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2010年9月26日 (日)

中国の「世論」って何?

 中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船にぶつかってきたとされる事件について、中国は船長釈放後も、日本に謝罪と賠償を要求している。26日の朝日新聞は1面トップの記事に、「日中続く緊張」、「船長釈放後も謝罪・賠償要求」、「妥協許さぬ中国世論」という見出しを付けている。北京特派員の記事だ。

 見出しを見ると、何となくわかったような気がするが、記事は中国政府が強硬な態度をとっているのは、中国の世論が厳しいからだと言っているように読める。核心部分を引用すると、日本大使館に抗議した反日デモが「次に向かったのが(中国)外務省だった。同省関係者は「強硬論を唱える世論の圧力に従わざるをえない」と打ち明ける。」と書いている。それを真に受けると、中国外務省としては不本意ながら、厳しい態度で日本に臨んでいるという解釈にもなる。

 だが、本当にそうだろうか。18日の反日デモは政府が抑えたとはいえ、さほどのものではなかった。また、朝日の同記事には、中国外務省が強気の姿勢に終始し、メディアに対日圧力をかける記事を載せるよう働きかけたという記述もある。さらに「温首相は対日強硬路線の保守派長老や軍幹部らから突き上げられ」、対日政策の転換をよぎなくされたとの北京外交筋の見方も同じく紹介されている。これは見出しの、世論が妥協を許さないという話とは違う。

 もともと言論の自由もなく、新聞などのメディアが政府の統制下にある中国では、主要な新聞、テレビは政府の広報宣伝の役割を担っている。ネットの書き込みにおいても、政府批判は容易ではない。削除されたり、誰が書いたか政府が追及するからだ。中国では、市民が政府を批判すれば、有無を言わさず拘留されることがままある。したがって、今回の事件で、中国メディアには日本を非難攻撃する報道しか存在しない。ネット上の発言も同様に制約を受けている。そうした国柄なので、中国国民の世論が本当はどうかを知るすべはないはずである。

 したがって、「妥協許さぬ中国世論」という見出しは明らかに基本的な誤りである。記事は中国政府が対日強硬策に転じた背景を説明しているのだから、それにふさわしい見出しにすべきだった。

 「世論」ということで言えば、日本の外交は、国際世論に訴え、国際世論を味方につける努力に欠けていることが今回、明らかになった。海外援助などカネで諸外国と仲良くするやりかたは、中国のほうがGDPも援助も多くなった今後は、もう通用しない。戦略的広報なるものが必要だろう。

 中国が力づくのごり押しで日本を屈服させた今回の漁船衝突事件は、日本にとっても、また中国と国境を接する多くの周辺諸国にとっても、大変な教訓となったようだ。日本はそれらの周辺諸国と一緒になって、中国に当たるようにしなければならない。一方で、日本は中国と異なる価値観の国家・社会をめざすこと、すなわち、経済成長重視から人間重視の民主的な経済社会に移行する道をとることが望ましい。先進国となり、かつ経済的な豊かさの頂点をきわめた日本が周辺諸国との難しい問題を抱えながら独立国として堂々と生きていくにはそれがいいと思う。いまなお軍事力を増大し、拡張政策をとる中国とまともに競り合うことなく、国民の幸せを保障する方途は何か、それがこれからの国民的な課題である。

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2010年9月25日 (土)

尖閣諸島問題で、いざの備えがなかった日本

 中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突したとして、日本の警察に公務執行妨害の容疑で逮捕、拘留されていた漁船の船長が釈放され、帰国した。これまでの経過を見ると、日本の全面敗北に等しい。ひとたび中国に屈服した以上、中国政府は今後、日本に無理難題を押し付け、属国的に扱うようになるおそれが十分ある。今回の経緯は「国家屈辱記念日」とか「屈辱的退却」といった指摘すら出ているように、日本人の心に深い傷を残すかもしれない。

 日本政府は検察自らの判断で釈放を決めたとし、政治介入はなかったとしている。だが、沖縄地検は「日本国民への影響と今後の日中関係を考慮すると、身柄を拘束して捜査を続けるのは相当ではない」、つまり、捜査を打ち切るとの判断を下した。刑事事件なのに、検察がそのような理由を挙げて捜査を打ち切り、釈放するのは、法治国家を自ら否定する行為である。検察にとっては、前田主任検事の証拠隠滅容疑事件に続く屈辱的な出来事である。

 また、海上保安庁や巡視船で国の利益を守るため頑張っている人たちは、この結果、中国などの漁船の取り締まりがやりにくくなった。外国の漁船はやりたい放題だろう。日本の漁船、漁民に大きな打撃を与えることは必至である。

