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2010年4月30日 (金)

10年も前の本『なぜ日本は没落するか』(森嶋通夫)の鋭い指摘

 たまたま1999年に出版された『なぜ日本は没落するか』を読んだ。ロンドン大学教授だった森嶋通夫氏の著書で、2050年の日本を予想した内容だからだ。随所になるほどとうなづく指摘があるので、それをここで紹介したい。

・戦後学校教育は、子供に対し、大人の社会の将来の中心メンバーとなるのだという気概を植え付けなかった。子供は個人主義的、成績主義的、平等主義的などであるように教育されているが、大人の社会は集団主義、縁故主義などに固執している。

・戦後教育は誰をもひいきしたり、おとしめたりしないよう完全に無差別の原理に則って行われた。価値判断は排除されたので、日本人は価値判断を行う能力を失った。論理的思考は不得手で、意思決定力もすっかり弱くなった。大学教育を受けてもエリートにはなりえない。日本は儒教社会であり、国の存続のために知識人が主導的役割を演じるようにつくられた国家だから、これでは日本は頂点から崩れていく危険が大きい。そういう事態は21世紀中頃にやってこよう。

・あまりにも物質主義的な教育が行われ、そうした教育を受けた人たちには高次元の倫理へのおそれもみられない。したがって、倫理上の価値や理想、あるいは社会的な義務について何の関心もない。日本の教育環境は、およそ労働者が何か抽象的・超越的なものへの義務感や責任感を持つようになるのにはほど遠い。

・いまの日本人は創造性がなく、自分の意思を相手に伝える力を持っていない。政府も財界も官僚も皆お坊ちゃん集団で、自分の論理で相手を説得する迫力もないうえに、新たな構想を組み立てる論理的思考力もない。

・日本の雇用システムは戦争の遺物である。官僚や軍人の処遇の原理、すなわち業績は年功の結果だというものを戦争中に会社に導入したのである。給与だけでなく地位にまで拡大された年功序列制が大企業に定着したことが私企業の経営硬直化の原因である。これからの日本は不効率是正に伴う失業の時代である。それには高い地位に就く者を社内外から選ばねばならない。それには中高年者の転職を可能とする労働市場が形成されないと大変だ。

・大量の失業が生じた場合、あっせん所整備や財政支出などの政策だけでは足りない。国を挙げて、大量の仕事を生み出すイノベーションを起こさねばならない。大型のイノベーションは大きな風をつくり、日本経済という船を加速させる。その結果、高度成長し始めることもありうる。私の「アジア共同体」構想はそうしたものである。

・徳川末期に日本に来た欧米の使節は、日本人について、文化的にも経済的にも程度は高いが、政治的には無能だという採点を下した。いまも、日本は政治的に無能であることを世界にさらけ出している。政治家の質が悪ければ、その国が尊敬されることはない。

・西欧の民主主義政党政治では、総選挙で、公約(マニフェスト)と呼ばれる政治的企画ないしプログラムに対して投票するから、党首は党の企画に基づくカリスマを身につける。日本の政治家にカリスマがないのは、党が企画力を持っていないことの表れである。

・外国人が日本の政治を見れば「わからない国だ」と結論するに違いない。誰もわからない国を先進国だとは思わない。

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2010年4月28日 (水)

よそごとでないギリシャの財政破綻

 格付け会社、スタンダード・&・プアーズがギリシャの長期債務格付けを3段階下げて、投機的な水準であるダブルBプラスとした。ポルトガルについても2段階下げ、シングルAマイナスにした。これを受けて、ユーロ通貨が値下がりし、欧州や米国の株式市場もかなりの下げを示した。日本の株式市場も下げた。

 日本はギリシャ以上に国家財政の状況がひどいが、国債のほとんどを国内で消化しているので、深刻な財政危機は起きない、という見方がこれまで支配的だった。しかし、今後も安心していられるだろうか。

 新聞や週刊誌が財政破綻のおそれが出てきたとして特集を組んだりするようになった。現金や預貯金は極端なインフレなどが起きれば、ほとんど無価値になるから、いまのうちに外国の通貨・金融商品に換えることを勧めるようになったりしている。すでに、ブラジルなど新興国への投資信託などが少しずつ日本で増えているようだ。

