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2008年9月22日 (月)

20年前に城山三郎が指摘したこと

 昨年3月に亡くなった城山三郎の『嬉しうて、そして‥‥』(07年8月刊、文藝春秋)には、リクルート事件を受けて書いた「エリートたちはなぜ堕落したか」がある。約20年前、雑誌「文藝春秋」1989年1月号に掲載された文章である。いま読んでも少しも古くない。ということは、過去20年間、日本社会はちっとも良くなっていないとも言える。以下は、その紹介である。

 公僕として国民に奉仕すべきなのに、地位利用に熱心な高級官僚。国のことだけを考えるべきなのに、官僚の言うがままに動く大臣・政治家。取材対象との間にしかるべき距離を置かない報道機関。これらのエリートたちがどんなに堕落しているかを実例を挙げて紹介し、終わりのほうで、こう言っている。「批判し注目すること以外に、即効性こそないが、わたしたちにできることがある。日々の生活において、姿勢を問題にすることである。」

 カネもうけだけを考え、「迷惑をかけても平気な店や街や企業を拒否する。」。「報道の姿勢を問題にし、発表記事や提灯記事の目立つ新聞は斥ける。」。「友を選び、人を選ぶにも、生きて行く姿勢で選びたい。」。「そうした延長上に、政治家を選ぶということが出てくる。政治家を政治家としてのその人格、その姿勢において選ぶべきである。」。「金のばらまきや選挙区選挙民へのサービスなど、政治屋の仕業と区別することである。」。「その延長上に、政党の姿勢も問うべきである。」

 「長続きしたことによる思い上り。エリートたちを堕落させた何よりの根源がここに在る。たとえその党を支持するとしても、票によって審判することができる。真の友人がそうであるように、そうすることによって苦言を呈するのだ。」。そして、わたしたちが主権者であることを思い知らせるためにも選択し審判する権利を思う存分、行使しようと締めくくっている。

 いまの政治状況に対して、表面的なとらえかたをせず、城山氏のような目が必要である。

 

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