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2011年1月30日 (日)

連合・民主党の親密関係と非正規労働者

 例年通り、春闘のシーズンがやってきた。労働関連の資料などを読んでいて、メモっておきたいと思ったことを2、3記す。

①連合総合生活開発研究所が昨年12月に発表した「第20回 勤労者短観」。正確には「勤労者の仕事と暮らしについてのアンケート」調査報告書である。調査は昨年10月前半に実施された。昨年の政権交代と現在の政権についての評価をみると、政権交代が「良かった」39.3%、「良くなかった」38.7%と拮抗している。これを男女別にみると、男性は「良かった」39.3%、「良くなかった」42.7%なのに対し、女性は「良かった」39.4%、「良くなかった」32.7%と、肯定・否定の度合いが逆になっている。女性の方が民主党への政権交代を積極的に受け止めている。

 世帯年収別にみると、400万円未満の人は政権交代に対して「良かった」27.3%、「良くなかった」48.3%と否定的な見方をしている。半面、それよりも年収の高い人は肯定的で、例えば1200万円以上の人は「良かった」47.0%、「良くなかった」37.9%である。

 年齢別だと、政権交代への評価が目立って低いのは、20~29歳男性で、「良かった」33.3%、「良くなかった」50.5%である。30~39歳男性も「良かった」34.0%、「良くなかった」45.3%である。また、非正社員男性は「良かった」30.4%、「良くなかった」48.2%である。ちなみに正社員男性では「良かった」40.4%、「良くなかった」42.0%。

 女性では正社員は45.0%対26.5%と、「良かった」が「良くなかった」をかなり上回るが、非正社員だと34.1%対38.4%と、否定的な評価のほうが多い。

②全国労働組合生産性会議(全労生)が全労生および地方労働組合生産性会議に加盟している企業別労働組合を対象に2009年11月上旬~12月下旬に行なったアンケート調査の結果から(法政大学の梅崎修准教授の「特別報告」より)。労使交渉テーマの中で重視する度合いを点数評価したランキングをみると、1番が「賞与・一時金の改定」、2番が「労働安全・衛生への対応」、3番が「賃金制度の改定」、4番が「基本給の改定」‥‥。

 重視する度合いが最も低いのは、36番の「派遣社員・請負社員等の労働条件」、35番が「派遣社員・請負社員等の活用」、34番が「パート・アルバイト・契約社員等の労働条件」‥‥。非正規社員に関しての交渉は最も軽視されていることがはっきりと表れている。

③昨年、高い評価を受けた大竹文雄著『競争と公平感』は、非正規切りを問題とするなら、「非正規雇用への規制強化ではなく、正社員の既得権益にメスを入れることである。具体的には、正社員に与えられた強過ぎる解雇規制を緩和し、正社員と非正社員の間の雇用保障の差を小さくすることだ。たとえば、「非正規切り」が正社員自身の雇用調整や賃金カットにつながる仕組みを作ることも一つの方法である」と指摘している。

 正社員の解雇規制が強いため、景気変動のもとで、企業が正社員の雇用と賃金を守るためには非正規雇用をバッファー(調整弁)とするしかない。その点で「経団連と連合の利害が一致したのだ」と著者は言う。「しかし、長期的な企業経営という観点からみると特定の年齢層の人材が枯渇するという問題点をもたらし、世代によって不合理な格差を発生させることにもなる」、「この事態を放置すれば、貧困の固定化を通じ、将来多大な社会的コストを支払わねばならなくなるのは明らかだ」と言い切る。

 連合と民主党との蜜月関係は、組織率20%にも満たない労働組合(員)の利益を守るのにはよくても、残りの未組織労働者にはほとんど恩恵がない。①と②の調査結果からは大竹氏の指摘を含め、いろいろなことが見えてくる。 

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2011年1月27日 (木)

国債および借入金残高は平成23年度末に997.7兆円に

 通常国会が始まり、菅内閣は財政健全化への取り組みを強調し出した。財務省が予算関係の資料を発表しているが、それを読めば、誰だって、財政破綻が間近に迫っていることを実感するだろう。

 財務省が発表したいろいろな資料の中から、日本国の深刻な財政状態を示すものをひろうと、「国債及び借入金現在高」がある。内国債+借入金+政府短期証券は平成21年度末に882.9兆円に達した。それが22年度末には943.1兆円に、さらに23年度末、つまり来年3月末には997.7兆円に達する見込みという。約1000兆円である。

 GDPの約2倍。赤ちゃんや高齢者などを含む1億3千万人弱に等分すると、国民1人あたり800万円弱である。

 また、国民の個人金融資産は住宅ローンなどの債務を差し引くと実質1000兆円を超えてはいるが、国民の貯蓄で国債を消化してきたという構図も危うくなる。

 国の債務は超低金利のもとでも財政を重く圧迫している。23年度一般会計予算は歳出・歳入とも92.4兆円である。しかし、歳入のうち、租税及び印紙収入は40.9兆円にすぎず、公債発行で調達するおカネ、つまり公債金が44.3兆円にもなる。歳出のほうは、利子・償還に必要なおカネ、つまり国債費が21.5兆円である。国債・借入金の利子・償還に加え、不足資金を新たに新規国債発行などでまかなっているのである。

