« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月29日 (日)

上山信一著『自治体改革の突破口』の財政赤字制御策

 自治体改革のアドバイザー、上山信一慶応大学教授が最近、『自治体改革の突破口― 生き残るための処方箋―』を出版した。その中で、「財政赤字をどうやって制御するか」を書いている。「政府の財政はサラ金地獄と同様の制御不能に陥っている」とし、「この問題は国家全体の財務構造の改革なしには解けない」と言っている。

 日本では財務統制機能が各省庁に分散していて、全体像を把握し集権的に制御する機関が存在しないという。各省庁に任せていたら、不要な事業がやめられない。そこで、総理・官邸が集権的に制御する体制を構築せよと述べている。

 「財政再建にはそのための規律と統制の仕組みづくりが必要だ」という。それには以下の4つの仕組みが必要だという。第1に、マニフェストを掲げて政権をとると、新政権はマニフェストを官僚機構に実践させねばならない。そこで、大臣に「大臣マニフェスト」を作らせる。その前に、大臣は総理大臣および局長と十分に話し合う。重要施策の達成目標と期限を定める。そして、それらが実現できないと、大臣は責任を問われるようにする。

 第2に、各省庁の大臣は、予算や人事の実権を握っている局長や官房長に「局長マニフェスト」を作らせる。局長らに目標と期限を掲げさせ、結果責任をとらせる。

 第3に、各省庁に、経済財政諮問会議同様の、政策を審議・評価する機関を設ける。具体的には、現在の省議に民間人を送り込み、活性化する。この会議は実質的な決定機関とし、大臣は会議を主宰する。

 第4に、税を徴収する、予算を編成する、国有財産を管理するなどには、それぞれの官僚機構があるが、我が国には、「国家レベルの財務を一元的に統制管理する機関が存在しない」という。「政府の負債と資産の実態を把握し、問題点を分析する。その上で毎年の収入(税収)と支出(予算)を同時に制御し、かつ債務の圧縮や資産の売却のあり方、そして資金調達の工夫もする」のが本来の財務だという。したがって、一元的な財務統制機能の確立をという。

 上山氏は「どうやって財政再建、いや制御回復を図るか。原理は単純だ」という。第1に支出削減、そのための地方分権、第2に税収増、そのための大胆な規制緩和による経済活性化、第3に資産の有効利用ないしは売却だとのこと。しかし、実現は容易ではない。なぜなら、政府には倒産リスクがない、市場競争原理も働かない、民主政治は短期の利益誘導で歳出が膨張しがち、特に自治体の議会はその傾向が強いからだという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月28日 (土)

09年度予算が政府案のまま成立

 小沢民主党代表の秘書逮捕と代表続投の影響で、与党に対する民主党の攻勢がすっかり鈍ってしまった。09年度の国家予算案と予算関連法案は政府案通りに成立した。経済危機の真っ只中にあるから、予算案が今年度のうちに成立するのは歓迎されるが、政府案の問題点を指摘して修正に持ち込むぐらいのことが欲しかった。

 09年度の一般会計予算は88.5兆円(08年度は当初予算が83.1兆円、補正後は88.9兆円)。歳入の内訳は、税収が46.1兆円、公債金33.3兆円(うち赤字国債25.7兆円)などと「借金財政」だ。

 歳出の内訳は、一般歳出51.7兆円、国債費20.2兆円、地方交付税等16.6兆円となっている。一般歳出のうち半分近い24.8兆円が社会保障関係費である。とにかく社会保障関係費だけは急ピッチで増えている。また、借金増に伴い、国債費も増加している。

 いずれ09年度補正予算が組まれる見通し。したがって、補正後の予算規模は過去最大となるだろうし、国債の大規模な追加発行が予想される。

 09年度一般会計の当初予算をもとにすると、公債残高は09年度末に607兆円程度となり、地方の分を合わせると、重複を差し引いて国・地方の長期債務残高が804兆円程度に達する見通しという。このほかに、財政投融資特別会計国債残高が123兆円程度あるなど債務残高はもっと大きい。

 過去を振り返ると、一般会計の歳出総額と税収との差は1990年ごろを境に大きく広がり出した。いわゆるワニの口のようになっている。その開いた口が2005年度あたりから狭まり始めたものの、08年度からまた開き出した。歳出と税収との差は借金で賄っているから、年々、国債残高の増大に示されるように、国の借金は膨らむ一方だ。いまの経済危機はそれに拍車をかける。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月26日 (木)

WBC優勝・小沢代表やめず・欧米の財政悪化

 侍ジャパンのWBC優勝は最近では唯一の明るいニュースだった。多くの国民は、ハラハラしたが、最後は「やったあ」という気分ではなかろうか。国民は満たされた気分をできるだけ長く味わいたいから、優勝したあとのゲームの回顧、共同会見、帰国の出迎えなど、“続報”も見てしまう。

 しかめっ面をしているよりも笑顔でいるほうが健康にもいいことはわかっているが、ずっと、不景気な話ばかりで、なかなか喜びを笑顔に表す機会が少なかったような気がする。ただ、WBCに関しては、侍ジャパンのメンバーが全員、試合に出場できたのかしらとちょっぴり心配している。一度も出る機会がなかった選手がいたとしたら、内心、さぞ辛かっただろうなと思うからだ。プロはその点、割り切っているとは思うのだが‥‥。