 こうした海外への資本逃避は、わが国の財政破綻が近いと予測されればされるほど拍車がかかるだろう。それに、米国や欧州で自由に動き回れるファンドなどのカネは弱みに付け込むから、危機的な日本財政を投機の対象にすることもありえよう。金融から見た日本はきわめて脆弱である。

 最近、堺屋太一が10年後の日本の姿を新聞に連載し始めたが、そこでは、日本が凋落し、仕事のない若者らが中国に出稼ぎに行くようになると予測している。しかし、私は10年も経たないもっと早い時期から、日本はそういう状況に追い込まれるのではないかとも思う。国際情勢をわきまえた外交・安全保障政策になっておらず、財政再建に真剣に取り組む姿勢もみられない。それに政府は経済成長を軽視しているからである。

 人口減、高齢化などで国内の貯蓄率は低下の傾向にある。財政再建を果たすのはどんどん難しい情勢となっている。そういう状況下で政府が何をすべきか。与野党ともに、国の再生をめざして真剣に模索するようになってほしい。

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2010年4月24日 (土)

2007年度の医療費

 厚生労働省が23日に発表した2007年度の国民医療費は34兆1360億円と過去最大で、前年度に比べると1兆84億円(なんと1兆円ですぞ)、率にして3.0%多かった。国民所得(374兆7682億円)に対する割合は9.11%で、これも過去最高だった。

 人口1人当たりの国民医療費は26.72万円で、前年度を3.0%上回り、過去最高となっている。

 国民所得は1991年度の371兆円以降、ほとんど横ばい。過去最高は1997年度の382兆円である。一方、1991年度の国民医療費は22兆円と2007年度の約3分の2で、1人当たり医療費も17.60万円とはるかに少なかった。日本経済が長期にわたって停滞している中で、医療に関わる分野(診療所、病院、製薬会社、薬局など)は成長を続ける産業だったと言えよう。

 2000年度に介護保険制度が始まった。医療費の増加、健康保険料の引き上げに歯止めをかけるために政府は介護保険を導入したはずだが、国民医療費の増大傾向にほとんど歯止めをかけることにならなかった。国民は医療と介護の両方の保険料負担とか、国の財政負担(国債の累積につながる)とかで相当な重荷を背負わされている。

 高齢化で医療費が増えるのは当然だというが、医療の世界はムダが多い。たくさんの薬を出すため、捨てることが多いし、やたら検査を行う。ほかの病院などにかかると、同じ検査を受ける。いわゆる社会的入院も相変わらず多い。事業仕分けをせずとも、医療の実態を見れば、膨大なムダがあることは国民がよく知っている。

 今回の発表は2007年度分であり、その後の08年度、09年度も、さらに国民医療費の総額は増加しているとみられる。もちろん、国民所得比も上がっていよう。経済が発展し、国民所得が大きくなれば、財政負担や国民の負担感が軽減されるだろうが、常時、ムダをなくしていく姿勢が重要だ。

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2010年4月22日 (木)

民主党に近い経済学者、田村正勝氏の話から

 民主党の政策アドバイザーともいわれる田村正勝早稲田大学社会科学総合学術院教授は政府が抱える巨額の“借金”対策として、無利子100年国債を発行し、借り換えることを提案している。

 普通国債の残高は約600兆円。政府は毎年100兆円超を借り換えている。田村氏の構想によると、その際、すべて無利子で100年後に償還するという条件の100年国債を発行する。購入者には10年間転売を禁止するが、100年国債を相続ないし贈与する場合は相続税や贈与税をかけないものとする。ただし、脱税などを防ぐため、納税者番号を導入するとともに、一般の相続税や贈与税の累進税率を急カーブにする必要があるという。

