大蔵省が助けてくれるという甘えが蔓延していた。だから、グローバルな競争の時代に入ったにもかかわらず、以前と変わらない横並び経営だった。 

 長銀などの破綻と検察による頭取などの法的責任追及は、そうした内向きで緊張感に欠けた大蔵省と金融機関の両方に鉄槌を下す一罰百戒の意味合いを持っていたように思う。それによって、行政、企業などのきちんとした責任の追及を棚上げしたとも言える。

 しかし、いま、シティグループなど米国の銀行、証券や、政府系住宅金融公社2社の経営悪化をみると、企業自身が自らの抱えるウミを摘出し、再生するため思い切った手を次々に打っていること、そして、too big to failで、米国でさえ、政府は信用不安を引き起こさないように超法規的な救済措置をとっていることを知る。

 つぶれないという甘えがあると、銀行などの経営ももうけ主義に走り、適切なリスク判断というものがおろそかになる。そういう点で、日本も米国も同じだと気付く。そして、いまの日本の銀行などをみていると、10年前の教訓からろくに学んでいないことがわかる。日本の銀行の経営者がたるんでいるのを改めさせるにはどうしたらいいだろうか。

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『会計とは何か』(山本昌弘著)を読み、考える

 門前の小僧、習わぬ経を読む。私が新聞に会社分析記事を書き始めた1960年代と現在とでは、会計基準など企業会計をめぐるルールが大きく異なる。40年以上も前の頃を思い出すと、上場会社の決算は時価会計ではなく、取得原価主義だったし、連結決算ではなくて、単独決算だったetc。

 『会計とは何か 進化する経営と企業統治』(山本昌弘著)は会計の役割や基準などがどのように変わってきたかを改めて振り返るのに役立った。グローバリゼーションの進展に伴って、会社の存続を重視する保守主義の原則よりも、投資家・株主に必要な情報を提供することを優先する時価会計や連結決算、そして国際会計基準が重要視されてくる潮流をわかりやすく書いている。

 しかし、こうした潮流を必然と受け止めるような記述には個人的に抵抗がある。会社には、株主、従業員、取引先、地域社会などの多様なステークホルダーがある。「会社は株主のもの」というのはひとむかし前の発想になりつつある。ところが、今日、世界をみると、あふれるマネーを利用して、M&Aなど支配株数の取得によって、他のステークホルダーの利害を考慮せずに、企業の経営権を手にする事例が相次いでいる。

 世界政府が存在しないので、ほとんど規制がない。それをいいことに、グローバル企業は世界市場の支配を目指して企業買収などを繰り広げているわけだ。それを可能にしている背景はいくつかあるが、その1つが会計基準の一本化である。もともと会計ルールは当該国の文化や風土を反映している。それを投資家・株主にとって都合がいいように一本化することのプラスとマイナスを日本の関係者が十分に検討した形跡はない。盲目的にアメリカに追随するという日本の悪しき慣習でしかないと思う。

 最近、ベルギーのビール会社、インベブが米国のアンハイザー・ブッシュを買収することに決まった。日本円にして5兆円余の買収金額である。買収により、世界の4分の1の市場占有率になるという。それより前だが、資源最大手である豪英BHPビリトンが英豪リオ・ティントに15兆円に達する買収を申し入れた。特定の資源分野で、世界の3分の1とかを手中にすることができれば、販売価格をコントロールできるだろう。世界最大の鉄鋼メーカーであるアルセロール・ミッタルが世界のあちこちで企業買収をしているのも、もっと市場占有率を高めて、市場を支配したいというねらいからだろう。

 国際会計基準に向けて各国がコンバージェンス(収斂)することは、世界的な企業再編・集中を目指すグローバル企業にとっては好都合だし、各種のファンドのグローバル運用にとっても便利だ。しかし、欧米の会計ルールを基本とするため、個々の国の歴史や文化に裏付けられた企業の経営の多様性を妨げる面もある。地域社会を重視する分権化と同じように、企業についても、地域社会に根差した個性のあるものが各地にあるというのが望ましい。

 ところで、日本の経済界は国際会計基準を受け入れざるをえないという立場だ。英語で議論せねばならないハンディキャップもあり、受身の構えである。一方、公認会計士界は新たなビジネスチャンスという見方もあって前向きだが、欧米のルールを導入するという伝統的な発想。日本独自の見解を打ち出して欧米をリードするという姿勢はない。そうした無思想性がいまだに日本の個性らしい。リーダーシップなんてどこ吹く風である。 

