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2009年10月30日 (金)

09年度個人向け国債の発行額を減らした

 財務省が10月30日、09年度国債発行予定額の内訳を変更すると発表。個人向け販売分を当初に計画していた4兆2000億円から半分の2兆1000億円にした。個人投資家が関心を持つ15年変動利付債および10年物価連動債の発行(各3000億円)を取りやめた。

 どうやら、個人投資家があまり国債を買わないということと、インフレ対策に有利な変動利付債・物価連動債は売りたくないということが変更の理由らしい。

 この日の発表資料を読むと、09年度の国債発行予定総額は149兆2044億円のまま変わらないということがわかるが、金額のあまりの大きさにびっくりする。国債というのは国が借金するために発行する債券だが、09年度の1年間に国民1人あたり新たに110万円余、借金するということだ。一方で、国債の元本を返済する償還もあるし、借り換える分も多い。だから、まるまる借金が積み上がるわけではないが、差し引き50兆円ぐらいは純増分になるだろう。国民1人あたり40万円ぐらいになる。将来へのツケ回しだ。

 財務省によると、ことし3月末で普通国債の発行残高は約546兆円。これが従来の見込みでは来年3月末に約592兆円に増える。しかし、税収が落ち込む一方、鳩山内閣はかなり歳出増となる政策をとろうとしているので、来年3月末に600兆円を超えるおそれもある。

 普通国債以外に国は財政投融資特別会計国債や政府短期証券なども発行している。そのほかに借金もある。ということで、従来の見込みでは、来年3月末の国債・借入金残高が924兆円とされている。これも実際には相当に増え、1000兆円間近になるだろう。

 これは将来、国民に払ってもらわねばならないものである。国民1人あたりいくらになるか。皆さん、計算してみてほしい。

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2009年10月29日 (木)

しっかりせよ、経済界のリーダー

 政府は日本郵政の経営陣をがらりと変えた。斎藤次郎元大蔵省(現財務省)事務次官を社長にしたほか、財務省、総務省(旧郵政省)のOBやキヤノンなど民間出身者を副社長に並べた。亀井静香金融大臣の強引さが目立っているが、鳩山政権の一面を表していると言えよう。今回の日本郵政人事に関する疑問点を以下に書くと――

 斎藤氏が長年、務めた東京金融取引所の社長ポストは財務省の天下り指定ポストである。斎藤氏の後任も財務省OBである。金融の分野はもともと財務省・金融庁の監督・行政指導が強い。東京金融取引所を、株式会社だから、普通の民間企業だとみなすのは詭弁である。斎藤氏の日本郵政社長就任は一般にいう、天下りの“渡り”とみるのが自然である。

 今回、株式会社である日本郵政の人事に政府が強引に介入したというのは、日本郵政を普通の株式会社とはみていない証拠である。その一方で、東京金融取引所について、その公的な役割などを無視して、普通の民間企業だとして斎藤氏の天下りを否定するのは二枚舌もいいところである。

 西川善文前社長ら常勤、非常勤の取締役退任にもかかわらず、奥田碩トヨタ自動車相談役(前日本経団連会長)は取締役のまま残った。キヤノンから関根誠二郎氏が取締役兼執行副社長に入った。経団連の現会長、前会長会社から取締役が入った形になった。このほか、日本商工会議所会頭の岡村正氏が非常勤取締役に入った。これらの人事が示すのは、従来の郵政改革を否定する鳩山政権の郵政事業抜本見直しに経済界が賛同したということである。

 それなら、小泉政権以来の郵政改革を支持してきた経団連などは、その豹変ぶりの理由をきちんと外部に表明すべきではないか。また、日本郵政の指名委員会に諮らずに政府が役員人事を勝手に決めたことに対して、奥田氏も、今回、取締役を事実上解任された牛尾治朗、丹羽宇一郎氏らも表立って異論を唱えなかった。だらしないの一語に尽きる。それに、お飾りの非常勤取締役になってくれといわれると、ホイホイと受ける輩が何人もいるのにはあきれる。

