« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月31日 (木)

新しい年に向けて、期待と不安

 2009年、日本の最大の出来事は政権交代だった。鳩山内閣の支持率はかなりの速さで下がっているが、さりとて、自民党・公明党の連立政権が続いたほうがよかったということにはなっていない。経済の長期停滞を脱する能力のない惰性的な長期政権に国民が見切りをつけたところに政権交代の意義が認められよう。

 2010年は鳩山政権がいよいよ真価を問われる。デフレや、それに伴う失業率の上昇などにどう対処するか。新年度の政府予算案を決めたあとの09年末に、政府は「新成長戦略(基本方針)」なるものを発表したが、いかにも唐突な感じ。各官庁からの提案を寄せ集めたようなにわか仕立ての印象を免れない。

 日本がどこに向かうべきか、目標がないまま、個別の政策ばかりいじっているという世論の批判に応えたつもりだろう。10年6月をめどに新成長戦略を取りまとめるとともに、実行計画(工程表)を打ち出すとのことなので、国民各層からの批判を踏まえ、実現可能性の高い意欲的な計画にまとめあげてほしいものだ。

 新成長戦略は公共事業・財政頼みでもなく、行き過ぎた市場原理主義でもない、第3の道、つまり新需要創造で名目成長率を2020年度までの平均で3%以上(実質成長率は2%以上)に引き上げるというものである。首相が言うように、絵に描いた餅にならないよう政権の実行力が試される。企業についてまともに言及していない点は疑問である。

 予算案の策定時もそうだったし、この新成長戦略もそうだが、使うカネをどこから調達するかの適切な説明が欠けている。これだけ国債などによる借金が膨らんでいても、国民に負担を求めようとしないのは誠実ではない。

 09年、国際的に最も重要な出来事は地球温暖化防止対策を話し合うCOP15(コペンハーゲン)だった。2020年までに世界全体として温室効果ガスの排出量引き下げに転じなければならないのに、ポスト京都の枠組みは成立しなかった。国連方式の全会一致でなければ義務を伴う協定が成立しないという仕組みは是正しなければならない。だが、それよりも何よりも、経済規模や温室効果ガス排出量などにおける米国、中国という二大超大国がリーダーシップを発揮するどころか、排出量の削減義務を負おうとしなかった。

 米中両国の指導者には、国民を説得して省エネ・省資源型の生活や経済構造に転換するリーダーシップが欠けている。人類の生存に関わる温暖化問題について、日本やEUが効果的な対策をまとめるようにイニシアティブをとっていかねばならない。米国では州や市で先進的な環境対策をとっているところがある。日本も東京都などが積極的だ。国、地方自治体、そして企業、NPOなどが独自に、また連携しながら、温暖化対策を展開していかないと、将来世代に暗い未来を残す可能性が大きい。

 地球温暖化とともに重要なのが生物多様性の危機だ。2010年10月、名古屋で生物多様性条約締約国の第10回会議(COP10)が開催される。地球温暖化や、熱帯雨林の開発、乱獲などによって、生物の種がたくさん絶滅している。絶滅数は1年間に約4万種ともいわれる。

 人類が生存している環境(生態系)が壊されれば、食料、木材、医薬などの供給が失われるし、水、栄養の循環、土壌の形成、保持などが維持できなくなる。人類が生存していくうえで不可欠なサービスが種の絶滅で失われていくことは、我々の子孫に致命的な打撃を及ぼす。2010年は温暖化問題とともに、生物多様性問題に対して、対策の大きな一歩を踏み出すことが強く望まれる。サステナビリティ(持続可能性)という視点で主要な課題に取り組む時である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月27日 (日)

仙谷行政刷新大臣が増税に言及

 仙谷由人行政刷新大臣がテレビ出演の際に、日本の財政がもたないとして増税について発言をし始めた。次の衆議院選挙のときには消費税の引き上げを提起すべきだとか、高齢者の資産に課税をすべきだとか。