 民主党の小沢代表は秘書が起訴されたが、政治資金規正法違反にすぎないから辞めないと言った。秘書逮捕に関しては、3月4日付けのブログで書いたように、いろいろな視点がある。しかし、小沢代表や民主党が24日に示した対応には、一点だけ納得できない。

 政治資金規正法に違反したら、刑罰は最高懲役5年‥‥という。ところが、規正法に違反しても、それは大したことではないというのが小沢代表の主張であり、民主党の見解なのである。専門家といわれる人たちの中にも、そうした意見の持ち主がいる。しかし、懲役5年に相当するような犯罪をおかしても、別に悪いことをしているわけではないというのはどういうことなのか。法をつくる立場の国会議員が、それを言っちゃあ、お終めえよ、と言わざるをえない。民主党の法治国家観では、最高懲役5年‥‥程度の刑罰を規定した法律はたくさんあるが、それらは皆、破ってかまわないことになるのではないか。民主党の国会議員のほとんどは法遵守を無視し、党の結束を優先しているが、こんな議員ばかりの政党が政権をとったら、何をやり出すか、おそろしくなる。

 オバマ米大統領は記者会見で財政赤字を「私の最初の任期終了までに半減する」(日本経済新聞25日付け夕刊)と述べた。ブッシュ政権から引き継いだ1.3兆ドルに加えて、経済再生策で財政赤字が膨らむ一方だが、財政健全化を意識している。また、欧州委員会はフランス、英国、スペインなどEU加盟5ヵ国の財政健全化目標の達成期限を提案した(同)という。EUには年間の財政赤字をGDPの3%以内に抑えるという財政協定がある。経済危機のため、一時的に3%超を容認したが、元に戻すのがねらいだ。現実には、期限を定めても守れるか疑問もある。

 だが、財政健全化の基本に立ち返るという米欧の姿勢は日本も真似る必要がある。財政赤字が最も深刻な国は日本であることを日本の政治家も官僚もいまや忘れかけているようにみえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月24日 (火)

社会の雰囲気を反映した政労使合意

 23日に麻生総理大臣、御手洗日本経団連会長、高木連合会長らが首相官邸で会い、「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」に署名した。経済危機で深刻化した雇用不安に対して、政府、企業、労働組合が雇用の安定、さらには雇用の創出に一致協力して取り組むことに合意したことを示す。派遣切りなど非正規雇用の問題が社会問題化したことなどを受けて、雇用問題の重要性が社会に浸透した結果だ。労使協調に政府も加わった日本型社会契約と評価することもできよう。

 「雇用安定・創出の実現に向けた5つの取り組み」は、①雇用維持の一層の推進、②職業訓練、職業紹介等の雇用のセーフティーネットの拡充・強化、③就職困難者の訓練期間中の生活の安定確保、長期失業者等の就職の実現、④雇用創出の実現、⑤政労使合意の周知徹底等、である。

 政府が行なう雇用調整助成金の支給迅速化、内容の拡充や、中小企業の資金繰り支援などについては、予算などをつければ実現するだろう。その点で意味がある合意だ。また、経営側が約束したのは「努力する」という類のものだが、日本商工会議所会頭なども同席しているので、オール経済界としての経営側の取り組み姿勢を社会に示したものと言えよう。

 しかし、労働側の取り組みもいろいろ書かれているが、ちょっぴり違和感を感じた。即ち、「労働側は自らの職業能力の開発向上に努力する」、「ハローワークによる指導、援助に応え、誠実かつ熱心に求職活動を行い、就職できるよう努める」、「労働側は新たな事業分野についての理解を深め、労働市場の実態を踏まえた適切な職業選択を行う」という内容は、失業し、求職中の人々になりかわって、連合会長が書いたものだろうか。

 連合は正社員中心の労働組合のナショナルセンターである。基本的には正社員の利益を代弁し、非正規雇用の人たちを事実上無視してきた。その連合の代表が政労使合意に署名し、求職者に対して「ハローワークによる指導、援助に応え、‥‥」などと言うのは倣岸不遜のような気がする。別の言い方をすれば、連合は政労使合意にあたって、ほかのナショナルセンターの意見や就職を支援するNPOなどの意見を聞かないで、自らを全労働者の代表みたいに勝手に思い込んでいるのだろう。

 政労使合意の文書には、ハローワークを重視し、拡充・強化するといった趣旨の内容がさりげなく書き込まれている。繰り返してだ。そして「(経営側は)ハローワークによる職業紹介に協力する」という部分もある。最近は、「官」がここぞとばかり、復権に乗り出しているが、ここにも、そういう構図がうかがえる。日本経団連も、連合も、日本の官僚政治の本質である既得権の維持ないし権限の拡大をわかっていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月21日 (土)

経済危機で最も打撃を受ける先進国は日本というIMF予測

 最近、IMFが発表した世界経済予測によると、先進国の経済成長率は2009年に前年比でマイナス3.5%~マイナス3.0%になるという。そして、2010年には、0.0%~プラス0.5%を予測している。

 先進国経済の内訳をみると、2009年は、米国がマイナス2.6%、ユーロ圏がマイナス3.2%なのに対して、日本はマイナス5.8%と、最も落ち込みが激しい。2010年は、米国がプラス0.2%、ユーロ圏もプラス0.1%とわずかながら上向くのに対し、日本はマイナス0.2%と依然、底を打たない。

