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2009年6月25日 (木)

「足利事件」と「裁判長のお弁当」とを考える

 1990年に起きた幼児殺害事件で有罪とされ、無期懲役が確定し、服役していた菅家利和さんが最新のDNA鑑定の結果、無罪であることが明らかになり、釈放された。こんな無茶苦茶なことがどうして起きたのか、がきちんと検証されなければならないが、先だってブログで紹介した東海テレビのドキュメンタリー「裁判長のお弁当」を見たときに感じたことを書く。

 このテレビ放送によると、地裁の裁判官は、かつては必要とあれば、自ら事件の証拠調べをしていた。しかし、近年は担当件数が多すぎて、それをしなくなった。結果として、裁判官はもっぱら調書などの書類から判断するという。朝から晩まで、書類を読むことが多いわけだ。

 ところで、警察・検察が起訴した刑事事件はほとんどが有罪となっている。自白と証拠(物件)に基づいてがっちりと構築された書類からは、すぐれた裁判官といえども、被告が無罪だという結論にはなかなか達しようがない。もちろん、裁判官は被告の弁護側の書類をも読むが、それはもっぱら量刑の重さを決めるのに影響するのではないかと思う。

 したがって、検察が起訴した事件はわざわざ裁判官が独自に証拠調べするまでもなく有罪だという思い込みが裁判官にひそむようになっていてもおかしくない。テレビを見てそう思った。

 先ごろ、最高裁を見学した。そのとき、最高裁判事の一人に話を聞くことができた。その人の仕事も、ほとんど書類を読むことだった。二、三十センチにも及ぶ書類の束がいくつも机上にあり、それらを同時平行的に読んでいるということだった。最高裁と地裁とは機能が違うから、単純な比較はすべきでないが、常時、何件も抱え、それらの書類に取り組んでいるのは同じだ。それだけに、捜査段階を担う警察がどのように被告が犯人であるという確証を得るにいたったかというプロセス自体についても、それが適切だったかどうか、思いをはせることが裁判官には求められるような気がする。

 冤罪の発生を防ぐには、自白を強制することがないように、取り調べの録画、つまり可視化が必要である。また、裁判員制度により、裁判官の書類偏重を少しでも是正できるのではないかとも思う。

 「裁判長のお弁当」は忙しい裁判官の日常を描いていたが、裁判に新たにかかる件数は時代によって増えたり減ったりしている。03年から07年までだと、民事・行政、刑事などはかなり減っている。そうしたトレンドが何を意味しているか、また、裁判官の仕事にどのような影響を及ぼしているか、などを知りたいものである。

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2009年6月24日 (水)

最後?の“骨太の方針”

 政府の「経済財政改革の基本方針2009~安心・活力・責任~」(「骨太の方針」)が23日の閣議で決定された。「短期は大胆、中期は責任」との観点から、財政健全化を推進し、財政健全化目標を次のように定めた。

 「①国・地方の債務残高の対GDP比を基本目標と位置づけた。これを2010年代半ばにかけて少なくとも安定化させ、2020年代初めには安定的に引き下げる。②今後10年以内に国・地方のプライマリーバランス(PB)黒字化の確実な達成を目指す。また、利払い費を含む財政収支の均衡を視野に入れて収支改善努力を続ける。③まずは景気を回復させ、5年を待たずに、国・地方のPB赤字(景気によるものを除く)の対GDP比を少なくとも半減させることを目指す。ただし、世界経済等の流動的要素にかんがみ、時宜に応じた検証を行う。」

 しかし、この「骨太の方針2009」は、社会保障費の自然増を抑制(年度ごとに2200億円)するというこれまでの政府の方針を撤回しているし、「昨年度とは異なる概算要求基準を設定し、メリハリの効いた予算編成を行う」と述べている。与謝野財務相は党内のばらまき圧力で後退するばかり。総選挙を前にして、財政健全化の前途は一段と険しくなった。