 2010年度予算案の編成で、民主党はマニフェストの実現を重視した。一方で、財源探しはマニフェスト通りにはいかず、結果として、財政赤字を大幅に増やす結果となった。こんな調子で毎年度、財政赤字を積み上げていったら、国債だけで4年間に200兆円近い新規発行になりかねない。それだと、国債発行残高だけで800兆円をゆうに突破する。その前に、財政破綻をきたすだろう。

 仙谷氏の消費税引き上げや高齢者資産課税といった問題提起で、民主党にも、財務大臣以外にも、財政危機を直視するまともな政治家がいることがわかった。しかし、今回の予算編成で遺憾なのは、1つには、国家公務員の総人件費の削減に全く手をつけなかったことである。マニフェストには「国家公務員の総人件費を2割削減します」とある。09年度予算で5.3兆円だった国の人件費等の節約額は1.1兆円になるとマニフェストに書いてある。

 国家公務員の人件費を2割削減し、地方公務員の人件費(20兆円台の半ば)も右ならえさせれば、合計6兆円ぐらいは浮く。地方交付税交付金を増やすなんていうのは、とんでもない間違いである。民間企業の期末一時金は大手企業で15%ぐらい前年を下回る。公務員の一時金引き下げ率の2倍以上に当たる。給与の官民格差はますます官優位になっている。マニフェストには「税金は、官僚と一部政治家のものではありません」と書いていながら、官僚優遇というのはどういう理屈なのか。連合など労組重視と言いながら、実は自治労など官公労優遇にすぎないのか。

 ムダをなくす事業仕分けはそれなりに意味があった。しかし、役所に行って、役人の仕事ぶりをみれば、民間に比べ、いかに非能率な仕事ぶりかがわかる。民間企業なら、効率を考え、一人でいくつもの作業を担当するのが普通だ。しかし、まだ、少なからぬ役所では、職員は特定の決まった仕事だけを担当し、結構、ひまな時間が多いように身受けられる。基本的なことで問い合わせの電話をしても、その担当者が接客中や留守だと、わかりませんという答えが返ってくる。事業そのものには意義があっても、もっと効率的に、少ない予算でできるという視点が欠けている。

 今度の予算案には、特別会計のムダの排除がほとんどない。一般会計と特別会計とを合わせた200兆円余の徹底効率化をうたったマニフェストを踏まえ、通年で事業仕分けなどを行なってムダ発見に努めてもらいたい。さもないと、財政破綻に向かってまっしぐらだ。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月24日 (木)

「知らなかった」ではすまされない

 偽装献金問題で鳩山総理大臣が24日、弁明の会見をした。資金管理団体の会計責任者らが検察に起訴されたが、鳩山氏は「知らなかった」ということで、贈与税を納付するだけですむことになった。

 会見で、鳩山氏は、秘書や母親が勝手にやっていたことだとして、自らの責任を否定した。しかし、かねて、秘書がやったことは議員が知る、知らないにかかわらず、議員が責任を負うべきだと主張して、自民党議員を攻撃してきたのは、誰あろう、鳩山氏である。知らなかったと言えば不問に付されるのなら、今後、脱税者は皆、知らなかったと言い訳することになりかねない。「上正しからざれば、下正しからず」である。

 鳩山氏は、自らのケースは私腹を肥やしたりするものではないので、ほかのケースとは違うと言った。しかし、これまで議員辞職した事例を見ると、私腹を肥やすようなケースばかりではない。問題は議員や会計責任者に政治資金規正法に違反するようなことがあったのか、なかったのかであり、違反があったら、議員の責任が問われるのである。私腹を肥やさねば違法行為であっても責任をとらないでいいというのは詭弁である。

 また、鳩山氏は自分や家族のカネだから云々という気持ちを持っているようだ。確かに、よそから集める献金よりタチがいいとも言える。だが、親から子への財産相続であっても、法定のワクを超えたら課税対象になる。それが法治国家、日本である。総理大臣になることを志した鳩山氏がそれをわきまえていないのなら、政治家失格だ。