 郵政改革については、もともと、なぜ、それをしなければならないと考えられたのか、そして、現実には何が行われたのか、をきっちり分析すること、そして、どこに問題があるのか、を整理する必要がある。とにかく郵政改革はけしからん、というだけで、まるまる元に戻そうというのか、そうではなく、日本経済・社会の全体のありかたを考えて、郵政事業はこうあるべきだというのか。そうした思考の道筋がよくわからない。巨大な国営の銀行、保険会社がもたらす歪みなどへの問題意識もない。自民党政治をとにかく否定するという発想はあまり生産的でない。

 経済界のリーダー的な立場の人たちは、この国難の時に、目先のことにとらわれず、大局をみた言動をしてほしい。切にそう思う。

  

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2009年10月27日 (火)

美辞麗句を連ねた鳩山首相の所信表明演説

 26日に鳩山由紀夫首相が衆参両院本会議で行なった所信表明演説文を読んだ。戦後日本を牛耳ってきた官僚依存の自民党政治に対して決別を唱えるとともに、国民生活を優先する行政・経済・社会の確立を主張している。、「新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだして」いこうという姿勢には共鳴するところ大だ。

 演説を部分的に取り出せば、すばらしいと讃辞を送りたくなることばかりである。「戦後行政の大掃除」、「国家公務員の天下りや渡りのあっせん‥‥を全面的に禁止」、「硬直化した財政構造を転換」、「国民のいのちと生活を守る政治」、「目指すべきは‥‥新しい共同体のあり方‥‥『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすこと」、「国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させねば」、「日本経済を自律的な民需による回復軌道に乗せるとともに、国際的な政策協調にも留意しつつ持続的な成長を確保することは、鳩山内閣の最も重要な課題」、「内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要」、「『地域主権』改革を断行」、「地方の自主財源の充実、強化に努めます」、等々。

 ただ、これだけおいしいきれいごとばかりを並べ立てられると、ちょっぴり眉に唾をしたくなる。少なからず、世の中の裏表を見てきた者としては、どうやって実現するのか、の表明がないと信用できない。金持ちの良家のボンボンが庶民の実態を知らぬがまま、新聞などで社会の矛盾を知って、観念的にこうやれば世の中が良くなる、「無血の平成維新」だと作文した程度のもののような気もしてくる。

 日本の将来がどっちの方向に行くべきか。その理念には賛成する。問題は、総論、各論を合わせた整合的な改革プランを打ち立て、推進するという点が欠けていることだと思う。

 このほか、首相の所信表明で疑問に思ったことを挙げると、1つは、市場(マーケット)を軽視ないし無視していることである。国債の大量発行で国債価格が暴落するのではないかという点に関して、菅直人副首相はオオカミ少年だと評し、気にする必要はないと言ったらしい。しかし、オオカミ少年のお話の教訓は、いつかは必ずやってくるということである。市場をばかにするのは大きな誤りである。

 それとも関係があるが、大企業への言及がまるでない。「経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめよう」という見方からだろうが、国民生活の豊かさの源泉である付加価値を創造するには、欧米やアジアの国々と同じように企業の競争力を高める必要がある。日本だけが社会福祉など内需中心で豊かさを維持できるという鎖国的な発想をしていたら、日本経済はスパイラルに縮小するだろう。日本には、大企業を敵視する風潮がいまだにあるが、それを助長する政策だと、大企業の日本脱出、中小企業の破綻続出という最悪の事態も起きかねない。

 「フリーランチはない」。その当たり前のことが所信表明には欠けている。国民には自主、自立の精神を持ってもらうことが絶対に必要である。お金で人の心を買うような政策は下の下だ。

 財政危機の実態はきわめて深刻である。「長く大きな視野に立った財政再建の道筋を検討してまいります」と悠長なことを言っておられる状況ではない。もちろん、いまの景気状況を踏まえて財政・金融政策が景気を下支えすることは不可欠だが、“借金”が膨らみ、将来世代に負担になるという事実を国民にしっかりわかってもらわねばならない。