 いまの一般会計の国債費は年間20兆円超に達し、財政を圧迫している。このうち利払い費は10兆円近い。残りは元本償還に充てられている。これが無利子100年国債ばかりになると、残高600兆円として、将来の償還のために年6兆円ずつ積めばよいということになる。また、すでに発行された従来の国債の残高は年々、償還で減っていくから、利払い費も徐々に下がっていく。したがって、いまより、国債費が少なくなり、財政にゆとりが出てくる。

 日本の金融資産は1500兆円近い。にもかかわらず相続税、贈与税の納税は少ない。そこで、表に出ない相続や贈与を表に出して国家財政に貢献させるねらいもあって、無利子100年債を構想したという。

 田村氏が民主党や連合の政策にどの程度の影響力を持つのか知らない。だが、4年間は消費税を上げないと言っている鳩山首相に財政危機の問題意識がうかがえない背後には、実は、無利子国債のような“解決策(?)”があるという思い込みが存在するのではないか、という気がしないでもない。

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2010年4月21日 (水)

自然の脅威を再認識

 山崎直子さんらが乗るスペースシャトル・ディスカバリーが20日、ケネディ宇宙センターに帰還した。人類は宇宙に飛び立ち、地上に戻ってくるほどの技術進歩を達成した。その一方で、アイスランドのエイヤフィヤットル氷河下の火山噴火の影響で、欧州の空は数日間、航空機が飛べなかった。まだまだ人間の力は自然に及ばない。最近の世界各地で起きた大地震もそうだが、自然の脅威を改めて謙虚に受け止めたいと思う。

 火山の噴火は、世界の災害の歴史が示すように、私たち日本人にとっても他人ごとではない。富士山の宝永の大爆発(1707年)は、当時の江戸でも降灰が積もったほどの大きな規模で農業・農家に深刻な打撃を与えた。新田次郎の『怒る富士』はこの噴火を題材にした小説である。その富士山はいまから10年近く前に、噴火が起きる可能性がある兆候を一時示したことがある。もしも、富士山の雄姿が影も形もなくなるほどの大噴火をしたら、日本の経済・社会はどうなることか。

 それで思い出したのだが、石黒耀の小説『死都日本』(2002年刊)は読んでいて、背筋が寒くなる思いがしたほどリアルな内容だった。霧島火山近くのカルデラで起きた巨大火砕流の噴火が南九州を全滅に追いやり、これが南海トラフのプレート境界地震を誘発、日本全体が壊滅的な打撃を受けるというものである。学問的にもきちんとした裏付けがあるそうで、火山・地震国家日本の宿命みたいなものを感じた。災害は忘れたころにやってくる。そのことをおりおりに思い起こし、備えを確認したい。

 アイスランドの火山噴煙は気流に乗って欧州の空に広がった。富士山の噴火にせよ、霧島の噴火にせよ、噴煙が気流に乗って拡散するというのは、自然のさだめである。話が飛躍するようだが、原子力発電所から大量の放射性物質が放出したら、やはり、気流によって核汚染が広がるおそれがある。地球温暖化対策の重要な切り札になりつつある原発だが、地震大国日本においては、万が一の大事故を懸念せざるをえない。自然の脅威を軽く見てはなるまい。

 アイスランドはヨーロッパの金融センターとして脚光を浴びた時期があるが、リーマンショックで海外からの資金が一挙に流出し、一転、金融危機に陥った。また、同国は地熱発電などの再生可能エネルギー中心にし、脱化石燃料の道を進んでいる。ヨーロッパの小国であり、かつ島国だからか、国の生き方を明確に定め、その実現に邁進している。当然、失敗もあるのだが、日本と比べると対照的な点が少なくない。 

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2010年4月17日 (土)

中国のモンゴル人大虐殺の歴史を『墓標なき草原』で知った

 副題に「内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」とある楊海英著『墓標なき草原』(09年12月刊、岩波書店)の上下巻を読んだ。中国は漢民族といくつもの少数民族から成る多民族国家だが、チベット、ウイグルなどの民族が多く住む地域では、それらの少数民族が独立ないし真の自治を求める活動が起きている。

