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2011年5月31日 (火)

ドイツ以上に速い? 日本の脱原発

 佐賀県の古川康知事が30日、日本記者クラブで会見し、原発を抱える県の知事の苦悩を吐露した。彼が用意した資料のうち「このままでは、次々と原子力発電所が止まっていくことになる。」と題したグラフが目をひいた。

 「原発の定期検査により、原発の発電電力量は減少していくことになる」と指摘。具体的にはことし5月は、認可出力が1724.7万kWだが、月を経るごとに少なくなり、来年3月には175.4万kWになるという。これは、私の理解では、日本中で稼働している原発が、1年弱のうちに約2基になってしまうということである。日本にある原発は全部で54基だが、そのうち52基程度は止まったままということになる。これは事実上の脱原発ではないか。

 ドイツの連立与党は30日、17基ある原発を順次止めていき、遅くとも2022年までに国内の原発による発電をゼロにする脱原発を実現することで合意した。同国も、福島原発の事故を機に一時停止した運転開始後30年以上の原発7基は、原則として運転再開は認めないなど、およそ半数の脱原発を実現している。ドイツもすごいが、私見では、日本はなしくずし的ながら、ドイツよりもはるかに早く脱原発を達成することになる。その理由を以下に。

 日本の原発がたくさん止まっている理由の1つは、毎年、定期検査を実施しなければならないことである。期間は3カ月といわれるが、実績はそれよりもはるかに長い。すなわち、約1年運転してから検査のため休止するが、その期間は短くて3カ月、長いと1年半ぐらいにもなる。

 第2に、電力会社は運転再開ができる状態にスタンバイしても、政府や地元自治体からOKがなかなか出ない。事故の類いの情報が公けになると、政府も自治体も、ほとぼりがさめるまで運転再開を認めない。

 電力会社はそうした状況がよくわかるので、事故情報などをひた隠しに隠そうとする。それがまた政府や地元の心証を悪くし、運転再開をなかなか認めない。そういう悪循環も働いている。

 古川知事が示した「全国の原子力発電所の運転状況」によると、5月24日現在、日本で運転中の原発は19基、停止中は35基となっている。そして、運転中の19基は確実におよそ1年以内にすべて定期検査のために停止する。では、停止中の35基は運転再開できるのか。福島第一原発1~4号機は廃炉が決まっている。

 残る31基の中には、定期検査をほぼ終えて、いつでも運転開始できるものがいくつかあるが、地元自治体は、津波対策を実施すれば安全なのか、福島原発は地震で損傷したのではないか、などの疑問を抱いている。そうした疑問があるため、地域住民の意向も考慮する必要がある。というわけで、自治体のほうは、浜岡原発以外は大丈夫という政府の考えには納得していない。したがって、定期検査で止まっている原発の再開はきわめて難しい。そうであれば、日本の脱原発は1年ぐらいで実現する。

 電源別の発電割合をみると、原発が29%を占める。新エネルギー等は1%にすぎない。それで原発が事実上ゼロになったら、節約などを考慮しても、供給力が不足する可能性が大きい。では、どうするのか。原発を動かして電気を供給してほしい、という住民の声が強くなるまで、自治体としては運開にOKを出しにくいだろう。古川知事の話を聞いて、以上のようなことを思った。 

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2011年5月28日 (土)

医療費などの効率化に関する櫻井財務副大臣の考え

 国の社会保障費は図抜けて大きいうえに、毎年1兆円以上増えている。したがって、民主党政権が唱える社会保障と税の一体改革を行なう場合には、社会保障費の効率化が必要不可欠である。その点について、内科医出身で、現在、財務副大臣の櫻井充氏(参議院議員)が26日の記者会見で述べているので、紹介しよう。

 医療も介護も、効率化はサービスを提供する側だけではやれない。例えば、夜泣きがやまないからといって、子供を病院に連れてくる親がいる。親が自分で子供をきちんと育てれば、来ないのではないか。

 大学病院に入院すれば、入院基本料は高い。わざわざ大学病院まで行かなくてもいいような患者さんが大学病院に入院すると、それだけ医療費の増加につながる。

 介護も、一時期、問題になったが、介護を受ける権利が発生するから、とにかく介護を受けたほうが得ですよといって、家事援助のようなところが膨らんだことがある。制度上の問題を含め、こういったことを1つ1つ改めていく必要があるのではないか。

 個人的な考えを言わせてもらうと、年金の給付額が生涯、ほぼ一定額でいいのかどうか。例えば、要介護度5になって寝たきりになったら、仮に、月に20万円とか30万円とか高額の年金を受け取っている方は、本当にこの年金を使えるだろうか。介護費用に使うことはあっても、自分の生活費はほとんど発生しないので、結果的には貯蓄されることになるのではないか。