 所信表明は甘い蜜に満ち満ちている。それは亡国への道筋になる危険をはらんでいる。

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2009年10月23日 (金)

脱財政赤字で、日本よりはるかに真剣なEU

 日本経済新聞によれば、EUのユーロ圏16ヵ国の2008年における財政赤字はGDPの2%だった。また、政府債務残高のGDPに対する割合は69.3%だったという。最近の日本は年間財政赤字がGDPの10%近い。政府債務残高の対GDP比率も170~180%ぐらいに達している。両者を比べると、日本はフロー、ストックとも、ユーロ圏とはかけ離れたひどい財政危機状態にある。一目瞭然、ユーロ圏諸国の財政は日本よりはるかに健全である。

 そのEUが、20日開催された加盟27ヵ国の財務相理事会で、2011年から財政再建に着手するとの原則について合意した。EUの景気が自律的に回復することが条件とされる。そして、21日付けの日経新聞によると、財政赤字が急速に拡大している加盟国は2011年を待たずに財政再建に取り組むこと、また2011年以降、毎年の財政赤字をGDP比で0.5%以上削減することで合意している。

 まだ、EUの経済も金融危機の影響から脱していないが、にもかかわらず、EUが財政を健全化するための出口戦略を2011年から実施するという方針を決めたことに注目したい。

 第一次世界大戦後のドイツで天文学的なインフレが起き、経済・社会が破壊的な混乱に陥った。そうした状況の中からアドルフ・ヒトラーが現われた。EUが財政悪化を恐れる背景には、そうした歴史の記憶があるように思う。

 日本は第二次世界大戦後の激しいインフレで国民生活を苦しめたが、その歴史の教訓は忘れられた。戦後の高度経済成長が終わった頃から、好不況にかかわらず、国債発行による財政ばらまきを続けてきた。このたび与党と野党が入れ替わったが、借金によって財政の大盤振る舞いをする竹馬(たけうま)財政は変わらないようにみえる。

 国債の市場取引価格が大きく下がる(つまり長期金利が大きく上がる)と、財政危機が表面化する。この市場価格(金利)が暴落(金利暴騰)しないうちは財政赤字がいくら大きくなっても大丈夫だというような“他力本願”でいつまでも安泰であるはずはないのである。

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2009年10月21日 (水)

マクロ経済政策の欠如と影が薄い菅副総理

 1週間余、海外に旅行して帰ってきたばかりだが、新聞報道をみると、2010年度国家予算の編成で、相変わらず鳩山内閣のマクロ経済政策が見えない。各省の提出予算を合計すると、一般会計は95兆円になり、その他の要求事項を加えると97兆円ぐらいになるらしい。税収は40兆円を切りそうだから、要するに、財源は二の次、三の次にして、マニフェストに盛った歳出を最優先する大盤振る舞いになるようだ。

 予算編成の前提である、日本経済の成長率はどのぐらいが望ましいか、それを達成するには、政府の予算規模はいくらぐらいが適切かといった話はほとんど国民に伝わってこない。デフレになりつつあるから、景気刺激策が必要という話なら、大型予算を組むのもわからないわけではない。それでも、12日のブログにも書いたことだが、これはあくまで緊急事態だということを国民によく理解してもらうことが絶対に必要である。

 この予算編成の過程で不思議なのは、マクロ経済の視点から予算編成方針を打ち出すべき立場の菅直人副総理・国家戦略担当・経済財政政策特命担当大臣がほとんど何も発言していないことである。菅副総理は単年度予算方式の修正を口にしているものの、2010年度予算の編成に対して、マクロ経済の観点からどうあるべきか、語っていない。予算こそ国家権力の権力たるゆえんであるのに、担当閣僚の存在感が全くうかがえない。彼の手足となるべきスタッフもいまだにそろっていない。