 日本の政治改革は、政治とカネの問題が大きな争点だった。鳩山氏はこの問題に最も熱心に取り組んできた一人である。しかし、自民党を攻めるなら、当然、自分はきちんとやっているかを確かめるべきだった。誰からいくら献金してもらっているか、何にいくら支出しているか、その過不足はどうなっているかなどについてだ。その基本的なことをないがしろにしたまま、いまになって、「知らなかった」はないだろう。いくらお坊ちゃんで、カネの苦労をしたことがないにせよ、これでは政治家としてだけでなく、人間としても、失格である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月23日 (水)

財政破綻の惨劇が来年幕を開ける?

 鳩山政権の2010年度予算案で、子ども手当はマニフェスト通りに実施することになった。支持率が低下してきた鳩山内閣にとっては挽回の材料になるかもしれない。しかし、15歳以下の子供たちや、これから生まれてくる子どもたちは、国債発行残高にみられる日本財政の借金の山を背負わされる宿命にある。まさに、「往きはよいよい、帰りはこわい」である。

 10年度予算では、国債の新規発行は約44兆円にとどめるという藤井財務相の主張に沿ったものになるようだ(小泉内閣が30兆円以下にとどめるという方針を打ち出した頃が懐かしい)。2010年度の税収が今年度(約37兆円)並みなら、国債費約21兆円を差し引くと、残るは約16兆円だけだ。地方交付税交付金は17兆円を超えるから、それを払うとすると若干のマイナスになる。つまり、一般歳出に振り向けるカネはゼロということになる(個人生活に例えれば、給料から住宅ローン返済や親への仕送りをしたら、手元には1円も残らず、生活費はすべて借金に頼るしかないという状態である)。

 ところが、一般歳出(社会保障関係費が約半分を占める)について、政府は約54兆円を計画している。全額をどこかから調達しなければ勘定が合わない。その内訳が国債発行約44兆円と埋蔵金発掘約10兆円ということになる。埋蔵金といっても、特別会計などから余裕資金を召し上げるもので、毎年、召し上げるというわけにはいかない。

 このように、国の財政実態は実質、破綻状態にある。そして、いまやいつ、どんなきっかけで破綻が訪れるかを心配しなければならない。だが、その割に、鳩山連立政権には財政問題に対する危機意識がない。そのことに驚く。消費税引き上げは4年間はやらないと言い、中期的な財政再建目標を急いで設けるという様子もない。

 12月21日付け日本経済新聞朝刊に、平田育夫論説委員長が「日本国債いつ火を噴くか」と題するコラムを書いていた。同氏の将来予想によれば、歳出の半分程度を国債に頼り続ける→日銀が大量の国債購入に踏み切らざるをえなくなる→インフレ懸念などで長期金利が急騰する。「その惨劇の幕が上がるのはズバリ来年」、きっかけは財政運営への不信感だという。

 平田氏は「やはり財政危機を回避するための本道は財政の健全化と、経済成長を促す政策を進めることである」と書いている。しかし、10年度予算案と税制改正大綱には、そのどちらも欠けている。子ども手当など個別問題や小沢民主党幹事長の専横ぶりなどに目を奪われているうちに、事態は深刻さを増している。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年12月20日 (日)

コペンハーゲン合意をテークノートするという結論

 10年ぐらい前の、環境に関する政府の審議会でのやりとりを思い出した。座長が「議論していただく時間がもうないので、報告案の取りまとめに入りたい」旨、言い出した。それに対し、ある委員が「地球温暖化のような人類にとって大きな問題について、時間がないから議論を打ち切るというのは何事か」と異議を唱えた。

 コペンハーゲンで開催されていたCOP15は、主要国の首脳が滞在予定を延ばして、何らかの合意を得ようと努力し、主要国の間で「コペンハーゲン・アコード(合意)」をまとめあげた。だが、それを受けた総会では、いくつかの途上国がアコードの受け入れに強硬に反対したため、単にアコードにテークノート(留意する)という結論に終わった。オバマ米大統領はアコードの最終決定に至る以前に帰国の途についたという。鳩山首相もアコードがまとまってすぐに会場を離れた。