 日本経済の中国依存は深まる一方であり、日本と中国は戦略的互恵関係にあるという言葉に日本の指導層は油断していたのかもしれない。それに、中国は核心的利益(コア・インタレスト)の中に、台湾、チベットなど武力行使によってでも守るものと、南シナ海など交渉で主権を守るものと両方あることを明らかにしているが、後者の交渉なるものを、日本政府は欧米などの民主主義国家の感覚でとらえていたのだろう。

 中国政府が国際ルールでは許されないような対抗措置を矢継ぎ早にとってくるのを日本政府は予想していなかったようだ。それは、日本政府が中国という国家の本質を見誤っていたからである。そして、今回、中国の繰り出す強硬な対抗措置に対して取りうる対抗措置がまるでないのに気付いたとき、日本政府の要人は愕然としたのではないか。中国が共産党支配の一党独裁国家であることを忘れ、日本などと同じ民主主義国家であるかのように思って外交・安全保障で十分な備えをしていなかったツケを払わされた。日米安保条約に依存しきって、自ら、国を守るという自覚が乏しい日本国の危うさが露呈した。

 中国の海洋支配の動きは近年、強まる一方だ。直近に開催された米国とASEAN諸国との首脳会議でも、中国が南沙群島などを軍事力で実効支配しようとしていることを取り上げ、平和的解決の重要性を訴えたりしている。日本も中国のそうした動向を知らないはずがない。日本政府は、GDP世界第2位となり、軍事力を増大し続ける中国が、尖閣諸島問題でもアクションを起こすことは十分予測できたはずだ。

 そして、グローバル化が進んだとはいえ、中国が日本と摩擦を起こした場合、中国という特殊な国家がどのような動き方をするか、それに日本はどのような対応をするかのシミュレーションを行ない、十分な備えをしておくべきだった。それが何もなかったというのは驚きだ。いまからでは遅いが、今後、繰り返し起こって、もっと国益を損ねることになるのを避けるためには、360度の備えが必要である。

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2010年9月24日 (金)

地方自治のあるべき姿をわかっている片山総務相

 菅新内閣の閣僚に、国会議員でない片山善博慶応大学教授(元鳥取県知事)が入った。9月17日、初閣議後の官邸での記者会見、同日の初登庁での記者会見、そして21日の閣議後の記者会見、それらを見ると、片山総務相の地方自治・地域主権についての考えがわかる。

 片山大臣が言いたいことの1つは、地方自治には団体自治と住民自治の両方があるのに、従来の施策はもっぱら団体自治の強化だったという点だ。国と自治体の関係で、自治体の権限であるとか、自治体の判断権、決定権、自由度の強化、別の言い方をすれば、権限移譲、関与の廃止、義務付け・枠付けの撤廃、一括交付金化に取り組んできた。

 その反面、住民自治はおろそかになっていた。地方自治という車の両輪の1つ、住民自治の強化も必要だから、それを促進したい、住民投票はその1つの手法だと言う。

 片山大臣は、米国などの地方自治について語っている。歳入と歳出はつながっていて、地方政府がたくさん仕事をすれば、その費用を賄うため、増税せねばならない。仕事を減らせば(役人が少なくてすむなどで)、減税になる。大きな政府か、小さな政府かの選択でもある。どっちがいいかが住民の選択であり、政治参画である、と。日本は税率が固定されているが、それでいいのかという問題意識を皆持っているとも言う。

 地方六団体というものがある。全国知事会、全国市長会、全国町村会、および全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村会議長会の6つから成る。それぞれの間には地域主権改革をめぐって利害の対立がある。が、六団体ということで結束すると、対立点はさておいて、地方交付税交付金など、もっとカネを出せなどという話になりがちだ。それなのに、六団体の合意を「地方の総意」と言うことに、片山氏は「違和感がある」という。

 昔は、六団体の総意なるものは総務省の意思とほとんど変わらなかったという。そういうこともあって、全国六団体のそれぞれの事務総長は中央官庁、なかんずく総務省の天下りが多い。それにも片山氏は「違和感がある」と述べ、そういうところは「私が大臣になったから、多分、払拭できるでしょう」と語った。

 また、人事院勧告について、国家財政が破綻すれすれみたい、非常時になったときでも、人事院勧告をそのまま適用するのはいささか問題があるのではという意見もある、と指摘した。さらに、これに関連して、この勧告は従業員50人以上の企業の従業員給与をもとにしているが、これは一種の決めごとだから、基準の見直しもありうるのではないか、もっと柔軟に考える余地があると述べた。

 人事院の勧告対象は一般職の公務員である。非正規の職員は対象ではない。それに、地方公務員の場合、非正規職員のウエートが大きいので、人事委員会の勧告対象は狭くなっている。そうした点を考慮すると、人事院勧告の仕組みの見直しは検討課題の1つだと片山大臣は話した。

