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2011年4月28日 (木)

復興への取り組みがのろい

 大震災からの復興基本法案がまだ決まらない。全体の調整にあたる復興対策本部なるものを設置するかなどで民主党、政府、野党の見解がまとまっていない。3.11から1ヵ月半ちょっと過ぎたのに、復興を推進する司令塔およびその構成部分が定まらない。これは、いまもって復興の基本的な方針、具体策、実行態勢などがあいまいなまま、個別に対策を打ち出しているにすぎないことを意味する。政治家の怠慢もいいところだ。リーダーシップをとるべき総理大臣は一体全体、何をしているのか。

 毎日毎日、TVニュースの画面には、一面がれきの津波被災地が映し出される。陸に上がった漁船を処理するなどの映像もあるが、多くの被災地は災害を受けたあとの姿のままか、それに近い状態である。1ヵ月半も過ぎたのに、がれきの片付けがろくに行なわれていない。がれきといえども所有者の了解なしに片付けるわけにはいかない、という理屈があることは承知しているが、そんなのは平時の話。特別立法で廃棄物とみなして、自治体が処理処分できるようにし、とっくにあちこちで作業をしていて当然である。

 被災者の多くが失業している。仕事を探してもなかなかありつけない。がれきの始末が各地で本格化すれば、その仕事を担う労働者がたくさん必要になる。がれきの処理処分を早く実施すれば、被災者対策、失業者対策にもなるのではないか。大のおとなが避難所で、することもなく日々を過ごすしかないというのは精神的な苦痛もいいところである。

 早く、無駄なく、未来志向の復興を遂げるには、司令塔が一元的に財源を握り、カネを有効に使えるのが望ましい。では、そのカネをどこから調達するか。とりあえずは復興国債のようなもので賄うとして、その償還には消費税なり、所得税なりの増税が不可欠である。さもないと、日本が財政破綻するリスクは増加する。

 国家財政は家計と違う、と主張する学者・エコノミストもいる。だが、大震災によって、日本国の財政再建の道はより遠くなり、米格付け会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)も27日に、日本国債の格付け見通しを「安定的」から「弱含み」に変更した。いずれ格下げとなる可能性が大きい。ギリシャ、アイルランド、ポルトガルなど西欧の財政悪化などもあり、内外の金融情勢は不安定さを増している。

 それだけに、これらの危機を切り抜けるだけの政治の判断力、実行力などリーダーシップがきわめて重要になっている。危機の時代に日本の政治指導層がどう対処するかがこれからの日本の盛衰を左右するといっても間違いではない。

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2011年4月26日 (火)

統一地方選挙の結果から

 前、後期の統一地方選挙が終わった。関東、東北地方と、中部以西の地域では当選者の喜びの表しかたにも違いがあったように感じた。たまたま25日の朝、名古屋にいたら、テレビで中部地方の当選した市長らが皆バンザイする姿を報じていた。関東、東北ではバンザイするのははばかられる雰囲気がある。

 大学の卒業式や入学式なども、西日本では例年通り行なわれた。電気の周波数50サイクルの地域と60サイクルの地域とでは、津波や原発危機に対する人々の受け止めがかなり違う。もちろん、中部以西にも、親類縁者が関東以北にいて、他人ごとではない気持ちになっている人も少なくないだろうが、未曾有の災害をきっかけに、日本が二分されたような感じは否めない。

 政権政党である民主党は、統一地方選挙で住民から手厳しい審判を受けた。選挙の結果は、選挙前に予想されていた。だが、内閣の存続を最優先する菅首相は敗北の原因と責任をきちんと総括することなく、国政の舵取りを続けている。民主党内から両院議員総会を開催しようという動きが出るのは当然である。

 衆参のねじれが民意だから、民主党政権は予算その他の法案を成立させるために、野党との連携を適時適切に実現しなければいけない。それとともに、民主党は日本の将来についてどのようなビジョンを持ち、それを実現するためにどんな政策を実施したいのか、国民が納得する党綱領を早急につくる必要がある。党の綱領すらないままに、党総裁=総理大臣のポストを争う党内抗争を続けるのは、国民のためにならない。