 コペンハーゲンで温室効果ガスの排出削減について具体的な数値や期限を含む国際的な取り決めに達することは難しいと予想されていた。したがって、主要国の首脳が、中身が乏しいとはいえ、アコードをまとめたのは一歩前進と評価すべきなのだろうが、オバマ大統領などは総会にも残ってアコードが採択されるように努力してほしかった。地球温暖化は人類の衰亡につながりかねない重要な問題だからだ。

 超大国の1つである米国には、世界を引っ張る意欲がうかがえなかった。米国の凋落を痛感した。まして、もう1つの超大国である中国は自国の利益のことしか頭にないようだった。温暖化が進めば、水位の上昇で中国の沿海部のみならずかなり内陸までもが水面下に沈む。中国は温暖化の影響をこうむりやすい国土なのに、目先の経済発展と物質的な豊かさ追求に重きを置き過ぎている。

 超大国のリーダーシップが弱いのと逆比例するかのように、途上国などの発言力が増している。そのこと自体は結構なことである。しかし、中国から軍事的、経済的な援助を受けている国が多く、それらの国は中国のシンパになっているようだ。そうしたところからも、中国の発言力は強まっている。こうした国際的な状況のもとで、2度以内の気温上昇にとどめるという目標で世界の国々が実効性のある協定を1、2年内に結べるのだろうか。きわめて疑わしい。

 思い切った温暖化抑制対策の義務化はむしろビジネスチャンスだ、というとらえかたが先進国の一部にある。そうした発想をもっと国際的に訴えていく必要があるだろう。日本はそうした視点で諸国を説得するようにしたらどうか。すぐカネを出すという日本外交の悪習はほどほどにして。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月14日 (月)

温暖化対策をめぐる意見の大きな開き

 コペンハーゲンにおけるCOP15は、京都議定書の延長という、会議前には予想されてもいなかった方向に行きそうだと報道されている。日本は90年比25%減という、条件付きの削減を無条件でのまされかねないともいう。ここでもまた日本政府のイニシアティブは感じられない。環境大臣らが行ったとはいえ、陣頭に立って交渉をリードするという積極外交ではなかった。まだ各国首脳が顔をそろえる前だが、日本すでに敗れたり、の感が深い。

 13日に東京・飯田橋で開催されたKOSMOSフォーラム「21世紀の新しい環境観」で、野家啓一東北大学大学院教授は「温暖化対策のCOP15のように、人類が共同して何をすべきかを議論するとき、国民国家間の利害が妨げになる。国民国家はそうした問題にとって障害となっている」という趣旨の発言をした。まさに、今回のCOPはそれに当てはまる。

 コペンハーゲン会議で浮き彫りになったのは、米、中という超大国が地球温暖化の進行をなんとでも食い止めなければならないという意識および合意達成への責任を感じていないことである。中国は自らの急速な経済発展を妨げない範囲でできることだけを言い、米国も、資源エネルギーをふんだんに使うライフスタイルを持続するのを前提に可能なことを言っているだけである。両国が世界中の温室効果ガス排出量のおよそ半分を占めているにもかかわらず、自国の温室効果ガス排出を大幅に減らさねばという危機意識を抱いていないのである。

 もしも世界政府が存在するなら、科学者たちの予測にしたがって、総論として、これだけ減らそうという方針は容易に出るだろう。各論の段階で手間取るにせよ、総量がオーバーすれば、温暖化の被害はもろに出てくることが予測されるから、世界政府はきちんとした対策を実行するに違いない。

 現実には、世界政府は望みえない。とすれば、国際世論を盛り上げて、超大国に対し、自制や責任と、とりまとめるリーダーシップとを強く求めていくしかない。科学者たちの予測によれば、ここ数年で大きな方向転換をしないと、将来の人類は温暖化による甚大な被害、災害に苦しむのである。

