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2011年3月31日 (木)

“還暦”ニッポンの重苦しさ

 テレビが映す津波の被災地を見ると、第二次世界大戦が終わって間もない頃の名古屋の中心部の廃墟とオーバーラップしてしまう。1945年の東京大空襲の跡地もおそらく似たようなものだったろう。停電の導入も、それに拍車をかける。敗戦直後は事前の通知もなく当然停電した。そうした子供の頃の記憶と重なって見えるのだ。人の還暦ではないが、戦後、日本人が営々と築きあげてきた豊かなニッポンが、ほぼ60年経って、元の木阿弥に戻ったようにも感じられる。

 現実は、まだ多くの津波被災者が避難所から別の避難所へと流浪していて、安住の地にいつたどりつけるのか見当もつかない状態である。福島第一原発も、原子炉や使用済み核燃料の冷却作業が困難を極めている。現場で働いている人たちは最悪の労働環境のもと、命がけで放射能の拡散阻止に努めているが、終息のめどは立っていない。こうした危機的事態が常に気にかかる。

 メディアの報道や自分の体験などから思うことの1つは、国難を打開する強い政治のリーダーシップがほとんど見えないことだ。津波や放射能汚染などで苦しむ民に寄り添い、再生の希望を抱かせる指導者がこの国には不幸にして存在しない。地獄を見たのだから、単なる復旧、つまり被災地を元通りにするのではいけない。災害に強く、高齢化や過疎化を踏まえた新しい地域づくりのビジョンをもとに、地域が主体になって東北関東沿岸地域の再生を図っていくべきだ。そのためには、公的主体による当該地域の土地強制収用に踏み切っていい。

 メディアでは福島第一原発の廃炉問題が大きく伝えられている。しかし、いまの時点で、廃炉にするかどうかを云々するのは意味がない。地震発生から20日経ち、新聞が1面で取り上げるべきテーマは、これからの日本の経済社会のありかたではないか。財政危機、少子高齢化、地域活性化、地球温暖化、資源・エネルギーなど震災前から直面している課題を踏まえたら、豊かさの追求に偏重した経済社会を大きく方向転換するという展望を持って復興に取り掛かる必要があるだろう。

 いま1つは、これほど電気が企業活動や私たちの生活のすみずみに使われていたかという驚きである。品質確保上、電気が止まらないことが前提で成り立っている工業生産もあれば、病院の長時間手術もある。ガスと電気は競争しているとばかり思っていたが、いまのガス風呂、ガス床暖房などは電気がないと機能しない。水道にしても、中高層の建物では電気を使って加圧し、上の階に送っているので、停電したら水が出ない。電子制御のようにエレクトロニクスが広く使われるようになったことがその背景にある。

 3つ目は、停電の実施で、企業や家庭で節電ムードが強まったことである。各種小売・サービス店などでは照明を減らし、エスカレーター、エレベーターなどを一部停止している。それで困ることは少ない。過剰な暖房、冷房、照明などは、いたれりつくせりの過剰サービスであり、それを切っても顧客の不満は少ない。本来、無くてもいいサービスなのに、過当競争によりやむをえないという発想でエネルギーを多消費してきたのである。その意味では、節電ののりしろは相当に大きい。電気料金が上がれば、節約傾向はいっそう強まるだろう。

 さはさりながら、東日本と西日本とではかなり大震災の受け止め方が違うだろう。西日本の人たちからすれば、上記の意見はあまりピンとこないのではないかと思う。そうした意識の開きを克服し、日本が全体として再生できるようにすることも国の指導者の役割である。そのためにも、私たち市民は政界、経済界、官界などにおいて、すぐれた指導者を選びだす責任を負っていると思う。

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2011年3月26日 (土)