 中国国内でモンゴル人がたくさん住むのは、内モンゴル自治区以外に、1969年に自治区を分割して黒龍江省、吉林省、遼寧省、甘粛省などにくっつけた地域である。しかし、モンゴル族の人々がチベット族などと同じように独立などを求めて活動しているという話は聞いたことがなかった。本書によって、その理由がわかった。中国共産党や人民解放軍は独立や真の自治を願うモンゴル人はすべて分裂主義者とみなし、リーダーとなるような人たちを次々に残酷なやりかたで虐待し、惨殺してしまったからである。

 そもそも同じ民族のモンゴル人がモンゴル人民共和国と中国の内モンゴルと分けられたのは米ソ首脳らのヤルタ会談による。それが悲劇の始まりだが、毛沢東の中国共産党は、草原地帯に農民を送り込んで、モンゴル人の割合を引き下げようとした。また、ソ連・モンゴル人民共和国との戦争に備える中国共産党・解放軍は、内モンゴルのモンゴル人を敵方に通ずるおそれがあるとみた。それに、漢民族に比べ、遊牧民族のモンゴル人を野蛮人、劣等な人種とみなした。そんなこんなで、文化大革命が起きると、共産党・解放軍・現地の漢人たちは、陰謀をめぐらしてモンゴル族のリーダー的な人たち、および女、子ども、友人らを犯罪者に仕立て、片っぱしから虐待して死に至らしめた。そのすさまじさ、おぞましさは本書を読んでいただくとよくわかるだろう。

 中国は帝国主義の侵略から独立しようとし、念願がかなったが、自国の少数民族が漢民族支配から自立しようとすると、民族分裂活動だと言って弾圧する。二枚舌である。こわいのは、こうした中国の二枚舌を中国国民が疑問に思わないことだ。

 『墓標なき草原』というタイトルは、10万人ともいわれるモンゴル人虐殺で、遺体は草原に投げ捨てられ、まともな墓もつくられなかったことに由来する。文革後、大虐殺は中国共産党で多少、行き過ぎがあったという総括があっただけで、誰一人、党・軍・一般漢人は責任を問われなかったという。

 本書を読んでいると、いまの中国共産党・人民解放軍や漢人の発想や行動がよくわかる。チベット蜂起のときには、モンゴル人の軍隊を派遣して鎮圧させたなど、自分の手を汚さずして、巧みに支配するところは、かつてのイギリスの植民地支配の手口をそっくり真似ているように思える。中国のアフリカ進出などを理解するうえでも、本書は大いに参考になる。

 今度の大地震で、中国首脳が急ぎ現地入りするというのも、少数民族への支配が揺るがぬようにとの観点からだということがよくわかる。

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2010年4月13日 (火)

支持率低下の背後にある民主党の二重構造

 原口総務相が12日、日本記者クラブで会見し、自らが先頭に立っている地域主権改革について話した。国家の主権を地方に移すのではない。地域の資源を最大限に利用して地域の自給力と創富力を高める地域主権型社会への転換を図るとし、その実現の工程表(原口プラン)を示しつつ、各論を展開した。

 「社会主義的だと言われるが、いまやらねばならないことをやっているだけ。自由の改革、責任の改革を進める」などとも述べた。

 原口大臣の話は縦横に跳び、かつパワーポイントを使って結構、早口でしゃべるので、予備知識が不足している私は正直言ってついていけなかった。断片的な紹介になるが、「義務付け、枠付けの見直しは、補助金が付いているところが進まない」、「これまで国は依存と分配で地方を支配してきた。地方議会は増減税を自ら決めることができない仕組みになっている」、「医療法は医療の質をチェックすることは何も書いていない。だから、重複受診が起きる」、「地域主権改革をすれば、地域が間違ったリーダーを持つと、格差が出る」、「埼玉県は上田知事が民主党の考えるものを実現している。犯罪が減ったし、公務員のパーフォーマンスは最高、企業の倒産は激減した」などという言葉が印象に残った。

 内閣支持率や政党支持率が下がり続けていることに対しては、「より深刻に考えるべきだ。古い政権との違いを国民は実感できていない。我々は新しいパラダイムをやろうとしているが、それが国民に伝わっていない」、「308議席をいただいたその瞬間から劣化が始まる。新しいダイナミズムを入れていかねばならない」と語った。