 医療費、介護費用、それから年金をある種セットに考えたら、効率化が図れるのではないか。事務方にも、そうした話をして、一応検討はしている。

 ――以上は櫻井副大臣の話。

 高齢化で社会保障費が増えるのはよくわかるが、増える理由の1つは、社会保障を手厚くすればするほど、良い社会になるという思い込みだ。自己負担を少なくし、公的負担の割合を増やすほど、実は社会保障の濫費がひどくなる。例えば、裕福な自治体は子供の医療費をタダにしている。そうすると、子供に微熱があるとか、コホンコホンと咳したというと、親はすぐ医者のところにつれていく。(それには、保育所で預かってもらえないと親が困るという事情もあるが、やたら薬を飲ませるのは健康にはよろしくない。)

 自己負担の割合がゼロとか1割とか、極端に少なくなると、患者が増え、医者は繁盛する。介護にしても、自己負担の割合を相当低くすれば、介護サービスの需要が増える。事業者が利用を歓誘することもある。そのツケは働いている現役の人たちの負担になる。国の負担があるというが、それも所得があり、税金(将来の税負担を含む)を払う人たちが結局負担することになる。

 いまの社会保障制度は、関連する事業・ビジネスを太らせ、財政危機に拍車をかける面が多々ある。そして、自力でがんばろうとする国民の意欲を妨げるものとなっている。櫻井副大臣の発言通り、効率化の余地は多々ある。それに本気で取り組まなければ、財政は破綻に向かう。 

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2011年5月27日 (金)

中国では公害の深刻化でガン死が増加

 レスター・R・ブラウンのアース・ポリシー研究所が25日に発表した「中国ではガンがいまや最大の死因」というリポートは、経済発展を優先し、大気や水の汚染を放置して国民の健康を害している中国の実態を紹介している。

 貧しい国では感染症と子供の死亡率が高いが、今日の中国は肺ガンなどのガンや、心臓病による死亡率が高いという。そのわけは、工業を中心とする爆発的な経済成長で、豊かになったものの、大気や水が汚染され、人々はその汚染された空気を吸ったり、水を飲んだりしているからだという。

 中国では石炭が主要なエネルギー源であり、石炭火力などの排ガスには亜硫酸ガスや、水銀、鉛、カドミウム、放射性物質などの有害物質が含まれている。上海などもそうだが、スモッグで太陽がかすみ、酸性雨が降るところが多い。また、石炭灰は固体廃棄物のナンバーワンだが、処理処分せず積んでいるだけだから、風で飛散する。

 また、鉱山や工場の排水が垂れ流され、そこに含まれた有害物質が河や湖を汚染し、地下水をも汚染している。そうした地域では、地下水であっても飲み水には使えないし、また、処理場で処理しても飲めないという。しかし、他にないので、生活するうえでやむをえず使っているような状態である。

 リポートによれば、中国には“ガン村”(cancer villages)といわれるものが450以上あるという。そこでは人口当たりの死亡率よりも誕生率のほうが低い。さらに、障害を持って生まれた赤ちゃんの割合が近年、急速に上昇しているそうだ。

 こうした死亡率などの数値を公けにすると、機密漏えいで処罰されるため、実態は隠ぺいされている。とはいえ、ガンにかかる住民が多かったり、一人っ子政策のもとで、たった一人のわが子が悲しい目にあったりすれば、住民の怒りは大きくなる。そのため、住民の抗議で工場などを閉鎖することもあるが、コミュニティのほうをよそに移すような措置がとられることもあるという。

 そうした汚染地域で生産された農産物には有毒な物質が含まれているが、実態は隠ぺいされたままなので、汚染有害農産物が他地域や外国に売られることもあるとのこと。

 以上、リポートの一部を紹介したが、民主主義国家、日本では、有害情報を開示するのは当たり前だ。放射能汚染の疑いがあるというので、各地で測定し、食物などの安全性を確かめている。しかし、中国は、法律上の規定はあっても、重金属その他の有害な物質による国民の健康への影響よりも、工業発展を優先している、というのが、このリポートのポイントだ。民主主義国家なら国民のチェックが入るのだが‥‥。

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2011年5月22日 (日)

子供の頃に憧れたアラカンの「聞書」を読んだ

 小学校から中学校の頃、チャンバラ映画をちょくちょく見た。特に好きだったのが嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」と「むっつり右門」である。それからずっと長い間見ることもなかったが、10年近く前に、どこかの食堂のテレビに映っている「右門」をちらっと見かけた。でも、テンポがまだるっこく感じたことをはっきり覚えている。