震災対策においても財政再建を忘れるな

 東日本大震災の深刻な打撃から日本は再生できるのか。そのための大きな一歩が国の予算の大幅な組み直しである。

 福島原発のゆくえが定かでないが、2011年度予算は歳出規模を大幅に増やす必要があるだろう。被災者、被災地域や地震・津波・原発破壊で大きな打撃を受けた産業・企業を救済ないし支援するためには11年度だけでも何兆円ものカネが求められるからだ。しかし、下手をすれば、それは近付きつつある財政破綻の時期を早める危険がある。

 日本再生のための新たな必要資金を安易に国債の上乗せ発行でまかなうとか、日銀が直接・間接に国債を購入するといったことで調達するのは厳に慎まなければならない。なぜなら、衆議院強行突破で成立の11年度当初予算は国債発行が税収にほぼ等しく、財政構造が悪化する一方だし、国債を相当に抱え込んでいる日銀がさらに国債を買い増しすれば、日銀の信用基盤が揺らぎ、長期金利が跳ね上がるおそれが強まるからである。危機に際しても、財政再建への取り組み姿勢を内外に示し続けることこそが必要不可欠なのである。

 したがって、いま大事なのは、まず第一に、11年度予算を修正し、歳出内容を抜本的に変えることである。具体的には子ども手当、農家への戸別所得補償、高速道路無償化など、民主党のマニフェストに掲げた大盤振る舞い政策をご破算にし、それらのばらまき原資を震災からの復興・再生に充てるべきである。一般会計・特別会計の組み替えで浮く原資で子ども手当などを実施するはずだったのが、肝心の原資を見出せなかったのだから当然のことだ。そうしてこそ、民主党政権は国の再生に向けて、自民党など野党の協力が得られよう。

 いま一つ震災から立ち直るための資金を捻出する方法は増税である。5年間などと期間を限定しての法人税引き下げ延期や、所得税、消費税などの税率引き上げは十分考え得る。電気料金や石油などの化石燃料に対する課税強化も環境エネルギー対策の観点から現実的な対策である。

 震災からの復興・再生にあたっては、震災前の状態に戻す復旧にしないことが大事である。限られた資金で、望ましい持続可能な地域経済社会をつくるのに衆智を集めることが期待される。財政健全化の観点をおろそかにしがちなままに国債依存度を高めるのは危険きわまりない。

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2011年3月24日 (木)

野菜などの摂取制限や出荷停止が及ぼす影響

 一部地域で生産されたホウレンソウ、小松菜などの幾種類かの野菜や原乳から食品衛生法で定めた放射性物質の暫定規制値を超える値が検出されたとして、政府は摂取制限や出荷停止を指示した。福島原発から放散したセシウムなどの放射性物質がそれらの地域を汚染したためとみられる。この結果、当該地域の農家でつくられた野菜や原乳は廃棄されることとなった。

 わざわざ菅首相が摂取制限を指示したそうだが、これは、国民の健康に十分配慮していることを強調したいがためだろう。だが、その一方で、枝野官房長官は相当に食べたとしても、「健康に被害は出ないし、将来にわたって健康に影響を与えるような放射線量は受けない」と述べている。菅首相が国民の不安をかきたて、枝野長官がそれを抑制しているような印象を受ける。

 出荷停止や摂取制限の指示によって、広範囲の農家は出荷がストップした。いずれ、他の野菜なども危険視され、当該地域の農家は完全に息の根をとめられてしまうおそれがある。いわゆる風評被害である。一部品種だけの話ではすまなくなるのである。そうだとすれば、これらの農家は農業・畜産業をやめるしかないことになる。

 だが、放射性物質による健康への影響について、専門家は野菜などを水洗いしたりすれば、大幅に影響は減るとか、毎日、同じものを食べるわけではないから、あまり心配しなくていい、といった意見を述べている。もしも、それが正しいなら、政府が率先して国民を不安におとしいれるような措置をとるのはいかがかと思われる。