 震災対策などで、菅政権だったからよかった、という世評は聞かれない。相変わらず、菅首相の思い付きで整合性のない政策に、政治家も官僚も翻弄されている。菅さんにドラッカーの『マネジメント』を読んでもらいたいと思ってしまう。国会を解散し、総選挙を実施するか、ないしは、菅首相が辞任し、連立政権を結成するほうが、厳しい内外の情勢によりうまく対応できるような気がする。

 今回の統一地方選挙には、知事や主要都市の市長に、中央官庁出身者がかなりの数、当選した。後期で例をあげれば、三重県津市の市長には総務省出身者(49歳)が当選した。地方自治、地域主権という言葉が当たり前になってきたのに、なぜ霞が関にいた人たちがどんどん首長になるのか。知事は霞が関OBばかりで、なんとも違和感がある。

 地方の時代といわれるようになり、政治主導のため、霞が関の官僚のやりがいが薄れてきたのは確かだ。したがって、頭のいい中央官僚が若いうちから、転身先として知事や市長をめざすのは納得できる。しかし、県や市の住民たちが、中央集権の発想に慣れた霞が関出身者を選ぶのはなぜだろう。国からカネをもってきてくれることへの期待、あるいは他の候補者の経歴・能力などが低いとの判断からだろうか。

 いまの首長選挙には、企業の中枢で働く優秀な人材が立候補することはまずない。立候補して選挙で落ちたら、また企業に戻れるという仕組みがあれば、官僚出身者ばかりが首長になる弊害を改めることができるのではないか。大企業がそういう制度をとりいれたら、日本の地方政治もレベルアップするように思う。 

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2011年4月20日 (水)

小野善康氏が災害復興制度の確立を提案

 経済学者の小野善康氏が19日、日本記者クラブで会見し、東日本大震災からの復興策について、「きょうは好き勝手を言いたい。私はこういうことを主張している」と前口上を述べたうえで、「今回の経験を踏まえ、きちっとした災害復興制度の確立を」と提案した。

 日本は国土のどこにいても大規模災害に直面する可能性がある。したがって、大規模な災害に対して自己責任で立ち向かうのではなく、全国民が被害総額に応じて負担する復興制度をあらかじめつくっておき、大災害が発生したら、すぐ、その復興制度が動き出すような体制にしておくべきだというのが小野氏の提案である。

 小野氏が予め復興制度をつくっておくようにと主張するのは、大災害が起きたとき、復興をめざしての対応が遅れると、復興が格段に困難になるからでもある。遅れると、復興してもそのレベルが低いし、期間もかかるという。また、復興のための財源については、時限的な復興税を、と小野氏は言う。具体的には消費税なり所得税の増税ということになるが、これは税の形をとった統一的義援金でもあるという。

 日本経済には30兆~50兆円の生産余力がある。他方、東日本大震災の復興事業費はおおよそ30兆~40兆円である。したがって、時限的な独立組織を設け、各省・自治体を糾合した形で復興に取り組む。また、非被災地が「バイ(buy)東北」を進めれば、おカネは回って長期安定的に雇用や所得を生む。義援金だと一時的なものにとどまり、雇用につながりにくいという。

 小野氏が配布した資料によると、2011~20年度の復興事業費は総額36.7兆円(うち国の負担は14.7兆円)で、国の負担分のみを捻出するのには、消費税なら5年間、1.5%上乗せするというもの。期限が来たら、消費税の上乗せ分は撤廃する。現在、被災地から消費税を取るのはおかしいとして消費税引き上げに反対の意見があるが、それに対しては「被災地から取っても、非被災地からたくさん(復興のために)カネを送るのだから問題はない」と批判した。

 ただ、あしたから増税というのは現実的に無理。したがって、まずは復興国債を、そして消費税に切り替えるというのはやむをえないが、次の大震災からは、財源確保のため、すぐに消費税引き上げなどが発動できるようにしておくように、と小野氏は語った。

 かねて、小野氏は、日本経済には大幅な供給余力があり、これを使う、つまり需要を増やすことでデフレから脱却できるという意見を唱えてきた。このため、“自粛”で消費などが減るのは非常に問題だと考えている。いまは、政府が十分に資金手当てし、復興対策を急ぐべきであり、復興に使ったカネは雇用を所得を生み、景気にプラスになると指摘する。 

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2011年4月13日 (水)

「復興一般と原発災害とは指揮命令系統を分けよ」(石原信雄氏)

 阪神淡路大震災当時を含め、長らく政府の官房副長官(事務)を務めた石原信雄氏が13日、日本記者クラブの会見で、今次の災害に対する政府の取り組みについて私見を述べた。

 (官僚の使い方):重要な政策を決定するのは政治家であるが、実行するのは官僚である。よりよい政策決定をするためにも、官僚の意見を決定過程で聞くべきだ。いまはよほどのことでないと、首相官邸に各省の幹部が呼ばれることがない。最初から官僚を遠ざけるのはよくない。

 (復興プラン):時間の勝負だから、総理、関係閣僚は最終的な方針をスピーディーに決めてほしい。阪神淡路大震災では、希望の持てる復興を心がけた。今回は、過去に準備した措置では対応できない。被災者らの不安を払しょくできる大胆な復興ビジョンを示す必要がある。復興計画は都道府県でつくることになろう。実施主体は地域の責任者である都道府県ないし市町村だ。いまの段階ではそれしかない。復興構想会議のメンバーに実務経験者がいないことに不安を感じる。

 (財源):国の財政は危機的だから、すべてを公債に頼るわけにはいかない。既定予算を大胆に振り替える必要がある。国民的危機だから、メンツとか立場にこだわってはならない。増税も前向きに検討すべきだ。これは避けて通れないし、国民の理解を得られるのではないか。

 (責任体制):阪神淡路のとき、初動体制が遅れた。しかし、そのあとの村山内閣はよかった。小里大臣を任命し、現地に駐在した同大臣の判断にすべて任せた。あとは村山総理が責任をとると明言した。今回は津波災害などからの復興一般と原発災害との責任者は分けるべきだ。つまり指揮命令系統を2つに分ける必要がある。

 (土地の私有権の制限):復興に際して、農家などの土地所有にこだわったら何もできない。大胆な発想でやらないと、抜本的な対策にならない。本人の同意がなくても、大部分の人(所有者)が抜本的な対策に賛成なときは、個人の所有権制限は許されるのではないか。

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2011年4月12日 (火)

復興構想会議が政治主導なの?

 菅政権は東日本被災地の復興ビジョンをつくるため「復興構想会議」を4月11日に設立した。五百旗頭真防衛大学校長を議長とし、学者、知事らから成る。14日に初会合を開催し、6月末までに提言をまとめる予定という。実際には部会を設け、専門家の知見をもとに復興ビジョンをまとめることになりそうだ。

 しかし、この復興構想会議には大いに疑問を抱く。復旧ではなく、復興を、といわれる。そうであれば、被災地をどのように復興するかを菅政権自ら構想して、政治主導で実現に邁進するのが当たり前ではないか。もちろん、地域の賛同を得ないと、実現は難しいが、まずは中央政府が大方針を打ち出さねば、ことは始まらない。会議で出てくる結論を受けて、その実行に着手するというのでは、政治家の存在価値はない。

 これに関連して言えば、菅首相ら政府首脳たちは、巨大地震から1ヵ月になるのに、どう復興するか、の構想を国民に全く語って来なかった。これでは被災者や国民が不安にかられるのは当たり前だ。福島原発の危機が収まらないという問題はあるが、地震・津波で壊滅した三陸などでは、復興の道筋を政府が明示するのをいまかいまかと待っているに違いない。

 いま1つの疑問は次の点だ。復興構想会議は6月末までに提言をまとめるという。3.11から数えて3ヵ月半ちょっと先にまとまるという話である。それも提言が出来上がるというにすぎない。それを受けて、政府としてどうするのか。政府内からも必ず異論が出るし、被災地の首長らからも反対意見などが出るだろう。そのとき、菅首相らは復興構想会議の提案にすぎないとして、ビジョンの修正や撤回も容易に想像しうる。“会議は踊る”で、ビジョンなき復興になる公算は大きいのではないかと思う。

 菅首相ら政権与党のリーダーが信念や理念に基づいて、必死に日本国の建て直しに取り組めば、反対勢力を押し切ることは十分可能だ。しかし、復興構想会議が議論してつくったビジョンでは、何が何でも政治家生命を賭けてということにはなるまい。

 国難に直面して、国民にその打開のための道筋をきちんと語ることのできない総理大臣は即刻、退かねばならない。与野党ともに、この一点では合致するだろう。

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2011年4月11日 (月)

巨大地震から1ヵ月、不安は続く

 東日本の巨大地震が起きてから満1ヵ月。東京にいても、頻繁に起きる余震、そして福島原発の危機のため、心は安らがない。非業の死を遂げた万を超える人々、避難所などで先の展望が得られないままに日々を過ごしている被災者のことを思うと、まだ、日本中が喪に服しているような思いにとらわれる。

 福島原発の現場で懸命に冷却機能を回復しようと日夜苦闘している人たち、途切れたサプライチェーンを何とかつなげようと必死に努力している企業および働く人たち‥‥。第一線で奮闘している人々が安らげる日はいつのことか。いまこそ、国や県などの出番である。なんとか会議もいいけれど、国のリーダーは自分の言葉で、この国難を突破して日本が再起を図る道筋を国民にはっきりと示さねばならない。

 「どこの国でも、被害地震が起こった直後には爆発的な熱意と政治的支援によって、将来の震災予知と震災軽減に対する努力が続けられる。しかし、震災の日から時間が経つに連れ、半減期1年程度の減衰曲線を描いて活動度は低下するという。」(酒井治孝著『地球学入門』)。地震国、日本では、関東地震や東海地震が遠からず起きるといわれているのだから、それらへの備えをすぐに点検し、足りないところは急ぎ対応に着手すべきである。知事選で四選された石原東京都知事は震災対策をやると言ったが、それは的を射ている。

 ところで、4月10日の統一地方選挙では、知事選で中央官庁出身者が多く当選した。官僚が知事や市長を目指す傾向は近年、とみに強まった。国家公務員の天下りに対する批判が強まり、退官後、特殊法人や独立行政法人などの幹部になることが難しくなった。企業への許認可権が減り、企業への押し付け的な天下りも減った。また、民主党政権の「政治主導」なるもので、官僚の仕事の意義や誇りがおとしめられた。そんなこんなのため、地方自治体の首長を目指す官僚が増えている。

 これには、地方分権とか地域主権などといわれるように、知事や市長などが霞が関詣でから地域経営に比重を移す時代になっており、首長の仕事のやりがいが増したという事情も働いている。

 とはいえ、地域のことはできるだけ地域でという流れにあるのに、地域のことに疎い、中央政府の官僚出身者を地域住民が首長に選ぶというのは、いかにも皮肉な現象である。中央につながりがある人がいい、一流大学を卒業した人がいい、などということで選んでいるのだろうか。地域で活躍する人は地域の事情に精通してはいるが、地域住民にしてみれば、中央とのつながりが乏しいとか、視野が狭いということなのか。

 地方議会は従来、首長の言うことに右ならえするばかりだった。それが自治体政府の地域経営を駄目にしていた。議会が独自の存在価値を発揮し、首長を厳しくきたえるような存在になると、天下り首長の跋扈はおさまるだろう。そのためには、地方議会にもっとすぐれた人材が入り込まねばならない。企業の休職制度などを変えて、民間から多彩な人材が立候補できるような仕組みをつくる必要がある。

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2011年4月 7日 (木)

識者は予見していた?

 文藝春秋4月号は「これが私たちの望んだ日本なのか」という特集をした。「この国を変える警世の紙つぶて125個」というキャッチフレーズを付けて、「日本の叡智125人」の意見を載せている。発売直後に3.11が起きたため、読む気がしなかったが、いまになって読んでみると、125人の意見のそれぞれの見出しのうち、大震災のあとにもぴったりな見出しが多いのに驚いた。

 佐野眞一:「末期を迎えたコソ泥政党」   佐藤優:「魚は頭から腐る」  山川静夫:「国家の「タガ」  久石譲:「落ちるところまで落ちるしかない」  川淵三郎:「煮えたぎる怒り」   吉本隆明:「理念がないからダメになる」  武村正義:「いまのままではこの国は滅ぶ」

 手嶋龍一:「日本の病根は深い」   西木正明:「日本はなぜ五里霧中状態にあるのか」  伊東四朗:「祭りのあと? あとの祭り?」  鹿島茂:「面倒くさが、問題先送りの末路」」  猪瀬直樹:「日本人は大きな曲がり角に弱い」 

 中村うさぎ:「『制御不能の怪物』に首輪を」   宮脇昭:「未来に残すべきは札束や株券ではない」   鎌田實:「ガラガラポンが必要」   井上章一:「没落をおそれることはない」   立花隆:「みんな自力で生き抜くほかない」   外山滋比古:「自立自尊の精神を養え」  加藤紘一:「『悩みの先進国』となれ」    小熊英二:「新しい国民的合意を作るべき時が来ている」  安藤忠雄:「一致団結して国難を救え」   寺脇研:「未来は暗くない」   柳田邦男:「命を大事にする国を」   松本紘:「今こそ求められる日本人の知恵」 

 地震・津波や原発危機に遭遇して、識者の指摘が的を射ていたことが裏付けられたと言えるように思う。

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地震、津波、原発危機、風評被害

 衆議院議員の吉野正芳氏(福島県、自民党)が6日の記者会見で風評被害を第4の被害と呼び、いわき市がそれでひどい目に遭っていると語った。いわきナンバーのトラックは入ってくるなとよそで追い返されたり、いわき市で縫製した服は買わないと言われて縫製会社が解散したとか、自動車解体業者が鉄スクラップは放射線量を検査したものでないと買わないといわれたりしたとか、いくつか被害例を挙げた。

 日本は原発大国(?)だし、国民の教育レベルが高いので、放射能汚染に関する理解度はもう少し高いと思っていたが、そうではなかった。

 これでは、外国が放射能被曝を懸念し、日本からの食品等の輸入を規制する動きに出ても、反論はできない。もしも輸出で外貨をかせぐこともままならないとなったら、日本経済は順調に回らなくなるだろう。直近の円安傾向を輸出産業にプラスと受け取るのは誤りで、日本の輸出にかかる暗雲を反映していると解釈すべきかもしれない。そうだとすれば、容易ならぬ事態である。

 数日前に増子輝彦参議院議員(福島県、民主党)が会見したときもそうだったが、吉野氏も政治の強いリーダーシップが欠如している点を強調した。菅政権はやたら○○会議とやらをつくり、指令塔がどこにあるのかがはっきりしない。それに官僚も振り回されている。しかも大臣ら政務3役の中にも基本的な知識すら欠いている不適格者がいるようだ。こうなってくると、人災である。

 予算関連法案や補正予算の問題があり、大連立の構想が報じられているが、いかにも動きがのろい。菅首相も民主党議員も、まだ自らの保身、政権の座に居続けることが先に立っているようにみえる。国のため、国民のためには自分はどうなってもいい、という覚悟があるとは思えないのである。

