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2009年1月29日 (木)

施政方針演説の賞味期限は?

 1月28日の麻生首相施政方針演説に対する評価はいろいろだが、読んでみると、けっこう意欲に満ちていたというのが私の感想。世論調査にみられる低支持率にがっくりきているのか、と思いきや、やる気が衰えていない。首相は歴史的なこの時点において、使命感を感じているのだろう。

 「世界は今、新しい時代に入ろうとしています。」、「日本もまた、『この国のかたち』を変える節目にあります。」、「目指すべきは安心と活力ある社会」、「暮らしの安心は、年金、医療、介護など、社会保障制度への信頼があってこそ、成り立ちます。」、「国づくりの基本は、人づくりです。」、「地球温暖化問題の解決は、今を生きる我々の責任です。」

 「異常な経済には、異例な対応が必要です。」、「大胆な財政出動を行なうからには、財政に対する責任を明確にしなければなりません。」、「持続可能な社会保障制度を実現するには、給付に見合った負担が必要です。」、「分権型社会が目指すべき国のかたちです。」、「経済成長なくしては、財政再建も、安定した社会保障制度もありえません。」、「今こそ、政治が責任を果たす時です。国会の意思と覚悟が問われています。国民が今、政治に問うもの、それは金融危機の津波から国民生活を守ることができるか否かです。」

 このように、文中にはキャッチフレーズ的な言葉が随所にちりばめてある。それ自体はもっともだが、それをどうやって実現するか、果たして実現できるのか、といった各論になると、疑問点が一杯だ。それに何よりも、首相に対する国民の支持率がすっかり下がってしまっていて、演説で取り上げた個々の政策の実現性が限りなく低いと思うと、単なる作文のように思えなくもない。

 これに対し、民主党の鳩山幹事長の質問などを見ると、野党は、解散・総選挙を要求するばかりで、この歴史的な転換点という時代認識が欠如しているように思える。まことに残念だ。仮に、いま衆議院を解散して選挙をすれば、自民党が下野する可能性はきわめて高い。だが、民主党は100年に1度の危機にどう対処すべきかの政策を持っていない。というよりも、その政策をつくろうともしていない。いまだに、平時に政権を取ったときに備えつつある程度ではないのか。

 誤解をおそれずに言えば、いまは政権をどの政党が握るかはどうでもいい。挙国一致で危機を乗り越える智恵をひねり出さねばならない。

 足元をみると、日本の大企業は収益が急激に低下し、かなり先まで見通しが暗いため、生産能力の縮小、正社員を含めた人減らしに走り出している。雇用の縮小、失業率の上昇、労働者の収入減少といった現象が起きている。それらの影響を受ける地域があちこちに出ている。円高もあって、国内の工場を閉鎖し、アジアに移転するとか、海外に生産を委託するといった空洞化も起き始めた。

 このように、国内経済が傷み出しているのに、国会はそうした現実を知ってか知らずでか、いたずらに時間を浪費している。その間に、刻々と経済実態は悪くなっている。

 ダボス会議が始まった。そこでは、なぜ、このようなグローバルな同時危機が起きたのか、この危機を脱するにはどうしたらいいのか、将来、同じ過ちをおかさないために、何をすべきか、が問題意識とされているようである。日本の国会においても、日本が世界経済の主要メンバーだという自覚のもと、内外に対してとるべき政策を議論してしかるべきだろう。与野党ともにリーダーシップを発揮する人物がいないのは仕方がないとして、いまの日本の向かうべき道を見出そうとする努力ぐらいはしてほしい。

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2009年1月26日 (月)

良薬は口に苦し

 経済危機で、財政再建の一里塚であるプライマリーバランス(基礎的収支)の2011年度黒字化という政策目標が吹っ飛んだ。この結果、専門家の意見を聞いていると、日本国家がいずれ財政破綻に直面する危険性がかなり高くなった。では、国民は財政破綻に追い込まれたら、どんなに大変か、理解しているのだろうか。言い方を変えると、政府は国民に対して、財政破綻が国民の暮らしなどに及ぼす深刻な影響についてわかってもらう努力を十分してきただろうか。そして、財政は基本的には税収、つまり国民の負担で賄うのだということについてもきちんとわかってもらうようにしてきているだろうか。

 そんなことを改めて考えさせられたのは、麻生政権に関する世論調査の結果と山形県知事選挙の結果をみたからである。日本経済新聞の世論調査結果(1月26日付け朝刊)によると、2011年度からの消費税増税方針に対する賛成は24%、反対が67%である。定額給付金についての賛成が22%、反対が67%だから、回答者は消費税増税に対し定額給付金同様、かなりはっきりと否定に傾いている。

 消費税増税に対して、自民党支持層でも賛成が反対よりいくらか少ない。まして民主党支持層は反対が80%、無党派層は反対77%である。政権が民主党に移った場合、消費税の増税は自民党政権のもと以上に難しいように思える。ムダの排除などは当然だが、歳出が税収の倍近いという無茶な財政構造を正常化するうえで消費税の相当のアップは不可欠である。

 自民党、民主党の対立が県知事選挙に持ち込まれた山形県知事選挙は、現職1期を終える齊藤弘氏が新人の吉村美栄子氏に敗れた。一般に、2期目の選挙は現職が圧倒的に有利といわれるが、齊藤氏は接戦の末、落選した。齊藤知事が推進してきた財政改革に対し、吉村氏は、それが県民に大きな痛みを与えていると批判し、勝利をおさめたということのようだ。