 片山氏は、総務省の仕事のうち、旧郵政省の分野については素人であると言い、勉強すると語った。その正直なところを買う。副大臣、政務官の補佐が必要だろう。しかし、真の地方自治をめざす姿勢は大いに評価したい。政治主導などと言っても、党内外は、わからず屋が圧倒的に多いだろうが、住民自治に根ざした地域主権の実現に向けて一歩、二歩と着実に実績を挙げてほしい。

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2010年9月19日 (日)

目からうろこの本『デフレの正体――経済は「人口の波」で動く』

 吉本隆明氏は1993年の単行本ベスト3を挙げたとき、佐貫利雄著『日本経済・新論』を入れた。そして「この著者の本は全部読んでみたいと、わたしが思う唯一の経済学者だ。とくに、この人の主著『成長する都市、衰退する都市』(時事通信社)は、以前に読んで興奮を禁じえなかった。わたしはこの経済学者がどんな人かまったく知らない。それでも経済学的な認識から攻め上って、いまの社会の現状を骨の髄まで分析し、判りつくすことは可能だなと納得させ、意欲を駆り立ててくれる、まれな経済学者だと思う。こんな人が日本にもいるんだとおもえることは、何ものにもかえがたい」(『読書の作法  なにを、どう読むか』(2001年、光文社)より)と絶賛した。

 藻谷浩介著『デフレの正体  経済は「人口の波」で動く』を読んで、この佐貫氏のことを思い出した。佐貫氏は1950年ごろ日本開発銀行に入り、同行の設備投資研究所次長を経て早稲田大学教授などを歴任した。地域経済に詳しく、その研究論文は関係するデータを徹底的に分析して実証するタイプのものばかりだ。藻谷氏も同じく日本開発銀行(現、日本政策投資銀行)に入り、全国各地を丹念に歩いて、地域経済に関していまや第一人者である。著書の『デフレの正体』はデータに基づく実証的な問題提起であり、学ぶことが多い。

 著者があとがきに書いているように、同書は「経済を動かしているのは、景気の波ではなくて人口の波、つまり生産年齢人口=現役世代の数の増減」であることを人口統計や経済などの各種統計を駆使して立証している。

 即ち、生産年齢(現役世代)人口の減少→消費者人口(つまり需要)の減少→企業の供給能力の過剰→在庫積み上がりと価格競争激化→在庫の時価の低下(在庫が腐る)→叩き売りで企業収益が低下、という因果関係になっている。そして、供給過剰による単価低下で消費者余剰が発生しているが、高齢者は老後に備えて、この消費者余剰をきわめて固定的な貯蓄に回しているため、経済社会に循環しない。このように、デフレは生産年齢人口の減少に端を発する上記のメカニズムが原因だという。

 したがって、経済成長を促進する、生産性の向上を図る、金融政策でインフレを起こす、出生率を向上させる、外国人労働者の受け入れを増やすなどといった対策ではデフレからの脱却はできないという。

 では、どうするのがいいのか。著者は、高齢富裕層から若者に所得を移転させる、女性の就労と経営参加を当たり前にする、外国人観光客・短期定住者を受け入れる、といった対策をとるよう主張している。具体的な中身については本書を読んでいただくのがいいが、それらはかなりドラスティックで実現が容易でないと思われるものもあるし、政府が前向きに取り組めば割合簡単に実現しそうなものもある。

 菅内閣はデフレ脱出へ大見えを切っているが、中身は、国の借金を大幅に増やす予算で景気を刺激する類のものになりそう。財政破綻への道を急ぐだけの公算が大だ。藻谷氏らの問題提起を正面から受け止めて、デフレ、財政破綻の両方を解決する政策を実現することが求められる。

 

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2010年9月18日 (土)

自民党政権の時代と似ている菅新内閣

 小沢一郎氏を破って民主党代表・総理大臣の座を保った菅直人氏の第二次内閣が17日発足した。同日午前に開催された同党の議員総会に小沢氏は欠席した。「一兵卒」として当然、出席すべきなのに、さぼった。自分の気に入らないと、無視する尊大ぶりを発揮した。そういう小沢氏の態度をおかしいと思わないような国会議員が半分近くもいる民主党はどう見ても異常ではないか。

 新閣僚たちはさっそく記者会見した。会見の内容を新聞報道でみると、新閣僚の多くが事前に官僚のレクチャーを受け、それをもとに答えたようである。それこそが「官僚主導」の表れだ。

 かつて、小泉純一郎首相当時、竹中平蔵氏が大臣になったとき、竹中氏は会見までの間、雲隠れし、官僚のレクチャーを受けないようにした。そして、会見で、竹中氏の見解をもとに自由に答えた。就任会見でしゃべったことが、のちのちまで大臣を拘束することを知っていたからである。「政治主導」を唱えるなら、官僚の事前レクに基づいて答弁することのこわさを知っているべきだろう。

