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2009年8月18日 (火)

佐伯啓思著『大転換 脱成長社会へ』から

 きょう18日、総選挙の公示が行われた。有権者は何をものさしとして投票にのぞむか。一方、歴史的な視点に立つと、日本の政治は、現在の日本の立ち位置をどうとらえ、どのような進路をとることを求められているのか。

 たまたま読んだ佐伯啓思著『大転換 脱成長社会へ』(NTT出版、2009年3月刊)は、政権選択の選挙などといった目先の争点を超えて、いまの日本の経済社会が置かれた状況を歴史的にとらえ、日本の進路を、成長中心主義、競争中心主義から脱成長社会、脱工業社会へと大きく転換すべきだと主張している点で刺激的だった。そういう目でみると、与野党を問わず、日本の政治家・立候補者は皆、国家のありよう、行く末を構想する哲学、思想といった基本的な素養を欠いているように思える。

 同書によると、大量生産・大量消費で成長した経済社会では、ものの充足が進み、豊かになる結果、絶えず欲望を刺激し、成長するという経済システムは活力を失っていく。そこで、労働、資本などの生産要素までも市場化し、そこで利益をあげようとする。それを著者は構造改革と言い、アメリカ型のグローバル市場競争主義への適応だと指摘する。

 だが、労働、資本、自然資源、知識の4つから成る生産要素はもともと「社会」、「自然」や「人間」の中にある社会的な存在物であり、市場で売買することは難しい、あるいは望ましくない。それにもかかわらず、資本主義の原理に即してそれらをも商品化して市場原理にゆだね、成長主義を続けるようとすると、行き過ぎた価格・コスト競争で「社会の基盤」を壊しかねない、つまり社会が不安定化するとみる。

 社会の安定性は「急激な変化、あまりにもテンポの速い生活、過度な精神的プレッシャー、過剰な情報や、めまぐるしい利潤機会、大きな価格変動、雇用の不安定性などとはなじまない」。それらから社会を防衛しなければならないという。

 これに関連して、著者は、市場経済は、生産要素を中心として「社会」や「自然環境」という土台が安定して初めて市場が正常に作動することができるのだと強調する。

 このように、先進国の産業主義的な成長モデルが限界に達した今日、効率性、能力主義、競争といった産業社会の価値観を転換することが必要である。そして日本社会の特質に基づき、「公共計画」によって新しい社会インフラを整備し、生活の質を問うような社会にしていくべきだという。

 そこでは、医療、教育、自然環境の保全、都市環境の整備、安全性、資源、文化的資産の充実などといった社会基盤の確保が優先されるとのこと。

 著者は最終章で、脱成長社会へのモデルを日本が世界に提示する資格があり、そうすべきである、そのことが日本の国益だとも述べている。ただし、それには「政治力」が必要だが、ポピュリズムとスキャンダリズムへと流される現在の日本の政治には無理だと悲観的である。だから、まず、私たちが「観念」や「価値」を転換することから始めなければならないと締め括っている。

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