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2008年7月18日 (金)

増える医療費の中身を見る

 日本全体の医療費は1年間に1兆円増えている。そのうち、70歳以上で約7千億円を占めるという。厚生労働省が16日に発表した07年度の国全体の概算医療費の内訳による。発表資料は、医療保険のレセプト審査に基づく医療費。自由診療は含まないし、労災も入っていないが、全体の動向はつかめる。

 1兆円の医療費増を誰が負担するのかについては、この発表資料は何も触れていない。過去のデータから推定すると、医療費全体の3分の1程度が国庫負担および地方自治体負担なので、そのぐらいの割合の金額が国および地方の財政の負担増になっているのではないか。残りは、私たちの保険料や、診療を受けたときの自己負担の増加と、事業主負担の増加になっているだろう。

 発表資料によると、07年度の医療費は33.4兆円。医療保険適用は31.9兆円(その差1.5兆円は公費負担のみの医療費)で、70歳未満が17.4兆円、70歳以上が14.5兆円である。70歳未満の医療費は01~07年度、ほぼ横ばいに推移している。それに対し、70歳以上は02年度11.7兆円から毎年0.5~0.7兆円増えてきた。

 1人当たり医療費は01年度23.9万円だったのが07年度26.2万円へと年々増えてきた。70歳未満は01年度15.7万円だったのが07年度16.1万円とやや増え気味である。これに対し、高齢者の場合、01年度75.8万円だったが、07年度も75.7万円と弱含み横ばいである。要するに、70歳以上の人の数が増えたことが、全体の1人当たり医療費を押し上げる主因なのである。今後もまだまだ高齢者の数が増えるから、医療費を押し上げる圧力は強いだろう。

 診療費と調剤とに分けてみると、07年度は28.2兆円と5.2兆円になる。01年度は27.1兆円と3.3兆円だったのだから、調剤の伸びが著しいことがわかる。診療費の内訳は医科が増える一方、歯科は横ばい。そして、医科は07年度に入院13.4兆円、入院外12.4兆円で、入院のほうが少し早いペースで増える傾向にある。

 マクロ的にみると、以上のように医療費(負担)は増える一方。他方で、医療崩壊といわれるような現象がいろいろ起きていて、国民にとっては深刻な事態である。良薬は口に苦し、というが、快刀乱麻のごとく問題を解きほぐし、すぐれた処方箋を書くことができる政治的リーダーないし勢力が現れてほしいものですね。

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2008年7月17日 (木)

(株)ロフトの“社員”化

 雑貨専門店の株式会社ロフトが3月半ばに、本社員、契約社員(1年ごとに更新)、パートタイム(6ヵ月ごとに更新)の3通りに分かれていた雇用形態を社員に一本化した。その結果、それまで有期雇用形態の契約社員およびパートタイムがほとんどだった従業員が、9割方、無期雇用の社員になったという。(ほかに2ヵ月とか、6ヵ月の雇用契約のアシスト社員がいる)。

 一方で、期間1年、3年という有期雇用形態を選択することも可能としたので、それまで契約社員やパートタイムだった人の中には、無期雇用の社員にならず、この有期雇用を選んだ人もいる。労働時間は無期、有期とも、週20~40時間の中で選択可能とのこと。この変更後も、従来の契約社員、パートタイムに相当する人たちは社員といっても時間給で、その相場がグレードによって高卒初任給並み、短大卒初任給並みになる。

 経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会が6月13日の会合に、ロフトの篠田信幸取締役執行役員および株式会社ヒューマンプラス(クレディセゾングループの人材派遣・人材紹介会社)の難波赳夫顧問を招いてヒヤリングした。そのときの議事要旨に、そのようなことが載っている。

 ロフトの社員化は、フロントの戦力を上げるのと、従来の社員であろうと、有期雇用であろうと、時間当たり賃金を基本的に「能力の下に皆、平等」という人事の理念に沿ったものにするという両方のねらいに基づくという。

 非正規雇用が日本全体の3分に1に及ぶなどといわれ、非正規雇用を正規雇用に転換することが社会的課題にすらなっている。したがって、ロフトの社員化が注目を浴びたわけだが、難波顧問が会合の最後に発言している内容は大事な点を指摘しているように思う。すなわち、――

 新聞などで、正規、非正規とか、本社員だとか書いているが、「私たちからしてみると、正規、非正規ということではなくて、働く人ということの中に時間の区分がたまたまあって、それに対する処遇としていろいろな形があるというふうになっていると考えてもらえると、すごく動きやすい」。