 日本銀行、IMF(国際通貨基金)などで仕事をしてきた齊藤氏は、県財政の改革を「1丁目1番地」ととらえ、将来に対するツケとも言うべき県債残高を削減し、利払費を含めた財政収支の均衡を目標にしてきた。そのために、投資的経費の大幅削減などを実施したりした。しかし、県民はそうした財政改革による痛みに耐え切れなくなったらしい。福祉などへの歳出増を訴えた吉村氏に希望を託したようだ。義務的経費が9割以上に及ぶ硬直的な財政構造の中で、吉村氏のこれからの県政が財政悪化をもたらす可能性は高いのではないか。

 大阪府の橋下徹知事は就任して1年になるが、破綻寸前まで行った府財政を立て直すため、大規模なリストラ方針を打ち出した。事業費を大幅に減らし、職員の給与をカットするという荒療治をしても、そう簡単に府財政は立ち直らない。経済状況の悪化もあり、府民がどこまで耐えてくれるかが橋下知事の改革を大きく左右することになりそうだ。

 国の財政と都道府県市町村の財政とは基本的に違うところがある。国はカネがなくなれば、国債などを発行してカネをつくることができる。地方公共団体にはそうした自由がない。そうした違いはさておいて、公的財政は、歳出を主に税収でまかなうようにしないと、財政は破綻する。破綻したらどうなるか、それを為政者はかんでふくめるように説明し、理解してもらうことが大事である。「フリーランチはない」、「負担なくして受益なし」の原則を国民、府県民に十分わかってもらっていないと、国民は「良薬は口に苦し」を厭う。「こっちの水は甘いぞ」の声にひかれる。その結果、経済社会の崩壊に至るとしても。

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2009年1月24日 (土)

日米の通貨統合?

 日々、新聞を読むごとに内外経済の深刻さが増している。ものごとを考える際の意識を“平時”モードから”非常時”モードに切り替える必要があるのかもしれない。そんなことを思ったのは、冷泉彰彦氏(米国在住)の文章を読んだからである。

 作家の村上龍氏が主宰する「Japan Mail Media」の24日付けに、冷泉氏が「オバマ就任、そして日米」という題で、日米の通貨統合の必要性について書いている。

 ドルやユーロに比べ、円が強いため、思惑で円を暴騰させる条件は整っていると指摘し、放置しておけば、1ドル60円というような事態もありうる、そうなれば日本経済は破綻すると冷泉氏は言っている。そして、米国経済に深く組み込まれている日本経済が厳しい状態となれば、米国の実体経済を回復させるためのシナリオも破綻する。となると、最終的には、日米の通貨統合が現実的に検討されなければならないと言う。

 いま起きている危機のもとでは、それ以前の平時の常識というか、約束事は弊履のごとく捨て去られている。そうまでしないと、世界恐慌の進展を食い止めることができないとみられているからだ。日米通貨統合の是非はさておいて、平時のモードを引きずって思考している人たち――私もそのうちの1人――に頭の切り替え、発想の転換を求めているのだと言えよう。

 ところで、そうだからといって、何でもかんでもご破算に願います、ということでは無論ない。例えば、財政健全化である。大変な経済危機に対処するためだからといって、日本の財政健全化という重要な課題を無視してはならないと思う。

 日本経済新聞の23日、24日付け朝刊「経済教室」では、「危機下の財政再建」(上)、(下)を掲載。富田俊基中央大学教授と加藤久和明治大学教授が財政健全化および社会保障について執筆している。

 09年度の一般会計予算(案)の歳出は税収の倍近い。国債発行残高も560兆円に迫る。したがって、景気が回復して国債の金利が上昇すると利払いが増えるが、それを税収の増加分ではまかなえない。景気が回復すると、国債発行を増やさねばならないというリスクを抱えるに至っているのだ。富田氏はそのことを指摘し、「中期的な財政規律の確立が不可欠である。」と書いている。そして、「歳出抑制とともに、消費税率の引き上げを景気の谷の認定直後から段階的に実施することを検討すべきであろう。」と言っている。

 また、加藤氏は、GDPに対する租税・社会保障負担の比率の引き上げは経済成長率を低下させるとの結果が実証分析で得られたと指摘。「今後のわが国では負担拡大は不可避で、負担増を全く考慮せず経済成長だけに注力するという選択肢は考えられない。」とし、セーフティネットを効率的な経済成長の基礎となるという視点で整備することが不可欠だと書いている。

 財政再建を実現する道は非常に狭くなったのは確かだが、それでも日本の将来を思えば、その道をひたすら歩むしかないだろう。  

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2009年1月22日 (木)

リチャード・クー氏の「バランスシート不況」論

 1990年代、日本のバブル崩壊後に「バランスシート不況」という言葉を初めて聞いた。その懐かしい言葉を、22日、リチャード・クー野村総研主席研究員から聞いた。彼がこの日、日本記者クラブで催された勉強会のゲストとして講演した際にだ。