 過ぎ去った2008年をみても、米国がプラス1.1%、ユーロ圏がプラス0.9%だったが、日本はマイナス0.7%だったと推測されている。

 バブル崩壊後の失われた10年で、日本は経済構造を改革したかと思いきや、サブプライムローン問題を震源地とする世界的な金融危機と経済危機の余波で、最も深刻な打撃をこうむっているのである。

 IMFによれば、日本は輸出と設備投資の落ち込み、および個人消費の低迷を反映した生産の急激な低下に直面している。金融部門は危機の主因ではないが、経済不振の悪影響を受けているという。

 世界全体の成長率は2008年がプラス3.2%、2009年がマイナス1.0%~マイナス0.5%、2010年が0.0%~プラス0.5%である。世界全体と比べても、先進国と比べても、日本の不振が際立っている。

 輸出に依存する経済体質を内需主体に変えるべきだという意見は、こうした日本の特異体質から来るものだろう。それにはうなづけるものがある。介護などの福祉や環境・エネルギー、農業などの分野を伸ばすことは社会の要請でもある。だが、輸出依存度の高すぎる自動車、電機などの製品の輸出が減るのはよいとして、日本全体として、国内自給率の引き上げを進めるとともに、どうしても必要な原材料などの輸入をまかなうだけの輸出額を確保できないと、国民生活の安定は保てない。

 いま、経済界は30兆円程度の追加経済対策を政府に要請している。政界でも、巨額の09年度補正予算をという声が高まっている。だが、そうした大盤振る舞いへの期待は目先の需要不足を埋めることが中心である。あわてふためくあまり、バブル崩壊後の財政出動と同じように、将来に財政破綻の道しかないような政策をとるのは避けねばならない。現在の急激な経済縮小に対する応急の財政出動においても、叡智を集め、将来を見通したベストの政策を生み出す必死の努力を政府に求めたい。麻生総理大臣が各界の代表からヒヤリングをしているのは結構なことだが、与党・政府がそれを単なるパフォーマンスにとどめるだけでは困る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

砂原和雄著『炎の森へ』を読む

 若い頃、私と同じ公社住宅に住んでいた新聞記者が、定年後、作家になった。砂原和雄氏である。彼が昨年11月に出版した『炎の森へ』を読んだ。日本長期信用銀行の破綻直前に、陶芸家をめざして銀行をやめ、笠間で修業を始めた実在の男性をモデルにした小説である。

 50歳になったら、陶芸家になる道に進もうとしていたのが、勤め先の長銀が経営危機に陥ったため、転進の時期が3年ほど早まった。銀行の同僚だった人たちの人生が銀行の破綻によって大きく変わらざるをえなかったのに比べ、自ら、第二の人生を主体的に選んだ主人公は、並大抵ではない苦労を重ねつつも、積極的に道を切り拓いていく。

 長銀で共に働いた仲間たちにとって、主人公は「われわれ仲間の心のシンンボル」(元頭取の言葉)とも言えるだろうが、著者は、そこに、世間一般の中高年にとっての“希望の星”を見出して作品を書いたことがよくわかる。

 作品から離れるが、高齢化・長寿命化した我が国では、定年などで仕事を終えた高齢者たちの生き方が個人的にも社会的にも大きな問題となっている。同じ高齢者といっても、質素に暮らすだけの収入や資産がない人もいれば、豊かでぜいたくな日々を過ごしている人もいる。また、街を歩いていると、身体が不自由で歩くのも大変な人をよく見かける。それに、老夫婦の片方が病気などで苦しみ、元気なほうがそれを支えるのに疲れて余裕をなくしてしまうという話も知人、友人から聞くことがちょくちょくある。

 高齢者が健康で、意欲的な生活をおくるには、さまざまな条件をクリアせねばならないが、その一つは、定年のない仕事に就いている人は別として、仕事とは別の生き甲斐というか一生続く趣味、楽しみを若い頃から持つことだ。社会貢献の活動もいい。それは人生を彩り、時には仕事を助けることもある。情けないことだが、自分が年をとってみて初めてそれを実感した。山登りが好きだとか、俳句が好きだとか、絵を描くのが趣味だとか、地域の子供の野球チームで世話をするとか、いろいろあるだろう。

 かつて三井銀行の頭取を務めた小山五郎氏は絵を描くのが趣味だった。仕事でおもしろくないことがあっても、家でキャンバスにむかうと、心が落ち着いたという。彼のおじさんが著名な仏文学者で、テニスが趣味だったが、身体をこわし、テニスができなくなった。そのおじさんが「テニスができず退屈。その点、五郎くんがうらやましい。健康を害しても絵は描けるから」と言ったそうだ。

 さらに余談をすると、かつて通産省OBで政府系金融機関のトップに就いた人は老後を考えて俳句を趣味にしたという。なぜなら、「寝たきりになっても、退屈しないのにうってつけと考えた」と語っていた。私の同世代の知人で、口もきけず、手足も動かせない状態になった人は、妻の手助けで、まばたきだけで字を選び、俳句を詠んでいた。数年前に亡くなったが、最後まで前向きに生きた人だった。

 仕事も趣味もプロ並みというすぐれた人はそうそうはいない。若い頃から、趣味に生き甲斐をおぼえる人は、職場では必ずしも歓迎されない。二兎を追う者一兎を得ず、ということもあるからだ。だから、著者の砂原氏にしても、「封印」していた自分のやりたいもう一つのことを、60歳になってからやり始めたのだろう。

