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2010年2月28日 (日)

中国と日本を比べると

 「台頭する中国とどう向き合うか」。先週、遊川和郎北海道大学大学院准教授の会見を聞いた。中国は自国を社会主義ないし社会主義市場経済と称するが、「強欲社会主義」と言うとわかりやすいと言う。

 中国は経済発展優先、国家目標達成最優先、および利益最大化のためには手段を選ばないという価値観の国であり、資本主義との違いがあるとすると、唯一、共産党が統治していることだと遊川氏は指摘した。

 中国の存在感が増した背景には、WTOへの加盟と全球化(グローバリゼーション)の進行が挙げられる。日本のデフレや非正規雇用の増大もそのせいだという。

 将来のことはさておいて、現在の中国の強さは次の4点によるという。即ち、①一党支配に基づく安定した長期政権である、②共産党が決めたら、それを実行するだけで、選挙も議会対策もないから、「民主主義」のコストが低廉である、③権力と資源の総動員が可能である、④市場という見えざる手と共産党の手とから成るハイブリッド経済である。

 しかし、国民に自分の頭で考えることを認めず、共産党の指導に従っていればいいという「民主主義でないコスト」は急上昇しているという。だが、党内民主化は許容するにしても、党および党員の利益を保持するため、党の分裂ないし複数政党化は認めない。すべては共産党の掌の上にあるとしている。

 台頭する中国に対し、日本は衰退傾向にあり、その対比は興味ある論点である。『ニューズウイーク」日本版の2月10日号は「ジャパン・アズ・ナンバースリー」と題する特集をした。エズラ・ボーゲル・ハーバード大学名誉教授と周牧之・東京経済大学教授の対談は、日本に関して以下のように鋭い観察をしている。

 ・日本では、働く者の利益を重視し、社会保障が充実している。そのため、これに頼る風潮が人々の意欲不足を招いている。中国はセーフティーネットの不備で社会の緊張感が高まり、多くの問題を招いているが、それが経済の活力を刺激している面もある。

 ・日本では、中央政府が財政の再分配で地方の公共サービス、義務教育、社会保障を支えてきた。一方、中国は中央による地方政府への再分配の発想が乏しかった。地方の自主性が乏しい日本では、地方政府が相変わらず国依存で、積極性に欠けるため、そのことが近年の地方経済の衰退を招いた。

 ・中国は文化が多様で少数民族も多いが、日本は国内の文化的な差異が小さい。だから、日本人は文化的背景の異なる人たちと交流する経験が少ない。ハーバード大学に留学しても、帰国したあと、企業や政府機関といった狭い世界にこもってしまう。日本のエリートは、聡明は聡明だが、狭い。中国人のほうが大局的だ。

 ・日本と中国では、エリート層が直面する国内外の問題の複雑さや深刻度が違う。もまれる機会が日本は相対的に少ない。そのことが、外国との交渉や国連の場でコミュニケーション力のあるリーダーが生まれにくい事態を招いている。

 ・中国の発展に対する日米の態度の違いは、米国人は単にカネを稼ぎたいだけなので、中国をビジネスチャンスととらえている。国家のことはあまり考えない。何でもうまくやれると楽観的である。日本は違う。資源のない島国で、工業分野しか国際競争力がないからだ。

 NHKの「日曜討論」のテーマを見てもわかるように、日本の政治はきわめて内向きである。世界を見ていない。中国の台頭で日本がナンバースリーの経済国になるのは当たり前のことだが、もっと米国や中国から学ぶことがあるように思う。

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2010年2月24日 (水)

杉本前財務次官「この財政状態はサステナブルでない」

 財務省の付属組織である財務総合研究所は「変化する世界経済と日本経済・財政の課題に関する研究会」を開催しており、2月2日には第5回の研究会を持った。この日の報告者の1人は杉本和行前財務省事務次官だった。報告のタイトルは「日本における財政政策とその課題」。

 報告要旨の中から参考になる部分を取り上げると――

 1990年度予算(特例公債から脱却した)から2009年度までに国債残高は400兆円以上増加した。その主な要因をみると、税収減が150兆円強、経済対策における公共事業の増加が64兆円程度、社会保障費の増加が130兆円である。

 資金循環統計によると、一般政府の赤字は拡大、家計の貯蓄超過幅は縮小している。非金融法人企業は負債過剰の解消に努め、大きな貯蓄超過になったが、近年、その貯蓄超過幅は縮小している。

 高齢化の進展を考慮すると、家計貯蓄が増加することは考えにくい。一般政府の赤字幅が拡大することも加味すれば、国のこの財政状態はサステナブル(持続可能)ではない。中長期的に、経済の波乱要因となるのではないかと考えている。――