 「バランスシート不況」は彼が言い出した言葉だそうで、資産価格の暴落が起こす不況のことだという。土地などの資産が暴落すると、企業は債務超過に陥り、倒産するか、本業で少しずつ債務を返済しようとする。後者の場合、ひたすら返済に専念する。新たな借り入れはしない。例え、金利ゼロであっても借りない。そうなると、マクロ経済的には、家計などが収入の一部を貯蓄すると、そのカネを借りて使う主体がないと、消費はスパイラルに縮小する。経済全体が収縮を続けることになるこの悪循環をバランスシート不況だという。

 日本は1989年末からの土地と株式の下落で1500兆円の富を失った。GDPの3年分に達する。かつて米国が大恐慌で失った富はGDPの1年分だから、日本のほうがはるかに深刻な打撃をこうむったことになる。しかし、彼は、日本がバブル崩壊後、市街地価格指数が87%も下落するなど資産価格が暴落したにもかかわらず、GDPが拡大を続けたという事実こそ、米国など世界にとっての唯一の希望だという。

 バランスシート不況を日本がうまく切り抜けたのは、マクロ経済的に見た貯蓄を政府が使ったからだと指摘する。税収が落ちたのに、政府は逆に歳出を増やした。それがGDPの拡大をもたらしたのであり、もしも政府が国債を発行して公共事業などをしなかったら、GDPは半分になったり3分の1になっていただろうという。

 過去、GDPが滅茶苦茶に落ちたとき、戦争が起きて回復した。平和のままで経済が回復したのは日本が初めてだとクー氏は語った。米国では、これから貯蓄が行なわれるようになるから、それを対象に国債を発行すればよい、海外からカネを借りる必要はないとも述べた。もっとも、米国は財政出動するにしても、ことし9月以降にしか可能ではない。それまでに経済は落ち込むから大変だとの見方を示した。

 クー氏は米国や西欧の危機を日本の経験した不動産バブルに引き付けて見ている。しかし、池尾和人慶應大学教授は米国を重層的な市場型間接金融と定義して、日本の経験は参考にならないと言っていた。したがって、財政出動に対する見方も、積極的であるのと消極的であるのと分かれる。

 専門家でもさまざまな意見に分かれるところだ。日本の国会はそうした分析、対策をめぐって議論してほしい。政治家にとってはその見識や能力を発揮する100年に一度のチャンスだから。オバマ米大統領の登場を見てもわかることだが、いまは野党が総理大臣の国語力を試す質問をしているようなときではない。危機感が政治家全体になさすぎる。

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2009年1月20日 (火)

池尾慶応大学教授の話から

  いまの金融危機および日本の課題について、池尾和人慶応大学経済学部教授の話を聞いた。いくつかの点が参考になった。

 教わったことの1つは、日本のバブルの発生・崩壊は伝統的な間接金融システムのもとで起きたのに対し、米国のそれは最先端の重層的な市場型間接金融システムのもとで起こったもの。市場型金融が未発達の状況で起きた日本の経験はいまの米国にはほとんど役に立たないという。

 第2に、米国では、これまで財政政策を景気対策に使うことには否定的だったが、やろうという関心が復活している。しかし、財政政策が有効だという証拠はない。ほかにやることがないからという消極的な理由からだという。

 第3に、日本経済はこれまで輸出型の製造業と国内市場向けの産業との2部門経済だった。北米市場に過度に依存した経済成長はもはや不可能。後者の国内市場向け製造業および非製造業は生産性が低いまま、失われた30年が続いている。この部門は1980年代以来の産業構造転換という課題をなんら解決できていない。ここ5、6年は輸出が好調で、問題を抱えたままごまかしてきただけだとのことだ。

 そして、第4に、マクロ経済政策では構造調整の必要性そのものをなくすことはできない。日本が構造調整にからんで、非伝統的な金融政策をとったり、財政のサステナビリティを失わせるような(すでに失っているというのが正確だが)財政出動を行なうのは弊害のほうが大きいという。

 第5に、日本はサッチャー改革前の段階にあるとのこと。いまの日本経済は食いつぶしてきたとはいえ、まだ余裕を持っている。我々(池尾教授ら)の年代は余裕があるが、30歳代は悲惨。さりとて“サッチャー”が出てきてよくなるかどうかは保証の限りでない。日本はアルゼンチン化することもありうるとのことである。

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2009年1月19日 (月)

「日本海新聞」の元旦付け一面トップ

 日本新聞協会が東京・日比谷のプレスセンタービルで元旦付けの新聞各紙を展示している。ざっと100社を少し超す加盟新聞社の元旦付け新聞の一面を順番に見ていたら、「日本海新聞」(本社、鳥取市)が目にとまった。一面の右上のトップ記事が、同紙を発行している新日本海新聞社代表取締役社主、吉岡利固氏の名前入りの記事「地方の未来に前向いて」だったからだ。

 地方紙では、元旦の一面トップはその地域の大きなニュースとか、県知事等の有力者による対談などで占められている。そうした中で、一面に新聞社の経営者の署名入り記事を載せるのは珍しい。「福井新聞」も一面の真ん中に、縦に細長い8段通しで、吉田哲也社長の名前で「もっと地域の力に」と題する囲み記事を掲載している。

 しかし、「日本海新聞」の社主の記事は、目立つ一面トップで、今日の世界的な危機を踏まえつつ、現下の状況についての認識と新聞の使命を明確に読者に訴えている点で、「福井新聞」よりも高く評価できるように思う。

 吉岡社主は「世界経済は容易には上昇に転じません。」、「我が国の産業構造は抜本的な改革を迫られています。」と指摘したあと、「地方は智恵と勇気を」という小見出しで、以下のように書いている。

