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2011年2月24日 (木)

トリポリで思い出す石油の「トリポリ協定」

 リビアの首都トリポリには行ったことがないが、40年前の1971年4月、リビアが石油収入増加を要求して欧米のメジャー(国際石油資本)と交渉し、大きな成果を挙げた「トリポリ協定」を締結したことでなじみ深い。イラン、サウジアラビア、イラクなどアラビア湾岸産油国が同年2月にメジャーとの調印にこぎつけた「テヘラン協定」は産油国が結束して石油価格引き上げに成功した画期的な出来事だが、カダフィ大佐率いるリビアはそれを上回る有利な条件をかちとったのである。

 カダフィ大佐はその2年前に無血革命でリビアに社会主義国家を樹立。議会などのない直接民主主義を打ち出したばかりの頃。その後、米国を相手に巧みな外交を展開した。

 アラビア湾岸産油国のうち、アラブ首長国連邦は、やはり40年前の1971年に発足した。アブダビ、バーレーンなど6つの首長国から成り、翌72年に7つの首長国の連邦になった。1973年、アブダビを訪れたとき、首都アブダビといっても、政府の建物やホテルなどがポツンポツンと建っているのを除けば、大半は何もない砂漠だった。郊外から戻ってくるとき、タクシーの運転手が運転中に眠ってしまい、舗装道路からはずれたことがあったが、ちょうど建物が全然ないところだったので、無事だった。いまのアブダビは巨大なビル群の都市だ。今昔の感がある。

 1960年代、豊富な埋蔵量を背景に、原油価格は下落を続け、60年代後半には1バーレル当たり実質1ドル近くまで下落した。石油収入が増えない産油国はOPEC(石油輸出国機構)を設けて、メジャーの価格支配に対抗しようとした。「テヘラン協定」、「トリポリ協定」は、そうしたメジャー支配をくつがえす大きな一歩で、1973年の石油ショック(石油危機)は産油国の結束力をみせつけた。以後、多少の曲折はあるが、産油国側が価格決定の主導権を握るようになっていく。

 その結果、サウジアラビア、イラク、イラン、クウェートなどの中東・北アフリカ産油国は石油収入の大幅増加で経済規模が急拡大し、国民・住民の生活も豊かになった。ドバイ、バーレーンが金融中心の都市になるなど、先進国に迫る経済発展をとげるところも現われた。

 しかし、中東・北アフリカ諸国の多くは先進国と異なり、大半が国王、部族長などの専制支配か大統領の長期独裁である。富は支配層に集中し、腐敗がはびこる。他方で、人口増もあり、貧困ないし無職の住民も少なくない。宗派の違いが支配層、被支配層の関係につながっている国もある。さらに、言論を規制し、体制批判を許さない国が多い。40年の歳月が経ち、石油資源などのおかげで豊かな国になったものの、先進国のような民主政治や言論の自由などは根付くことがなかったというわけだ。そのつけがいま来ているのだろう。 

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