 財務省の前事務次官が「サステナブルでない」と述べた日本財政の危機については、財務省OBの野口悠紀雄早稲田大学教授が文芸春秋3月号に「ついに国債破綻が始まった」と題して具体的に何が起こるかを書いている。即ち、強烈なインフレだ。第二次世界大戦後の4年間で物価が60倍になったように。そうなれば、国の借金は実質60分の1に軽減される。逆に、貯蓄はほぼパーになる。

 それを避けるにはどうしたらよいか。野口氏は「非現実的・乙女の願い的シナリオであることを承知の上で言えば、インフレで身ぐるみはがされる危険を国民が自覚し、それを回避するように政治に働きかけることだ。無駄遣いを減らし、国の支出を経済力に見合ったものにすることである」という処方箋を示している。

 この記事の中で、野口氏は、税収が歳出の4割しかない2010年度の政府予算には「日本の死相」が明瞭に現われている、とすら指摘している。

 いまの国会は2010年度予算の政府案を審議しているはずだが、ここに紹介した杉本氏や野口氏のような危機意識は全くうかがえない。なんともおそろしい話ではある。

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2010年2月23日 (火)

ドイツの温暖化対策「The budget approach」の示唆

 低炭素化を訴える山本良一東京大学教授の話で、ドイツ連邦政府の地球気候変動諮問会議(WBGU)が昨年出した特別レポート「Solving the climate dilemma:The budget approach」を知った。これから2050年までの間に世界が排出する化石燃料に基づくCO2量の上限をあらかじめ決め、それを1人当たり均等に割り振る。そして、それをもとに各国が化石燃料依存を21世紀前半のうちにほぼゼロにしていくという構想だ。

 同レポートは、試算をもとに、世界は可能な限り早く脱炭素に着手すること、そして2015~2020年(5年ないし10年後)に世界の化石燃料消費によるCO2排出量が減り始めないと、産業革命以降の平均気温上昇を摂氏2度以内にとどめるという主要国の合意は達成できない、という警告を発している。

 地球温暖化が進めば、乾燥・砂漠化、海面上昇、豪雨・洪水や生物の種の死滅、食糧不足など人類の生存基盤を脅かすさまざまな危機が襲ってくるとされる。そうした危機をある程度にとどめて、絶望的な状況に至らないようにするには、平均気温の上昇を摂氏2度以内に抑える必要がある。

 そのためには、「The budget approach」と名付けた試算によれば、2010年から2050年までの40年間の化石燃料起源のCO2排出合計を7500億トン以下にとどめなければならないという。そして、この排出枠を2010年の世界の人口69億人をもとに1人当たり均等に配分するという国際的な取り決めを行なうものとしている。ちなみに、人口に基づく各国への配分量を2008年の各国の年間排出量で割ると、日本は11年分の排出枠を保有することになる。ちなみに、米国は6年分、中国は24年分、インドは88年分である。世界全体では25年分に相当する。

 日本の場合、いまのままのCO2排出量を続けるとしたら、計算上、11年後には化石燃料の消費によるCO2排出をゼロにし、以後もずっとそれを守らなければならないということを意味する。このアプローチでは、貧しい国などは排出権を売ったり、共同実施をしたりして、自国の経済発展や脱炭素を図ることができるので、先進国のほうは思い切った低炭素化を図りつつ、足りない分を排出権の購入などで補うという選択肢が可能である。

 いずれにしろ、このアプローチによれば、2050年までの間に化石燃料の時代は終わりを告げる。しかし、7500億トン以内に抑制するという試算によれば、それでも摂氏2度以内の平均気温上昇におさまる確率は67%である。同レポートのもう1つの試算では2010~2050年の総CO2排出量を6000億トンにとどめた場合、摂氏2度以下の気温上昇にとどまる確率が75%になる。

 このアプローチは過去の排出は計算に入れないが、地球温暖化が国際的なテーマとなった1990年以降の排出に比例して各国に資金拠出を強制するという。その資金は創設する「世界環境銀行」の補償基金として、途上国などの脱炭素支援に充てるという構想である。

 未知の要素がたくさんあるが、ドイツ政府のこの試算は、私たち人類が直面している気候変動による危機が容易ならざるものであることを教えている。日本政府は温暖化問題にもっと真剣に取り組むべきだ。政治の責任はものすごく大きい。 

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2010年2月21日 (日)

特別会計は主計官がほとんどノーチェックとは

 最近は「埋蔵金」が話題にのぼらなくなっているが、菅正治著『霞が関埋蔵金』(2009年9月刊、新潮社)を読んだら、国家財政の特別会計について教えられることが多かった。最も驚いたのは、財務省主計局の主計官が各省庁から提出された特別会計の概算要求について、その骨格すら知らないという指摘である。すべての主計官がそうだとは書いていないが、特別会計については部下任せで、査定が甘いというのは本当のようだという。

