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2010年2月 3日 (水)

新聞に振り仮名を付けたら

 横浜にある日本新聞博物館では、「2009年 報道写真展」を開催している。新聞で見た写真もあるが、見ていない写真のほうが圧倒的に多いから、楽しかった。特に印象に残ったのは、新内閣が発足したとき、大勢の写真記者たちが、ひな壇に並ぶ閣僚たちを写している様子を後ろから撮った写真である。実にたくさんの写真記者がいて、小山のようにたかっているとみえた。

 もう一枚。国会の正門が開くとともに数人の新人議員が初めて院内に一歩、足を踏み入れるとき、お辞儀する。それを、門の中に待ち構える大勢の写真記者が撮影する。私たちが新聞で見た構図である。しかし、待ち構える写真記者を新人議員のうしろのほうから撮った写真も強く印象に残った。

 動いている映像と違い、ある瞬間を撮った写真は、それがすぐれたものであれば、見たこともない素晴らしい画像であったり、大きな感動を与えたりする。それだけではない。上に紹介したように、構図によっては、全く異なる印象を見る者に与える。写真のこわさでもある。

 同博物館には新聞の歴史などの展示もある。ついでにそこも見た。それで気付いたのは、明治時代の新聞の登場、興隆の過程では、多くの新聞が記事に振り仮名(ルビ)を付けていることだ。例えば、展示されている1874年の「読売新聞」第1号、同じく「東京日々」第1号、1985年の「自由燈」、1888年の「東京朝日新聞」、1893年の「萬朝報」の紙面は振り仮名付きである。

 一方で、1882年の「時事新報」第1号は振り仮名が付いていない。その違いは何によるのか。大衆向けを想定した新聞は振り仮名を付けたのかなと想像するが、根拠薄弱だ。

 展示を見た限りでは、振り仮名が付いている新聞は大正時代の初めごろまで。その後はどの新聞も振り仮名が付いていないようである。振り仮名が付いた新聞は見た目にごちゃごちゃしている。それが影響したかどうか。

 ひるがえって、現代の新聞では、振り仮名はコラムなどごく一部に付されているにすぎない。しかし、大半の記事に振り仮名を付けたらどうか。そうすれば、新聞が読まれなくなっている状況に多少とも歯止めをかけることができるのではないかと思う。

 限られた経験だが、地方の私立大学で教えていたとき、新聞を読んでいる大学生は皆無に等しかった。そのとき、わかったのは、読めない字や読めない塾語が多いこと、したがって、読み方も、意味もわからないという学生が実に多いことだった。これでは、新聞を読むわけがない。

 新聞が徐々に売れなくなっている。しかし、新聞が消滅したら、民主主義社会がおかしくなる。新聞が存続するためには、振り仮名をふるという試みがあっていい。コスト面の問題もあるけれど。

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