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2010年12月31日 (金)

未来を託せるリーダーを求めて

 岩手県岩手郡葛巻町は「北緯40度 ミルクとワインとクリーンエネルギーの町」として、知る人ぞ知る町である。個人的なことを言えば、娘夫婦が子供を連れて夏の終わりに葛巻町を訪れ、牛の乳しぼりを子供に体験させたりしてきた。いまの季節は雪深く、寒さも厳しい僻地である。

 その葛巻町のことを、日本税理士会連合会の会報「税理士界」2011年1月15日号のコラムが取り上げている。「昭和50年代の半ば、当時の町長が衰退する林業の他は何もないK町を突然「ミルクとワインの町にしよう」と言ったことから始まる。役場の若手職員をブドウ栽培の研修に出した。また、民間農場から指導者を派遣してもらい、職員たちに企業経営の考えと行動を叩きこんだ。そうしたいきさつにより、葛巻町は町の自然や資源を生かした町づくりに成功した。最初に研修を受けに行った若手職員がいまの町長になっている。

 コラムは「トップが夢を語り目標を明示し、脇にいる者が実現のプランを描き、更にその下で実際に行動する者がいる。この3拍子がそろい、絶対に成功するまで熱意ある努力を続ければ、組織は活性化し人材も育ち、何事もなし得るのであろう」と書いている。

 厳しい自然の中で、葛巻町の人口も徐々に減ってきた。鈴木重男町長は、町が持つ多面的な機能を最大限に生かし、それが交流・定住人口の増加につながるよう努力しているという。それは決して楽な道ではない。しかし、すぐれたリーダーが地域をよりよい方向に変えていくことは、国政とても不可能ではないはずだ。

 新しい年、2011年。私たちは自らも何らかの形で参画して、すぐれたリーダーを生み出し、明るい未来を切り拓くための一歩を踏み出したいものである。

 

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2010年12月27日 (月)

「菅政権100日評価」アンケートの注目点

 言論NPO(認定NPO法人)が27日に「菅政権100日評価」とアンケート結果とを発表した。注目したのはアンケートの問17「あなたは今の日本の政治の混迷を打開する主体として誰に期待しますか」の回答である。

 「政治家」、「メディア」、「NPO、NGO」、「有権者」、「経営者」、「学者」、「知事など地方の首長」のそれぞれについて、「期待する」、「期待しない」、「どちらともいえない」、「わからない」のいずれかを選ぶ設問であるが、回答をみると、「有権者」に対して「期待する」という割合は55.3%もあった。これに対し、「政治家」に「期待する」のは49.8%、「知事など地方の首長」に「期待する」は50.6%だった。「NPO、NGO」も50.0%だった。「メディア」は「期待する」がわずか25.2%。「期待しない」が45.5%と際立って多い。メディアへの批判、不満が強い表れだろう。

 アンケート結果では、日本の政治の現状をどう判断しているかについて、「政府の統治(ガバナンス)が崩れ、政治が財政破綻や社会保障などで課題解決できないまま混迷を深める国家の危機」という回答が一番多い。そして、政界再編を期待する回答が6割強に達する。にもかかわらず、「政治の混迷を打開する主体」として最も期待するのは「有権者」だというのである。

 アンケートの回答結果を素直に受け取ると、言論NPOの活動に参加ないし協力している回答者(508人)は、政治の改革に、もっと、さまざまなステークホルダーが関わるべきだと考えているのだろう。ただ、期待が大きい「有権者」に対して、具体的にどういう活動を期待しているのかがアンケートからは読み取れない。

 勝手な憶測をすると、「有権者」を国民と読み替え、国民が選挙で投票するだけでなく、ギリシャ、アイルランド、フランスなどで普通に行なわれている街頭デモをするなど、自らの意思を“見える化”するのを想定しているのかもしれない。

 いまの政権は財政の大盤振る舞いで国民を甘やかし、日本の危機にまともに対処することから逃げている。結果として、少なからぬ国民は不満や怒りをあまり感じない。しかし、アンケート回答者の多くは、国民が政治に対する不満、不信や怒りをあらわにして、ぶつけない限り、本格的な改革は進まないと危機感を抱いているのではないか。

 先日、国会議事堂を見学した。その際、半世紀前の安保騒動のとき、国会周辺はデモ参加者で埋め尽くしていたことを思い起こした。政治に対して、あれほどのエネルギーを日本人は持っていたのである。今回のアンケートで、そのことを改めて意識した。 

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2010年12月25日 (土)