 13日のフォーラムで、ノンフィクション作家の中野不二男氏は温暖化で海面の水位が数メートル高くなっていた事例として三内丸山の貝塚を紹介した。三内丸山はいま、海から30㌔メートルも離れているが、温暖化していた5千年前は遺跡のすぐ近くまで海岸線がきていた(縄文海進)ことを画像で示した。人工衛星ALOS(陸域観測技術衛星)の画像を地図や標高のデータなどと組み合わせて作成したものという。こうした「みえる化」をどんどん行なって、地球温暖化のもたらす影響を世界の民衆に知ってもらう努力を日本政府は率先して実行したらいい。

 フォーラムでは温暖化対策として、「物を浪費しなくて、自然にやさしくて、楽しく暮らすこと」(住明正東京大学教授)といった意見もあった。私は日本人だから、それには共感する。しかし、世界の人々の考え方や暮らしからはかけ離れた発想だと思う。こうした日本的な考え方と物質的、金銭的な豊かさを限りなく追求する欧米や中国の発想との間にはあまりにも大きな開きがある。その違いをどう埋められるのか、悩ましい問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月11日 (金)

不気味な小沢民主党幹事長の行動

 民主党の小沢一郎幹事長は党所属の政治家、議員に対し、選挙区で辻立ちせよと求める。そして、自らも、あちこちを回って応援演説などをする。だが、国民全体に向かって自らの所信を表明することはまずない。新聞などマスメディアからは、彼が日本の将来をどう考え、どのような政治をしようとしているかが国民には伝わってこない。したがって、彼の行動や断片的な発言から推し量るしかない。

 10日、小沢幹事長は民主党の国会議員140名余を含む約600人を率いて北京を訪れ、中国共産党の胡錦濤主席と会った。前代未聞の訪中団である。胡主席が突っ立っているところに、団員一人ひとりが歩み寄って握手する。その繰り返しは、あたかも中国の皇帝のところに伺候する属国の支配者たちのようにみえる、そう評した知人もいる。

 小沢氏は胡主席との会談の中で、来年の参議院選挙について「兵を募り、鍛え、勝利をめざしている」と述べるとともに、自らを「野戦軍の最高司令官」だと称し、「解放戦(参院選)が終わるまではそれに徹したい」(11日付け朝日新聞朝刊)と語ったという。相手に合わせての発言だろうが、憲法第9条を持つ日本の政治に大きな責任を持つ者としてはふさわしくない表現である。

 団員の政治家は小沢チルドレンを含め、小沢派とも言うべき政治家がほとんどのようだ。政府と党は別だとして鳩山政権とは一線を画したつもりかもしれないが、党内党のような公然とした分派活動にもみえる。いずれ民主党が割れるとすれば、小沢派とそれ以外ということになるのではないか。

 小沢幹事長は北京からソウルに回り、韓国の大統領に会う。しかし、約600人を連れていきはしない。なぜ、最も近い隣国の韓国には大訪問団を引率していかないのか。そして、鳩山首相率いる政権が沖縄の基地移転問題であいまいな姿勢のため米国との関係をおかしくしている一方で、小沢幹事長が党外交で中国との関係を強めている。それらの一連の動きが日本の将来にどう響くのか。大いに気になるところだ。

 小沢氏の意向で、民主党政権は陳情の受け付けを党に一元化した。行政官庁や大臣など政務三役への陳情は認めない。したがって、政府への陳情は小沢幹事長がすべて取りまとめ、政府に申し入れるということになる。問題は、党から政府への要望については、事業仕分けのように国民の目にさらされることがない点だ。日本テレビで村尾信尚ニュースキャスターがそれを指摘し、同様な仕分けを求めていたが、賛成だ。

 音楽指揮者の小沢征爾さんが直接、小沢幹事長に予算の確保を陳情していたが、党から政府への要望という形で、こうした著名人の陳情や、選挙応援などを約束する各種団体・組織の要望には予算をつけるというのでは、自民党政権のときと何ら変わらない。党は政策には口をはさまないと小沢幹事長は言っていたが、果たして、どうか。

