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2010年12月 8日 (水)

日本企業の個人株主軽視はなかなか変わらない

 1960年代に株式市場および上場会社の取材を始めたが、その頃も、いまも変わらないのは上場大企業の個人株主軽視である。

 半世紀ほど前の株主総会は、法律に定められているからやむをえず開催しているというようなものだった。大株主にはあらかじめ総会前に別途、説明会を開いていたし、なじみの総会屋にはカネをやっていた。会社側は総会を混乱させるような新顔の総会屋や一般株主の発言を抑え、ごく短時間のうちに総会を終えることをよしとしていた。だから、一番前の席は、すべて社員株主で占め、「賛成」、「議事進行」と叫んでいた。

 会社の総務部の主要な仕事の1つが、株主総会を短時間に無事に終えることだった。総務部には総会担当者がおり、彼らは総会屋を手なづけるのが仕事だった。

 当時、企業の増資は株主に額面(ほとんどの会社が50円額面)で払い込んでもらう形態だった。例えば、株式時価が200円しているとして、保有1株に対し1株の新規発行を株主に割り当てるとすると、株主は50円払い込んで、計2株保有することになる。増資直後の株価は(200円+50円)÷2で125円になる(理論値)。ただし、当時、日本経済は高度成長期だったから、会社は成長し、1株当たりの利益などの指標は一時的に下がっても、よくなる可能性が大きかった。当然、株価が125円よりも上がっていくと予想された。

 当時は増資という情報で株価が上がった。だから、新聞の株式関連記事では、上場企業の増資というのが結構大きく扱われた。しかし、1970年代に入り、米国の時価発行増資を日本でも主要な企業が次々に採り入れ出した。それも公募形式の増資である。50円額面の株券を発行し、200円の時価と同じ金額が払い込まれる。

 この公募時価発行増資は多くの企業に採り入れられるようになるが、上場企業は、額面と時価との差額は払い込んだ株主のものではない、会社のものだという“錯覚”にとらわれていた。株主への配当は、資本金のうちの額面払い込み分だけに対して行なえばよいと考えていたのである。生命保険業界から株主還元を求められたが、時価と額面との差額のごく一部を増配なり小刻み無償増資という形で株主に報いるだけだった。

 そして、大企業は時価発行で得た、額面(のちに無額面株式に統一)を上回る差額を事業に振り向けるのではなくて、かなりの部分を資金運用に充てるようになっていく。資金運用を増やすために時価発行増資・時価転換社債などエクイティ・ファイナンスを実施するところまでいった会社もある。いくつかの大企業は、資金運用を会社の事業の新しい柱だとさえ思い込んだ。それがバブル崩壊によって一挙に吹っ飛んだ。

 話は移って現代に。大型増資を発表した途端、株価が大幅に下がるケースが相次いでいる。みずほフィナンシャル・グループ、国際石油開発帝石、日本板硝子などがそれだ。その原因は、企業の成長力が乏しいのに増資をすると、1株当たりの利益が増資で下がるだけでなく、将来、1株当たり利益が元のように戻るかどうか定かでないことにある。増資を単なる資金繰りの一環とか、自己資本比率など規制をクリアするためといった目先の会社の都合に基づく。

 増資情報をもとに予め空売りをしておき、増資が発表になったとき買い戻しをしてもうける“増資インサイダー疑惑”が起きるのも、大企業が企業自身の都合を優先し、株主の利益を後回しにしているからだ。

 株主軽視を続けていて、個人株主が増えるわけがない。ひところ、外国企業による企業買収を恐れて、日本の大企業も増配を真面目に考え、実施したことがある。それもリーマン・ショックで大幅に後退した。

 間接金融主体、法人間の株式持ち合いなどを背景に、戦後、ほぼ一貫して個人株主の利益を軽視してきた日本の大企業。経団連などが政府・民主党に対して法人税減税を強く訴えているが、個人株主などからそれを支持し、支援する声がほとんど上がらない。それは企業の日頃の行ないが自分中心になりがちだからではないか。 

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