 「ただし、今回の世界不況は、一般の人々が急に路頭に迷うようなものではありません。特に地方は小泉改革以来散々痛めつけられ、それに耐える体力を必死に蓄え、智恵と勇気を出し合い自立を目指した経緯があるので、そう簡単に落ち込むわけではないのです。」、「わたしたちの新聞は、地域の人々とともに考え大胆に提言し一緒に議論し、立ち止まることなくよりよい明日を築くため取り組み続けます。」

 同氏は「わたしは何年も前から「大きな社会構造の転換期が訪れている」と警鐘を鳴らしてきました。今まさにその渦中にあるのです。」とも書いている。危機の中で目指すべき方向を見失っているいまこそ新聞等のメディアの役割が期待されると思うが、その使命を自覚して、覚悟のほどを読者に示す新聞経営者がいるのはうれしい限りだ。

 広告収入の大幅落ち込みでおたおたし、報道メディアの今日的使命を忘れている経営者ばかりでは、報道メディアは先細りするしかない。 

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2009年1月18日 (日)

岩田正美教授らの指摘

 1月17日に早稲田大学で開かれたシンポジウム「貧困の拡大とセーフティネットの役割ーー雇用と社会保障の交錯」を傍聴した。同大学《企業法制と法創造》総合研究所の催しで、橘木俊詔同志社大学教授と岩田正美日本女子大学教授の2人が報告し、それを受けて経済学者、政治学者、労働法学者がコメントし、あと討論をするという時間割だった。

 議論は多岐にわたったし、フロアの学者の意見もあったりして、私には消化しきれなかったが、印象に残った発言を引用すると――

○ 岩田正美教授は派遣切りなどの問題で「派遣労働者が会社の寮とか借り上げアパートにいたということについて、なぜ誰も何にも言わないのか」と述べた。これは90年代に起きたホームレス問題と同じ問題だという。ホームレスになった人たちの3分の2が会社の寮や旅館といった労働住宅にいて、そこを追い出されたとのことだ。

 英米では、ホームレスは軍隊とか精神病院など社会から隔離されたところにいた人たちがほとんどだという。これに対し、日本は会社をやめて、それまで住んでいたところを離れざるをえないことがホームレスになる主な原因だというわけ。日本は労働と住宅とが癒着している珍しい国だそうだ。

 企業から独立しているというのが派遣などの非正規労働の良さだったのに、いまのように雇用が不安定だと、失業者はとりあえずは寮付きの仕事に飛び付く。このように、労働者は企業にからめとられていると指摘する。

 岩田教授は「住宅は特殊な財。住むところがないと、選挙などにも行けない」、「住宅は政府が用意すべきだ。企業は雇用に純化すべきだ」、「(労働者には)常に一時避難所が要る。政府は外国にあるように、社会保障としての住宅手当をつくるべきだ」と強調した。

 住宅外に住む人は何人いるか。統計も何もないからわからないが、岩田教授は100万人ぐらいいるのではないか、と言っている。

○ フロアの大学教授の発言は、「日本では労使が国に何とかしてくれと言う。それではうまくいかないのではないか」と述べたあと、「正社員というのがあるために改革が難しい。解雇規制が厳しいと、正社員の採用がしにくい。社会保険料負担も高い。いまの正社員、非正社員の問題のもとになる正社員を改めねばいけない」というものだった。

○ 橘木教授は「経済活性化と公平性はトレードオフの関係にある。効率性と公平性を同時に満たす経済学がないのか。これが経済学者に与えられた課題だ。私には無理。天才経済学者の出現を望む」と述べた。また賃金を決定する基準として、貢献、必要、努力の3点を挙げた(このうちの「努力」については、コメンテーターから疑問が出た)。

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2009年1月17日 (土)

基礎的収支黒字化の時期ずれる

 16日の経済財政諮問会議は「経済財政の中長期方針と10年展望」をまとめた。「2011年度末までに国・地方の基礎的(初期的)財政収支を黒字化させるとの目標達成は困難になりつつある。」と記している。だが、この時点で、誰もが目標達成は無理だとわかっているのだから、「困難である」とか「無理である」と書いたほうが国民はうなづける。

 与謝野馨経済財政担当大臣は2011年のプライマリーバランス(PB)黒字化という旗はあくまで掲げるという。この旗は歳出抑制の意味もあるから、それを撤廃したら、パンドラの箱を開けてしまう可能性があるという大臣の懸念は理解できないではない。しかし、ほとんど実現不可能な旗だとわかっていたら、誰もが無視するだろう。それよりも、目標時点を先に延ばすほうが国民を説得しやすいように思う。

 同じことだが、「経済財政の中長期方針と10年展望」は、「財政健全化目標について」という小見出しのところで、「国・地方の債務残高対GDP比の発散を止め、安定的に引き下げることを確保することは、財政の持続可能性を確保する上で極めて重要な規準である。」、「2010年代半ばまでにこれを達成するとの目標に向けて、適切な経済財政運営を行っていく。」と書いている。

 与謝野大臣は記者会見で「2010年代の半ばには債務残高対GDP比を一定にすると言う目標は崩していない」と述べている。しかし、それも、実現の可能性が非常に小さい。内閣府が何通りものシナリオをつくったが、それをみると、2015年度において、PBさえも黒字にならないケースのほうが圧倒的に多い。