 民主党中心の連立政権は、子ども手当など公約の実現に熱心だが、未曾有の財政危機には目もくれない。財務大臣を除くと、カネがなければ国債を増発すればいい、という閣僚ばかりのように思える。それはまた、参院選挙で勝つことしか頭にない小沢幹事長の意向に誰も逆らえないせいもある。

 民主党政権はどうやら「党高政低」が特徴のようだ。そこで連想するのは、中国、ベトナムなど社会主義を標榜する国が典型的な党高政低の一党独裁国家であることだ。小沢氏が何を考えているのか知るよしもないが、来年の参院選挙で勝ち、社民党などとの連立が不要になれば、民主主義国家の日本を実質的に改変し、一党独裁的な政治体制を確立しようとするのではないかとすら危惧する。考え過ぎだよと言われるかもしれないが、小沢氏の行動には不気味さを感じざるをえないのである。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 8日 (火)

COP15で日本は攻めの姿勢か守りの姿勢か

 地球温暖化にブレーキをかけるための気候変動枠組条約締約国会議(COP15)がコペンハーゲンで始まった。温室効果ガスの発生量と吸収量の差が大気中に蓄積されると、地球表面が温まって気候の変化が激しくなり、猛烈な風雨、洪水、熱波、干ばつなどが襲うといわれる。それに伴って、多くの動植物が絶滅するという。このため、人類の生存の基盤がゆらぎつつある。

 世界の科学者を総動員したIPCC(政府間パネル)は、温暖化によって何が起きるか、自然や経済社会などが受ける被害の増加を抑えるには大気中の温室効果ガス濃度上昇をどの程度にとどめるべきか、などを研究し、公表してきている。だから、世界各国の指導者たちは、程度の差こそあれ、温暖化を放置すべきではないことを理解している。問題は各論だ。どこの国が基準年に対し、いつまでにどれだけ減らすかである。ないしは増加率をどれだけ低めに抑えるかである。

 半年ぐらい前までは、鉄鋼、セメントなど、二酸化炭素の排出量の多い産業が、セクター別アプローチを唱え、政府の一部もそれを支持していた。鉄鋼なら鉄鋼で、世界の製鉄所のトン当たり排出量を比較して、排出量の多い工場の排出量削減を優先するという考え方である。しかし、コペンハーゲンでは国対国の交渉ごとなので、話題にもならない。

 したがって、中期目標として、どこの国がどれだけ削減ないし伸びの抑制を図るかという国際交渉となる。まだ、ほとんどの国は二酸化炭素の発生量と経済発展とがニヤリー・イコールなので、先進国を除いて、どこも自分たちが出す温室効果ガスの量の増加を抑えたくない。ことに、経済発展のレベルが低い国は完全にそうだ。

 日本の政府に対して望むことは2つある。1つは、日本は1990年比で2020年の排出量をマイナス25%にするという鳩山首相の発言は国際的にも高い評価を受けた。日本がマイナス15%程度と言っていたら、コペンハーゲン会議は全く展望が開けなかっただろう。その意味で、日本は今回の会議で二大排出国の米中を含む世界的な温室効果ガス削減中期目標をつくりあげるためのイニシアティブをとりうる立場だし、とってほしい。言いっぱなしでなく。

 温暖化交渉も外交である。各国とも、自国に有利な結論に持っていくため、外交手腕を振るう。要するに、外交が下手だと、不利な条約などを結ぶように追い込まれる。京都議定書は見方にもよるが、日本が最も割りを食った。今回も、受け身で交渉していると、その二の舞になるおそれがある。EU、米国、中国はまさに日本がえじきになりかねない交渉相手だ。

