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2008年7月19日 (土)

旧長銀の元頭取ら無罪に

 旧日本長期信用銀行の粉飾決算事件で虚偽記載などの罪に問われていた大野木克信元頭取らは18日の最高裁判決で無罪となった。事件となった1998年3月期決算は10年前のことだが、いまでは、変色した写真を見るように、ずっと昔のような感じがする。これも過去10年間の日本の激動のせいだろう。

 北海道拓殖銀行、山一證券や長銀などが破綻する数年前、大蔵省のある金融関係の幹部が「個人的な体験だが、昭和恐慌のとき、親父が預金していた田舎の銀行がつぶれた。破綻によって地元企業がたくさん倒産し、地域経済は低迷した。破綻処理を終わって、預けたおカネが戻ってくるまでにも何年もかかった。そうした現実を見ているから、絶対に銀行をつぶしてはいけない」と言っていた。

 金融恐慌の入口まで行った1997、8年頃の直前まで、大蔵省は、銀行をつぶしてはいけない、同業他社による救済合併で解決するのが一番と思っていたのではないか。同省は「オレの力で何とでもできる」と思っていたのだろうから、破綻を前提とした処理システムを真剣に準備してはいなかったと思う。銀行の決算にしたって、大蔵省が定めた銀行業の決算様式にしたがって決算を行なうよう銀行に命じていて、たとえ監査法人が銀行の作成した決算書類に疑問を呈しても、銀行も大蔵省も聞く耳を持たなかった。

 銀行には、大蔵省の言うことを聞いていれば、経営は安泰だ、いざという時には大蔵省が助けてくれるという甘えが蔓延していた。だから、グローバルな競争の時代に入ったにもかかわらず、以前と変わらない横並び経営だった。 

 長銀などの破綻と検察による頭取などの法的責任追及は、そうした内向きで緊張感に欠けた大蔵省と金融機関の両方に鉄槌を下す一罰百戒の意味合いを持っていたように思う。それによって、行政、企業などのきちんとした責任の追及を棚上げしたとも言える。

 しかし、いま、シティグループなど米国の銀行、証券や、政府系住宅金融公社2社の経営悪化をみると、企業自身が自らの抱えるウミを摘出し、再生するため思い切った手を次々に打っていること、そして、too big to failで、米国でさえ、政府は信用不安を引き起こさないように超法規的な救済措置をとっていることを知る。

 つぶれないという甘えがあると、銀行などの経営ももうけ主義に走り、適切なリスク判断というものがおろそかになる。そういう点で、日本も米国も同じだと気付く。そして、いまの日本の銀行などをみていると、10年前の教訓からろくに学んでいないことがわかる。日本の銀行の経営者がたるんでいるのを改めさせるにはどうしたらいいだろうか。

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