 政権をとる1年前までの民主党は一応、シャドー・キャビネット(影の内閣)を持っていた。政権の座についたら、すぐ、それぞれの得意分野で政策実施に動けるように、担当の閣僚を決めていた。それによって官僚依存を脱却しようという発想であり、正しかった。

 しかし、菅新内閣の顔触れをみると、論功行賞だとか、当選回数の多い議員を大臣にするなどといわれたりもしている。本人が全く土地勘のない分野にとまどっているケースもある。菅か小沢かで激しい権力争いをしたのだから、今回のような人事は仕方がないという解釈もあるが、それでは官僚に依存していた自民党政治と似たようなものになりかねない。

 菅首相は副大臣、政務官の人選で、小沢氏を支持した議員を取り立てる意向を表明している。しかし、そういう発想自体が間違っている。適材適所でなければならない。

 過去1年、ろくに専門知識も経験もない若い政務官などが外部の有識者などを集めて審議会などをリードしようとしたため、すぐれた有識者の中から、審議会などへの参加を敬遠する声が出ていると聞く。

 国会議員だから偉いんだという単純な発想はやめて、官僚のすぐれた点を生かしつつ、官僚制度の限界から来る問題点をしっかりと把握する、そうした議員になるよう、もっと謙虚に、真面目に勉強してもらいたい。

 以前にも書いたが、民主党には党綱領がない。どういう国家像のもとに政治の改革をめざすかが綱領である。いまは、右から左までの烏合の衆にすぎないため、党員一人ひとりのめざす方向がばらばらである。それだから、どの親分のもとに参集するか、が大事になっている。そういう状態を脱却することも民主党の大きな課題である。

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2010年9月16日 (木)

波頭亮著『成熟日本への進路』のもっともな指摘

 国家が提供すべきサービスは「国民全員に、医、食、住を保障すること」。そういう視点で波頭亮氏が書いた『成熟日本への進路――「成長論」から「分配論」へ』(波頭亮著、ちくま新書)は納得できる指摘が多々あった。

 社会保障の先進国、デンマークは国民負担率が71%に達する。同国は著者によれば「高福祉だからこそ自由経済」の国で、①市場メカニズムの徹底的な尊重、②最も解雇しやすい国、だという。このデンマークをお手本にして成熟日本をめざす処方箋を示したのが本書である。

 日本経済がここまでおかしくなった最大の理由は、増税をしてこなかったことにある、それが社会保障の拡充を妨げ、産業構造のシフトを阻み、成熟化社会への移行を妨げてきたと著者は言う。国債は非定常的な歳入を得るために発行されるものであり、社会保障のような恒常的な支出の原資に充てるのは適切ではない。しかし、増税を避けて、景気対策のために国債を大量に発行してきた結果、社会保障の充実に予算が回らなかったと指摘する。

 1995年以降の国債発行残高の増分は497兆円に達する。これはプライマリー・バランスで見て毎年、36兆円ずつ歳入が不足しているのに等しい。そこで、著者は「必要な増税額は取りあえず33兆円」とし、それを消費税10%増税、金融資産に0.5%課税、相続税の実効税率20%の3つで賄うことを提案している。それを実施しても、税と社会保険料を合わせた国民負担率は約49%で、イギリス(48%)と同程度と言う。万全の財政基盤を目指すなら増税額は60兆円/年となるが、それでも国民負担率は約57%で、ドイツ(52%)より高いが、フランス(61%)と比べると、まだ軽い負担率だとしている。

 一方、手厚い社会保障と固い雇用保障の組み合わせは国民のモラルハザードを招き、総ぶら下がり化の危険をはらむと波頭氏は見る。デンマークは失業手当、生活保障が手厚く、再就職のための職業訓練は無料である。したがって、企業は即座に解雇ができるので、市場対応力の高い経営が可能になる。日本もデンマークにならうべきだと著者は言う。

 このほか、日本の内需型産業の振興というのは間違ってはいないが、それだけでは不十分だと指摘する。日本は輸出依存度が16%(08年度)とかなり低い。しかも、輸出競争力が低下している。一方で、石油と食糧の輸入だけで27兆円(同)に達するので、外貨を稼げる産業の育成が必要である。国際競争力のある高付加価値型輸出産業を育成しなければならない。

 また、医療・介護サービスを主力産業化する必要があり、そのために規制緩和および労働条件の改善が必要だとも述べている。

 本書は経済成長を追求する発想を退け、衣、食、住を完全に保障するための分配に視点を置くもので、教えられる点が多かった。政治が混迷を続けているが、本書のように、明確なビジョンとその実現のための方法とを示していくことがいま求められていると思う。

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2010年9月14日 (火)