 小泉政権のもとでは、経済財政諮問会議が改革志向を鮮明にした「骨太の方針」をつくり、それを与党や政府に押しつけることができた。だが、ポスト小泉では総理大臣の強力なリーダーシップがないため、改革の揺り戻しが始まっている。おりしも、総選挙で自民党が下野する可能性は日に日に高まっているから、「骨太の方針2009」も短命が予想される。

 ただ、財政悪化の進行は民主党が政権の座に就こうと変わらない現実である。既得権益のしがらみが自民党よりは少ないから、財政改革をやる気になれば、民主党は相当のことができるはずだ。そこに期待するしか道はない。

 

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2009年6月23日 (火)

セブンーイレブン・ジャパンに欠けていたこと

 日本人のよき慣習の一つに、食事前の「いただきます」と食事をすませたときの「ごちそうさま」という言葉・しぐさがある。食事をつくってくれた人への感謝の気持ちや、素材である米や野菜、魚などを育てたり獲ったりした人々への感謝であると同時に、それらを超えた神に対する感謝を示している。ご飯茶わんに一粒も残さないように食べるのも、そうした感謝の気持ちとつながっている。「もったいない」という感覚はそれと表裏一体である。

 日本で一番のコンビニであるセブンーイレブン・ジャパンが加盟店に対し、販売期限が迫った弁当や総菜を値引きして販売しないように強制していたとして、公正取引委員会が22日、独占禁止法違反として排除命令を出した。これは、不公正取引というビジネスの観点からとらえるだけでなく、コンビニというビジネスモデルのありかたを改めて考えてみるいい機会のように思える。

 値引き販売しないと、売れ残って廃棄した分の仕入れ原価がまるまる加盟店の負担になるし、廃棄物処理費用も相当かかる。これに対し、値引き販売すれば、売り上げ収入が増えて加盟店の採算にプラスになる可能性が大きいし、捨てる量が減る分、処理費用は少なくてすむ。それに、「もったいない」に表現されるように、大量に捨てることへの心理的抵抗もある。公取委の排除命令は、後者を支持するものである。

 セブンーイレブン・ジャパンは値引き販売を認めると加盟店間の値引き競争になりかねないと主張しているという。しかし、コンビニで働いた人が廃棄量の多さに驚くように、大量生産ー大量消費ー大量廃棄のビジネスは資源・環境問題の深刻さを考えるともはや許されない。そういう時代認識がセブンーイレブン・ジャパンには欠けているらしい。

 余談だが、食品廃棄物を農業でたい肥などとして使って、できた野菜などを自社のレストランで使うというのを自慢するレストラン、ホテルなどがある。これなども、そもそも廃棄物を出さないというくらいの工夫をしているかといえば、疑わしい。3R(Reduce、Reuse、Recycle)が示すように、まずReduce(排出削減)が第一に求められるのである。

 個人的にはコンビニを利用することは皆無に等しい。それはそれとして、コンビニは便利さの象徴とも言うべき存在である。だが、気になることもある。かつては朝7時から夜11時まで営業していたのが、いまでは24時間営業だ。深夜の利用者も少なくはない。しかし、深夜も続けて営業することへの疑問も京都から提起されている。社会にとってプラスだけでなく、マイナスもいろいろあるからだ。

 現代の先進国は、商品・サービス・エネルギーの大量消費や利便性などを追い求める成長優先の発想から、生活の質、ワークライフバランス、省エネ・省資源、環境保全などを重視する方向へ転換しつつある。そういう時代の流れを踏まえれば、コンビニ業界としても、利便性を強調するだけでなく、時代に即した社会的、経済的な責任は何かという視点でビジネスのありかたを根本から見直すべきではないかと思う。

 セブンーイレブン・ジャパンはコンビニの経済性をとことん突き詰めた点ですごいが、未来志向でCSRを深く追求することが望まれる。

  

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2009年6月20日 (土)