 高度成長の時代やバブル崩壊後の長期経済停滞などを経て、2000年以降に高齢者の仲間入りをした人たちの中には、砂原氏のように、いきいきとした第二の人生をスタートした人が少なくない。また、長生きで、60歳代や70歳代で若々しい人がたくさんいる。彼らは、スポーツであっても、かなりの能力を持続している。少子高齢化のもとで、現役世代にお世話にならない高齢者が増えるのは、社会を変えることにもつながるように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月19日 (木)

イスラム世界と民主化

 邦訳『変わるイスラーム  源流・進展・未来』(藤原書店)の著者、レザー・アスラン氏の記者会見を聞いた。イスラムと民主主義はなじまないという意見も強いが、それは間違いだという。そして、中東の専制的な国家の下で、人々の多くは民主主義がベストと信じており、住民に投票などを通じて政治参加を認めれば、過激派は力を失うと述べた。

 パレスチナのハマスについても、それは同様で、民主的な政治プロセスに参加させ、失敗を経験させることが必要だという。

 米国のブッシュ前大統領の外交・軍事政策は間違いだらけだったが、アスラン氏は「ブッシュが対中東政策で唯一、正しかったのは、真の民主主義改革をすれば、過激派の根を断てると主張したことだ」と指摘した。

 アスラン氏によると、イスラム世界では、20年前なら、若者はどうしたらいいかで悩んだときはイマームに聞きにいった。そして、その解釈を聞いて、それを受け入れるか否かを自分で決めたという。当時は一握りのウラマーが解釈する権限を握っていた。ところが、今日、インターネットの普及で、悩んだときはネット上にあるさまざまな解釈を読む。そして、その中から自分で答えを見出すという“個人化”の時代になった。イスラム世界の宗教改革だという。

 また、イランについて、「民主化を遂げた国だが、まずい民主国家」だと指摘した。30年かけて最も自由かつフェアな選挙をおこなうようになったが、影のように選ばれていない人が支配する体制だという。その意味で、イランと一番似ているのは中国だと述べた。そして、米国の対イラン政策がイランの専制主義を生き延びさせているとの見方を示した。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月16日 (月)

規制緩和を一概に否定するな

 ときどき散髪をしてもらいに行くが、東京には10分程度でやってくれる千円カットの店があるので、もっぱらそこを利用している。

 かつては理髪店といえば、洗髪をしてくれたり、ひげをそったりしてくれ、行くと、途中で眠くなったものだ。ゆったりした分、料金も何千円と高かった。当時は、業界に参入規制があり、かつ理髪店は地域で協定料金を定めていたので、消費者は価格が高くてもそれを受け入れるしかなかった。それが規制緩和により、新規事業者は届け出れば開業可能になった。

 その結果、理髪だけに限り、短時間でやるというビジネスが出現し、定着した。ひげをそるとか、洗髪するとかは自分の家でやれば、おカネはかからないから、消費者にとってはありがたい。忙しい現代人にマッチしたビジネスモデルである。

 ただ、既存の理髪店(床屋さん)には、千円カット店の出現は自分たちの生存を脅かすものとうつる。このため、県によっては、理髪店の組合である理容生活衛生同業組合が千円カット店は衛生上、問題があるとして、洗髪設備の設置を義務化する条例をつくるよう求めている。

 一般に規制といっても、いろいろある。国民の命を守るための規制などは必要に決まっているが、他方で、既存業者の権益を守るとか、役所の職員の権益を守るというものもある。ところが、最近は、規制緩和というと、新自由主義とやらと一緒くたにして、すべて日本を悪くした元凶みたいな扱いをされる。

 しかし、規制の緩和や撤廃というと、十把一絡げで消費者や生活者にとっていけないことばかりだろうか。以前から言われていたように、サービスを供給する側の既得権益を打破し、競争を促進するとか、生活者、消費者にメリットを与えるという点を大事にしなくていいのだろうか。

 16日付け日本経済新聞朝刊の「経済教室」に「サービス拡大へ規制緩和」という見出しの記事が載っている。筆者は鈴木亘学習院大学准教授で、介護・保育には大量の潜在的な需要があり、それに応えるには既存供給者の既得権益を打破する規制緩和を実施すべきだと主張している。「昨今、一部で悪名が高い規制緩和こそが、財源が乏しい中で、最も理想的な景気・雇用対策なのである」と言う。

 私たちは宅配便をひんぱんに利用するし、コンビニで払い込みをしたりする。いま当たり前のように思っているサービスやビジネスなどを調べたら、規制の緩和・撤廃のおかげで実現したものが多いことに気付くはずだ。製造業の派遣切りといったいくつかの現象を根拠に、多角的な検討もしないまま、一方的に規制緩和を断罪するのはいかがなものか。

 まさに政治にそれが欠けているところだが、冷静にさまざまな角度から問題を検討したり、議論したりする風土がいまの日本社会には必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月12日 (木)

与謝野財務大臣の心変わり

 自民党の中で財政健全化の旗振り役をしてきた与謝野馨財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融・経済財政政策担当)が、現在の経済・金融危機に直面して、財政健全化の旗を完全に降ろした。

 昨年には、サブプライム問題の日本への影響は蜂の一刺しか二刺し程度と言っていたのが、3月10日の記者会見では、「今は世界各国が合意しているように、経済回復のためにはあらゆる政策手段をとるという一般的な合意に沿って活動しようと思っています」と述べた。赤字国債の発行も容認するのかとの質問に対して、「あらゆる手段を容認するという意味です」と答えている。