恐るべき国の債務増大

 菅内閣が2011年度の一般会計予算案を決めた。歳入では、「税収」が本年度の37.4兆円から来年度は40.9兆円と増える。また、「公債金」が本年度の44.3030兆円を上回らない44.2980兆円にとどめられる。“埋蔵金”は本来、国債の償還に充てるべき性格のものを歳入に充てるのだから、「その他収入」の多くは公債金に加算してしかるべきである。とすると、歳入全体の92.4兆円から「税収」の40兆円を引いた52.4兆円のほとんどは“借金”である。こんな調子で借金に借金を重ねることがいつまで続けられるのだろうか。

 2011年度の国債発行予定額は169.6兆円である。本年度は162.2兆円(補正後)である。来年度は借換債111.3兆円を発行するほか、新規財源債を44.3兆円、財投債を14.0兆円と出す。毎年度100兆円前後の借り換えをしながら、さらに新規の国債を大量に発行して借金の累積を続けているというわけだ。

 国債発行残高(普通国債+財投債)の推移を見ると、2011年度末が786.5兆円の見込み。2001年度末には436.2兆円だった。10年間に350兆円、平均すると1年に35兆円ずつ増えた計算である。国民1人当たり年30万円弱に相当する。

 このように国債残高は年々相当に増えてきたが、一般会計の利払い費は2011年度9.9兆円、本年度8.5兆円である。過去に利払い費が多かった年は1998年度の10.8兆円と1990年度の10.8兆円である。それらの年度末の普通国債残高は1998年度が295兆円、1990年度は166兆円だった。来年度の利払い費と似たような金額の9.7兆円を計上した1985年度の年度末では、普通国債残高が134兆円と来年度末見込み668兆円の5分の1にすぎなかった。

 史上初の超低金利が続いているおかげで、いまの日本の国家財政は借金に次ぐ借金を重ね続けることができているというわけだ。長期金利がデフレ以前の水準に戻れば、利払い費の激増でアッと言う間に破綻に追い込まれるのは一目瞭然だろう。

 超低金利状態が長く続いているおかげで、日本の国家財政は借金に借金を積み重ねてもこれまでやりくりできた。民主党政権のもとで財政規律が極端にゆるんでも、まだ何とか持っているのも、この超低金利のおかげである。それだからといって、これがいつまでも続くことはありえない。我々はセットされた時刻がわからない時限爆弾を抱えているのである。

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2010年12月23日 (木)

誰が日本を救うのか

 年末の片付けをしていたら、興味深い話が載っている古雑誌が出てきた。雑誌「自動車販売」2001年5月号の「だれが日本を救うのか~私の指導者論~」(日本経済新聞論説副主幹 田勢康弘)である。以下、抜き書き的になるほどと思ったところを紹介する。

 ・明治のリーダーは自分に大変厳しいものを持っていたように思う。少なくとも自己の利益のために地位を望むというような人ばかりではなかった。国益、国のために何がいいか、そのためには命も捨てる覚悟をしていたように思う。

 ・国家を運営する立場に立つからには、歴史に対して謙虚でなければならない。歴史を見て、自分が為政者として、どのように国を導いていくか、決断しなければならない。そのためには歴史を知らねばならない。知的水準が高くないと歴史には学べないのです。

 ・残念ながら国会を見渡しても、歴史に学ぶどころか、歴史に大変無知な人ばかりが集まっているとしか思えない。なぜかと言えば、初めから政界に参入してくる人の水準があまり高くないのです。有望だと言われる若手を思い浮かべてください。あの程度の人物なら、どこの会社にもごろごろいます。本来、民間人と政治家とは、何が違わねばならないかと言えば、政治家は国や国民のために命を捨てる用意があるということ、覚悟なのです。

 ・自民党の時代は完全に終わった。この政権が延命を考えるだけであれば、もはや存在する意味は全くなくなっている。では、民主党はどうか、頼りになるかと聞かれれば、あまり頼りになると思えない。しかし、それでも政権交代したほうがいいと思う。同じ政党が軸になって、何年も日本の政治が運営されていくと、いろいろな事件、スキャンダル、いずれも全部組織的なものになる。

 ・今、我々は幕末から明治にかけて、すごいリーダーがいっぱいいたなと懐かしんでいる。しかし、幕末にアメリカを訪れた勝海舟は、帰国後、その時代でさえ、アメリカに比べて何たることよと、日本の指導者のお粗末さを嘆いた。あれから140年、我々はいったい何をしてきたのか。第二次世界大戦に参入していったわけだが、あの前後も、振り返ってみると、本当に一人としてまともなリーダーが存在していなかった。