 有害化学物質に対する規制は安全係数が100倍である。そもそも有害か否かの実験は人体を使ってはできない。そこで動物を使う。このため、種の違いを考慮して、安全度を10倍に見積もる。さらに、人間も乳幼児と大人とでは違うように、個体差がある。そこでやはり安全度を10倍に見積もる。その結果、動物実験で得られた安全度の100倍を人間用の基準としている。安全第一を極端に推し進めた基準を採用している。

 放射性物質に対する規制値もおそらく同様な考え方で機械的に設けられているのだろう。そうだとすれば、規制値を相当上回っても、当該の野菜などを普段の暮らし通りに摂取するだけなら、健康を害しないのではないか。当該地域の農業を全滅に追い込むほどの強い副作用を持つ規制に踏み切ったのは、大きな誤りではなかろうか。福島原発がもっと深刻な状態になり、放射性物質がさらに多く放散されると、厳しい規制を導入して当然だが、いまはまだ時期尚早である。

 政府が原発の安定化に必死になっているのは当然のことだ。また、被災地や被災者に救いの手をさしのべることにも、もっと力を注ぐ必要がある。しかし、それとともに、菅首相および政府は、これからどうなるかと不安を抱いている国民に対し、日本再生の展望を明示することが求められている。一国のリーダーがいまなすべきことは何かを、菅首相はわきまえてほしい。 

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2011年3月22日 (火)

過度の集中と分散の脆さ

 マグニチュード9.0の巨大地震が襲ってきてからの出来事をみていると、現代経済はコスト最小化などのため、ひたすら集中や分散を図ってきたという構図とその脆さとがよりはっきり見えてきたように思う。

 ◆原発の問題については、立地を受け入れてくれる地域がごく限られていたため、電力会社は一ヵ所にできるだけ多くの原発を設置してきた。東電は自社の営業管内で原発をつくる場所を確保できなかったから、余計、集中して何基も設けた。もちろん、集中によるコストダウンも考慮に入れていた。しかし、一基でも放射性物質による汚染などの事故を起こしたら、同じ立地内の他の原発まで停止をよぎなくされかねない。原発の集中はこのように潜在的に大きな供給不安定というリスクを抱えていて、それが今回、現実となったのである。

 日本が原発に力を入れてきた背景には、脱石油・石炭もある。しかし、石油はだめ、さらに原発もいまのシステムではだめとなると、省エネ、再生可能エネルギーの開発・普及などに国を挙げて取り組むしかない。経済・産業構造やライフスタイルの抜本的な転換が迫られる。

 ◆自動車、エレクトロニクスなどの分野では、最終製品のメーカーの内製率はどんどん下がってきている。外部から部品などを買ったり、製品の生産そのものまでも委託したりしている。今回の大震災で、サプライチェーンを構成する部品メーカーなどの工場が壊れ、供給が途絶している。このため、国内の完成車メーカーの工場生産が止まったのみならず、日本から部品などを供給しているアジアや欧州、米国などの完成車メーカーの操業にも響いている。エレクトロニクス製品も同様だ。

 自動車の場合、部品点数が3万ともいわれるように非常に多く、それらの生産に当たる内外の部品メーカーは特定の部品組立や加工だけというように専門分業化している。しかも下請け、孫下請け‥‥という供給のチェーンに支えられている。したがって、完成車メーカーなどにとって、品質、コスト、納期や在庫最小化などを踏まえたグローバルな最適調達体制となっている。だが、部品などの納入ストップが長く続くと、最終製品のメーカーの生産ラインは大きな打撃を受ける。今回の震災を機に、戦争や大災害などを考慮に入れた柔軟性のある新たなサプライチェーンを構築することが必要になろう。

 ◆東日本大地震のあと、かなり強い余震が頻発している。いずれ、東海地震や東南海地震、あるいは東京直下型地震が襲ってくるだろう。そのときに最も恐ろしいのは直下型地震などで出火し、住宅が密集している東京都区内が火の海になることである。東北地方の沿岸地域とは正反対に、地価が高くて小さな住宅がくっつくように集中している首都の最大のリスクだ。街では、いざという時の避難場所を表す案内板を見かけるが、肝心の避難場所は小学校など狭いところが多い。それでは東京大空襲のような広範囲の火災から逃れられない。