 それはなぜなのか。一つには、菅氏がマクロ経済のみならず経済政策に全くの素人であることがあげられる。何をすべきかが、わかっていないということである。いま一つには、平野官房長官―小沢幹事長のラインで、菅氏を副総理・国家戦略担当だとか、経済財政担当とか、カッコいいネーミングのポストにまつりあげて、官邸に対する菅氏の影響力を弱めようとした結果だと思われる。岡田克也氏を外相にして、国内での影響力を削いだのと同じことである。鳩山政権を安泰にするための民主党内の権力争いがマクロ経済政策の欠如につながっているというわけだ。

 日本郵政のトップ交代で、斎藤次郎元大蔵省事務次官が新社長に決まった。福田内閣当時、民主党の小沢代表が自民党との大連立をはかろうとしたことがあるが、その裏に斎藤氏の暗躍があったといわれる。斎藤氏は細川政権時代に事務次官であり、今日にいたるまで小沢氏に最も近い官僚OBといわれる。日本郵政のトップ人事には、間違いなく小沢氏の意思が働いている。

 鳩山政権は自民党政権ができなかったことを実行しようとしている点で高く評価される。だが、その一方で、この日本をどういう国にしたいと考えているのか、それをどうやって実現するのか、という総論および各論がよくみえない。郵政改革のご破算も、なぜそうするのかがよくわからない。

 経済界や金融市場(マーケット)を安心させる経済政策を打ち出さないと、経済の低迷から抜け出すことは難しいのではなかろうか。

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2009年10月12日 (月)

こうした時こそ、国の財政実態を国民によく知ってもらうべき

 消費者物価の下落が続き、日本経済はデフレに陥っているとの見方が増えてきた。そして、マクロ経済が40兆円(年間)の需給ギャップを抱えていることから、政府に新たな補正予算を求める意見が強まっている。09年度は補正を合わせて102兆円の予算が組まれているが、税収は40兆円を切るかもしれない。もし、民主党政権が現在の補正予算からムダを削ったとしても、新たな補正予算を組めば、差し引きの予算規模、国債新規発行額、ともにもっと膨らむかもしれない。

 景気が悪かろうと良かろうと、国債という“麻薬”を打つ癖がついた日本経済。政府も政治家も、そして企業、国民も、納税額をはるかに上回る歳出(支出)を当然視してきた。「フリーランチはない」という基本をすっかり忘れてしまった。

 このため、国民にも企業にも、また地方公共団体にも、限られた財源の中で歯をくいしばってでも自主自立で頑張ろうという精神が薄れてきている。甘えの気持ちが強く、何かというと、国・政府に依存しようとする。そして、思い通りにならないと、国・政府を批判する。それに対し、国・政府のほうも、カネで解決するのなら、と安易に「借金」を積み重ねてきた。そうした政治の退廃が国・地方の債務残高の対GDP比を世界で突出したレベルにしてしまった。

 この天文学的な財政赤字を引き継いだ民主党中心の新政権は、藤井財務相によると、いずれプライマリーバランスの達成時期と、債務残高の対GDP比を安定化させる時期とを財政再建の目標に掲げることになりそうだが、当面は国・地方の“借金”増大に目をつぶるようにみえる。行政刷新会議を通じてムダ退治を進める一方で、減税したり、子供手当などの新たな歳出を設けたりするので、差し引きすると、やはり自民党政権と同様に巨額の財政赤字を積み上げることになる。それは長い目でみると、財政破綻により近づくことを意味する。

 日本財政の実態は深刻であり、本来、国民が甘えるような余裕はまったくない。民主党が、それにもかかわらず、いまは景気下支えのために財政が出動せざるをえないという認識なら、そのことを国民にきちんと知らせ、理解してもらう必要がある。そうしておけば、将来の増税の必要性をいまから理解してもらうことができるだろうし、実際に増税するときもしやすいだろう。そして、納税額をわきまえず、あれもやってくれ、これもやってくれという国民の甘えに歯止めをかけやすくもなろう。