 また、本書では、主要先進国のなかで、一般会計の規模よりも特別会計のほうが大きいのは日本だけであり、実態はわかりにくく、無駄遣いが多いと言えそうだという。そして、財務省が不必要な特別会計の廃止に向けて動かないのは、とても不思議だと述べている。

 特別会計改革の集大成とされた2007年3月成立の特別会計法は、「特別会計を所管する各省庁の抵抗はやはり強かったため、最終段階では見事なほどに改革は骨抜きとなって」いる。例えば、積立金の必要基準を公表するとの義務付けが抜け落ちた。このため、剰余金を必要以上に特別会計内にためこみ、一般会計への繰り入れをしない、といった問題があるという。

 全28特別会計の07年度決算剰余金は43兆円にのぼった。このうち、国債整理基金など3つの特別会計は一般会計への剰余金繰り入れはできないことになっている。それを除くと10.6兆円になるが、そのうちの1.8兆円しか一般会計に繰り入れられなかった。残りは翌年度の歳入や積立金に回ったが、その中の2兆数千億円は一般会計に繰り入れ可能だったと指摘している。

 特別会計の積立金は2007年度末で205兆円。1989年度末には82兆円だった。また特別会計の資産残高は単純合計では07年度末に635兆円にのぼる。資産から負債を差し引いた正味財産は101兆円ある。しかし、財務省は以後、資産、負債の内訳を公表しないという。ディスクロージャーに関して、財務省は消極的であることがわかる。また、各省庁のディスクロージャーへの姿勢はまちまちだという。

 外国為替特別会計と労働保険特別会計の雇用勘定の積立金を取り崩せば、20兆円以上の埋蔵金が発掘できるとか、08年度の剰余金のうち、新たな埋蔵金は9兆円ぐらいあるといった著者の指摘には、異論もあるかもしれない。いずれにせよ、もっと特別会計の財政実態を詳細に開示することこそが、いま求められているのではないか。

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2010年2月19日 (金)

白川日銀総裁が財政再建に言及

 日本銀行の白川方明総裁が18日の記者会見で、金融市場安定の観点から財政再建に言及した。同総裁は国際会議に出ていろいろな問題意識を感じたとして、新興国経済の力強い成長と、財政リスクに対する関心の高まりの2点を挙げた。財政の持続可能性に対する市場の関心は世界的に高まっているという。

 同総裁は、国際金融市場の安定を維持するには2つのことが重要だと述べ、①政府が財政再建の道筋を示し、金融市場の信認を確保すること、②中央銀行の金融政策運営が財政ファイナンスを目的にしていないこと、言い換えると、物価安定のもとでの持続的な経済成長を目的として金融政策運営が行なわれていること、を強調した。

 また、白川総裁は会見で、日銀の使命は「適切な金融政策運営を通じて、日本経済が物価安定のもとでの持続的な成長経路に復帰するよう努めること」と言い、そのことが「財政再建を進めるうえでも重要な条件の1つを整えることになる」と語った。

 同総裁が財政再建に関して踏み込んだ発言をしたのは珍しい。これは、デフレから脱却できず、日本の財政がさらに悪化して国債価格が下落するおそれがあること、それに関連して、政府が日銀に国債保有を増やせなどと求めてくるのは困る、ということで、予防線を張ったのではないか。

 菅直人副総理兼財務相が最近、1%程度の物価上昇率を政策的な目標にすべきだと語ったが、これは、政府が、いわゆるインフレターゲットを設け、それに沿った金融政策を日銀に求めているように受け取れる。この日の会見で、白川総裁はインフレターゲットについて詳しく述べ、むしろ欧米では「反省機運が生まれてきている」との判断を示した。

 日本国は、税収は減る半面で、国の財政支出は大盤振る舞い。財政再建への取り組みもいたってのんびりしたものだ。気が狂ったかと思うような、こうした鳩山政権の財政運営に対して、日銀の危機感は相当なものだろう。18日の日銀総裁会見の発言には、財政破綻が足音を立てて迫ってくることへの危機感が表われていたようにも思う。

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2010年2月18日 (木)

危険がいっぱい

 バンクーバーの冬季オリンピック。ハーフパイプなどの種目は危険がいっぱいだ。失敗したら、大けがをしかねないし、命を失うこともありうる。見ていると、はらはらしてしまう。それでも、選手たちは好きでやっているのだからいい。そんな世界と違い、一般人の市民生活における危険はいやなものだ。

 ふとん屋さんに注文してふとんを新調した。届いた日にさっそく寝てみたら、ちくりとする。調べたら、マチ針が1本残っていた。今週、身近で起きた出来事である。ふとんをつくる業者が綿を入れて縫い合わせたとき、マチ針を取り忘れたらしい。幸い、大事に至らなかったが、目などを刺したら、おおごとである。