 原発の危機がどういう結末を見るのか。国民はどういう可能性があるのか知らされていない。また、避難所暮らしの被災者はいつ、元の暮らしに戻れるかなどの展望が見えないことに不安を抱いている。それらに対して、菅首相らはきちんと説明し、安心してもらうまで手立てを尽くすべきである。そして、がれき除去や道路の復興など緊急的なインフラ整備は当然として、中長期にわたる日本再生のデザインを1日も早く国民に示していく必要がある。

 小宮山宏三菱総合研究所理事長らが6日、『日本の地域「新生」ビジョン』を発表、菅首相にも直接、説明した。日本の抱える諸課題や限界を白日のもとにさらす結果となった大震災を教訓に、「私たちの固定観念や社会の仕組みを大きく変えなければ、快適で希望の持てる新しい地域を復興し、創り上げていくことが難しい」という基本的なスタンスは正しい。

 記者会見で、小宮山氏は昨年、「プラチナ構想ネットワーク」で打ち出した内容をビジョンに生かしたと述べた。地球温暖化、高齢化、および需要不足とデフレの3つの難問を、日本のすぐれた技術・サービス制度を組み合わせて解決し、それを通じて新産業と雇用を創造する。それを世界に先駆けて実現すれば、日本は課題解決先進国となるというものだ。法制度のような各論にまでは立ちいたっていないが、こうしたビジョン、提案を各分野から提案していく先駆けとして評価したい。

 バブル崩壊後の20年、日本経済は低迷を続けてきた。デフレ脱却のめどもつかず、民主党政権のもとで財政危機に拍車がかかっている。そこに大震災が襲い、原発破壊まで起き、計画停電も始まった。そうした一連の苦難に直面して、これらを単なる偶然とは思わない国民が少なからずいるのではないだろうか。そして、ここから立ち上がり再生できるか否か、日本の興亡いずれかの大きな分かれ目である。

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2011年4月 2日 (土)

地震短期予知の研究

 新聞社で働いていたころ、科学技術担当の記者から、地震の予知は不可能だという話を聞いた。数日中に起きる可能性が高いとか、1ヵ月以内に‥‥とかといった短期の予知は現在の科学技術では無理だということだった。だから、防災、減災が重要だと言われた。今回の大震災に遭ったときも、現代の科学技術ではやっぱり予知はできないのだなと自分で納得していた。

 しかし、東日本大地震の前日に発売になった雑誌「中央公論」4月号に「どうする! 日本の地震予知」という上田誠也東大名誉教授の論文が載っている。副題に「実現可能なのに、なぜ政府は目を背けるのか」とある。今回の地震・津波のあとで、この論文を読んで、実は短期の予知可能性が現実味を帯びてきていることを知った。

 上田論文によれば、いつ、どこで、どの大きさの地震が起きるか、を予知するには、前兆現象を徹底的に研究し、それを実際に検知しなければならない。それには、大地に蓄積する歪みの増大を監視するのが正道だという。ギリシャでは、電磁気的前兆をもとにした短期予知の方法を創始し、予知の成果があがっているという。

 わが国では従来、地震観測に多大な予算と人員とを投入しているが、短期予知については東海地震を対象としているだけ。したがって、それ以外は、いくら観測に力を入れても、予知にはつながらない。このため、同論文は観測のための予算および人員の1%でも短期予知に投じたらどうか、と提案している。「学問的には短期予知は射程内にある‥‥」と述べる上田氏は2、3の大学に地震予知部門を創設するよう提案している。

 同論文によると、日本の地震学会の代議員会では、地震予知の研究予算を国に求めようとの会員からの提言に対し、猛反対の発言が圧倒的だったと記している。国が、短期予測は不可能との方針をすでに打ち出していたからのようだが、上田論文によれば、米国が不可能と判断しているのを別にして、ロシア、中国、ギリシャ、イタリア、フランスなどは短期予知の研究をしている。そうだとすると、日本の学界は、学問・研究の目的や意義をはき違えているのかな、と思ったりもする。

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