 現在は100年に一度の危機に直面しているのだから、ケインズ経済学の復活がいわれるように、財政による需要喚起も必要である。とすれば、これまでの経済政策の枠組みをご破算にして、今後の景気てこ入れ策と一体的にPB黒字化など財政健全化の達成目標時期を設定するのがいいのではないか。

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2009年1月15日 (木)

高橋洋一氏の新著から

 『さらば財務省!』などの著書で知られる高橋洋一氏が08年12月に出版した『この金融政策が日本経済を救う』を読んだ。自民党の中川秀直元幹事長ら、いわゆる“上げ潮派”の理論的な支えとなっているとみられる高橋氏が本書で述べていることについて、私には肯定も否定もする能力はないが、それがとても刺激的だということは確かである。

 現在の非常時に国がとるべき政策を具体的に提案するならば、という前提で、「金融・財政政策のフル稼働で、25兆円の量的緩和と、25兆円の政府通貨発行(その財源で、2年くらい社会保険料を免除します)をすべきだと考えます。」、「このくらいの政策を行えば、危機に陥らずにすむでしょう。」、「100年に一度の大恐慌でデフレになるなら、インフレは有効な治療薬になります。」と言い切っている。

 これは、同書の「エピローグ――世界同時不況にどう立ち向かうか」の一番最後に書いてあるもので、本書で高橋氏が厳しく批判しているのが日本銀行の「金利正常化」にこだわる金融政策である。「現在の景気後退の主犯人は、増税(定率減税の廃止)でもなく、ましてやサブプライム問題でもなく、06年の金融引き締めだった」と指摘、いまこそ金融緩和とインフレ目標設定をすべきだと強調している。

 また、いまも争点となっている第二次補正予算とその中の2兆円の定額給付金については、景気浮揚効果はあまり期待できないと述べ、その理由として麻生首相による3年後の消費税増税宣言を挙げている。

 高橋氏は「本当は、埋蔵金がもっとあるのですから、2兆円なんてケチなことをいわずに、20兆円くらいを定額給付金にすべきでしょう。」とまで言い切っている。そして「増税を考えるのではなく、経済成長に伴う「増収」を考えるべきだと思います。」と、従来の主張を繰り返し述べている。

 本書は、日本の金融政策がずっと間違っていたためにデフレから脱却できなかったと指摘し、かつ日本銀行の「利下げをいやがり、隙あらば利上げをねらっている」体質を批判している。

 というわけで、本書は挑発的な表現および刺激的な内容に富んでいる。本書を読んで思うのは、いまの局面でどんな経済政策が最適かについて、高橋氏の見解を含め、さまざまな論者による丁々発止の議論を国民の1人として聞きたいということだ。

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2009年1月13日 (火)

100年後の財政破綻確率が90%超との試算

 昨年3月26日のブログで、櫻川昌哉慶応大学教授らの研究成果を掲載した日本経済新聞の「経済教室」を取り上げた。今後100年間の年平均経済成長率が2.5%を下回ると、公的債務残高が増えて「62%の確率で財政は破綻する」という内容。それも、最も楽観的な経済見通しのシナリオを前提としてであった。

 きょう1月13日の日経「経済教室」では、櫻川教授との共同研究にあたった細野薫学習院大学教授が、「その後の財政悪化で、破綻確率はさらに上昇し、90%を超えていると試算される。」と書いている。細かい計算根拠は示していないが。

 そして、「短期の需要刺激策と並行して新たに財政再建の道筋を具体的に明らかにすることが、国債への信認の維持とさらなる信用収縮防止に役立つであろう。」と述べている。

 与党・政府は政権を守るため、野党の民主党は政権を奪取するため、いずれも財政のばらまき政策を打ち出している。だが、細野教授は「現在の経済危機が深刻だからといって、将来を犠牲になりふりかまわぬ政策をとると、危機を長期化させかねない」と指摘している。

 諸外国が従来とはうってかわり、相当、積極的な財政・金融政策を打ち出している。それに負けじと、すでに財政危機状態にある日本政府が、さらに国債を大量に発行して総需要を刺激するのは、すでにある危機をより一層深刻化させるだけなのではないか。そんな不安を感じる。

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2009年1月10日 (土)

不況への企業の対応あれこれ

 世界的な経済危機に対し、企業はさまざまな対応策を取り始めた。トヨタの社長交代見通しなど、たまたま新聞記事で目にした三社の対応策について思うところを以下に――

① トヨタ自動車の渡辺捷昭社長が6月末に副会長になり、創業者一族の出身である豊田章男副社長が社長に昇格する人事が固まったらしい。日本経済新聞は「創業家の旗の下、世界三十万人の巨大グループが結束して危機を突破する体制を整える。」と交代理由をあげる。記事の見出しまで「創業家「旗」に危機突破」と書いてある。

 それで思い出すのが、かつて松下電器産業(現、パナソニック)が創業家の直系の副社長を社長にせず、副会長にした出来事だ。父親の元社長が息子を社長にと強く求めたのに対し、当時のトップはそれをしりぞけた。会社は社会の公器であり、人物本位で選ぶべきだという理由からだ。

 トヨタは豊田達郎社長が病気で退き、ピンチヒッターとして奥田碩副社長が社長に就任するまで同族経営の色彩が濃かった。例えば、本社の役員食堂では、昼食時、会長、社長をはじめ、各役員の座る席が決まっていて、豊田英二、豊田章一郎氏らトップないしトップ経験者に対し、役員といえどもめったに口をきくことができなかったという。