 ここで思い出すのは、1997年秋に橋本内閣のもとで成立した「財政構造改革の推進に関する特別措置法」と、その後である。同法は2003年度までに国と地方の年度財政赤字をGDPの3%以下にする、赤字国債の発行をゼロにする、という内容だった。そのとき、与謝野氏は官房副長官として梶山官房長官を支え、同法成立に努めた。だが、その後の経済危機で、同法は1998年5月に改正され、改革は事実上、棚上げされた。そして、小渕内閣のもとで、財政構造改革停止法が成立し、公共事業を中心とする財政の大盤振る舞いが行なわれた。それが、財政危機をもたらし、今日、さらに危機は深刻化している。

 それなのに、与謝野大臣は、小渕内閣時代に戻るしかないと言っているのである。歴史は繰り返すというが、与謝野氏は、今回の皮肉な役回りをどう思っているのだろうか。あるいは、何とも思っていないのかもしれない。

 昨年8月、まだ福田内閣のとき、経済財政担当大臣だった与謝野氏は「大変緊急を要する事態に直面したときに、それに対応するような行動予算が必要か、あるいは財政規律が必要か、二者択一になることはありうる。そのときは、どっちかをとるという話ではなくて、両方少しずつとるという話ではないか」、「何より大事なのは、バラマキに至らない、ケインズ的にお金を使わない、そういう経済対策でなければいけない」、「単に有効需要を創出することだけを目的にしたお金の使い方ではいけない」と言っていた。

 今回の経済・金融危機を想定したかのようにも受け取れる発言である。だが、その後の与謝野大臣の発言は相当にぶれている。内外の急激な状況変化に追従しているだけのようにみえる。3月10日の発言はかつての借金王、小渕首相を連想させる。

 同氏は記者会見でも国会答弁でも誠実かつ当意即妙の受け答えをするので、与野党の中でも評判がいい。しかし、どうも、内外情勢の認識は官僚からの受け売りのようにも思える。100年に一度の危機をトータルにとらえ、日本国の歩むべき道を指し示す深みのある話を聞きたいと願うのは無いものねだりであるらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

魚心あれば水心の巨額献金

 舛添要一厚生労働大臣が6日の記者会見で、自らが受ける政治献金について、次のように語っている。①ほとんど献金をもらっていない。ちょっと恥ずかしいくらい少ない。②カンパで3千円とかくださることがある。ありがたいということできちんと名前を確認する。③5万円を超えるような多額のときは必ずチェックして、怪しい団体じゃないか見るようにしている。

 舛添大臣は参議院の比例代表であり、タレント性もあるので、選挙には強い。自民党の衆議院議員などと違って、政治活動のために必要なカネは少なくてすむだろうし、それほど献金に頼る必要はないかもしれない。彼は政治献金に関する限り、与党の政治家としては例外的なほうに属すると思われる。だが、舛添大臣の言うように、多額の献金を受けるとき、相手が何者か、献金のねらいは何かを確認するのは、政治家であれば、誰もが当然にやるべきことではないだろうか。

 見ず知らずの政治団体が見返りも何も求めず黙って何百万円も政治家の資金団体に献金するなんてことはありえない。どぶに捨てると同じだからである。だから、本当は誰が献金するのかを政治家側に必ず伝えると考えるのが自然だ。そして、政治家側も、献金の真の出し手が誰か、何のためかをも知らずに、あるいは知ろうともせずに、特定の者から巨額の献金をホイホイと受け取るのはありえないし、あったとしたら、明らかに異常な神経の持ち主である。

 秘書が政治資金規正法違反で逮捕された小沢一郎民主党代表は検察のやりかたを批判しているが、それよりも、彼の言い分を前提にすると、わけもわからない団体からホイホイ巨額の献金を受け取った自らの非常識さを恥じるべきだろう。西松建設からであることを知らずに受け取ったなどと合法性を強調するのは誰が考えても詭弁である。

 その点に関しては、昔、自分が所属していた自民党の金権体質につかったまま今に至っていると言えるかもしれない。クリーンなイメージを民主党が打ち出そうとしているのに、その代表が政治にカネがかかるという意識で大口の企業献金を無造作に受けるのは、ちぐはぐした感じだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月 9日 (月)

ノーベル賞受賞者、益川敏英さんの「金融工学」論

 益川敏英さんといえば、一風かわったオジサン。ノーベル賞受賞者らしからぬひょうきんな人柄は、周りの人をほんわかとした楽しい気分にする。

 9日に日本記者クラブで生い立ちから大学院の頃までをいろいろ話したが、質問に答えて世界経済危機を招く大きな要因となった金融工学について、およそ次のように答えた。(ただし、私はそっちの分野の基礎知識すらないので、間違いがあるかもしれない。)

 「金融工学といっても、あれは簡単なもの。拡散方程式です。パラメーターがたくさんあるから、難しそうにみえるだけ。政治状況が変わったりすれば、パラメーターを変えねばならない。でも、そういうことを知らない人が、高級なコンピュータから出てくるのだから、間違いないと思ってしまう。銀行はそんなことがわからないわけがない。おかしいものが何%混じっているかがわかれば、そんなに心配することはないはずだ。」