 何本のマチ針を使ったか。そして、作業が終わったら、回収した針の数を確認する。医者が手術で使ったメスなどの数を照合し、人体内に置き忘れたりしないように確認するのと同様に、仕事の基本である。

 また、数日前、東京・日本橋かいわいでのこと。横断歩道の信号が青になってから人より少し遅れて渡ろうと一歩踏み出したら、右から自転車が突っ込んできた。びっくりして私は踏みとどまった。車道を走ってきたこの自転車は赤信号に変わっていたにもかかわらず、無理やり走ってきたのである。乗っていた若い女性は、ごめんなさいも何も言わず、行ってしまった。

 10年ほど前、名古屋市内で同様な目に遭ったことを思い出す。若い男が乗る自転車が、横断歩道の信号が赤になりそうだというので、加速し、横断歩道に入ってきた。勢いがついているので、渡っていた私に真正面からぶつかりそうになった。私はなんとかよけたが、そのときも、男は知らん顔で去った。

 毎日、通勤電車で通っていた頃、電車が遅れることはまずなかった。しかし、このごろはちょっと出かけたとき、往きか帰りのどちらかでちょくちょく遅延する。先日は往復両方とも遅れた。定刻運転が当たり前だった首都圏の電車運行に異変が起きているのではないかと思う。

 その理由はいくつか考えられる。1つは、自殺だとか、人が線路上に入り込んだなどといった、人に基づく運転ストップの多発である。2つ目は、車両故障や信号システムの故障などといった運行設備・システムのトラブルが多いことである。3つ目は、JR、私鉄の相互乗り入れなどに伴い、ある路線でトラブルが起きると、それが関連する路線の運行にまで影響するようになったことである。

 問題は、2つ目である。失敗学によると、小さなトラブルが多発すると、いずれ大きな事故が起きる可能性が高い。先ごろ、東海道新幹線が長時間ストップしたが、原因は単純な作業ミスだった。大企業であろうと、小企業であろうと、仕事をきちんとする心構えがおろそかになっていはしないか。競争が激しすぎるからといって、経営者や従業員が規格や品質をないがしろにする傾向がありはしないか、気になる。それだと、競争力自体が劣化していく。

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2010年2月14日 (日)

市場金利の上昇は財政悪化を加速する

 民主党は4年間は消費税を引き上げないと公約したからというので、消費税引き上げに踏み出そうとはしない。しかし、最近の内外情勢は、同党に対し、消費税引き上げを含め、財政健全化に早く取り組むよう迫っている。

 だが、消費税アップといったまともな問題提起をしたら、総選挙に負けるという意見が民主党内に強い。同党の良識派の一人、仙谷国家戦略相でさえ、そういう意見である。しかし、衆議院選挙で圧倒的な勝利をおさめた今日にいたっても、民主党が、国民を、うまい話にしかついてこないという目で見ているとしたら、国民蔑視もいいところである。

 国外では、ギリシャの財政危機は深刻である。同国はEUに加盟し、EU諸国と共通通貨なので、ギリシャの財政破綻の影響がEU諸国に及ぶ懸念がある。スペイン、イタリアなども財政再建への取り組みをしている。金融危機以降の財政出動でフローの財政収支が極端に悪い米国政府は、野放図な財政膨張に上限を設けようとしている。

 それに対し、民主党が議会の多数を占める日本では、民主党中心の新政権が財源を国債増発に求める形で、大盤振る舞いをしている。2009年度第2次補正予算にせよ、2010年度予算案にせよ、景気の下支えのねらいもあり、「財源なくして歳出なし」という財政節度を無視している。このため、最近、米国の格付け機関が日本国債の格付けを引き下げるウォーニング(警告)を出したほどだ。

 市場の動向をウオッチするエコノミストやアナリストたちも、成長政策がないまま当面の応急対策にばかりカネをばらまく政府の経済政策に一段と厳しい目を向けるようになった。

 いまのところ、財務大臣(いまは菅直人副総理)だけが財政破綻を懸念して消費税引き上げなど財政再建への取り組みを口にしている。しかし、これでは、市場の反乱というか、市場金利の本格的な上昇が何らかのきっかけで始まるのではないか。

 4日、財務省が発表した「2010年度予算の後年度歳出・歳入への影響試算」の発表資料の末尾に、参考として「2011年度以降、金利(10年国債)が変化した場合の国債費の増減額」が試算されている。もともとの影響試算を前提にして、金利がそれよりも1%高くなったら、国債費は2011年度に1.1兆円増加、2012年度は2.6兆円増える。さらに2013年度には4.3兆円増える。金利が2%上がった場合にはそれぞれ、その2倍程度に増加する。