 ・誰か一人でも決断できる人がいれば、陸軍の横暴を許すことはなかった。戦争を止めようと思えば、止められたはずだが、そういうリーダーがいなかった。政治など別にどうでもいいと思っていると、ああいう悲劇が繰り返される。いま、大変に似た状況になりつつあるように思う。それは政治の世界だけの問題ではない。官僚も民間も同様です。

 ・こうして見てくると、誰が日本を救うのか。それは政治家や企業のリーダーなどではない。我々なのです。

 ――この田勢氏の講演をもとにした記録を読むと、ほとんどいまの日本の政治状況を踏まえて話しているように思える。自民党に絶望し、民主党に過度の期待をした国民の甘さを戒め、国民が危機にある日本の再生に自ら立ちあがるしか救いはないことをこの講演録は示唆しているのではないか。 

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2010年12月19日 (日)

「自分の人生を終わりにしたかった」と言う若者

 茨城県取手市のJR取手駅前で17日、27歳の男が刃物でバスの乗客を傷つけ逮捕された事件。犯人は「自分の人生を終わりにしたかった」と言っているという。終わりにしたかったなら、他人を巻き添えにしない方法で自殺したらいい、と突き放した見方をすることもできよう。

 しかし、秋葉原の事件もそうだったが、若者が絶望し、見ず知らずの人を殺すような事件がときどき起こるのは社会にも問題があるように思える。生まれたときは、皆かわいかった。犯罪者になるまでの経緯を知れば、家庭や社会にも一端の責任があることが判明しよう。また、親が幼い子供を虐待で殺したり、大けがをさせたりする事件が頻発しているのも、明らかに異常な事態である。独居老人が死後、相当経ってから発見されるといった現象もそうだ。

 日本経済は世界第三位のGDPを生み出している。平均一人当たりをみても十二分に豊かである。しかし、家族、学校の友達、近所付き合い、職場の仲間との付き合いといったつながりが薄れる傾向にあるため、人々は孤立化しやすい。ことに、失業したり、派遣などの非正規雇用になると、人によっては孤独に陥り、希望を失いがちになる。

 余談だが、NHKの朝ドラ「てっぱん」は、都会の下宿の住人たちが「隣は何をする人ぞ」の状態から、皆が家族のように集まってしゃべったり、食事をしたりするようになり、それによって、皆の暮らしも仕事も活気づくという話でもある。いまの日本社会の問題点を浮き彫りにしてみせてくれる。

 では、日本社会はどうしたらいいのか。迂遠な答えしか思い付かない。第一に、厳しい言い方になるが、子供に対しては、「大人になったら、独り立ちする、しかるべき仕事に就いて自分で食っていくのだ」ということを、家庭でも学校教育においてもきちんと叩きこむことが絶対に必要である。まともな大人が少ないから、「子供を持つ親は子供に対してどうあるべきか」を教える社会教育も欠かせない。

 第二に、失業者とか、一人暮らしの高齢者などが孤独に陥らないよう、何らかの仲間ができるように支えることである。最近、NPOがこの分野で相当に貢献しているが、地域の行政(市区町村)が本気になって取り組むべきである。カネも人も沢山抱えている基礎的自治体が注力すれば、しっかりしたセーフティネットが張れる。いまの自治体は、給与は高く、クビにならない、仕事は楽だ、といいことだらけで、学生の就職先として大人気というが、見方を変えれば、それは、孤立した人たちを支え、つなげる能力を自治体が潜在的に持っているということでもある。

 企業および労働組合も、社会的な責任として、地域の人々が誰とも付き合うことがないような状態をなくすように、余暇時間を趣味娯楽や勉学などに充てる場づくりを進めることが期待される。特に労働組合は、非正規雇用の賃金が正規雇用のそれに比べて不当に低いのを改めさせるとともに、非正規の労働者を労組の仲間に迎え入れるべきである。

 いまの社会をひとことで表現すれば、「守りの社会」ということになろうか。人々は自分のこと(都合、利益など)しか考えない。他人や周囲に対する心くばりをろくにせず、自分中心にものごとをとらえる。じっくりと考えたあとでの言動ではなく、感覚的、刹那的なことが多い。リスクをおかしてチャレンジするというのとはおよそ正反対である。日本経済にしても、企業経営にしても、日本人が運営しているのだから同様だ。しかし、このままでは、活気を失い、凋落すると思う。