 また、現代の若者についてどうみているかを聞かれて、こう答えた。「いまの若者には、はちゃめちゃなエネルギーを感じない。教育において、いい子チャン方式が多すぎる。お互いに切磋琢磨するものがない。(試験の点数のように)数値化されたものだけで上(の学年や学校)に進んでいく。」

 大学入試のセンター試験などについては、「我々がかつてやったように、出題の下に空白の解答欄を設け、解き方を書かせたほうがその人の実力がわかる。今日の受験勉強方法では、わからない問題はスキップせよと教えている。これはよくない。入試はシンプルにし、考えさせる出題にすべきだ。」という趣旨のことを述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 8日 (日)

ROE(株主資本利益率)の影響

 株式市場における投資のものさしは企業の経営に影響を及ぼし、経営のやりかたを変える。

 高度成長時代までの日本の株式市場では、株式配当は年1回、額面の1割が当たり前だった。額面はほとんどの企業が50円だったから1株につき年5円の配当である。増資するときは株主割当で、払い込みは1株50円という額面増資であった。株価がいくらだろうと、また、資本金以外の準備金など内部留保がいくらあろうと、株主から預かっているのは資本金だけと考え、1株当たりの配当は5円というのが常識だった。

 間接金融中心だったので、資金調達は主に銀行からの借り入れに依存していた。しかも、総資産に対する資本金の割合はきわめて低かったから、経営者は株主については、持ち合い中心の大株主のことしか頭に無く、株主総会もさっさとすませることぐらいしか考えなかった。

 その後、株式の時価発行が徐々に広がるが、それでも、まだ、配当は1株につき5円ないし若干の増配がほとんど。時価発行増資の払い込み価格と額面(50円)との差額は会社のもうけであり、株主のものだとは思わなかった。ついでに言えば、その延長線上で、上場企業は1980年代後半のバブル時には、時価発行のファイナンスで“資金コストがタダ”のカネを手に入れ、銀行借入金をせっせと返済した。優良貸付先を失う金融機関は不動産開発などにやたら貸しまくった。バブル期の高い株価をどう説明するかで、当時の証券会社は企業の土地などを時価評価した1株当たりの解散価値を持ち出したりした。 

 こんなことを思い出したのは、原丈人著『21世紀の国富論』を読んだからである。株価を決める要因は時代によって異なる。それが絶対的な真実ではないにもかかわらず、人々はそれを所与のものとして判断し、行動する。

 同書で問題としている1つがROE(株主資本利益率)である。原氏によれば、資本の回転率を上げる道具であるはずのROEそのものを目的にすると、分子の利益を大きくするのではなく、分母の株主資本(資産マイナス負債)を小さくするという考え方になりがち。人件費を減らし、資産を小さくするには、工場を持たず、外注がいいことになる。しかも、時価会計、減損会計の導入により、資産を持たないほうが地価や株価の下落による影響を受けなくてすむということになった。 

 ROEが株価と強い相関を持つようになり、「会社は株主のもの」という考え方をとると、企業経営にとって、株価が上がること、時価総額を大きくすることが至上命題になる。しかし、「リストラによってROEを上げ、メディア受けのするIRを駆使し、有力なヘッジファンドが株式を買えば、企業の時価総額は上がるかもしれません。しかし、その見返りとして大切な内部留保をヘッジファンドに配当金として分配してしまえば、、将来への投資が行きわたらず、企業や経済は競争力を失う結果となります」。原氏はそう指摘する。

 日本でもROEが投資判断の大きなものさしになってきているが、それが企業経営、ひいては産業の競争力に悪影響を及ぼしているという指摘はうなづける。

 日本にも大きな影響を及ぼしたヘッジファンドのような「にわか株主」については、すぐには持ち株を売却できないように制限するとか、長期保有する株主に多く配当する仕組みにするとか、封じ込め策を講ずるよう同書では提案している。

 ところで、時価会計、減損会計は投資者サイドに立ったルールであり、「リスクをとって新産業を創造する意欲をもつ事業家の視点からつくった会計基準ではありません」という。私もそう思ってきた。日本では、そうした重要な会計ルールの転換が何らの議論もなく、大蔵省(現、財務省)の判断で行なわれ、会計学者、公認会計士、経済界などから異論が全然出なかった。そうした反省をも込めて、日本の会計基準作成に関わる人たちは、望ましい会計基準とは何かを考え、それを世界に向けてもっと主張しなくてはならない。

 しかし、国際会計基準作成に関わる人によれば、「日本の主張を英語でどんどん発言し、欧米の人たちを説得できる人材がいない」と言う。国益を踏まえて米欧の人々と対等にわたりあえる人材を育ててこなかった弊害がこういうところにも現われる。いささか美化されたとはいえ、白洲次郎のテレビドラマが放送されている。白洲のような骨太の国際人を育てることは、こういう分野においても必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 7日 (土)

「人財力」の劣化が心配

 3月3日の経済財政諮問会議は成長戦略を集中審議するとして、まず、健康長寿、底力発揮(人財力)、底力発揮(コンテンツ)の3つを取り上げた。民間議員からは、戦略的に重要な分野を支えるための「人財力」、技術力を高める観点から、「非正規労働者を含め、若手・中堅を中心とした人材育成の強化や、新しいフロンティアを生み出す研究基盤の整備に官民あげて取り組むべきである」として4つの論点が提示された。