世界初の「温暖化ガス時計」がNYに

 地球温暖化を引き起こす温室効果ガスが大気中にどれだけあるか、そして、それが時々刻々どれだけ増えているか。人の目には見えない、この温室効果ガス(ストック)の現在値をデジタルカウンターで表示する掲示板が18日、ニューヨークの街中、33丁目7番街に登場した。

 20mを超す大きな縦長の掲示板には、「Know The Number」(数値を知ろう)と書かれ、CO2に換算した温室効果ガスの現在値が示されている。3兆6421億‥‥トンという数値が読める。いま見ると、1秒間に約800トン増えている。

 設置したのは、ドイツ銀行グループの資産運用会社であるドイチェ・アセット・マネジメント社(DeAM)。人はCO2のような、目に見えない温室効果ガスは意識しない。しかし、数値で見える化することで、気候変動問題に関心を持ってもらい、人々が排出削減に努めるようになってもらいたいというのが目的という。資産運用会社は排出権取引にも関わるので、PRのねらいもあるだろう。

 この世界初の「温暖化ガス時計」のカウンターはネットでも見ることができる。(www.know-the-number.com)

  このブログで紹介したことがある「借金時計」と違い、この「温暖化ガス時計」の絶対値を見ても、一般大衆はその大きさの意味がピンとは来ないだろう。ただ、大気の中の温室効果ガスの量がいかに急速に増大しているか、は実感するのではないか。

 地球温暖化など気候変動の影響を抑えるには、京都議定書のような政府間の取り決めだけでなく、さまざまな主体がそれぞれ自分の知恵と工夫で温暖化防止などの対策に取り組むことが求められている。日本の企業にも、ドイツ銀行グループのように独自の取り組みを行う企業が出てくることが望まれる。日本の政府も企業も、目先の温暖化対策にすら消極的な姿勢を示すようでは、環境立国などと広言するのはおこがましい。

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2009年6月18日 (木)

党首討論での財源をめぐる相違点

 17日、国会で行われた麻生首相と鳩山民主党代表との党首討論では、社会保障費などの増大を賄うのに、財源をどこから見つけ出すかで意見が分かれた。首相は3年後、経済が好転した段階で消費税を含む税制の抜本改革を行うと述べた。社会保障費をきちんと確保するには、消費税増税が避けて通れないと、かねての主張を繰り返した。

 これに対し、鳩山氏は、民主党が政権を握ったら、まず無駄を徹底的になくすという方向からスタートしたい、と述べ、20兆円ぐらいを新しい政策の予算として計上したいと語った。また、政権をとっても4年間は消費税増税をしないと明言した。これもかねての民主党の主張である。

 一般会計と特別会計とを連結すると210兆円になる。鳩山氏は、そのうち、公共事業、施設費、人件費、補助金を合わせると70兆円になるとし、このうち、随意契約の見直しとか、不用不急のものを後に回すとかすれば10兆円程度減らせると主張した。つまり、それだけ、新たな財源が生み出せるというわけである。

 しかし、麻生首相は、210兆円の話からいきなり20兆円も新たに使える財源を生み出せるというような話は現実味を欠いていると鳩山氏を批判した。

 20兆円を新たな政策の予算に計上するには、新規に国債を増発するか、既存の歳出を削減する必要がある。鳩山代表の説明だと、10兆円は捻出できるとしても、あと10兆円をどうやってひねりだすかが明らかでない。そこを十分に説明してもらいたかった。

 一般に、国家予算というと、一般会計だけを論じることが多い。しかし、特別会計を合わせた連結ベースで予算・財源を議論すべきであり、その点で、鳩山代表の考え方は正しい。特別会計は一般会計よりも規模が大きいのに、縦割り的に各省庁の官僚がかなり裁量的に利用しており、いまだに実態が明らかにされていない“伏魔殿”である。独立行政法人とか特殊法人などが多額の国費を浪費している可能性が高い。天下りもそれとつながっている。民主党がそこにしっかりとメスを入れることができれば、“埋蔵金”のような財源、それもフローとしての財源を発掘することは十分期待できるだろう。