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2010年12月17日 (金)

2011年度税制改正大綱

 菅内閣は16日に開いた臨時閣議で、2011年度の税制改正大綱を決定した。内容を個々に見ていくと、評価できるものもあれば、そうではないものもある。

 個人の所得税および相続税の課税を強化するのは正しい方向である。極端な財政悪化状態を是正するためには、そして、少子高齢化に伴う社会保障費の増大に対応するためには、今後、相当の課税強化を要する。したがって、個人課税の重税化はおそかれ早かれ必要である。

 ただし、消費税引き上げと一緒に打ち出すべきだった。消費税引き上げはとかく金持ち優遇とみられがちで、したがって、消費税だけ上げるのは政治的に相当、大変である。それゆえ、今回打ち出した高額所得者、資産家に対する課税強化と一緒に消費税引き上げを打ち出せば、国民の反発は少なかったはずである。

 菅首相が主導した法人税実効税率の5%程度の引き下げは、グローバルな法人税率引き下げの流れに追随したもので、方向としては適切である。ただ、法人税率30%以下が世界のすう勢なので、2、3年のうちにさらに30%程度にまで下げるという2ステップを明示すべきだった。そこまですれば、日本企業だけでなく外国企業も日本での事業活動に新たに投資するインセンティブになりえただろう。

 一方で、税制改正により、企業の研究開発や減価償却に対する課税の強化を行なうというのは解せない。法人課税の税収の中から法人税率引き下げの財源を捻出せよというおかしな理屈がまかり通ったからだ。省庁の縦割りを超えて最適な税財政政策をとることができなかったということである。

 環境対策として環境税を導入することになった。具体的には、石油石炭税に「地球温暖化対策のための課税の特例」を設ける。増税分は温暖化対策に充てるとのことだが、それだと所管省庁の中での税の使い方にとどまる。上記の話と同様だが、増税による税収を企業の年金負担の軽減などに振り向けるという省庁を超えた発想があってもいい。

 国から認定されたNPOなどに対する個人の寄付について、所得税額から寄付の半分の税額控除を認めるという。新しい公共を支援するものとして前向きに評価できる。 

 この大綱の裏には、2011年度予算編成における大規模な歳出のニーズがあり、それを賄うための財源をどうやって確保するかという、差し迫った課題がある。本当は、その歳出自体をもっと切るべきなのに、いまの政府はそれにろくに手をつけない、つけるだけの力がないのである。その一方で、マニフェストにあるばらまき政策を実施したいという党内圧力は強い。

 政府は、2011年度一般会計予算について、一般歳出と地方交付税交付金とを合わせた政策経費を約71兆円以下に抑える、新規国債発行額を約44兆円以下に抑えるという予算編成の基本方針を16日の臨時閣議で決定した。しかし、2011年度も税収を上回る新規国債の発行を前提としている。

 このように、財政再建の方向を明確に打ち出せず、ばらまき色が強い予算案では、国会で予算案や税制改正案がすんなり通る可能性は少ない。それよりも何よりも、財政破綻の足音が近づいているのが不気味だ。

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2010年12月15日 (水)

退潮傾向が続く労働運動

 厚生労働省が最近発表した「平成22年労働組合基礎調査」によると、労働組合数(単一るそ)は2万6367で、昨年より329少なかった。年々減る傾向にあり、5年前の平成17年より1912も減った。組合員数も同様の傾向。22年は1005万4千人で、17年より8万4千人減っている。雇用者数は減っていないが、労働組合員の比率、即ち、労組組織率は22年に18.5%。21年と同じ割合だったが、17年の18.7%を下回っている。

 一方で、女性の労組員数は微増傾向をたどっている。17年には280万9千人だったが、22年は296万4千人で、組織率も12.8%(17年12.5%)と上がりつつある。

 次に、産業別労働組合員数をみると、製造業273万9千人(組織率27.9%)、建設業89万3千人(同22.7%)、公務97万4千人(同43.7%)、運輸・郵便業89万人(同26.9%)、金融・保険業74万2千人(同43.4%)、教育・学習支援業57万1千人(同22.2%)、情報通信業39万7千人(同20.9%)などが全体の組織率平均を上回っている。複合サービス事業26万6千人(同56.5%)が最も組織率が高い。

 それに対し、組織率が低い産業は、卸売業・小売業117万6千人(同12.5%)、医療・福祉46万8千人(同7.7%)、生活関連サービス業・娯楽業11万6千人(同6.5%)、宿泊業・飲食サービス業12万4千人(同3.8%)などとなっている。概して労働集約型の産業の組織率が低い。