 いずれ本格的に財政再建に乗り出す時期が来る(?)とすれば、それに備えて、いまから国民一人ひとりに現実の税収と歳出とのギャップがいかに大きいか、をよく知ってもらう必要がある。国民が税や社会保険料の負担増を抜きに、大きな政府を求めれば、財政破綻するのは必至である。政権が交代しようと、財政健全化は至上命題である。

 かねて地方分権が唱えられているが、それは小さな中央政府とし、生活に身近な市町村が権限、財源などを持ち、地域の実情に即した小回りのきく行政に変えることを意味する。そうなると、国に対し、あれもしてくれ、これもしてくれという現在の甘えの構造が変革を迫られる。そうした点からも、国民に財政の危機的実態を理解してもらうことが望ましい。

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2009年10月10日 (土)

曽野綾子著『貧困の僻地』から

 曽野綾子氏の本を読むと、鋭角的に本質を突く言葉にぶつかる。ぬるま湯にひたりきった日本の社会に対する批判的な視点は、他の追随を許さないものがあると思う。その厳しさについていけない人もいるだろうが、学ぶべき点は多いのではなかろうか。ことし5月に発行された『貧困の僻地』も同様である。

 日本のように「どこでも同じようなものが買える制度を持つ国家には僻地がない」。アフリカでは僻地が出現すると、部族化がいっそうはっきりしてくる。村が孤立化すると、国としてまとまるという発想は誰にもないという。

 「人は誰でも、或る時、後の人のために死んでやることが必要なのである」。ワクチンの接種などの医療の供給資源が足りないときは、誰を優先して治療し、誰を後回しにするかのトリアージュが行われる。そうしたとき、高齢者が後回しにされるというような不平等、切り捨てがありうることを日本では全く教育していない、という。

 「現実に幸福かどうかを別として、幸福を売り物にする人の特徴は、笑い声がけたたましい」。「沈黙と静寂は、他の音を受け入れるが、饒舌と騒音は、他者の声を伝えない」。私も日頃から痛感しているのだが、テレビ番組は朝からやたらしゃべり、笑い、食べる。皆でやればこわくないのである。これでは一人静かに本を読んだり、考えたりするのはヘンな人とみなされかねない。

 「外見の若さの基本は、新鮮で安全な食材を使った食事をすることだろう」が、「もう一つ若々しい魂を保つためには、精神の栄養が負けず劣らず必要だ」。すぐれた人に会って、その人から多くを学ぶとともに、「何よりもたくさんの読書をしなければならない」という。それらに時間とカネを使わなくては若さも美貌も保てない、と曽野氏は指摘する。

 「ものの過剰は人間を疲れさせるし、もの一つ一つの存在の意義を見失わせる」。何か欲しいと思ったら、すぐ買わず、やや長い時間をおいてみたらいい。それで本当に生活に入ってくるべきものか見極めがつくという。

 本書『貧困の僻地』はアフリカの貧しい社会や人々を「僻地」ととらえて、曽野氏が現地を訪れ、体験した「貧困」の実相を描いている。同氏からみれば、日本には僻地というものはない。世界的にみれば、日本は豊かな社会そのものである。しかし、日本の中では貧困が大きな政治的、社会的な問題となっている。同じ「僻地」という言葉がグローバルにみたときと、日本国内でみたときとでは大きく異なっているのである。そうした違いを理解することは、私たち日本国民一人ひとりの問題意識を深めるのではなかろうか。

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2009年10月 8日 (木)

鳩山政権の出だしは評判がいいが‥‥

 知人などと話をすると、皆さん、鳩山新政権を「いいね」と評価している。自民党政権と違って、若い世代の政治家がよく勉強していて、自分の言葉で話しているからだ。そして、多くの人が「自民党政権がひどすぎた」と付け加える。人によっては、総裁交代後の自民党に対して「パッとしない」という感想を洩らしたりする。「もう消えていく政党だ」という声すら聞く。