 官僚が明らかにしたがらない特別会計の実態を白日のもとにさらすことが可能なのは、問題意識のない自民党に代わって民主党が政権の座に就くことである。しかし、それで国民が望む財政の健全化を達成できるかどうかは、政権党としての民主党の能力・実力にかかってくる。そこがもっとも懸念されるところだ。

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2009年6月16日 (火)

安心社会実現会議報告の目新しさ

 政府の安心社会実現会議が15日に報告をまとめた。この“安心社会”という言葉にはどうも引っかかるものがあるが、それはさておき、評価したいのは、「高齢者支援を引き続き重視しつつも、若者・現役世代支援も併せて強化しながら‥‥」、「現役世代および次世代を対象とした給付の比重を拡大していく必要がある」との認識を示したことである。

 「日本の高齢者一人当たり支出は現役世代向け支出の17倍であり、この比率はOECD諸国平均の倍以上になる」。このように、高齢者を支えるためのお金が現役世代にとって大きな負担になっているという実態を認め、それを改める必要があることを明らかにした。

 報告は、消費税を含む税制の抜本改革については、消費税の引き上げは無論のこと、所得再配分機能の強化、低所得者対策(給付付き税額控除、消費税給付返還制度の導入)や世代間分配の促進(無利子非課税国債)などを含むと述べている。これらを実施するには、安心保障番号の導入などが前提になるが、大筋としては今後の日本社会に必要な改革だろう。

 ちょっとおかしいのではないか、と思った個所がある。「日本の企業は、株主ばかりでなく地域社会や従業員も大事にして公共性を重んじてきたが、その伝統が生かされていない」という文章である。戦後、一貫して日本の企業は株主を軽んじてきた。株主のことをまともに考えるようになったのは、外国のマネーが日本企業を買収するのではないかという不安にかられてからだ。

 会社の利益が増えようと、配当はずっと額面の一割しかしないとか、株主総会はとにかく早く終わらせようとし、総会屋を使ってまでして株主に発言させないようにしていた。そんなこんなを思い出せば、報告の記述が間違っていることは明らかである。 

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2009年6月14日 (日)

日本共産党、志位委員長の反省

 今月10日に志位和夫日本共産党委員長の記者会見を聞いた。総選挙では「進路を問う」として、2つの旗印を掲げ、国民の審判を仰ぎたいと語った。2つの旗印とは、①ルールある経済社会を築こう、②自主自立の平和外交を築こう、というもの。

 また、「自民、民主の両党とも、21世紀の日本をどうしたいのかが見えてこない。自民党は白旗しか掲げる旗はないと新聞に書かれていた。民主党は官僚支配を打破して、どんな国をつくるのか見えない」と述べた。そして、「自民、民主にはあまり違いがない。しかし共通部分に問題がある」として、消費税、ソマリア、憲法第9条を挙げた。

 オバマ米大統領のプラハ演説(4月5日)が核廃絶に向けて「よくぞここまで踏み込んだ」という内容だったので、志位委員長は感銘を受け、オバマ大統領に書簡を送った。それへの返書が5月16日に来た。それに関連して、「私たちは政権を担う政党に成長していきたい。だから、経済界との話し合いや大統領への書簡はその一歩」と語った。

 また、19か月前から入党者を増やすことに力を入れており、毎月1000人が新規に入党すると明らかにした。それに関連して、「生活苦などで相当傷つきながら入党してくる。党の側が彼らの話をよく聞くこと。聞く力が大事だと確認した」旨を述べ、、「共産党員は話すほうが得意で、聞き下手の傾向があるから」と付け加えた。「共産党はよく聞いて受け止める力が大事。党が試されているなと感じる」とも語った。

 これに対しては、いまごろ何を寝ぼけたことを共産党は言っているのか、という批判をすることもできよう。でも、自民、民主の二大政党に日本の政治を任せることに不安を抱く向きは多いから、共産党が開かれた政党になって現実に根ざした改革をかかげるようになることは歓迎される。志位委員長の発言は、日本共産党が変わり始めた兆候かもしれない。