 社員からは、ロフト社員であるといっても、「履歴書にどう書けばいいのか、それがどう履歴として評価されるのか、次の会社に転職するに際して、これはパートなのか、本社員なのかとどうしても聞かれると不安だ」というようなところがあって、非常に神経質に質問されたりするという。「したがって、通念上はやむをえないことだろうが、できれば、言葉が何らかの形で少し整理がつくと私たちも動きやすいという気がする」。

 これに対して、調査会の八代尚宏会長は「ロフトのように正社員はちゃんと能力主義というか、きちんと評価された時間給であれば、もともと正規、非正規の差はないわけで、能力主義ではない会社が非正社員との差を要求するというのが問題というのが私の解釈である」とコメントしている。

 正規、非正規と区分して、非正規雇用はけしからんという単純な発想は必ずしも適切ではないようだ。 

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2008年7月14日 (月)

民主党の政策を問うマニフェストフォーラム

 言論NPOが、民主党の中川正春ネクスト財務大臣ら4議員を招き、同党の政策に対して言論NPOのマニフェスト評価を担当する土居丈朗慶応大学准教授らが質問し、議論するマニフェストフォーラムを14日、開催した。テーマはいまホットな年金、社会保障、財政、農業の4つ。

 民主党が政策をめぐる議論の場に出てきたこと自体を評価する。同党も、政策を理解してもらう格好の場だと思い、喜んで出てきたという。中川氏のほかは、古川元久同党年金調査会長、筒井信隆ネクスト農林水産大臣、山田正彦ネクスト厚生労働大臣で、質問者は土居氏以外に、西沢和彦日本総合研究所主任研究員、生源寺眞一東京大学教授、齊藤誠一橋大学教授が顔をそろえた。

 内容の紹介はさておき、全体の感想をいくつか述べるとーー

 民主党の4氏とも、ペーパーを見ることなく、自分の言葉で政策を説明していた。もっとも、必ずしも質問に真っ向から答えていない人もいた。それは、演説のような主張はできても、異なる見解の持ち主を説得できるだけの理論武装ができていないせいか。

 年金将来像のイメージを示し、保険料を財源とする所得比例年金がベースであり、年金の低い人たちに税を財源とする最低保障年金(月額7万円)を付加するという見解を明らかにした。また、2011年に財政のプライマリーバランス黒字化を達成することは前提となっていることも表明した。中川氏は、ペイ・アズ・ユー・ゴー(新たな財政支出の財源は、他の支出の削減でまかなう)は党内の議論の前提だと述べた。これらは納得できる。

 一方で、全農家への戸別所得保障、医療の一元化、年金の一元化等々の政策については、政策が大雑把すぎるような気がした。国家が一元的に管理するほうがうまくいくという発想が根底にあるように思われる。長いあいだ続いた自民党の一党支配はあちこちに歪みを残しており、それを直すには、多分、政権交代しかないと思う。ただ、市場原理を敵視するような政策は、日本経済を孤立させ、弱体化させる可能性が強いのではないか。

 齊藤教授は最後に、民主党の政策に対して「理念がみえにくい。手続きがみえにくい」と指摘していたが、それには同感。

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2008年7月12日 (土)

社外取締役は機能しているか?

 上場会社では社外取締役が増えている。でも、ガバナンスの面で社外取締役がきちんと機能しているか、かねて疑わしいと思っていた。

 なぜなら、第1に、社外取締役に選ばれる人は、企業経営者OB、検察首脳OB、弁護士、大学教授などだが、たまに会社、それも取締役会などの会議に来るだけでは、事前レクを受けていたとしても、その会社の事業内容や経営の実情がよくわからないのではないか。第2に、社外取締役の多くは高齢者が多いから、経営の最先端の諸問題を把握、理解し、適切な判断をするのは難しいのではないか。そして、第3に、事業報告書に載っている取締役選任議案をみると、取締役会への出席率が低い社外取締役が結構いるからである。

 ことし6月の株主総会で選ばれた社外取締役をみると、まだまだ、対外的に格好をつけただけで、本当は社外取締役を会社のお飾りのように思っている大企業が少なくないという気がした。

 そんな私見を、もともと公認会計士で、現在はもっぱら非常勤で企業の取締役や監査役などをして某氏にぶつけたら、彼はこう答えた。「まだガバナンスがわかっていない企業がたくさんある。僕は常勤監査役がしっかりしているかどうかを見る。社員出身の監査役が取締役会などにも出て、きちんと経営を監視しているなら、その会社は大丈夫だ」と(これは委員会等設置会社ではない会社の社外取締役の場合の話ということになる)。それと、経営をガラス張りにするのだという方針が徹底している会社は安心してみていられるという。