 私の理解では、消費税1%で約2.5兆円の税収増が見込まれる。したがって、10年国債の金利がいまより2%上がったら、それによる国債費増をまかなうため、2012年度の場合、消費税率2%増でほぼトントンということになる。2013年度となると現行の3~4%アップに相当する国債費増になる。それより先の年度については触れていないが、消費税率をもっともっと上げないと、2%の金利増による国債費増を賄えないだろう。

 日本政府が真剣に財政再建へと動かないと、いつ金利上昇という爆弾が破裂するかわからない。

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2010年2月11日 (木)

『「改革」はどこへ行った?』(竹中平蔵著)から

 竹中平蔵氏と聞いただけで、新自由主義だとか、小泉改革で格差拡大をもたらした元凶だとかと毛嫌いする人がかなりいる。同氏が09年11月に出版した新著『「改革」はどこへ行った?』(東洋経済新報社)は、同氏が政治家としてやってきたことへの“いわれなき中傷”に論駁し、日本経済は規制改革を進めないと成長できず、財政破綻などに向かうと主張している。

 同氏および同氏と異なる見解を抱く経済学者、エコノミストが一堂に会して経済政策論争をじっくりと展開してくれると、われわれ国民に非常に参考になるのではないか。総合雑誌などの編集者がそうした問題意識を持っていないことは、日本の未来を考えるとき、憂うべき状況だと思う。

 引用してみたいところが多々あるが、その中からいくつか同氏の主張を以下に紹介すると――。

 政策には「Policy  to  help」と「Policy  to  solve」の2通りある。例えば、失業者が増えるのは日本の企業の国際競争力が落ちているからで、競争力を回復させ、経済を成長させることが根本的な唯一の「solve」(解決)である。失業者を出さないように企業に補助金を出したりするのは「help」であり、その結果が「失われた10年」などである。今年度、来年度も「help」で大きな予算を組むと、財政赤字がどんどん膨らむが、経済はいっこうに強くならないという状況が続く。

 霞が関は非効率な企業にカネを与える「help」で官の領域を拡大させている。しかし、弱体化し、企業規模も世界的にみると小さくなった日本企業を集約し、強くするのが目指すべき方向である。

 霞が関は補正予算などを大きくし、使い切れないのでたくさんの基金をつくったりしたが、国民にカネを使ってもらおうというのなら、減税をすべきである。

 中途半端な民営化が既得権益者にとって一番都合がいい。郵政民営化では郵政ファミリーなどが喜ぶように中途半端な民営化に改悪しようとしている。

 地方自治体は財政が苦しいと言うが、高過ぎる地方公務員の給与を下げた自治体がいくつあるのか。下げないで、病院など切りやすいところから閉鎖・縮小している。

 これからも小さな政府を目指すという方向性を掲げ続けることが必要である。それは、消費税を十数%でとどめるか、25%以上に引き上げてしまうかの選択である。

 ワイドショーで政策評論する人で、実際に政策に携わったことがある人はいない。問題がどんどん難しくなっているのに、コメントする人はアマチュアなので、非常に幼稚な政策論議になっている。民営化で、郵便局ネットワークが破壊されたなどというが、全くの誤りである。実際には、郵政公社の4年間、毎年約50局の郵便局が閉鎖されたが、民営化されてから1年半のあいだに閉鎖されたのは1局だけである。

 地方分権を実現するには、地方自治体が自らの財源を持たねばならない。それには地域偏在のない消費税がふさわしい。消費税を社会保障財源とする、いわば実体的に社会保障目的税とする議論があるが、それだと、消費税は永遠に国税となる。霞が関は本心では地方分権をやる気がないのではと考えられる。

 日本経済を強くする政策として5つを提案する。①法人税減税、②ハブ空港・オープンスカイ、③東京大学民営化、④農地法改正、⑤インフレ目標の導入。

 改革を進め、経済を強くするには国の政治のリーダーが重要である。リーダーとなる人が政策の旗を掲げて行動すれば、政界再編が起こる。時代がリーダーを生みだす。時代がリーダーを求め、それに応えて大舞台で大化けする政治家が出てくるのだろう。

 ――共感するところもあるし、首をかしげるところもあって、この本はなかなか読み応えがあった。 

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2010年2月 8日 (月)

しどろもどろの鳩山首相答弁

 8日の予算委員会では、自民党の加藤紘一氏が鳩山首相の政治資金問題を厳しく問い詰めた。かつて野党時代の鳩山首相は、秘書の問題は政治家本人の責任だと言っていたが、いまは違うことを言っている。その違いを加藤氏は追及したのである。

 それに対する鳩山首相の答弁はしどろもどろだった。何を言っているのかがよくわからなかったが、首相の言わんとしていることは、どうやら、こういうことらしいなと思った。つまり、鳩山氏は、自らに責任はないわけではないが、それよりも総理大臣の職責を果たすことのほうが大事だと。