 一般会計と特別会計とを合計し、重複分を除いた「純計表」によると、平成23年度の歳出合計は331.6兆円である。このうち、国債費は193.5兆円にも達する。(国債の借換償還額を控除すると、歳出合計は220.3兆円、うち国債費は82.2兆円となる)。税収をはるかに上回る財政支出を長年にわたって続けてきた結果である。

 一般会計と特別会計との純計表によれば、社会保障関係費は75.0兆円(ほかに恩給関係費が0.6兆円)に及ぶ。次いで多いのは地方交付税交付金の16.4兆円である。そして公共事業関係費が5.9兆円。実に社会保障関係費が歳出220.3兆円の3分の1を占める。

 国会での論戦や与野党の思惑などが財政健全化の行方を大きく左右するとみられるが、日本財政の危機的な状況を政治家がきちんと認識することが重要だ。 

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2011年1月26日 (水)

橋下大阪府知事の「大阪都構想」を聞いて

 25日午後、日本記者クラブで大阪府の橋下知事が会見した。しゃべり慣れているせいだろう、たて板に水のごとく、「大阪都構想」を東京のジャーナリストに説明した。わかりやすく、説得力があった。それに、橋下知事は構想力や行動力があり、若さに満ち溢れている。内閣や国会議員に若くて有能なリーダーが欠けているだけに、とても新鮮だった。

 ちょうど、この日、新潟県知事と新潟市長とが新潟州構想を発表した。愛知県と名古屋市はすでに同様の構想のもとに河村名古屋市長が動いている。日本の地方分権の見直し・強化に向けての具体的な動きが相次いで出てくる機運を感じる。

 橋下知事の会見で、同知事が強調したポイントを私なりに整理すると、一つは、「大阪都構想」は、アジアの主要都市が、都市を強くすることに懸命になっている中で、大阪もソウルなどアジア主要都市との都市間競争に負けないようにするのがねらいである。と共に、国がつくった現在の政令市という制度への挑戦である。

 いまの東京都は広域行政の部分だけを担い、市町村と特別区に権限・財源を与えて住民に身近な行政サービスを担ってもらっている形だ。区議会も区長も公選である。ところが、大阪府と大阪市の場合、大阪市は政令市なので、府とほぼ同じ権限・財源を握っている。にもかかわらず、区長は大阪市の役人がなり、区議会もない。大阪市では都道府県並みの権限・財源を握る市長が、260万の住民の身近な行政サービスまでも一手に担っているのである。

 260万人といえば、広島県などと同規模である。政令市で、知事並みの権限・財源を持つ大阪市長が、広域的な行政も、住民への身近なサービスも、すべて担うというのは本来、不可能である。戦前の東京府と東京市とはいまの大阪府と大阪市と同様の関係だった。それをいまの東京都――特別区という形に改めた。大阪も、同様な形に変えよう、そして、大阪府の特別区には、東京のそれよりも大きい権限・財源を与え、中核市並みにしようというのが橋下構想である。

 大阪府の人口および産業の集積の中心部分に大阪市がある。したがって、大阪府全体の発展を図るには、大阪市が市の都合だけで動くのではなく、府全体の立場を踏まえるのが望ましい。大阪市地下鉄の延伸、高速道路整備など公共インフラは府と市との足並みがそろわないとうまくいかない。だが、いままでは、府と市とがやたらと競争し合い、二重行政もいいところだった。いまもそうだ。

 橋下知事は大阪市の平松市長とこうした問題で何年も話し合ってきたが、らちがあかない。そこで、大阪維新の会を設立するとともに、自ら大阪市長選に出馬し(府知事には同じ志の人に立ってもらう)、大阪市と大阪府とが一緒になって「大阪都」をつくろうとしているわけだ。

 これからの日本は稼げるところでかせぐべきである。都市を強くし、その大きな経済圏同士をリニア新幹線などで結んで、あたかも一つの巨大な経済圏のようにする。そうすれば、ひと、モノ、カネがぐるぐる回るようになる。「大阪都構想」はそうした将来を展望してのもので、広域行政を「関西州」にまで広げると、大阪都は消滅する。本来、こうしたことは国の政治家が考えるべきことだが、彼らには経営、かせぐ視点がない。政治に戦略性がない。橋下知事はそうした点も槍玉にあげた。

 毎週一度、2~3時間の記者会見を行ない、それとは別に1日に3回、ぶら下がりで30分ずつ記者会見する。タウンミーティングは1日に3回、2時間ずつ。それ以外にユーチューブにも出る。それでも、メディアから「説明が足りない」と批判を受けるそうで、橋下知事は「冗談じゃない」とメディアに対して怒っていた。

 大阪市の役人天国は言語道断の域に達している。「大阪都構想」は大阪府と大阪市の合併という側面もあり、大幅な人員合理化、人件費削減、巨額の累積財政赤字の縮小、住民サービスの向上などにつながる。橋下知事に期待するところ大である。

 ついでに言えば、石原東京都知事は橋下知事に比べると精彩がないし、魅力もないですね。

 

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2011年1月22日 (土)

公費(負担)を考える

 22日の朝日新聞朝刊(東京)は1面トップに「生活保護費3兆円超す」、同、左上に「B型肝炎救済へ所得増税」という記事が載った。どちらも公費(国、地方自治体の歳出)で支払う話である。