 一方、労働組合員のうち、パートタイム労働者は72万6千人で、前年より2万6千人増えた。全労組員に占める割合は7.3%。平成17年には38万9千人だったから、労組員のパート労働者数は倍近くに増えている。短時間労働者数(22年は1291万人)を分母にした推定組織率は22年に5.6%だった。17年は3.3%だった。

 また、民営企業に関するデータだが、836万7千人のうち、従業員1000人以上の企業規模の労組員が全体の61.7%を占める。300~999人の企業規模の労組員が14.8%で、100人~299人が8.1%。100人未満は3.1%にすぎない。民営企業の労組員の推定組織率は17.0%にすぎない。

 以上のデータが示しているのは、日本の労働運動の退潮傾向である。それは日本経済の長期低迷と符節を合わせている。そして、そこから脱却するための苦しい闘いに乗り出そうとする労働運動のリーダーたちは皆無に等しい。

 連合などナショナルセンターおよび各産別は来年の春闘方針を打ち出しているが、デフレ経済のもとで、1%賃上げだとか、定昇維持だとか、さえない要求ばかり。およそ戦意を感じさせない。賃金水準が年々低下しているのに、これでは、労働組合の存在価値が問われる。民主党の最大のスポンサーである連合は、民主党と同じように、何をすべきかがわからなくなっているように見受けられる。

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2010年12月12日 (日)

1990→2008年までの温暖化ガス排出量の国別変化

 メキシコのカンクンで開催されていた第16回国連気候変動枠組み条約(COP16)が「カンクン合意」を採択して終了した。京都議定書に基づく温室効果ガス排出削減の枠組みが2012年に期限切れになるため、その後の国際的な削減の枠組みづくりを議論したが、今回は先送りとなった。

 ここではそうした議論に触れるのではなく、1990年から最近までの国別の二酸化炭素排出量の増加状況を数字で見てみたい。

 京都議定書の議論の出発点というか、削減義務の基準となったのは1990年の排出量である。全世界の二酸化炭素排出量は214億トンだった。それが2008年には294億トンにまで増えた。ことし2010年には300億トンを超えていよう。

 国別にそのシェアをみると、1990年には米国23%、EU16%、ロシア11%、中国11%、日本5%、インド3%だった。それが2008年には米国19%、EU13%、ロシア6%、中国22%、日本4%、インド5%と大きく変動している。

 2008年の数値で、中国は世界で最も二酸化炭素の排出量が多い国であり、しかも、1990年から2008年までに、排出量は2.7倍強に増えた。日本がほぼ横ばいに推移したのと対照的である。米国は11%余増えたが、2008年実績では中国を下回っている。

 また、京都議定書で削減義務を負ったEUと日本の合計シェアは、1990年の20%から2008年の17%へと減っている。京都議定書の延長をという要求は、こうした実態を無視している。

 現在、中国の人口は世界の2割近い。そして、二酸化炭素の排出量は世界の2割を超える。1人当たりの二酸化炭素排出量でみると、中国はいまや世界の平均よりも上にある。したがって、中国がいまもって途上国だと言って、京都議定書のように拘束的な国際削減措置に参加するのを避けるのはもはや許されない。無論、米国もだ。

 カンクンでは、こうした主要排出国が消極的だったことが原因で、排出実態を踏まえた具体的な枠組みづくりにまでいかなかった。しかし、どの国にせよ、それぞれ国内事情があり、温室効果ガスの大幅な削減には抵抗があるだろうが、それをおして、世界が一致して排出削減に取り組まなければ、人類の将来は暗いだろう。国際世論の喚起が絶対に欠かせない。

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2010年12月 9日 (木)

有権者の“ダブルスタンダード”

 鹿児島県阿久根市の竹原市長に対するリコールが成立し、出直し市長選挙が行なわれることになった。市職員の給与が高過ぎるとして、市長がそれを引き下げようとしたのがきっかけで、市長と市議会との対立が続いていた。名古屋市でも市長と議会とが対立し、河村市長が議会解散をめざしてリコールを試みたが、成立しなかった。地域主権を求める声が強まる中で、首長と議会との二元自治の仕組みに綻びがみえてきた。

 片山総務大臣は7日の記者会見で、阿久根市の問題に関連して、「有権者の皆さんが本当に身近な自治体の行政に何を望むのかを明確にされることが必要だと思います」と述べた。全くその通りだと思う。