 最近、『聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』(嵐寛寿郎 竹中 労)(1976年、白川書院)を読んだ。オラル・ヒストリーとしてすぐれているそうだし、かつて夢中になったアラカンの話なので、図書館から借りてきた。サイレント映画の時代からトーキー、さらにカラー映画‥‥に、昭和2年(1927年)のデビューから、日本の軍国主義化、大陸侵略、太平洋戦争、そして敗戦、米軍占領下‥‥という時代変遷、そして映画会社の興亡、再編成‥‥。そうした中をずっとスターとして、ときには独立プロのオーナーとして生き抜いたアラカンの回顧談は実におもしろかった。何度も声を出して笑ってしまう本を読んだのは、いつ以来だろうか。

 以下、紹介するのは、同書で、印象が強かった部分の一部である。

 歌舞伎の世界から離れ、活動写真の役者になった理由の1つは、大先代の仁左衛門がのちに片岡千恵蔵となる若手を稽古のとき叱って、真剣の峰でカツーンとなぐったことだという。「歌舞伎や古典やと偉そうにいうけれど、阿呆でも名門のセガレは出世がでける、才能があっても家系がなければ一生冷飯食わされる、こんな世界に何の未練もないと思うた。丁稚奉公とおなじや、ウソで塗りかためられた、徒弟制度の枠の中で、主人の顔色をうかがって、犬のようにエサをもらう生活は御免や、と。」、「当時、映画俳優は河原乞食のもう一つ下やった。」「軽ベツされても、大けな金を稼いで、何より主役をとって、思うさま生きたほうが、ナンボましか知れん。」。

 昭和17年(1942年)から20年(1945年)の半ばまで中国大陸と内地を往復する前線慰問の巡業をした。関東軍の司令部にはお茶屋があり、「タタミ敷きの日本座敷や、そこへ将校やらエライさんがきて、芸者とオメコしていく。」、「兵隊に苦労させて、自分らは戦費を使うて、芸者遊びですわ。こら戦争負けや、いやほんまにそう思うた。」、「戦争あきまへん、ワテは“反戦主義”だ。これは体験から出た。(中略)職業軍人ゆうたら、戦争中の特権階級や、とくに参謀部や恤兵部はあきまへんな。女部屋と結託してワイロとっとるんダ、‥‥」。

 「そら五十年も役者やってきて、胸を張っていえることなど、かけらもおまへんけどな。お客を楽しませてきた、これだけはまちがいのないことダ。鞍馬天狗やらむっつり右門、子どもだましを飽きもせいでと、エライさんはおっしゃるやろう。だが、それだけ長くつづいた、これはお客に支持されてきたからや、ちがいまっかいな?」。

 「批評家のセンセイ、試写室で映画みてま、観客の反応あらしまへん、それが間ちがいのもとだ。映画は大衆の娯楽でおます‥‥」。

 聞き取り役の竹中 労はアラカンを「これほど庶民に支持された英雄像は他にないのである。しかるに、アラカンは差別されてきた」。キネマ旬報誌のベストテンなどはアラカンの映画をほとんど取り上げることがなかった。美空ひばりもそうだが、「低俗の代名詞とされ、芸術文化の埒外に差別されてきた」。「批評家と称する連中には、芸能とは娯楽なのだという認識がみごとにぬけおちている。とりわけて映画批評家の場合に、そのコンプレックスはぬきがたい。」と厳しく映画批評家を糾弾する。

 そして、竹中は次のようにも指摘する。「いったい何が(今井正、黒沢明、山本薩夫などの)作家たちを戦争の讃美に純化させていったのか? 臨戦体制の下、“娯楽映画”無用論を唱えるほどイデオロギッシュだった人々は、戦後もまた民主主義体制の中で、最左翼に位置するのである。むしろ武士道の精神を鼓吹した、極右チャンバラ・スター嵐寛寿郎が、戦争映画に拒否反応をおこして、“非国民”と呼ばれたことは何を意味するのか? あの戦時下に、覚めていたのは知的エリートではなく、カツドウヤのえらいさんでもなく、軍隊(戦争)平等やおへんと、庶民大衆の眼で時世時節を見すえていたアラカンであった。」。

 同書の巻頭にはマキノ雅弘(談)の「世界一面白い(おもろい)本や」という文がある。それを一部引用すると、アラカンは「いじましい対抗意識がない、金銭に執着がない、下の者に対する差別がない。つまり、スターの持っている、嫌な自己顕示が一つもない、することなすこと謙虚で折目正しく、それでいて八方破れなんや。」、彼こそ「真の自由人やないか、も一つゆうたら人生の過激派やないか?」と。的を射ていると思った。 

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東電の純資産は1兆6千億円しかない

 東京電力が3月期決算を発表した。連結決算をみると、期末の総資産14兆7904億円と巨大な企業だが、純資産は1兆6025億円にすぎない。1年前は2兆5165億円あった。2011年3月期に1兆2473億円もの純損失を出したため、純資産が一挙に9千億円近く減ったことを示している。

