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2008年8月17日 (日)

山岸俊男著『日本の「安心」はなぜ消えたのか』

 日本は「安心社会」から「信頼社会」への移行過程にある。だが、「移行を待ちきれずに、日本の社会は崩壊してしまうのではないか」。それが山岸俊男北海道大学大学院教授が本書『日本の「安心」はなぜ消えたのか』(08年2月29日刊、集英社インターナショナル)を書いたモチーフだという。

 企業の相次ぐ不祥事で、企業=悪というような発想が色濃く残っている日本では、お上による取り締まり強化を求める声が強まっており、その関連で武士道をたたえる書物などが売れている。しかし、社会心理学などの研究者として知られる著者は、「情けは人のためならず」、つまり「モラルに従った行動をすれば、結局は自分の利益になるのだ」という利益の相互性を強調する商人道と、「人間性に基づかない、いわば理性による倫理行動を追求するモラルの体系である」武士道とを対比し、前者こそが「人間の利他性を支える社会のしくみを作る」ものとして日本に求められていると言う。

 著者によれば、地球上には「安心社会」と「信頼社会」の2つがある。前者は閉鎖的な集団主義の社会で、相互監視と制裁によってお互いの間の不確実さを解消する。人々に安心を与え、生活の安定を保証する。身内と波風を立てず、控えめに行動する社会である。そしてよそ者を嫌う。言うなれば、和の社会であり、信頼を必要としない社会である。これに対し、後者は自らの責任、リスクで他者と積極的に人間関係を結ぶ。そこでは、法制度が安心を提供する。そのほうがメリットが大きい。ことわざで言うと、前者は「人を見たら泥棒と思え」、後者は「渡る世間に鬼はなし」だという。

 過去、閉鎖的、集団主義的な「安心社会」で経済発展を遂げた日本は、グローバル化、情報化などにより、「安心社会」の枠組みが崩壊しつつあり、他者との協力関係を構築する「信頼社会」への移行を求められている。著者によれば、規制緩和、情報公開、法令順守などの改革は「安心社会」から「信頼社会」へシフトチェンジしようとの試みであり、それは同時に、日本人の価値観を「統治の倫理」から「市場の倫理」に転換していこうという試みである。

 そこでは、自由かつフェアな競争、正直な取り引きなど市場の倫理が栄えないと、グローバル社会では生きていけないという危機感があったはずだという。ところが、「信頼社会」と全く相容れない武士道、即ち、大義のためにはすべてを犠牲にするという「統治の倫理」がもてはやされるようになった。まして、水と油ほどに違う武士道と商人道とをまぜこぜに用いたら、社会全体が腐敗しかねない。したがって、著者は、正直者が損をしない社会制度を築くことによって、「市場の倫理」である商人道が自ずと普及することを期待している。

 ほかに、本書で、興味深い指摘だと思ったのは、1つには、若者の価値基準になっている“KY”について、「場の空気を読み、他者との間に波風を立てない生き方は、本来、安心社会の中で評価される生き方であるはず」、「本来ならば、安心社会の崩壊は既得権益を持った大人たちの危機であり、信頼社会の成立は未来ある若者たちにとっての福音であるはず」、「若者たちが信頼社会への変化を嫌い、身の回りにある友人関係という小さな安心社会にしがみつき、その中での平安を求めているとしたら――これは日本の将来にとっても、また若者たち自身の未来にとってもゆゆしいことと言わざるをえません。」

 いま1つ、日本人は「むしろアメリカ人よりも個人主義的な色彩が強いのではないかという印象を持ちます。」。それは「日本人がアメリカ人よりも他者一般に対しての信頼感が低いことと関係があるのではないかと思わされます。」。いろいろな調査の結果だけに、説得力もあり、納得した。

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