 多くの失業者が生活保護を受けるようになったため、09年度の生活保護費は総額3兆72億円(うち、国が4分の3、地方自治体が4分の1を負担)と前年度より約3千億円増加した。10年度に入ってさらに受給者が増えているから、10年度の総額はもっと膨らんでいよう。昨年10月時点で過去最高の141万世帯が受給しており、そのうち、「病気や障害がなく働ける年齢の世帯は23万世帯で、2年で倍増した」という。

 一方、B型肝炎集団訴訟で札幌地裁が出した和解案を政府が受け入れるのに伴い、政府は「患者らの救済に必要な3兆円規模の財源について、所得税を増税してまかなう方向で調整に入った」という。「歳出削減で捻出するには財源の規模が大きいため」消費税とは別に国民に増税で負担してもらおうと考えているようだ。

 上に挙げた2つはいずれも公費でまかなう話だが、後者は、救済基金の原資を所得税増税という特定財源を設けて調達しようというものだ。

 ところで、政府・与党は社会保障と税の一体改革を議論するため「社会保障改革検討本部」を立ち上げた。また、「集中検討会議」を新設し、政治家と識者が改革案づくりを進めることにしている。それに関連して、内閣府が「経済財政の中長期試算」を21日に発表した。それによると、「慎重シナリオ」で見たマクロ経済の姿は想像を絶するほどに危機的だ。

 例えば、2020年度の国の一般会計は、歳出119.8兆円に対し、税収等は55.3兆円と半分にも満たない。公債等残高は1238.1兆円と名目GDPの2.2倍にも膨らむ。基礎的財政収支(プライマリーバランス)は23.2兆円の赤字だ。これを黒字にするには消費税を約9%引き上げる必要があるという計算だ。

 もう一つの「成長戦略シナリオ」でも、歳出134.2兆円に対し、税収等は64.4兆円と半分弱。公債等残高は1242.8兆円であり、基礎的財政収支は16.2兆円の赤字である。これはかなり名目、実質の成長率を高く設定した場合で、その実現性は低いと内閣府は考えているようだ。

 こうした試算が示すように、長期デフレや少子高齢化のため、日本の財政は危機的な様相を深める一方であり、消費税の大幅な引き上げは必要不可欠である。その結果、国民の税・保険料合わせた負担率は相当に上がるが、それ以外にも、上の2つのニュースのように国民の負担がさらに増す要素がいくつも出現するのではないか。

 オーストラリア、ブラジル、フィリピンなど、世界のあちこちで記録的な大雨による大災害が発生している。スペインなど欧州やインドには大寒波が襲った。地球温暖化に伴い、こうした大がかりな異常気象がちょくちょく発生するだろう。また、口蹄疫や高病原性鳥インフルエンザなどが畜産業に大打撃を与えている。これらの災害の対策および復旧もまた国の財政支出を膨らませる。

 日本で巨大地震が起きれば、老朽水道管はひとたまりもない。地方自治体の水道事業は値上げを避けてきたため、古い水道管を取り換えたりする財政的な余裕はない。そこでも、復旧のため、国の財政支援、つまり税金の投入が社会から求められるだろう。道路などのインフラの劣化も、いずれ財政上の大きな問題となる。

 悲観的なことを言うようだが、今後の日本では、現実の財政支出は内閣府の試算を相当上回る可能性が大ではないか。したがって、既存の歳出を徹底的にゼロベースから洗い直すことが重要だと思う。生活保護を例にとれば、不正受給者をなくすよう、チェックを強化し、不正を厳しく処罰するとともに、受給しているよりも働くほうが総収入が増え、生きがいもあるというような仕組みに変えていく必要がある。

 政府・官僚はよく「公費を使う」、「公費で負担する」などと言う。しかし、実際は「税金を使う」、「税金で負担する」ことである。生活保護の3兆円にしても、B型肝炎患者救済の3兆円にしても、国民の納得を得て税金を使うということでなければならない。公費の中身の吟味が大事だ。社会保険庁の職員が年金業務でいい加減な仕事をしたために、後始末にまで莫大な税金が使われているようなばかげたことは繰り返してはならない。

 民主党は公務員総人件費の2割削減というマニフェストを抵抗が強いとして棚上げしたが、官高民低の賃金構造を放置していると、役人天国は直らず、結果として、公費=税金との認識も徹底しないおそれがある。

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2011年1月19日 (水)

新内閣の消費税増税と社会保障制度改革の取り組み

 菅首相が新内閣で消費税増税と社会保障制度改革とをパッケージで進める具体策のとりまとめに着手した。枝野官房長官、与謝野経済財政担当相、玄葉国家戦略相、藤井官房副長官らが中心になって、財務、厚生労働などの省庁や民間の有識者などの考えも採り入れて構築していくようである。政権を握ってから約1年半経ち、ようやく国のリーダーたち(の一部)は夢想状態から覚めたということか。

 メディアの世論調査によれば、国民の半数程度は消費税の引き上げに賛成するようになった。一般会計の予算で、新規国債発行額が税収をはるかに上回るようなことは異常である。そんなことは常識があればわかる。国民はバカではない。

 一方で、国家財政の支出にムダが沢山あるのは事実だが、それを暴き、歳出カットするのは、いまの民主党には無理だ。どこにムダがあるかがあまりわかっていないうえに、ムダとわかっている歳出についても、選挙の票が欲しいから利権に手をつけることを避けてしまう傾向があるからだ。そして、高齢化に伴い、社会保障への歳出は毎年1兆円以上増えていく。しかも、年金制度のほころびは大きくなる一方だし、介護、医療などの制度も問題を抱えている。

 2011年度予算編成においても一段とこうしたほころびが目立っており、国家財政はにっちもさっちもいかなくなっている。したがって、歳入を増やす、つまり増税をするしか道はないし、年金などの社会保障制度も改革が必要になっている。菅首相がそのことを直視し、パッケージでの改革を目指して始動したのは評価してよい。

 ただし、民主党の内部が割れているため、同党および政府がこのパーケージ改革でどれほどの推進力を持つものか、不安があるし、ほかにも気がかりな点がある。第1に、民主党が政権奪取の際に示したマニフェストとの関係である。改むるにはばかることなかれ、マニフェストの修正を国民に明示すべきである。その前提として、党内で、徹底的に社会保障制度、消費税などのありかたについて議論し、ばらまきとは異なる、党としての見解をとりまとめる必要がある。

 第2に、消費税、社会保障制度のいずれも、国の根幹をなすものゆえ、政権交代のたびに変わることがないように、長期かつ安定的な仕組みであることが望ましい。したがって、民主党政権が打ち出す案をもとに、与野党で協議検討し、ベストの改革案を生み出すように努めなければいけない。いたずらに政争の道具にしていたら、国民は政治を疎ましいものとしか見なくなる。

 第3に、与謝野氏である。民主党の政治家の中で、彼に匹敵する見識、経験などを持つ議員はいないだろう。とはいえ、自民党の比例区で当選したいきさつに照らせば、衆議院議員のまま民主党政権の閣僚に名前を連ねるのは選挙民である国民を愚弄しているとしか言いようがない。国会議員を辞職して、民間人として大臣になるのが筋ではないか。政治家人生の末尾をかっこよく終わろうと思っているのだろうが、それはとんだ思い上がりである。

 自民党や公明党にパッケージ改革を一緒にやろうと呼び掛けるうえで、与謝野氏の存在が障害になるということも十分に考えられるところだ。

 単なる受け売りだが、シンガポールの法学者、サイモン・S・C・テイ教授の近著『Asia Alone』には、将来のアジアは中国とASEANの2つのスーパーパワーが存在すると書かれているそうだ。日本はスーパーパワーに数えられていない。経済規模がアジアの中で低下するし、首相がひんぱんに交代し、政治がダメだからだという。

 その通りかもしれない。日本の政治のひどさは外から見たら、よけいはっきりしているのだろう。願わくは、消費税と社会保障制度の改革など主要な政策を可及的速やかに実現すること、それはうつむき加減な日本の再生につながる。 

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2011年1月17日 (月)

「食」を総合的視点でみるフォーラムから

 人間の根源的欲求は動物同様、食と性(繁殖)にある。16日に東京で開催されたKOSMOSフォーラムは『統合的視点で見る「食」とは』~人類は何を食べてきたか~で、歴史的、地理的、文化的などの多岐にわたる論点から食の問題をめぐって専門家が意見を述べ合った。ぶっ通し2時間半余、結構、興味深い内容だった。

 林良博氏(東京農業大学教授、山階鳥類研究所所長)は、脳の発達と歯の退行で人類の頭部、顔の形が変わってきたのを画像で示した。やわらかいものばかり食べているので、最近の若者には顎のエラが張った顔の人がいないなと実感した。21世紀の食で望ましいのは、①咬筋と下額骨を鍛える食事、②畜肉偏重をやめる、③他の生き物に配慮した食事にする、とのことだった。

 また、鯨類(イルカを含む)が捕食する魚の量は、人間が獲る量(漁獲高)の3~5倍に達するそうだ。鯨肉は畜肉と異なり、脂質がうんと少なくてヘルシーだという。肉食率の上昇は食料難を招くため、21世紀の大問題の一つ。だから、林氏は鯨肉をもっと食べるべきだとしている。

 石毛直道氏(国立民族学博物館名誉教授)は人間は料理する動物、共食(きょうしょく)する動物であると定義。料理で火を使うのは人類だけ。火を使うことにより食べられるものが飛躍的に増えた。人間は食事を家族と一緒に食べる、つまり共食する。限りある食べ物を分け合って食べる。そこから食事作法が成立したと語った。

 また、同氏は、人間は食料を生産する動物である。どんな動物もいずれ滅びるが、人類は地球の表面を食料確保のために変えてきたので、滅びるまでの時間がどんどん短くなっている。その時間を延ばすには、人口を減らすことである。経験則だが、豊かになったら、どこも人口が減る。したがって、日本は少子化対策をとっているが、日本国家のことよりも人類全体を考えるべきだ。貧しい国を援助し、そこの人口減を期待すべきだ、そして日本では生きがい、心の豊かさを優先せよと主張した。

 石毛氏の話で耳を傾けたのは、「何をたべているかで社会が変わることもある」として、挙げた事例である。コメ、麦などの穀物は軽い、運搬しやすい、それに蓄えやすいから、支配者たちは農作業をしなくてすむ。大きな国家をつくることが可能だ。ところが、南太平洋諸島では、穀物はつくっておらず、タロイモなどの根菜やバナナなどが主食である。これだと、重くて遠くに運びにくいし、傷みやすい。したがって、支配層によるピンハネが上に行くまで少しずつしかできない。結果として、小さな国家しか成立しなかったという。

 秋道智彌氏(総合地球環境学研究所副所長)が「日本人の食べ物文化は変わりやすいのではないか。クジラなどは若い人たちは知らない」と喚起。また「これからは胃で食べるのでなく、心で食べること」を求めた。一方、「いまは情報で食べることが多過ぎる。テレビの食べ物番組に従っていたら、生活習慣病になる。若い女性は母親から料理法を学んで引き継いでほしい」と注意を促した。

 今井通子氏(登山家)は「日本人はカネで買ってきて、おいしいところだけを食べている。途上国の人々は全部食べるし、そのために料理の工夫をする。日本はカネがなくなれば輸入することもできなくなる。私たちは日本のちょっと前の時代に食べてきたような高たんぱく、高栄養の食事に戻るべきだ」と訴えた。

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2011年1月15日 (土)

日本海新聞の元旦付け「いよいよ自己責任の時代へ」と主張

 鳥取市に本拠がある「日本海新聞」。その今年の元旦付け一面のトップは、新聞を発行する新日本海新聞社の代表取締役社主兼社長の吉岡利固氏の「いよいよ自己責任の時代へ」と題する主張である。その末尾の節は次のように述べている。

 「日本経済は急速に沈没するわけではありません。ゆっくり落ち込んでいくからこそ『いち早く対応できた企業や人だけが幸せに生き残れる』という厳しい選別社会がやがて訪れます。新しい年にあたり、フワッとした風やムードに流され右往左往している間に、取り巻く事態は刻々と悪化していることをあらためて再認識していただきたいと思います。」

 この主張の前半部分で、「わたしは数年前から、豊かすぎて太平楽に慣れ切った国民に対し『このままでは大変なことになる』と警鐘を鳴らし続けてきました」と言う吉岡氏は、経済成長が少子高齢化とともに行き詰まり、国力が確実に下がりつつあると指摘。政権交代が行なわれたが、バラマキなどで事態はよくなっていない。デフレ脱却は容易ではないと述べている。

 そして「本当の意味で自己責任の時代が来たのです。自分の幸せは自分でつかまなければなりません」と読者に覚悟を求めている。

 約2年前、このブログの2009年1月19日 「『日本海新聞』の元旦付け一面トップ」で、吉岡氏の「地方の未来に前向いて」と題する主張を紹介した。その中で、「わたしは何年も前から『大きな社会構造の転換期が訪れている』と警鐘を鳴らしてきました。今まさに渦中にあるのです」、「世界経済は容易には上昇に転じません」、「我が国の産業構造は抜本的な改革を迫られています」と述べ、「地方は智恵と勇気を」と訴えていた。この2年前の主張と比べると、ことしははるかに深刻な認識を示している。

 近年、新聞経営はいっそう厳しさを増している。ローカル紙の新日本海新聞社も例外ではありえない。ことしの元旦付けの主張は、そうした同社の生き残りの覚悟を示したものと読み取ることもできよう。だが、全国紙、地方紙各紙の元旦付けの一面を通覧すると、社主が自ら堂々と主張を述べた日本海新聞は異彩を放つ。

 ネットの世界の興隆に対して、既存メディア企業は何とか生き残ろうと四苦八苦している。しかし、肝心の新聞が読者を引き付けるような紙面づくりになっているのか疑わしい。元旦付けの各紙を見て、改めて新聞の「初心」に立ち返ることが重要だと思った。

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2011年1月13日 (木)

生活水準の切り下げを覚悟する時代に

 13日付け毎日新聞朝刊の経済面に、伊藤隆敏東大教授の「人口減少社会」と題するコラムが載っている。人口減少の社会経済的なインパクトが年金制度と巨大な国債発行に深刻な影響をもたらすとして、次のように書いている。

 「年金生活者も含めて、いま生きている人々の全員が少しずつ生活水準を切り下げる覚悟が必要だ。さもなければ、やがて財政破綻、経済危機という形で、強制的に、急激な生活水準の低下が起きるだろう。」と。

 現在の日本は、国内経済の長期低迷で民間設備投資がさっぱり。超低金利のもと、国民の貯蓄の大半は預貯金に回っている。だが、銀行や郵貯などは融資のニーズが乏しいので、資金運用の対象として国債をたくさん保有している。こうした奇妙に安定した国内資金循環のもとで、わが国政府は大量の赤字国債を発行し続けることができ、大規模な財政垂れ流しをしてきている。その結果、年々、国の債務残高は積み上がり、いまや国のGDPの2倍に達するほどに膨らんでいる。

 しかし、このように、将来世代にツケを回すやりかたに政府は終止符を打つべきだ。それには、ツケ回しを縮小していく、つまり増税と赤字国債発行額の削減によって段々と財政を健全化する必要がある。それをしないと、伊藤教授が言うような悲惨な事態に追い込まれるだろう。

 民主党中心の菅政権が作成した2011年度国家予算も、大量の赤字国債依存を前提としている。土居丈朗慶応大学教授は菅内閣の予算編成について「ある意味で恨みを買うとか嫌われ役にならざるを得ないという人が閣内にいないといけない。ところが、そういう人がいない。結局、自分もいい顔をしようと思っているところがあるから、緩い歯止めしかかかっていない」、「政治主導というのは省庁横断的にやってこそだ。今の政治主導というのは、各省の三役が省内で自分の意見を通すために省庁縦割り丸出しでやっている」、「削ってもいいところは削ればいいのに、それをやらず、足りないところばかり付けている」と評している。(言論NPOのホームページより) 

 このように政治家の危機感は乏しいが、日本財政はいつ破綻したっておかしくないほど深刻な状況にある。破綻は時間の問題になりつつある。そうした危機感を抱く学者やエコノミストなどが最近になって目に付くようになった。伊藤教授もその一人である。最近会った日銀OB(元理事)も、来年には日本の金利が高騰し、財政破綻が起こるだろうと、珍しくはっきり言っていた。

 そうした発言の根拠の一つと思われるのは、EU加盟国のギリシャ、アイルランド、ポルトガルなど、財政破綻ないしその一歩手前の国々が相次いでいることだ。ユーロ危機で国際金融の混乱がいつ起きてもおかしくないし、それらの国に比べ財政危機の度合いがはるかにひどい日本が破綻に追い込まれる可能性は大きい。

 日本国家のガバナンスが緩んでいることも、諸外国から見て不安な点だ。政権の座についた民主党の国家運営に「?」がついただけでなく、自民党などの野党にも、財政改革を貫く姿勢はうかがえない。世界第二位の経済大国の座を中国に譲ったあとの日本は世界の中でどのような役割を担う国家であるべきか、国内では人口減、少子高齢化のもとで、どのような社会をめざすか、その姿を描くことなく、ただ迷走するおそれが多分にある。

 2011年、株価上昇で明るい年明けになったが、日本国の行く手は多難?のようだ。 

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2011年1月10日 (月)

大卒の就職難問題で考えたこと

 大学新卒予定者の就職難が社会問題になっている。学部の学生は3年次から就活に必死。講義なんかそっちのけのようだ。数年前まで大学で教えていたが、当時でも、就職活動のため講義を欠席した、あるいは欠席するという届けが学生からちょくちょく出され、仕方なく承認のハンコを押したことを思い出す。私が感じたように、いまの大学教官も、ろくに勉強もしない学生を社会に送り出すことに心の痛みを感じているのだろうか。

 現実に苦闘している学生たちを突き放すようで申し訳ないが、自らの限られた体験から、この大学新卒者の就職難の問題を次のような視点で考える。第一に、学生の質の低下である。日本経済が縮小し、少子化が進んでいるのに、大学の入学定員はほとんど変わらない。増やしている大学も結構ある。入学者数の確保が大学、特に私学の経営上の最大の課題となっているからだ。かつては難関校だった有名私大でも、無試験で推薦入学を認める対象の高校を増やし、入学者の確保に懸命となっている。結果として、受験勉強をして、めざす大学に入ろうとする学生の絶対数が減っている。受験勉強には弊害もあるが、必死に勉強したことがないまま大学生になった割合が上がっているのである。

 だから、高校、中学、さらには小学校で習ったはずのことがろくに身についていない大学生が増える。レベルの低い大学の学生の多くは新聞記事や本を読ませても、漢字がわからなくてつっかえるし、まして論旨がきちんと理解できない。リポートを書かせても、まともに書ける者は限られる。それでも皆、大学を卒業する。否、大学は彼らを卒業させるといったほうが適切だろう。このように、いまの大学制度は社会的に見て壮大なムダである。

 したがって、まず、大学生となる基礎学力のある者だけを大学に入れるような制度改正が必要である。それには、一定レベルの点数以上の者にのみ大学受験の資格を与えるようにする全国共通テストを提案する。その試験をパスした者のみを対象に、各大学は入試を行なうことにするのがいい。共通テストでどのような問題を出すか、またパスするレベルをどの程度にするかは結構、難しい問題ではある。(こうした改革は多くの大学の閉鎖を伴うだろうが、社会的には資源の有効利用につながる。)

 また、現在の制度のもとでも、各大学(およびその教官)は学生を安易に卒業させるのでなく、成績が一定レベルに達しない限り、単位を与えないし、卒業もさせないようにすべきである。大学で身に付けるべき基礎的な学力、思考力を欠いたまま、就職活動に奔走している学生が多い事実を大学は直視しないといけない。

 いまの小学校、中学校も高校も、勉強の成績いかんを問わず、ところてん式に学年が一年ずつ上がり、卒業させる。その結果、わからないことが積もり積もったまま、無試験で大学に入ってくるような学生もいるわけである。日本の教育制度は妙な“平等主義”にこだわり、そうした問題を直視してこなかった。

 一方、極めて優秀な生徒には飛び級を適用し、逆にあまり成績が振るわない場合には留年させることがあっていい。伸びる素質のある若者を大きく育てる一方、勉強がさっぱりわからない生徒に対しては、ボランティアなどが勉強を支援するといったバックアップ態勢づくりが欠かせない。グローバル経済下、知的労働のウエートの高まりに合わせた教育改革が必要なのである。

 ところで、生徒、学生の教育を行なう上で見過ごせないのがチャレンジ精神の涵養である。将来、何をしたいか、何になりたいか。そこで、大きな夢をはぐくみ、夢の実現に向けて努力する若者を沢山育てること。そのための教育が強く求められている。それが経済社会の発展の原動力になるからだ。

 新卒の就職難が喧伝される一方で、中小企業は求人難で困っているという。大企業に入りたいとか、地方公務員になりたいという若者が圧倒的に多いからだし、食うに困っていないからである。オーストラリアなど欧米の国によっては、卒業したら、親元を離れて自立するというのが当たり前だが、日本では、親も子もそうした毅然とした生き方をとってはいない。まだまだ甘えの構造が続いているのだ。

 大学新卒の就職難と大騒ぎしているものの、広い観点から見ると、問わるべき、もっと本質的な問題が残っているのである。

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2011年1月 7日 (金)

財政審で挙げられた社会保障制度の問題点

 財務省の財政制度等審議会が昨年11月8日に開催した財政制度分科会。その議事録が同12月になって公表された。分科会では田近栄治委員(一橋大学教授)が「社会保障改革―『財政規律』と『安心の保障』の実現―」と題して報告し、それをめぐって議論が行なわれた。テーマが広範にわたるため、論点も多々あり、紹介するのも容易ではない。だが、要は現在の制度には沢山、問題があり、それを適切に改革できれば、財政の負担も相当減らせるということが読み取れる。

 ・(田近)日本の社会保障制度は、給付の一定割合が公費負担になっている。国民健保50%、協会けんぽ16.4%、介護保険50%、後期高齢者医療制度50%、基礎年金50%などといった具合。しかし、給付の一定割合を財政支援する国は主要国にはまずない。失業保険に国庫負担している国はどこにもない。給付は保険料に見合うという社会保険の原則が中途半端になっているので、利用者である国民にはコスト意識が乏しいし、保険者の責任意識も希薄だ。

 ・(田近)医療と介護は個人にとっては切れ目のないリスクの保障だ。したがって、年齢の輪切りがない医療保険、そして医療と介護がシームレスにつながった体制が高齢社会の安心を生む。

 ・(田近)過剰な病床→病床に対するマンパワー不足→低密度の医療→長期臥床→寝た切りや認知症。その繰り返しという負の連鎖が社会的入院だ。廃用症候群も同様に医療および介護システムの中で再生産される。

・(田近)望ましい医療と介護のシームレスな提供体制というのは、①病気の急性期には集中して高密度の医療を行ない、専門医師と看護師を重点投入する。それは一週間もかからない。②その後は、診療所医師、開業医による亜急性期の治療とリハビリを徹底する。そこでは看護師の医療行為を拡大する。③慢性期・要介護状態になったら、地域ケアに移る。広い意味の在宅ケアで、外部のサービス供給体制、24時間ケア、それに看取りまでを行なう。それが地域医療の標準だ。デンマークでは、亡くなるところまで面倒を見れないような介護は介護ではないという考え方である。寝たきりになって胃ろう(胃に直接栄養を入れる)というようなことは同国ではない。

 ・(井伊雅子)世界の潮流はプライマリーケアの重視だ。急性期でも8割がプライマリーケアで対処できて、残りが病院である。医療費の増大を抑えるためには、日本もそうしなければならない。それと、日本では予防が診療報酬に結びついていない。人工透析などの患者には沢山の医療費がかかっている。それを考えると、糖尿病などの予防が必要である。

 ・(井堀利宏)民主党政権になって、社会保障歳出が聖域化され、それほど必要でないものも予算化されている傾向がある。いまの年金制度では、少子高齢化すると、政府は年金支給開始年齢を上げざるをえない。早めに10年先には例えば75歳にするんだと、いまからきちんと自助努力で老後の備えをしよう、と青写真を提示すべきだ。20年、30年後には医療費が急激に増えるから、基金を積み立てることが財政的には重要だ。

 ・(土居丈朗)公費負担をあたかも天からお金が降ってくるかのごとく考え、保険料負担とか、利用者負担を自分の身銭を切らなきゃいけないと思い、負担増はご免こうむりたいという意見は相変わらずだ。結局、税という形で負担するのか、保険料という形で負担するのか、いずれにせよ、給付に必要な負担がある。国民全体としては同じ負担額になる。それを、どなたにどういう形で負担をお願いすればいいかという問題として議論していただかねばならない。

 ・(土居)2012年に医療と介護の報酬の同時改定を迎える。できれば、医療と介護の協業というか連携を進め、給付費、つまりコストをできるだけ抑制しつつも質を維持することが望ましい。それどころか、むしろ向上させる可能性があり得るのではないか。

 ・(富田俊基)どうしても、財政の中期展望の推計では、成長率を高く、金利を相対的に低く設定しがちだったことは否めない。ところが年金財政のほうは高い金利の設定になっている。国債金利も大分高い見通しを立てている。実際、高い運用見通しを前提に年金財源をより積極的に運用しようとの考え方もある。しかし、これは国民の安心と逆行する。慎重、安全、かつ確実な運用であるべきだ。

 ・(吉川洋分科会長)後期高齢者医療制度も、マクロ経済スライドをきちんと説明すれば、多くの国民は理解するのではないか。高齢者を一様に弱者ととらえる考え方はおかしい。全額税金で最低保障年金をやるというのは、生活保護の制度とどう整合性をとって考えるのか、それをわかりやすく説明してもらう必要がある。医療では、高額療養費制度のほうが医療保険の柱である。この高額療養費制度はもっともっと合理化できるところではないか。この制度について国民はほとんど知らない。丁寧に説明し、そのうえで負担(の軽減率)と合わせて議論すべきだ。

――以上に紹介したような意見を、政治が社会保障制度の見直しに生かしてゆくことが必要不可欠である。

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2011年1月 4日 (火)

日本の「懐かしい価値観」再評価を強調する田坂広志氏

 2010年は、日本国の衰退を憂う人たちがとても多かったように思う。今年いただいた年賀状の中にも、そうした言葉を書いてくる人がいた。目を背けたくなるような政権・与党の迷走ぶり、深まる財政危機、デフレの長期化などを見れば、誰だって暗い気分になる。しかし、日本はそんなに駄目な国なのか、救いはないのか。希望はないのか。

 そうした暗い気分を吹き飛ばせと言わんばかりの新聞記事が昨年12月10日付け日本経済新聞に載った。「企業家精神と資本主義の行方シンポジウム」における田坂広志多摩大学大学院教授の特別講演(要旨)である。その締め括りは、「このように、日本型資本主義と日本型経営とが大切にしてきた「懐かしい価値観」が世界から再評価される時代を迎える。日本人は、そのことに自信を持つべきであろう」となっている。

 記事によると、資本主義の根底にある経済原理がこれから「5つのパラダイム転換」をとげる。①「操作主義経済」から「複雑系経済」へ、②「知識経済」から「共感経済」へ、③「貨幣経済」から「自発経済」へ、そして「自発経済」は「貨幣経済」と融合へ、④「享受型経済」から「参加型経済」へ、⑤「無限政調経済」から「地球環境経済」へ、と。

 日本型資本主義には、浮利を追わずといった、企業の社会的責任を深く問う思想がある。日本型企業経営は、働きがい、社員の和、顧客との縁、おもてなしなど、目に見えない価値を大切にする。また、日本人は限られた資源や自然を大切にしてきた。こうした日本の「懐かしい価値観」は、世界が5つのパラダイム転換を遂げたあとに必要とする価値観である。田坂氏はそう言って、日本の将来に自信を持つよう呼び掛けたのである。

 当面の日本経済はどう見ても明るい気分になれそうにない。しかし、展望のスパンを長くすると、日本の経済社会に対する見方が変わりうる。田坂氏の講演は、目先に寄りがちなものの見方を遠近両用型に改めるよう勧めているとも言えよう。

 ところで、田坂氏は2008年に『未来を予測する「5つの法則」  弁証法的思考で読む「次なる変化」』(光文社)を出版している。同書は、弁証法の5つの法則を使うと、どんなパラダイム転換が起きるか、その結果、どんな未来が予見できるか、を述べている。なるほどとうなづくところが少なくない。

 断片的には、「価格競争はある段階で、必ず付加価値競争に反転する」、「ハイテクへの動きは必ずハイタッチへとリバウンドする」、「コストが劇的に下がると、ビジネスモデルが進化する」、「営利企業と非営利組織は互いに社会貢献企業へと進化する」、「マネジメントの本質は矛盾のマネジメントである」等々が新鮮に感じられる。

 田坂氏は「未来は予測できない。しかし、未来は予見できる」と述べている。そのためには大局観を身につける必要があるので、同書を書いたという。上記の講演も、そうした大局観に基づくものだろう。

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2011年1月 2日 (日)

元旦の新聞で知った新たな歩み

 朝、ひんやりとした外気。遠くに真っ白な富士山がみえる。東京都内は天候が安定しているので、外出もしやすい。元旦の午後、池上本門寺に初詣に行った。参拝客が長い行列をつくっている。夕方、日が落ちる頃までも長い行列というのは珍しい。苦しい時の神頼みなのか、安上がりの外出だからか。それに、黒っぽいカジュアルな服装ばかりで、晴れ着の女性を全く見かけない。豊かなニッポンというイメージは感じなかった。

 例年通り、全国紙6紙を買ってきた。めでたい正月なので、社説は別として、こむずかしい経済、財政、社会保障といった最も重たい課題に正面切って取り組む企画記事はない。その代わり、凋落傾向をたどる日本の経済社会に希望を与える読み物がいくつかあった。毎日新聞は読み物「輝く女性たち~海を越えて」で、海外で働く日本の女性の活躍ぶりと、外国からやってきて日本で働く外国人女性のそれとを取り上げている。

 日本経済新聞では、「跳べニッポン人 国を売り込め」で、非先進国に進出した日本企業が、その土地の文化、風土などにきめ細かい配慮をした商品・サービスを提供するようになったのを紹介している。そこでも、若い日本女性が海外最前線で奮闘している例を挙げている。

 単発のニュースだが、東京新聞によると、歩行者感応式信号機が1月から本格導入されるという。高齢者などの中には、横断歩道を渡るのに時間がかかり、途中で信号が変わって困る人がいる。そういう人を感知し、渡り切るまで信号が変わらないような信号機を初めて採用するそうだ。日本は世界で最も高齢化が進んだ社会となった。それに合わせて、社会のさまざまな仕組みを変えて高齢者にやさしい社会にしていく必要がある。そうした時代の要請に応える1つである。

 各紙の全体としては、日本の経済社会衰退に伴う現象に焦点を当てた読み物が多いような印象がある。あとはスポーツ、芸能などの特集が目立つ。日本の危機が深まる割には、新聞の切り込みかたや切れに精彩がみられない。新聞も滅びの流れに逆らえないのだろうか。 

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