 この純資産を1株当たりでみると972円である。現在の株価の3倍近い。この1株当たり純資産は2010年3月期末には1828円あったから、この1年で、一気に半分に減ったということになる。この純資産のサイドからみると、今回の決算並みの損失が2011年度(2011年4月~2012年3月)にも出れば、純資産はゼロに近くなるか債務超過になる。株価がそれを反映したら、株価はゼロに限りなく近づく。

 ところで、企業の資産の中には、大体、時価が簿価より高いという“含み益”が隠されている。東電は歴史のある会社だから、保有する土地や株式には相当の含み益がある。電力事業の遂行に必要不可欠でないものは処分するという方針にしたがえば、処分によって、「簿価プラス含み益」の資金を手にすることができる。

 発表された「経営合理化方針」によれば、厚生施設、有価証券、国内外の事業の売却で6000億円以上の資金確保を目指すという。問題は、それ以外に、電力事業遂行に必要不可欠でない資産がどれだけ残されているかだ。まったくの想像だが、6000億円には達しないのではないか。以上の資産処分で得られる資金は一回限りのものである。

 一方、「経営合理化方針」では、投資・費用の削減で5000億円以上を捻出するという。具体的には修繕費、システム・研究開発費、人件費などあらゆる費用の削減を実施する。こっちは毎年、その分だけ資金が手元に残る。

 以上に挙げたのは、東電が損害賠償に充てる資金として自らが捻出できるものだ。一方で、福島第一原発の安定化や原発縮小をカバーする火力発電のコストなどに要する費用が当面、年間に数千億円ないし1兆円はかかるだろう。したがって、電力料金を据え置いたままでは、損害賠償に必要な資金を東電の自己努力で賄うことができるか疑わしい。賠償額は多くても1兆円に達しないという話をする人もいるが、賠償額がもっと大きくなれば、東電は欠損累積で事業遂行が困難に陥る。

 欠損続きになっても、従来なら、金融機関が救済融資に応じてくれた。だが、枝野官房長官が「貸し手責任」を言って、金融機関にまで損害賠償負担を求めるようになっているから、金融機関が追加融資に応じる可能性は乏しい。

 したがって、政府が計画している「機構」から資金を調達するという話になるのだろうが、その資金は返済せねばならないことになっている。不確定な要素が多いので、いまの時点で断定的なものの言い方をするわけにはいかないが、電力料金を上げないままで、東電が損害賠償を完遂するというのは無理があるように思える。菅政権は東電に全ての責任をおっかぶせようとしているが、いずれ、どこかで、その無理が表面化するのではないか。

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2011年5月18日 (水)

いまになって原発は危ないという本が売れる

 東京駅近くの大きな書店に入ったら、一番目につくところに、いかに原発が危険かを説いた本がいくつも山積みになっていた。いま、最も売れ筋らしい。緊急出版というわけだが、かつて出版した本を、あとがきなど一部を書き換えて改訂版として出版したものもある。

 日本に原発をつくるのは危険だと警告した書物は過去に何冊も世に出た。しかし、どの本も大して売れなかったし、読まれなかった。原発批判はメディアでも少なかった。そのわけは、原子力の平和利用ということで、米英仏など先進諸国が積極的に原子力発電をとりいれ、日本もそれに追随したにすぎなかったからだろう。

 第二次世界大戦後、日本は高度経済成長をとげたが、基本的には先進工業国へのキャッチアップだった。原発も同様。輸入から国産へとシフトした。そして、たくさんの原発を設置した日本の電力会社では、故障や事故がほとんどなく、一時期、稼働率が欧米よりも高かった。それで、電力会社は技術レベルが欧米より上だと自慢したこともある。そんなおごりが原発のリスクをとことん突き詰めるのを怠る要因の一つになったのだろう。石油依存からの脱却という大義名分もあり、日本の国民も原発推進にほとんど不安を抱かなかった。

 過疎地に原発を設置し、その地域に莫大なカネが落ちるという仕組みも、原発への抵抗感をなくした。原発は地域振興の役割を担ったとも言える。そこでは、原発が安全であることは当然であり、電力会社のほうも、既設原発の運転や新規原発の建設を容易にするため、なるべくリスクの存在に目を向けないようにしていた。

 ところで、電力会社の原発推進は国策そのもの。エネルギー政策、環境政策、安全保障政策などと密接不可分である。また、経済産業省資源エネルギー庁や内閣府、文部科学省の監督下にあり、公益事業としても政府の規制を受ける。景気政策の一翼も担わされた。したがって、民間企業としての経営の自由度は低い。何かと政府のしばりを受けるし、天下りも当然多い。所管官庁の役人が勝手に飲み食いしたツケを電力業界に回すなどということもごく普通に行なわれていた時期もある。官僚が電力会社の人間をあごで使い、電力会社のほうは官庁を隠れ蓑にしたりしてきた面がある。