 

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スウェーデンの高負担は開かれた政府への信頼があってのこと

 スウェーデンといえば、高福祉・高負担の国として知られる。成長政策庁のヤルマルソン長官がこのほど来日し、日本経済新聞の取材に対して語った記事が12日(金)付け同紙朝刊に載っている。同国も1960年代は日本と同じぐらいの税負担だったが、徐々に上がって、「ここ5年ほどはこれ以上、税負担を上げるのは難しいところまできた」という。

 同国の税および社会保険料負担を合わせた国民負担率は70%を超える。日本の国民負担率が約40%(巨額の借金を考慮に入れた潜在的国民負担率は50%ぐらい)だから、スウェーデン国民の稼ぎの手取りの割合は日本よりかなり低い。

 所得税率は地方税で26~35%、平均して約30%、高所得者には国税が加算される。法人税率は長官によると約26%。消費税は25%で、食料品、交通費などは12%。そして書籍、新聞などは6%だそうだ。

 長官は、国民が高負担を受け入れている理由について、「公共サービスで社会が機能しているという信頼感があるから」だと述べ、「納めた税金の分だけ受益があるということだ」と指摘した。

 では、その信頼はどこから生まれているのか。長官は「政府が国民に開かれていることではないか」、「税の多くは地方税」であり、税が何に使われているかの情報が納税者に開示されていることを挙げた。

 長官の話をもとにスウェーデンと、中福祉・中負担(麻生首相がめざす)の日本とでは、何が違うかを改めて考えた。①日本では政治家も政府も信頼されていない。②日本は、国民も政府にしてもらうことばかりを求めがち。受益と同時に負担をも受け入れるようになっていない。政治も国民に理解してもらう努力をしない。避けて通ろうとする。

 ③日本では企業悪という観念がいまだに残っていて法人を敵視するきらいがある。だから、法人課税を重くすれば税収がたくさん得られるという主張が根強い。これに対し、スウェーデンは企業の国際競争力が弱くなれば税収自体がなくなるという観点で法人税率を低めにしている。④スウェーデンは地方分権が徹底している。納めた税金がどう使われるかが住民によくわかる。どう使うかへの住民の発言力も強い。日本は、中央集権的で、税の使途の透明度は国、地方を問わず、きわめて低い。

 スウェーデンは人口が900万ちょっと。日本はその10数倍もある。それを理由に、スウェーデンのような小さな国と同じようなことはできないという意見もある。しかし、社会保障関連の財政負担が年々膨らみ、財政赤字が世界最悪の状態を放置したら、日本国の経済はひどいことになる。長官の話の中には、日本にとって参考になる点が少なくない。

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2009年6月10日 (水)

役人言葉で書かれた財政健全化目標の先延ばし案

 9日の経済財政諮問会議で、有識者議員が財政健全化の新しい目標を提示した。これまでの、2011年度と想定していた国・地方の基礎的財政収支(PB)の黒字化を引っ込め、代わりに、以下のような目標を示した。

 国・地方の債務残高対GDP比を財政健全化目標の基本と位置づけた。「2010年代半ばにかけて少なくとも安定化させ、2020年代初めには安定的に引き下げる」としている。

 このため、今後10年以内に、国・地方のPB「黒字化の確実な達成を目指す」。「利払い費を含む財政収支の均衡を視野に入れて、収支改善努力を続ける」。

 まずは景気回復を優先し、5年を待たずに、国・地方のPB赤字(景気対策によるものを除く)の対GDP比を少なくとも半減させることを目指す。ただし、この目標については時宜に応じて検証する。

 この新たな目標を掲げた文章は読みにくい役人言葉で書かれている。そしてあいまいな表現が多い。「2010年代にかけて少なくとも安定化させ」、「2020年代初めには安定的に引き下げる」というのは数値で表現したら、どういうことなのかがわからない。また、「均衡を視野に入れて、‥‥努力を続ける」というのは、具体的な数値で例示すると、どういうことなのか。「赤字(景気対策によるものを除く)」とあるが、その意味がわからない。