 2つ目は、鳩山政権はマイナス25%を実現するために日本がどうするか、具体的な方策を早急に詰めてほしい。そして、企業や市民に積極的に実行してもらうよう働きかけるべきだ。それと並行して、地球環境問題の重要性をさまざまな場を通じて国民に理解してもらうことがなにより大事だと思う。デンマークは風力発電や自転車へのシフトなど、明確な方向転換を行なった。日本だって、その気になれば、相当のことはやれる。

 高速道路の無料化などは、温暖化問題の重要性に照らせば撤回するのが当然だ。にもかかわらず、いまだにマニフェストに書いてあるからといって、財政難にもかかわらず撤回しない。

 マイナス25%をぶちあげただけで、国民をそこに結集して実をあげようとする努力が少ないのは驚くべきことである。政治は将来の国のかたちを国民に語ることで、国民を引っ張っていくことができる。しかし、説得力のあるものでなければ、国民はついていかない。

 政権の担い手が自民党から民主党に代わったことで、積年の弊が除去された面が少なくない。国民の多くはそれを評価しているように思われる。しかし、3か月、半年と経つにつれ、国民の民主党を見る目は冷静になっていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 5日 (土)

診療報酬引き上げは安易な発想だ

 全国知事会が医師不足に悩む地域の医療再生のため診療報酬引き上げを求めている。知事会のみならず、診療報酬引き上げをという声があちこちであがっている。しかし、診療報酬の約半分が人件費であるにせよ、1%とか2%とかの引き上げで医師不足が解消するだろうか。

 行政刷新会議のWGは、①病院に比べて高い開業医の診療報酬を引き下げて病院の診療報酬引き上げに充てる、②診療報酬が高い眼科、皮膚科などについて引き下げを行ない、小児科、産科などの診療報酬引き上げに回す、という方向を打ち出している。既得権益を奪われるところの抵抗は強いだろうが、最低限、これらをやりぬくことが政府の役割だろう。国の財政が最悪だから、八方まるくおさまる解決策はとりようがないことをわきまえねばならない。

 開業医はきちんと休日をとり、夜間診療をしないところが多い。一方、病院には患者がのべつまくなしに訪れる。それなのに、診療報酬は、診療所のほうが病院よりも高い。医師個人の収入も、病院の勤務医よりも開業医のほうが多い。労働条件で比較すると、開業医が病院の勤務医よりもはるかに有利である。これが医師不足の背景にある問題点である。

 かつてのように、国の財政が豊かで、保険料引き上げを国民が問題なく受け入れることができる時代なら、病院の診療報酬を診療所のレベルまで引き上げることが可能だが、未曾有の財政危機のもとではそれは考えられない。

 また、診療科目によって診療報酬の単価が異なる。医療過誤リスクなどを考慮しても、開きすぎている。このため、低い診療科の医師をめざす学生が減っているといわれる。したがって、高過ぎる科目の単価を引き下げて、低すぎる診療科の単価引き上げに充てることは妥当だ。

 来年の春闘にあたって、連合は賃上げ要求をしない方針を決めた。デフレで民間労働者はボーナスの削減は当たり前。年収が軒並み前年比マイナスになっている。そうした時期に医師不足対策ということで、もともと高収入を得てうらやましがられている医師がさらに年収アップするという話は、いかにも国民の多くの気持ちを逆なでする。診療報酬単価が据え置かれても、デフレのいま、実質は1~2%のアップに相当する。それらを考慮すれば、開業医から勤務医へ、高い診療科から低い診療科へ、というやりくりこそが合理的な解決だと思う。

 地域医療問題を解決するには、忙がし過ぎる病院の医師の業務を減らすために、看護婦に一部、医療行為を任せる、病院と診療所が連携して医療にあたる、など、さまざまな対策をとる必要がある。診療報酬を上げればことは解決するような幻想は許されない。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 4日 (金)

おかしなことばかり

 最近の報道でどうもおかしいと思う出来事がいくつもある。

●日本政策金融公庫の中間決算について。最近、日本経済新聞の「私の履歴書」に、帝人の社長だった現日本政策金融公庫のトップが登場した。人事の主流からはずれていながら、与えられた仕事の中で能力を発揮し、ついに帝人の社長にまでなったサクセス・ストーリーは、読ませるものがあった。その人物がトップの座にある日本政策金融公庫の中間決算が発表になった。経常収益3689億円に対し、経常損失がなんと5763億円にも達した。