 社外取締役は社内にずっといる常勤監査役などに比べて、入ってくる情報量がきわめて少ない。しかも、いまどきの企業は日々、変貌している。それを踏まえると、社外取締役が経営の根幹に関わる意思決定に関わるのは、きわめてリスキーだと言える。就任を要請するほうもするほうだが、それを安直に受けて社外取締役に就任するほうもするほうである。

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2008年7月11日 (金)

企業内組合は労働組合なのか

 (1) 行政改革、構造改革になぜ日本の労働組合は強く反対しないのか。 (2) 日本では、なぜ労働組合政党が成長しないのか。 (3) 非正規雇用・ワーキングプア問題でなぜ大きな抵抗運動は起きないのか。 (4) 年休の“消化率”が問題になるのはなぜか。 (5) 健康障害を起こすような長時間労働がなぜ行なわれるのか。

 先日、労働法の研究者である田端博邦東京大学名誉教授から「労使関係の変容と多様性ーーその論理ーー」と題する話を聞いた。同氏は昨年11月に『グローバリゼーションと労働世界の変容ーー労使関係の国際比較』を出版しており、話は同書の内容に沿ったものだった。そのとき、同氏が日本をどう考えるか、ということで、上記のような論点を提示した。それらで挙げられていることは、ヨーロッパではありえない現象であるとのことだった。

 例えば、「年休をとるのは労働者の権利であり、日本の労働者がどうして、その権利を放棄するのか、理由がわからないとヨーロッパの研究者は言う」。健康を損ねるような長時間労働は米国でもないという。また、西欧では、社会民主勢力が政権をとらなかったところはない。そうした欧米の常識が日本の常識ではないのはなぜか、という同氏の問題意識は新鮮に感じられた。

 同氏によると、日本は①政府・企業主導型の産業国家(企業国家)であり、②企業内で完結する独特の労使関係構造になっている。それがヨーロッパのケインズ主義的福祉国家などとは異なる独自の経済社会を生んだという。

 しかし、韓国のように日本の制度を真似た国を除けば、企業内組合を労働組合として認めている国はないとのこと。ドイツでは、労組は超企業的でなければならない、言い換えれば、企業横断的であることは当然だという。労組というのは自発的に労働者が集まる組織であり、従業員全員を代表する社内組織は、基本的な労働条件を決定できない。こうしたヨーロッパの概念に従うと、日本にあるのは労働組合ではないのかもしれない、と田端氏は述べた。

 改めて、冒頭に書いた5つの問い掛けを読んでみると、日本の労組のありかたを根底から考え直す必要があることに思い至る。

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大分県の教員採用贈収賄事件

 大分県の教員採用試験で点数を水増ししたりして、たくさん縁故採用していたという話題については、いろいろな点から論じられている。東京都など一部を除いて、全国的に、小中学校の教員試験では縁故採用は当たり前といわれてきた。それがどれだけ真実か、はっきりしなかったが、大分県の実態が表に出たことから、噂はいよいよ否定しにくくなった。

 私がかつて住んでいた首都圏内の某県では、小学校の教員採用試験で、県内にある某女子短大の卒業生の採用割合が高いというもっぱらの噂だった。その女子短大は教員養成に力を入れており、県教育委員会のOBを幾人も教官に採用していた。面接の仕方などもその教育委員会OBに指導されていたという。

 そして、大分県と同様、小中学校の先生をしている人たちの子どもがたくさん、その女子短大を経て県内の小学校の教師になっているという噂だった。さらに言うと、だから、程度の低い先生が多いという父母の不満も聞いたことがある。

 以上は、事実であるか否か、確認しがたい。

 ただ、小中学校の教員という職業は男女の差別がないし、給与水準が民間の平均を相当上回る。しかも倒産の心配はなく、クビになることもない。地元で働けるというメリットもある。地方では、最も魅力のある仕事の1つである。だから、コネをきかして“裏口入学”を求める人たちも多いだろう。

 県や市の議会議員、役所の幹部、地元有力企業の経営者などは地元の高校や大学出身が多く、つながりが深い。そうした土壌がコネを当然視させている。

 しかし、異なる視点に立てば、公正な採用試験をしないと、無能な教師のせいで、明日を背負って立つ子どもたちの教育が十分に行なわれないという重大な損失を招くことは明白である。