 それに、なぜ、PB重視の財政健全化だったのが、債務残高対GDP比が基本に変わったのか。その説明もない。

 「社会保障と財政の持続可能性を早期に確保していくことは極めて重要」という有識者議員の認識は適切だ。そのためには、国民、有権者に、問題の所在と望ましい政策とをわかりやすく説明し、痛みの受け入れを含めて、十分に納得してもらうことが欠かせない。政権の交代があろうとなかろうと、そこは重要な点だ。

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2009年6月 7日 (日)

人口300人の集落「やねだん」の地域再生

 南日本放送が昨年5月29日に放送したドキュメンタリー「やねだん~人口3百人 ボーナスが出る集落~」は、鹿児島県鹿屋市の過疎高齢化集落だった柳谷集落(愛称、やねだん)が補助金に頼らず、住民が共に力を合わせて再生・活性化を進めてきた12年の記録だという。ビデオで見ると、柳谷自治公民館の豊重哲郎館長が地域経営のために智恵をふりしぼり、常に先頭に立って苦闘した記録でもある。

 6月6日に立教大学で催された公開講演会「やねだん学事始」には、豊重さんやこのドキュメンタリーのディレクター・キャスターの山縣由美子さんらも出席。まだまだ国などからの補助金に依存しきっている市町村が多い中で、「やねだん」のように人の絆や感動を基礎とする地域経営が、21世紀のコミュニティの望ましい1つの姿であることを出席者に強く印象づけた。

 いまや、全国各地からおおぜいの人が「やねだん」を視察に来る。しかし、山縣さんによると、それらの人たちは視察後に「我々のところには、豊重さんのような人がいないからなあ」という感想を洩らし、それを聞くと、豊重さんは悲しくなるという。

 それで思い出したことがある。地方自治体の議員や職員は実によく視察旅行をする。国内だけでなく、海外にもよく出かける。予算があるから、それを消化するため、視察と称して“物見遊山”的な出張をすることが多い。当事者としての強い問題意識があって、懸命に学ぼうという姿勢はほとんどみられない。「やねだん」を訪れる人たちも、おそらくはそうした類いであろう。地方再生ができるか否かは本当は地域の人たち自身の肩にかかっているのに、人々の意識はまだお上依存、中央政府への依存から脱していないのである。日暮れて道遠しだ。

 南日本放送は九州の南のローカルな民放である。さまざまな賞を受け、ビデオは英語版、韓国語版までつくられている。しかし、全国で放送されたわけではない。どうして、このように優れた作品が一ローカル局だけでしか放送されないのか。そこに、いまの民間テレビ放送界の問題がある。

 5月に、日本記者クラブ賞を受けた阿武野勝彦氏は東海テレビの人で、「裁判長のお弁当」、「光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日」、「約束~日本一のダムが奪うもの~」、「黒と白~自白・名張毒ぶとう酒事件の闇~」といった社会派ドキュメンタリー番組をつくったのを称賛された。しかし、これらの番組も、全国のネットに乗ってはいない。これらをビデオで見て、「どうして、こうした番組が全国ネットで放映されないのか」と疑問に思う。

 東京にいて、民放の愚劣な番組ばかりをみせられると、全く、資源の浪費だなと思ってしまう。スポンサー(広告主、広告取扱業者)にも反省はないし、民放もスポンサーの言うなりで、社会の中でどのような役割を果たしているか、自省したことがなさそうだ。CSR(企業の社会的責任)なんてまともに考えたこともないように思われる。

 

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2009年6月 5日 (金)

『グリーン革命』と日本の中期目標論議

 トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳『グリーン革命』(日本経済新聞出版社)を読んでいたら、日本が2020年を目標に温室効果ガスをどれだけ減らすかの中期目標設定に参考となる記述があった。