 いまの自民党をみていると、それもありうるような気がする。敗北の原因をきちんと分析し、日本の望ましい国家像とそれに至る政策をきちんと追求するという手続きすらしていないからだ。ただし、自民党がこのまま沈没すると、民主党の一党独裁になりかねない。それは絶対に避けたい。政権交代が前提の二大政党制を続けるには、当分は、自民党が新たな使命を掲げて再生することが欠かせない。

 鳩山新政権が発足してからの政治報道は、国会が開かれないままなので、霞が関に陣取った民主党の閣僚らの活動と、民主党と連立政権を組んだ社民党と国民新党の動きばかりを取り上げている。国民にとって、それはそれで必要である。ただ、鳩山首相の米軍普天間基地移転に関する発言や、長島防衛庁政務官の海上自衛隊によるインド洋での給油活動延長に関する発言に、福島社民党党首(消費者庁担当大臣)が反対するなど、連立政権内での対立・論争しか国民には伝わってこない。

 議会が開かれていれば、野党である自民党や公明党、共産党が鳩山首相の献金疑惑をはじめとして、さまざまな論点できびしく政府を追及しているはずだ。しかし、選挙後、ずっと国会を開かずにいるために、国政の重要な問題点が必ずしも取り上げられないままになっている。代わりに連立政権内部での内輪の中途半端な論争が大きく報道されているのである。参議院の神奈川、静岡地区の補欠選挙を終わるまで臨時国会を開かないというのは、小沢民主党幹事長の戦術だろうが、国民を軽視した党利党略に走り過ぎていると思う。

 新政権はマニフェストを基本的には国民への約束とみなして、その実現に向かって努力している。しかし、野党時代に言っていたことを引っ込めたりする自分本位なこともみられる。たとえば、民主党は自民党政権のとき、国会会期中、大臣は国際会議などで海外に出かけるのは国会軽視だとして強く反対した。当時、政府は国益を害すると反発したが、民主党は審議拒否で対抗しようとした。ところが、自らが政権の座についたら、早くも、国会答弁は副大臣などに任せて海外出張するのはかまわないとの方針を決めた。

 混合診療を禁ずる明文規定はないのに、厚生労働省は原則として禁止している。それを妥当とする東京高裁の判決が9月29日にあった。これを受けて長妻厚生労働大臣の「国のこれまでの主張が認められたものと考えている」という談話が出されたのにはびっくりした。役人の説明の鵜呑みである。日本経済新聞の大林尚編集委員は大臣の「問題意識の低さがうかがえる」と指摘した(8日夕刊)。

 それに大賛成だが、私は、鳩山政権といえども、いずれ霞が関の官僚たちのてだまにとられるという巷の一部の見方を裏付ける事例ではないか、と思う。長妻大臣は年金問題では官僚を超える知識や見識を持っている。だが、厚生労働省の守備範囲はとほうもなく広い。副大臣や政務官を数人抱えても、すべてをきちんと把握することはほとんど不可能である。したがって、官僚の説明をうのみにすることは大いに起こりうる。民主党中心の政権の限界である。

 米国には、民間に大きなシンクタンクがいくつもある。政党色の強いシンクタンクもある。そこには、さまざまな分野の専門家がおり、政権を支える主要なポストに就くことも少なくない。日本では霞が関自体が巨大なシンクタンクだといわれ、それに対抗できる民間シンクタンクや人材の集団が存在しない。このような日米政策マーケットの相違を認識して、民間に大規模なシンクタンクをつくらなければならない。

 新政権は行政刷新会議の事務局長にNPOの代表を引っ張った。これが政策を対象とする本格的な民間シンクタンクの育成につながればいいと思う。そのためには、寄付税制を改めて、「公」の担い手としてのNPOが活躍できる条件を整える必要があるだろう。 

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国家公務員の能力・業績主義評価が始まった

 国家公務員の勤務成績の評価方法に関して、10月1日から能力・業績主義に基づく新制度が実施された。国家公務員法の07年改正によるもので、新政権のもとでそのまま実施された。