 2週間前の3月29日、同じ日本記者クラブで行なった枝野行政刷新相の会見では、事業仕分けがテーマだった。昨年の事業仕分けは民主党の評価を高めたが、これは「おカネの使い方を問題にしたもの。目的達成につながっていないものはやめるというもので、目的の優劣を問うものではなかった」と述べた。

 また、この事業仕分けでは、挙証・立証責任が役所の側にあるという意識転換が行われたと言う。「野党時代、税金のむだだと主張すると、むだであるとの立証を求められた。しかし、本来は、おカネを使う役所側が有用だと立証すべきだ」。

 近く事業仕分けの第2弾、独立行政法人と政府系公益法人の事業仕分けが行われる。かつて行われた外郭団体改革は英国のエージェンシーをもとにしたものだが、「制度論から入ったため、1つのツールにまとめて入れた。結果として帯に短し、たすきに長しとなった。これは失敗だった」と言う。したがって、独立行政法人通則法の廃止を終着点として考えており、公務員制度改革とセットで改革を進めると述べた。

 行政のありかたを変えようと意気込む枝野大臣は「いま革命の第1期」だと述べた。そして、内閣支持率や政党支持率の低下の原因の1つとみられる政治とカネの問題について「小沢幹事長、鳩山首相の説明に国民が納得しなければ、それは説明が十分ではないということだ。政権が相当な知恵を働かさねばならないが、私には目下、その知恵がない。ただ、2人とも、私以上に考えているはずだ。彼らは政権交代の意義をわかっている」と語った。

 原口、枝野の両大臣とも、前政権までの政治をがらりと変えようとしている意欲を感じさせる。その方向は大筋間違ってはいないだろう。問題は、政治資金の不透明、財政破綻に向かうばらまき、普天間基地の移転問題に加えて、「コンクリートから人へ」や高速道路無料化の公約に反する逆走、あるいは鳩山首相らの発言のゆらぎなど、国民の信頼を裏切るような出来事が多いことだ。その多くは参議院選挙対策だと思われる。せっかく多くの閣僚がそれなりに改革に向けて奮闘努力しているのに、それを民主党および政権のリーダーたちは帳消しにしているように私にはみえる。

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2010年4月11日 (日)

日本政府が抱える08年度末現在の国債、借入金等

 「財政法第46条に基づく国民への財政報告」(2010年度)が発表になった。その第3部は、08年度末(09年3月末)における「国債、借入金及び国有財産現在高」である。それによると、内国債、借入金及び政府短期証券の合計は846.5兆円に達する。また、国有財産現在高は102.4兆円となっている。

 債務の内訳をみると、内国債が680.4兆円、借入金57.6兆円、政府短期証券108.5兆円。国債に色はついていないが、普通国債545.9兆円(うち、建設国債224.9兆円、特例国債295.3兆円)、財政投融資特別会計国債131.1兆円であり、政府短期証券は108.5兆円で、ほとんどが外国為替資金証券(106.9兆円)だった。

 08年度末の国家財政はこのように惨憺たるありさまだが、09年度の実質的な財政赤字や始まったばかりの今年度の火の車財政を考慮に入れると、今年度末には国債残高だけで70兆円以上増えると見込まれる。

 「財政報告」は、09年度末では国・地方合わせた債務はGDPの170%程度と見込まれ、主要先進国中、最悪の水準で、極めて深刻な状況だと述べている。そのため、複数年度を視野に入れた中期財政フレームをつくるとともに、中長期的な財政規律のありかたを含む財政運営戦略を策定し、財政健全化への道筋を示すこととしている、と言う。

 最近は、新聞、テレビや雑誌でもちょくちょく財政破綻を取り上げるようになった。11日のテレビ討論でも、いま売り出し中の気鋭の経済学者が「このままだと財政は破綻すると思います」と明快に言い切っていた。財政破綻が近いという認識が市民に広がれば、ほとんど無価値になりかねない預貯金や現金をインフレに比較的強い資産に替えるとか、海外へ資金を移すといった資本逃避が始まろう。