 びっくりするほど、支離滅裂な答弁である。答弁している鳩山首相の顔はこわばっていて、自らの答弁が強弁であることがわかっているようにみえた。鳩山氏がまともな人間なら、夜、眠れないだろう。

 小沢民主党幹事長が不起訴処分になったとはいえ、陸山会と小沢氏のカネや不動産のやりとりにはおかしな点が多々あることは新聞報道が指摘する通りだ。国民の多くがきちんとした説明を求めている。それなのに、鳩山首相は、小沢氏に説明するようにと指示することすらできない。これでは、小沢幹事長の独裁政治といわれても否定できないだろう。

 民主党の枝野幸男議員が小沢幹事長の問題についてきちんと国民に説明すべきだと街頭演説で言っていた。しかし、枝野氏のような良識のある議員が民主党にはまるでいないようだ。情けないことに、民主党の議員のほとんどは、小沢、鳩山両氏に対する国民の疑念を無視している。有権者は民主党に相当の期待をかけたのに、それを裏切っているのはまことに残念である。

 そこで提案。小沢、鳩山の両氏を民主党は切ったらどうか。そうすれば、かなり、民主党のイメージはよくなる。民主党の政策にはいくつか欠けているものがあるなど問題もあるが、自民党よりはましなので、脱・小沢、鳩山に踏み切れば、国民に希望を与えることになろう。

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2010年2月 7日 (日)

財政危機の深刻さを示す霞が関の2つの推計

 カナダの北東部イカルイトで開催されたG7で、初参加の菅直人財務相は日本について「公債残高でいえば、オリンピックで金メダルが間違いなくもらえる水準だ」と自嘲したという。それほどに日本の財政は悪化している。

 この財政悪化の実態を示す推計値を内閣府が5日に発表した。国と地方の基礎的財政収支(PB)の赤字が2009年度は40.6兆円と過去最大となり、その名目GDP比は8.6%とやはり過去最高となる。国債の発行や償還・利子を除いて、政策経費をどれだけ税収でまかなえるか否かを表すPBは2007年度にマイナス6.4兆円にまで改善したが、その後、悪化に転じ、09年度に急激に悪化している。

 推計によると、2010年度はPBの赤字が33.5兆円と依然、高水準で、その名目GDP比は7.1%に及ぶ。

 また、財務省が4日に、2010年度予算の後年度歳出・歳入への影響試算を発表した。資料は2009年度~2013年度の5年度の歳出と税収等、および差額を表にしたもの。

 これによると、歳出は増えるが、税収は微増にとどまる。その他収入は2010年度は“埋蔵金”取り崩しで10.6兆円に及ぶが、2011年度以降は4兆円前後と推計している。その結果、歳出から税収等を差し引いた資金不足額は2010年度44.3兆円、2011年度51.3兆円、2012年度52.2兆円、2013年度55.3兆円と次第に増える。これを国債発行で調達すると、国債依存度が50%前後に達する。

 この試算は「一定の経済前提を仮置きした上で、2010年度予算における制度・施策を前提とした後年度負担額推計等に基づき」機械的に試算したもので、「2011年度以降に実施の可能性がある新規施策については加味していない」という。つまり、子ども手当の満額支給や農家の戸別所得補償完全実施などによる歳出増は計算に入れていない。したがって、将来の予算編成で、さらなる歳出カットや消費税引き上げなどが行なわれないと、財政赤字の累増はもっと速いピッチとなる。

 以上、政府が2つの推計値を発表したのは、財政健全化の取り組みが行われないままに国債発行残高が積み上がっていくと、いつ財政破綻が起こるかわからない、いまや危険水域にあるというマクロ経済官僚の危機感の表れと受け止める。菅副首相兼財務相は世界が日本の財政をどう見ているかを理解し、一日も早くデフレ脱却と財政再建への道を踏み出すべきだ。

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苦しみが続く民間企業に出口はあるのか

 日本経済団体連合会が出した「経営労働政策委員会報告」に、世界経済に占める日本、米国、中国の割合を示すグラフがある。1994年に、日本は世界の名目GDPの17.9%を占めていたが、2008年には8.1%と半分以下に下がっている。

 その間に、日本のGDPは約4.8兆ドルから約4.9兆ドルへと横ばい。世界の大勢とはかけ離れ、全くゼロ成長のままで来たことがわかる。

 こうした経済の実態を紹介したうえで、報告書は「経済再生は企業の活力を最大限発揮させることによってなし得る」と強調。「企業活力を高めるための政策を推進することで、持続的な経済成長が実現し、新たな雇用の創出や国民の将来に対する安心感の醸成につながることが期待される」と指摘している。