 第1に、「企業等における人材育成の強化、特に非正規労働者の能力開発を社会全体で支援していく取組を強力に進めるべきではないか」。第2に、「世界最先端の研究を支えるハード・ソフト両面にわたる研究体制の刷新を進める必要があるのではないか」。第3に、「理数・英語教育、キャリア・職業教育の充実、世界をリードする大学としての機能強化を推進すべきではないか」。第4に、「博士課程修了者が十分に活用されていない問題について、大学や産業界等の関係者で、原因の分析とともに解消策を検討すべきではないか」。そして、それぞれの論点に対して、推進方策を数項目ずつ示している。

 例えば、論点1では、離職者に対する生活費支援付きの職業訓練システムなどをあげており、論点2では、「環境エネルギー技術革新特区」の創設など、論点3については、小学校の理科、算数、英語の教育の強化のための人材確保(外国人を含む)などをあげている。

 だが、日本の「人財力」を向上させようとするなら、もう少し、子供の頃からの、しつけ、“読み書きそろばん”といった基礎的な知識の習得、社会や自然との関わり、仕事・働くことの意味、そして学ぶことの大切さ、などを身に付けるように、政府をはじめ、小学校から大学までの教育機関、地域、家庭などがこぞって取り組むようにすることが必要ではないかと思う。

 地方の私立大学で教えたとき、そこの大学4年生で新聞を読む者は皆無に等しかった。新聞の1面にあるコラムを読ませたら、字が読めない、読めても意味がわからないという学生がほとんどだった。また、分数と小数の転換がわかっていないとか、距離と時間と時速の関係が理解できていない学生も多かった。そして、いまでも強烈に記憶しているのは、9.11の同時多発テロが起きて3、4日経ったときにクラスの学生にたずねたら、事件そのものがあったことすら知らない学生がいたし、どこで何が起きたのか、誰がやったのか、などについてきちんと理解している者は一人もいなかったことである。

 どうして、こんなに学力が低いのか。また、社会への関心が低いのか。それは、小学校か中学校の頃に、もう勉強がわからなくなり、学ぶ意欲を失ったまま、高校、大学へと上がってきたからだろうと思う。少子化で大学に入りやすくなり、必死に受験勉強をしたことがない生徒・学生が増えているのだ。

 そもそも義務教育のときに、授業が理解できなかろうと、トコロテン式に卒業させるのがずっと続いている。そうした問題点を解消するためには、授業がわからない生徒を相手に個別に教えるとか、学校外のプロの協力を得たりして生徒の興味をひくような授業をするなどの改善が必要である。彼らはケータイをやすやすと使いこなしていたように、知能は必ずしも低くはないが、勉学意欲が全くないのである。

 携帯電話は深く彼らの日常に入り込み、若者の多くは1日に何時間もケータイに費やしている。大人もそれに似てきていて、空いている時間に、一人で考え事をしたり、書物を読むという人は少なくなっているように思える。若者も大人も、アタマを使う、知的な時間の過ごし方を苦痛に感じるようになっているからだろう。

 若者の多くは身近の些事にしか関心がなく、外国など遠いところとか、過去の歴史、未来には関心が乏しいようだ。つらくても、頑張っていれば、よい結果が得られるかもしれないという類いのものにはあまり耐えられない。仕事も、自分の意に染まないときには、がまんせず、さっさと辞めてしまう傾向がある。

 現代は、親のしている仕事が何か、それが社会にとってどんな意義があるのか、が子供の目にみえにくい。だから、就職し、働くことの意味を体験し、実感してもらう、あるいは仕事をしている人たちの苦労話や喜びを若者にわかってもらう仕掛けが必要である。

 ところで、派遣切りで製造現場の仕事を失った人たちに対し、再就職のための職業訓練が行なわれている。そうした職業教育の現場では、座学に耐えられず、動き回る人が少なくないという話を聞いた。いま、小学校で起きている現象と同じだ。なにかと言えば、人的資源を誇ってきた日本で、「人財力」の劣化が進行しているわけだ。  

 一方で、義務教育は平等主義で、できる生徒とできない生徒とを一緒の教室にして教えるから、できる生徒には物足りない。飛び級を採用し、英才教育を行なうということは考えもしない。しかし、世界に羽ばたくような「人財」をできるだけ増やすには、底上げと並行して英才教育を導入すべきだろう。

 思いついたことを羅列したが、日本の「人財力」を高めるには、諮問会議の論点以前の論点を片付けなければならないのではないか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 4日 (水)

小沢代表の公設秘書逮捕

 民主党の小沢代表が西松建設がらみで検察に狙われている、という話を聞いたのは2週間ほど前だった。政界の情報通にはかなり前からそうした噂が流れていたようだ。

 麻生首相の支持率が末期的な低水準に落ち、このままでは総選挙での民主党の勝利がほぼ確定的と思われるこの時点で、検察庁が政治資金規正法違反の容疑で、小沢氏の公設第一秘書を逮捕したというのをどう解釈すべきだろうか。

 第一に、小沢氏の言うように、不公正な国家権力、検察権力の行使という解釈もできる。権力の濫用というわけだ。国内の政治・社会情勢をみれば、年内に民主党の天下になる可能性が大きい。そこで、小沢発言を拡大解釈すれば、自民党・政府が検察を使って不当な弾圧をしているという受け止め方もできなくはない。

 過去に指揮権発動もあったように、時の政権が検察を押さえ込むこともありうる。検察のほうも政治的な判断をする。とはいえ、日本の検察の歴史からみて、政権の座にある者が検察に暗黙にせよ指示をして無理矢理に捜査をさせるということは考えにくい。田中角栄逮捕にしても、検察の判断を、時の総理大臣が尊重したにすぎない。