 片山氏は以下のような趣旨の発言をした。「自治体職員の給与は自治体の職員給与条例で決める。その条例を決めるのは議会である。発意、つまり言い出しっぺは首長だが、最終的に決めるのは議会である。その議会を構成する議員を選んだのは住民である。だから、議員たちが決めたり、承認した職員給与のレベルが高過ぎる、けしからんと言って議会を非難するのは、天につばきするような面がある」。

 「議員を選んでおいて、その人たちが決定したことなどを非難する一方で、議会なんて要らないという人たち、そういう首長にある種の共感を覚えるというのは、一種の自己矛盾がある」。

 鳥取県知事をしていたときの体験から「有権者のダブルスタンダードみたいなものを感じた。首長の選挙では、改革志向とか、しがらみのない存在であってもらいたいと思って投票する。ところが身近な議員の選挙のときには、別の基準で投票する。地縁とか、血縁とか、世話になったとか」。

 「阿久根市の竹原市長は市民の考えが問われる、と言われていたが、その部分は私も全く同感だ」。

 9日付けの朝日新聞朝刊は、全国の地方自治体が出資・設立した土地開発公社、住宅供給公社、道路公社、計1112社が7兆6461億円の借金を抱え、そのうちの4兆4082億円については自治体が債務保証していると報じている。

 国が放漫財政なら、地方も同様だ。解散して自治体が債務を肩代わりすれば、自治体財政は夕張市の二の舞になりかねない。さりとて、放置しておけば、借金の利息が積み重なり、いつの日か、自治体の財政破綻を招く。

 少なからぬ自治体が深刻な財政状況にあるが、地元住民は必ずしもそのことを理解していない。自治体の住民が首長や議会議員の活動に厳しい監視の目を向けていくことが、その地域の未来を拓くことにつながる。

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2010年12月 8日 (水)

日本企業の個人株主軽視はなかなか変わらない

 1960年代に株式市場および上場会社の取材を始めたが、その頃も、いまも変わらないのは上場大企業の個人株主軽視である。

 半世紀ほど前の株主総会は、法律に定められているからやむをえず開催しているというようなものだった。大株主にはあらかじめ総会前に別途、説明会を開いていたし、なじみの総会屋にはカネをやっていた。会社側は総会を混乱させるような新顔の総会屋や一般株主の発言を抑え、ごく短時間のうちに総会を終えることをよしとしていた。だから、一番前の席は、すべて社員株主で占め、「賛成」、「議事進行」と叫んでいた。

 会社の総務部の主要な仕事の1つが、株主総会を短時間に無事に終えることだった。総務部には総会担当者がおり、彼らは総会屋を手なづけるのが仕事だった。

 当時、企業の増資は株主に額面(ほとんどの会社が50円額面)で払い込んでもらう形態だった。例えば、株式時価が200円しているとして、保有1株に対し1株の新規発行を株主に割り当てるとすると、株主は50円払い込んで、計2株保有することになる。増資直後の株価は(200円+50円)÷2で125円になる(理論値)。ただし、当時、日本経済は高度成長期だったから、会社は成長し、1株当たりの利益などの指標は一時的に下がっても、よくなる可能性が大きかった。当然、株価が125円よりも上がっていくと予想された。

 当時は増資という情報で株価が上がった。だから、新聞の株式関連記事では、上場企業の増資というのが結構大きく扱われた。しかし、1970年代に入り、米国の時価発行増資を日本でも主要な企業が次々に採り入れ出した。それも公募形式の増資である。50円額面の株券を発行し、200円の時価と同じ金額が払い込まれる。

 この公募時価発行増資は多くの企業に採り入れられるようになるが、上場企業は、額面と時価との差額は払い込んだ株主のものではない、会社のものだという“錯覚”にとらわれていた。株主への配当は、資本金のうちの額面払い込み分だけに対して行なえばよいと考えていたのである。生命保険業界から株主還元を求められたが、時価と額面との差額のごく一部を増配なり小刻み無償増資という形で株主に報いるだけだった。

 そして、大企業は時価発行で得た、額面(のちに無額面株式に統一)を上回る差額を事業に振り向けるのではなくて、かなりの部分を資金運用に充てるようになっていく。資金運用を増やすために時価発行増資・時価転換社債などエクイティ・ファイナンスを実施するところまでいった会社もある。いくつかの大企業は、資金運用を会社の事業の新しい柱だとさえ思い込んだ。それがバブル崩壊によって一挙に吹っ飛んだ。