 新制度は①職務遂行で発揮した能力の評価と②職務遂行で挙げた業績の評価とを合わせて給与および昇進を決めるというもので、一般職員や課長などは5段階で評点を付ける。部長、局長は3段階、事務次官は2段階で評価する。期初に上司と面談して目標を設定し、業務遂行―自己申告―評価・調整・確認―評価結果の開示―期末面談(指導・助言)の経過で行われる。能力評価は1年ごと、業績評価は半年ごとである。

 国家公務員の場合、そもそもの公務員試験の成績(順位)や卒業大学および学部が配属や昇進を大きく左右してきた。もちろん、国家公務員になってからの実績も評価されてはきたが、その程度は役所によって違っていた。また、何を実績とみるかについては、法律を何本つくったか、天下り先(公益法人など)をいくつつくったか、といった内向きな物差しが重視されてきた。

 このため、小泉改革の一環として、民間企業の人事評価方法を採り入れたもの。長妻厚生労働大臣はこの人事評価基準の採用により、企業文化ならぬ役所文化を変えていきたいと語った。年金問題がなぜ起きたかを熟知する同大臣は、国民目線の評価、すなわち国民から評価される官僚のほうが省内でも出世していくというようなものにしたいという趣旨の発言をしたが、そちらへの第一歩を踏み出すものとなるのを期待する。

 民間企業であれ、霞が関であれ、人事はそれを行なうトップの意向を示す。民主党を核とする新政権の各大臣が事務方をきちんと指示・監督し、改正国家公務員法に基づく人事評価を国民本位に実施できれば、官僚は国民のための行政に徹するようになるだろう。ことは民主党など与党の政治家の今後にかかっている。

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2009年10月 6日 (火)

中国の労働事情を『階級のない国の格差』(増田英樹著)で知る

 「誰も知らない中国労働事情」の副題が付いた書物『階級のない国の格差』(増田英樹著、09年7月、教育評論社)を読んだ。中国については、貧富の格差がきわめて大きく、都市民と農民との戸籍(実質は身分)の違いによる格差や、沿海部などの都会に出稼ぎに来ている農民工がさまざまな差別を受けていることなどが知られている。

 中国の労働事情を紹介する本書は、中国には日本のような労働組合が存在しないことをはじめとして、日系企業が争議などに巻き込まれないようにするにはどうすべきか、などを述べている。

 同書によると、中国は社会主義の国だから、制度上、労使対立を前提とする労使関係なるものは存在しない。だが、賃金などに不満を持って山猫ストのような不法ストが起きることがある。そうしたストが起きたら、民主化運動などをおそれる政府や管轄の当局は労働者の側に立ち、日本企業には泣いてもらおうとするという。

 朱鎔基前首相の国有企業改革は鉄碗、つまり終身雇用を解体したが、その後の新しい労働契約法(08年施行)は終身雇用制を法律で定め、奨励している。一方、中国の労使関係には正社員の概念はなく、契約をベースとしている。契約切れで退職がスムースに行えるようにきちんとした評価制度をつくっておくことが重要である、と指摘している。

 同書の末尾にある「解説」は安室憲一大阪商業大学教授が書いており、中国の労使事情をコンパクトにうまく整理してある。それによると、もともと国有企業において、経営者側と労働者代表とが労働条件についての苦情を処理するときに社内の第三者委員会を介して話し合う。それが「工会」であり、工会は役員や社長はじめ全従業員が加入するというものだった。

 改革開放以降、「工会」を資本主義国の労働組合に見立てた。だが、朱首相の改革の結果、同じ企業の中に正規従業員と非正規雇用の農民工などが並存するようになり、非正規の従業員は「工会」によって護られないという「格差」が生じた。農民工などのブルーカラーが反乱を起こすと「工会」は無力化するという。