 危機的な財政状況に対する国民の認識が徐々に進んできていることは日常の会話で実感する。早く財政再建の道筋を立てて、国民の信認を得ることが求められる。

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2010年4月 9日 (金)

『グリーン革命』(トーマス・フリードマン)から

 「温暖化、フラット化、人口過密化する世界」(Hot, Flat, and Crowded)が原題の翻訳書『グリーン革命』(上、下)を読んだ。2008年に米国で出版され、日本では1年前に翻訳が出た。今日の人類が直面している主要な複数の課題を俎上に載せて、解決の方向を探ったもので、読みでがあった。読んで印象に残ったことから2、3を以下に。

 温暖化などの大きな問題において、中国の動向が即、人類の運命を左右するということを改めて実感した。環境問題に限っての話だが、本書の取材に比べると、日本のメディアの中国取材は部分的だし、浅いと思う。日本の新聞社、通信社などがもっともっと中国を多面的に、かつ深く取材し、報道することを期待する。

 化石燃料を大量消費する米国が率先して温暖化防止に乗り出せば、中国もそれに追随するしかなくなると著者は考える。しかし、米国の政治はさまざまな層の利害が対立して、再生可能エネルギーの拡大などエネルギー・イノベーションは容易に進まない。そこで、「第16章 1日だけ中国になる(でも2日はだめ)」という文章の中で、一党独裁の中国が2週間ごとに新たな石炭発電所を建設しているが、じきに風力発電所や太陽光発電施設を同様に手際よく建設するようになるだろう、と述べている。

 「私たちは1日だけ中国になるわけにはいかないし、そうなるべきでもない。しかし、アメリカのエネルギー政策が、あまりにも一貫せず、その場しのぎで、不平等なので、そんな夢想をつい抱いてしまう」。著者、フリードマンの民主政治へのいらだち、とてもよくわかる。

 「人間は、この広大な生命の織物のなかで、唯一、自然界の他の動植物から生存するうえで頼りにされていない種なのだ――それでいて、私たちは、この生命の織物すべてに生存を頼っている。(中略)私たち人間が存在するためには、それ(生命の織物)を維持しなければならない――向こうは私たちを必要としていない。しかし、私たちは間違いなくそれを必要としている」。

 「私たちの行動によって気候や自然界を変えれば変えるほど、植物、動物、森林、川、大洋、氷河など、地球での暮らしを、ただ(無料)で人間にとってもっとも都合のいい形に調整してくれた物事を消し去ってゆくことになる。人間は、すべてを自分たちの力で調整しなければならなくなる」。「人間が母なる自然のように物事をさばいてゆく力があるかどうか」。

 環境コンサルタントのロブ・ワトソンの言を引用して、「私たちはタイタニック号に乗っていて氷山を避けなければならないのではない。すでに氷山にぶつかったのだ」。「この問題のほんとうの規模と急を要することを明確に理解しているのは、ほとんど専門的な科学界の人間だけだが、まもなく目もくらむような現実をだれもが知ることになるだろう」。

 警世の書である。とともに、日本の政治のリーダーも、温暖化、フラット化、人口過密化に伴う世界規模の諸問題に関して、取り組みが足りないと思った。

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2010年4月 5日 (月)

老いた平沼、与謝野氏らの旗揚げ

 与謝野馨衆議院議員が自民党を離れ、平沼赳夫衆議院議員とともに新党を結成するという。しかし、2人はともに70歳を越えていて、テレビで見ると、老人もいいところだ。新党結成で勝負するには年寄り過ぎている。まあ、企業人で、70歳過ぎて会社を興すというのを想像してもらえば、今度のチャレンジがどの程度のものか、わかろうというものである。

 与謝野氏とも、平沼氏とも、少人数の夜の会合で複数回会ったことがある。自民党の政治家の中では2人とも抜きん出ていたが、かなり思想的には違っていた。平沼氏はリーダーにふさわしい人だが、右寄りの政治思想。小泉郵政改革に反対して自民党を飛び出したものの、孤立していた。