 そうした社風を奥田社長が変え、上下左右にわたって風通しをよくした。その結果、トヨタの快進撃が始まった。しかし、奥田社長が創業家一族をないがしろにしていると感じた一族の一部は、奥田氏が後任を選ぶときに、豊田家を大事にする人を選ぶよう相当圧力をかけたといわれる。張冨士夫氏が奥田氏の後任になったが、それが決まるまでには、そうした事情もあった。

 過去のこうした経緯を考えると、章男副社長の社長昇格は豊田一族の年来の悲願達成ということになろう。新聞の見方では、大株主でもないのに、創業家一族の副社長が社長になることで社員が結束し、この未曾有の危機を突破する、というのだが、章男氏が世界のトヨタを率いるだけの力量を持つ人物とはどこにも書いていない。

 いまの時代、仕事はチームプレーであるとはいえ、政治と同様、卓抜したリーダーシップが必要である。トヨタのトップ選びが、世界のトヨタから三河のトヨタに回帰するのでなければいいがと憂う。

② 日本電産の永守重信社長といえば、抜群のリーダーシップで知られる。斜陽の企業を次々に買収し、立て直してきた。その日本電産が本体とグループを構成する企業(業績の堅調な日本電産コパルは除く)の社員の賃金を2月から1-5%カットする(10日付け日本経済新聞朝刊)。役員の報酬や管理職の給与もすでにカットしており、2月から削減幅を拡大するという。

 同社は仕事を融通したりして残業を減らし、雇用維持を優先するという。スタートしたばかりの春闘に水をかけるような話だが、ことしは、こうした賃金カットを行なう企業が相次ぎそうである。すでに非組合員である管理職等の給与・ボーナスのカットを始めた企業の名前も聞く。

 春闘では、連合が打ち出しているように、個人消費の落ち込みを避けるため、賃上げを要求する産業別労働組合組織が少なくないとみられる。しかし、個別企業レベルでは、労使とも、賃上げどころではないというところも多いのではないか。まだ一部の企業にとどまっている賃金カット、希望退職募集などがかなり広がるという想定もせねばなるまい。

③ 富士通マイクロエレクトロニクスが今月から工場の勤務体制を12時間勤務2交代から8時間勤務3交代に変更したという。半導体を生産する3つの工場が対象である。8時間勤務のあと4時間も残業をする勤務体制だったというのにいささか驚いた。

 連続操業をする工場は普通、3交代制をとっている。4組とか5組で回していく。それが同社の場合、12時間2交代というのだから、3組で回しているのだろう。12時間のうち4時間は割増手当が出る。それを1月から3交代制に変更、8時間の通常勤務だけにし、割増手当の支払を不要にしたというわけだ。

 半導体製造のみならず、連続操業の現場では、深夜労働をしたり、勤務時間がちょくちょく変わったりして、働く人たちには負荷が大きい。同社のように12時間勤務というのは、3日に1日休めるとしても、身体によくない。加えて、家族との暮らしのリズムが安定しない。それらの点は8時間労働の3交代制にしても完全に解決するものではないし、当の従業員にすれば、残業手当が減るほうが痛いのかもしれない。

 しかし、先進国としてこれほどの経済的な富を得た日本において、家庭生活など個人の暮らしが、あまりにも仕事に振り回されているのはやっぱりおかしい。タクシー会社勤務の運転手とか、サービス業では、やはり長時間連続の労働が当たり前になっているところが多い。失業者の問題が深刻化しつつあるが、それとともに、人間性を尊重したディーセント・ワーク(まっとうな仕事)が当たり前になるような経済体制づくりが大きな課題である。言うはやすいが‥‥。 

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2009年1月 9日 (金)

製造業への派遣禁止論議

 始まった国会では、野党が製造業への派遣労働を禁止すべきだと政府を攻め立てている。麻生首相は個人的見解として「製造業は常用雇用が望ましい」と述べている。年末から数日間、開設された「年越し派遣村」は東京都心の日比谷公園内、それも厚生労働省の目の前だったから、メディアが大きく取り上げる材料になり、それが製造業への派遣問題を国会論戦の主要なテーマに押し上げたことは否めない。

 この「年越し派遣村」は、たくさんの労働者が「板子一枚下は地獄」という危うい状況にあることを天下に訴え、政治、行政、企業経営者、労働組合などに対応を促した点で、画期的な意義を持つ。政治や行政をNPOが先頭に立って変えていく時代の始まりを意味しているのかもしれない。

 さて、国会の論議だが、問題を的確に把握し、適切な対応をするという観点で、いくつか疑問を抱く。

 年末の相次ぐ派遣切りを背景に、日比谷公園の「年越し派遣村」には500人を越える、住むところもない派遣失業者などが救いを求めた。しかし、以前からホームレスといわれる人たちが何万人もいる。彼らも、多くは失業し、住むところもないために公園や橋の下などで過ごしているのである。それらの人々の救済は政治の課題ではないのか。

 製造業の派遣労働では工場の近くに住居を確保することが欠かせない。クビになると、その住居を出ることになる。収入が断たれ、住むところも失う。まさに「板子一枚下は地獄」である。それを承知で雇用関係を切るというメーカーは非人間的だという非難が起こるのも理解できる。