 安室教授によると、「世界の工場」というのは低賃金の委託加工にすぎない。だから、長時間労働など労働法を無視した労働強化が行われる。そこで、中国政府は委託加工モデルから労働者の熟練による高度製品の生産へと転換しようと考えているという。搾取をなくし、秩序ある法治主義の国をめざしていると指摘する。

 同書で、日本の労働組合と「工会」とは異質のものだとわかったが、日本における非・常用労働者の労働組合との関係と、中国の農民工などと「工会」との関係とは類似していることを知った。

 

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2009年10月 3日 (土)

都道府県の債務は80兆円、市町村の債務は53兆円

 総務省が都道府県および市町村の普通会計の08年度決算集計(速報)を2日に発表した。

 都道府県の歳入は48兆0458億円、歳出が47兆3490億円、市町村は歳入が49兆5838億円、歳出が47兆8347億円だった。

 これに対し、地方債および債務負担行為による債務から積立金残高を差し引いた実質的な“借金”残高は都道府県が80兆4932億円、市町村が53兆1644億円だった。前年度に比べ、それぞれマイナス0.1%、マイナス2.8%と減った。

 一方、標準財政規模を100としたとき、地方公社等を含め一般会計等が抱える“借金”がどれだけあるかを示す将来負担比率をみると、都道府県は219.3、市町村は100.9だった。大ざっぱにいうと、都道府県は歳入の2.2倍の借金を抱え、市町村は歳入とほぼ同額の借金を抱えていることになる。

 ただし、市町村のほうは財政危機の深刻なところがいくつもあるなど、都道府県に比べばらつきが大きい。全体の数値だけでは市区町村の持つ問題点がわからないというわけだ。

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おもしろかったトヨタ新社長の会見

 トヨタ自動車の豊田章男社長の記者会見が2日にあった。さまざまな質問が出たが、出色は週刊誌「アエラ」の大鹿記者の質問だった。トヨタを取材するには通常、同社の広報部を通じるが、トヨタに批判的な記事を書いたりすると、「広告を出すのをやめるぞ」などと脅される。そうしたトヨタの広報部のありかたをどう考えるか、という内容である。

 豊田社長は「マスコミ各社に不快な思いをさせたことは申し訳ない。今後は誠心誠意、努力していく」と答えた。

 トヨタは日本一の大会社であり、GMを抜いて世界一の自動車メーカーである。国内では経団連会長を出したり、政府の審議会委員や政府系企業への役員派遣でも多くのトヨタマンを送り込んでいる。また、広告費の規模でも断トツの会社である。このため、スポンサーの強みを鼻にかけ、メディアに対し、傲慢な態度になりがちだった。金融危機以降、トヨタの広告出稿は激減したが、メディアへの姿勢は変わっていないらしい。

 記者会見での質問は、見方によれば、満座の中で社長が恥をかかされたということを意味する。ひょっとすると、トヨタはこれを機に広報・宣伝部門の幹部人事や態勢を大きく変えるのではなかろうか。

 会見の初めのほうで、豊田社長は経営学者、ジェームズ・C・コリンズの「企業が凋落する5段階」(出典:日経ビジネスマネジメント)を紹介した。第1段階:成功体験から生まれた自信過剰、第2段階:規律なき規模の追求、第3段階:リスクと危うさの否定、第4段階:救世主にすがる、第5段階:企業の存在価値が消滅、である。

 なるほど、私の見る限り、第1~第3段階は見事、これまでのトヨタに当てはまる。そして、豊田社長は「いまのトヨタはこの第4段階にある。どん底に近い。しかし、第4段階からでも復活は可能だ」と述べた。では、救世主とは誰のことか。豊田社長は「私のことではない。人材だ」とし、「これからも人材育成が重要。それはトヨタのDNAであり、重要な要素だ。すがるべきはこの人材だ」と語った。

 トヨタはかつては堅実無比で三河に拠って、中央でチャラチャラするのを嫌った。しかし、会社の飛躍に伴って、威張る傾向が出てきた。そうした社風の変化が元の堅実、謙虚さに戻ることになるのか。これからを見守りたい。

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