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2011年2月27日 (日)

一体改革の論議に、ムダ排除の視点を

 菅内閣は社会保障と税制の一体改革を大きな課題としており、年金制度の改革などをめぐる議論が進行中である。社会保障費の増大をやむをえないものとして、その財源をどこから見つけるか、社会保障制度の再編で費用の伸びを多少なりとも抑制できないか、の2点が焦点のようだ。国と地方の役割分担および費用負担も争点の1つである。

 しかし、一体改革の議論は、厚生労働省などの社会保障費見通しが前提とされるため、いまの制度およびその運用によるムダがそのまま存続する可能性が大きい。それでは、消費税の引き上げ幅や現役世代の負担が大きくなってしまうおそれがある。負担の公平、公正とともに、真剣にムダを除去するよう努めるべきだ。

 日本の医療費は少ないとか何とかと言われるが、医師の収入、特に個人の診療所は群を抜いて高い。電子化を徹底すれば、医療費のチェックが容易になり、レセプトの過大な請求をはねつけられる。また検査や投薬などの重複が減る。

 社会的入院などといわれるものは依然多い。介護保険も家事代行などに安易に使われているケースがあるので、利用者の負担の割合を引き上げるなど何らかの抑制策が必要である。

 最近、胃ろうを安易に導入することの是非がメディアで論議されるようになった。それは①どんなにカネがかかろうとも、死なせないための治療を行なうのは当然だ、②最後まで人間の尊厳を保った生き方をするためには、胃ろうは好ましくない、という2つの意見の違いである。老親に胃ろうを付けることに否定的な返事をしたら、医師に「助かる命を助けないと殺人罪で訴えられますよ」と言われ、やむをえず同意したという話もある。このケースでは、間もなく老親は痴呆状態になってしまい、子供としては、やはり付けるべきでなかったと悔やんでいる。

 しかし、西欧では、自分で食べることができなくなった高齢者の延命措置はしないという話を現地で聞いたことがある。自分で食べることができない老人の医療に要する費用までを現役世代に負担させるべきではないという暗黙の了解がその背景にある。日本でも、若い世代と話していると、高齢者医療に無制限に医療費を使うことへの疑問を聞くようになった。

 雇用、生活保護など社会福祉関係でも、不正受給が多いことが報じられている。安易な制度設計のため、カネをばらまけばばらまくほど、自立心や労働意欲などが失われていく。それも社会保障費の増大の一因となっている。

 税制の改革では消費税の引き上げが当然視されているが、国と地方との配分をめぐって、全国知事会など地方自治体は地方への配分をいま(実質44%)よりも増やすよう強く求めている。しかし、地方自治体の財政はムダの除去が不十分である。

 その最たるものが地方公務員の高い給与だ。民間給与準拠というが、実態は民間より平均で約7割高い(09年度)。地方自治体の一般歳出の約4分の1が人件費である。いかに高い人件費が地方財政を圧迫しているか、歴然としている。

 もちろん、国家公務員も民間平均を大きく上回っている。民主党は総人件費を2割削減するとマニフェストで公約したが、棚上げ状態。マニフェストを重視する小沢一郎元代表に連なる議員たちも一切、この件に触れない。菅首相は閣僚の給与を2割カットするという意向を示したが、実行する気があるのか怪しい。公務員の人件費2割削減を公約したのだから、総理大臣や大臣は5割カットとか、3割カットとかをさっさと実施してこそ、本気だと国民は思うのである。

 2月26日付け朝日新聞に、「地方自治体が最低制限価格の設定によって公共事業の工費を高止まりさせ、コスト競争力のある土建会社を排除している」と主張する岐阜県の業者、希望社の桑原耕司会長のインタビューが載っている。

 地方自治体は財政のやりくりに大変だと言うが、高い人件費や公共事業の高価格発注などにみられるように、歳出の合理化、効率化が足りない。国も地方自治体も、財政破綻が起きかねないという危機的な状況のもとで、真剣に歳出のムダ減らしに取り組むべきである。地方主権などというが、いまだに、国からよけいにカネをとってくるのが首長の仕事と思っている知事や市長が圧倒的多数なのである。

 一体改革の論議では、徹底したムダの排除を同時に進めるべきだ。安易に大きな政府を志向していては、財政破綻が早まるに違いない。

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