 ◆鉄鉱石、石炭といった鉄鋼原料を供給する英、豪などの鉱山会社が企業買収・合併で巨大化している。BHPビリトンなど、全世界の供給量の何割もを占める会社もある。これほど極端に集中が進むと、供給側による販売価格の支配が容易となる。過去には鉱山会社と鉄鋼メーカーとの間で1年以上、固定価格で長期契約していたのに、直近では毎月、決める話になっている。それに伴い、鉄鋼メーカーは鋼材を納入する長期顧客にツケを回そうとするが、長い商慣習を変える話なのできわめて困難だ。鉱山会社の売り上げ高利益率はベラボーに高い。半面、鉄鋼メーカーは窮地にある。公正競争を実現するため、世界独占禁止法が求められる。

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2011年3月18日 (金)

危機は人材を育む

 テレビ、新聞などが地震・津波の被災者の窮状と救援活動の実情、および福島原発の最悪事態阻止に向けての必死の作業を報じている。東京電力などの管内における輪番停電の影響などについても取り上げている。また、円の高騰や株価の暴落とそれへの対応などもだ。目先の円高を予測して円買いドル売りに走る投機筋には不快感を禁じえないが、限界的な状況においても前向きに生き抜く被災者たちや、高い放射能を覚悟して放水などの作業に従事している原発最前線の作業者たちには頭が下がる。彼らの態度は、これからの日本が直面するたくさんの難題を乗り越えて再生できるのではないかという希望の明かりである。

 個人的な体験だが、第二次世界大戦が終わった1945年から、戦後が終わったといわれる1955年ごろまでを思い出すと、我が家には電気と都市ガスがあったが、電気関係の製品は裸電球による照明とラジオしかなかった。それも、予告なしの停電がしばしばあり、ろうそくのもとで食事したことがある。ガスはコンロとして煮炊きに使った。テレビも電話もないし、電気洗濯機、電気冷蔵庫、扇風機、クーラー、エアコンもなかった。暖房は炭を火鉢に入れるだけだった。風呂は薪を焚いてわかした。無論、クルマもなかった。また、トイレはいわゆるボットントイレ。ゴミの自治体による収集はなかった。名古屋市の一角で、そんな状態だった。

 したがって、戦後の経済成長は見方によれば電化・電子化の歴史であった。例えば、母親が育児で布のおしめを使い、毎日、たくさん洗濯板で洗って干していたのが、電気洗濯機の登場で家事労働の負担が減った(いまは紙おむつの使い捨てが当たり前になっている)。また、電子技術の進歩により、テレビ、コンピュータ、携帯電話などが普及してきた。しかし、いずれも電気を必要とする。

 電化・電子化は家事労働の負担を大幅に減らし、人々はコミュニケーションや娯楽などに多くの時間を割くことができるようになった。生活や余暇において電気への依存は当たり前となり、疑問視もされないできた。政府の投資により、道路、鉄道、水道などのインフラなども先進国並みに充実した。結果として、人々は豊かな暮らしが当然と思うようになっていた。換言すれば、自分たちの豊かさを支えている基盤について、それが確かなものか、何ら疑わなくなっていた。1945年から現在まで、ちょうど三世代ぐらいだ。いつのまにか、日本人は先人の苦労を忘れ、豊かさを満喫するいいとこどりで、「売り家と唐様で書く三代目」になっていたのかもしれない。

 今回の危機に際して、国家のリーダーや企業のリーダーの指導力、つまりリーダーシップがほとんど感じられないことに国民の多くは気付いている。おそらく、それは自らの存立の基盤に疑問を抱かない「三代目」世代だからだろう。それにひきかえ、日本が戦後復興に懸命になっていたとき、政府にも、企業にもすぐれたリーダーが輩出した。危機は人材を育むからだ。いま、この時、苦労・苦闘している若い人たちの中から、次代の日本を背負って立つすぐれたリーダーが生まれるのを強く待ち願っている。

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2011年3月14日 (月)

大震災後の日本の経済社会

 宮城、岩手、茨城県などの太平洋岸を襲った超巨大な津波によって万を超える犠牲者が出たと推測されている。無残な死をよぎなくされた犠牲者の一人ひとりに深く哀悼の意を表する。この方々をきちんと弔うことがせめてもの生者の務めである。そして、余震が続いていることや、原発の炉心溶融、水素爆発など綱渡りが続いていることなどもあり、地震前と後とで、ものの見方が変わらざるをえない。

 福島第一・第二原発の稼働していた7基の原発のうち、将来、再稼働できるものがいくつあるかを、いま想定するのは無理だが、再稼働にこぎつけるとしても、何年も要するだろう。停止した火力発電所のほうが再稼働が早いだろうが、被害状況が明らかにされていないので、楽観、悲観両方の見方ができる。

 いずれにせよ、かなり長い期間、電気の供給力が大幅に不足する。代わりの電力供給源としては、太陽光発電など再生可能エネルギーが考えられるものの、それらの規模が大きくなるには相当の年月がかかる。したがって、強制的な停電で需要を抑制するしかなさそうである。

 だが、地域を5つのグループに分けて停電時間帯を替えつつ輪番停電を実施するというのは、電気の利用者である家庭、商店や工場、オフィスビルなどにとっては大変なストレスになる。14日の電車の運行にみられたように、サラリーマンなど利用者を苦しめるばかりだ。長距離通勤の人たちは肉体的にもまいってしまう。誰かにしわ寄せするようなこうした無理は長続きしない。

 週明けの14日、スーパー、百貨店などでは営業時間を短縮したりした。近年、過当競争が激化する小売業などでは営業時間を延ばす傾向が強いが、企業は災い転じて福となす、ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)に転換するきっかけにしてほしい。経済界では、一時、時差出勤とか、ネットを活用して家で仕事ができるようにと試みたが、広がらなかった。今後、経営側と労働側とが智恵をしぼって、電車通勤を減らす方策を編み出すよう求めたい。

 東日本は50ヘルツ、西日本は60ヘルツと電気の周波数が異なる。歴史的ないきさつがあり、統一されないまま今日に至っている。周波数転換の設備もごく限られたものである。その結果、今回のように、東電や東北電力の供給能力が落ち込んでも、ほとんど救援のしようがない。言い換えれば、西日本は今回の深刻な電力不足と無縁である。したがって、電力を消費する企業は長期的にみて電力供給で余裕のある西日本へと生産設備などをシフトするだろう。つれて雇用も移っていくだろう。過度に関東に集中した日本の経済構造が変わる転換点である。

 基幹エネルギーの動向が暮らしや経済のゆくえを左右する。オイルショックのとき以上に、それを強烈に感じる。

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2011年3月13日 (日)

東日本巨大地震の教訓

 3月11日午後3時前に起きた東日本巨大地震。マグニチュード8.8という観測史上かつてない規模もさることながら、そのあとに襲ってきた津波の猛威および東京電力福島第一原子力発電所の炉心溶融とによって、国内外を震撼させた。

 自然の力は人間の遠く及ぶものではない。「地震、雷、火事、親父」と言われてきたように、地震は最もこわいものである。しかも、地震が起きる予測はいまも至難である。津波も、日本では「災害は忘れた頃にやってくる」ではないが、警報が出ても、真に受けない人が増えていたように思う。まちづくり、地域づくりなどにおいて、日本が地震国だという当たり前のことを改めて強く意識する必要がある。

 国の政治をつかさどる国会や内閣は、国民があきれるほど、国民の期待や希望から遠いものだった。それを見るに見かねて、天が罰したのかと思ったりもするが、無辜の民がこれほどのひどい目にあうような試練は筋違いである。権力争いに終始する政争をやめて、国民が将来に明るい展望が持てるように政治家は悔い改めるべきだ。

 原発を地震国の日本に設置することに、一部の学者、研究者が危険だとして強く反対していた。それに対し、政府および電力会社はエネルギー供給分散などのために原発を強力に推進し、高い安全性の確保をうたってきた。しかし、柏崎刈羽原発が地震で破損し、長期間の運転停止に追い込まれたように、安全・安心の面で不安が残っていることは否定できない。今回の巨大地震ではついに炉心溶融という最悪の事態にまで行ってしまった。

 原発の安全のためには、発電所のどのプロセスにおいてもフェールセーフが何重にも徹底していなければならない。今回の事態の原因究明は先になるが、予想外の事態が起きたなどという言い訳は、電力会社としては絶対に言ってはならないことだ。それを口にしたら、原発を地震国日本で運転するわけにいかなくなる。

 福島第一原発の1号機は1971年3月に営業運転を開始した。そして2号機~6号機はすべて70年代に運開している。1号機はちょうど満40年にあたる。1960年代の科学・技術をもとに設置場所からプラントから選定し、建設したものである。電源立地、なかんずく原発の新設はきわめて難しいため、メンテナンスをしながら長持ちさせてきたとはいえ、巨大地震に十分耐えられるか不安がないではなかった。その意味で、今回、最新の科学・技術を踏まえたフェールセーフの導入が最優先課題だと実感した。

 東電は自社の発電量が電力需要をかなり下回るので、節電を要請するとともに停電を実施する方針である。日本で一般家庭をも含めて停電を実施するのは第二次世界大戦後の復興期以来である。日本では石油危機の際に、ネオンサインの停止などエネルギー節約に取り組んだ。しかし、その後、電力節減は忘れ去られた。しかし、今回の輪番停電の導入を機会に、暮らしや働き方を人間らしいものに戻すきっかけにしたい。長時間労働を1日8時間労働に戻すなど。災い転じて福となす。それぐらいの覚悟で経済社会のありかたを方向転換することが地球温暖化防止や省資源・エネルギーなどにもつながる。

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2011年3月 9日 (水)

年金救済問題で見落とされている問題

 専業主婦の年金届け出漏れ問題で、細川厚生労働大臣が野党の槍玉にあがっている。新たな政局の焦点になっているが、ここでは、見落とされている論点を挙げる。

 まず、混乱のもとになった課長通知だが、これは十数年前、官僚支配が問題にされたときに、今後はやらないということになった「通達行政」そのものである。法律に基づかない通達をあたかも法律と同等に扱うことはやめになったはずだ。法律の改正に基づいて制度を変えるというのが基本である。長妻前厚労相が決めたという救済策は裁量行政そのものであり、まさに民主党の掲げる政治主導とは正反対である。

 民主党政権になってより顕著になった一つが大盤ぶるまいである。一般論を言えば、困っている人を助けるのはいいことだ。しかし、政治は、いまの国家予算関連の審議もそうだが、公正性や財源の確保などを十分に考慮して決めていく必要がある。困っている人がいるからといって、刹那的に救済策を講ずるのは好ましくない。安易にカネをばらまくと、国民の自主・自立の精神が弱くなる。

 福祉や社会保障を担う厚生労働省、中でも旧厚生省の官僚は、財源や国民負担、あるいは効率性をほとんど考慮しない。社会保障の歳出が猛烈な勢いで増えているが、その中にあるムダを真剣に取り除こうという発想は彼らにはほとんどない。今回、問題になった救済策は、そうした民主党および同省の構造的な欠陥が重なり合って出てきたものと言えよう。

 いま一つ、今度の問題で指摘しておくべきことは、厚生労働省の所管の範囲があまりにも広いことである。とてもではないが、大臣一人が全体を絶えず把握するのは絶対に無理である。長妻前厚労相は年金問題を得意としていたが、労働の分野は全くしろうとで、官僚の言うがままだった。いまの細川大臣は労働分野に詳しいが、厚生分野はとんと素人である。厚労省の所管および予算のあまりの大きさを放置していては、今後も似たような問題が起きよう。政治主導を言うのなら、厚生省と労働省の二つに分けるのがいい。