反省がみられない小沢支持議員

 民主党総裁選までずっと政治の空白が続いていたから、勝った菅氏はすぐ全力疾走に移ってほしい。尖閣諸島近くで中国の漁船が海上保安庁の船にぶつかってきた事件で、中国側が強硬な姿勢で臨んできているが、これも日本の内輪もめに近い政治情勢を読んでのことだろう。日中は「未来志向」でと温家宝首相が語ったとは思えないほどの高圧的な態度である。政治家がしっかりしないと、この国は危うい。

 それにしても、菅か小沢かをめぐる民主党内の権力抗争はすさまじかった。菅支持か、小沢支持か、国会議員一人ひとりに踏み絵を踏ませるような闘いは、党内にしこりを残すに違いない。しかも驚いたのは、小沢氏を支持した国会議員の一人が、負けたのは小沢氏に対する世論の誤解が完全には解けなかったからだと言っていることだ。ほかにも、似たような発言がある。

 これは、一般国民の誤った認識のせいで負けたと言っているに等しい。政治とカネの問題について、小沢氏が国会でまともに審議に応じて説明したことがないのをおかしいと思わない民主党国会議員が半分近くいることが14日の党総裁選で明らかになったわけである。

 したがって、菅氏が民主党の役員人事および政権の顔触れを決める際、党内融和を優先するのではなく、政治とカネの問題をまともに受け止める議員しか重要ポストに起用すべきでない。さもないと、民主党はかつての自民党と同じになりかねない。

 一方で、菅氏の側は、小沢支持の票がこれほどまでに多かった背景に、これまでの菅氏および政権運営などに対する不満、不信があることを謙虚に反省する必要がある。主要な政策課題について、思い付き、その場しのぎでいい加減な発言をするのは前首相の鳩山由紀夫氏だけでいい。菅氏は体系的に天下国家論を提示し、国民に明るい未来の可能性を指し示すとともに、そのためには「良薬は口に苦し」で、国民にきびしい注文もつけるべきである。また、ねじれ国会をどのように動かして政治課題を解決していくか、その展望を指し示してほしい。

 今回の党総裁選で、両候補は全国各地を歩いたが、そこでの国民の発言は、いまもって「○○してほしい」という要求型ばかりだったようだ。日本は先進国の中で飛びぬけて国家財政がピンチなのに、国民は国に対し、もっとカネを××に使ってほしいとしか言わない。なんといやしい人種に成り下がったことか。

 “フリーランチ(タダめし)はない”。菅新政権はまず、そのことを認識し、それを明確に国民に訴えることから始めるべきだ。そして、いわば非常事態にある経済・財政を立て直す方法を与野党一緒になって編み出すようにしてほしい。危機感なき政権運営は国を滅ぼすだろう。

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2010年9月12日 (日)

サムスンの強さに学ぶ

 韓国のサムスンは半導体、薄型テレビなどで日本メーカーが後塵を拝するほどの世界的なメーカーとなっている。サムソンの強さとは何か、それは裏返すと日本のビッグビジネスの弱さを浮き彫りにしているのではないか。日本在外企業協会の発行する「月刊グローバル経営」の9月号は、1994年から2003年までサムスンの常務だった吉川良三氏(東京大学ものづくり経営研究センター特任研究員)へのインタビュー記事を載せているが、サムスンの経営の特長がわかり、とても刺激的な内容だ。さわりを以下に――。

 サムスンは市場として期待されるところに工場や拠点を置き、そこの文化に合った地域密着型のものづくりをする。それがグローバル化の真髄ではないか。そのために地域専門家を養成し、お客の本当の声を聞こうとした。日本企業は地域に密着したものの作り方とは何か気付いていない。日本の製品は消費しない(使わない)機能がいっぱいある。品質はお客が決めることを日本人は忘れている。グローバルにビジネスをするとき、常にお客の目線で見ることだ。在庫を持たないというのはメーカー目線だ。お客はすぐ手に入れたがる。

 サムスンや現代が強いのは、日本が使い捨てた技術者をどんどん雇っているからだ。それで、簡単に技術が移転・流出してしまっている。これは日本の経営者の傲慢だ。

 日本企業は経営者の意思決定が遅い。何年もかかって調査し、役員会で議論してから決定するから。韓国は100年先までの方向性をオーナーが示し、あとは任せる。日本では社長がナッパ服を着て工場現場などに行くが、経営幹部がそのようなことはしてはいけない時代が来た。

 サムスンの生産は立ち食いそば方式である。プラットフォームをある程度共通化し、あとはお客の要望に沿った機能、性能、品質、デザインの製品に仕立てる。立ち食いそばのように、回転率が早いから利益率が高い。