 第二に、当たり前のことだが、検察が自らの判断で捜査に乗り出したという解釈である。その場合、この政治の季節に、なぜ次の首相の有力候補である民主党のリーダーをねらったのかだ。検察は見逃せないほどの違法行為であること、一部で時効が来ることを理由に挙げているようだが、推察するに、もう一つ、小沢氏が総理大臣になってからでは、小沢氏を標的に捜査を始めるのは非常に難しいという理由からだろう。

 しかし、小沢氏を政界から間違いなく追い落とすような証拠をにぎっていなければ、検察庁はきわめて危うい立場に立たされる。民主党が政権をとったときに、検察は報復される。ということで、検察は有罪と断ずるだけの非常な確信を持っていると推測できる。そこがあやしかったら、この政治の季節には手を出さないのではないか。

 それはそれとして、検察は自ら描いたストーリーに合う証拠を集めて有罪に持っていく傾向があるといわれる。したがって、ひとたび着手した以上、事件捜査から手を引くことは考えられない。西松建設がらみでは、長野県知事の側近が事情聴取を受けたあと自殺したという暗い話もあり、小沢氏の関係では公設秘書逮捕のあとに、第二、第三の逮捕者が出るかもしれないとも思う。

 捜査は当然、何ヵ月にもわたるだろう。小沢氏が代表の座にあり続けることが、結果的に民主党の命取りにならないとも限らない。民主党にとって大きな試練である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 1日 (日)

伯野卓彦著『自治体クライシス 赤字第三セクターとの闘い』

 青森県大鰐町、長野県飯綱町、北海道芦別市、赤平市。これらは、バブルの時代やその余熱があった時期に、第三セクター方式でリゾート施設、テーマパークなどに巨額の投資を行なったり、市立総合病院を大規模化・新鋭設備化したりし、その後、経営不振で借金の重圧にあえいでいる自治体である。

 伯野卓彦著『自治体クライシス 赤字第三セクターとの闘い』(09年1月刊、講談社)は、これらの自治体のあえぎが聞こえてくるようなルポルタージュであり、背後には、夕張市のように破綻しかねない自治体がたくさんあることが行間から読み取れる。

 折りにふれ、新聞などで伝えられる夕張市のその後は、それを読む者にも、逃げ場のない苦しさを感じさせる。本書も同様である。もちろん、苦しい中で必死に努力している人たちには頭が下がる思いがする。しかしながら、一方で、どうして、こんな馬鹿なことが起きたのか、誰の責任か、責任者はその責任をきちんととったのか、などを明確にする作業が絶対に必要であると痛切に思う。

 それについての私の意見を言えば、第1に、自治体および住民の、いざとなったら国が面倒をみてくれるという高度成長時代から続く甘え、および、それと裏腹の関係にある自治体の経営感覚欠如である。地方自治には自己責任が伴うが、自治の基本が確立していない。情報を公開し、議会および住民がきちんと議論し、納得するステップを踏まず、簡単においしい話に飛び付いている。リスク感覚がゼロに近いのである。

 自治体は、第三セクターの債務について、金融機関と損失補償契約を結んでいた。それが何を意味するかも、自治体はほとんど知らなかったようだし、知っていても、第三セクターが破綻して、借金をすべて肩代わりして返済せねばならない時が来るなんてことを全く想像していなかった。まして、住民はそうだったろう。

 自治体と第三セクター設立で手を組んだ民間企業のほうも、相当おいしいことを言って自治体を丸め込んでいたと思われる。でも、それだからといって、自治体および住民の負うべき責任、負担が軽減されるわけではない。

 第2に、j地方自治体の味方のようなふりをしながら、国の行政機関として自治体を支配し続けている総務省(旧自治省)の行政である。同省は、補助金や交付金などで自治体の活動をコントロールし、自治体および住民の主体性確立を妨げてきた。したがって、いまだに地方自治体および住民の国に甘える意識は変わらない。真の地方自治が実現すれば、総務省はほとんど要らなくなる。そうならないように、自治体を生かさぬように殺さぬようにしているのが総務省の客観的な役割である。

 もちろん、個々の地方自治体は万能ではないから、ベストを尽くしたとしても、予測不可能な事態に直面し、お手上げになることもある。それに備えて財政面の蓄えを十分にしておくとか、緊急に国が新立法で救済する必要もあるだろう。しかし、平時には、国は地方自治を貫く方向にもっていくべきだ。さもないと、自治体は性懲りなく国に甘えようとする。中央政府が真の地方自治をめざす自治体および住民を支援するように、政治自体を変える必要がある。

 著者は、「おわりに」で、責任の所在は国にあるのか、自治体の幹部にあるのか、住民にあるのか、バブルの時代のせいか‥‥、おそらくそのすべてだと思うと書いている。そして、長期戦略を立てられないこの国の構造的な問題が根っこにあるような気がしてならないと指摘している。しかし、責任の所在を一億総ざんげのようにあいまいにするのには賛成しかねる。

 いずれにせよ、なぜ、こうしたことが起こったのかを徹底的に解明することが望ましい。それが行なわれれば、責任の所在も、今後の対応策も、明確になる。日本の行政および政治がそれを避けていては、簡単に過ちを繰り返すだろう。 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »