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2011年3月 3日 (木)

ちょっと屈折した見方をすると

 ニュージーランドのクライストチャーチは、老後を海外で暮らすとしたら、もっとも適している街という評判だった。今度の激震の結果、そうした見方はなくなるだろう。それにしても、日本人の19歳の若者が多く犠牲になったのは何とも残念である。少子高齢化により、いまや日本の若者は本当に貴重な国家的財産である。事故などで一人たりとも失うのは惜しい。

 海外に行く若者が減っているなかで、語学研修にせよ、海外に行く人たちはチャレンジングな精神の持ち主である。それだけに、今回の地震で、そうした人たちをたくさん失ったのは国家として痛恨の極みである。

 ただ、この悲惨な災害を越えて問い掛けたくなるのは、どうして日本人はこんなに英語べたなのかである。中学1年から高校3年まで6年間、英語を皆習う。大学に行っても教養課程で英語の講義がある。それでもろくに使いものにならないので、英会話学校に通ったり、語学留学をするのである。もしも中学・高校の6年間で実用英語がそれなりに身に着けば、単なる語学留学はまず要らないだろうにと思ってしまう。

 日本の英語教育は、第二次世界大戦が終わって半世紀を過ぎても実用的な成果を生んでいない。文部科学省の所管だが、いまだに専門家を含め、さまざまな意見があって、結果として改革が行なわれないままだ。しかし、グローバル化が進んだ世界では、英語に限らず、外国語を使える日本人がうんと増えることがビジネスや文化交流などの発展に不可欠である。与野党の政治家はグローバル化の意味や、それへの前向きな対応に関してもっと勉強して、次の一手を打ってほしい。

 かつてシルクロードの旅をしたとき、古城旧跡で地元の10歳を少し上回る程度の少年が馬車に乗るよう日本語で売り込みをかけてきた。断片的に覚えた日本語をあやつっているのにすぎないが、父親はしゃべれないので、その少年の働きに大いに依存していることが明らかだった。いまの日本には学校教育というものがあるのだから、若い柔軟な頭脳に外国語を使えるような教育をすることはさほどむずかしいことではあるまい。

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