 さらに、コネが横行するというのは、仲間内でうまい汁を吸い合い、既存の枠組みを守ろうとする保守的な社会であることを示している。そして、地方の多くは、改革によってしか道が切り拓けない今日になっても、依然、政府の保護や既得権にすがろうとしている。

 だが、地方分権ないし地方主権を名実ともに本物とするためには、地域の人々がこうした後ろ向きの姿勢を脱し、公正さと創造的革新を尊ぶ風土へとチャレンジしていかねばならない。今度の事件からこうした教訓を学んでほしいと思う。 

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2008年7月 9日 (水)

ゴミから資源に変貌した使用済みペットボトル

 使用済みペットボトルの中国向け輸出がどんどん増えているという。市町村が住民から回収する使用済みペットボトルはいまや資源としての値打ちがあるので、財政難にあえぐ自治体の中には、容器包装リサイクル法に基づくリサイクルのルートには渡さず、民間のリサイクル関係の業者に直接売却するところが相当な数にのぼっているらしい。要するに、ゴミが資源に変貌したということだ。

 1995年に容器包装リサイクル法が成立したが、その頃とは様変わりであることを痛感する。ペットボトルはアルミ缶やスチール缶などと同様、資源として売れるようになった。そして、それはグローバルな石油の需給・価格動向を考慮すると、一時的な現象ではなくて、今後もずっと続く可能性が大きい。それならば、使用済みペットボトルを容器リサイクル法の再商品化義務対象からはずし、資源の取り引きとして他の有価物と同じように市場にまかせるほうが適切ではなかろうか。

 同法がつくられたのは、家庭ごみが増え続ける一方で、廃棄物の焼却施設や最終処分場の新増設が困難であること、不法投棄が増えて環境の悪化を招くなどの問題に直面していたからである。なかんずく、ペットボトルについては、まだ飲料水等の容器の一部で使われていただけだが、使用済みペットボトルは自治体の収集コストがやたらかかる、ポイ捨てで環境を破壊する、資源の浪費を招くなどの理由で、ペットボトルの使用それ自体の禁止ないし制限を求める声が自治体やゴミ関係のNPOには強かった。 

 したがって、同法の当初からペットボトルはガラスビン同様、分別収集・再資源化の対象とされた。しかし、リサイクルが義務付けられたあと、500mlより大きいものも小さいものも大手を振って使われるようになった。ペットボトルは軽いし、フタの開け閉めが容易といった利便性のため、当初にあった禁止とか制限をという声はいつのまにやら雲散霧消した。リユース(再使用)をという意見も出たが、衛生面から否定された。

 再資源化(再商品化という)の費用は、1997年度にトンあたり77100円と高かった。市町村が自身の費用負担で集めた使用済みペットボトルを、引き取り、再商品化する費用がこれだけかかったというわけだ。使用済みペットボトルから元のペットボトルをつくる技術も実用化された。ところが、2004年度(19万t)をピークに、リサイクル協会が間に立って引き取り、再商品化する量が減り出した。04年度に2315だった引き取り先市町村数は06年度に1082まで減った。引き取り実績も06年度14万tに落ちた。

 市町村が住民から収集したペットボトルをリサイクル協会に渡すとタダだけど、民間の業者に売れば、お金がもらえるというので、協会ルートの再商品化をやめるようになったというわけだ。さすがに協会も06年度からは逆有償ということで、入札で使用済みペットボトルを再商品化業者に売るようになった。売却金額は市町村に渡すことにしており、07年度はトン3万8000円(平均)で売った収入を個別市町村に払っている。

 しかし、家庭から出るペットボトルもあれば、事業者から出るペットボトルもある。それらの資源循環は、使用済みペットボトルやその他の有価の廃棄物を扱う資源回収業者に任せておけばいいのではないか。もともと民間の資源回収業者を追い払うような形で容器リサイクル法等ができたいきさつを踏まえ、必要のない法規制ははずしていくべきだろう。

 ところで、G8の首脳宣言にも触れられている3R(reduce 、reuse、 recycle)の推進という観点からすると、便利だからといって、ペットボトルを使用した飲料水等の消費が増えるのは好ましいことではない。リサイクルをすればいいというわけではない。リデュース(排出抑制)、すなわち、そうした消費自体を抑えることが望ましい。日本では、そうした努力が企業側にも、消費者側にも全くないのは遺憾だ。何十年も先の時点の温室効果ガス排出をいまよりどれだけ減らすかという目標設定とともに、いまの経済構造、暮らしの仕方を改めて、排出抑制しようというイニシアティブを政府・与党はとるべきろう。