 したがって、原子力発電で大きな事故などが起きたとき、電力会社だけが悪者になって責任をすべて背負うというのはおかしい。政府の責任もきわめて大きい。今回の放射能汚染に対する損害賠償においても、政府(原子力安全委員会などを含む)が共同で担うのが妥当だ。民主党政府の賠償案では、政府の責任回避の色合いが濃い。貸し手責任を理由に金融機関に負担を求めるというのも同様。いかにも役人の発想らしい。菅内閣の建前は政治主導(政治家主導?)かもしれないが、政府の責任回避が歴然とした賠償案を決めたのは官主導に乗っかっているのと同じではないか。罪、万死に値する東京電力が政府に抵抗できないからといって、それはひどすぎる。

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2011年5月12日 (木)

浜岡原発の停止の必要性

 菅直人総理大臣の要請に応じて、中部電力は浜岡原子力発電所を全面的に停止することにした。浜岡原発については、かねて東海大地震が近い将来に確実に起きるといわれているから、十分な津波対策を終えるまで運転を止めてほしいというのはなんとなくわかるような気がする。

 だが、よく考えてみると、納得できないことがある。第1に、浜岡原発のストップを訴えてきた人たちの主張は、大まかに言うと、①浜岡は巨大な断層の上にあり、巨大地震にもろい、②東海大地震が間近い、という2点である。もし、この理屈に従えば、津波対策で高いブロックを設けたとしても、2つのリスクは残る。①のリスクを重視するなら、浜岡原発の閉鎖が適切な解であろう。それとも、政府は、地震による原子炉破壊などというリスクを考慮する必要がないほど浜岡原発の耐震性が高いと判断しているのだろうか。それなら、その根拠を明示してほしい。

 第2に、原発の安全性は「止める、冷やす、閉じ込める」の3つをきちんと実現することだという。浜岡は全基を止めることになるが、使用ずみ核燃料を冷却プールに置くのなら、冷却を続けなければならない。したがって、この冷却機能を保持するためには、福島第一原発のように外部電源や非常用発電機がストップするような事態が絶対に(近いほど)起きないように補強工事を行なわねばならない。この使用ずみ核燃料の扱いについて、政府も、中部電力もなぜか触れていない。

 以上から言えるのは、政府、中電とも、津波対策が不十分だから、それをやり終えるまでは原発の運転をやめようと合意したということである。大きな断層の上にあり、危険だということで浜岡の廃止を求める声はしりぞけられた。

 しかし、政府の意向が、「浜岡は津波対策が不十分だから、その対策を終えるまで原発を止める」ということだとすると、全国各地にある原発すべてについて、同様の対応が求められることになりかねない。原発周辺の住民や自治体は、大丈夫かと不安を抱いているからだ。

 こうした不安に対して、浜岡と違い、ほかは大地震の起きる確率が低いから、津波対策の強化は要らないということにはならない。東北の沖合で今回のような超巨大地震が近い将来に起きるという予測を立てていた学者・専門家がいなかったように、地震の発生を予測する科学は、大して進んでいないからである。いつ、大きな地震、そして津波が起きるかもしれないとの住民の不安を「ナンセンス」と否定し去ることは難しい。

 

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2011年5月11日 (水)

国の国債・借入金残高は1年前より41兆円多い

 財務省が5月10日に発表した3月末現在の国債および借入金の残高は924兆円(未満切り捨て、以下同じ)に達した。1年前に比べ41兆円増えた。このほか、政府保証債務の残高が44兆円ある。

 内国債の残高は758兆円(うち普通国債636兆円)で、1年前より38兆円(同42兆円)も多い。

 国債および借入金の残高は2005年12月末に813兆円と、初めて800兆円台に乗せた。そして2010年6月末に904兆円に達し、900兆円台に乗せた。その間、2008年3月末の849兆円から、同年6月末、848兆円、同年9月末、843兆円へといくらか減る時期もあり、2009年3月末でも846兆円とほぼ横ばいが続いた。

 しかし、2009年12月末以降、増加の傾向がはっきり。民主党政権が誕生してから以降、国債・借入金の残高が顕著に増えている。いまのペースで増えていったら、国債・借入金残高は2年足らずのうちに1000兆円の大台に乗る。ぞっとする規模の借金である。

 国の第1次補正予算では、財政悪化を意識して、無理なやりくりをした。災害復興を主眼に組む第2次補正予算は規模が大きいので、予算見直しだけでは財源を確保できない。増税を言い出しても、即、歳入増につながりにくいので、とりあえずは国債を増発する可能性が大きい。その結果、財政破綻に大きく近づく。