 野村資本市場研究所の関志雄氏は、「失われた20年」について、政府が衰退産業に巨額を注ぎ込んで守ろうとしてきたこと、効率性よりも公平性を保とうとしてきたこと、その結果、「社会主義色がますます強くなってきた」ことを挙げている(2月7日付け朝日新聞)。

 民間企業の経営の苦しさは随所に現われている。そのいくつかを示すと、第一に大企業の経営トップが病気になって退くケースが増えていることだ。経営環境が厳しく、出口が容易に見つからないうえに、早朝から夜遅くまで猛烈に忙しいため、心身ともに参ってしまうからだろう。

 長期雇用の中で下から上がってくる人が選ばれてトップになるという経営風土では、50歳前後の若いCEOは誕生しにくいし、先輩などに遠慮しないような経営の荒療治は難しい。ファースト・リテイリングやソフトバンクのようなオーナー的な経営者と比べると、日本の大企業はなまぬるい湯につかっているようなものだ。主要株主(金融機関など)も社外取締役も、大胆な経営改革を求めない。

 第二に、従業員が概して従順で、型破りな人間が減っているとみられることである。昔から、上司の言うことに素直に従わない者は嫌われ、出世しなかった。雇用情勢が厳しくなった今日、その傾向は強まっている。しかし、知的労働が付加価値の主要な源泉となった今日、むしろ、常識を破る創造的な仕事のできる、言い換えればチャレンジ精神の強い労働者こそが求められる。そうした人が起業家にもなる。

 グローバル競争に太刀打ちできる人材の育成には、従業員教育や、人を生かしも殺しもする組織運営のありかたまで見直さねばならないと思う。とともに、若者を育成する日本の教育も知的労働にふさわしいものに変えることが望まれる。そして、さらに家庭の育児のありかたも変革が求められるだろう。日本の社会も若者も、横並びや内向き志向になっているのを変えていきたい。本当は、そこで政治の出番だ。それなのに、いまの政治を見ていると、選挙で勝つためには何でもやるということしか考えていないようにみえる。

 輸出で助かる企業もあるにはあるが、日本の大半の企業は出口のない不安に直面しているし、そこで働く人々も同様だ。そして、政治も国民に希望を与えてくれない。その先に何が起きるか。

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2010年2月 4日 (木)

とかげのしっぽ切り

 東京地検特捜部は4日、政治資金規正法違反の容疑で小沢一郎民主党幹事長の秘書、元秘書の3人を起訴すると発表した。1人は現職が国会議員であり、1人は公設秘書である。「秘書がやったことで、私は知らなかった」という小沢氏は起訴されなかった。小沢氏は従来通り、幹事長の役を続けるという。

 一足先に、鳩山由紀夫総理大臣が母親から多額のカネを贈与されていた事件も、秘書が起訴されただけで終わった。鳩山氏の場合も「秘書がやったことで、私は知らなかった」と言い続け、贈与税の修正申告で一件落着した形になっている。

 一国の総理大臣であり、かつ政権党の代表である鳩山氏と、政権党の幹事長として実質的に党および政治を牛耳る小沢氏の2人ともが、同様の言い訳で、何ら責任をとらないで国政をこれからも動かすという政治の退廃ぶりには愕然とする。秘書にすべての責任を押し付け、自らは一切責任をとらない。「とかげのしっぽ切り」もここにきわまれりだ。

 小沢、鳩山の両氏に、引退を決断した朝青龍の爪の垢でも飲ませたい。

 政治の指導者のけじめの無さ。これでは、有権者や少年少女たちに、「違法であることが立証されなければ何をしてもいい」と教えるようなものではないか。道義が失われたら、社会はどうなるのか。この国のリーダーたちは日本をどんな国にしようとしているのか、とても心配になる。

 政治資金を透明化することは民主政治の不可欠な要件である。国会でも、不公正な政治資金が追及されたことが幾度もあったし、その追及で国会議員が辞職したり、自殺したこともある。野党だった民主党は自民党議員の政治献金の不正を国会で厳しく責めた。

 それがいまや攻守ところをかえている。違うのは、小沢氏らの徹底した言い逃れに対して、党内から批判がほとんど出てこないことだ。小沢氏は(鳩山氏もだが)言うことがくるくる変わるが、民主党の国会議員の大半はそれに黙ってついていく。批判する者は党内で迫害を受ける。あたかも新興宗教の教祖と信者みたいである。そうした異様さが不気味である。

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40年近く町長だった男に意外な終止符

 福岡県の中島孝之副知事が収賄容疑で今月2日に逮捕された。そして、贈賄容疑で同県添田町長の山本文男氏が逮捕された。後期高齢者医療制度の導入に際して、町村の負担金を少なくするよう便宜をはからうというやりとりに伴う謝礼が逮捕の理由である。