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2008年7月 6日 (日)

“上げ潮派”の提案

 自由民主党の清和政策研究会政策委員会が4日に発表した『「増税論議」の前になすべきこと―「改革の配当」の国民への還元―』を読んだ。①.08年度中の対応(最大6.8兆円)、②.09年度予算での対応(10兆円以上)、③.「歴史的合意のための3年」に使うべき「改革の配当」、④.増税の前に実行・決定すべき3年間の政策課題、の4つに分けて提案し、3つ目は3年以内の「改革の配当」の国民還元(9.2兆円超)、3年以内に合意形成をめざすべきもの(最大31兆円)に分けて提案している。

  「無駄を残したままの増税は国民に許されるものではない」。「政府が抱える膨大な債務だけを強調する議論は日本経済の将来について国民の間に過度の悲観論を誘発している。しかし、資産もまた膨大であり債務は圧縮できる。公の固定経費の無駄はまだ削れる。その分を国民の能力開発や公共サービスに配分すれば経済は成長する」。いわゆる“上げ潮派”の主張がそこに展開されている。

 それらの提案はいわゆる“埋蔵金”といわれるものが中心になっている。これまで、あまり議論されなかったため、国民も気付かない部分が大半だ。しかし、こうした問題提起を真正面から受け止め、大阪府の財政再建のステップのように、制度の1つ1つについて、ゼロベースで見直す契機にすれば、いまの財政論議に大きく貢献することは間違いない。

 この政策委員会をリードする中川秀直氏は、先日の記者会見で、人間力を発揮することができれば、日本も欧米並みの経済成長ができるはずだと言い、上げ潮路線は英国のブレア前首相の考えと全く同じだと語った。そして「夢と希望は普通の政策をとれば、すぐ実現できる」と述べた。ことはそう簡単ではないと思うが、党内での政策論議が活発になるのは、自民党の柔軟性を表す。選挙を意識し過ぎて、半年も1年も党内論議を抑え込むのは、愚の骨頂ではないか。

 そう言えば、中川氏は先日の記者会見で「日本では、エリートのほうが劣化している」、「官僚が優秀だから、日本経済が成長した、なんて全く思わない」、「官の世界に専門人材はいない。ヒューザー関係で、1人もいないことがはっきりした」、「いまは総合性と専門性の両方を兼ね備えることが必要。官から民へ、民から官への人の移動があるべきだ」と官僚に厳しい見解を述べた。政策委員会提案においても、「まず、国会議員が自ら身を削り、公務員も身を削ることが求められる」と書いている。

 ということで、一読をお勧めする(中川氏のホームページ)。 

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洞爺湖サミットを超えて

 7日からG8洞爺湖サミットが開かれる。中国、インド、ブラジルなど5ヵ国が参加する会議もあるなど、文字通り世界の主要国のリーダーが顔をあわせるのだから、今後の世界のありかたについて、彼らの責任は非常に重い。お互いに自国の権益ばかりを主張してろくな成果もなかったということでは、未来の世代に顔向けができないだろう。

 今年のサミットは例年以上に大きな課題を抱えている。京都議定書のあとの中長期の温室効果ガス削減目標を設定すること、石油などの天然資源、食料などの価格暴騰やサブプライムローン問題による経済社会のダメージを最小化すること、などだ。途上国の社会の安定や国民生活の向上なども意識されるべき課題である。

 一方で、出席する各国首脳の多くは、それぞれ自国の内政運営で苦しい立場に立たされている。自国の利益と世界人類の利益とを調和するという難しい課題にチャレンジする首脳が1人でも多いことを願う。

 福田首相は記念写真の真ん中に立つだろうが、このサミットが歴史を画したといわれるような新たな進展を切り拓いてくれるかどうか。これまでの報道を見る限り、期待薄だ。オリンピックではないが、“主催”することに意義があるのでは困る。

 話は変わるが、石油の値上がりはまだまだ続きそうだといわれている。その影響がさまざまな分野に広がっている。石炭、鉄鉱石などの鉱物資源の値上げや、穀物の値上げに続いて、それらを原燃料などとして使用する製品やサービスもコスト上昇で玉突き的に値上げを始めている。そして、値上げしたくても、それができない製品・サービスの分野では休廃業するところが相次いでいる。これらは国内でも海外でもほぼ共通している。海外では、大きな反政府デモが起きたりして、政治情勢が緊迫している国もある。