 そして、民主党は政治主導を現実のものにするために、シャドー・キャビネット(影の内閣)のように、各行政分野ごとに専門家的な政治家を育成する必要がある。それとともに、党の綱領を定め、どういう国にしたいか、を国民に明示しなければいけない。今はそれがないから、国民は政治のゆくえに不安を強めているのである。 

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2011年3月 7日 (月)

大局を見失っている政治家たち

 前原誠司外務大臣が外国人から政治資金の寄附を受けていたとして、政治資金規正法違反を問題にされ、辞任した。

 同法の基本理念をうたった第2条ー2は「政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の接受に当たっては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行なわなければならない」と述べている。そして、第22条の5において「何人も、外国人、外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織から、政治活動に関する寄附を受けてはならない」とある。

 それを受けて、第22条の5第1項に該当する寄附を受けた者は3年以下の禁固または50万円以下の罰金に処することとされる。

 したがって、前原氏が在日韓国人から年間5万円、計25万円の寄附を受けていた点が国会で指摘された以上、辞任はやむをえないだろう。

 前原氏は子供の頃から親しくしていた在日韓国人から寄附を受けていたことを知らなかったと語ったが、本当だろうか。政治家が、寄附までして支援してくれる人たち(および企業、労組など団体)の名前の載った名簿を見ないなんてことは信じられない。それとも、よほど沢山の寄附者がいて、いちいち名前を見ているいとまはないというのだろうか。

 ただ、今回のケースから、寄附を受ける際、寄附者が外国人・団体であるか否かをいちいち調べないといけないことがわかった。だが、そうした身元調べは現実的か疑わしい。国会でこの件を取り上げた野党の政治家にすれば、自らの政治資金にも及んでくる。とんだやぶへびになったかもしれない。

 また、現行法は1000円以下の寄附は罰則の対象外としているが、罰則の対象外を引き上げて、例えば、年間1万円までとか3万円ぐらいまでとすることも考えられる。そうすれば、少額の寄附までもいちいち外国人・法人か否かを確かめる手間が要らなくなる。

 現在は、内外の厳しい情勢に直面している日本国の政治のありかたをめぐって国会が真剣に審議すべきときである。衆参のねじれを踏まえ、連立内閣を結成していいくらいだ。そんなおりに、重箱の隅をつつくようなことで外務大臣のクビがとんで何になるのだろうか。それこそ与野党の政治家が最も重くみるべき国益にそぐわない。菅内閣も民主党も、国民のための政治を忘れて権力にしがみついているようにみえる。自民党も、党全体のリストラクチャリングができないままなので、支持率があまり上がらない。

 現在の日本政治はものごとの本質に迫る議論がなく、政治に対する国民の期待は下がる一方である。政党政治がダメな状態が長く続くと、戦前の歴史が示すような危機が訪れないとも限らない。いつまでも日本は「大丈夫」などと言ってはいられなくなる。 

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2011年3月 5日 (土)

人口から見て日本は分権型国家になって当たり前

 日本は人口が減っているとはいうものの、人口でみれば実に大きい国だ――そんな感想を改めて抱いたのは、「各地方と主要国の人口、経済規模の比較」という表を見たときである。経済同友会がことし1月に発表した提言「2020年の日本創生―若者が輝き、世界が期待する国へ―」の中にあるデータだ。

 それによると、北海道とデンマーク、東北とスウェーデン、関東とスペイン、中部とオーストラリア、近畿とオーストラリア、中国とスイス、四国とニュージーランド、九州・沖縄とオランダはそれぞれ人口がほぼ同じである。名目GDPでは、北海道がデンマークの約2分の1、九州・沖縄がやはりオランダの2分の1強、中国がスイスの約6割、と開いているほかは、さほど違いはない。四国とニュージーランドはほぼ同じである。関東はスペインよりもGDPが少し大きい。