 究極のグローバル化とは、現地社会が求めるものをつくるため、工場も設計もすべて現地に持っていき、現地の材料だけでつくる。できれば社長以下すべて現地人にする。

 ものづくりというのを「もの」と「つくり」とに分けて考えなさい。「もの」は考える力で、「つくり」は身体を動かすことだ。日本人のものづくりは「つくり」のコストダウン競争だけになっている。

 日本は少子化するので、外に飛び出して戦っていかないといけない。そのとき、法人税率の40%は、競争力の観点からしていかにも高い。ボディーブローのように効いてくる。消費税を上げてでも企業に利益を残すべきだ。

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2010年9月11日 (土)

千葉県にみる高齢者比率の高い地区

 日本の高齢化は世界に例をみないほどの速さで進行している。日本の高齢化率、即ち、総人口に占める65歳以上人口は2010年に23.1%と推計されている。それが2015年には26.9%、2020年には29.2%、そして2035年は33.7%に達する。

 一方、人口増加率が高い都市部における高齢化率はおおむね全国平均(2005年は20.1%)より低い。2005年には東京23区が18.5%、横浜市16.9%、名古屋市18.4%、京都市19.9、さいたま市15.9%、千葉市16.5%などとなっている。大阪市は20.0%、神戸市も20.1%と全国平均並みだ。

 そのあたりまでは、割合と知られているだろう。しかし、千葉県の副知事が先日の東京ー北京フォーラムで参考資料として提示したデータは驚くものだった。千葉県内の地区を町・丁・字ごとに分けて高齢化率を調べた(2010年4月1日現在)ところ、高齢化率が40%以上の町・丁・字はちょうど300あったという。そのうち、人口が500人以上の地区は46あった。

 ちなみに高齢化率30%以上、40%未満の町・丁・字の数は1485で、そのうち人口が500人以上の地区は401ある。また、20%以上、30%未満の町・丁・字数は2518であり、10%以上、20%未満は1468、10%未満487となっている。

 人口が500人以上で、かつ65歳以上の割合が40%以上の地区は上記の通り46ある。うち、50%以上の地区は3つある。それら40%以上の「高高齢化地区」の多くが1960年代から70年代に造成された大規模な戸建て分譲の団地だという。

 千葉市を例にとると、高齢化率は19.8%であるが、花見川区のこてはし台1丁目、同3丁目、同5丁目、宮野木台3丁目は40.1%~42.2%。若葉区だと大宮台2丁目など12の丁が40.6%~47.9%である。千葉県下の中小都市においても、こうした「高高齢化地区」が存在する。君津市の広岡ではなんと60.1%、御宿町の御宿台も58.7%などという。ここまで高齢化が進行しているのである。このアンバランスな社会はどう見ても異常である。

 長寿社会ニッポンでは、1940年に生まれた人の半分近くが85歳まで生きる見込みだという。また、千葉県では高齢者のうち一人暮らししている人の割合が2005年に12.9%だったが、2025年には17.5%にまで増えると見込まれている。一方で、近所の人と親しく付き合っているという高齢者の割合は下がる傾向にあり、2008年は43%だった。これも下がっていくだろう。

 以上に紹介したように、日本の高齢化は国にとっても地域にとっても深刻な課題を突き付けている。高齢者を支えるために現役世代が負う重荷も年を追うごとに大きくなる。いずれにしても、容易ならざる事態に私たち国民は直面していて、それをどう打開するかの答えをひねり出す必要に迫られているのである。 

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いくつになってもチャレンジするのはすばらしい

 ことしの司法試験合格者の発表で、最年長は、まもなく66歳となる男性だった。「経済学部を卒業し、40年近く新聞社で働き、退職後、法科大学院に進学。3回目の挑戦で夢をつかんだ」(日本経済新聞9月10日付け朝刊)という。定年後をどう生きるかが長寿社会における退職者――特に男性――の悩みだが、この男性のようなチャレンジは多くのオールドボーイに刺激を与えるに違いない。

 この男性は「法学部出身ではなく、社会人を経て還暦を過ぎてからでも、頑張れば法律家になれる」(同)と語ったそうだが、最近、「頑張る」という言葉がすたれていただけに、とても新鮮な印象を受けた。内向きといわれる日本社会だけに、老・中・青の大勢の人たちが、できれば大きな夢に挑戦するようになってほしい。

 日本では、65歳以上の人口が23%に達した。企業によっては定年を60歳にしたままで、65歳以前に雇用延長を打ち切るところが少なくない。このため、企業社会をみると、元気な高齢者のエネルギーを十分に活用できていない。一方で、若者の失業率は高く、その就職が社会的な課題になっている。そうした老ー青の利害対立のもとで、高齢者は自らの生きがいを個々に追い求めるしかない。