 規制とイノベーションの政治学の専門家であるMITのケネス・オイ教授は次のように言っているという。「通常、エネルギー効率と燃費についての厳しい規制がじっさいには自分たちの利益になるということに、企業は気づいていない場合が多い――だから、自分たちの有利になるように政策を変更するような動きをしない」

 GEのジェフリー・イメルト会長兼CEOは、エネルギー関連の公益事業や大企業は大統領が立ち上がって次のようなことを言うのを一番待ち望んでいる、と語ったという。即ち、2025年までに石炭、天然ガス、風力、太陽光、原子力でそれぞれいくら発電することとする、それは何者にも邪魔をさせない、ということをだ。「まあ30日ばかりは文句をいったり泣きを入れたりするだろうが、やがて全エネルギー産業の連中が立ちあがって『ありがとう、大統領。やろうじゃありませんか』というはずだ。そうすれば私たちは大仕事に取りかかれる」とも。

 著者はこう言っている。「自分と子どもたちと近隣住民がどういう取り組みをしていようと、私たちは一つの社会として、それを国や国際社会の取り組みへと移しかえる必要がある。それには、法律、規制、条約によって制度化しなければならない。(中略)自分の家の電球を“換える”よりも、指導者を“変える”ほうがずっと重要である」

 日本がどのような温室効果ガス削減中期目標を打ち出すかが注目されている。経済界はチャレンジを厭い、政治はリーダーシップを欠く。『グリーン革命』は、そうした日本について改めて考え込ませる。

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2009年6月 2日 (火)

GMの破産法11条適用の意味を考える

 米国最大の自動車メーカー、ゼネラル・モータースが破産法11条の適用で再生する道を踏み出した。破産法11条は日本の民事再生法に相当するものだそうだが、米国では、死んだはずの会社が借金切り捨てなどで、以前よりもコスト競争力が強くなって再生するというので、一部に批判のある法律である。新GMもコスト面で相当に競争力が高くなるだろう。それを生かすだけの商品を提供できるか否かが注目点だ。

 オバマ政権が国有化までしてGMを再建させるのは、破産すれば、部品産業や自動車販売業界まで含めると、現在の経済・産業や雇用に深刻な影響を及ぼすと判断したからだろう。事業体としてのGMを社会的に存続させる価値があるのか、その問い掛けは二の次だったように思う。

 「too big to fail」のお手本が眼前に差し出されたとも言えるが、今回の救済が米国の民間企業に及ぼす心理的な影響は無視できないだろう。ビッグビジネスの経営者や労働組合が、「当社の経営がおかしくなったら、政府が救いの手を差し伸べてくれるだろうか」と考えたとしてもおかしくない。さらに言えば、規模が大きい企業ほど救ってもらえる可能性が大きいから、合併・買収で企業規模を大きくしようという志向が現れるかもしれない。

 日本で「too big to fail」に該当するような巨大企業はどこか、と想像してみるのもおもしろい。自動車産業ならどこそこ、電機なら‥‥。現実に、政府が公的金融で資金を供給した相手は必ずしも巨大企業ばかりではなかった。それが適切だったか、国会では問題にならなかったが、そこがいかにも日本らしい。

 ところで、日本では、大手銀行持ち株会社がこぞって証券会社の買収を進めるなど、事業の多角化、企業の大規模化に熱心だ。日本の金融危機で国有化や国の資本注入などを経験したにもかかわらず、いずれも単純に金融のデパート化に邁進している。企業規模が大きくなるにつれて官僚化、組織の硬直化が進むことへの不安を感じていないようにみえる。

 しかし、すでに、大手銀行持ち株会社では、証券子会社などの日常業務でさまざまな問題を起こしている。また、持ち株会社の役員などトップは現場の事情に疎く、現場においては、下の者が上司にものを言いにくい雰囲気ができつつあるようだ。

 GMもそうだったようだが、巨大企業に共通の問題点が日本の大手銀行には現れているように思われる。「too big to fail」の潜在的な候補と言うべきか。

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