 ということは、日本1国が、欧州の5ヵ国とオーストラリア(2国分)、ニュージーランドとを足したのとほぼ等しいことを示している。日本はいかに大きな国かがよくわかる。

 上記の7つの国はそれぞれ主権国家である。それに対し、日本の8つの地域は、中央政府が権限や財政において圧倒的な権限を有しており、都道府県・市町村の首長や議会の運営はおよそ主体性を欠いたものとなっている。住民もまた、地域としての自主独立の精神よりも中央政府に依存する気持ちが強い。特に地方交付税交付金などのカネの面でだ。したがって、何かあると、「国(政府)は何をしているのか」という批判や不満が出たりする。

 しかし、日本は7つの国の実例を念頭に置けば、単一国家のもとで各地域の自主性が最大限に発揮できる広域行政制度として、「廃県置州」―地域主権型道州制を導入すべきではないか――同友会はそう提言している。それによって、自主・自立・自己責任をバネに、地域に多彩なにぎわいをもたらすことができると訴えている。

 地域主権型道州制を導入すれば、権限・財源は基礎自治体、道州に移譲され、道州は主要先進国並みの人口・経済規模を持つことになる。そして、経済活力、生活の質の向上、文化発信などで各国に伍して競い合うことができる。そう指摘したうえで、2018年に地域主権型道州制の導入を提言している。

 提言の実現性については何とも言えない。だが、都道府県・市町村の首長や議会議員たちは、欧州などの例を参考にし、日本の自治体・地域があまりにも中央集権に従属していることを率直に認め、地域の自立を図るべきだ。大阪府、名古屋市などでの首長の活動は、そうした流れが表面化してきた事例だと思われる。

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2011年3月 3日 (木)

ちょっと屈折した見方をすると

 ニュージーランドのクライストチャーチは、老後を海外で暮らすとしたら、もっとも適している街という評判だった。今度の激震の結果、そうした見方はなくなるだろう。それにしても、日本人の19歳の若者が多く犠牲になったのは何とも残念である。少子高齢化により、いまや日本の若者は本当に貴重な国家的財産である。事故などで一人たりとも失うのは惜しい。

 海外に行く若者が減っているなかで、語学研修にせよ、海外に行く人たちはチャレンジングな精神の持ち主である。それだけに、今回の地震で、そうした人たちをたくさん失ったのは国家として痛恨の極みである。

 ただ、この悲惨な災害を越えて問い掛けたくなるのは、どうして日本人はこんなに英語べたなのかである。中学1年から高校3年まで6年間、英語を皆習う。大学に行っても教養課程で英語の講義がある。それでもろくに使いものにならないので、英会話学校に通ったり、語学留学をするのである。もしも中学・高校の6年間で実用英語がそれなりに身に着けば、単なる語学留学はまず要らないだろうにと思ってしまう。

 日本の英語教育は、第二次世界大戦が終わって半世紀を過ぎても実用的な成果を生んでいない。文部科学省の所管だが、いまだに専門家を含め、さまざまな意見があって、結果として改革が行なわれないままだ。しかし、グローバル化が進んだ世界では、英語に限らず、外国語を使える日本人がうんと増えることがビジネスや文化交流などの発展に不可欠である。与野党の政治家はグローバル化の意味や、それへの前向きな対応に関してもっと勉強して、次の一手を打ってほしい。

 かつてシルクロードの旅をしたとき、古城旧跡で地元の10歳を少し上回る程度の少年が馬車に乗るよう日本語で売り込みをかけてきた。断片的に覚えた日本語をあやつっているのにすぎないが、父親はしゃべれないので、その少年の働きに大いに依存していることが明らかだった。いまの日本には学校教育というものがあるのだから、若い柔軟な頭脳に外国語を使えるような教育をすることはさほどむずかしいことではあるまい。

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