 20世紀は石油の時代だといわれ、工業、輸送、農業などや生活の隅々まで石油の恩恵に浴している。21世紀になっても、石油は経済や暮らしの根幹を担っている。石油文明という言葉があるが、私たちは安い石油価格を前提にした経済や生活にどっぷりつかって豊かさを追求し、それを当たり前に思ってきたのである。

 日本のガソリンを例にとると、いま小売価格は1リットル180円前後。500mlだと約90円。それも税金込みでだ。一方、500ml入りペットボトルの清涼飲料水はもっと高い。中東などの油井で採った原油をタンカーではるばる日本に運び、製油所で精製し、さらにタンクローリーでSSに輸送するガソリンのほうが清涼飲料水よりもはるかに安い。

 それでも、いまの急激な石油価格高騰は、従来の安い石油を前提としてきた現代文明の構造を私たちに「見える化」したとも言えよう。いま日本でも起きているクルマ利用手控えなどの動きは、長い目でみれば、おそらくは脱石油文明の一歩である。

 とはいえ、石油の生産コストは、実は平均的にはきわめて低い。大幅な石油の値上がりは、先進国などの輸入国から巨額の所得が移転することを意味しているが、産油国や産油会社を富ませる。そして、豊かになった産油国の多くは、資源・エネルギー多消費型の経済社会を築いている。石油価格暴騰の影響はきわめて大きいが、世界全体としては石油文明は21世紀もまだまだ続くようだ。無論、資源の乏しい途上国は苦難の道を歩むが。

 地球温暖化対策として、石油・石炭など化石燃料の大幅な消費抑制は絶対に必要だが、世界全体として具体的にどうやって減らすか、となると、さっぱり筋道が見えてこない。先進国だけが危機感を共有しても間に合わない。その意味で、洞爺湖サミットで福田首相ら各国の指導者に課せられた使命は重いものがある。 

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2008年7月 4日 (金)

規制強化に逆戻りのタクシー

 国土交通省の交通政策審議会タクシー問題作業部会で、同省が台数の規制、安い運賃の規制などの方針を打ち出した。2002年に増車や新規参入の規制を緩和した結果、地域によっては供給過剰になり、タクシー運転手の労働条件が悪化したり、あるいは値下げ競争が行き過ぎたりしているので、元のように増車や新規参入を厳しく規制しようというものである。

 確かに、東京都内を見る限りでは、タクシーは多過ぎる。一方で、タクシー利用を控えるユーザーが増えていることもあって、稼動1台当たりの1日の売り上げは減る傾向にあるようだ。そのしわ寄せが運転手の収入や労働時間などにいっているのは事実だろう。

 しかし、タクシー会社は運転手の給与を歩合給中心にしているので、稼働率低下などの打撃はそれほどでもない。したがって、政府による競争抑制策は、運転手の労働条件を改善する面もあるが、それ以上に、会社の収益向上に大きく寄与するのではなかろうか。

 ここで考えるべきは、規制緩和はタクシー供給過剰を引き起こし、運転手の収入を下げたのだから、元通り、規制を強化すればいいということになるのか、である。顧客を引き付けるサービスを工夫するとか、料金を引き下げるとか、といった業者間競争にはさしたる意義はないのか。

 だが、こうした問題を追求していっても、すっきりした解にはたどりつけない。そこで、飛躍してしまうが、この問題を解決するには、タクシー運転手が会社を超えて1つの労働組合をつくることだと思う。タクシー運転手の労働時間、賃金といった労働条件をこの産業別労働組合が企業側と交渉して業界一律とする。人間らしい生活ができるには、どの位の収入が必要か、健康や暮らしを踏まえた労働時間、勤務体制はどうあるべきか、などを基本に、労働条件の向上、統一をはかるのである。

 行き過ぎた歩合制を是正するとか、夜間勤務の割増賃金率を50%以上にすることも必要だろう。そして、タクシー会社の増減車とか新規参入を自由にさせることだ。

 そうすれば、これまで、運転手にしわ寄せし、ろくに経営の工夫もしないできたタクシー会社の競争を促進し、業界再編も進むだろう。サービスや価格の競争がもっと行なわれることが期待できる。運転手をバッファーにした経営、官の規制による業者コントロールは要らなくなるのである。

 派遣労働など、非正規雇用の問題点が明らかになっているが、正規雇用の場でも、企業内労働組合の欠陥ゆえに、非常に厳しい労働条件が存続している。それを是正するのは本来、労働組合運動である。それが機能していないから、政府の規制強化という話になるのだ。 