 しかし、製造業の派遣労働はコストを切り下げ、かつ雇用調整がしやすいというので多用されてきたが、情報・サービス業など非製造業でも同様な理由で派遣労働や非正規雇用を多用している。土建業などでは下請け、孫下請け‥‥があり、コスト切り下げと必要なときにのみ雇うというバッファーになっている。製造業ならずとも、会社の経営がピンチになれば、非正規労働者のみならず正社員をも解雇せざるをえないことがある。倒産し、失業する労働者はたくさんいるのである。

 製造業の派遣労働者は住居も失うから悲惨だが、政治や政府がその責任をメーカーや派遣元に負わせるというのもどうかと思う。国民が住むところを確保するのは、本来、政府の住宅政策の基本である。まともに住むところがないと就職あっせんを受けられないというのであれば、当然、政治の責任として全国民に対して住宅を確保する義務がある。

 労働をめぐる課題は実に広範囲にわたる。一昨年あたりはワーク・ライフ・バランスが議論されたのに、ほとんど忘れ去られた。過労死、長時間労働、サービス(ただ働き)残業、低い最低賃金、ディーセントワーク(まっとうな仕事)等々の課題も、ほとんど改善されない。関連する生活保護、少子化などの問題を含めて、活気があり、皆が人間らしく生きていける社会にするためのグランドデザインを政治や行政がどうして提示しようとしないのか。

 日々の新聞の社会面には、人々の心が寒々とするような出来事が載っている。夢や希望を持たず、刹那的に暮らしている人が多いのだろう。経済全体として、これだけ豊かになったのに、それを国民の暮らしに生かせない社会は間違っている。

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2009年1月 8日 (木)

「財政健全化」というぼろの旗

 経済財政諮問会議が1月6日に開催された。テーマは「経済財政の中長期方針と10年展望(仮称)」の原案についてだった。2011年度までにPB(プライマリーバランス)を黒字化するというこれまでの政府の財政健全化目標は、撤回するのではなく、あいまい、かつ持って回った表現で残すことになったようだ。

 原案を読むと、PB(初期的財政収支と言うのが正しい訳だそうだ)の黒字化は持続可能な財政に向けた一里塚であり、「できる限り早期に達成することが必要である。」としながらも、すぐあとに「しかしながら、経済情勢が極めて流動的・不透明な中では、一定の確度をもって見通すことは困難であることから、当面、財政規律の観点から現行の努力目標の下で、景気回復を最優先としつつ、財政健全化の取組を進める。」と書いてある。いかにもお役人らしい書き方で、わかりにくい表現である。

 その点を、記者会見で与謝野経済財政担当大臣はこう語っている。「財政を健全化しようという目標自体は、やはり持っておく必要があるのではないだろうかということで、随分、ぼろの旗になりましたけれども、立てておくと。」、「この旗を取り去ったときの影響というのは非常に大きいので、旗は取り去れない」、「当面、努力目標としては2011を掲げておくと。しかし、その達成は急速に困難になりつつある」と。

 また、PBの黒字化はあくまで「一里塚」にすぎず、健全化の次のステップとして国・地方の債務残高対GDP比の発散を止め、安定的に引き下げることが必要だとされる。原案では、この債務残高対GDP比の引き下げについて「財政の持続可能性を確保する上で極めて重要な規準である。団塊世代がすべて年金受給者となる2010年代半ばまでにこれを達成するとの目標に向けて、適切な経済財政運営を行っていく」と述べている。

 麻生首相の言う「全治3年」として、その直後、つまり2011年度初に消費税の大幅引き上げが実現するなら、フローのものさしであるPBの2011年度黒字化も不可能ではない。しかし、今後の政治・経済・社会状況が消費税の大幅引き上げを許すとはおよそ考えにくい。むしろ、国債の増発が続く可能性が大きい。

 とすると、PB黒字化の達成時期は目標時期より何年か遅れよう。そして、ストックのものさしである債務残高対GDP比の発散を止め、安定的に引き下げることが可能になる時期も当然、先にずれるだろう。

 このように、従来の政府与党のやりかたの延長線上だと、政府は「旗」は掲げるものの、財政健全化は無期延期に近いものとなったように思われる。したがって、短中期の取り組みとして提案したいのは、これまでほとんど手がつけられないままできた個別の歳出の中身を1つひとつ丹念に見直すことだ。そのためには、従来の霞が関の予算編成などのありかたを変える行政改革が欠かせない。 

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2009年1月 6日 (火)

「さん」づけで呼ぶと議論しやすい

 ノーベル物理学賞を受賞した益川さんや小林さんたちが画期的な研究成果を挙げるにいたる足跡をたどるNHKの番組を見た。その中で、坂田昌一名古屋大学教授が主宰した研究会では、参加者がお互いを「さん」づけで呼ぶようにしていたという話が出た。

 教授、助教授など大学内の序列を意識すると、若手は発言しづらい。そこで、肩書き、年齢などを気にせず、メンバーの誰もが自由闊達に発言できるようにということで、「さん」づけにしていたというわけだ。

 それで思い出したのだが、かつて、新聞社の論説委員会のメンバーになったとき、副委員長のFさんが私を「さん」づけで呼んだ。なんとなくこそばゆいような感じがしたが、彼は「論説委員会は議論するとき、全員が対等だ。それだから、お互いに「さん」と呼ぶのがいい」という趣旨の話をしてくれた。