 この事件の報道で関心を持ったのは、山本氏が1971年に添田町長に当選してから今日まで実に40年近く、町長の座にあることだ。現在10期目で、84歳。92年からは福岡県町村会会長を務めており、全国町村会会長のポストも6期目である。10年以上、全国町村会会長を務めていることになる。

 彼が初めて添田町長になったのは、日本がオイルショックに直面する前の高度成長の頃である。翌年の1972年に、田中角栄が初めて総理大臣になった。国土の均衡ある発展を掲げて、自民党政府が経済成長の果実を公共事業などの形で地方にばらまいた。いまから一昔も二昔も前の時代である。

 都市と地方との格差を理由に、いまだに地方にもっと助成をというのが知事会、市長会、町村会の主張だが、山本氏は県町村会会長として、また全国町村会会長として、そうした要求を繰り返してきた。1990年代後半のことだが、政府の審議会で、山本全国町村会会長が、地方の暮らしは貧しい、地方は育てた人材を都市に一方的に供給するだけで損している、その分を都会は地方に払え、という趣旨の発言をしていたことを思い出す。

 しかし、現在の日本は財政赤字が累積して、国家財政は破綻への道を歩んでいる。民主党中心の鳩山政権はそれを加速している。企業や豊かな都市から召し上げて地方に配るという時代はとっくに去った。日本経済全体が沈没しかかっているのだ。

 いま、必要なのは、デフレからまともな経済成長へと経済政策を転換するとともに、財政の健全化を念頭に歳出の抑制・削減と増税・社会保険料の引き上げの道筋をつけることである。同時に、住民に近いところに権限と財源とを移す地方主権をできるだけ進めることである。

 そうした日本再生の方向に照らしたとき、中央からカネをとってくるという、山本氏のような古いタイプのリーダーをいただいてきた福岡県町村会や全国町村会のありかたに疑問を持つ。山本氏の逮捕を奇貨として、町村会が真の地方主権へと目覚めるのを願うばかりである。

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2010年2月 3日 (水)

新聞に振り仮名を付けたら

 横浜にある日本新聞博物館では、「2009年 報道写真展」を開催している。新聞で見た写真もあるが、見ていない写真のほうが圧倒的に多いから、楽しかった。特に印象に残ったのは、新内閣が発足したとき、大勢の写真記者たちが、ひな壇に並ぶ閣僚たちを写している様子を後ろから撮った写真である。実にたくさんの写真記者がいて、小山のようにたかっているとみえた。

 もう一枚。国会の正門が開くとともに数人の新人議員が初めて院内に一歩、足を踏み入れるとき、お辞儀する。それを、門の中に待ち構える大勢の写真記者が撮影する。私たちが新聞で見た構図である。しかし、待ち構える写真記者を新人議員のうしろのほうから撮った写真も強く印象に残った。

 動いている映像と違い、ある瞬間を撮った写真は、それがすぐれたものであれば、見たこともない素晴らしい画像であったり、大きな感動を与えたりする。それだけではない。上に紹介したように、構図によっては、全く異なる印象を見る者に与える。写真のこわさでもある。

 同博物館には新聞の歴史などの展示もある。ついでにそこも見た。それで気付いたのは、明治時代の新聞の登場、興隆の過程では、多くの新聞が記事に振り仮名(ルビ)を付けていることだ。例えば、展示されている1874年の「読売新聞」第1号、同じく「東京日々」第1号、1985年の「自由燈」、1888年の「東京朝日新聞」、1893年の「萬朝報」の紙面は振り仮名付きである。

 一方で、1882年の「時事新報」第1号は振り仮名が付いていない。その違いは何によるのか。大衆向けを想定した新聞は振り仮名を付けたのかなと想像するが、根拠薄弱だ。

 展示を見た限りでは、振り仮名が付いている新聞は大正時代の初めごろまで。その後はどの新聞も振り仮名が付いていないようである。振り仮名が付いた新聞は見た目にごちゃごちゃしている。それが影響したかどうか。

 ひるがえって、現代の新聞では、振り仮名はコラムなどごく一部に付されているにすぎない。しかし、大半の記事に振り仮名を付けたらどうか。そうすれば、新聞が読まれなくなっている状況に多少とも歯止めをかけることができるのではないかと思う。

 限られた経験だが、地方の私立大学で教えていたとき、新聞を読んでいる大学生は皆無に等しかった。そのとき、わかったのは、読めない字や読めない塾語が多いこと、したがって、読み方も、意味もわからないという学生が実に多いことだった。これでは、新聞を読むわけがない。

 新聞が徐々に売れなくなっている。しかし、新聞が消滅したら、民主主義社会がおかしくなる。新聞が存続するためには、振り仮名をふるという試みがあっていい。コスト面の問題もあるけれど。

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