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2008年7月 3日 (木)

“新前川レポート”を読んで

 経済財政諮問会議の「構造変化と日本経済」専門調査会が2日に発表した報告「グローバル経済に生きる―日本経済の「若返り」を―」(“新前川レポート”)を読んだ。その感想を以下に――。

 「わが国がめざす10年後の経済社会の姿を描き、そのために克服すべき課題を示すものである」と鳴り物入りで始まっている。だが、書かれた内容からみると、「10年後」ではなくて、「いま」めざすべき姿ではないか。10年先の世界はまたすっかり変わっているだろう。それだと、また「10年後」に、“新々前川レポート”が必要になる。日本の存在がかすんでいきつつあるという危機感には賛成だが、10年という悠長なことを言っていられないはずだ。せめて3年間ですべての改革をすべきだ、というぐらいにすべきである。

 報告書の末尾には、「本報告で示したわが国がめざす経済社会の姿を国民が共有し、個々別々の制度改革ではなく、生産・消費、労働、金融など経済社会全体についての包括的かつ同時的な改革が、速やかにかつ粘り強く実現されねばならない。政治の強いリーダーシップの下でそれが実現されることを期待する」と書かれている。これはまさにいま求められていることである。

 報告書は、世界の現状に日本が追い付くには何をすべきか、を指摘している。その内容は、言うなれば構造改革の徹底である。しかし、いま、日本では既得権が失われるのをおそれて、反構造改革の声が与党からもあがっているほどだ。グローバリゼーションの進展、人口減少・高齢化、資源・食料の高騰、財政危機などでこれからの日本が直面せざるをえない多くの難題に対して、思考停止というか、チャレンジをこわがっている状態と思える。

 「巨額な債務、急増する高齢者の社会保障給付、加えて、人口規模からみて中高年層の政策への影響力はますます強まっている。若者には無力感が強まっている」。指摘通りであり、まさに緊急の課題なのである。「10年後」などとピントはずれなことを言っていては話にならない。

 毎回の専門調査会の審議は要旨が公開されている。それを読むと、いま、世界のあちこちで、何が起きているのかを知る。小島順彦三菱商事社長の意見はもっとも刺激的だった。日本がいかに世界を見ないで、閉じこもっているかがわかる。報告書は、世界がいま何をしているのか、を具体的に紹介したほうが説得力があったのではないか。 

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2008年7月 1日 (火)

大阪府の住民は行政依存から目を覚まして

 5兆8000億円の債務を抱える大阪府。その財政再建を選挙公約の柱に掲げて知事に当選した橋下徹氏が08年度予算編成で、テレビ放送のタイトルではないが、何を削り、何を残すのかで悪戦苦闘している。大阪府庁の各部門の担当者も、住民も、もっぱら予算を削られては困るという反応ばかりだ。だが、サンドバッグのように叩かれても、知事はへこたれることはない。若いからかもしれないが、まさに時代が必要とする人物だと思う。

 6月8日のブログに書いたことだが、橋下知事は、行政の収入の範囲を超えるサービスが欲しいなら、それに見合って税金を多く納めるか、さもなければ、行政に頼らず、住民自らが汗をかきなさい、と言っている。

 ところが、橋下知事の主張に応じて、住民から、「じゃ、財政再建税だとか、福祉推進税だとかという新税をつくりましょう。われわれもそういう形での税金を払いますよ」という声があがったという話を聞かない。また、税金で行なってきた行政サービスを、地域住民のボランティア活動で肩代わりしましょうという動きが出てきたという話も知らない。大阪府の住民は行政依存型思考から一歩も踏み出していないようだ。無い袖を振れと、行政に甘えているなんて、およそ大阪っ子らしくない。

 石油の大幅値上がりが導火線となった資源、食糧などの世界的な暴騰で、日本は国全体の所得の5%ぐらいが資源国に移っている。国民の収入は5%ぐらい減ったということだ。しかも、資源等の高騰によるインフレが世界を襲っている。資源の乏しい日本はいち早く景気悪化の兆しが出てきている。そのため、国も地方自治体も、今後、税収が減るおそれがある。

 したがって、従来の延長線で、住民が、行政に対し、大きな政府であり続けることを求めるのはますます時代錯誤である。そろそろ目を覚まし、してもらうことよりも、自分が何をしてあげられるか、を考える動きが大阪府に生まれることを期待したい。 

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