 話は移って現代に。大型増資を発表した途端、株価が大幅に下がるケースが相次いでいる。みずほフィナンシャル・グループ、国際石油開発帝石、日本板硝子などがそれだ。その原因は、企業の成長力が乏しいのに増資をすると、1株当たりの利益が増資で下がるだけでなく、将来、1株当たり利益が元のように戻るかどうか定かでないことにある。増資を単なる資金繰りの一環とか、自己資本比率など規制をクリアするためといった目先の会社の都合に基づく。

 増資情報をもとに予め空売りをしておき、増資が発表になったとき買い戻しをしてもうける“増資インサイダー疑惑”が起きるのも、大企業が企業自身の都合を優先し、株主の利益を後回しにしているからだ。

 株主軽視を続けていて、個人株主が増えるわけがない。ひところ、外国企業による企業買収を恐れて、日本の大企業も増配を真面目に考え、実施したことがある。それもリーマン・ショックで大幅に後退した。

 間接金融主体、法人間の株式持ち合いなどを背景に、戦後、ほぼ一貫して個人株主の利益を軽視してきた日本の大企業。経団連などが政府・民主党に対して法人税減税を強く訴えているが、個人株主などからそれを支持し、支援する声がほとんど上がらない。それは企業の日頃の行ないが自分中心になりがちだからではないか。 

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2010年12月 6日 (月)

議会開設120年の国会特別参観に

 12月4~5日、帝国議会が開院してから120年になるのを記念する国会特別参観が行なわれた。滅多に入ることがない国会議事堂の中を2時間ほどかけて見学してきた。昨年までに建物の壁や柱をクリーニングしたので、抜けるような青空のもと、中央玄関前から見ると、議事堂はあたかも完成したばかりのようにきれいにみえた。

 だが、一歩、建物の中に入ると、歳月を経ているものの、頑丈で、重厚感のある落ち着いた装飾がとてもよかった。1920年に着工し、1936年に竣工したというから、工事中の間だけとっても、あまたの歴史が刻まれている。1919年に第一次世界大戦が終わり、1929年には世界恐慌が始まった。そして1936年には2・26事件が起き、翌年には日中戦争に突入した。そうした時代に、この国会議事堂の建設が進行した。

 そのような激動の時代を経て完成した国会議事堂だが、数年あとに日米開戦を迎えた。現在の通貨価値なら数千億円もかけて建てられた国会議事堂を歴史への貢献という目でみると、そこに席を置いた政治家たちは、第二次世界大戦後も含め、十分な成果を達成したとは言い難い。器は立派でも中身のほうは‥‥。

 現代のテレビ中継では、本会議場や衆議院第一委員室、参議院第一委員会室などで、国の将来を真剣に考えているとは思われないようなやりとりや軽佻浮薄なヤジがとびかったりしている。国民への貢献という点で、戦前の政治家と似たり寄ったりかもしれない。

 平成になってから内閣は20回も変わった。平均すると、ほぼ1年ごとに代わった計算。これではまともな政治が行なわれるはずもないのでは。

 建物、議場、室を見て回ると、欧米のこうした建物にひけをとらないのに感心する。すぐれた舞台を国民に提供してもらっているのだから、国会議員には奮起してもらいたいとつくづく思う。

 百聞は一見に如かず。行ってみて、気が付いたことがある。例えば、戦前の貴族院時代の名残りで、参議院が衆議院よりも格が上という扱いがなされているところがある。天皇陛下がお見えになるときに入る中央玄関など天皇が関わる場所は参議院が所管している。天皇が国会の開会式に出席されるが、それも参議院で行なわれる。

 また、参議院では各議員が押しボタンで法案への賛否を表明する。各議員が賛成したか、反対したか、といった結果が案件ごとにわかるので、それを参議院のホームページで公開している。衆議院と参議院とは採決のやりかたが同じだと思っていたが、違いがあるのだ。

 もっとも、衆議院と参議院との二院制が国政の運営上、適切かつ効果的かという疑問は強く残る。国会議事堂をいくら見て回っても、その答えは出てこない。

 自民党衆議院国会対策委員長室の入口横には、「民主党前小沢幹事長不正資金追及チーム」の立て札と「鳩山前総理巨額脱税追及チーム」の立て札とが掲げられていた。いずれも「前」という文字が小さく○で囲まれて挿入したような形。見学者の多くは、これを見て笑い、中には写真撮影する人もいた。国会議事堂の廊下を歩いていて、白地の表示はほかになかったから、目についた。 

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2010年12月 2日 (木)