 他方、与謝野氏の頭の良さや教養には感心するばかりだったが、同氏は日頃、地元での活動をろくにせず、住民からは頭が高いといわれ、選挙は強くなかった。また、与謝野氏の言動をフォローしていると、結構言うことが変わっていく。霞が関からの情報に強いのはいいが、官僚の判断を受け売りするので、間違うことも少なくない。米国に端を発した世界的な金融危機に対して、日本はほとんど影響を受けないなどと言ったりした。

 2人の共通するところは徒党を組まないことである。その2人が新党を結成するというのだから、相当の覚悟をしていることはわかる。しかし、民主党に裏切られたとか、期待はずれだったとか思っている選挙民や、古い自民党の殻を脱ぎ捨てていない今の自由民主党に魅力がないと思っている選挙民を、新党が引き付けるだけの魅力を備えることができるだろうか。

 「政権交代など一見変化があるように見えるが、世界(特にアジア)の急激な変化とスピードに比較すると、ここ10年の日本の状況は静止、逆行、内向しているようだ」(「経済Trend」 4月号)と石倉洋子一橋大学教授が書いている。「見たくないものを見ようとしない、厳しい決断を先送りするのではなく、いかに厳しい現実であろうが、課題を正面から体感し、見極めて、それに対する解決策を考え、徹底して実践していく覚悟がなければ、日本が忘れられた国になるのは時間の問題である」とも。

 そうした危機感、焦燥感を持って、日本の再生を図るグランドデザインを提示するような新党を2人は考えているのだとすれば歓迎だ。しかしながら、新党の予想されるメンバーからは、激しく変貌する世界情勢を的確に認識し、大きな転換を図ろうとするリーダーシップは期待できそうにない。そうであれば、参議院選挙後に起こりうる民主党を含めての政界再編に期待するところ大である。与謝野、平沼氏らの新党結成がその呼び水となるのなら、それなりに意義深い。 

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2010年4月 4日 (日)

蚕・生糸をめぐって

 群馬県富岡市にある富岡製糸場を見てきた。明治維新後、日本製の生糸の品質を高め、最大の輸出品に育てたのは、国が富岡製糸場をつくったからである。世界遺産に指定されるか否かはさておき、富岡製糸場は日本が明治時代に、工業化・輸出立国の道を歩み始めた歴史を体感させてくれる。

 正門から真正面に見える建物は「東繭倉庫」で、歴史書や観光パンフレットなどに載っていておなじみのもの。太い杉の角材で骨組みをつくり、その間にレンガを積み重ねた「木骨レンガ造」で、繭の倉庫兼乾燥場である。繭から生糸を繰る繰糸場もそうだが、日本では全くつくったこともない建物や器械を導入して、着工からわずか1年半程度で操業にこぎつけている。外国人の指導・監督を受けたとはいえ、当時の関係者の意気込み、集中力には敬意を表するばかりだ。

 東繭倉庫も西繭倉庫も2階建てで、長さ104.4m、高さ14.8m、幅12.3m。2階は繭の貯蔵庫で、繭を乾燥させるという役割もあった。この大きな建物を見て、明治初期の人たちが驚嘆したのも当然である。

 上信電鉄の上州富岡駅から歩いて10分ほどのところにある。駅までのところどころに土蔵がある。富岡製糸場が栄えた頃に繁栄していた名残だろうか。街は見学客を除くと、ほとんど人通りがなく、商店街もまったく活気がなかった。地域の再生を、世界遺産に指定されることに賭けているような思いを感じた。

 上州富岡駅から高崎に向かって2つ目の駅が上州福島。そこで下車し、武家屋敷などのある甘楽町をサイクリングでめぐった。桜並木のある雄川堰あたりはびっくりするほど大きな二階家が並んでいる。かつて養蚕をしていた家である。富岡になぜ製糸場ができたか、の第一の理由に、養蚕が盛んで、原料蚕が確保できるから、とある。