 周りをみると、年金暮らしになっても生き生きとしているのは、趣味やボランティア活動などでさまざまな交友をしているタイプである。もちろん、収入を得られる仕事に就いている人は別である。要は、生きがいを感じるための自分探しである。年をとるにつれて記憶力が減退する中で、司法試験に合格するというのは至難の業だが、それをなしとげた集中力、体力、気力は驚嘆に値する。若者に大きな刺激となることを願う。

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2010年9月 9日 (木)

猛暑の夏も終わる

 ことしの夏は本当に暑くてしんどかった。東京都内に住んでいるが、室内で31度を超えると、首のうしろの上部がこったような感じになるなど、身体が変調をきたした。夜間の就寝時、室温が30度を超したままだと、朝、起きてもだるく、すっきりしなかった。昨年の夏は、エアコンを全くと言っていいほど使わなかったが、今夏はけっこうエアコンに頼った。

 暑いと、冷房のため、エアコンがどんどん使われる。そのために石油や電気の使用量が増えて、二酸化炭素などの温室効果ガスがたくさん出る。地球大気と海洋の各循環によって季節や天候が変わるが、それに人類の活動による影響が加わって、猛暑に見舞われたのだろう。大都市では、自動車の排ガス、エアコンの排熱などがすさまじいうえに、レストランなどの換気の熱も相当なものだった。

 気象庁が観測を開始して以来の酷暑という新記録だそうだが、それでも、「電力不足で大変!」という話は聞かなかった。産業用電力の消費が減っているからだろう。電力需要の面から見れば、ものづくり大国の日本から、工場が海外に次々に移転するか、閉鎖している実態を反映していると思う。それに伴う産業構造の高度化や内需依存度の増大のほうはうまく行っていない。国民生活の充実・安定、それを支える経済の発展という根幹が求められるゆえんである。

 民主党総裁選は、こうした当面および中長期に主要な課題にどんな体系立った政策対応をするかをめぐって争ってほしいのだが、どうもそうなっていない。

 菅首相は政府の立場で経済対策をまとめたり、新成長戦略実現会議を発足させたりしているが、消費税増税や普天間基地移転問題など厄介な問題を避けているようにみえる。また、本人は公務に時間をとられるので、菅首相夫人らが手分けして選挙運動をしているが、その効果は限られる。

 一方の小沢幹事長は「どぶ板戦術」に徹し、投票権を持つ議員などを“戸別訪問”している。これでは、どっちが有利か、おのずから明らかだ。小沢氏は政策についての発言は少ないうえに、いい加減なものもあるが、限られた投票権保有者を差しで口説けるという点では強いと思う。

 総裁選は国民の期待に添わない形で展開しているが、選挙戦の結果がどうであろうと、民意は民主党から離れるだろう。選挙のあとはノーサイドにというが、権力にしがみつくという一点で集まっているだけのいい加減な政党に、日本の未来を託すわけにいかないからだ。

 さしもの猛暑もそろそろ終わりとなる。秋空の雲や虫の音は、それを知らせる。台風9号は猛暑に別れを告げる使者でもあったが、豪雨と洪水で大きな爪痕を残した。それは、今回の総裁選で全く論戦のテーマにもならなかった温暖化対策を「お忘れになっていませんか」という警告と受け取りたい。

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2010年9月 5日 (日)

中国に率直にものが言える「東京ー北京フォーラム」

 8月29~31日に東京で開催された「第6回 東京-北京フォーラム」は盛大だったという。会議の内容は、日本側主催者である言論NPOのホームページで読むことができる。日中関係は歴史問題などでいまだにもろいところがあるが、今回のフォーラムでは、日本側が歯に衣を着せないで発言し、中国側がそれを受け止める大人の関係にまでたどり着いたという点で、大きく進歩したという印象を持った。

 3日目の全体会議で基調講演に立った宮本雄二前中国大使は「中国にとっての台湾問題の重要性を世界にわからせることは難しく、中国では当たり前でも、なぜそうなのかとは言えないと思う。どういう客観的基準で中国の国境は決まっているのか。どうして中国が1つでなければならないのか。こういうことは深い知的作業を要する。なんでわからないのかなどと思わず、相手が納得するまで掘り下げること。安全保障については、中国の透明性と説明責任は大事である。中国はどういう世界をつくろうとしているのか。孔子と弟子たちが語った世界(自らの限界を知って努力する?)に近いことを望む」と言い切った。

 分科会で最も活発な意見のやりとりがあったのは外交・安全保障分科会だったようだ。日本側の発言者からは、中国の著しい軍事力増強の中身と意図について透明性を求める意見が強かった。これに対して、中国側からは、他国を侵略する意図はない、軍事力の透明性に応える必要はない、経済発展に応じた増強にすぎないという説明がなされた。

 南シナ海の問題は軍事力を後ろ盾に対処すべきだとか、シーレーンを海上生命線と呼び、南シナ海、マラッカ海峡を通って中東にまで言及する中国の最近の姿勢を日本側が取り上げた。これに対しては、中国側は退役将軍の発言にすぎないと指摘、公式の発表に注目してほしい、と語った。