 いまだに、ばら撒き的な歳出をやめず、かつ増税を避けようとする政治家が少なからずいる。政権政党である民主党がそうした無責任な政治家の主張を断固しりぞけて、破綻一歩手前の状態にある日本財政の建て直しに真剣に取り組むことを強く願う。

 危機は突然、訪れる。その予兆は少なからずあるが、いやなものは見たがらないため、「想定外」の出来事のように思うだけだ。国の“借金”が積み上がって起きる財政破綻は、地震などと違って、誰だって容易に「想定可能」なタイプの危機である。

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2011年5月 8日 (日)

前福島県知事が著書『知事抹殺』で述べた原発問題

 1988~2006年、福島県知事だった佐藤栄佐久氏が2009年9月に出版した『知事抹殺――つくられた福島県汚職事件』は、東京電力福島第一、第二原子力発電所をめぐる問題にかなりのページを割いている。そこには、今度の原発危機が想定外とは言い難いような経緯があったことが指摘されている。

 ――「原発政策は国会議員さえタッチできない内閣の専権事項、つまり政府の決めることで、その意を受けた原子力委員会の力が大きいということだった。そして、原子力委員会の実態は、霞が関ががっちり握っている。すなわち、原発政策は、立地している自治体にはまったく手が出せない問題だということが、私の在任中に起きた数々の事故、そしてその処理にともなう情報の隠ぺいでよくわかった。」

 1989年の事故で、『強烈な教訓として残ったのは、「国策である原子力発電の第一当事者であるべき国は、安全対策に何の主導権もとらない」という「完全無責任体制」だった。』

 『「原発の後の地域振興は原発で」という要望が地元から出てきたということは、運転を始めて約20年、原発が根本的な地域振興のためになっていなかったことの証明だった。「30~40年単位で考えると、また新しく原発をつくらないとやっていけなくなるということなのか。これでは麻薬中毒者が「もっとクスリをくれ」と言っているのと同じではないか。』、「2008年、双葉町は福島県内で財政状態が一番悪い自治体となってしまい‥‥」

 『知事に就任して12年、否応なしに原発と付き合ってきたが、同じ方向しか見ず、身内意識に凝り固まる原子力技術者だけでは安全性は確保できないこともわかってきた。東京電力や経産省を含めた「原子力ムラの論理」に付き合わされて振り回された反省にも立って‥‥』、『制御できないという意味において、地元にとって原発は巨大モンスターである。』

 エネルギー政策を福島県として見直す検討委員会で、村上陽一郎氏は『「有り得ないことが次々と起きる」ということは、「起こるべくして起きている」のと同じ意味なのだ』と強調。米本昌平氏は「霞が関にすべてを任せておけば良いとする風土や考え方」を「構造化されたパターナリズム」と名付け、『原子力政策は国策だから安心だと思っていると、実は核物質をバケツでかき混ぜていた、という「報い」になって返ってくる』と言った。

 1999年の東海村JCO臨界事故を教訓に内部告発を奨励する制度がつくられ、2000年に検査記録の改ざんを告発する初の文書が経産省の原子力安全・保安院に届いた。これに対し、保安院は本来すぐに立ち入り調査をすべきなのに、「よりによってその告発内容を、改ざん隠ぺいの当事者である東京電力に照会」した。さらに、「保安院は、告発者本人からの事情聴取を一度もしないまま、2000年12月、告発者の氏名などの資料を東電に渡すことまでしていた。」、「少なくとも国は国民サイドには立たず、国は産業と一体であったのは間違いない。」

 「経済産業省の中に、プルサーマルを推進する資源エネルギー庁と、安全を司る原子力安全・保安院が同居している。これまでわれわれは国に対し、“警官と泥棒が一緒になっている”ような、こうした体質を変えてくれと言い続けてきた。それに対して原子力委員会は、事務局である経産省の役人の書いたゼロ回答を送ってよこした。ここに問題の原因のすべてが凝縮されている。」

 2005年10月、原子力委員会は核燃料サイクル計画などを盛り込んだ原子力政策大綱を了承、さらに閣議で決定した。「しかし、責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走り切る決意でも固めたように思える。」(レミングとは、ネズミ科の小動物。餌が不足すると、集団自殺する、といわれるが、事実はそうではないとされる)

 原発反対の立場ではない佐藤氏は首長として、「事故情報を含む透明性の確保」と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の2点を追い求めた。それが政府の方針と真っ向から対立する理由だったのだろう。――

 『知事抹殺』の後半は佐藤氏が身に覚えのない建設汚職で逮捕、起訴され、一審で有罪判決(執行猶予つき)を受けるにいたる詳細な記録である。検察がストーリーを描き、それに無理やり当てはめて起訴するやりかたは、世間にかなり知られるようになった。読んだ限りでは、それと同じような構図と受け取れる。

 ただ、佐藤氏は知事として5期目に入っていた。汚職云々はさておき、4期(16年)とか、5期(20年)というのはいかにも長過ぎる。知事としての実績は評価するが、お山の大将になっていはしなかったか。そこは読んで気になったところである。 

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多摩市議会議員の通信簿

 東京都多摩市の「多摩市議会ウオッチングの会」が3月19日に発行した「市議会ウオッチングニュース」第54号を読んだ。今号は、議会など公開された場での議員の活動を4年間見聞きし、それをもとに、26人の議員一人ひとりの活動ぶりを評価した通信簿だという。

 通信簿を見ると、各議員ごとに政策提言度、行政チェック力、知識・調査力、意欲・態度、説明・説得力のそれぞれを5点満点で評価したダイアグラムを表示するとともに、総合評価を5段階方式でつけた。すなわち、「立派(秀)」、「よくやっている(優)」、「まあまあ(良)」、「不満(可)」、「大いに不満(不可)」のいずれかである。

 そして、見出しと26字×6行以内でのコメントとが各議員についている。見出しの例を挙げれば、「1期目の覇気衰えガッカリ」とか、「論客、市政改善の牽引車」、「言うだけのパフォーマンス」、「懸命さはあるが説得力不足」などである。「後進に道を譲る時では」というものも。

 総合評価で「立派(秀)」に該当する議員はゼロ。「大いに不満(不可)」は1人だけ。「まあまあ(良)」が15人もいた。

 4月24日に行なわれた市議会議員選挙に、この「通信簿」がどれだけ影響したのかはわからない。26人のうち、5人は出馬しなかった。この5人はそろって「まあまあ(良)」だった。選挙に立候補した21人は1人(次点)を除いて当選した。その落選者に対する「通信簿」は「不満(可)」だった。

 もしも多くの住民が通信簿を参考にして投票していたら、選挙結果はもう少し違っていたかもしれないとも思う。だが、この選挙では、みんなの党の候補者が断トツで当選し、ほかにも同党の候補者が当選している。市民の中に、従来の議員の活動に不満を抱いている層が少なからずいることを表している。「ウオッチングの会」は議員にいやがられるうえに、苦労が多い活動だが、地方自治の基礎である市議会の活性化に果たす意義は大きい。

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2011年5月 3日 (火)

4兆円ものがたり

【補正予算】 2日に国会で成立した補正予算は端数を無視すると4000000000000円。つまり4兆円と報じられている。だが、補正予算の枠組みを見ると、歳入(計)、歳出(計)ともたったの3051億円に過ぎない。歳入は税外収入3051億円だけ。その内訳は独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構納付金2500億円と公共事業費負担金収入551億円である。

 他方、歳出は、東日本大震災関係経費4兆153億円、既定経費の減額▲3兆7102億円の2つに大別される。既定経費の削減で大震災関係の災害救助や復旧などの経費約4兆円の9割余を捻出し、足りない分を歳入に掲げた税外収入でまかなうという構図である。

 さて既定経費減額の内訳はというと、基礎年金国庫負担の年金特別会計へ繰り入れの減額等2兆4897億円が突出している。次いで、予備費の減額8100億円である。子ども手当の減額2083億円、高速道路の原則無料化社会実験の一時凍結1000億円もあるが、この2つはわずかな金額にとどまる。

 ところで、基礎年金特別会計はというと、2011年度の同特別会計は歳出、歳入とも22兆1900億円である。歳入のほとんどを占める拠出金等収入が21兆4521億円となっている。他方、歳出は、基礎年金給付金が18兆5436億円、ほかに基礎年金相当給付費他勘定へ繰入金及び交付金という長ったらしいものが3兆4669億円ある。

 そして、この基礎年金特別会計に一般会計から繰り入れる金額が2011年度の一般会計当初予算では10兆3754億円となっていた。これが補正予算の成立により、2兆4897億円減らされるというわけだ。言うなれば、規模の大きい特別会計の積立金からなら借金してもかまわんだろうという発想である。あとで返すという口約束はあてにならないが‥‥。

【原発の賠償】 東京電力福島第一原子力発電所の損壊による損害賠償はいくらになるのか。3日の朝日新聞朝刊は政府内の試算として賠償総額を4兆円と想定しているという。そのうち、東電が負担できるのは約2兆円で、不足する分を主として他の電力各社からの支援で賄うという内容だ。記事によると、ほかに福島第一原発1~6号機の廃炉費用として1.5兆円、火力発電の燃料費増が年間約1兆円かかるという。