 大きな養蚕農家で思い出すのは、先頃、世界遺産で知られる白川郷の合掌造りを見たときに聞いた話である。見学した和田家、神田家といった家はかつて養蚕農家だったが、同時に、蚕の糞を原料(の1つ)にして床下で煙硝(硝酸カリウム)を作っていた。火薬の原料である。それで財をなし、あのように大きくて立派な合掌造りの家を建てることができたのである。そこの案内人は「戦争ほどもうかるものはないから」と笑っていた。

 富岡製糸場の解説員は「蚕は無駄なものが何もないというように、すべて利用されている」と言っていたが、実はきなくさいところにまで活用されていたのである。 

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2010年4月 1日 (木)

「数年程度は財政破綻は起きない」?

 元気のない日本をどうやって活性化したらいいのか。朝日新聞の4月1日付け朝刊は「こうする! 日本再生」と題して1ページフルに使った特集をしている。3人の論者の診立ては似たようなもので、治療法が異なる。

 経済学者の飯田泰之氏(駒沢大学)は今年から来年にかけての世界経済の回復に乗って日本経済を回復できなければ、日本経済は破綻の危機に直面するかもしれないと見る。民主党の再分配政策は早晩、財源問題に直面する。イノベーションしか活路はない。そのためには、金融の量的緩和を行うこと、若者から高齢者へ、都会から地方への富の移転という歪みを是正すること、そのうえで増税すること、そして、労働市場の規制緩和や流動化を図ること、を提案している。

 経営共創基盤CEOの冨山和彦氏は、20年も停滞している「日本は、すでに破綻状態に近い。国家財政が象徴的だ」とし、「本来は両立しない政策パッケージを全部やろうとする」民主党政権が続けば、破綻は早く来ると指摘する。そして破綻は新たなシステムへの再生の一歩だという。自民党政権の末期の頃から、なぜか、政府が「新たに事業を興すこと、雇用をつくることができないように」一生懸命やってきたようにみえる。いままでの「鎖国・融和」的な経済社会は、破綻後は「開国・競争」的な経済社会へ一気に変わると楽観しているという。

 A.T.カ-ニーのプリンシパル、吉川尚宏氏は、国をもっと開き、「国の制度や仕組みを海外と互換性のあるものにすること」を提案している。霞が関の脱ガラパゴス化、中央官庁の総合商社化も提案している。外資系企業が次々と日本から去っているのは、日本の社会や市場に魅力がなくなっているからだとし、このままだと、日本企業も出ていくかもしれないと指摘する。

 ところで、1日前の3月31日付け同紙コラムでは、経済産業研究所上席研究員の小林慶一郎氏が国債の発行残高が積み上がって、財政破綻が起きるのではないかという懸念に対して、同氏の見解を述べている。それによれば、「これから数年程度は財政破綻や国債の暴落は起きないだろう。また、日本の産業構造が根本的に悪化しないかぎり、10年先でも大丈夫かもしれない」という。

 しかし、「40年、50年後には、国債市場が不安定になり日本経済に様々な悪影響を及ぼす時代が確実にやってくる」とのことだ。

 小林氏は近い将来に関しては、日本の輸出産業の基礎体力が構造的に弱くなり、貿易赤字が定着するような状態にならなければ、国債暴落・財政破綻は現実化することはあまり考えられないという主張である。だが、吉川氏ら上記3氏は、日本経済が高コストで、新興国などとの競争に負け続けているという基本認識に立って日本再生の道を提案している。小林氏のほうが楽観的というか、3氏のほうが危機感が強いということになる。

 とはいえ、小林氏のコラムも、政府債務は利子が利子を生む雪だるま式に膨らみ、財政再建に取り組んでも、安定するまでには2世代か3世代の年月を要するという。そして、「アルゼンチンや現在のギリシャのような不安定な経済と財政が、日本の次の世代とその次の世代を苦しめるだろう」、「将来世代への責任を直視し、長いスパンで財政再建の道筋を描く必要がある」と締め括っている。

 財政破綻を懸念する新聞や雑誌の記事が民主党政権になって目立つ。こうした記事を読むにつけ、政治の責任は大きく、果てしないとの感想を抱く。

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