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2008年8月10日 (日)

消費者・投資家が力を持ち、市民が力を失ったというライシュ

 ロバート.B.ライシュ著『暴走する資本主義』(雨宮寛/今井章子訳)を読んだ。原題の『Supercapitalism ーThe Transformation of  Business ,Democracy ,and  Everyday  Life』のほうが内容に即していると思う。

 著者によれば、技術革新、グローバル化、規制緩和の3つによって、経済における権力が消費者および投資家にシフトした。企業は消費者を引き付けるために、コスト引き下げなどを行なって安く売ることに必死になる。また、株主・投資家に見放されないように利益を増やすことに懸命に努める。そして、競争上、法規制などで不利にならないように、政治家に働きかけたり、世論誘導にあの手この手を使う。資本主義が民主主義を侵略しているというわけだ。

 現在の資本主義を「超資本主義」と呼ぶ著者は、したがって、資本主義を民主主義から分離し、両者の境界線を守る必要があると主張している。

 超資本主義をわかりやすく説明しているのはウォルマートについての記述である。ウォルマートは世界最大のスーパーで、安く売ることを使命としている。消費者にとって安いというのは大変な魅力だが、そこで働く従業員の年間給与は1万7500ドル、1時間当たりにすると10ドル弱にすぎない。年金保障もなく、健康保険手当も雀の涙。同社は「賃金と福利厚生を低く抑えるためなら何でもする」。労働組合を嫌い、以前、労働組合が誕生した店舗を閉鎖したりしたこともある。〔日本のワーキングプアを連想した。〕

 他社との競争に負けない売値の安さを貫くには、仕入れをとことん安くするため世界中から調達するとか、主要なコストである人件費を低くしていくしかない。そうして高めたウォルマートの収益力に着目して、年金基金や投資信託などが同社の株式を保有している。超資本主義のもとでは、こうしたメカニズムはすべての企業に当てはまり、ウォルマートだけを対象とする批判は的はずれだという。

 ウォルマートのCEOの年収は2005年に手取り1750万ドルだった。平均的な従業員の賃金の約900倍である。しかし、有能な経営者は少なく、そのため、奪い合えば、高くなって当たり前だという。株主・投資家にとっては、会社の利益を高める経営者には高給を払うのは不思議でも何でもないわけだ。

 CSR(企業の社会的責任)に厳しい見方をするライシュは、「企業の経営者たちは、誰からも自社の利益と公益とのバランスを図ることを求められてはいないし、また彼らにそのような良心的計算をするだけの専門的知識もない」と言い切る。そして「それだからこそ私たちは政府が国民を代表してそうした線引きを行う民主主義の世界に生きているのだ」と述べる。

 私たちは仕事で生活の糧を得る。多くの人たちが企業人・組織人であり、他方、消費者・生活者である。あるいは地域の住民である。自分が働く会社の製品が安く買い叩かれるのはいやだが、消費者としてはより安く売っている店を選ぶ。地域の商店が衰退してもだ。私たちがそういった二面性を持っており、それが行き過ぎると、ライシュが指摘するような問題が起きてくることがよくわかった。ただ、処方箋については、日本なりにいろいろ考えられるような気がする。

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