 論説委員会のメンバーは担当分野が分かれており、1つのテーマについて議論する人数は少ない。だから、名古屋大学の研究会のように、同じ専門分野の研究者が集まって議論するのとは違うが、「さん」づけの効用は実感した。

 会社や役所などの組織では、相手が自分より年上か否かがわからないと、「さん」と呼ぶのがいいのか、「くん」と呼ぶのがいいかでとまどう。年長者が自分より下の地位だと、「くん」と呼びにくくて、「さん」と呼んだりする。

 このように、日本の組織では、人間関係を重視、微妙に配慮する。このため、日本の企業は集団としての競争力が強い。しかし、逆に、組織の一人ひとりが自由にものを言い、刺激し合うということが少ないから、独創的なものが生まれにくい。

 たかが、「さん」づけで呼ぶか否かの話だが、組織において、独創的なものを生み出したいなら、「さん」づけの導入もいいのでは。

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2009年1月 3日 (土)

人と人とのつながり、支え合い

 今月中旬に封切られる映画「ふうけもん」は、「便利屋」、すなわち、市民のちょっとした困りごとを引き受ける雑用代行業者の話である。頼まれるさまざまな仕事の一つが、一人暮らしの老女の話相手になることである。

 この老女は、お金には不自由しないが、一人家にこもっている孤独感は耐え難い。そこで便利屋に定期的に来てもらい、おしゃべりをする。そして来てもらうたびに謝礼に100万円(と思われる)を出す。便利屋・右京サービスの社長(中村雅俊)は、そんな大金をもらうわけにはいかないと断るのだが、老女はこのぐらいのお金はどうってことないと押し切る。

 この映画を観たとき、昔、知人から聞いた話を思い出した。定年過ぎて、ほとんど外に出かけなくなり、家で趣味の庭いじりなどをしていた地方都市在住の男性についてだ。証券会社の営業マンの勧誘で株や投資信託を手がけるようになった。営業マンがときどき訪ねてくると、家に上げ、お茶やお菓子を出してもてなした。そしてこの男性が亡くなったとき、取引口座にはほとんどお金が残っていなかったという。しかし、この家の奥さんは、ご主人が証券マンと話ができるのを楽しみにしていたから、損してもいいのだと語ったという。

 昨年末から新年にかけて、失業し、住むところを追い出された人たちに救いの手を差し伸べるNPOや地方自治体の活動が報道された。日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」は、厚生労働省の目の前という宣伝効果もあり、全国に伝わった。NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」や全国ユニオンなどの努力には頭が下がる。それに関連してあれこれ思う。こうしたところに助けを求める労働者には、いざというときに一時避難にせよ、駆け込む親兄弟などがいないのだろうか。いたとしても厄介視されるとかで帰るわけにはいかないということなのだろうか、など。

 上記の、高齢者の話も、派遣失業者の話も、いまの日本では、社会や家族から孤立した人たちが少なくない事情を物語っている。オレオレ詐欺などに引っかかる事件が多発した背景にも、普段、世間との付き合いが少なく、核家族化で子供や孫との接触がほとんどない高齢者の孤独が存在する。

 高齢化社会というと、すぐ年金、医療、介護、生活保護などといった社会保障制度の充実という話になりがちである。そしてそのためには財源をどうするか、という話になる。しかし、それらをいくら充実しても、ひととのつながりを欠くようでは、所詮さびしい、孤独な社会である。「年越し派遣村」は、そうした私たちの社会が抱える本質的な問題を浮き彫りにしたのではなかろうか。

 高齢者に限らない。現役の労働者、市民もそうだ。楽しいときはともに笑い、悲しいときは支えてあげる。誰もがどこかでつながっているように、人間関係の多様なネットワークを構築することが日本のこれからの大きな課題である。

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2009年1月 1日 (木)

精彩欠く全国紙の紙面

 元旦付けの全国紙に目を通した。全体として、新聞は方向性を見失い、「チェンジ」に即応した紙面づくりができていないような気がする。新聞業界は広告量の激減で厳しい経営状況に追い込まれている。ページ数も昨年より少し減っているように思う。それらが記者の問題意識や発想に反映しているのか、概して元気がなく、精彩を欠いた紙面構成になっている。

 読者の関心が強い政治について、政界の深層に切り込むような記事、特集などがきわめて少なかった。また、金融・経済の世界同時危機を従来と異なる視点で鋭く分析するような記事や読み物も乏しかった。いまのように政治も行政も企業も混迷状態にあるとき、メディアに期待される役割はきわめて大きい。即ち、問題点をきちんと分析、整理し、方向性を明確に指し示すことが求められているのである。そのことへの自覚が薄いのではないか。

 私がおもしろいと思った連載、特集は、読売新聞の連載「農は国の本なり」第一部、日本経済新聞の特集「逆境に克つ」ぐらいである。日経がこの時点で「IT・デジタル特集」を掲載したのは日経らしいというべきか。

 ことしの元旦の新聞には外国の学識経験者などがほとんど登場しなかった。これも経費節減のせいか、内向きになったからか。

 もう一つ、気になったことだが、少子高齢化や若者の新聞離れを踏まえた紙面づくりがなされているとは思えなかった。青少年が読んでみたくなる特集などを工夫すべきだった。 

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