 中国の核問題への姿勢や、中国と北朝鮮との関係などについても、日本側はストレートに疑問を呈した。記録を読むと、日本側が終始攻め、中国側が釈明に追われるという展開だったが、険悪な雰囲気になることは全くなかった。

 フォーラム創始者の1人、小林陽太郎氏があいさつで「率直な飾らない議論の認識が広まりつつある」とし、「お互い謙虚さと相互信頼を基礎にして不確実性を小さくする」ことを期待していたが、私も日中関係は新しい展望を持てる段階に入ったように感じた。

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2010年9月 1日 (水)

「政治主導」のこの1年の現実

 民主党総裁選挙が始まった。現在の党総裁である菅直人首相と小沢一郎前幹事長との一騎討ちで、かつ党内が二分して権力抗争に夢中になっている様子は滑稽きわまりない。だが、国会を開かず、日本が直面している重要な課題をそっちのけにしているのを見ると、亡国という言葉が思い浮かび、なんとも悲しい気持ちになる。

 鳩山由紀夫前首相は小沢氏と一緒に辞めたとき、「次の衆議院選挙には出ない」と言っていた。それが最近、妙に張り切っているのも異様である。菅首相の続投を支持すると言った、その舌の根も乾かないうちに「首相にしてもらった恩義があるから小沢さんを支援する」などと、やくざが言いそうなセリフを吐く。「トロイカ+1」などと、まだ自分が党の指導者だと言わんばかり。頭がいかれているとしか思えない。そんな人を鳩山グループの指導者として仰いでいる民主党国会議員も同類か。

 小沢氏は総裁選でまたぞろ政治主導を口にしている。衆議院選挙に向けて打ち出したマニフェストはろくに実現していないが、それは政治主導が徹底して行なわれなかったからだというのが小沢氏の主張らしい。ばら撒き的な公約の財源も、政治主導でムダを省けば出てくるというのである。

 一般会計、特別会計を合わせた207兆円の中にはムダがあることは確かだ。だが、それを個別に指摘して予算をスリムにすることができなかったのが民主党政権である。それなのに、小沢氏はどうやって財源捻出を実現するのか。政治主導、政治主導、‥‥と念仏を唱えるだけでは無理だ。

 民主党政権は過去1年、政治主導を掲げて行政を行なってきた。しかし、事業仕分けでは人気を博したが、それ以外には目立った成果がみられなかった。その理由は、第一に、民主党としての国政についての理念(つまりどういう日本にしたいのか)、およびそれを実現するための詳細かつ体系立った政策を持ち合わせていなかったからである。このため、縦割りの政策づくりにとどまり、時代の変化に対応した整合的な政策を打ち出せずにいる。

 第二に、政治主導なるものの意味があいまいだ。閣僚および各省庁の政務三役だけで政策などを決めることと解釈した大臣もいた。いまもいる。官僚は政務三役の指示に黙って従っていればよいというわけだ。異議を唱えた官僚は左遷されるケースもある。そうした省庁では幹部の士気は沈滞している。また、行政の範囲は非常に広く、政務三役だけでカバーすることは不可能なので、変化に即した行政の対応が遅れ遅れになっている。

 一方で、政務三役と官僚との関係が割合にうまくいっている官庁もある。それは、政務三役だけでは所管の行政すべてをこなすことはできないという現実を踏まえ、官僚の組織、人材を使って運営しているからである。しかし、よくみると、これらの官庁の大臣、副大臣、政務官は大半が官僚の巧みな説明、プレゼンテーションにのせられているみたいだ。消費税反対だった菅氏が財務大臣になって消費税引き上げ派に変わったのも、税・財政政策について民主党が体系立った政策を組み上げていなかったせいである。

 主要な政党は野党時代に、政権を握ったときに備えて、日本の将来の姿を詳細に描き、それに合わせて影の内閣を用意しておかねばならない。野党時代の民主党は影の内閣こそ決めたが、日本の将来ビジョンを体系的に組み上げ、それの実施体制まで設計するところまではいっていなかった。与党を倒し、政権を握ることだけに傾注していたといってもよい。その欠陥が政権を獲得したいま露呈している。

 米国には政策を研究、分析、評価する民間シンクタンクが多数ある。それらの中には、民主党系とか、共和党系とみられるシンクタンクもある。日本は官僚機構が巨大なシンクタンクみたいなものだが、省庁の壁に阻まれ、官僚機構の保守性を突き抜ける政策の提示は期待しても無理である。政治主導を現実化するには、霞が関を叩くだけではなく、政党が基本的な政策の立案やその実現方法などについて党独自の立案ができる道を用意する必要があるのではないか。 

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