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2008年12月 2日 (火)

「蘇る玉虫厨子」

 法隆寺の国宝、玉虫厨子は飛鳥時代につくられた仏教芸術の最高傑作とされる。しかし、造られてから千年を超える長い歳月が経っているだけに、色や図柄は薄れ、玉虫の翅もほとんど失われている。

 これを復元しようと思い立ったのが中田金太という実業家。私財を投じて全国のすぐれた職人を集めて、数年かけて復元に成功した。映画「蘇る玉虫厨子」は、蒔絵師、彫師、塗師、宮大工、それにかざり金具師、それらの匠が自らの技術をかけて取り組んだ過程を記録したもの。日本の職人たちの仕事への情熱とハイレベルの技術とを画面で堪能した。

 国宝の復元とはいえ、本物に触れることは許されないので、蒔絵師たちは国宝の公開の際に丹念に見たり、写真や文献などをもとに、判読しがたい絵柄などを解読ないし、想像したりする大変な苦労を重ねた。図柄では、見えないものが見えてくるまでじっくりと写真などを見つめたりしたという。

 玉虫の翅は日本では一部しか調達できず、海外から大量に輸入したという。産地で翅の色が違うので、それを生かす工夫も必要だった。翅を細かく切り、1枚1枚貼り付けるなどの作業は気の遠くなるような細かい手仕事である。

 屋根は一枚の板から屋根瓦の形などを削り出すなど神経を集中する作業ばかり。漆塗りの漆そのものの作り方、塗り方なども、そこまでやるのかということばかりだ。

 復元された玉虫厨子は画面で見る限り、すばらしい出来栄えである。12月13日~21日、東京・上野の国立科学博物館で特別に展示されるそうだから、見てみたい。

 実は、復元された玉虫厨子は二基ある。一基は法隆寺に置かれる。もう一基は飛騨高山に収蔵されている。違いは、絵柄を玉虫の翅で描いたものが飛騨高山のもの、絵柄が漆塗りのものが復元した法隆寺のものである。

 法隆寺では、国宝、玉虫厨子が飛鳥時代につくられたとき、いかに華麗であり、また釈迦の教えを描いた荘厳なものであったかが参拝者にわかりやすくなる。国立科学博物館の展示は飛騨高山から持ってくるという。

 中田氏は完成前に亡くなったが、彼の貢献は非常に大きい。日本の職人の技術がすぐれていても、それを発揮し、次世代に伝承していくには、こうした高度の技術を要する作品をつくってくれという注文がないといけない。職人の1人は、こうした難しい注文を受けることで新しい技術を生み出すことができたと言っている。

 その意味で、中田氏のように文化を支えるお金持ちがもっと出てこないといけない。彼は飛騨高山の祭に使われる舞台を8基つくって寄付したり、私財を伝統文化の保存・振興に次々投じたという。国も、国宝をただ保護、保存するだけではなく、それらを生み出してきた技術および職人を育て、技術を伝承することが可能な仕掛けを工夫すべきだろう。 

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