 同公庫は国際協力銀行、中小企業金融公庫など政府系金融機関が統合してできたもの。運営は元の各機関が実質的に独立して経営しており、赤字の元凶は中小企業事業の部門である。そこの部門収支は経常収益767億円に対し、5267億円の損失を計上した。信用保証協会の代位弁済が高水準で推移したからだという。保険金支払いは4294億円だった。そして、政府の出資金1兆1059億円で自己資本の穴埋めをしたとのことだ。

 政府系金融機関にせよ、こんな大きな損失が出るというのは、信用保証協会が金融機関の中小企業向け融資に対して、まともに審査をしていないからではないか。また、公庫はそれを黙認し、景気対策だからといって、倒産そして貸し倒れになるような企業への融資について代位返済を保証したとしか思われない。こういう形で国民の税負担が増えるのは納得できない。きっちり説明すべきである。

●民間出版社が発行する『外交フォーラム』や『Japan Echo』を外務省が大量に買い上げて議員、有識者、メディアに配布しているのを、先の行政刷新会議が事業仕分けで廃止するとの判定をくだした。これについて、北岡伸一東大教授ら国際政治学者が緊急声明を出し、買い入れ継続を求めた。商業ベースで日本の外交政策の情報を発信し続けることは極めて難しいとの理由からだ。

 仕分けでは政策効果が薄いと判定されたが、私は特定の民間出版社に政府が肩入れするのはおかしいという原則論をとる。どこの分野でも学者、研究者は執筆した論文などを記載してくれる専門雑誌、総合雑誌や単行本の発行が減って困っている。過去には思想、信条に照らして絶対に執筆しなかった雑誌などに、いまは平気で原稿を書いている学者も少なくない。このように、現在、出版社の多くが経営難に直面し、どの分野の学者、研究者も発表機会が減ってしんどい。そうした中で、自分の関わる分野だけは特別のように思うのは視野狭窄もいいところではないか。

 求められるのは、このICT時代に、どうやって日本の学者や研究者らが発信したら、内外の関係者や専門家などに効果的に伝わるかを真剣に考え、工夫すること、それに、内外の人々を説得できる内容であるのか、切磋琢磨してレベルを上げること。そうした努力が必要ではないか。配っても読まれていないというようなことはなかったか。スパコンもスポーツ界もだが、税で支えてもらっているという謙虚さがほしい。

●神戸市の外郭団体への補助金をめぐる住民訴訟について、大阪高裁は市長への賠償請求を放棄するとの市議会議決を無効とする判決をくだした。もっともな内容だ。首長には提案権、議会には決定権という現在の二元代表制には問題があるといわれるが、首長と議会・議員(および職員・労働組合)とがなれあって、住民の利益に反する行動をとる自治体が少なくない。地方分権とか地域主権とか言葉は美しいが、住民に最も近い市区町村が住民の利益を優先するようにならないと、本物の地域主権は実現しないと思う。

 派遣先の仕事が市の業務に密接に関わってはいない、つまり天下りのような職員派遣にもかかわらず、市が補助金を出して市に損害を与えた。ということで、一審は神戸市に対し、市長らに損害賠償請求するよう命じた。これに対し、神戸市は控訴し、職員派遣に関する条例改正案を提出。その中に賠償請求権の放棄も入れた。そして、市議会はそれを可決した。この一連の動きは住民訴訟の意義を真っ向から否定したとんでもない行動である。主要な政令指定都市の1つである神戸市にして、このていたらくだ。

 同じ政令指定都市でも、名古屋市は就任して間もない河村市長が地域主権の実現を目指していろいろ試みている。こうした住民主体の地方政治を実現する努力が積もり積もることが国政レベルでの地方分権論議を促すだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »