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2011年1月10日 (月)

大卒の就職難問題で考えたこと

 大学新卒予定者の就職難が社会問題になっている。学部の学生は3年次から就活に必死。講義なんかそっちのけのようだ。数年前まで大学で教えていたが、当時でも、就職活動のため講義を欠席した、あるいは欠席するという届けが学生からちょくちょく出され、仕方なく承認のハンコを押したことを思い出す。私が感じたように、いまの大学教官も、ろくに勉強もしない学生を社会に送り出すことに心の痛みを感じているのだろうか。

 現実に苦闘している学生たちを突き放すようで申し訳ないが、自らの限られた体験から、この大学新卒者の就職難の問題を次のような視点で考える。第一に、学生の質の低下である。日本経済が縮小し、少子化が進んでいるのに、大学の入学定員はほとんど変わらない。増やしている大学も結構ある。入学者数の確保が大学、特に私学の経営上の最大の課題となっているからだ。かつては難関校だった有名私大でも、無試験で推薦入学を認める対象の高校を増やし、入学者の確保に懸命となっている。結果として、受験勉強をして、めざす大学に入ろうとする学生の絶対数が減っている。受験勉強には弊害もあるが、必死に勉強したことがないまま大学生になった割合が上がっているのである。

 だから、高校、中学、さらには小学校で習ったはずのことがろくに身についていない大学生が増える。レベルの低い大学の学生の多くは新聞記事や本を読ませても、漢字がわからなくてつっかえるし、まして論旨がきちんと理解できない。リポートを書かせても、まともに書ける者は限られる。それでも皆、大学を卒業する。否、大学は彼らを卒業させるといったほうが適切だろう。このように、いまの大学制度は社会的に見て壮大なムダである。

 したがって、まず、大学生となる基礎学力のある者だけを大学に入れるような制度改正が必要である。それには、一定レベルの点数以上の者にのみ大学受験の資格を与えるようにする全国共通テストを提案する。その試験をパスした者のみを対象に、各大学は入試を行なうことにするのがいい。共通テストでどのような問題を出すか、またパスするレベルをどの程度にするかは結構、難しい問題ではある。(こうした改革は多くの大学の閉鎖を伴うだろうが、社会的には資源の有効利用につながる。)

 また、現在の制度のもとでも、各大学(およびその教官)は学生を安易に卒業させるのでなく、成績が一定レベルに達しない限り、単位を与えないし、卒業もさせないようにすべきである。大学で身に付けるべき基礎的な学力、思考力を欠いたまま、就職活動に奔走している学生が多い事実を大学は直視しないといけない。

 いまの小学校、中学校も高校も、勉強の成績いかんを問わず、ところてん式に学年が一年ずつ上がり、卒業させる。その結果、わからないことが積もり積もったまま、無試験で大学に入ってくるような学生もいるわけである。日本の教育制度は妙な“平等主義”にこだわり、そうした問題を直視してこなかった。

 一方、極めて優秀な生徒には飛び級を適用し、逆にあまり成績が振るわない場合には留年させることがあっていい。伸びる素質のある若者を大きく育てる一方、勉強がさっぱりわからない生徒に対しては、ボランティアなどが勉強を支援するといったバックアップ態勢づくりが欠かせない。グローバル経済下、知的労働のウエートの高まりに合わせた教育改革が必要なのである。

 ところで、生徒、学生の教育を行なう上で見過ごせないのがチャレンジ精神の涵養である。将来、何をしたいか、何になりたいか。そこで、大きな夢をはぐくみ、夢の実現に向けて努力する若者を沢山育てること。そのための教育が強く求められている。それが経済社会の発展の原動力になるからだ。

 新卒の就職難が喧伝される一方で、中小企業は求人難で困っているという。大企業に入りたいとか、地方公務員になりたいという若者が圧倒的に多いからだし、食うに困っていないからである。オーストラリアなど欧米の国によっては、卒業したら、親元を離れて自立するというのが当たり前だが、日本では、親も子もそうした毅然とした生き方をとってはいない。まだまだ甘えの構造が続いているのだ。

 大学新卒の就職難と大騒ぎしているものの、広い観点から見ると、問わるべき、もっと本質的な問題が残っているのである。

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コメント

一般的に就活学生は異常に強気か異常に楽観しています。今、正規雇用で就職するだけでも大変なのに、やりたい仕事をさせろ(しかも正社員で)なんて…要求は実はあつかましいことなのです。ある程度、やりたい仕事を考えるのはいいと思います。しかしストライクゾーンが狭すぎるのはダメです。だから就活が長期化するのです。たとえばマスコミ志望者、出版社は大変な不況で、新卒採用などできるところは少数です。あっても応募が殺到するので競争倍率は100倍以上、大手は1000倍を越します。マスコミ志望者は、安定を重視してマスコミ以外の業界もストライクゾーンに広げる→①か、夢を最優先して安定を捨てマスコミ1本→②か、いずれか選択です。
そもそもフリーライター、若手芸人、歌手などは②に入ります。こういう人生は、覚悟があればそれはそれでいいと思います。しかし現実はそれほどの覚悟のない若者が、やりたい仕事しか嫌で、かつ、生活の安定が欲しい、というような就活をします。…これは社会をナメています。こういう若者は面接で見抜かれて落とされ、フリーターになっていくのです

投稿: やまだ | 2011年1月13日 (木) 23時02分

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