 同記事では、こうした賠償資金を確保するため、東電管内は約16%の料金引き上げをせざるをえないとしている。

 東電は総資産13兆円余だが、年間売り上げが約5兆円、自己資本は約2兆5千億円の規模である。政府内の試算は事態がこのままおさまる前提に立っているのだろうが、それでも、賠償額は東電一社では背負いきれないほどの負担である。それだから、他の電力会社にまで負担させようという発想になっているようだ。政府はできるだけ賠償の当事者になることを避けているが、原発は政府と一体で推進されてきたことは明らかである。原発が新たな危機に至れば、賠償規模は膨らむだろうし、政府の責任もより厳しく問われるに違いない。

【メキシコ湾の石油流出】 石油メジャーの英BPがメキシコ湾での海底油田掘削施設爆発事故で石油流出を引き起こしたのは2010年4月20日。あれから1年が過ぎた。87日間も流出が続き、その量は約78万klに達した。史上最大の石油流出事故である。ルイジアナ州のほか、フロリダ、ミシシッピー、アラバマ州にも被害が及んだ。

 被害規模は数百億US㌦とみられ、BPは2010年決算で事故処理のために409億㌦を引き当てた。うち、200億㌦は補償基金に充てられた。1㌦81円で円に換算すると、3兆3千億円余になる。1㌦100円なら、4兆円に相当する。同社は事故後、間もなく300億㌦の資産売却方針を打ち出し、賠償に必要な資金の手当てに乗り出した。被害への賠償はいまも続いている。

 驚くことには、巨額の賠償にもかかわらず、同社はびくともしない。どこからも金銭的な助けを受けず、しかも株主に対する配当を実施している。かつてのイギリスの栄光を代表する企業の一つであり、石油メジャーとして今日も活躍するBPの底知れない強さには驚嘆するばかりだ。日本企業の底の浅さを実感する。 

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2011年5月 1日 (日)

星野芳郎著『技術革新 第二版』(1975年)の原発論

 「原子炉の事故にとって、最も恐ろしいことは、何かの理由で、この一次冷却水が流れなくなったらどうなるか、ということである。そうすれば、被覆材は、たちまちにして高熱のために溶けてしまい、大量の放射能は、外部に放出されるであろう。」。日本の高度成長期に、技術史、技術論を多くの著書で展開した星野芳郎氏が1975年に岩波新書で出版した『技術革新 第二版』を読み返したら、そんな文章に出会った。

 第Ⅱ章「大災害の可能性のある技術の展開」で、新幹線、石油化学コンビナートおよび原子力発電所の3つの危険について述べている中でのことだ。そして、第Ⅲ章「二○世紀最後の四半世紀の「危機」」の中では、エネルギー問題に焦点を当て、「原子力発電の技術的経済的破綻」という小見出しで論じている。

 「被害が局部にとどまらず、100キロないしはそれ以上の遠方に及び、しかも人体や生物や土地に対する被害が数十年もつづくという可能性をはらむ技術がある。それが原子力発電所の場合である。」(第Ⅱ章)

 ウェスチングハウスやジェネラル・エレクトリックといった「原子力企業は、発電所を思いきって大型化して、原子炉やボイラ、蒸気タービン、発電機などの出力当りのコストを下げ、また炉心を最大限コンパクトに設計して、出力当りの製作費のコストを下げ、それによって経済性を宣伝したのである。しかし、このことによって、原子力発電所が大事故をひきおこす可能性は大きくなった。」(同)

 「原子力発電所に対しては、火力発電所や石油化学コンビナートにくらべれば、はるかに手厚い安全装置をほどこされており、安全の規制もまたずっときびしい。だが、それにもかかわらず、その内包する巨大な危険にくらべれば、いかなる安全装置もけっして満足なものではない。それに、安全が保証されるか否かは、けっきょくは、人間が安全のための設計基準や工作基準、施工基準、運用基準などを守りうるか否かにかかっており、‥‥」(同)

 「原子力発電の経済性とは、(中略)炉心の放射能がいっきょに大量に外部に放出されることはありえないという前提のもとに、計算されたものにすぎない。」、「企業の利益ではなく、人間の生命を基準において考えるならば、綱渡りのようなきわどい技術でささえられている今日の原子力発電は、どこから見ても未完成の技術と断じてよいのである。」(第Ⅱ章)

 一般の機械や装置にはトラブルや事故がよく起きる。「労働者が日常業務のように処理して、一つ一つ解決してしまうことができる。しかし、原子力発電所では、そうは行かないのである。」、「部品交換や修理であっても、プラントは放射能で汚染されているのであるから、(中略)作業は容易ではない。」、「すべては放射能にまつわる困難であり、この困難の排除は、原子炉で核反応を行なわせる技術よりも、はるかにむずかしい。」(第Ⅲ章)

 なぜ、原発が世界に広がったのかなど歴史的な背景などについても、同書は詳しく論じている。出版後、36年も経っているが、読む価値が十分ある。

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