石破茂「いまは民主党と自民党とでダメ比べ」

 自民党政調会長の石破茂氏が、言論NPOの工藤泰志代表との対談で、日本の政治の現状について鋭い見解を表明している。同NPOの「工藤ブログ」から、さわりを紹介する。

――「今はダメ比べになっている」。昨年の総選挙は民主党がすばらしいから勝ったというよりも、自民党があまりにダメなので、有権者は代わるものとして民主党を選んでみた。だが、どうも自民党よりもひどいらしいということになって、また自民党に戻る。あっちがだめだからこっち、こっちがだめだからあっちというネガティブ競争になってしまっている。

――「もっと国会議員は政党から自由であるべき」。無所属になると、政党助成金を受けられないし、労働組合や各種団体の支援を受けられなくなる、それはいやだなあと議員たちは皆思う。しかし、何のため国会議員になるのか彼らに問いかけるべきだと思う。国民のほうも、いい加減に政治家を選ぶと、自分の身に(災厄が)降りかかってくることを認識すべきだ。

――総理大臣や党総裁のような政治のトップは「揺るがぬ信念を持ってぶれないこと」。同時に、法律をある程度知っていること、官僚機構を統制できるぐらいの法的知識があること。さらに外交・安全保障などの知識も備えていること。そして、心ある官僚たちがよし一緒にやろうという思いを持つようになれば、この国は相当変わる。

――「まだ国債が暴落しないのは、日本に一縷の望みがあるから。日米安保条約がまだあるのはアメリカにとって日本はまだ利用価値があるから」。(日本国の再生には)まだ間に合うが、いましか(チャンスは)ない。政治家がいましかないという思いを本当に共有するなら、まだ間に合う。

 日々の新聞を読むと、いまの政府・与党議員たちの危機意識欠如を痛感する。工藤ブログは選挙民、市民の側が政治にもっと関心を持ち、政治を監視、批判し、注文をつけていくことが必要だと教えてくれる。

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2010年12月 1日 (水)

民主党の「ムダづかいをなくすための政策」

 「変わるのは、あなたの生活です。 民主党の5つの約束」。昨年7月、民主党が「政権交代」を大きな文字で掲げたマニフェストを発表した。最近、その文書を改めて読んで唖然とした。政権の座にあるのに、マニフェストに書いたこととはあまりに違うことをやっているからだ。

 5つの約束の第1は「ムダづかい」である。ほかの4つとは異なって、太陽のように赤い地に白ヌキで「ムダづかい」という文字がある。大きな見出しには「国の総予算207兆円を全面組み替え。税金のムダづかいと天下りを根絶します。議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。」とある。

 このうち、どれか1つでも実現したのかしら。いま2011年度の国家予算案を政府、民主党はつくろうとしているが、財源がほとんど見つからないのに、歳出要求は膨らんで、予算案編成は難航している。「今の仕組みを改め、新しい財源を生み出します」とマニフェストに書いてあったのは、一体どういう根拠に基づいていたのか。

 事業仕分けぐらいでは限られた財源しか生み出せなかった。このため、例えば、基礎年金の国庫負担2分の1を実現する財源がなくて、年金加入者たちが積み立てたカネを流用しようという、蛸が自分の足を食うようなとんでもない案が浮上している。「国民生活にとって必要なものは何か。必要なものは増やし、そうでないものは削る。明快な基準で全てを組み替えた予算が、あなたの暮らしを良くします。」とマニフェストで大見えを切ったのに、それが実現できないのなら、大うそつきだったということだ。

 企業および団体の献金を禁止するのではなく、もらおうと岡田幹事長が言い出した。これもマニフェストと正反対の動きだ。衆院定数を80削減するという公約も、党内の反対が強いからというので、やる気はない。

 同じく、「国家公務員の総人件費を2割削減します」という公約も、スポンサーの自治労などの反対が強いので、棚上げに。あえて言えば、「国のひもつき補助金は廃止」という公約に一歩近づく一部補助金の一括交付金化がまともな動きである。

 こうやってみてくると、民主党はマニフェストを遵守できないか、マニフェストとは逆の政治行動をとっていることがはっきりする。政権を担ってみて、マニフェストがあまりにも現実離れ、出たらめだったからということなのか。それなら、お詫びをして、解散・総選挙を行なうべきである。このままでは、民主党は何をしたい政党なのかもはっきりしないまま、国政を担い続けるという最悪の事態がずっと続くことになる。日本国は目的地もなく漂流し、いずれ沈没する船みたいになってしまう。

 

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